Dr.マツーの医者修行日記 東京都立川市高松町で内科クリニックをやってます!

人生一生涯勉強ともいわれますが、医業も生涯勉強です。研修医・大学病院勤務・一般病院勤務をへて、今は診療所経営にたどりつきました。私の視点から病院・医院での医療の実態と見解を紹介します。グダグダなときもありますけど(汗)みなさんとの意見交換ができると嬉しいです。

『24 -TWENTY FOUR-』シーズン7 8:00〜9:005

まってたよぉ〜〜〜〜〜〜



『24 -TWENTY FOUR-』 シーズン7



見たよぉ〜〜〜〜〜〜 レンタル初日!



8:00〜9:00 のエピソードは・・・



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トニー! マジかよぉ!?



ルネ・ウォーカー 期待大!



つづく!

『三沢光晴 伝説になるべき天才』 〜その4〜1

『三沢光晴が目指していたプロレス』

『PRO−WRESTLING NOAH』 は立ち上げ直後、しばらく他団体との交流を避ける。

“NOAH 鎖国”

なぜか?

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『PRO−WRESTLING NOAH』 を立ち上げの頃は、既にプロレス団体間の選手の行き来する、団体間交流が当たり前の状態だった。

普段では見られない対戦カードを作れるから、団体相互がメリットと考えていたのだろう。

しかし・・・

団体間交流していても、カードのマンネリ化は避けられない。

そして、K−1や総合格闘技イベントが台頭し、プロレス興行・人気は衰退の兆しを見せてきた。

三沢光晴選手は・・・

『PRO−WRESTLING NOAH』は、ここで完全鎖国体制をとる。

プロレスの団体間交流やK−1・総合格闘技といった、いわば“大洪水”から『PRO−WRESTLING NOAH』という方舟で、その世界と完全隔離 → 鎖国をしたのだ。

ジャイアント馬場が全日本プロレスを鎖国したように、三沢光晴選手も『PRO−WRESTLING NOAH』を鎖国した。

なぜ、鎖国したのか?

他団体と違う方法をとることで、『PRO−WRESTLING NOAH』をより際立たせる狙いはあっただろう。
ただし、これは誰もが思いつく理由だ。

しかし、三沢光晴選手の思いはほかにあったと思う。

プロレスを通じて伝えたいこと。

他人との抗争なんていう、そんなケチなもんじゃない。

プロレスラー個人の、生きざまを見せつける。

『PRO−WRESTLING NOAH』が目指すもの、三沢光晴選手が理想としたプロレスは、そこにあったのだと思う。

二人のプロレスラーがそこに立てば、二人が主役であり、二人が各自の表現力でもって自分の生きざまを見せる。
4人であっても同様だ。

片一方があて馬であったり、引き立て役なのではない。

リングに上がったプロレスラー、それぞれ主役なのである。

そんな試合を、ヨソの団体ではできないと感じたのではないか。

だから、『PRO−WRESTLING NOAH』は鎖国したのだ。

以降、三沢光晴選手が自ら好んで、他人や他団体と抗争劇を繰り広げたことはない。

数少ないリング上のマイクアピールは、『PRO−WRESTLING NOAH』のためではない。

ジリ貧な他団体のためであったにすぎない。

6月13日も・・・

三沢光晴選手はそんな想いでリングに立っていたはずだ。

三沢光晴選手の生きざまを、あの日、まざまざと見せつけたのだ。

リング上で。

この崇高な理念で、リング上で散ったプロレスラーは、伝説になるべきである。

伝説になるべき三沢光晴という天才を、我々は忘れてはならない。

彼の壮絶なる生きざまに、合掌。

『三沢光晴 伝説になるべき天才』 〜おわり〜 


『三沢光晴 伝説になるべき天才』 〜その3〜1

『NOAHの方舟、いよいよ船出』

プロレス団体の中で、いわゆるクーデターと称された騒動は数多くあった。

そんな中、既存の団体が正に転覆しかけたクーデター。

その代表といえば・・・

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『PRO−WRESTLING NOAH』

既存の団体から離脱したという点で、厳密にはクーデターと表現しにくいかもしれない。

しかし、“既存の団体の存在意義を揺るがした”という点では、クーデターであったと思う。

その中心人物は、当時の全日本プロレス社長 三沢光晴。

選手・練習生25名およびスタッフ6名を引き連れて、全日本プロレスを退団する。

プロレス史上に残るクーデターだ。この結果、全日本プロレスは、たった4人となってしまう。

なぜ、三沢光晴選手は、全日本プロレスを辞めなければならなかったのか?

その思いは、(一応)本人の著書に垣間見ることができる。



プロレスは、進化するスポーツである。

彼は、ジャイアント馬場選手が育ててきたプロレスの理念を昇華させたかった。

これが理由だ。

ただし、個人的には“表向きの理由”だと考える。

ジャイアント馬場選手が亡くなった後、三沢光晴選手が全日本プロレスの社長に就任する。

社長に就任したからには三沢光晴選手が目指すプロレスを、全日本プロレスで実現させることができる・・・・・ハズだった。

社長就任から間もなく、全日本プロレス内部で“ある障害”を感じることになる。

全日本プロレスだから生じるしがらみ・制約。

三沢光晴選手は、その当時のプロレスと一線を画したかったのだと思う。

自分たちは、ヨソとは違うプロレスを見せられる。

しかし、全日本プロレスという団体の枠内では、それはできなかったのだ。

三沢光晴選手は、ただちに独立の準備を始める。もちろん、全日本プロレス側に対しては隠密に・・・。

ところが間もなく、独立の動きは全日本プロレスに知れることとなる。

社長就任一年後、全日本プロレス臨時取締役会でその職を解任されるのだ。

おそらく、三沢光晴選手にしてみれば好都合だったことだろう。

晴れて、独立することが出来る。

当時のプロレスメディアは、全日本プロレスで起こったこのクーデターを、あまり批判することなく報じていたと記憶している。

プロレスメディアは、判っていたのだ。

全日本プロレスは、ジャイアント馬場というリーダーを亡くして、明らかに混迷していた。

何をすればよいのか?

何を目指せばよいのか?

三沢光晴選手は、あえて独立のリスクを背負ってでも、自己実現のために『PRO−WRESTLING NOAH』 を立ち上げたのだ。

力道山に特に可愛がられていたジャイアント馬場が、力道山亡き後の日本プロレスから独立した28年後、
ジャイアント馬場に可愛がられていた三沢光晴選手は、ジャイアント馬場亡き後の全日本プロレスから独立する。


『三沢光晴 伝説になるべき天才』 〜その4〜 につづく


『三沢光晴 伝説になるべき天才』 〜その2〜1

『タイガーマスク 全日本に出現!』

当時、プロレス専門誌やスポーツ新聞で、それはセンセーショナルに報じられた。

ただ、それは・・・どこか違和感があったことを、今でも覚えている。

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初代タイガーマスク

佐山サトル氏が“演じた”タイガーマスクは、出現したこと自体、話題性は充分なはずだった。

ジュニア・ヘビー級であることから、基本的にはルチャリブレをベースにとしていたが、ストロングスタイルと打撃がミックスされており、技の多種多彩ぶりからは“四次元殺法”という表現も陳腐に思えたほどだ。

初代タイガーマスクは2年余の短命ではあったものの、『BI砲』(ジャイアント馬場とアントニオ猪木のタッグコンビ)以来、社会現象にもなったスーパースターとなったのは、関係者も想定外のことだっただろう。


初代タイガーマスクが引退した、およそ一年後。

三沢光晴選手は、虎のマスクをかぶる。

日常的にプロレスを扱うメディアは、こぞってタイガーマスクの復活を書きたてた。

かなりセンセーショナルに。

しかし・・・この復活劇に、当時、ある“ウワサ話”があった。

二代目タイガーマスクが誕生する以前に、ある大物レスラーとタイガーマスクの肖像権を持つ大物原作者の確執。

初代タイガーマスクの所属団体に対するあてつけのように、三沢光晴選手が所属する団体に二代目タイガーマスクを登場させたのではないか、と。

表向き、このウワサは、あくまでウワサ話で終わった。

しかし、当時、

「本当に、二代目タイガーマスクは必要だったのか?」

「○○社長は、○○がやったことの二番煎じを容認するのか?」

と感じたのプロレスウォッチャーもいたはずだ。

三沢光晴選手は、そんな憶測を抱かれながらも、二代目タイガーマスクを演じる。


三沢光晴選手は、漫画やアニメのイメージを壊さない、とても丁寧なタイガーマスクであった。

しかし、初代タイガーマスクの領域に入ろうとすると、どうしても完全にコピーすることはできていなかったと思う。

当然だ。

佐山サトル氏は身長からすれば明らかにジュニアヘビー級であるのに対し、三沢光晴選手の身長は、それより10cm以上高かった。
プロレスラーの体つくりをすると、いやがおうにもウエイトが100kgを越えてしまう。

期待されていた初代タイガーマスクのコピーは、体格の違いから演じ切るには至らなかった。
恐らく、本人が一番、歯がゆい想いでいただろう。

ある時から、二代目タイガーマスクの右ひじにはサポータが巻かれるようになる。
三沢光晴としての戦い方を織り込んでいく、という意思の表れとして。

それでも、三沢光晴選手は、虎のマスクをかぶり続ける。

その期間、実に5年あまり。

今でこそマスクをかぶったレスラーは氾濫している。

が、当時、日本人のマスクマンが長期にわたりプロレスの第一線に君臨した例はなかった。

誕生がいわくつきだったタイガーマスク。

二代目であるがゆえに、その存在価値を問われたタイガーマスク。

従来のタイガーマスクの概念を打ち破ったタイガーマスク。

そんなマスクマンが存在し続けることができたのは、三沢光晴選手が、タイガーマスクを演じるだけの天才であったこと。

それ以上に、前向きで愚直な人柄によるところが大きかったと思う。

これこそ、「正道の男気」 「王道の男気」

だから、プロレスラーも、プロレスファンも、三沢光晴選手に一目置かざるを得ない。

いや、むしろ、尊敬せざるを得なかったのだ。

『三沢光晴 伝説になるべき天才』 〜その3〜 につづく

『三沢光晴 伝説になるべき天才』 〜その1〜1

6月13日23時過ぎに日本中を駆け巡った訃報。

“何でもアリ”の混沌とした現代でありながら、そのインパクトは決して小さくなかった。

『三沢光晴 死亡』

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たぶん、私は今になってようやく、三沢光晴選手の死を受け入れられたのだろう。

だから、このエントリを書こうとしているのだと思う。



訃報を認知したのは、13日22時20分ごろ、テレビ朝日のニュース速報だった。

「プロレスラーの三沢光晴選手 試合中に死亡」 

と簡潔に書いてあったと思う。

試合中に?  死亡?   重体とかではなくて、いきなり死亡?

この時点で、日本テレビは既に訃報を伝えた後のようだった。


この速報の直後、NOAHのホームページにアクセスを試みるが、なかなかつながらない。

何十回もトライしてみて、ようやく対戦カードが判明。

三沢光晴選手に×(LOSER)

齋藤彰俊選手に〇(WINNER) のマークが記載されている。

齋藤彰俊選手との絡みで、何か起きたのか・・・。


14日0時 NHKニュースで・・・やはり訃報が伝えられた。

「・・・相手選手に“バックドロップ”という技をかけられて・・・」

ようやく、何が起きたのかが判った。


この後もNOAHのホームページにアクセスすると、三沢光晴選手の死亡の報が記載されていた。

2ちゃんねるでは、おおむね哀悼の意を表する主旨の書き込みがされていた。

何かシックリこない。
一晩中、情報を探していた。

14日 朝 日本テレビ「THEサンデー」で、13日の試合直後の映像(FIGHTING TV サムライ提供)が流された。

三沢光晴選手を取り囲む選手やスタッフたち。

時間とともに、三沢光晴選手のただならぬ異変に気づき、次第にうろたえているのがわかる。

心臓マッサージ開始。

これが行われること自体、異常だ。

号泣した!  本当だったんだ・・・。


私は、こうまでしなければ三沢光晴選手の死を実感することができなかった。


『三沢光晴 伝説になるべき天才』 〜その2〜 につづく
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