2008年01月

2008年01月29日

神の手をみた2

■2008/1/25

鰯のあたまも信心から


神の手と言って連想するのは

サッカーのマラドーナ選手の
手を使った反則すれすれゴールを
神の手と言っていたのを思い出す。

…が今回は、ちょっと違う。


先日、マイワイフのもとへ
知人より
次なる内容の携帯メールが届いた。


*********************************************:

**転送元のメール**

幸せになれるらしい

沖縄で何年かに一回現れる『神の手』
という雲だそうです。

幸せになって欲しい人七人に送ると
願いが叶うそうです。

七人より多くなるのはいいそうです。

ビックリするぐらいキレイに手が撮れてます!!

〓●●●●〓

kamino te











*********************************************

かなりのウキウキメールだった。


最初、すごくビックリした。

(リュウ):きれいに撮れてるよねぇ。

      こんなのあるの?

      感動。これは、まさに神光臨だな。      

      ほしい、ほしい。
       
      送って送って。


とまるで子どものようにはしゃぎ
自分の携帯に転送してもらう。



■数時間後・・・・、

でも、

ちょっとまてよ。
と、冷静になった自分。

なんか、おかしい。

うさんくさいなぁ。
そうだ調べてみよう。

とインターネットで検索すれば、
あるわ、あるある。

ちなみに一番インパクトがあったのは
この方のブログです。
以下はアドレスです。

http://blogs.dion.ne.jp/pukapuka/archives/6136951.html

(PUKAPUKA BLOGです。)



泣いた。(TДT)

少しでも信じた自分に泣いた。

多少なりともあの光の点に

願い事をしてしまった自分に泣いた。




ところで、
送ってきた人も
後生大事に待ち受け画面にしていることだろう。


毎日あの光点を“神様御光臨”とあがめ
すばらしい御利益が
さずかると信じながら

“なんと美しい輝きだ”

と思いながら、うっとりしている。

かなりまずい光景だ。



・・・・・
でも、言えない。
言えるはずがない。

「鰯のあたまも信心から」とは
まさにこのことなのだろう。


イワシの頭のようにつまらないものでも、
信心の対象となれば、
非常にありがたいものに思える。
▽「いろはがるた」(京都)

泣けるで〜(><)


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2008年01月25日

虹の果てにて

幻想的な風景にであうとき


画家を目指していた時期があった。

個展も年1回は必ずやって、絵もそこそこ売れていた。
有名になる。
という思いが自分の中にあった。
だが、その思いは時が経つにつれて小さくなっていった。

感性が研ぎすまされなくなったからだ。

多くのノイズが自分の中に入ってきて作品が生まれなくなった。
いずれまた作品づくりに励むことになると
思うが今は時期ではなくなった。

それに違う目標/目的ができた。

夢というか目的は変わるモノではないかと思う。
その時々の自分に合わせて微調整していくものだと思う。


「虹の果てにて」というタイトルで描いた作品がある。

虹の先にはいったいなにがあるのだろうか?
といった幻想的な思いで描いた。

恐らく答えは出ないかもしれない。
虹の果てなんてだれも見たことがないからだ。
でも行ってみたいと思う。

あなたにも私にも
それぞれの虹の果てがある。
それは夢であり、人生という道なのかもしれない。

虹を見ると
なんだかすがすがしい気分になるのは何故だろう。
虹は夢を運んでくれるようなものだからではないか。

あなたが見る虹の果ては
何処にあるのだろうか。

虹













ps.
オマケ
なんだか
ムチャクチャかわいい白ネコが
ルームランナーで我が道
行ってます。

最初、音楽がちょっとうるさいので注意して!

内また歩きがカワイイ!!

↓↓↓


minaemon at 02:55|PermalinkComments(4)TrackBack(0) 随想 

2008年01月23日

かなり頭にきました2

■2008/1/23

恋愛と結婚は似て比なり


知り合いにコーヒー専門店を経営するオーナーがいる。
自分と同じ歳のレゲー調の自由人だ。
最近、そのオーナーが彼女と別れたと友人から聞かされた。

気になったので、慰めるってわけでもないのだが、
コーヒーを久しぶりに飲みにいってみた。

数ヶ月ぶりに合う彼は
ちょっと落ち込んだ様子がうかがえた。

***************


リユウ :ひさしぶり、元気?

オーナ :実はさ、俺別れちゃったんだよね
      ふられちゃった

リュウ :えっ、そうなの?(初めて知ったふり) 

オーナー:9年だよ。9年。つきあってさ。
      もう結婚してるみたいなものだよ。
      家族同士のつき合いだってあったのにさ

リュウ :そっかぁ・・・・・。

オーナー:でも最後のほうは俺のほうが冷たくしたっていうか
      つきはなしたっていう感じだったんだけど
      やっぱり去って行かれると寂しいよね

リュウ :なんでそんなことしたの
     いい娘だったよね

オーナー:でもやっぱりさ、彼女
      結婚してほしかったみたいだったからさ。
     それが我慢できなかったというか、
     俺、束縛されるのって苦手だし、
     でも今、すごく寂しいよ

リュウ :たしかに最初は、なんで結婚しないのかって不思議に 
     思っていたけど...
     でも何年も見ているうちに、
     彼女が納得しているのならそういう形もありなのかな
     って勝手に思ってたけどそうじゃなかったの?

オーナー:・・・・・・。
      この歳になるとかなりこたえるよ。
      泣いたよ久しぶりに

リュウ :・・・・・・・・ 
      まぁ、気をおとさないでがんばってよ




***************

最初に言っておくが
ぼくはかなり頭にきていた。

が、口には出さなかった。
何故なら、それはあくまで、当人同士の問題だからだ。

でも、恋愛と結婚はあきらかに違うと言いたかった。

9年間、一緒にいたのだから結婚しているのと同じだというが、
確かに、彼はそう思ったのだろう。

しかし、たかだか紙切れ一枚のことかもしれないが
でもこの結婚という契約書はかなり意味があるのだ。

恋愛には責任がともなわない。
いやになったらたとえ何年、何十年いようが離れればいい。
自由に離れていける。
オーナーの例がそうだ。

ついにというべきか、
待たされた彼女は去ることを選択した。

賢い選択だと思う。
怠惰な時間を過ごすよりも、
新しく自分を幸せにしてくれる人
つまり自分が望む結婚を交わしてくれる人を
捜すべきだと思う。

ただ、ぼくがどうしても許せないのは、
結婚するのか、しないのか、はっきりしないで、
ずるずると9年も待たせた
優柔不断なオーナーの態度だった。
それと束縛されるのがいやだっていう身勝手な考え。

つきあっていたら
当然ある程度の束縛は発生するものだ。
それがいやなら一人で生きればいい。

うそぶく彼はふられちゃった。
と言ったが、
ぼくからすれば、ふらせたのだと思う。

加害者になりたくない心理とでもいうべきか。

いつまで経っても、
自分が握った結婚という選択カードを切らない奴。
ずるいおとこだと思う。

はたして彼女は待っていたはずだ。

結婚しよう。という愛の言葉を...。








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2008年01月19日

よもやまばなし

■2008/1/19
よもやまばなし

we are not alone


今朝、
自動車を運転中、
自分のバースデーと同じナンバーの車を見た。

それも今月2度目だ。車種はもちろん違う。
いずれも、運転し始めて最初に目撃したナンバーだ。
かなり価値があるし、気分がいい。
得した気分になる。

さて、
最近なんだか不思議なことがある。

信じてくれないかもしれないが、
昨日、車に鍵をかけずに
ちょっと離れて
もどったら鍵が掛かっていた。

不思議だ。何故??

以前、こんなこともあった。
軽井沢に行ったとき、
運転中、車の窓が勝手に開いて半開きになったり、
鍵が勝手に
ロックされたり解除されたりしたことがあった。
自分がいる目の前でその現象はおこった。

何故、不思議だ??

地場の影響なのか、
それとも、深い杜の中だったので
なにかいたのか定かではない。
杜の精霊なのか?もしかしてトトロ?
それ以外のものなら・・・・怖すぎる。

霊感なんかまったくない自分だが、
そういったものに波長が合うことは遠慮したいのだが。



最近海を見ていない。
なんだか海が見たい。
ヨコハマへ行ったときは海というか
高層ホテルから港が見えて、夜景がきれいだった。
海というより都会の現風景だった。

今、無性にみたい海
それは
水平にだだっ広くてなにもない海だ。
なにも考えず
眺めているだけ。


PS
「約束の地」のブログを書き終えた夜、
夢で縄文杉の夢をみた。
圧倒されるくらい
とてつもなく大きな大きな木だった。

はたして、そこも約束の地なのか?
屋久島によばれているのかもしれない。

海

minaemon at 13:35|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2008年01月17日

感性の法則

■2008/1/17

感性は常にとぎすましていないと曇っていく



友より遠方から小冊子をいだたく

芸大時代の友人から書籍を頂いた。
20ページほどの小冊子なのだが、
彼自身が過去に書きためた厳選された切れ味するどい
詩の数々に心が圧倒された。

そこには彼独自の孤高の世界観があった。
絵画と同じく人を魅了してやまない
圧倒的な感性の鋭さを感じた。

忘れかけていた感性だった。

むろん自分には
彼ほどの、卓越した感性を持ち得てはいない。
ただ、当時の自由な感性とでもいうか
世界観とでもいうのか。
何者にも影響されない独自の宇宙とでも言うのか。
言葉では言い顕すことのできないもの。

すごく大切ななにかを思い出させてくれた一冊のような気がする。

お互い成長し合い、影響をうけてこそ
持つべきものは朋友ということだろう。


minaemon at 01:02|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2008年01月16日

◎渡欧見聞/切れ味番外編(その1)

渡欧見聞/切れ味番外編…(1)

約束の地


■2008/01/16

今日から切れ味ことば集の番外編として
渡欧見聞の事を書こうと思う。

気が向いたときにまた続編を書いていくので
よかったら読んでください。


・・・・・渡欧見聞/切れ味番外編・・・・・

一昔以上前なのだが、ヨーロッパに一人旅をしたことがある。
当時、日記を付けていたので
読み返すたびに、今のことのようにあの時の感覚がよみがえる。

今の自分では考えられないくらい、ひ弱で感傷的な自分のSTORYだ。

今だからありのまま話せること。

そして、あらためて思う。

時とは偉大なのだなぁ・・と。


:::プロローグ:::

あの時の自分はどうしても日本から出なければならなかった。

つらくてしかたなくて、どこかへ行ってしまいたかった。
かなり投げやりだったかもしれない。
死んでもいいと思っていた。
とにかく日本語の聞こえない場所に行きたかった。

恥ずかしい話だが、大失恋をした。
4年つきあっていた人と別れた。
半同棲をして将来は漠然とだが一緒になるべき人だと思っていた。

好きな人ができたといわれた。
すごく傷ついた。
家族以上だと思っていた。
過ごした時間がすべて偽りに思えた。

信じたくなかったが現実だった。

以後、日本語の恋愛歌詞が
自分の胸に突き刺さって
聴くことができなくなってしまった。

認めたくない!

自分はもうその場から逃げ出すしか手だてがなかった。
ほどなく会社に辞表を出した。
何もする気が起きなかった。
現実から逃避したかった。

そして自分は旅だった。

約束の地へ。

雑誌の切り抜きの写真で見た場所。
かすかな記憶。
スペイン。
とある田舎町。
白壁の家々と褐色の屋根群。

その場所へ行くこと。

それだけが、
胸にぽっかりと穴の空いた
魂の抜け殻の自分にできる
唯一のことだった。


to be continue

約束の地(カサレス)

minaemon at 12:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 渡欧見聞 | 

2008年01月12日

雪の降る街を

■2008/1/12*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

雪が降ると時間がスローにながていく


今日はもしかしたら夜半過ぎから雪が降るかもしれない。

雪っていうものはしんしんと降りつもるのがいい。

朝めざめて外へでてみると
白い銀世界になっている。
日本的な情緒とでもいうべきか
郷愁を感じる。

年末の紅白歌合戦は
マンネリ化してしまって
見る気にはならなかった。

唯一、行く年来る年だけは見ることにしている。

日本の古き良き風景をとらえているからだ。
おそらくまだ失われていない古き良き日本の
情景がそこにあるからだ。

年が明け、いろいろと所用で忙しい日々が
続くが、
しんしんと降り積もる雪をみていると
時間が止まったような
心地いい錯覚に陥る。

静寂の中、時間がゆっくりと過ぎていく

なにもせず身をまかせる。

そんな感覚が好きだ。


minaemon at 18:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年01月10日

夜のにぎわい4

■2008/1/10


ダルマさんに学び、七転び八起の精神でいこう



昨夜、初市に行って来た。

関東ではかなり有名なダルマ市だ。

この初市はやはり活気があった。
普段おとなしい街並が一変する。
幹線道路を歩行者天国にし
街全体がダルマ市と化すのだ。
こんなにこの街に
大勢の人々がいたのかってくらいにぎわう。

初市4











普段はシャッターがおろされている所でも
露天が所狭しとたちならび、
威勢のいい声がこだまする。
日本の良き伝統がそこにある。

毎日、これくらいにぎわっていたら、
この街も楽しいだろうに・・・。

初市6











昨夜は風もあり、かなり寒かったが
人々のさめやらぬ熱気は、
冬の寒さを忘れさせてくれるくらい
熱かったようだ。

初市2




ダルマさんがころんだ。
あっ立った。(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?
七転び八起の術!!




minaemon at 13:29|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2008年01月07日

希望の2008年が始まった5

■2007/12/28

謹賀新年…新年おめでとうございます


やっとこさ更新しました。

今年はかなりいい予感がする。

自身が尊敬してやまない人物がいる。
お正月はその人の著書を読んだ。
その人曰く、心のブレーキをはずせと彼の著書で言う。

人はとかく、小さい頃から親とか先生とかに
これはしてはだめ、あれもだめ、危ないからと、
安全を考慮しての注意を与えられて育っていく。

そんな繰り返しから
自己制御機能が過剰に反応してしまう
場合が多々ある。
ここで行くべきって時に躊躇してしまう場合など
恐らくそういった反応が出ているに違いない。

多分年を重ねる毎に
経験値は増すが、
その分、自己防衛本能なるものが機能して、
より安全である方向性をおのずと選択してしまう
ということなのだろうか。

無意識による選択。
もしくは潜在意識によるもの。

そういった躊躇は若者には少ない。
だから冒険もできる。

以前、自分がろくに英語、スペイン、イタリー、フランス語なんか
できなくてもヨーロッパに
飛んでけ放浪3ヶ月できたのも
そういった自己防衛本能ではなく
怖い物知らずな冒険心、好奇心といったものが
あったからだと思う。

そして、今年は復活冒険元年として
自分も以前のような冒険心を取り戻すべく
邁進していくことにしました。

とはいっても無謀なことはしないけどね。
にらむすし

PS(追伸)
自分の好きな書物の一文を今
此処に引用したい。
この文こそが、今の自分を後押しするとともに
今年のテーマでもある。





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青春
サムエル・ウルマン 宇野収、作山宗久訳 三笠書房
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青春とは人生のある期間ではなく
心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく
たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気
やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心
人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の
霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ
悲嘆の氷にとざされるとき
20歳だろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
80歳であろうと人は青春の中にいる。

minaemon at 20:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)