御寺泉涌寺 別院雲龍院  時折の事/華と写真と書 清水南龍 

華は楽しいものだ。
自然との触れあいを愉しむ雲龍院に。
そんな想いで客殿を中心に「飾り花」しております。
是非雲龍院をお楽しみ下さい。
 

2015年09月



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立て花考。 
研究している「ひょうげ」「婆娑羅」は、「常識」と言われる価値を見直す。 

なぜ?  
、、、、 そこに生まれた価値を否定せず、新たな存在を見立てる、創る。 
 
武士そのものの持つ諦念等からは、創造を超えた勇気が必要かもしれない。 
華・茶・香、、、、。 北朝天皇が京都の芸能者達を招き、花見を繰り広げた南北朝。 

後の日本文化の華を創る。
  
武家点前でのお月見の会、織部流扶桑尾崎宗匠の見識で「婆娑羅」を語っていただく機会に恵まれ、仏花から何を?又どう見るか、、、、、。  

同朋衆達の描いた「大衆性」。 
今時の声を挙げているように思う。 

街(まち) ,,,,,,,
普段の街は、いつもどうりの光と陰が人や木や風や香りを運ぶ。 
まったく異質な価値が訪れると、どうなるのだろうか? 

視点を変えて楽しむ事は、間違いではないが
価値が変わるとは・・・?

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今はまだ風に任すしかない。 
しかし・・・哲学でクラッシックが生まれる。
そんな時代は終わりを告げているようだ。


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人も街も変わる時代だ。 

夜会。 「ほのぼの」を月の世界で見てみたいもの。  
雲龍院お月見の会は今夜。
 

雲龍院のお月見の会は…
京都の静寂と写経道場の厳粛と
 
そう。でも暖かな。

その中で楽しむ月の世界。 
着物姿でお見えになる方も多い。  
京都ならではの風情がある。

忙しい時代。
時が人を追い越してゆく時代。 
いつから日本がそうなったのか? 
 
でも京都には京都時間がある。 
一つ一つのもの事を大切に、心を込めて。 

先日の重陽の節句が菊なら、
この観月はススキ。  

山奥の気配をふんだんに飾ってみたくなった。 

足を庭に置く。 
少しリラックスできたかな。 


紅葉未だ緑。 
暖かすぎるのが心配だが、夏の雨がきっと秋の寒さを連れてきてくれると、ここで待つ。

あと一か月半で初冬。 
暦どうりに行かないこの頃でも、冬は来る。 

暫くは心地よい秋の爽やかさを楽しんでいたい。 

NHKBS「京都人の密かなたのしみ」放映以来参拝の方からお話を聞く事も増え
静かな雲龍院もほんの少し賑やかになった。

番組のモデルになった長女市橋佳奈。 
今日はお月見の会のお手伝いで
一日走り廻る。  

さあ夜会の準備はできた。 
あとは月を待つだけ。


本堂前。 
月観る月、、、秋が綺麗です。 

秋色? 書いてみて何色?
  
太陽が少し目線では低くなり、輝きから温もりに変わる。 
気温も少し下がり、快適になる?  
夏の好きな方ではどう秋を感じるのでしょうか。 

赤、それも大地にある赤。 
茶色は安心を感じる色ですが…
赤やオレンジや黄色が、目に飛び込んできます。 

その時に感じる素直な目線。 
花が華になる時の気持ち、もっと知りたいですね。 

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モネです。
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紫の色が目に入ってきました。  
寒くなってきた事を感じます。

緑が濃くなり…いや赤くなって、
目にオレンジが冴えてきました。 



五節句の宴室礼の華。


曼珠沙華もそう。 
以前は毒々しい赤として家に活ける事を嫌った時代があります。
地下茎を蒸して食用としてきた時代もあります。 

人も花も、時代時代で、必要が違うのが流行なら、不易な価値は、、、、。 

天上の花。曼珠沙華、やはり舞う。 
時代を超えて。 

秋の赤。 

薄暗い山内は、雨上がり。
秋風がやっと吹いてきたと感じる。  

山の中から出てくると、
遠くで秋の運動会の練習の声が空にコダマし、
自然のエコーが幾重にも重なり、又重なり、、、、。

遠くの方で木々や岩に跳ね返り、
なんとなく耳には届いているようだが、
別世界に居ると自分を錯覚する。 

非日常感。 

目の前の事に向かっていると、
こうした過去の思い出と重なり合う情景が、勝手に頭をよぎる。 

「子供の頃の思い出」 
父や母の事、そして背中を見ながら元気に飛び回っていたことを思いだす。 
お寺にもよく行った。 
かくれんぼや陣取り、、、、。 
鞄をそのまま置いて帰って慌てた事もあった。 

皆さんにも同じような思い出があるだろう。  
、、、、郷愁というのか。 懐かしいというのか。 

さて心の故郷は、、、
それぞれに違う環境なれども、
空・海・山・花・雲・川
、、、、空気の香りかもしれない。 

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素通りしそうなほど素敵。 
振り返る瞬間は感動より何気なく。 
薄暗い雨上がりは、何もかもブルーを混ぜてやってくる。
誇張されたものもなく、そのままあるから素通りしてしまう。

そこが美しい。 


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秋色は滋味。 

茶色が安心感をもたらすと聞くが、
活けるは整理?いや趣向を凝らす。
夢や希望や出会いを装ふ事もあるのかもしれません。 

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簾越しの庭。 

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鳥に?


北朝天皇の位牌堂の前に徳川慶喜寄進の灯篭がある。 
ほんの少しだけ位牌堂に向けて会釈をしているようだ。 

ここは幕末の物語が、そして室町幕府開設の勢い。 そして空海の密教、、、、

佐々木道誉の「婆娑羅」を創造します。 

北朝天皇を擁立。
室町幕府足利尊氏が興る。京都での幕府開設。 
その折り滋賀守護職佐々木道誉が
歴史に残る京都大原野で花見の会を、芸能者を集め開催。
後の同朋衆へと、そして日本文化確立へと
進んいく。 
華の始まりは武士だっいう事かもしれません。

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夕方が綺麗です。 雲龍院。 


竹取物語
「常よりも もの思ひたるさまなり」という。
つまり「いつもよりも、ものを思っている様子である」という一節がある。
 
かぐや姫の昇天。 
、、、、なんとなくそう思えるという「もの」という表現がある。 

もの静。 
なんとなくしずか。 

そこには心地よさが潜んでいるようで、
日本にしかない「静の景色」とその中で
今いる嬉しさが、たまらなくいい。

花を写したくなる時。
決まって訪れる感傷観。 
特に「哀れ」を形象しているのではないのだが
日本独特の「あはれ」を,,,,,,,,,,,。

かなり以前からの事なので、
最近のスマホ撮影ショットの様に
人の動きより、美を切り取る習慣が楽しい。 

「物語」のものではないと思うが、
なんとなく語りたくなる美の瞬間を、
語る変わりに写真にとらえる。 
素敵な習慣が、やっと普通になった。 

美の価値の変化が、又訪れた。 
昔は思想・哲学で美を制限していた日本に
やっと個性が許される時代がやってきたようだ。 

個性、、、自分流、、、
生き方・暮らし方の流儀も十七条憲法の時代とは違う。 
美学をもって生きやすくなったのかもしれない。 

雲龍院。 
観月の茶会、9月28日です。 


この日の室礼の華。 
すすき。 

山々は充分に、実りの得て薄の穂も大きく、もの静なお月見の会は、もしかしたら、なんとなくではなく北朝天皇お位牌堂としての趣も感じていただけるかもしれません。 

人数に制限がございます。 拝 







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日月jitugetu  。 






街の灯り。 
ほのぼのとした日々を象徴する夕餉の為のまきを、、、御飯を炊きを作る。
その煙や子供達の無邪気な姿や、「ご飯だよ~」と夕方の鐘の変わりに母が呼ぶ。 

そんな景色や風情はもはや無い。  
その頃が全てではないが、郷愁の中には父母との思い出が故郷を想う。

都会に夢見て、、、今故郷に帰る人も増えてきた。  
街は変わった。 
人も変わった。 
何かがどんどん変わっていくのに…
変わらないものや変わってほしくないもの・事もある。 

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家に帰る時間も変わった。 
ほのぼのとした時間。 

昔は駅までに沢山の人に挨拶をして朝夕の習慣のように、
知らないあいでにお互いの存在を確認していた。 

習慣と慣習。 
日々が文化を生み出してゆく。 

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「お帰り~」 最近聞かなくなった。 

「おはよう~」 言わなくなった。 
いや聞こえないだけなのかもしれませんが、 スキッとした挨拶をしなくなった。



秋の挨拶。 
さてなんていうのだろう。  


9月。大雨で被災。 
心が痛い。 
何もできない自分に喝を入れる。 


街の明かり。
月の明かりで過ごした太古。 
蝋燭で過ごした昔。 
電灯で過ごす今。 

本当の明かりは、いつまでも消えない消せない愛。 

素朴でありのままの自然の中にいると、変わらない愛があるように思う。  

文化芸術。
愛を長く哲学で表し、位置を確かめてきた時代。
そんな時代から 最近は美という価値を素直に見つめる時代になったと聞く。 

嬉しい事です。 そんな時代に「華」に出会えた事が。  

雲龍院。  

「早朝」というと…
四季で印象的時間が違うようで、先日までの夏は朝が早い。
だから4時とか5時とかと会話に登る。

さて秋はどうか。 

文化の大切さを最近はあまり聞かない。  

時代なのか世代なのか
何かが変わろうとしている。
気配だけが口に登る。 

便利ではないけれど、人の想いを大切に生きる心得。 
個を大切にと書籍では論じても、中々そうも言ってはいられないのが、
当世流行りの婆娑羅かもしれない。 

和装がコスプレ化している? 
そんなことは無い。 
朝、着物姿を横に見て泉涌寺道を東に。


薄暗い雲龍院の朝。 
日が登る時間が変わった。 
、、、秋。  
高砂百合が語りかけてくるの。 


青い朝。 秋の色の日差し?  
もうじき黒くなる。 
先日まで緑だったのに!  

秋は茶色? いやそれは実りの色。
大地の色合い。  
形骸化して価値観。 
何か本には書いてない部分に、皆気づいてきている。

忙しい日本を夢観ず、
日本らしい姿。世界のJAPAN。

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   何処秋風至   

    蕭蕭送雁群   

    朝来入庭樹   

    孤客最先聞   

夕暮れの気配とは違う。 

朝は妖精達の声がする。 

山内を一回り。 

今日は高砂百合と、、、、名前のわからないこの草木に目を奪われた。 

慧玄這裡無生死。 
花を観ていると・・・
芽ぶき、若葉茂り、花咲き、実を結び、枯れ落ちる。 

生きる事と死す事に拘らず、
極端に言えば今生きているのか死んでいるのかも気にせず、
淡々としている姿に感動が走る。

今は咲くを重んじる時代。 
枯れ満ちたる姿を美しいとは見ないようだ。 
「華を活ける」を始めて数十年。 
飾ると室礼を講じて久しい。 

しかし一度も感余る思いに浸る事もなく、
手だけが動く時間と空間と人間に漂浪してしている。 

慧玄這裡無生死,,,,,,,
まだ拘っている自分への反省と 今日重陽の日に、
初心を込めてみたいと思った。

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滝川は、もう秋。 
山間の景色に、白が映える秋から冬の準備が始まった。  
十歳を契機に華を始めた。 
二十歳を契機に流儀を目指した。 そして離れる。 

花と暮らすのに自然からの教え以外に 
花から学ぶ,,,,,,,,

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秋の夕暮れ。 
木瓜の実が月窓を伺い、又日々の感謝と結実の想いに浸る。

拘らず。 一心花に従う。  
この時間を大切にしたいものだ。   

極端な大風、大雨、そして地震など

暫く人の世界の葛藤のほうが多く
あまり気にしていなかった自然の現象が目に余る昨今。 

すでに「観月の茶会」の準備も始まり秋一色の構えですが、
おちおちと風情を味わってはいられない。

毎日写経される方が参拝され、
早朝から気ぜわな気配が山門をくぐり見る「秋色」にもなんとなく…。

自然が…動いています。

台風の報道。 
聞こえているのでしょうか? 
なんとなく気構えができているようで、
こうした姿に「凛」という美を感じざるをえません。




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南北朝時代、北朝の天皇。
室町幕府を京都に。
そして日本の今の文化の姿に。



武士の姿が、ここにあるのでしょうか…。

潔さが全て凛とはいえないのかもしれませんが、依代がここにも。


静なる湖面や海。 
その平らかなる安心は、山を甲斐として新しを産むことも多い。

仏教伝来。室町幕府開設。明治維新。 

この国の変化ですが、今・・・。

ところで、「粋」の芸術形式の中で、
線画的、淡彩傾向、構図の無煩雑と言われますが「凛」とは。

「凛」を崩すとは・・・。 

そうした想いが室町時代だったかもしれません。 

嵐吹く季節。
野分はどこにどこからか? 
,,,,,婆娑羅の時代だったと記憶します。 

 

残暑お見舞い申し上げます。 
本来なら盆明けのご挨拶の言葉。

15日だけずらしてみたら? 

しかし暑い。 
いやこれが 普通になっていくのだろうか…。

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