「咲-Saki-は麻雀漫画じゃねえよw」という声をよく聞く
これはかなり曖昧な意見なので深く考えると複雑極まりない



素直に考えれば咲-Saki-は麻雀漫画であることは疑いようがない
少なくとも野球漫画や将棋漫画ではない



ということは「咲-Saki-は麻雀漫画じゃない」と主張する人は麻雀漫画の定義を狭く解釈しているのだろう

おそらく2通りのパターンがある
・咲-Saki-で行われている麻雀は自分が認識している麻雀と異なる
・咲-Saki-という漫画は自分が認識している麻雀漫画と異なる







まず一つ目、麻雀の定義
咲-Saki-にはオカルトがある
ハーベストタイムやリザベーションなど現実ではありえない超能力が当たり前となっている

これでは「こんなの俺がいつもやってるあの大好きな麻雀じゃねえ!普通の麻雀させてーな!」と叫びたくなるのも無理はない
私も中学生の頃に改造ポケモンで遊んでる人に向かって同様のことを言ったので気持ちはよくわかる


闘牌描写の基礎はしっかりしているし
非能力者が超能力者を圧倒する展開もあれば、完全に普通の麻雀やってるときは多いのだが
「わずかでもファンタジー要素が混じっていればその作品はファンタジー作品」と頑なに主張されるとちょっと否定しにくい
作品がファンタジーならその作品の麻雀もファンタジーだってのは短絡だとは思うけどね、麻雀に「一巡先を見てはならない」というルールはないぞ

とりあえず言いたいことは
衣の1筒切り玄の3筒切り映えるための条件作りの手段は何でもいいってこと、特殊なことしなくても可能なんだよね(めんどくさいだけだが)
同種牌4枚のうち3枚を、ガラスで作るか、透視できる能力者キャラを対戦させるかどうかの違い

テニヌとかバヌケとか言ってる人は、漫画を表面しか読んでいないんだろうね






では二つ目、麻雀漫画の定義
麻雀漫画は近代麻雀という雑誌が独占している
近代麻雀は麻雀をやっている人向けの雑誌なので、それに掲載されている漫画も麻雀の経験がある人が読むことを前提としている

対して咲-Saki-はヤングガンガン連載なので、麻雀を知らない層が読むことを想定しなければならない

スタートが違うんだよね
近代麻雀の漫画はまず麻雀があって、それを漫画化する
咲-Saki-はまず青年漫画のストーリーがあって、そして麻雀を取り入れる

前述した麻雀漫画の定義文を用いれば
近代麻雀の漫画は麻雀を「テーマ」としている
咲-Saki-は麻雀を「要素」としている


近代麻雀の漫画は麻雀から発想されたギャンブルや闇社会を描く傾向にあるので、多少は脇道に逸れても麻雀漫画の印象が強い
咲-Saki-は百合や部活など麻雀のイメージから遠い要素も無差別に取り入れている

不必要な麻雀描写は購読層的に強調できないことも相まって
咲-Saki-を麻雀漫画とだけでカテゴライズするのは不適切に思えてしまう

CR咲-Saki-の「美少女×ガチ闘牌」は割と核心をついていると思います
美少女要素とガチ闘牌要素は対等で、それ単体では成り立たない
咲-Saki-が近代麻雀が連載されたら「ガチ闘牌+美少女」になっていただろうし、まんがタイムの場合「美少女+ガチ闘牌」になっていたかも(伝われ)







まあこの辺の議論って言外に
「麻雀漫画は高尚で面白い、美少女漫画は低俗でつまらない」
という前提があるから好きじゃないんだけどね~
私個人の認識は別の機会に