僕はもともと文学志望だったから、日本文学を代表する一人である川端康成に触れ、理解し、魅力が分らなければいけない、という思いから、高校の時も大学の時も「雪国」やら「伊豆の踊り子」やら「古都」やらを読んだけれど、地味で地味で、どこがそんなにありがたいのかさっぱり分らなかった。
しかし、30歳すぎに、「雪国」を読み返した時、美しく哀しいと思い、それから川端を読むようになった。一冊読むごとに雪が静かに音もなく積もるように、しんしんとしてくるものがある。僕はたぶん30代の前半に川端を何冊も固めて読んだ。その時は「雪国」と「みずうみ」が大好きだった。「みずうみ」はストーカーの話で、川端文学としては異色とされ、あまり代表作というような評価は受けていないが、僕は陶酔した。川端は派手か地味かと言えば、地味だ。人は、死んでいく時、静かに死んでいく人もいるだろう。しかしその閑けさには、その人の人生のすべてを賭けた万感の思いが込められていることもある。川端文学というのは、静かにそういう万感を語るものといえよう。だから、分らなければ、地味だなあ、で終わるし、しかし一旦感知すれば、魂の底まで揺さぶられる。
僕が今のところいちばん好きな川端作品は、「千羽鶴」だと思う。川端文学は、建物を構築するようなものではない。音楽で言えば、和音を重ねて重ねて、派手な大音量を鳴らすオーケストラ作品ではない。音があればそれを取り除き、静かになったら、またその時聞こえる音を取り除き、というふうにして、小さな音をとりあげていく。川端作品は、ページを重ねるごとに、プロットを積み上げるかわりに、そんな、取り除く作業をしているようにもみえる。また、そんなこころの作業の味が分ると、川端作品に代わるものは、なかなか見つからなくなる。今では川端作品は、僕が最も好んで読む小説家になった。
僕が若い時に川端作品の良さが分らなかったのは、やっぱ、いろんなものを吸収して自分の世界を広げることに主な関心があったからだろう。ド派手なオーケストラ作品を聴きたいのであって、禅寺の沈黙の中に身を置きたいとは、若い頃は思わないものだ。
古池や かわず飛び込む水の音
この有名だが、なぜそんなに良いのか分らない芭蕉の俳句の良さが僕に理解できる日が来るとは思わなかった。
人が動き作業している間は、騒々しい音が絶え間ないのは当たり前であるが、しかし寝たり休憩したりする時には、静かになる。
TVを見ても、見る人に何かを訴えたり、ある心的作用を起こしたいと思う時には、音楽とか効果音を用いる。そういう音を聞きながら人はある気持ちに運ばれていくだろう。悲しい歌を聞きながら悲しい話をされれば悲しくなるし。興奮する音楽とともにいさましい話を聞けば心が高ぶる。料理で言えば、ある料理に合ったソースをかけて食べる。
しかし日本料理というのは、素材の良さを生かす。魚も新鮮だったら生で食べる。料理が新鮮だった場合、日本料理では、なるべく素材を加工せずに、それだけで食べるという傾向が、他の国の料理よりもあると思う。
それと同じで、生活の中で、BGMも何もなしに鑑賞するに値するものがあるではないか、というのが、上の芭蕉の句に現れていると思う。たとえば、子犬が走り回るのを、ショパンの「子犬のワルツ」をBGMにして見たり、くまばちが飛ぶのを、リムスキー・コルサコフの「熊蜂の踊り」とともに見るのではなく、沈黙の中で、カエルが水の中に飛び込むさまを見る。わび、さび、というのは、素材をそのままBGMも味付けも何にもなしで召し上がれ、という性質を持っていると思う。
外国人は、寿司というと、ごはんの上に生魚を乗せるだけだから、そんなに難しい料理だとは思えないのだが、寿司職人なんて、長く厳しい修行をしたのちに一流になるというので、素材をそのまんま焼いたり煮たり塩をかけたりするわけでもないのに、どうしてそんな修行する必要があるのかな?と思ってしまうのだが、素人では分らないところでいろんな工夫があるんだろう。
川端の「名人」。これは、古い時代を代表する最後の名人と言われる人の引退碁を中心とした小説だ。この碁は昭和13年6月から12月まで半年もかけて行われた。川端はこの碁の観戦記者として観戦記を新聞に連載した。名人はこの碁の1年ちょっと後の昭和15年1月18日に死んだ。川端が「名人」を発表しはじめたのは昭和17年だが、それは一旦中断して、昭和26年から、改めて最初から書き直して発表したようで、この、薄味の会席料理のように上品であっさりした作品からは、大幅な書き直しをしたりするような苦労の重さなどは感じられない。素人では分らないところでいろんな工夫があるんだろう。
僕は碁は一切分らない。ただ、物音をしない古い庭で、カエルがポチャンと池に飛び込むような、白い紙の上に墨が一筆入るような、そんな雰囲気を味わいたいがために、この薄くて、心に何かが建設されない本がちょうど目についたので読み出した。こういう時に、川端の小説の他になかなか代替物が見つからない。
この小説は、登場人物の一部に仮名が使われているが、ほとんどは実在する人物が実名で出てくる。碁の観戦記者が名人のことを書いたという形式であって、他の川端作品のように、恋愛対象の女性が出てこないところが、異色であると言われている。ノンフィクション的であるところも違う。他の川端作品とはずいぶん違う素材を使いながら、しかし他の川端作品とまったく同じ手触りがするのが面白い。これは、村上春樹が、何をどう書いても村上春樹的な描写になるのと似ている。これを思うと、一人の人間が何か対象を書くというのは、対象を書きながら、自分の内にある「何か」を繰り返し書いているようなものだとしか思えなくなる。これは新しい発見であった。鳥が巣を作る時、周りにあるものをとってきてそれを材料に使う。都会に住んでいれば、プラスチックのひもみたいなものを素材に作るのだが、何が材料であっても、完成した巣は、どれも同じ形をしている。やっぱり鳥の巣だ。それと同じで、作家も、何を材料にしても、けっきょく自分の心の巣を作っているのだ。そうとしか思えない。
普通、作家が何かを書く時には、何かを構築するものだと思う。でも川端は、構築とか建設という感じがしない。ページが20ページ、30ページと進んでも、それは何かを作り上げるためではなく、沈黙の時間を長くするだけ、というような感じがする。たとえば三島由紀夫などは、「私が作ったこの世界を見よ」みたいな顕示欲がギラギラしているが、川端からそういうものはまったく感じない。
川端は幼い時に両親を亡くし、その後もきょうだいなども死に、16歳か17歳の時に祖父を亡くし、血のつながった肉親をすべて失った。これは特異な経験で、その内情を他人が推測しうるものでもないだろうが、何か自分のしたことの成果を見せたい、という相手が、普通、人間生きていればあるものだと思うが、川端の場合、そういう相手がすべて死んで、顕示欲みたいなものがなくなってしまったのではないか?と考えてみたくなる。何かを建設したり構築したりするかわりに、あるものをどんどん無くしていく、そのことで別れた肉親の供養をしているような雰囲気さえある。こういう、「構築、建築に対する負の走行性」を持っている小説家なんて、他に僕は知らない。そしてそれが、一遍上人の「捨ててこそ」という言葉や、禅の不立文字にも通じるものがあるのではないか、と考えたくなる。
この小説は、名人が昭和15年1月18日に死んだ、というところから話が始まっている。僕がこの小説を読み始めたのがその数日前だったので、なんという偶然だろう、と思った。僕は昔から、小説を読み始めると、小説の中の季節と現実の季節が不思議に一致することが多いですね。あるいはそういう偶然の一致だけが記憶にずっと残るから、いつも一致するような錯覚をしてるだけなのかな。
僕がこれを読み始めた時は、現実世界では、1月17日が阪神大震災の日だから、そういうメモリアルイベントなどがあって、その前日はキング牧師の誕生日でアメリカは祝日。16日、17日と続くなあ、みたいなことを思っていた。
この小説の冒頭は、名人が死んだ滞在先の熱海では、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の「今月今夜の月」というのが1月17日という設定だそうで、それで熱海では紅葉祭があるという。そして名人はその翌日に死んだので「この一月十八日の命日は、熱海では覚えやすい。」ということが書いてある。
最後に、文化論的に興味深かった部分を抜き出しておこう。
…伝統と言えば、碁もまた中国から伝来したものだ。しかし、ほんとうの碁は日本で出来たものだ。中国の碁の芸は今も、三百年前も、日本にくらべて話にならない。碁が高まり深まったのは、日本人によってであった。昔中国から移入した多くの文物が、中国でみごとに発達していたのとちがって、碁は日本でだけみごとに発達した。もっともそれは、江戸幕府が保護を加えた後で、近世のことである。碁は千年も前に伝来したのだから、長い時代、日本の碁の知恵も育てられなかったわけだ。しかし、中国で仙心の遊びとされ、神気がこもるとされ、三百六十有一路に、天地自然や人生の理法をふくむという、その智慧の奥をひらいたのは、日本であった。外国模倣、輸入を、日本の精神が超えたのは、碁に明らかであった。(p87 新潮文庫)
そしてその後、中国に生まれ、囲碁の才能を日本人に発見され、日本で活躍した呉清源について、
呉六段の天才が生きたのは、日本へ来たからであった。古い昔から一芸に秀でた隣国人が、日本で尊ばれた例は少なくなかった。今もそのみごとな例が呉六段である。中国にいては止まりになる天才を、育成し、愛護し、厚遇したのは日本であった。少年の天才をほんとうに発見したのも、中国に遊歴した日本の棋士だった。(p89)
しかし、30歳すぎに、「雪国」を読み返した時、美しく哀しいと思い、それから川端を読むようになった。一冊読むごとに雪が静かに音もなく積もるように、しんしんとしてくるものがある。僕はたぶん30代の前半に川端を何冊も固めて読んだ。その時は「雪国」と「みずうみ」が大好きだった。「みずうみ」はストーカーの話で、川端文学としては異色とされ、あまり代表作というような評価は受けていないが、僕は陶酔した。川端は派手か地味かと言えば、地味だ。人は、死んでいく時、静かに死んでいく人もいるだろう。しかしその閑けさには、その人の人生のすべてを賭けた万感の思いが込められていることもある。川端文学というのは、静かにそういう万感を語るものといえよう。だから、分らなければ、地味だなあ、で終わるし、しかし一旦感知すれば、魂の底まで揺さぶられる。
僕が今のところいちばん好きな川端作品は、「千羽鶴」だと思う。川端文学は、建物を構築するようなものではない。音楽で言えば、和音を重ねて重ねて、派手な大音量を鳴らすオーケストラ作品ではない。音があればそれを取り除き、静かになったら、またその時聞こえる音を取り除き、というふうにして、小さな音をとりあげていく。川端作品は、ページを重ねるごとに、プロットを積み上げるかわりに、そんな、取り除く作業をしているようにもみえる。また、そんなこころの作業の味が分ると、川端作品に代わるものは、なかなか見つからなくなる。今では川端作品は、僕が最も好んで読む小説家になった。
僕が若い時に川端作品の良さが分らなかったのは、やっぱ、いろんなものを吸収して自分の世界を広げることに主な関心があったからだろう。ド派手なオーケストラ作品を聴きたいのであって、禅寺の沈黙の中に身を置きたいとは、若い頃は思わないものだ。
古池や かわず飛び込む水の音
この有名だが、なぜそんなに良いのか分らない芭蕉の俳句の良さが僕に理解できる日が来るとは思わなかった。
人が動き作業している間は、騒々しい音が絶え間ないのは当たり前であるが、しかし寝たり休憩したりする時には、静かになる。
TVを見ても、見る人に何かを訴えたり、ある心的作用を起こしたいと思う時には、音楽とか効果音を用いる。そういう音を聞きながら人はある気持ちに運ばれていくだろう。悲しい歌を聞きながら悲しい話をされれば悲しくなるし。興奮する音楽とともにいさましい話を聞けば心が高ぶる。料理で言えば、ある料理に合ったソースをかけて食べる。
しかし日本料理というのは、素材の良さを生かす。魚も新鮮だったら生で食べる。料理が新鮮だった場合、日本料理では、なるべく素材を加工せずに、それだけで食べるという傾向が、他の国の料理よりもあると思う。
それと同じで、生活の中で、BGMも何もなしに鑑賞するに値するものがあるではないか、というのが、上の芭蕉の句に現れていると思う。たとえば、子犬が走り回るのを、ショパンの「子犬のワルツ」をBGMにして見たり、くまばちが飛ぶのを、リムスキー・コルサコフの「熊蜂の踊り」とともに見るのではなく、沈黙の中で、カエルが水の中に飛び込むさまを見る。わび、さび、というのは、素材をそのままBGMも味付けも何にもなしで召し上がれ、という性質を持っていると思う。
外国人は、寿司というと、ごはんの上に生魚を乗せるだけだから、そんなに難しい料理だとは思えないのだが、寿司職人なんて、長く厳しい修行をしたのちに一流になるというので、素材をそのまんま焼いたり煮たり塩をかけたりするわけでもないのに、どうしてそんな修行する必要があるのかな?と思ってしまうのだが、素人では分らないところでいろんな工夫があるんだろう。
川端の「名人」。これは、古い時代を代表する最後の名人と言われる人の引退碁を中心とした小説だ。この碁は昭和13年6月から12月まで半年もかけて行われた。川端はこの碁の観戦記者として観戦記を新聞に連載した。名人はこの碁の1年ちょっと後の昭和15年1月18日に死んだ。川端が「名人」を発表しはじめたのは昭和17年だが、それは一旦中断して、昭和26年から、改めて最初から書き直して発表したようで、この、薄味の会席料理のように上品であっさりした作品からは、大幅な書き直しをしたりするような苦労の重さなどは感じられない。素人では分らないところでいろんな工夫があるんだろう。
僕は碁は一切分らない。ただ、物音をしない古い庭で、カエルがポチャンと池に飛び込むような、白い紙の上に墨が一筆入るような、そんな雰囲気を味わいたいがために、この薄くて、心に何かが建設されない本がちょうど目についたので読み出した。こういう時に、川端の小説の他になかなか代替物が見つからない。
この小説は、登場人物の一部に仮名が使われているが、ほとんどは実在する人物が実名で出てくる。碁の観戦記者が名人のことを書いたという形式であって、他の川端作品のように、恋愛対象の女性が出てこないところが、異色であると言われている。ノンフィクション的であるところも違う。他の川端作品とはずいぶん違う素材を使いながら、しかし他の川端作品とまったく同じ手触りがするのが面白い。これは、村上春樹が、何をどう書いても村上春樹的な描写になるのと似ている。これを思うと、一人の人間が何か対象を書くというのは、対象を書きながら、自分の内にある「何か」を繰り返し書いているようなものだとしか思えなくなる。これは新しい発見であった。鳥が巣を作る時、周りにあるものをとってきてそれを材料に使う。都会に住んでいれば、プラスチックのひもみたいなものを素材に作るのだが、何が材料であっても、完成した巣は、どれも同じ形をしている。やっぱり鳥の巣だ。それと同じで、作家も、何を材料にしても、けっきょく自分の心の巣を作っているのだ。そうとしか思えない。
普通、作家が何かを書く時には、何かを構築するものだと思う。でも川端は、構築とか建設という感じがしない。ページが20ページ、30ページと進んでも、それは何かを作り上げるためではなく、沈黙の時間を長くするだけ、というような感じがする。たとえば三島由紀夫などは、「私が作ったこの世界を見よ」みたいな顕示欲がギラギラしているが、川端からそういうものはまったく感じない。
川端は幼い時に両親を亡くし、その後もきょうだいなども死に、16歳か17歳の時に祖父を亡くし、血のつながった肉親をすべて失った。これは特異な経験で、その内情を他人が推測しうるものでもないだろうが、何か自分のしたことの成果を見せたい、という相手が、普通、人間生きていればあるものだと思うが、川端の場合、そういう相手がすべて死んで、顕示欲みたいなものがなくなってしまったのではないか?と考えてみたくなる。何かを建設したり構築したりするかわりに、あるものをどんどん無くしていく、そのことで別れた肉親の供養をしているような雰囲気さえある。こういう、「構築、建築に対する負の走行性」を持っている小説家なんて、他に僕は知らない。そしてそれが、一遍上人の「捨ててこそ」という言葉や、禅の不立文字にも通じるものがあるのではないか、と考えたくなる。
この小説は、名人が昭和15年1月18日に死んだ、というところから話が始まっている。僕がこの小説を読み始めたのがその数日前だったので、なんという偶然だろう、と思った。僕は昔から、小説を読み始めると、小説の中の季節と現実の季節が不思議に一致することが多いですね。あるいはそういう偶然の一致だけが記憶にずっと残るから、いつも一致するような錯覚をしてるだけなのかな。
僕がこれを読み始めた時は、現実世界では、1月17日が阪神大震災の日だから、そういうメモリアルイベントなどがあって、その前日はキング牧師の誕生日でアメリカは祝日。16日、17日と続くなあ、みたいなことを思っていた。
この小説の冒頭は、名人が死んだ滞在先の熱海では、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の「今月今夜の月」というのが1月17日という設定だそうで、それで熱海では紅葉祭があるという。そして名人はその翌日に死んだので「この一月十八日の命日は、熱海では覚えやすい。」ということが書いてある。
最後に、文化論的に興味深かった部分を抜き出しておこう。
…伝統と言えば、碁もまた中国から伝来したものだ。しかし、ほんとうの碁は日本で出来たものだ。中国の碁の芸は今も、三百年前も、日本にくらべて話にならない。碁が高まり深まったのは、日本人によってであった。昔中国から移入した多くの文物が、中国でみごとに発達していたのとちがって、碁は日本でだけみごとに発達した。もっともそれは、江戸幕府が保護を加えた後で、近世のことである。碁は千年も前に伝来したのだから、長い時代、日本の碁の知恵も育てられなかったわけだ。しかし、中国で仙心の遊びとされ、神気がこもるとされ、三百六十有一路に、天地自然や人生の理法をふくむという、その智慧の奥をひらいたのは、日本であった。外国模倣、輸入を、日本の精神が超えたのは、碁に明らかであった。(p87 新潮文庫)
そしてその後、中国に生まれ、囲碁の才能を日本人に発見され、日本で活躍した呉清源について、
呉六段の天才が生きたのは、日本へ来たからであった。古い昔から一芸に秀でた隣国人が、日本で尊ばれた例は少なくなかった。今もそのみごとな例が呉六段である。中国にいては止まりになる天才を、育成し、愛護し、厚遇したのは日本であった。少年の天才をほんとうに発見したのも、中国に遊歴した日本の棋士だった。(p89)








