2009年08月
2009年08月31日
みなしご救援隊・新人さん
8月24日(月)
ウチの掃除の
ボランティアさんを
介して
東区の
Aさんから
野良の
成猫1匹
引き取りました。
名前は
スミちゃんです。
スミちゃんは
ウチに来て
2日間
ゲージの中で
フリーズしたまま
微動だにせず
ごはんを
食べないばかりか
水の1滴も
飲んでくれませんでした。
ゲージの
中に
猫が
大好きな
段ボール箱を
入れてみたり
シーツで
ゲージごと
すっぽりと
おおってみたり
したのですが
そんなことでは
いっこうに
状況は
改善されず
丸3日
飲まず
喰わずの
状態が
続きました。
スミちゃんのように
環境の変化に
敏感な子には
できるだけ
刺激を
与えたくない
・・・・のですが
このままでは
命に
かかわるので
強攻策に
出ることにしました。
4日目
エスビラックと
a/d缶を混ぜた
中谷特製
‘ごはん’を
シリンジで
強制捕食させ
100mLほど
補液して
圧迫排尿させました。
5日目の午後
心配した
保護者さんが
駆けつけて
来ました。
その時は
威嚇するばかり
・・・でしたが
慣れ親しんだ
保護者さんの
顔を見て
安心したのか
その日の夜
無理やり
押し込まれた
中谷特製
ごはんを
飲み込む
スピードが
早まった感が
ありました。
6日目
自力で
オシッコをしたので
ついでに
腸を
圧迫すると
少量の
ウン○もしました。
7日目
自力で
排尿・排便をし
スプーンに
乗せた
中谷特製
ごはんを
ペロペロと
舐めました。
この調子だと
お皿に入れた
ごはんを
自力で
食べてくれる日も
そう遠くないかと
・・・・・
ゆっくりですが
スミちゃんと
私の距離は
確実に
近づいていますし
『ええ感じよねッ
スミちゃん♪』
2009年08月26日
みなしご救援隊・お土産
8月20日(木)
おおまち動物病院の
休診日
朝から
張り切って
アユ釣りに
出かけていた
院長先生
(主治医)が
日暮れ時
たくさんの
‘アユ’を
持って来て
くれました。
早速
調理を
始めたところ
運動神経
バツグンの
ビム君に
アユを
盗まれました。
何度も
何度も
・・・・・・
♪お魚くわえた
ドラネコ
追っかけて〜♪
大笑いしながら
郷原さんが
カメラ片手に
激写しました。
ビムは
余裕
シャクシャクで
食べようと
していますが
私は
必死で
取り上げようと
しています。
アユは
ヌルヌル
しているので
そうそう
つかめないのです。
『ビムッ〜〜〜!!』
『返して!!』
「イヤだ!!」
必殺
猫パンチ攻撃
この時
私の手に
ビムの
爪が
刺さってしまい
抜けなくなっていました。
ビムと
私が
すったもんだ
している間に
キッショウが
普通に
アユの頭を
食べていました。
まさに
【漁夫の利】
「天然のアユは
甘くてウマい♪」
・・・・byキッショウ
翌日
私は
院長先生に
言いました。
『我が家の
平和のために
今度は
250匹の
アユを
釣って
持って来てください』
2009年08月25日
みなしご救援隊・トリミング
8月も
終わりかけた
昨今
夏らしい
日差しが
続いている
お蔭で
暑さに
弱い
犬たちが
少々
バテ気味に
なりました。
なので
水遊び好きの
中型犬〜
大型犬たちを
プール(たらい)で
遊ばせ
その後
外で
シャンプーしました。
トップバッターは
ドーベルマンの
ジェータです。
実は
ジェータは
水が
怖いのですが
みんなが
騒いでいたら
仲間に
入って来たのです。
若い頃
泳ぎの
名手だった
老犬の
サクラは
遊び疲れたようで・・・
同じく
遊び疲れた
トラも
シャンプー後
サッサと
ハウスに
帰って行きました。
しこたま
遊んだ
ボンは
お腹が
すいたらしく
ハウスに
帰って
早速
腹ごしらえ
老犬の
フーちゃんを
洗いながら
私は
『痩せたなぁ〜』
・・・と
しみじみ
思いました。
フーちゃんは
もっと
丸々と
していたのです。
埼玉県から
飛行機に
乗って
やって来た
福ちゃんです。
あの時の
ボンドは
すっかり
取れ
小ぎれいに
なってます。
ミリおばさんは
相変わらず
気が強く
シャンプーの
最中
ずっと
文句ばっか
言ってました。
全盲の
カイ君は
思いのほか
水遊びが
好きなので
けっこう
はしゃいで
おりました。
全盲の
マオちゃんは
表情には
出しませんが
水遊びに
限らず
楽しいことは
大好きなので
じゅうぶん
満足したようです。
リシュは
とても
シャンプーしやすい
良い子なので
あえて
‘最後’に
残していたのです。
今回は
中型犬7匹が
参加していなかったので
これだけで
済みましたが
全員が
参加すると
私のほうが
参ってしまいます。
『やっと
終わったで〜』
・・・そう
思った矢先
もう1匹
残っていることに
気づきました。
甚五郎です。
甚五郎の
毛は
撥水力
100%です。
体を
ブルッと
震わせたら
あっという間に
水滴が飛び
シャンプーが
とても
しにくいのです。
『よりによって
最後が
甚五郎とは・・・』
私は
どっと
疲れが出ました。
やれやれ・・・
2009年08月24日
みなしご救援隊・迎え火
2週間
続く
我が家の
盂蘭盆会の
真っ只中
8月13日(木)
日が暮れるなり
私たちは
迎え火を
焚いて
先立った子たちの
御霊(みたま)を
迎え入れました。
その夜
私たちは
いつのモノか
定かでない
シケた
花火を
発見しました。
おじさんと
おばさんと
姉ちゃんの
へんてこな
3人組は
屋上に
上がって
シケた
花火を
することにしました。
夏の夜の
屋上は
猫たちの
楽園です。
外部灯を
つけないで
足音も
たてず
屋上に
上がってみると
そこらじゅうに
‘猫の目’が
光っていました。
私たちの
気配を感じ
‘人間好き’の
子たちが
続々と
集まって
来ました。
『あれでも
あの子らが
怖がったら
花火は
やめようね』
そう
決めていたのですが
私たちを
‘親’だと
思っている子たちが
私たちが
持っているモノに
恐怖感など
抱くハズもなく
花火の
光のも
音にも
匂いにも
ウチの子たちは
まったく
動じませんでした。
のんびり屋の
シュウちゃんは
花火なんかに
目もくれず
猫搭屋の
上で
余裕の
大あくびで
お調子者の
ウンタキは
フェンスの
隙間から
手を
出して
花火に
‘タマを取って’
おりました。
たくさん
写した
写真の中には
このように
無数の
オーブ(御霊)が
写っていました。
私たちにとっては
これが
御霊であろうと
ホコリであろうと
そんなことは
どうでもいいのです。
『盆じゃけぇ
みんなが
帰って来て
また一緒に
遊びょ〜るんじゃろう』
そう思って
私たちは
じゅうぶん
満足しました。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
2009年08月23日
みなしご救援隊・新人さん
===8月8日(土)===
リピーターの
Rさんが
「色んなことが
あったけど
中谷さんには
まだまだ
頑張ってもらわにゃ!!」
・・・と
生後2ヶ月の
子猫を
連れて来ました。
今年の春
Rさんが
連れて来た
子猫のうち
7匹もの子が
先月の
悪夢の5日間に
この世を
去って逝ったので
私としては
非情に
‘ぐつが悪い’
状態でした。
でん助です。
(郷原さん命名)
状態の
良い子なので
これまでの
Rさんなら
ウチに
連れて来るハズが
ないのですが
「今でも
信頼している」
・・・・と
私に
伝えたい一心で
でん助を
連れて来られたのだと
思います。
Rさんの
お蔭で
気持ちの
整理がつかず
揺らいでいた
私は
がぜん
やる気が出ました。
安い!!
でん助の
得意の
ポーズです。
でん助が
ウチに来た夜
私は
生まれて
初めて
猫を
見たかのように
長い時間
でん助を
見ていました。
『やっぱり
猫はええのぅ・・・』
===8月14日(金)===
やはり
先月の
悪夢の5日間に
子猫4匹を
見送ることに
なってしまった
リピーターの
Kさんから
「引き続き
お願いします」
・・・と
連絡が来ました。
市松です。
(Kさん命名)
気弱なため
他の
野良猫に
追わえられ
行き場を
なくしていたそうです。
「こういう子の
ためにも
みなしご救援隊を
続けてくださいね」
Kさんから
念を押されました。
人間
必要とされるって
ことは
非常に
ありがたいことです。
盆休みが
終わってすぐに
検査に
連れて行ったところ
市松の
シッポの
付け根にあった
小さな
古い
咬み傷を
麻由子先生が
発見
早速
排膿手術を
してもらいました。
「かなり深く
腐っていたので
思いのほか
大きな
傷になりました」
・・・との
ことでしたが
このケースのように
膿みがヒドい場合
ワザと大きく
縫うほうが
治りが早いので
10cmほどの
傷口に対して
4針縫って
もらいました。
そのお蔭で
今では
傷口も
わからないほど
回復しています。
『市松〜ッ!!』
・・・・と
呼ぶと
必ず
「ニャ〜」
・・・・と
返事をします。
こういう
愛想のよい子は
日本のような
環境下での
野良生活には
向いていません。
これは
寂しい現実です・・・・
===8月17日(月)===
掃除の
ボランティアさんが
「こうやって
新人猫が
どんどん来ると
中谷さんも
おちおち
しとられんじゃろ?」
・・・と
中区の
公園から
成猫を
連れて来ました。
どうしたら
中谷が
‘生き生き’と
毎日を
過ごせるか
みんな
よく知っている
ようです。
イチゴです。
(命名さっちゃん)
『男の子なのに
イチゴって』
・・・・と
私は
反対したのですが
「次に来た子は
イチゴにしようと
決めてたんです」
・・・・と
さっちゃん
「いいじゃないですか!!」
・・・・と
保護者さん
こうなると
私の
出る幕はなく
イチゴに
決定!!
イチゴ君は
滑走細菌による
下痢も
注射と
投薬で
すぐに
治り
まさに今日
去勢手術を
受けました。
===8月20日(木)===
これまた
悪夢の
5日間で
子猫を
見送ることとなった
保護者さんの
紹介で
若い
お姉ちゃんが
安佐南区の
祇園町から
子猫を
連れて来ました。
ここまで
悪夢の
5日間を
共に過ごした
人たちから
小さな
命の
‘ご縁’を
いただくと
「何があろうと
後ろ向きになるな」
・・・・と
仏様から
言われているような
気がしてきました。
スダッタです。
(命名 中谷)
祇園精舎の
鐘の声
諸行無常の
響きあり
(平家物語)
皆様は
この
祇園精舎が
どこにあるか
ご存知ですか?
「京都」
『ブブ〜ッ』
祇園精舎は
ネパールに
近い
インド北部に
あるのです。
その
祇園精舎を
建立した
慈悲深き
長者の
名前が
‘スダッタ’
なのです。
以下
余談ですが
慈悲深き
スダッタ長者の
気持ちに
感激し
祇園精舎を
建立すべく
広大な
土地を
提供した
太子の名前が
ジェータ太子です。
そうです。
ドーベルマンの
ジェータもまた
立派な名前を
もらっていたのです。
保護者の
お姉ちゃんから
「前足がおかしい」
・・・・と
言われていたので
落ち着かせてから
よく見ると
指先が
ありませんでした。
『後肢麻痺の
シャコも
頑張って
生きとるし
手根骨先
欠損の
ビンビサーラも
頑張っとる
それらに
比べたら
指先が
ないぐらい
何てことはない
頑張ろう
スダッタ!!』
悪夢の
5日間から
もう少しで
一ヶ月
周りの
温かい
人たちの
お蔭で
我が家は
再び
にぎやかに
なりつつあります。
めでたし
めでたし
2009年08月07日
みなしご救援隊・おかげさま
まず
はじめに
毎月
みなしご救援隊
ホームページに
掲載している
【保護した犬猫】
ページの
‘さようなら’の
コーナーは
今月で
やめることに
なりました。
・・・と言うのも
郷原さんや
古川さんや
さっちゃん
そして
いつも
お手伝いに
来てくれている
若年層
ボランティアの
Aさんや
Mさんたちにとって
7月の後半に
起きた
‘魔の5日間’は
あまりにも
衝撃が
大きかったようで
その時に
受けた
心の傷が
今だ
癒えておらず
彼女たちは
今日も
今日とて
涙を
流している
状態なのです。
そして
ついに
「名前を
見るだけでも
つらく
こんな
悲しい集計は
したくありません。
なにも
広く一般に
伝えなくても
保護者さんに
伝えるだけで
いいじゃないですか」
・・・と
申し出てきたのです。
病気に
感染した子猫の
実に
97%を
失ってしまう
こととなった
今回の
‘悪夢’は
数々の
修羅場を
くぐって来た
海千山千の
この私でさえ
現実から
逃避したかった
ぐらいですから
若い
彼女たちにとっては
相当な
ダメージだったと
思います。
・・・なので
『ヨシ・・・
わかった』
私は
掲載をやめる
決断をしました。
なにとぞ
この気持ち
ご理解ください。
===お墓===
歴代の
ウチの子たちが
眠っている
みなしご墓苑は
冬は
雪に
覆われますが
春になると
木々が
芽吹き
山桜や
山ツツジが
咲き乱れ
夏の夜は
この小川に
生息している
ホタルが
いっせいに
飛び交う
自然豊かな
とても
いいところにあります。
↑先月撮影したホタルの姿
(笑うけど正真正銘ホタルです)
しかも
無名に近い
私たち所有の
山(雑木林)の中には
ホタル狩りに
訪れる人もなく
これ以上
開発される
恐れもなく
ホタルの
命は
確実に
受け継がれていく
ハズなので
ウチの子たちは
ホタルが
乱舞する下で
静かに
眠ることが
できるのです。
===お寺===
みなしご救援隊の
菩提寺は
山口県に
ありますが
日々の
生活の中で
耐えがたいことに
直面すると
安らぎを
求めて
参拝したくなる
お寺が
広島市西区に
あります。
今日も
その
お寺に
行きました。
そこの
お寺は
動物たちに
とても
優しい
お寺なので
いつも
野良猫が
だら〜んと
くつろいでいます。
今日は
本堂の
軒の下と
納経所前の
庭園と
計3匹の
野良猫を
発見しました。
仏様の
ご加護と
お寺の
職員さんたちの
優しい
まなざしに
見守られ
3匹の
野良猫は
幸せそうでした。
その子たちの
くつろぐ姿を
眺めながら
お寺の
職員さんと
積もる話を
していたら
あっと言う間に
2時間が
過ぎました。
私は
非常に
満足しました。
おかげさまで
明日から
また
日常に
戻れそうです。
南無観世音
南無観世音
南無観世音
===お礼状===
お寺から
戻ると
先日
‘職場体験学習’に
やって来た
女子中学生
4名から
【自筆】の
お礼状が
届いていました。
そのお礼状には
体が
不自由でも
明るく
生きている子や
病気と
戦いながら
頑張って
生きている子たちから
命の尊さを
学びました
・・・と
書いてあったり
猫も
好きになりました
・・・と
書いてあったり
中学生の
率直な感想を
うかがい
知ることができました。
そして
お礼状の
最後は
中谷さん
お体に気をつけて
・・・・と
結ばれていました。
彼女たちが
学習の
一環として
この
お礼状を
書いたことぐらい
容易に
判断できますが
それでも
私は
素直に
嬉しかったです。
===合掌===
2009年08月05日
みなしご救援隊・おかげさま
今まさに
私の
目の前にある
窓からは
満月が
見えます。
その窓の
下には
一級河川が
流れ
天然の
打ち水効果で
部屋中に
涼しい風が
入って来ます。
夜になると
エアコンなんて
必要ありません。
引っ越す前の
家では
考えられないこと。
『田舎って
いいなぁ・・・
自然って
ありがたいなぁ・・・』
・・・と
思う瞬間です。
今だ
人の気配を
感じると
逃げ出してしまう
人馴れしない
野犬4匹が
張り切って
家を
壊してくれています。
サッと
拭くだけで
汚れが落ち
老犬が歩いても
滑らず
耐久性も
抜群の
自慢の
床素材が
剥がされ
まくっています。
なんちゃって
一級職人の
私が
汗だくで
張り替えて
みたのですが
建築業界で
‘仕事が
できない人は
現場ひとつ
片付けられない’
・・・・と
言われている通り
私が
作業場している所は
材料や
道具や
ゴミなどが
散乱し
いつも
ぐちゃぐちゃ
それに加えて
作業中も
通行自由なので
意味なく
ウロウロ
していた
犬たちが
床ボンドを
踏み
紙切れゴミを
踏んで
みんな
足の裏に
紙切れゴミを
つけていました。
『ほっといても
明日にゃ
取れるじゃろう』
・・・と
思っていたら
翌朝
取れていたのは
私が
汗だくで
貼った
床材でした・・・
なので
無駄な
抵抗はやめて
野犬4匹が
イタズラ
しなくなるまで
あと2年
補修しないことに
決めました。
長い人生
考えてみたら
2年なんて
あっと言う間です♪
昼休憩
古川さんたちが
ベランダで
騒いでいたので
出てみると
野良猫の
親子がいるとのこと
『どこに?』
「コンクリートの
ところです」
『老眼で見えん!!』
「老眼って
近くが見えんのじゃ
ないんですか?」
『近くも
見えんが
遠くも
見えんのじゃ!!』
肉眼で
見えなくても
カメラを
望遠にすれば
私にも
見えました。
みんな
同じ毛色の
白黒で
『これぞ親子』
・・・って
感じで
ほほえましかったです。
『大きくなれよ♪』
今年は
まだ
猛暑日がないので
(山の町は)
我が家の
屋上は
連日連夜
猫・猫・猫で
にぎわっています。
日よけ
シェードの
上では
運動能力の
高い子たちが
くつろいで
います。
犬は
どの子も
怖がりますが
猫は
比較的
ハンモックが
好きなようです。
この時期になると
ウチは
あちこちに
いろんな
形態の
プールを
用意しています。
散歩から
帰ると
ボンは
必ず
駐車場に
置いている
プール(セメント舟)に
入って
排熱します。
ボンが
1回入ると
水は
ドロだらけに
なるので
毎日
水換えを
しなくては
なりませんが
本気で
‘水泳’を
するわけではないので
水カサは
少なくてすみますし
暑いから
・・・と言って
「軽井沢へ
連れて行け」
だの
「ハワイへ
連れて行け」
だの・・・と
ぜいたくを
言うわけでもないので
これぐらいで
喜んでくれて
『ありがとう♪』
・・・・って
感じです。
2009年08月03日
みなしご救援隊・医療房の中
壮絶な
5日間が
終わろうとしていた
7月28日
ハッピー房ちゃんの
腹部が
異様に
膨らんでいることに
気づきました。
診察の結果
鼻の奥が
詰まっているため
ガスが
溜まったとのこと
すぐに
抗生剤2種と
気道粘膜溶解剤と
ガス抜き剤を
飲ませ
半日かけて
ゆっくりと
点滴をすることに
しました。
治療を
4日ほど
続けていたら
状態が
改善されたようで
今では
ごはんも
しっかり
食べるようになったので
☆ハッピー房ちゃん☆
あとは
ケージの
扉を開け
ハッピー房ちゃん
みずから
出て行くのを
待つのみです。
:注:
病気が治ると
ウチの子たちは
基本
自由なので
わざわざ
医療房から
出したりしません。
・・・・と
いうことで
いつでも
医療房から
出れる状態なのに
ハッピー房ちゃんは
医療房から
出ようとはしません。
その理由は
医療房だと
優しく
扱ってもらえるし
特別に
おいしいものが
食べられるからです。
猫は
賢いので
こういった
選択を
普通に
やってのけます。
風邪をひくと
バナナが
食べられる
だから
たちまち
風邪ひいとけ・・・
そんな感じです。
↑古ッ!!
7月31日(金)
ドイル君が
耳血腫になり
手術を受けました。
猫の場合
耳血腫は
決して
発生は
多くありませんが
突発的に
起きるみたいで
原因もまだ
明らかでなく
比較的
治りにくく
再発の
可能性もある
耳介の病気です。
:注:
耳ダニがいても
耳血腫になりますが
ドイルには
耳ダニは
寄生していません。
☆ドイル君☆
ドイルは
真っ黒い
長毛の
美猫ですが
まったく
人馴れしていません。
なので
ウチに来て
1年半
去勢手術の時と
予防接種の時と
今回と
全部で
3回しか
私は
ドイル君を
触ったことが
ありません。
今回も
麻酔が
覚めてからは
すでに
触れません。
術後の
抗生剤等も
少しずつ
ごはんに混ぜて
飲ませていますが
いつ
攻撃されるかと
やたらと
ドキドキして
心臓に悪いです・・・
シマ次郎が
大腸性の
下痢になり
発熱と
脱水が
ヒドいので
毎日
通院して
注射を
打ってもらっています。
もちろん
自宅では
投薬と
補液を
続けておりますが
おとなしく
受けてくれるので
治療は
‘鼻唄’です♪
☆シマ次郎君☆
私の
経験では
長年
野良生活を
送っていた
大型の
おっさん猫は
攻撃しそうで
さして
攻撃して来ず
むしろ
メス猫や
若いオス猫の方が
バンバン
攻撃して来るのです。
☆ベリー&亀仙人☆
ウチの
No1・アイドル
亀仙人は
ウチに
来た時から
慢性の
下痢症に加え
疥癬だの
脱腸だの
皮膚破裂だので
ずっと
4階の
猫部屋に
上がれないまま
・・・・でした。
一方
ベリーは
何も問題が
なかったので
当初から
4階で
暮らしていました。
実は
この2匹は
野良時代
ラブラブ夫婦
だったのです。
ここにきて
ベリーが
老衰に入ったので
保護者さんとも
話し合った結果
『最後ぐらいは』
・・・・と
同じケージに
住まわせることに
しました。
私が
うまく写真を
撮ることができず
トロトロ
していたので
2匹とも
起きてしまいましたが
ベリーの
お腹の上に
亀仙人が
頭を乗せて
仲良く
寝ていたのですよ♥♥♥
8月1日
ウチの
お堂で
I家の
愛猫の
葬儀があり
家族5名が
参列されました。
その時に
この
4歳のR君と
7歳の
お姉ちゃんに
『ウチの
猫の中で
どの子が
一番好き?』
・・・と
尋ねてみたところ
かわいらしい
子猫や
模様の
キレイな子や
いいとこの
坊ちゃん風の
長毛種など
すべての猫を
差し抜いての
堂々の
1位は・・・・
おっと
ビックリ!!
ふさちゃんでした♪
ふさちゃんは
誰がいても
我関せずで
甘えることなど
めったに
しませんし
たびたび
てんかん発作を
起こします。
発作の瞬間は
大人が
見ても
ちょっと
怖い感じがします。
それでも
幼い
姉弟は
「だいじょうぶ?」
・・・と
倒れた
ふさちゃんに
優しく
語りかけていました。
その姿を
見て
私は
ひどく
感動しました。
・・・そして
野良猫1匹に
目くじらを立てる
ジジイや
ババアに
『爪のアカでも
煎じて飲め!!』
・・・と
思いました。
2009年08月01日
みなしご救援隊・新人さん
・・・そして
7月29日(水)
【約束】の
午後1時
東広島市から
心優しそうな
Tさん夫婦に
連れられ
【3歳】の
成猫が
やって来ました。
見た目
とても
きれいな
白猫ですが
Tさんちで
きれいになっただけで
正真正銘の
野良猫です。
交通事故に
遭い
重傷を
負っていた
この子は
Tさんによって
発見され
病院に
運ばれました。
前右足の
手根骨から
切断
・・・という
結果になりましたが
そのまま
誰にも
助けて
もらえなかったら
どうなっていたでしょう・・・
まさか
猫が
みずから
「足が
痛いから
病院へ行こう」
・・・って
発想はしませんから
やみくもに
時間だけが
過ぎていき
きっと
予後不良だった
・・・と思います。
なので
前足は
切断されましたが
【命】が
つながれただけ
この子は
幸運です。
Tさんから
呼ばれていた
名前は
ウチの子と
カブるので
新たな名前を
考えることにしました。
『私が
付けると
とんでもない
名前になる
可能性が
高いですよ』
・・・・と
念を
押したのですが
「是非に!!」
・・・・と
言われまして
ヽ(´▽`)/
『そこまで
おっしゃるなら・・・』
昔
昔のこと
当時の
マガタ国の王
ビンビサーラ王は
釈尊(お釈迦様)と
その多くの
弟子たちのために
王舎城郊外の
竹林園に
精舎を
建立しました。
これが
かの有名な
【竹林精舎】で
仏教
最初の
寺院です。
自分の土地を
惜しげもなく
提供し
竹林精舎を
建立した
マガタ国の
ビンビサーラ王は
15歳で
即位し
31歳で
釈尊の教化を受け
以来
37年間
釈尊と
ともにあったと
言われています。
頭の回転の
早い方は
もう
おわかりだと
思いますが
この子の
名前は
【ビンビサーラ】君です。
仏教
最初の
寺院を
建立した
心優しい
マガタ国の王
ビンビサーラは
私の
イメージでは
心も体も
何もかも
真っ白です。
この
ビンビサーラ君も
今はまだ
「ファ〜ファ〜」
威嚇してばかりですが
きっと
心優しい子の
ハズです。