鈴木和雄が牧水「みなかみ紀行」の地から

谷川連峰に抱かれた歴史と文化・芸術に息づく利根川源流のまち みなかみ町。
「水と森林の防人」と「環境力の向上」を宣言した水源のまち みなかみ町。
たくみの里・遊神館・桃李館のみなかみ農村公園のまち みなかみ町。
無限の可能性を秘めた5つのダムと出湯のまち みなかみ町。
若山牧水等の文化人がこよなく愛したまち みなかみ町。

鈴木和雄ブログ 抜粋

若山牧水の「みなかみ紀行」

晩秋のみなかみ町
  若山牧水がこよなく愛した晩秋のみなかみ町・谷川連峰と利根川<月夜野大橋から撮る>

 旧月夜野町、水上町、新治村が合併して「みなかみ町」が誕生してから、早や6年の歳月が過ぎました。町民皆さんの協力で行財政改革も進み、学校施設の耐震化も終わり、現在は懸案の都市計画事業も進行し、夢膨らむ思いであります。

合併新町の町名は、彼の若山牧水の著書「みなかみ紀行」から名付けられました。牧水は旅と酒をこよなく愛した歌人であり、日本各地を訪れ多くの歌集を残しました。

この水源の地「みなかみ町」にも2度訪れ、奥利根の自然やそこに住む人々の営みを、更には歌の同士との出会いを「みなかみ紀行」にしたためています。
 大正7年10月の旧水上町の旅では、「私は河の水上(みなかみ)というものに不思議な愛着を感じる癖を持っている。…峠を越せば其処にまた新しい水源があり、小さな瀬を作り流れ出る風景を見ると胸が苦しくなるような歓びを覚えるのが常だった。」とあり、また「…湯檜曽の辺りでは、銚子の河口であれだけの幅を持った利根が、石から石を飛んで徒渉出来る愛らしい姿になっているのを見ると、矢張り嬉しさに心は躍ってその石から石を飛んで歩いたものであった。」と、川の上流に不思議な愛着を感じ、利根川の源流を自分の足でたどり、その情景から受けた心情を綴っています。

大正11年10月の旅は、長野県、群馬県等24日間に及び、この間、旧月夜野町・新治村を旅し、前回の旅と合わせて紀行文として「みなかみ紀行」を纏めております。
 「月夜野村は村とは云え、古めかしい宿場の形をなしていた。昔は此処が赤谷川(あかたにがわ)流域の主都であったものであろう。宿を通り抜けると道は赤谷川に沿うた。…」とあります。千日堂また、地図上に法師温泉を探し当て『…沼田の方角に近い処に視線を落とすと、其処に「猿ヶ京村」という不思議な名の部落のあるのを見るだろう。サテも斯んな処に村があり、斯んな処にも歌を詠もうと志している人がいるのかと、少なからず驚嘆したのであった。…』と記されています。 この旅では月夜野を通り、湯宿から猿ヶ京温泉や法師温泉を訪ね、旧月夜野町では義人茂左衛門を知り、千日堂の香煙を見て、「…月夜野橋を渡ると直ぐ取っ着きの岡の上に御堂はあつた。田舍にある堂宇としては實に立派な壯大なものであつた。そして、その前まで登って行って驚いた。寧ろ凄いほどの香煙が捧げられてあつたからである。そして、附近には唯雀が遊んでいるばかりで人の影とてもない。百姓たちが朝の仕事に就く前に一人ひとり此処にこの香を捧げて行ったものなのである。一日として斯うない事はないのだそうだ。立ち昇る香煙のなかに佇みながら私は茂左衞門を思い、茂左衞門に対する百姓たちの心を思い瞼の熱くなるのを感じた。…」と、その時の感慨を書いています。

また、旧新治村の二人の社中の同士と出会い、その中の一人、浅地の松井太三郎氏とは、「君は何処で歌を作るのです、此処ですか。」…「何処という事もありません、山でも野良でも作ります。」と僅かに答えたとあります。
 もう一人、猿ヶ京の林 銀治氏とは、湯宿温泉・金田屋旅館で出会い、「…仙台からの帰途沼田の本屋に寄って私達が一泊の予定で法師に行った事を聞き、ともすると途中で会うかも知れぬと言われて途々氣をつけて来た。そして、もう夕方ではあるし、ことによるとこの辺に泊って居るかも知れぬと立ち寄って訊いてみた宿屋に、偶然にも私が寝ていたのだと言う。あまりの奇遇に我等は思わず知らずひしと両手を握りあった。」と書いています。この社中の同士の松井太三郎氏と林 銀治氏は、私達の郷土の大先輩であり、牧水との親しみを一層深くしてくれます。

 旅先では、各地に多くの歌を残しております。
 旧新治村永井宿には、法師温泉に向かう道すがら、新治村立猿ヶ京小学校の永井分校に立ち寄り
     “ 山陰は日暮れ早きに学校の
           まだ終わらぬか本読む声す ”
と詠み、この歌は石碑に刻まれ、現在は永井宿郷土資料館の前に建てられています。また、水上温泉・湯原の水上橋の袂では
     “ 大渦のうずまきあがり音もなし
           うねりなだれて岩をおおへども”
と詠む等、みなかみ町の雄大な自然や人々との繋がりを牧水文学にまとめ、今の世に伝えています。これによって私達は「谷川連峰・水と森防人宣言」を起草し、008新生「みなかみ町」を誕生させました。
 今、90年余の時を越えて、上州の自然や風土、そして温泉を求めて旅した牧水の足跡を辿り、自然を愛し、歴史を重んじ、地域文化を育てたいものでます。そのためには、若山牧水の足跡の保存し、継承することが大事であり、確かな足取りを残した月夜野、水上、新治地区の3地区に牧水の顕彰公園を建設し、後世に伝えるべきであると考えます。そして、若山牧水との関わりを私達の誇りにして、これを生かし、21世紀に飛翔する「みなかみ町」の発展に情熱を傾けたいと思います。

 


 

キラリと光るみなかみ町

初日の出・2
   我が家からの「初日の出」に、孫達7人の健やかな成長とみなかみ町の発展を祈る。

  謹 賀 新 年

皆様のご健康とご多幸を心から祈念申し上げます。

 

巳年の巳の字は胎児を形どった象形文字であり、「起こる、始まる、定まる」という意味を連想させます。また巳は蛇であり、蛇は脱皮して成長することから「復活と再生」が期待できる縁起の良い年であります。また巳年に生まれた人は、探究心が盛んで情愛に厚く、一面執念深いところがあるが、恩義と感謝の念を忘れず、絆を大切にすると言われます。

 

昨年末の衆議院選挙では自公政権が復活し、閉塞感が若干薄れ、わずかながら明るさを感じます。安倍総理大臣は「金融政策」「公共投資」「成長戦略」の3本の矢で、日本経済の「失われた20年」に終止符を打ちたいとしています。そのためには、強力な金融緩和と確固たる成長戦略でデフレや円高を克服し、日本経済を確実に底上げして欲しいものです。そして緊急経済対策の公共投資では、道路、トンネル、橋等の総点検と緊急的な補修工事を行い、併せて首都圏の水瓶であるみなかみ町の5つのダムの安全神話を払拭し、この際、日本経済の発展と利根川流域住民の安心を確保するために、その危機管理体制の確立が急がれます。公共事業と言うと、マスコミ等は極端なアレルギー反応を示しますが、みなかみ町の5つのダムは相俣ダムを除き、上組からの谷川連峰それぞれが急峻な山間地にあり、しかも深層崩壊の危険地帯にあります。加えて全国には52万個所を超える、治水・砂防事業等を待つ危険地域があります。言うまでもなく、災害が一旦発生すれば、その復旧・復興費は莫大なものになります。「備えあれば憂いなし」の通り、これらを未然に防ぐことが政治や行政の役目であります。その手法は強靭化対策でも、減災・防災対策でも結構ですが、少なくとも一時的な公共投資でなく、10年単位の「緊急災害対策実施要綱」(仮称)を作成し、その計画に沿って安全な国土の建設に取り組むことを強く望みます。

 

明治維新は、坂本竜馬・西郷隆盛等に代表されますが、何れも命を捨てる覚悟で変革を進め、多くの犠牲の上に封建制度を瓦解し、開国を実現しました。彼等は国を憂い、命がけで激動と変革の時代に身を捧げましたが、幕末の志士達は、私心を持たず、己に厳しく、一途に開国を求めて戦いました。幕末の思想家・吉田松陰は、「仁・智・勇」の重要性を説きました。勿論、仁は無私、即ち私心が無く、公平であること。智は知識、勇は決断と実行を意味し、「私利私欲を捨てて、知識を広め、決断し、実行せよ。但し、実行しなければ、仁も智も役に立たない。」と教えました。また坂本竜馬は開国論者・勝海舟の護衛に、事もあろうに尊王攘夷派の人切り以蔵を付けましたが、その時に「事を成さんとすれば、智と勇と仁を蓄えなければならぬ。」と説得しました。後のくだりは兎も角として、両人の言葉は今の時代に照らしても示唆に富むものであります。

 

 さて、政治や町づくりの命は、夢であります。夢があるから智を磨き、決断し、実行に移そうとします。しかし「夢の扉」は必ずしも軽くはありません。だが、開けようとする強い意志とやる気があれば、それがどんなに重くとも、必ず開くものです。千日堂
 みなかみ町は災害や外的要因で、どんなに大きな被害を受けても、首都圏を始め関東平野を潤すかけがえのない水源地であります。その責任を果たすためには、平常時からその復旧・復興の体制を整えなければなりません。そのための必要条件は「玉原トンネルの開削」であります。利根川流域住民の安寧のためにも、その実現を強く望みます。また超高齢社会にとって最も大事なことは、新産業の創出と雇用の拡大であります。そのためには打算的な考えでなく、みなかみ町の資源を活用する気概に燃えて、先ずは森林・山・川を生かしたバイオマス、太陽光、更には小水力発電等の再生可能エネルギーの確保に挑戦することが大事であります。更には、少子化社会に対応した高等学校教育の充実であります。「子供が極端に減ってしまった。学区制が県内一つになり、子供達が地元の高校を希望しなくなった。」等と嘆いても、何の解決になりません。先ずは学校統合して子供達に魅力を与えることが可能な学校は統合すべきであり、学校組合立の利根商業高校は特色ある文武両道の学校運営に挑戦し、全国各地から若者が入学を希望する学校にしなければなりません。そして、国からの地方交付税等で賄いきれない学校の運営費は、学校組合立の趣旨に沿って構成自治体が負担すべきであると考えます。この事は必ずや利根沼田地方の高等学校教育を充実させると共に、優秀な人材が定住化する可能性をもたらし、将来の礎を築くものと信じています。

  いずれにしても、これらの課題の実現は容易ではないが、前例主義に捉われていてはできません。巳年に当り発想の転換をして、「起こる、始まる、定まる」を合言葉に、キラリと光るみなかみ町に期待します。

 


みなかみ町の「成長戦略」

DSCN2212
   谷川岳と利根川はみなかみ町のシンボル・私のデイスクトップ<平成23年5月、月夜野大橋から撮る>

 私のディスクトップの背景は、残雪の谷川連峰に源を発する利根川と新緑に萌えるみなかみ町です。この顔は何時も同じですが、出会う度に新鮮であり、元気な声がこだましています。そこには可能性を秘めた胎動を感じ、私はこのキャンバスの上に愛郷の将来像を描いています。

 さて、安倍政権の経済対策である「アベノミクス」は、円安、株高が急速に進み、国民の間に景気回復の期待感が高まっています。だが日銀が決定した物価目標の2%は、物価上昇の警戒感を強くし、私達、年金生活者に不安をもたらします。しかし、日本経済の至上命題がデフレ経済の脱却と景気回復にあるならば、賃金の引き上げと雇用の拡大が緊要であり、失われた20年を取り戻すために政府、国会、国民が一丸となって努力しなければなりません。既に打たれた金融政策と財政政策は、国の内外から注目を集めています。これらの政策が成功するか否かは、民間投資を喚起する成長戦略にあり、これによって地方が元気にならなければ成功とは言えません。政府は「産業競争力会議」において7つのテーマごとに会議を開き、6月を目途に具体案をまとめると報道されました。思川桜その中の1つに「農産物の輸出拡大」がありますが、安倍首相がTPP参加を表明してから、自動車産業を守りたいアメリカと米の生産農家を守りたい日本との思惑が一致したと言われていますが、具体的な施策に注目したいと思います。


 
よく「地方の発展なくして国の発展はない」と言われますが、国の成長戦略と共に各自治体がそれぞれ成長戦略を描き、その実現に取り組む覚悟と決断が求められます。

 みなかみ町は合併特例期間の終了を前に、極端に少子高齢化と人口減少が進み、これに伴い労働力人口が減少し、地場産業である農業と観光事業が痛手を被っています。また、高齢者人口の増大に伴い、年金や医療費・介護費は年々増大し、地域社会の活力の維持が困難になっています。更に少子化による児童生徒の著しい減少から、義務教育、高等学校教育にも支障をきたし、経済活動のみならず社会生活の基盤にその影響の影をおとしています。従って、これからは前例主義や現状維持の発想に捉われることなく、常に行財政改革に積極的に取り組み、その果実で地場産業の活性化を図り、夢と希望のある町づくりが肝要であります。そのためには先見性を持って事にあたり、何事にもプラス思考で挑戦し、常に成長戦略を持つ町として邁進しなくてはなりません。


 今みなかみ町が優先的に取り組むべきことは、年々増加する遊休農地の活用であります。現在はその面積が520ha余りと言われますが、この遊休農地の利用こそが我が町の雇用と富を生み出し、更には有効的な有害鳥獣対策に繋がるものと思います。DCIM0558
戦後、わが国は農地解放を断行し、農業者以外の農地利用を農地法で厳しく規制していますが、その弊害が現状をもたらしています。
これからは行政等が積極的に農地を集積し、農業法人は勿論のこと、株式会社にも農業経営と農地の所有を認め、農業を国民の命の産業にしなければなりません。そしてTPP時代の輸出産業に育て、瑞穂の国・日本の食糧増産と緑の大地を守る義務と責任があると思います。

更には再生可能エネルギーの創出であります。福島第一原発の事故以来、わが国は高い外貨を払って原油、LNG等を輸入して電力の需要を賄っていますが、無尽蔵にある国内の森林資源を活用すべきです。化石燃料の輸入は容易であるとは言え、それを補う手段として森林資源によるバイオマス発電に挑戦すれば、エネルギー問題に限らず森林整備の促進になり、それが雇用の拡大に繋がります。またみなかみ町の自然環境に目を転じると、町内には18の温泉地があり、更に谷川連峰の深層には豊富な地下水が貯えられています。これらの資源をビジネス化する知恵と努力が求められています。


 いずれにしても、今みなかみ町が求めることは新産業の創出と雇用の拡大であります。先ずは有識者の参加を願って町独自の「成長戦略会議」を組織して、みなかみ町の「強み」と「弱み」をつぶさに検証し、その結果を客観的に分析して「みなかみ町の成長戦略」を設定すべきであります。そして「合併特例債」「過疎債」等を有効に活用して、キラリと光る夢のある町づくりを期待しています。




 


 


 

3つのダムが利根川下流域を守った2011/8/6

利根川のにごり
   利根川源流地域の豪雨で山地が崩壊して濁る利根川・月夜野大橋から撮る。

 前線の影響で記録的な豪雨となった新潟・福島の両県では、局地的に猛烈な雨に見舞われ、土砂崩れや堤防の決壊等が相次ぎ甚大な被害を被りました。我が群馬の奥利根地方も7月27日から30日に掛けて多量の雨が降り、あれから1週間余りが過ぎましたが未だ利根川の水は濁ったままです。

利根川の水源地である大水上山(http://masatore.fan-site.net/oominakami080706.htm)は、群馬県みなかみ町と新潟県南魚沼市の境目に聳え、その山脈は日本海側と太平洋側の分水嶺であり、その真下に矢木沢、須田貝、奈良俣、藤原の4つのダムがあります。今回の豪雨は日本海側のみならず利根川源流域にも及び、須田貝ダムを除く3つのダムに未だかってない雨水の流入量が記録されました。

 

 平成23年8月3日、独立行政法人・水資源機構沼田総合管理所は、次のように「速報値」を発表しました。
  集中豪雨ダム流入状況
 

この「速報値」によると、矢木沢ダムの上流では7月27日から30日迄の72時間の降雨量が631mm、奈良俣ダム上流は414mに達し、それぞれのダムに流入した雨水の量は観測史上最大となり、関係者は驚きを隠し切れない様子でした。矢木沢ガムの提体から映す
 この豪雨によってダム周辺は言うに及ばず、水源地の急峻な山々は各所で崩壊し、無残な山肌をあらわにしています。そのため水源地の山々の地盤がある程度落ち着くまで、利根川の水の濁りは解消されないものと思われます。また「速報値」から分るように、矢木沢、奈良俣、藤原の3つのダムが東京ドーム80杯分と言われる9,909万m3の水を貯留し、各ダムの必死な管理による洪水調整で下流域の被害を食い止めることができました。

 

水ほど大切なものはなく、管理できない水ほど恐ろしいものはありませんが、もし3つのダムがなければ、この度の豪雨は利根川の下流域に想像を絶する被害をもたらしたものと思われます。民主党政権は「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズの下で、八ッ場ダムを始めダム不要論があたかも正論の如く語られていますが、ダムは国民の生命と財産を守る上で、不可欠の社会資本であることを改めて痛感しました。政治家は政治の第一義が何であるかを、今一度真剣に考えて欲しいものであります。
須田貝ダム周辺  みなかみ町は近年、集中豪雨によって新治地区湯宿温泉の七ッ釜沢、月夜野地区上牧の戸谷沢、更には水上地区大穴の小仲沢の氾濫等で大きな被害を受けていますが、他に危険個所も数多くあり、地滑りや急傾斜地事業、更には治山砂防事業に一層の力を注がなければなりません。

 日本は陸地の70%が山間地であり、世界最大の中国大陸と世界最大の太平洋の間にあるために、台風、前線など気象的にも世界有数の多雨地帯であり、亜熱帯的地勢にあると言われます。それだけに毎年、台風やゲリラ豪雨等による洪水や土砂災害が多発しています。
 愈々台風シーズンを迎えます。「備えあれば憂いなし」の通り、行政はもとより個々においてもしっかりとした備えが求められます。

自然の警告を放置するな2011/12/25

冬の谷川岳
  矢木沢、奈良俣、須田貝、藤原ダムを抱く谷川連峰<月夜野地区小川島から撮る>

  年の瀬を迎え慌しい毎日ですが、東日本大震災の情景を忘れることができません。生まれ育った故郷がなくなり、家族や親しい友人を喪い、家や仕事も奪われた人々を思うと心が痛みます。
 思えば、津波、そして原発事故を含めた大災害は、今までの歴史の中で数々の警告があったと思います。従って、この大災害を想定外という言葉で拭い去ろうとすれば、自然は更に怒り、人知を尽くした科学の力も無用の長物になってしまいます。

思い起こせば、昭和22年9月、本国に上陸した大型のカスリン台風は、戦後の荒れた山々に多量の雨を降らせ、利根川と荒川の堤防が各所で決壊したために、埼玉県東部から東京都にかけて多くの家屋が浸水し、流出しました。上流部の群馬県や栃木県では土石流や河川の氾濫が多発し、合わせて1,100人余の死者と行方不明者を出す甚大な被害をもたらしました。この災害を受けて、政府は昭和24年に「利根川改修計画」を策定し、ダムによる治水と利水対策が急ピッチに進め、利根川源流域のみなかみ町に5つのダムを建設しました。その総貯水量は4億トンに及び、これらのダムによって今日まで関東平野に住む人々の生命と財産が守られてきました。しかし今年は、この5つのダムに2つの警告がありました。


1.  新潟と福島の両県は、7月27日から30日にかけて局所的に猛烈な豪雨に見舞われました。これが 5つのダム群の上流域にも及び、特に矢木沢・奈良俣・藤原ダムは未だかってない多量の雨水の流入が記録されました。独立法人・水資源機構沼田総合管理所は、次のような「速報値」を発表しました。これによると、矢木沢ダム上流の降雨量は631mm、奈良俣ダムでは414mmに達し、雨水の流入量は観測史上最大でありました。しかし、職員をはじめ関係者の迅速な決断と果断な努力によって、東京ドーム80杯分にあたる9,909m3の雨水が貯留され、下流域の被害を未然に防ぐ事ができました。この事はダムの機能を生かせたことによりますが、関係者は喜びと共に自然の力の凄さに驚きを隠しきれない様子でした。しかしこの時、ダムに空き容量がなく、今夏の台風12号が紀伊半島にもたらしたように、1,000mmを超える降雨量であったら利根川流域はどうなっていたでしょうか。身の毛がよだつ思いであります。

集中豪雨ダム流入状況


2.
  
 平成22年8月、国交省は「深層崩壊推定頻度マップ」(http://www.mlit.go.jp/common/000121614.pdf#search='深層崩壊マップ')
を発表しました。このマップによれば、みなかみ町の5つのダムは深層壊壊の発生頻度が「特に 高い地域」になっています。特に、その中で藤原地区にある矢木沢、須田貝、奈良俣、藤原の4つのダムの総貯水量は3億7,500万m3に及び、利水面では関東平野の水瓶として、治水面では利根川流域住民の日々の生活の安全を守っています。しかし、7月末の豪雨では各ダムの周辺に表層崩壊が多発し、利根川が11月中旬頃まで濁っていたことは記憶に新しいところです。この事態は深層崩壊とどのように関連があるのか、不安と恐怖が募るばかりです。深層崩壊の実態は台風12号が紀伊半島にもたらした山津波の驚異から分かるように、その破壊力と惨状は筆舌に尽くし難いものがあります。私は以前から地震や外的要因によるダム決壊の危険性を訴えてきましたが、今後は深層崩壊という要因も加えなければなりません。南天

 
 ところで、利根川は上流域にダムがあるから、「下流域は安全だ。首都圏は心配ない。」と思ってはいないだろうか。それは地震や外的要因、更には2つの警告に対し、ダムの危機管理体制が万全でなければ言えないことです。今回の原発事故が示すように、災害発生以前に万全な対策を施すことが、政治の責任であり、行政の責務であります。

 いずれにしても、異常気象によるゲリラ豪雨、表層や深層崩壊を問わず、山地の崩壊の恐ろしさを再認識しなければなりません。そして、利根川上流域に想定される大災害が発生したら、日本経済は破綻し、日本民族は崩壊の危機に晒されるだけに、今から万全の備えが求められます。
 こうした観点から政府並びに国会は、国の最重要課題として利根川源流域のダム危機管理体制を早急に確立すべきであり、その第一歩は同源流地域への道路整備であります。
 現状は、狭隘な県道水上・片品線の1路線のみであり、これでは平時の対応も侭ならず、一朝事有れば利根川全流域に手の施しようのない混乱を招き、その被害は極めて甚大であることが予測されます。先ずは現道の拡幅改良整備を行う共に、県道水上・片品線と県道上発知・材木町線を連結する「玉原トンネルの開削」が急務であります。日本経済を支える首都圏と利根川流域住民の安全確保のためにも、一日も早い「玉原トンネルの開削」と、それに伴う道路整備の促進を強く望む次第であります。

  



利根商業高校の存続こそ我が使命2012/9/13

利根商校門
   学校施設の耐震補強も完了し、体育施設の完備した利根商業高校

私は長年、地方自治に参画できたことに感謝しながら、今みなかみ町の発展を願いつつ、七十路を歩んでいます。 こうした日々の中で、私の脳裏から離れない問題が利根商業高等学校の存続であります。今回は利根沼田学校組合立利根商業高等学校理事会(構成自治体・1市1町3村)の前理事長として、群馬県立移管に取り組んだ反省を述べると共に、新たな決意で同校の存続に力強い運動をお願いする次第です。
 顧みれば日本が戦後の復興期を過ぎ、第1次高度経済成長期にあった昭和33年4月、利根沼田地方にも高等学校教育の関心が高まり、当時の市町村会は学校法人・利根商業高等学校を、旧月夜野町の桃野中学校に開校しました。その目的は時代の要請に応えて、地域社会を支える人材の育成と地域経済の活性化にありました。爾来、先輩各位が学校組合を中心に、幾多の困難を克服して教育内容の充実と学校施設の整備を行い、昭和48年4月には利根沼田学校組合立利根商業高等高校(以下利根商)となり、国の地方交付税を主要財源に経営する公立高校になりました。そして創立以来、54年余の輝かしい歴史を刻み、揺るぎない伝統を築き、県内高等学校の雄として成果を挙げてきました。この間、卒業生は16,700人余を数え、皆さんは誇り高き産業人として日本経済を支え、今日の利根沼田地方の礎を築きました。

 

 しかし時代の変遷と共に超少子化社会となり、利根沼田地方はその影響を大きく受け、産業や教育をはじめ社会・経済構造の崩壊が危惧されています。今、私達に課せられていることは、数々の負の変化を食い止めながら、如何にして持続可能な地域にするかであります。そこで、義務教育に於いては各自治体の実情に応じて、小中学校の統合を図り、教育環境の整備に努めています。上組の田んぼ 
 この現実は高等学校教育にも及び、県教育委員会(以下県教委)は平成17年に沼田高と沼田女子高の統合案を提示しました。これに対して、両校の同窓会等を中心に反対運動が起りました。県教委は利根沼田地区の市町村長、教育長、地区内各校の同窓会長、
PTA会長等による「利根沼田地区の高等学校の在り方に関する懇談会」を設立し、鋭意協議を重ねました。当時、私は沼田高と沼田女子高の統合に賛成でしたが、併せて利根商と利根実の存続を強く訴えました。何故ならば、大学進学等に普通学校の充実は大事であり、実業高校は産業人を育み、利根沼田の発展に情熱を注ぐ人材を育てる重要な役割を担っているからです。

 
  私は当時みなかみ町長として学校組合の理事長の任にありましたが、少子化に伴う学級減により、学校経営の主要財源である地方交付税の減額を憂慮しました。幸い歴代の理事長並びに役職員の努力で10億円余の基金(貯金)があり、この内7億円は学校施設の耐震補強費でしたが、財源不足の時は基金を取り崩して補填できました。しかし、基金がなくなれば構成市町村が補填することになり、それができなくなれば財政上から存続ができなくなると思いました。

そこで理事会に諮り、理事会は学校組合教育委員会と数度の合同会議を持ち、教育委員会は学校並びに同窓会等と協議を重ねました。その結論は県に移管して県立高校にすることでしたが、私はこの事を学校組合議会に提案し、全会一致で県立移管を進めることが決まりました。これを受けて、平成20年9月には「利根沼田学校組合立利根商業高等学校の県立移管についての請願」を群馬県知事並びに群馬県議会議長に陳情し、実現方を要請しました。現在は県議会の文教警察常任委員会に於いて継続審議中であります。

 

「利根沼田地区の高等学校の在り方に関する懇談会」は諸々の経緯はありましたが、県教委は本年2月13日開催の懇談会に於いて沼田高・沼田女子高の統合案を撤回し、現状維持を含む最終案を提示しました。併せて利根商は県立移管の検討が明示されました。しかし、この最終案には「適正規模(1学級40人を1学年4~8学級)が維持できる限り存続する。」という付帯事項があります。既に平成24年度の募集要項によれば、沼田女子高は1学級減の160人となりました。
 

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  また上表の「利根沼田中学校卒業見込者数」の通り、15年後は今年度と比較して350人近く減少することが明らかになっています。社会・経済情勢が変わらない限り、この減少幅は更に大きくなると思われます。加えて平成19年度から県立高校の生徒募集が県内一学区制となり、年々利根沼田以外の高校に進学する希望者が増えています。従って県教委が示した付帯事項は、利根沼田地区の高等学校の再々編を意味していることになります。

 
 このような状況下にあって、利根商は県立移管で存続できるのでしょうか。今や懸念される材料も増え、県立移管は高校再編の対象となり、存続が危ぶまれるのは必至であります。もし他校との統合にでもなれば、長い間、利根沼田地域の人々が培ってきた貴重な教育財産を放棄することになります。ましてや学校施設の耐震補強も済み、その上、体育施設も完備され、県内屈指の学校と言われる利根商が姿を消す虞があるとすれば、これを座視していることは断じてできません。私は理事長職の任を離れ、利根商の存続問題を改めて考える時に、在任中の先見性の欠如を痛感し、忸怩たる思いを抱くと同時に、関係者皆さんに心からお詫び申し上げます。

 利根商校舎

企業活動の本質は、イノベーションにより常に新たな技術や商品を生み出し、変わることなく新たな価値観の創造を続けています。しかし、国から地方交付税や交付金等を受けて行政運営に慣れている私達は、とかく前例に捉われ、あまり過去の業績に目を向けず、目先の財政や損得勘定だけで「改革」や「変革」を叫ぶ風潮を否めません。しかし変革こそが正しく、新しいものに価値があるとは限らず、ある時は自分達の過去を否定し、住民の期待すら損ないかねないのであります。
 その観点から思うことは、利根商を取り巻く環境がどのように変わろうとも、開校当時の「誇り高き産業人を育て、利根沼田地方に情熱を傾ける人材育成」という目的意識を、今一度再確認したいのであります。そして近い将来、少子化で学校経営が成り立たなくなる虞あるとすれば、県立移管だけに頼らず、構成市町村が今一度、目的意識に立ち返り、存続のために今何を成すべきか。そのための経営形態と財源の確保等を真摯に話し合い、自ら汗をかいて学校経営に挑戦する気概を持ちたいのであります。

現代の教育は人間が生きる上で、最も必要な知的財産の源であります。それだけに市町村は義務教育が高等学校に直結する大切な営みであることを自覚し、高校教育と連携した教育行政を進め、利根沼田を「全国に名立たる教育のまち」に創り上げたいのです。そして教育の営みを通して、明日への夢を描き、人材の育成に努め、持続可能な地域を再現し、利根沼田地域の社会・経済が元気になることを望んでいます。

 

そのためには地域内は元より、地域外の各方面から利根商に入学したくなる、そんな魅力ある高校にしなければなりません。当然のこととして、魅力あるカリキュラムと教育人材の確保が大事であり、健全な学校経営とそれを裏付ける財源が必要です。
 既に沼田商工会議所会頭・横山公一氏は商工会議所の総会議決に基づき、「利根商業高等学校の中高一貫化に関する要望書」を学校組合理事長・みなかみ町長
岸 良昌氏他、各理事者等に提出されたと伺っています。また全国各地の高校の実態を観ると、進学やスポーツの特進コースを設けて、有名大学への進学率を高め、野球やサッカー等で全国にその名を馳せている高校もあります。また国際人を育てる英語、伝統文化を重んじる国語の2教科を徹底的に教育するところもあります。
 当然のこととして、独自の教育システムを取り入れることは、構成市町村の財政負担を覚悟しなければなりません。しかし、それに見合う教育効果を生み出し、その経済効果が新産業の創造と雇用の拡大に繋がれば、利根沼田地方の将来に光明を見出すことができると思います。
併せて、企業が求める人材教育を徹底して、民間資金の協力を仰ぐことも極めて大事であります。

いずれにしても、その道程は一朝一夕に定めることはできません。今こそ構成市町村は、「群馬に利根商あり」と世に誇れる日が来ることを信じ、利根商の維持存続に向けた一層の取り組みを心から願っています。

 


 

初夢・除間伐材で列車が走る 2011/1/2

矢木沢ダム
 矢木沢ダム・奥利根湖(http://fumu2.jp/damdam/Z-gunma/yagisawa/yagisawa-1.htm)

        新年明けましておめでとう御座います。
         今年も宜しくお願い申し上げます。
 
 みなかみ町の5つのダムは、谷川連峰の山麓に生れる水を満々と湛え、今年も新春の光に輝きその役割に備えています。
 利根川源流の地に歴史を刻むダムは、アーチ式、重力式、ロックフィル式と多彩であり、我が町は正にダムの博物館です。その総貯水量は4億tに及び、首都圏の水瓶であります。利水面では、13ヶ所の発電所で160万キロワット余の電気を発電しています。治水面では利根川流域はもとより、首都圏住民2,900万人の生命と財産を水害から守り、社会・経済が存立する基盤を担っています。

 みなかみ町の面積は群馬県土の12.4%を占め、その内の90%が森林であり、その中に13
,600haの民有林があります。その民有林を利根川源流森林整備隊(隊長・岸みなかみ町長)によって毎年100ha余が除間伐され、森林整備が行われています。隊員の皆さんは、その大半がボランティア参加であります。大黒山東泉寺
隊員皆さんの奉仕の精神に敬意を表し、そのご苦労に心から感謝と御礼を申し上げます。
 除間伐は森林を活性化し、環境対策の上からも極めて大切な事業ですが、毎年100ha以上も行っている自治体は県下でも類を見ません。その作業量は膨大なものですが、上記の民有林の除間伐を完了する迄には、単純計算でも136年を要します。この規模を5倍にしても、27年余り掛りますが、この間の木々の成長を考えると除間伐の作業は無限であります。

 さて、今年は上越線が全線開通して80年、上越新幹線が開業してから29年になります。この年にあたり私は、みなかみ町新治地区・たくみの里にある大黒山東泉寺
(http://www.terra.dti.ne.jp/~tousenji/)に初詣しました。私の初夢は、利根川水源地域の森林整備が計画的に進み、これに伴い活発化した森林の光合成でCO2が削減され、環境汚染にストップが掛けられました。併せて元気になった水源かん養林が、首都圏の水瓶である5つのダムを恒常的に維持し、利根川流域住民の人々が幸福な営みを続ける姿でした。更には、そこに生れる膨大な除間伐材を高カロリーの熱源に再生し、これらをベースに発電した電力で上越線や上越新幹線の列車が、谷川連峰を背景に快走する美しい光景でした。上越新幹線1

 
 日本は資源の少ない国です。重油、天然ガス、LNG(液化天然ガス)、更には石炭を輸入して電気を作っていますが、このことは貴重なお金が海外に流出していることになります。木材の熱カロリーはこれらの熱源に比べると、同じ体積で3分の1程度であると言われますが、自国のエネルギー資源である除間伐材をより効果的に生かす知恵があって然るべきです。
 この資源は森林整備の好循環が図られれば、その量は無尽蔵にあります。現在はこれらを林地に放置していますが、これでは余りにももったいなく、環境保全の意味からも、災害防止の上からも、除間伐材の燃料化を促進すべきであります。そしてエネルギーを海外の産出国に頼るだけでなく、エネルギー源の安定確保のためにも、また新産業の創出のためにも、国内で得られる熱源対策に多くの予算を投入して、国民が安心して暮らせる、緑豊かな日本国の建設が望まれます。
 私の初夢が現実のものとなり、人々の生活がより豊かになることを願っています。

 

 

利根沼田望郷ラインの県道昇格に期待 2011/3/8

望郷ラインの入り口
  望郷ラインの起点からみなかみ町役場を望む
 「利根沼田望郷ライン」(以下望郷ラインという・http://precious.road.jp/gunma/nostalgialine.htm)は沼田市を中心に、1市1町2村(沼田、みなかみ、川場、昭和)を結ぶ基幹道路であります。この事業は市町村合併の以前から、利根沼田地方の一大事業として取り組んできました。
 この地域は「新アグリトピア利根の創造」と題して、「観光型農業の推進」、「高原野菜産地の確立」、「環境保全型農業の推進」の3つの目標を掲げ、観光と農業を主産業に努力を重ねています。
 観光は春の新緑、秋の紅葉、登山・ハイキング、スキー等を楽しむことができ、農業は高原野菜、種々の果実、稲作等が生産され、ここを訪れる人は1,000万人を超えています。
こうした地域性を考えた時、地域内各自治体の連携による社会・経済の活性化と来訪者の利便性等から、基幹道路の開削は極めて重要でありました。望郷ライン新幹線方面を望む
そこで
当時、1市1町4村(沼田、月夜野、川場、白沢、利根、昭和)は、平成4年に「農用地総合整備事業」を導入して農業用道路32.2km、区画整理や暗渠排水等を主要事業として着手し、平成15年度までに447億円の巨費が投じられました。この事業に関する現況は、沼田市と昭和村において既存の道路を利用している区間を、県が代行事業として工事が進められており、平成27年度までには全線が完成すると伺っています。

 

大型公共事業として進められた「望郷ライン」は、利根沼田地方に夢と希望を与えてくれる画期的な事業でした。この事業によって生産組織と集落営農体制の確立が図られ、農産物直売所の設置や農産物の収穫ツアー等で観光農業が盛んになり、更には食と農の連携の下に「6次産業化」が芽生え、増え続ける遊休農地や荒廃農地の活用に新たな気運が高まってきました。こうした事業には当然のこととして、関係自治体の負担金や起債(借金)が伴いますが、各自治体共に厳しい財政状況の中にあっても、長期債務計画を立てて元利償還を行っています。三峰山トンネル
 一方、道路の補修や除雪等諸々の維持管理は、各自治体毎で行っていますが、これでは「望郷ライン」全体の管理に種々の混乱を招き兼ねず、全線一様に統一された行政サービスが求められます。
 そこで当時の市町村長会と議長会は、「望郷ラインの県道への昇格」を県に陳情することを決定しました。


 これを受けて利根地方総合開発協会(会長・星野巳喜雄沼田市長)は平成20年9月に、小野里光敏・金子浩隆両県議に紹介議員をお願いして、群馬県並びに群馬県議会に請願書を提出しました。その結果は継続審議ということでしたが、昨年9月の県議会では両県議のお骨折りで「趣旨採択」となりました。

今後は両県議の更なるお力添えによって「採択」となり、これが一日も早く県道に昇格されて「望郷ライン」の維持管理が行届き、住む人訪れる人々にとって快適な道路となり、利根沼田地方が益々発展されることを期待しています。

 

政治は信頼こそ命 2012/12/13

130
  今年の世相漢字は「金」・11月7日、仲良しクラブ(和幸会)の夫婦旅行で金閣寺を撮る。
 
 今回の衆議院選挙は余り例のない師走選挙であり、しかも未だかってない多党化の中で論戦が繰り広げられています。加えてあの東日本大震災後、初めての総選挙であります。それだけに国民に信を問う課題が、経済再生、震災復興、エネルギー問題、更には社会保障、TPP(環太平洋経済連携協定)、領土問題等と多岐にわたり、選挙後の政治はいずれも喫緊に対応し、その方向付けが急がれます。

国民はこれらの課題の解決と将来の夢をどの政党に託したら良いのか、貴重な一票を投票ずる時が目前に迫ってきました。しかし政党が12党と余りにも多く、どの政党を選び、どの候補者に投票すべきか、多くの有権者が迷っているのが現状です。国民は今から3年程前の総選挙で、民主党の「マニフェスト(選挙公約)」を支持し、日本の政治史上例のない鮮やかな政権交代を実現しました。だがこの3年間に総理大臣が3人も変わり、バラマキ政治で政策決定が先送りされ、参議院では総理を始め大臣の「問責決議」が相継ぎ、「決められない国会」と揶揄されました。大震災では国民が大きな痛手を被ったのに、政治は政局優先で足の引っ張り合いに終始し、政権が代わっても国民が期待する方向性が見えず、与党のみならず野党にも失望を募らせています。

 

民主党はあれ程のマニフェストを掲げて、国民を引き付け、政権を獲得しながら、公約実現の責任を果たさなかった。なぜ挙党体制で必死に取り組まなかったのでしょうか。その原因は、先ず財源裏付けのないマニフェストを掲げたことにあると思います。また考え方や政策的にもばらばらの寄り合い所帯で党内民主主義が欠如し、政権党としてのガバナンス(支配力)の弱体化が指摘されています。結局、消費税増税の是非をめぐって民主党は分裂しましたが、これが原因で多党化に拍車を掛けたことは否めないと思います。選挙戦に入っても、まだ党首と候補者の主張が違うのを見るにつけ、一体どうなっているのかと首を傾げるのは私ばかりではないと思います。

 清水寺

私はブログを始めて3年近くになります。第一号のタイトルは「地方主導で道州制の導入」でした。その概略は「地域主権といっても、現在は国と地方の役割分担が常に定められ、市町村には独立した権限がなく、自らの税財源で独創的な自治体運営ができない。また現状では市町村の規模に大きな差があり、市町村の力だけではそれぞれの構想が実現できない状況にある。そこで平成維新の気概に燃え、地方主導で道州制の導入を行うべきである」と言うものでした。この道州制は中央集権的な発想で進めたのでは意味がなく、最も重要なことは税の賦課と徴税権を地方自治体に移譲することです。そして国は外交、防衛、司法、更には社会保障等を担当し、その他は地方自治体に任せることであります。併せて国の財源は、各道州の上納金で賄う体制を確立すれば、完全な地方分権が実現し、地域格差のない国づくりができると思います。そのためには明治以来の中央集権体制と官僚主導を打破することであり、「廃県置州」の実現に係っています。
 この度の選挙では、多くの政党が「道州制」を訴えています。道州制の下で各自治体が競い合えば、地域性に富んだ新産業の創造と雇用の拡大が生まれ、活力ある日本を再生することができると信じています。
 是非とも道州制に向けた力強い第一歩を期待しています。


もうこれ以上、政局三昧で「決められない国会」は御免であります。今回の選挙で各政党のマニフェストや公約を観ると、その内容は共産党と社民党以外はほとんど変わらないと思います。国民に約束したことは、与党だから実現できて、野党だからできないの言い訳は許されません。お互いの主張は大いにやるべきですが、政党間の批判や誹謗中傷に終始することなく、建設的な議論を進めて合意を図り、漸進的に国民の生活が向上する政治を望んでいます。この度の選挙で国民がどのような結果を出しても、国会議員は法律を作る作業を通して、国家の政治課題の解決を左右する権限を有し、その行使を任されています。それだけに議会制民主主義の鉄則に則り、国民の期待に応えて欲しいものです。
 「信なくば立たず」と言います。国民の信頼なくして政治は成り立たちません。信頼は信義であり、信義とは嘘をつかず、約束したことを実行することであります。
政治にとって信頼こそ命であり、この度の選挙が世相漢字のごとく「金」となって、民主主義国家日本の健全なる出発になること強く願っています。

 


私の終戦記念日2012/8/15

百日紅
    真夏の暑い日に彩りを添える百日紅・花言葉ー敬愛、潔白、雄弁

 8月15日の終戦記念日に、今年も日本武道館に於いて「全国戦没者追悼式」が行われました。参列者も私達も正午の時報を合図に、1分間の黙祷を捧げ、戦没者を追悼し、平和への誓いを新たにしました。

顧みれば、先の大戦では戦死者230万人、戦災による死者80万人、合わせて310万人余という同胞が悲しい犠牲になったのです。みなかみ町では902人の先人が、奥利根の故郷を思い、愛する家族を案じつつ戦禍に倒れ、戦場に散りました。また、一家の柱を失ったご遺族皆さんは、悲しみと困苦に耐えて子女の養育に努め、家業を立派に引き継ぎ、地域社会の発展に尽力されました。往時を偲べば、人々は筆舌に尽くし難い苦難と悲しみを乗り越えたのです。終戦記念日を迎える度に、当時のことが脳裏を去来し、必死に生き抜いた勇気と努力を想い、感慨一入のものがあります。

 

太平洋戦争の終結から67年が過ぎました。今や戦争を知らない世代が大半を占め、あの壮絶な戦いは何処の国のことだったのかと思わせるような風潮があります。自国の平和のみに浸り、満足している世相に何か不安を感じています。

終戦当時、私は沼田に在住し、4歳9ヶ月の子どもでした。この戦争では、私より10数年早くこの世に生まれた若者の大半が、自分の意思に関係なく召集され、戦地に赴き、地獄の如き戦場で死の淵を彷徨い、その多くが戦死したのです。肉親を想い、故郷を偲び、世の無常を嘆きつつ戦禍に散った人々の心情を思う時、その悲しみは言葉になりません。

朝顔の花幼かった私の終戦の記憶は、玉音放送を聞くために母に連れられて近所の家に行き、両手一杯にもらったキンピラ牛蒡が美味かったことぐらいです。この当時、そして戦後の食糧難や物資不足等の苦しみは、実体験で肌身に焼き付いていますが、戦前・戦中のことは歴史から学ぶしかありません。

 

明治維新以降、日本は「坂の上の雲」をつかまんと駆け上がり、一等国入りを目指した日中戦争・太平洋戦争では他国を侵略し、計り知れない国民の血を流し、多くの領土と貴重な資産を失いました。そして8月14日「ポツダム宣言」を受諾し、翌15日正午、玉音放送で日本の降伏を国民に伝えたのです。時の内閣総理大臣・鈴木貫太郎(旧前橋中、現前橋高校)は、主戦論者が渦巻く当時の軍部、内閣、国会、マスコミ等に対して、文字通り一身を投げ打って終戦工作を行い、戦争終結の大業をなし遂げたのです。

 

歴史に「もしも」はないが、「ポツダム宣言」の受諾が後20日余り早ければ、事態はどうなっていたでしょうか。恐らく80万人、いやそれ以上の同胞の生命が救われたことと思います。何故ならば、連合国のアメリカ・イギリス・中華民国は、昭和20年7月26日、日本に降伏を勧告し、戦争終結後の対日処理方針の「ポツダム宣言」を発していたからです。しかし日本はこれに対して、一旦これを「黙殺する」と声明した上で、ソ連に和平の斡旋を依頼しました。ところがこの「黙殺」は海外では「無視」と報道され、アメリカは8月6日広島に、9日には長崎に、それぞれ原子爆弾を投下し、和平の斡旋を期待したソ連は一方的に日ソ不可侵条約を破り参戦に及んだのです。食育体験のできる「ドールみなかみ」これによって、それまでの本土爆撃に加えて主要都市の大半が焼土と化し、絶望的な戦況に至ったのです。それでも激しく抗戦を主張する軍部を制して、「ポツダム宣言」を受諾したのでした。

 

終戦によって軍国主義の態勢が一掃され、民主的な平和国家の時代が到来しました。国民は苦しい中にも明日の幸せを信じて、食糧増産と戦後の復興に励みに、今日の日本の礎を築いたのです。今年は終戦記念日を契機にしたかのように、竹島と尖閣諸島の領有権をめぐり、隣国である韓国と中国との間に不穏な空気が流れています。しかし、領土に係る過激な言動で両国との信頼が揺らぐ事態は、相互に不利益をもたらし、絶対に避けなければなりません。我が国はアジア諸国に多大な損害と苦痛を与えた歴史を振り返り、国際社会には領有権の正当性を訴えることが肝心です。そして正しい歴史認識の上で、成熟した議論を重ね、この領土問題が平和的に解決されることを願っています。

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