風の通り道

現在タンザニアに赴任中の「ゲストハウス南回帰線」オーナー夫妻のアフリカ通信です。

4月25日  自転車で世界一周の旅のお客様

5416ea86.JPG  4月25日 南回帰線にようこそ! 世界一周自転車旅行中の HIROくんYOKOちゃん
 
ひょんなことで 南回帰線DSM館に、お客様がありました。なーんと自転車で世界一周旅行中のHiro くんと奥様のYokoさんは、ドドマからの夜行列車の中で大事なパスポートや何やらを泥棒に盗られたのです。Pole Sana ! 話によると旅慣れた二人ですから個室にはカギをかけ、窓は閉め、枕もとに貴重品バッグを置いていました。ところが真夜中に停車した駅でそろりとやって来た泥棒はなんと窓の隙間に釣り糸みたいなのを垂らして荷物を吊り上げてがたのきている窓をどうしたんでしょうね?無理やり押し広げたのでしょうか?そこからどろんと消えちゃった・・・
すぐに目がさめて貴重品バッグがなくなっていることに気がついた二人はそれこそきちがいのように駅員に「たった今盗まれた。今の駅に戻ってくれ!」と叫んだそうですが、とりあってもらえず茫然自失・・・・発車間際に盗んで気がついた時には出発してしまっているというのが常套手段なんだそうです。

HiroくんとYokoちゃんは 昨年10月から4年半の予定で世界一周自転車の旅を続けている二人です。!今までトルコ・シリア・エジプト・スーダン・ケニア・ウガンダともちろんいろいろなハプニングはあったでしょうが順調に旅を続けていました。なのに、ここタンザニアでこんな大ピーンチ!に遭遇してしまいました。タンザニア人はいい人が多いんじゃなかったのかい?よりによって世界旅行をしている人から取っていくことはないだろうが!同じタンザニアに住む者としては、恥ずかしいですよ。

だから、パスポートの再発行やなにやかやでしばらくDSMに滞在しなくてはならないなら、少しでも助けになるのなら、どうぞうちに泊って下さいな。お部屋と熱いシャワーはあります。
といういきさつでした。
彼らがきちんとした人たちだということは、5分話せばわかります。二人ともとってもいい子。きちんとした社会人の彼らにいい子は失礼なんだけど、初々しくてすれてなくて、こんな苛酷な旅をしているのに気負ったところがなくて普通の町の子なんですね。全然マッチョじゃないし。
今まで行った国のことをスライドやHPで説明してもらいました。でも話を聞けばすんごい所を自転車で走ってるんですよ。Yもシリアの砂漠はよく知ってるから「あんなところ自転車で行かれるのかい!」ともうたまげてました。夜はごはんのあと、旅の話をしたり、日本のDVDをみんなでソファに寝そべりながらまったり見たり。我々だけのさびしい食卓がにぎやかになってうちのこどもが帰って来たみたいな感じです。Yokoちゃんにはタイ式マッサージまでしてもらっちゃたりね。

二人の自転車を結んでいる超強力なロックのカギも盗まれたので、自転車を使うこともできません。結局二人は体制を立て直すためにいったん日本に戻ることにしました。でも転んでもただでは起きない二人です。料金の安いエチオピア航空を使ってついでに今回足を踏み入れられなかったエチオピアも自転車なしのバックパッカーとしてみようじゃないかというのです。
で、そのあいだ二人のしっかり結ばれたままの自転車はうちに置いておくことにしました。
よし、これでまた会えるな。自転車を人質にしておけば必ず帰ってきてくれるだろう。
彼らのHPようことひろの自転車ぐるぐる旅  をご覧になるのが
一番よくわかると思います。

ハーモニカの落とし穴 それでもがんばるHさん

0372af5f.JPG 4月  10日  ハーモニカの落とし穴  それでもがんばるHさん
日本の親切なあしながおじさんが、「君たちが行くなら、アフリカの子供たちに何か寄付したい」と申し出てくださり、何にしようかと考えた末「簡単に弾ける楽器にしよう。アフリカの子はきっと音楽が得意だろう」 ということで30人分のハーモニカとカスタネットを持ってきたこと、そして協力隊のHさんの尽力でサルベーションアーミーという 肢体不自由児の施設に楽器を贈呈したことは、1月21日のブログでお伝えしました。その後のことを報告します。私を含め何人かの若い奥さんと協力隊のHさんで週1回この施設で楽器を教え始めました。

日本ではハーモニカというと小学生なら誰でも吹けて、手軽に持ち運べて、小沢昭一的郷愁も感じさせてくれる身近な楽器ですが、この国のこどもにとっては、まったく未知のものでした。先生でも初めて見るという感じです。そしてこれは予想したとおりですが、いわゆる五線譜の楽譜は習ったことがない。だからドレミがわからない。わたしたちにとっては「ドドソソララソ ファファミミレレド♪」というのは自然にでてくるんだけどこれが使えない。ドの音は吹いて レの音は吸って これをわかってもらうだけでも結構大変です。最初の頃は20人以上の生徒がいっせいに「ブービーブー」とやるとすごい音量で「ストップストップ」を伝えるだけでも大変でした。でもHさんのやり方は、まず大きな声で「ハロー!」と呼びかけるのです。そうすると子供たちも「ハロー!」と答えるので自然にハーモニカを口から離すというわけ。ふーんなるほどねえ。

まあ教えることは時間をかければなんとかなると思うのですが、実はかなりシリアスな問題に気が付いてしまいました。それはハーモニカというものは口をつけるものだということです。一人づつが自分のものにするならいいけれど、3クラスのこどもに教えているのでハーモニカを使い回すことになるのです。頭の中に感染症とか、経口伝染病とかエイズなどのシリアスな言葉が浮かびます。
一方で「ハーモニカを吹いたくらいで病気が移るなんておおげさだし、人の吹いたものは触りたくないというのは偏見で、使い終わったらよく振っておけばいいんじゃないの。」という気持ちもあります。というより、そういうことを彼らに伝えるのも失礼じゃないかと思った。
このハーモニカを持ち込んだのは私です。正直そんなこと全く考えていませんでした。これはかなりガーン(失敗だった・・・考えなしだった)という感じです。
せっかく始まったこのプロジェクトをここでやーめたとほっぽり出すのはいやだけど、なんかあったら責任持てないし・・・・。おろおろうじうじ。年ばっかとっていても、私なんかほんとふらふらしてるんだから。

でもHさんは言いました。「ハーモニカを吹いたくらいで病気になるとは思いませんが、1回使う度に洗いしましょう。さびるのではとちょっと心配だけど、気分的に我々が安心できるならただ振るだけでなく、水洗いしましょう。みなさんは無理して続けなくていいですよ。でも私はこれが仕事ですから毎週指導に来ます。」若いのにえらいなあ。胆が据わってます。さすが協力隊!
やれることはやり、でも不必要に恐れることはない。そんなことで現地の人との連帯の絆を断ち切るようなことはしたくないと思いました。
まあハーモニカを洗うのは、手あかなどもとれて気持がいいです。

こうして内面の危機を乗り越えたころから子供たちもずいぶん進歩のあとが見られるようになり、上手な子は吹いて吸ってが理解できて「きらきら星」が吹けるようになりました。そうすると今度は別の曲にも吹いてみたくなるようで次は「タンザニア国歌」に挑戦です。!
また、Hさんの知り合いのタンザニア人のPotoくんも参加するようになりました。彼はセミプロの
ゴマ(こちらの太鼓のこと)奏者です。彼のレッスンは「人生はビーティーだぜ!」最初ビーティーって何だかわからなかったけど、BEATのことでした。

毎週教室から手拍子のBFATレッスンとハーモニカのきらきら星が聞こえてきます。子どもたちの
明るさ・素直さがかわいくて たいしたことはできないけど続けています。タンザニアの学校ってどこでも こんなふうに 外部の人間にとってもオープンでいつでも「カリブ!(ようこそ)」なんですよ。日本では外部の者が勝手に授業するなんて
考えられないけどね。

3月 30日  また来るね おかあさん

96e0fb6b.jpg3月30日    お母さん また来るね
あっという間の2週間。なるべく母のそばにいてあげたいから、ほとんど誰にも連絡しませんでした。これからも母の顔を見に、私は時々帰ってきます。また来るからね。それまで元気でいてね。
もう元気とは言い難いけど、生きていてね。
私はお母さんのくにゃくにゃのあったかい手をにぎるのが大好きなんだから。

3月25日  さくらの中の卒業式

2e9a6eca.jpg 3月 25日    さくらの中で卒業式
今年も暖かく3月末に、早稲田の桜ははや満開。もう子供の卒業式もこれで最後だということで直の大学院の卒業式に出席しました。

自分たちの大学の卒業式など人があふれてて情感も感慨もありゃしないということしか覚えてないんですが、かれの学部のアジア太平洋学部というのは留学生が半分以上で人数もこじんまりとしていて直いわく「ダルエス補習校の卒業式みたいだよ」
確かに一人一人名前を読み上げて卒業証書授与というのはいいわねえ。。振袖のお嬢さんもいるけど、留学生が多いからじめじめしたところがなくてきぱきとあっけらかんと式は終わった。

直にとっては、これからまた新たな勉強のスタートだ。希が言ってたね。これから5年間はまさに修行の時代だと。

この夜、新宿でYとふたりだけで、ささやかな祝杯をあげた。子どもの成長を喜び合う熟年夫婦の図なのだが・・・「学費納入卒業おめでとう嬉しいね!」「これからは少しは貯まるぜ おめでとう!」  
グラスかちり。ふたり にんまり。
    

3月  花吹雪でのお勉強4

454b887c.JPG日本に着き、我が家である「南回帰線」に行きました。若い二人も元気そうで、よくやってくれています。私たちの時より、きれいになっていたみたい。1年たって、自分たちなりのペースもつかめてきたようです。彼らが稼いだお金を我々がお家賃として搾取?しちゃうので、余裕ある暮らしじゃないかもしれないけど、ごめんね。
音楽好きな二人だから、お客さんといっしょに楽器の演奏をしたり、近くの中学校の吹奏楽部に指導に行ったりと自分の時間も充実しているようでした。みなさんヤング「南回帰線」に是非行ってくださいねー。

この夜は我が家ではなく、前から気になっていたグッドクオリティーなお宿「花吹雪」に泊ってじっくりモニターすることにしました。こういう機会ここに住んでいるとなかなかないのです。

プロ(私たちのことよ)が見て、脱帽したプロの宿。南回帰線の理想とする宿のカタチをすべて具現化しているのが「花吹雪」でした。
1 ひと部屋ずつ離れ家になっていて、違った意匠のインテリア。
2 自噴泉なので、24時間いつでも入れる凝った温泉が6つ。これはもうお手上げですわ。うちも天然温泉かけ流しが売りだけど出しっぱなしにしたら宿はつぶれてしまう。
3 素晴らしいお品書きに書かれた和風のお料理。ただこういうのはテイストは変わっても工夫しだいでなんとかなるかも。ちょっと負けん気だしたわよ。
4 お客に作務衣サーヴィス。まだ寒かったしYはけっこう気に入ってはいてた。おじさんにはいいかもね。まあ南回帰線のテイストではない。うちは肌見せカンガでいくぞ。
5 年配の落ち着いた仲居さんがチェックインからアウトまでついてくれる。で、こういう時って仲居さんに御心づけっていうの?いわゆるチップを懐紙に包んであげたりするじゃない。なんたってこっちもお忍びのプロ(まだ言ってるよ)だからさ、ちょっと世慣れたふうにやってみたのさ。
そしたら彼女ほんとに困ったみたいで、なんとお土産ショップでここの特製おせんべを1袋買って「どうぞ召し上がってください。」と。そういえばチップはいらないってどこかに書いてあったような。
 かえって悪いことをしてしまった、成り上がりのお上りさんもみたいで恥ずかしい。そして
6 チェックアウトのあと、ご主人(2代目若旦那)を案内人に海岸遊歩道の自然観察会。これはすばらしい。なかなかできることじゃないし、Yのやりたかったのもまさにこういうサーヴィスです。ただうちでは「みんながおそうじやってるのに、パパだけ散歩なんてダメー!」という意地悪奥さん1名の反対にあい実行に移せませんでした。まあ家族3人の零細企業では仕方ないっすよ。
7 一般客以外に 倶楽部会員組織にして 予約や料金上の特典を与えてリピーターを増やしている。この会員制というのは、南回帰線の将来を考える時のひとつの方向性だと思われる。

帰ってからの南回帰線をどういうものにしていくか、実はこれは私たち二人にとって日々の尽きない話題でもあります。今はこうして遠く離れているけれど南回帰線は私たちの帰るところであり、家族や幾許かのひとたちにとってはふるさとでもあります。ただ、あれらの日々がだんだん遠くなるにつれ、また私たちが年々歳を重ねるにつれ、はてさて南回帰線をどう進化させるのか?

伊豆の自然は美しい。関西空港から電車を乗り継いで西からやってきたけれど、日本はどこも同じような駅前風景。すてきとは言い難い家並み。美しくない電柱と看板。それが伊豆急に乗り換えて伊豆半島にはいったら目に飛び込んできたのが青い海としたたるような木々の緑。伊豆はいいところだなーってあらためて感動しました。伊豆の南回帰線はみんなの集まるところです。さてあなたはどんな南回帰線がいいですか?何を求めていらっしゃいますか?アフリカで我々も考えます。日本のみなさんも「みんなのいえ」として考えてみてください。

へこむ日もあるさ1

5676e962.jpg 2月 ずっともやもや
 このところ、楽しげなテーマが続きましたが、実はことあと2月は落ち込む気分になることが多かった。Yも 仕事のことで嫌な思いをしていました。役所の人たちの会議の日時を知らされなかっ た。タンザニア人の会議でスワヒリ語でするんだから水野は今日はいらないということだったんでしょうか?誰も意地悪で意図的に声をかけなかったわけではない。ただ単に情報が素通りしていったということ? 今タンザニア政府の中は、国会も含めやはりスワヒリ語が話されている。ドナー会議や外人がいる場では英語だがタンザニア人同士では我々がそうであるように、自国の言葉になってしまう。タンザニア人同士が当たり前のように情報交換するところ、外人一人がその中にいるのは、まあ居心地悪かろうというのは、逆の場合(たまたま日本人グループの中に外人が一人いると我々も一人だけのために英語にはしないよね。その人にはお気の毒で、隣の人が通訳にはいったりするけど)もまた然りだから。でも「そりゃないだろう。何のために俺がいるんだ!」って言いたくなるよね
沈んだ表情で帰宅したY。私にできることと言えば彼の好物を食卓に並べてあげることと、「なによ、それってひどいじゃない!なんのためにここまで来たんだっていうのよ!」といっしょに怒りまくることぐらい。
 でもこのままじゃいけない。ちゃんと大臣・次官と さし で話さなきゃアドヴァイザーの仕事が果たせない。意味ない。で、翌日。Y もかなり覚悟を決めて、大臣・次官と直談判に及んだ。
江戸時代のおかみさんが火打石で「おまえさん、いい仕事して無事帰ってきておくれよ。カチカチっ」ってやるみたいな気持ちで送りだした朝。一日中ずっと気がかりだった。

結果は帰ってきた顔色でわかった。Goodだったのね。うまくコミュニケートがとれたようで、行き違いをを認めてくれ、これからも定期的に会談を持とうという事になったという。彼の計画しているバガモヨ港建設計画も前向きな検討がされているという。良かったー。でもこうしてYが元気に話していると今度は「でもさ、政治家のいうことは人によって変わるから、そのまま鵜呑みにしないほうがいいと思うよ」なんて可愛くないこと言うのが私なんだよねえ。今ふたついい奥さんになれない。
彼のバガモヨ港構想も、進んだり後退したり。実際には何も変わっていないのかもしれないけど
Yのその日ごとの手ごたえが私に伝わり、けっこう一喜一憂しちゃうんだよね。彼がタンザニアの産業振興に一生懸命なことがわかるから。タンザニアの明日はもっと豊かになると信じてるのがわかるから。

 私の方も、狭い社会の中ですらうまくことを運べなかったり、子供がいないとどうしても閉鎖的になりがちな現状にしっくりこない自分を持て余したり、なんかなんかなー。
 だからというわけでもないけれど、弥生3月 花ほころぶ 日本の温泉に浸かりに行くか!

アフリカの布で遊ぼう!5

2ce16203.jpg 2月6日  アフリカの布で遊ぼう カンガのファッションショー
 今年上半期は、ダルエスサラームの婦人会の役員が回ってきました。婦人会などただの親睦団体ですが、ここで暮らしている奥さんにとってはけっこう大事な情報収集と交流の場でもあります。
代々の記録ノートが残っていてびっくり。15年前の私の時代の記録も残っていました。色褪せた名簿に私の名前も載っていて、「今回は水野さんのクワヘリ(さよならタンザニア)だった」なんて書いてある。あの頃の懐かしい名前があるある。でもそんな感慨に耽ってるのは私だけね。

たまたま南回帰線にもいらしたことのある、カンガの愛好家収集家の織本さんが、買い出しのためダルエスサラームにいらっしゃるというので、それに合わせてカンガのファッションショーをしようということになりました。モデルは婦人会の奥様方(美女をいっぱい取り揃えました) BGMも有志でやっている民族楽器のグループの方にお願いし、お料理もタンザニアふうなローカルなものに。

 当日は壁いっぱいに、みなさんが持ち寄ったカンガが揃った揃った!参加した方もみんなこの日はアフリカンファッションに身を包み、すごく華やかなムードです。大使館の広報担当の方の計らいで、なんとテレビや新聞のプレスの人たちや、カメラマンも次々にやってきました。
 みなさんそりゃ盛り上がりますよねえ。リハーサルでは恥ずかしげだった人たちが、衣装をつけてお化粧バッチリして、カメラが回っていれば気分はプロのモデルさんですよ!
みなさん気持ちよさそう、楽しそう。 その夜のニュースでとりあげられたり、新聞に載ったり。
「企画してよかった」と思いました。婦人会は私の「遊び場」です。

ハーモニカ贈呈式3

846a4496.jpg1月 21日  ハーモニカ贈呈式
 実は1年前に日本を出る時に、Yの上司のSさん夫妻から「アフリカに行くのならこのお金でアフリカの子供たちに何かしてあげて」と頼まれました。どうしたらいいかY&Jで考えた結果、「南回帰線みたいに身近に音楽があるのっていいな。音楽ができるっていいな。そうだ、だれでも簡単にできるようになるハーモニカやカスタネットをあげよう。」と 決めました。

段ボール1つ分に詰まったハーモニカとカスタネットは引っ越しやリフォームのどさくさの中、荷物室に置かれたまま月日がたってしまっていました。せっかくの「あしながおじさん」の厚意をいい形にして渡したい。そして大事な事は渡しっぱなしでなくてその後のフォローもしていかなくちゃいけない。と思うとなかなか具体的な行動を起こせませんでした。

 しかし物事はまず動いてみないと始まりませんね。南回帰線での楽しさが忘れられず、うちで小さな音楽会を開きました。その際ギターの上手な協力隊のMくんも参加してくれたので、このハーモニカのことを話してみました。すると早速Hさんというこのプロジェクトにぴったりの女性隊員を紹介してくれて、話はとんとんと進みました。
 数ある学校の中から彼女が紹介してくれたのは、なーんと私が10年前によくボランティアで通っていたサルベーションアーミー(日本では古めかしいけど救世軍というのでしょうか)でした。

実は去年一度訪ねてみたのですが、以前のような課外ワークショップはもうクローズしてしまって私にできることはないわとあきらめていたのです。これもなにかの「縁」というものかと勝手に解釈していよいよハーモニカとカスタネットを引き渡すことが決まりました。隊員のHさんの骨折りで日にちも決まり、Yと私は段ボールを持ってでかけました。

 体の大きい校長先生がにこやかに迎えてくれ、そのままホールへ案内されました。まあ!そこには全校の生徒さんが集まって私たちを待っていてくれたのです。彼らの歌と合奏に迎えられました。続いてスピーチ。Yは英語だけどHさんはさすが!スワヒリ語でぺらぺらと。で、次はえっわたしもー?ひえー スワヒリ語もだめだし英語も何言えばいいのー?あやしげなスワヒリ語で名前だけは言ったけどあとが続きません。えいっ!これでいこう!とハーモニカを吹きました。最初はドの音だけ出すつもりだったけど、昔のきねづかで何かの曲になってたわ。
 やれやれ大勢の子どもたちに見られてちょっと緊張したけど、わーい楽しいなあ。

Hさんといっしょに毎週ハーモニカを教えに行くことにしました。言葉のできない私はあくまでお手伝いだけど。

久しぶり!でぶでぶみなみとわからんちんもも3

c58a83b0.JPG 1月10日 
 久しぶりに、うちのわんこの出番です。みなみは信じられないくらいおでぶさんに
なってしまいました。授乳中ひたすらおっぱいがいっぱい出るように、レバーやら牛乳やらたっぷりあげました。子犬が2か月になって離乳食になるともうおっぱいはおやつみたいなものになり、断乳はまったく問題なかったのですが、しばらく続いた大食でミナミはすっかり肉がつき、体が重くて前のように走れなくなってしまいました。お得意のボール拾いもよたよたと歩いていく始末。完ぺき赤信号です。
犬の健康管理も飼い主の大事な義務ですからこちらが食べ物をコントロールしなくちゃいけません。まあ少しづつ少しづつ戻りつつあるようですが、寝そべっている姿はほとんど とど!南回帰線のアイドル犬よいずこ!

 娘の「もも」はまだまだコギャル。しなやかで柔らかくてエアークッションみたいな肉ざわりが むふふん癒し系。が、なんといってもいたずらざかり。うれしさをとびつきで表現するからたまりません。こらっと蹴飛ばしても、遊んでもらってると勘違いしてきゃっきゃっとしっぽ振ってとびつき、かみつき。
慣れている人はいいけど初めての人、犬の苦手な人はびっくりして逃げちゃいますよ。ももにとって、人間だろうとボールだろうと動くものは追いかけるもの。小さい子などやっぱり危ないです。たまさか、庭師のジョンには3歳と生まれたばかりの赤ちゃんがいるのでジョンの家の周りには行かないようにぐるりと木の柵で囲ったりしました。これで子供は安全と思いきや、夢中になると
狭い柵の間もするっと通り抜けちゃうことが判明。
やれやれまたやり直しかい・・・

Tolma Lodgeで南回帰線を想う

2b22cbdb.JPG年末のサファリは4泊5日なので、4つのホテルに泊まりました。発展途上国に拘わらず
ゲームサファリというのは、かなり贅沢な旅行です。レンタカーも貸し切りだし、ホテルもこの世の果てみたいな大自然の真ん中に、信じられないようなゴージャスな設備が整っています。時に岩をくりぬいたような部屋だったり、モスキートネットの張られたテントだったり、野性味は十分なのですがホスピタリティーは欧米の一流ホテル並みなのです。

だからこれからアフリカにサファリに行きたいと思っているみなさん、ちゃんと熱いお湯も出るし、食事もおいしいし、きっと満足されると思います。
ただしお金もかなりいいお値段です。だいたいタンザニア人でサファリに来る人などほとんどいません。最近はだいぶいろいろな人がいますが、サファリはいわゆるムズング(白人)の世界なんですね。ここにも身近な南北問題や経済格差が表れているのですが、その話はひとまずおいておくとして。

今回の旅で私が一番気に入ったのは、一番小さなホテルです。ナショナルパークのマニヤラ湖とンゴロンゴロクレーターの途中にあるカラツという高原の町にあるTolma
Lodge といいます。よく整備された芝生と色とりどりの花畑。目の前にはオーガニックで栽培されている、コーヒーや新鮮な野菜たち。24室の客室は2部屋ごとに小さなコテージ(こちらの言葉でパンガ)で独立しています。メインルームはフロントやダイニングプールなどがありますが、こじんまりとしていて、ホテルというより誰かのおうちのテラスという雰囲気。

そう! このホテルが私にずんときたのは、このおうち感覚でした。さらにスタッフのホスピタリティー!最初のあいさつが「ようこそ!私の名前は○○です。みなさんのお部屋の担当ですから、なんでも聞いて下さいね。」
マッサージや翌朝の菜園めぐりのアレンジもマニュアルではない気配りが感じられました。スタッフが自分の言葉で語り、自分で判断しそれがサービスに適っている。

マネージャーらしき人はいかにものんきそうに、グループ客とにこやかに談笑。
そうでなくちゃあね。オーナー自らがあせあせ走り回ってちゃ夢がないもの。オーナー夫妻(あれ いつの間にか自分たちのことになってるぞ)は、お客様とおしゃべりしながらさりげなくスタッフに指示を与えるっていうのがいいよねえ。

大資本のホテルでは南回帰線と比べる気になど全くならないのに、ここではYとそのことばかり話してました。要するにここには私たちががかくありたしと思っているコンセプトがすべてあるのです。良き立地、良き設備、良きスタッフ、リーズナブルな価格。もっといたいと切に思いましたが、それはお客としてではなく、こんなところで暮らしたい、こんなところで仲の良いお客様を迎えたいというものでした。

惚れ込んだ我々は、南回帰線にこのチャーミングポイントを持ち込むにはどうしたらいいか?から始まり、あげくのはてに「南回帰線売ったお金でここをまるまる買えるかな?いくらか聞いてみようか?」という過激なものになってしましました。

でもひとつだけどうにもならないものがある。ぬくぬく温泉です。
おんせん おふろ ああその響きだけで ぬくぬくしてくる。

やっぱり温泉のある南回帰線をより良くする方が現実的ですね。


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