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2023年01月21日

名古屋は水あまり?

1914年(大正3年)9月に鍋屋上野浄水場から給水を開始したなごやの水道は、今年で給水開始109年を迎える。当時は木曽川に自然に流れる水だけでまかなわれていたが、これでは発展する名古屋の水需要をまかないきれなかったため、岩屋ダム(1976年竣工)や木曽川大堰(1977年竣工)などからなる木曽川総合用水や、味噌川ダム(1996年竣工)によって水利権を確保してきた。

さらに、少雨化などにより、ダムなどの水源施設の能力が計画した当時にくらべ低下していることや、河川の水質汚染事故などのリスクも高まっていることから、長良川河口堰(長良川水系1994年竣工)、徳山ダム(揖斐川水系2008年竣工)にも水源を確保し、水源の多系統化による安定した給水を目指している。

■ 名古屋市の水利権の給水可能量
木曽川 160万6,000㎥/日
長良川 16万1,000㎥/日
揖斐川 8万㎥/日   
合計  184万7,000㎥/日

一方で名古屋市の水道の給水実績は年々減少している。
■ 給水実績(令和3年度名古屋市)
一日最大給水量 79万7,000㎥/日
年間給水量 2億7,400万2,000㎥/年

■ 給水量減少の原因
・節水意識の定着
・トイレや食器洗い機、洗濯機といった節水型機器の普及
・一部の大口使用者(企業など)が水源として地下水などを使用

今後、人口減少社会の到来等を控え、さらに給水量が減少することが想定される中、「水あまり」の声も聞かれる。一方で、平成6年相当の渇水が生じた場合には、給水可能量が89万4,000㎥/日まで減少すると見込まれていることから、名古屋市水道局は「渇水時にも安定した給水サービスを確保できるよう、他系統の河川から取水することが必要」として、市民への理解を求めている。

愛知県技師上田敏郎氏が「将来の名古屋市の発展を支えるためには、安定した水を確保することが可能な木曽川を水源とする上水道敷設を実施することが最善」として、明治36年、名古屋市会に諮問したことから、名古屋市の水道事業が始まった。当時、入鹿池(犬山市)を水源とする案や庄内川を水源とする案なども検討されたが、木曽川を水源としたことが今の名古屋市の発展につながったことは間違いないだろう。

名古屋市の水道工事が市会で可決した明治39年の名古屋市の予算は約100万円。一方、水道敷設工事の総工費は592万円。現在の名古屋市の予算が1兆3,800万円であることから、当時の事業の規模感は現在でいう8兆円にも及んでいたかもしれない。

名古屋市の水源を開発した先人たちの先見性と決断、また、水道事業に携わる多くの職員の皆さんや関係する企業の方々の努力が、現在の名古屋市の豊かで安定した水道の供給、ひいては名古屋市の繁栄をもたらしたといえるだろう。

■ 名古屋市水道100年の歴史(YouTube)


minami758 at 20:11│Comments(3) 31.名古屋市政 | 30.水

この記事へのコメント

1. Posted by 名古屋市民   2023年01月22日 06:02
5 素朴な疑問なのですが、未利用水利権を保有していると見ることもできるので、これの有効活用はできないのでしょうか。他市町村に使ってもらうなど。
2. Posted by 通行者   2023年01月22日 11:36
平成6年の渇水を基準にすると余裕は1割余ですか…
3. Posted by じゃんだらりん   2023年01月22日 18:07
名古屋の水道における、経年劣化に伴う老朽化の問題はどうなっているのでしょうか。

昨年5月、明治用水の取水施設「明治用水頭首工」で突如、大規模漏水が発生して、農業用水、工業用水などが取水できなくなり、大村知事も住んでいる西三河は大混乱に陥りました。
原因は不明ですが、工業用水などのインフラ設備は1950〜70年代に整備されたものが多く、経年劣化や局部劣化など老朽化が全国的に課題になっています。明治用水頭首工は
1958年に完成して事故時には64年目で、標準耐用年数(コンクリートなら50年)を超えていました。
明治用水の漏水の原因について、フリージャーナリストの関口威人氏が興味深いレポートを書かれています。
https://news.yahoo.co.jp/byline/taketosekiguchi/20220731-00308019
愛知の明治用水頭首工 ようやく見えてきた「水みち」と漏水のメカニズム
>鉄矢板は左岸の途中までしかなかったと判明
 ただ、今回の漏水後の調査(磁気探査)で、左岸部分には鉄矢板が途中までしかないことが分かった。その理由について、東海農政局の担当者は「(現在の頭首工を建設した1950年代)当時の技術では左岸の端まで打ち込めなかった」などと説明した。矢板が端まである図面も残っている(下図)が、実現できなかったようだ。それが結果的に大きな「弱点になった」と、復旧対策検討委員長の石黒寛・三重大学名誉教授は26日の記者会見で指摘した。

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