生きてる感想

僕が好きなことを書いて、誰かが喜んでくれれば、それ以上は望むべくもないでーす

郵政300兆円は地方に行っていいのか?2

 日本郵政の金融資産は300兆円という。それが、地方活性化の基金に使われるという。また亀井担当大臣のアイデアなんだと思う。

 もちろん地方や弱者や困った人に手を差し伸べるというアイデア自体は悪くない。政治家が配慮すべきことだけど、どうも彼のやり方は、全体を損ねてまでも弱者に恩恵を、という感じを持たせてそれがよくないと思う。このごろある議論では、強い人が栄えればそのうちトリクルダウンで下の人にも恩恵が来るというが、そんなの待ってても格差拡大で、全然トリクルしないかじゃないか?という。だからといって、うまくいってる人からむしり取って全体を損ねたら弱者が助かるかといったら、長期的にはそんなの駄目になるに決まってると思う。

 ここで考えるべきは、まず、(1)どうして昔のようにトリクルダウンしないかということと、(2)もしうまくいってる人の利益を弱者にも再配分するとしたら、強者あるいは全体のシステムはどの程度むしり取られても耐えられるか?ということだろう。
 (1)についての僕の考えは、既存の製造業などは生産性の伸びはほとんど期待できない。すでに成熟しているから。それに対して新しいITなど、ドラッカー言うところの知識産業は生産性がものすごく高い。急成長してプロ野球や既存メディアなどの買収を試みるのは彼らだということからみても、彼らがいかに急激に成長しているかというのが分かる。だから、そういう産業にいる人はどんどんリッチになっていき、一方製造業などはほとんど成長しない。だから、前者が急成長し後者がほとんどしない、あるいは縮小しているというのであれば、両者の格差が開くのは当たり前だ。その解決策としては、製造業など既存の成熟した産業、したがって今後あまり成長が期待できない産業から、新しい急激に成長する産業に労働力を移すことでしか解決できないだろう。しかし日本は、ものづくりが大事だ、ものづくりこそ日本の力だという思い込みが激しすぎる。それは間違いではないが、げんに需給ギャップがある。つまり作りすぎている。なら、作りすぎているぶんだけ労働力を新しい成長分野に移せばいいのに、どうもそういう発想が薄いのが問題だと思う。

 (2)については、たとえば中小企業の借入金の返済猶予法案のように、明らかに金融システムを害すること間違いなしのことをする。亀井大臣のアイデアだが、弱者を救うとの思いは立派だが、金融システム全体を損ねるから、けっきょく救うはずの弱者もかえって困る結果になるだろう。つまり、3年間も貸したカネの催促ができないと分かっててカネを貸す金融機関なんてあるのか?それは金融機関への負担となり体力を損ねる。もし損失が出たら、国がそれを補償してくれるんだろうけど、それはけっきょく日本の財政への負担となる。つまり我々の税金で負担することになる。だから金融機関の貸し渋りはすでにキツい中で、さらに中小企業に貸さなくなる。そのあたりで国が個々別々の金融機関への監督指導にはもちろん限界がある。もし一律に「中小企業の融資には甘くしろ。損失は国が見る」と言ったら、もともとダメと分かってる中小企業、あるいはひょっとしたら融資を引き出して借り倒す目的ですでに倒れたも同然の中小企業を利用してカネを借りようとする悪徳業者も出てくるし、貸す金融機関側も、どうせ国が面倒みてくれるとなれば、審査もおざなりにして金融機関のモラルハザードも誘発する。それから、法律で、大企業への融資は禁じられており、中小企業か個人でなければ融資してはいけないことになっている信用金庫は、融資のすべてがこの法律の影響下に入るから、大手金融機関以上に深刻な打撃を受ける。亀井大臣は、カネを借りている中小の製造業などを助ける気持ちはあるかもしれないが、この法律ができたら経営危機に直面せざるを得ないと言われる地方の体力の弱い金融機関のことについては無責任ではないだろうか。

 ところで郵政300兆円の金融資産も、本当なら民営化で自由な金融活動をこれからしていくかなと思ったところに、地方活性化にその資産が使われるという。これは、民間の金融機関がカネを回さないということは、おそらくあまり合理的なカネの使い道ではないと判断している地方への融資に郵政のカネが使われるという。これは具体的には、地方の企業活動に融資をするということもあるのかもしれない。あるいは、基金を設立して、そこから財政投融資をするということもあるんだろう。民間の金融機関がカネを出さないということは、おそらくリターンも高くない。他に回したほうがよほど高いリターンがある中で、あえてリスクは高くリターンは低い地方にカネを回せば、郵貯や簡保に貯金している人の低利子か、そうでなければカネを借りている公共事業の高利を原因とした財政つまり国民の税金への負担増かのどちらかを結果することになるんだろう。もしその結果、地方が活性化すればそれでもいいんだろう。でも、内需を拡大することだけで本当に地方が活性化するとは、とうてい思えない。そこに成長戦略がないから。人々の所得が増えて、それで消費が拡大することによって経済が持ち直すという主張をする人は、具体的にどういう絵柄を描いているのだろう?と僕なりに考えてみると、たぶん、車や電気製品を買い換えたり、家族でドライブで遠出したりショッピングしたり、外食したり、という感じじゃないだろうか?つまり、既存の産業をそのままにして、新しい産業を伸ばす戦略がなければ、そういう絵柄しか思い浮かばない。しかし今の若者は、車ばなれだし、服などにも興味を示さない。モノ全般を買わないという傾向がある。そしてそれは、若者が貧乏だから買わない、という分析をすることが多い。そして、今の若者のモノ離れとか上昇志向がないことに原因があると言われれば、「それは今の若者に問題があるからだ。もっと彼らが既存のものを消費するという正常な状態に戻さなければいけない」みたいな分析になる。
 このことに関しては「若者がモノを買わない理由」という記事に違和感という記事を以前書いた僕としては、そもそも前提がすでに古くて間違っているのだ、と言いたい。若者は貧乏だから買わないんじゃなくて、昔とは違うから買わないのだ、と。もし僕の世代から上のように、ほんとにモノがほしいんだったら、働いたり出世したりするチャンスはもっとあるはずなのだ。それでも彼らは、昔のように上昇志向をもってガツガツ働くタイプではない。「将来金持ちになって故郷に錦を飾ってやる」みたいな最近の若者を見たことがあるだろうか?
 やはり、新しい日本を担う人たちが欲するものが既存の社会にない、あるいは充分にないのだ。その一方で、欲しいとも思わないものが余っているのだ。それを需給ギャップという。だから、もう需要がないものを作るのをやめて、これからの人間がほしいと思うモノやサービスとは何か?ということをもっと考える、という方向に努力をすべきだと思う。

 だから、郵政の300兆円を地方活性化に使う、というのは、もしそういうカネをうまく地方に流すことができれば、景気の下支えにも充分になるし、一時的な経済効果はものすごくあるだろう。しかし長期的な経済戦略に欠ければ、経済全体が上向いていかないのは目にみえている。日本の国と地方を合わせた借金残高は、95年には410兆円。それが2008年度末で778兆円。過去13年間で350兆円以上の借金をしながら、国内にカネをバラまき続けた。この350兆円というのは積み重ねてきた借金であり、それプラス税収のぶんを国内に注ぎ込み続けた。このケインズ政策の乗数効果は、少なくとも1はあったはずだ。つまり、これでもってなんとか日本経済の規模を守り続けたけれど、それでも景気にエンジンはかからなかった。つまり、経済成長戦略がないところにいくらカネを注ぎ込んだとしても、現状を支える以上のことはできないということだ。
 だから郵政のカネ300兆円を地方に注ぎ込むとしても、苦しい現状に一息入れる、以上のことはできない。しかも郵政の資産は、使いっぱなしでいいというんではない。利子をつけて預金者に返さなければいけない。

 亀井大臣みたいな人には、今の人たちの暮らしを維持する、という以上の発想とかイアデアとかビジョンがないのは明確だと思う。求められているのは、今はまだない、あるいは不十分にしかない新しい産業、新しい物やサービス、新しい消費市場、新しい価値観、新しいライフスタイルに転換していこう、という発想であり意志だと思う。そのためにできることとしては、新しい産業に労働力を移動することを促進するために、雇用訓練をしたり職業あっせんしたり、労働市場の流動化を促進することだと僕は思う。

なんてことないけどちょっと不思議な感触4

 25日だから今週の水曜日の仕事からの帰り。いつものターミナル駅で自動改札を通る時に、頭上を何かかすめるような感触。なんか、鳥が僕の頭の右上の髪の毛をかすめて飛んでいったような。でも改札は建物の中にあるから、鳥なんかいる環境じゃないし、そのあたりで鳥が飛んでるのなんか、見たこともない。僕は自分の頭をさわったり振り払ったりしながら、改札の上を見たりしたが、特に頭に触る物もない。もし鳥なんかがいたら、周りに大勢いる人が何かしらの反応を見せるはずだが、なーんもない。改札の上に、空調か何かの風が吹いてるのかな、とも考えてみたけど、いつも通っている改札でそんな風を感じたこともないし、それならば他の人も改札のところで何か反応を示す人がいそうなものだけど、なんもない。

 僕は普段は霊感とか超常現象とかを感じたりするタイプでは全然ない。20年以上前の大学時代にさかのぼると、ちょっとだけそういうことはあったけど(こっくりさんが動いたり、かなしばりとか)、今はそういうことは全然ない。心はすっかりカサカサである。だから、この日の、鳥が頭をかすめ通った感じで、あれ?って思ったのは、普段の僕にはない、珍しい感触だった。

 翌26日の木曜日。その時は気づかなかったけれど、朝9時すぎに、数ヶ月音信のなかったメル友からメールが来た。でもそれに気づいたのは昼休みの時だった。たぶん朝の9時半ぐらいまでに、仕事で、普段はないような、ちょっとした文句を受けた。それは、苦情を言われたのか、やつあたりをされたのか、ちょっと考えてもなかなか判断がつかないような文句だった。厳密に言ったら、僕はそんな文句は聞き流してもよさそうなものだったが、ただ善意ある人間として、僕にそれについて何かできたかな、どうかな、と考えても、むつかしいな、という感じのことだった。そういう文句を言われるのは珍しいことだったので、ずっと断続的に考えたりしていた。それで、昼休みに、メル友から久しぶりにメールが来ていることに気づいた。だいたい同じ時刻。もうメル友とは5年以上、かなり深いやりとりをしてきて、喜怒哀楽、愛憎がごっちゃになったような感じの仲で、数ヶ月のやりとりなしの期間も、僕は毎日のようにその人のことを考えていた。そのブランクはただのブランクではなく、どんな意味でも持ちうるような感じで、けん制してわざとずっとメールを出さないことも、あるメッセージだったりする。僕はもう彼女からメールが二度と来ないかもしれないと考えたりしていた。それで、久しぶりのメールだった。

 それは長いメールだったので、家に帰ってから夜、その返事をパソコンで打っていた。僕は携帯で文章を作成するのが嫌いなので、彼女は携帯からだったけど、僕はいつも長い返事はパソコンから打っていた。僕はなるべくなら携帯は使わずにおこう、というタイプだ。パソコンの横に携帯を置き、彼女の文章を見ながらパソコンで打っていると、その携帯の画面が遮られ、メール受信の画面になった。僕は携帯のメールなんて滅多に入らないのに、また彼女からかなと思うと、実家の母親からだった。特に大事な用事ではなかったけど、去年も似たことがあったなあ、と思い出していた。その時はたしか、京都を歩きながら、実家にメールを送っていた。それを送り終わった画面になるとそれがメールの受信で遮られた。送信に失敗した時に、「今のメールは送信に失敗しました」という英文のメールがドコモから来るのだが、それが来たと思ったら、違った。メル友の彼女からだった。今回は逆だったけど、それを思い出した。

 まあそれだけですね。前日に「あれ?」と思うことがあって、その翌日に、なんか久しぶりっていうことが重なったりした、というだけの話。ただそれだけの話だけど、これらをなんか頭の中で関連づけて置きたい気がする。そうしないと、僕の人生の意味は簡単にカサカサになってしまう気がする。ただの偶然が重なっただけ、と考えると、自分の人生が砂のように指からこぼれ落ちていく気がする。僕は超常現象とかは決して信じているわけではないけど、口に出す以前の問題として、理屈では説明できない、偶然の重なりなどを、一度、意識の上に乗せてみたいと思う。人が超常現象に引かれる理由は、そんなところにもあるんじゃないかな。

松本清張「ゼロの焦点」3

 「ゼロの焦点」は推理小説なので、この記事はネタバレはしないように書きましたが、小説の最初のほうの内容、ヒロインの夫が失踪し事件が始まる前のことについて、少し具体的に触れているところがありますよー。でも事件の真相が解かれていくところについては一切触れていないので安心です。




 僕は今年は忙しいので、まとまった本が読めないので、昔から読もうと思っていた本などをちょくちょく読んだりしている。吉行淳之介「砂の上の植物群」と、松本清張「ゼロの焦点」。この両方とも、高校時代から読もうと思っていて、30年も放っておいたけど、今年読んだ。あとは原田康子「挽歌」とサガン「ブラームスはお好き」も、たびたび読もう読もうと思っているけど、まだ読んでない。

 僕が高校時代の修学旅行先は北陸だった。もう30年もたつと何があったのか全然覚えていないけど、なぜか部分的に覚えていることもある。高校OGで金沢大学に入った人が、僕らのバスを偶然みかけて、びっくりして寄ってきて、僕らのバスが出発する時、見送っていたこと。それから、能登半島で、壷か何かをろくろで作っているところを見たこと。同じクラスの奴が「俺が中学校の修学旅行の時はほとんど寝なかったから、昼間歩いていても、前からくるものをよけられなかったぐらいだ」とか言ってたこと。それから、バスの中でバスガイドさんが「このあたりは松本成長の「ゼロの焦点」の舞台になったところです」って解説してたこと。それからそのバスガイドさんがバスを駐車場でバックさせてる時に誘導ミスで少しぶつけて、誰かに怒られて、みんなで「かわいそう」って言ってたこと。ああそういえばその時、バスの中で男たちがなぜか水戸黄門の歌を歌っていて、あとで、「バスを誘導している時にうるさくしてたからいけなかったのかな」とか誰かが言ってたこと。
 それが高校の修学旅行で覚えていることのほとんどすべてだったりする。具体的にどこに行った、というのは全然覚えていない。兼六園にも必ず行ったはずだけど、全然覚えていない。

 とにかく修学旅行から帰って来てすぐに、「ゼロの焦点」を買った。で、最初の数ページを読んだだけで読み止しにしてしまった。それから30年、何度も「読もう」と思って、そのたびに文庫本買ったけど、そのつどなくしたりして、今年に至った。以前買ったものがあったはずだけど、やっぱり見当たらなくてまた新しく買ってきて読んだ。ゴールデンウィークに読んだ。
 その時は全然知らなかったけれど、映画化されるという。今月の中旬に封切られるという。

 僕は最近は、重い本ばかり読む。時間がたっぷりあったとしても、一日50ページ読むことはちょっと無理、みたいなかなりむつかしい本をなるべく読みたいと思っているのだが、時間が少ないとかこちらの疲れ具合などで、もっと簡単な本を読むこともある、みたいな感じなので、この本の読みやすさにはびっくりするものがあった。話が展開していったり、新しい事件が起きたり、事件解決の糸口が一つほぐれたりするような場面では、いっきに何十ページも読んでしまう。僕は推理小説を読む習慣がないので、こういうスピード感のある読書というのはそれだけで面白かった。

 推理小説なんて他にほとんど読んだことがないので他と比べるべくもないけれど、まあ暇つぶしにはなるだろう。たまにはいいと思った。僕は松本清張の本は他に「点と線」を読んだことがあるけれど、そちらの雰囲気のほうが僕は好きだった。ただどちらも、作者は日本の社会を慈しんでいるなあ、という感じがある。

 舞台は敗戦後13年目の能登半島。人々の会話などに、まだ戦争の影がチラホラ出てくるあたりに、当時の社会のリアリティが出ている。失踪した夫の足取りを調べるために能登半島に来たヒロインが泊まる旅館の女中さんが「疎開した先のここ金沢にそのまま居ついてしまいました」とか、日常生活のそこここに、戦争が人々の運命を変えていったんだな、というのが会話の中でさりげなく出てくる。

 あと、女性の貞操観念についても考えさせられるところがあった。
 僕の理解では、日本では、源氏物語や、江戸落語などを見ても、女性が、結婚する前に男性と肉体関係を持つことがご法度だった、みたいな感じがほとんどなく、日本にはもともと、西洋流の処女性の重視みたいな発想はなかったんだと思う。それが、明治以降にそういう発想が西洋から入ってきた。しかし戦争も終わって平和と繁栄が達成された現代は、すべて西洋流がいいわけではない、というふうになってきた。70年代、80年代にすごくそうなってきたと思う。それまでは日本では、女性が処女であることは大事、みたいな価値観はすごくあったと思うけれど、最近はどんどん弱まってきていると思うけれど、それは、表層的にあった西洋から入ってきた価値観が弱まり、もともとあった日本流の価値観がまた出てきたんじゃないかな、というふうに僕は解釈している。

 「ゼロの焦点」の中に出てくる、女性の貞操観念にも、面白いなと思ったことがある。ヒロインは、知り合いの仲介でお見合いをして、それで結婚する。結婚前には、ほんの数回会っただけで、それで新婚旅行に出かけ、そこで初夜を迎える。夫は、口には出さないけれど、新妻が処女だったことに安堵したような雰囲気をみせる。
 ここに出てくる女性の貞操観念って、ものすごく表層的で形式的なもんだな、と思う。たとえ結婚しただんなだとしても、まだほとんど知らない相手と関係を持ってしまうというのは、ちゃんとした貞操観念のある女性のすることだろうか?と。そこには、ヒロインの、大事な処女をあげるという心理的なこだわりとか葛藤は描写されていなくて、なんか感じとしては、相手にあげる衣服に、しみが一つもつくこともなく無事に相手に渡せてほっとした、みたいな。ほんと形式的な貞操観念なのだ。こういう感じだから、やっぱり今の日本から処女性重視というのが消えても全然不思議はないなあ、みたいなことを思った。

 舞台は冬の能登半島。小説の雰囲気もそういう地味な感じだ。ストーリーはけっこう派手に展開していくけれど、全体の地味な雰囲気はずっとつきまとう。たぶん松本清張という人が、そういう雰囲気が好きだったんだろう。その頃の、今とちがった日本の雰囲気がよくも悪くも伝わってくるようだ。

 小説の舞台となっている社会は、今と時代が違うだけでなく、文化そのものが違う、という感じがする。ここに出てくる事件の背景そのものが、情緒的に訴えかけるようなものがあると思う。たぶん当時の人たちには、心を揺さぶるものがあったのかもしれないけれど、感性自体が変化している今風の人が読んでも、たぶん揺さぶられるよりも、エキゾチックな感じがするんじゃないかな、と思う。僕もそうだった。小説の中に出てくる登場人物は、みなとてもいい人たちで、それぞれ真摯に良心的に生きている。今の日本人とは違ったタイプで、それも時代の違い(プラス文化の違い)を感じて興味深いし、好感が持てる。

 この作品は、日本を代表するような推理小説だという。細部にちょっと荒いところはあるものの、たしかにパタパタパタと展開するストーリーは見事で、読み物として楽しめる。でも、今の人に情緒的に訴えるものはすでになくなり、「ああこういう時代もあったんだなあ」という当時の時代風俗を今と比較するという興味で読むと楽しめるんじゃないかな、と思う。

アイスランドのマクドナルドが閉店4

 ビョークの故国アイスランドはアメリカ発の金融危機の影響で国家破綻の危機にあるという。それでマクドナルドが撤退するらしい。そしたら閉店前には行列ができたという。
 僕はマクドナルドがよくわからない。味が特にうまいと思ったことはない。皆無だ。それでいて、いちばんよく利用するハンバーガー屋はマクドナルドだ。なぜかと考えると、通りかかる道にあるのがファーストキッチンではなくマクドナルドだからだ。立地がいい、というのがある。それから、値段がとても安いマックポークみたいなのと、充分高いものとがある。安いのを買って、じゃあついでに高いのも買おう、みたいになる。要するに、味以外の商業戦略がすごく秀でているんだと思う。まあ、味も悪くはないだろうけど、大したこともない。マクドナルドのベーコンレタスバーガーよりはファーストキッチンのベーコンエッグバーガーのほうが断然いい。
 僕はアイスランドには行ったことはないが、たぶん物価の安い国に行くと、そのぶんマクドナルドは割高になると思う。僕が行ったそういう国では、中国人とかが経営しているハンバーガーショップのほうが安くて、量も満足するぐらいあって、しかも、なにより、日本のどこと比べても、うまい。よくこんなところでマクドナルドが営業が成り立つなあ、と思った。まあマクドナルドは国によって営業戦略はかなり違うと思う。月見バーガーなんていうのは日本だけだし、アメリカに行くと、ものすごくでかい。アメリカ人の口がでかいからというんじゃなくて、それがアメリカ人の好みなんだろう。あごがはずれる直前まで口をあけて、それでやっと頬張れる、みたいな大きさだ。インドのマクドナルドでは宗教上の理由でビーフは使ってないらしいし。
 まあでも、作ったものを暖めておく技術とか、そういうところではいろいろ共有してると思う。ファーストキッチンなんかも作ったものをすぐ出すけど、マクドナルドよりおいしく暖めているように思う。
 食べ物のチェーン店が難しいのは、どの店でも、バイトが作っても、味が均一にならなければいけない。そういう条件の中で「おいしい」と言われなければいけない。だからチェーン店のおいしさには限界があるはずだ。世界中に中国人の移民がいて、どこでも料理店をやっている。そしておいしい。これは僕が東洋人だから味の好みが同じだからかな、と思ったけど、地元の人も、近くにある白人の経営する店ではなくて中国人の店に好んで行くから、そういう問題じゃない。やはり中国人のハンバーガーのほうがおいしいのだ。たとえば細かく正確さを要求されるものを作らせたなら日本人は他の国の人よりも強みを発揮する。共同作業をやる時にも強いと思う。よくテニスで、シングルでは日本人が優勝することはないが、ダブルスだとしょっ中、日本人と組んだペアが優勝する。このように、民族性というのか文化性というのか、その国によって得意分野というものがあると思う。中国人移民の場合、料理で向かうところに敵なし、みたいな感じがある。外国に旅行に行って、安宿に泊まると、共同キッチンで中国人が「こいつはプロか?」みたいな雰囲気を漂わせながら料理に夢中になっているのを何度見たことか。中華なべから火が上がって「ボワー!」なんて音をたてるから、周りの世界中からの旅行者がびっくりしてそちらを見る。中国人はクールな顔をして料理に夢中になっているのをみると、そういう時だけは「かっこいいなこいつ」と思ってしまう。ある時、日本人が、「野菜これだけ余っちゃったからあげる」とか言ってその中国人にあげていた。そしたらあとでそれで作った炒め物を持ってきて「ありがとう。こんなの作ったからちょっと食べて」なんて言って持ってきた。それを食べたら、おいしいのなんの。ダシか何か知らないけど、味が重層的で複雑なのだ。メインの味の向こう側で、かすかにする別の風味が折り重なっていいハーモニーになっている。それを普通の中国人が作るからすごい。
 日本にいるある中国人も、自分で中華街とかに行って食材を買ってきて、作ったり仕込んだりしている。ある時は、小豆の緑色のものを買ってきて、それを発砲スチロールの中に水を含んだスポンジを入れて、そこでそれを発芽させていたかもしれない。それで、それは夏に食べると「火気」と中国語で言うものをやわらげる効果があって健康にいいとか、言っていた。中国式の教養があって、それが料理に生かされている、という感じだ。単にレシピをいろいろ覚えたというんじゃない。単に知識を横に広げたというんじゃなくて、もっと体系的というか文化的な教養があって、その上で料理を作っている、という感じだ。ある中国人が言っていたが、日本には味を表現する言葉が基本的に4つぐらいしかない(甘い・辛い・苦い・酸っぱい、かな?)けど、中国語では12か14あると言っていた。こりゃ敵わない、と思った。とにかく料理に関しては中国人はものすごい強さを持っていると思う。
 商売上手の中国人が、しかしそういう料理屋をあんまり店舗展開しないのは、やはりバイトに作らせたらどうしても味が落ちるという限界があるからだろう。幅広くビジネスする中国人もたくさんいるけれど、それでおいしいチェーン店を作った、という話はあまり聞かない。

 日本では、個人経営のハンバーガー屋がほとんどない。たとえば中華料理屋などは王将みたいなチェーンの他に個人でやってるところもたくさんある。立ち食いうどんも、チェーン、個人経営どちらもたくさんある。なのに、なぜハンバーガー屋だけは個人経営がないのか、不思議だ。パン屋だって、自分とこで焼いて売る個人経営の店がたくさんあるのに。そしてげんに外国では個人経営のハンバーガー屋がたくさんあるのに。日本でも、バイトがマニュアル通り作ったものよりもうまいものが出せるぞ、という腕の人がいたら、個人経営でも充分にそういうチェーン店に勝てると思う。外国でも「マクドナルドなんか行かないよ。高いし、それほどうまくもないし」って言う人はたくさんいた。それでも経営が成り立つマクドナルドは大したもんだと思うけど。
 味に関しては、日本人は、敏感なところと鈍感なところがあるんだろう。寿司とか、素材が新鮮かどうか、みたいなところには敏感だと思う。和風料理でも、味噌汁とか、玉子焼きとか、そういうものを味わう舌も敏感だろう。お茶とか海苔とか。でもたぶん、こってこてに料理したもの(つまり和風料理以外のもの)を味わう舌は、まだあんまり開発されていないのかもしれない。僕自身は、餃子や鶏の唐揚げに関しては、僕自身が作ったものがいちばんおいしいと思っている。それは僕が料理がうまいというよりも、それだけ日本人がそういう料理の味に無頓着だから、たいしてうまくもない餃子とかが市販されているんだと思う。ハンバーガー屋だって、ファーストキッチンやモスバーガーのおいしさは大したものだと思う。けれど、外国の、中国人経営のハンバーガー屋の味は、それよりももっとおいしい。日本人はまだそういう味を未経験だと思う。

谷垣総裁代表質問(その1)3

 10月26日に臨時国会が召集され、鳩山首相が就任後初の所信表明演説を行った。それを受けて28日、野党となった自民党谷垣総裁が代表質問を行った。
 僕はこれはとてもいい質問だと思った。最近はマスコミでも民主党連立政権の中にいる人たちの発言ばかり聞いていた。
 まだ民主党は輝いている。ほとんどの日本人にとって初めて経験する本格的な政権交代が成され、それを歓迎する空気がまだまだある。
 こういう時には、なんだか彼らがほんとうに何かを成し遂げてくれるんじゃないか、という気に自然になってくる。勢いというのか、党としてのカリスマ性というのか。
 ただ、そういう空気を考慮に入れずに、「銀行から借りたカネを3年間返さなくていいって、政府が決めてるよ」とか、「民営化したものを再び国営化???」とか、「景気が悪い時には普通、財政出動するもんだけど、この政権はむしろ補正予算削ってるよ・・・」とか、「日本の財政事情はこれからなお進展する少子高齢化の中で、ものすごくひどいことになるだろうのに、5.5兆円の予算を新たにつけて、カネに困ってない人も含めて子ども手当を配るなんて言ってるよ」とか、これらは、ほとんど物理法則に反して行動をしているようにみえる。なんか、「俺は空をとべる!」なんて言って高い崖の上に自身満々で立っている人にみえる。たしかに彼は輝いているから、ひょっとしたら彼なら…って感じがしてくるけど、たぶん実際に起こることは、彼は地面に叩きつけられてぺしゃんこになっちゃうのだ。ほとんどの人にとっては、実際そうなった時にはじめて夢から現実に引き戻されるのだ。「あ、彼はただのハッタリ屋だったんだ」っていう感じで。
 
 最近は、亀井さんの言動を見ていると、物にとりつかれているんじゃないかという気がしてくる。マスコミに登場するようになった副大臣たちの説明を聞いていると、彼らはさわやかで落ちついて、自信ありげな様子なので、「あ、そうなのかな?」っていう気にもなっちゃうけど、でもやっぱり、この谷垣さんの質問を聞いた時には、「ああやっぱり格が違う」と言う感じになった。ほんと久しぶりに質の高い議論を聞いたなあ、という気になった。ここにわざわざ谷垣の質問を文章におこしてみたのも、これからの民主党がかかえる現時点での問題をうまいこと拾っているように思えたからだ。これから何度も見直して検討する価値があると思う。谷垣は、たとえば岡田の天皇のお言葉発言みたいなのはとりあげていないし、日本郵政の社長に元大蔵事務次官を持ってきたことなどはひとこと軽く触れているだけで深入りしていない。これらを批判すればすることもできるけれど、それらはいくら彼ら民主党に非があったとしても、あまり政権の本質的な批判にはならない。もっと重要で本質的な部分だけをとりあげている。
 谷垣の質問の中で、欠けていると僕が思うものとしては、郵政事業を再国営化して、将来に禍根を残すんじゃないか?という議論がある。今は、田舎のおじいちゃんおばあちゃんのネットワークになるかもしれない。郵便局の人が「おじいちゃん、ここに振り込んだら駄目だよ」なんて言ってくれるかもしれない。でも、もう年賀状なんかハガキで出さずにメールで済まして、銀行決済もネットで済ますような人がどんどん増えていった時、郵便事業は、国営だったら、国に「これをやれ」なんてことだけをするのだから、新しい事業に、民間のような触覚で適応していけるとは思えない。その時に、郵政事業は国民の負の遺産になる可能性が大きいのではないか?
 まあともかく、以下は谷垣自民党総裁の質問と、鳩山首相の答弁の内容と、僕のツッコミ。



谷垣:
 一昨日、総理の所信表明演説を拝聴させて頂きました。友愛政治から国政全般まで、ご自身の言葉で語られた演説であったと敬意を表しますが、情緒的にすぎ、理念先行、具体像はまったく見えてこないという観は否めません。変えるというのはまさしくこれからであって、わが党は言葉ではなく、行動を重視して参りたいと存じます。
 それから何より、一つ解せないことがございました。選挙中あれだけ喧伝された「マニフェスト」の文字が一言もなかったことです。私が以前から愛用していた「きずな」という言葉がキーワードとして使われていたこととは対照的であります。
 鳩山内閣は、マニフェストの実行を国民と契約され、義務づけられた内閣だと、国民は認識しております。しかるに、内政外交から象徴的には日本郵政の人事に至るまで、約束違反、言行不一致ばかりが見受けられます。政権をとったらガラリとかわるご都合主義が許されていいものでしょうか?まずは総理のマニフェスト実行にかける決意のほどを伺います。
 総理はマニフェスト発表の記者会見において、達成できない場合は政治家として責任をとると明言されました。これは具体的にどのように責任をとられるのか、お教え頂きたいと存じます。


鳩山:
 まず、マニフェストの実行にかける私の決意についてのご質問がございました。何か、谷垣総裁におかれては、私どもが政権をとったらすぐに、あたかも君子が豹変したように、思ったように書かれていますが、おっしゃいましたけれども、そのような積りは毛頭ありませんし、言うまでもありません、君子でもありません。(場内から笑い、それから後に拍手)
 マニフェストは、民主党の国民の皆様がたへの契約でございます。その内容の多くを、連立三党で合意をいたしました。その政策合意の中に盛り込ませて頂ました。マニフェストという言葉は、民主党が使った言葉でございまして、その言葉を連立三党の政権でありますから、遠慮を申し上げただけであります。言うまでもありませんが、その中の子ども手当などの内容に関しては、しっかりと一つ一つ申し上げたところであります。(拍手) マニフェストは、4年間におきます、国民の皆様がたとの契約であります。したがいまして必ず実現いたします。(拍手)もし4年たって国民の多くの皆さんから、残念ながら民主党、社民党、国民新党の連立政権、マニフェストの政策がなかなか達成できなかったね、もし国民のみなさま方からそう思われたら、当然政治家としての責任は問います。言うまでもありません。


僕:
・谷垣の「約束違反」「言行不一致」「ガラリとかわるご都合主義」というのを言い換えて「君子豹変す」という良いイメージにこじつけている。姑息だし、質問に答えていない。まあ答えられるわけもない。
・谷垣の「マニフェストを達成できない場合は具体的にはどのように責任をとられるのか?」に対しては「当然政治家としての責任は問います。言うまでもありません」と鳩山は具体的に答えることを逃げた。この答弁を通じて鳩山は「言うまでもなく」というフレーズが多すぎる。弱気の裏返しの言葉のように響く。いつものことだが、鳩山は、てにをは、文章のつながりが悪い表現を使いすぎる。「当然政治家として責任を問われる覚悟です」みたいに言うところだと思う。「当然政治家の責任は問います」って、何だろう?



谷垣:
われわれ自民党は、自助、共助、公助によるきづな社会を打ち立てたいと考えております。あくまでもまず個人の自由と努力が基本として尊重されるべきであります。それを、家族や地域社会など、顔の見える間柄同士で、ともに支えあう暖かさを大事にし、そしてそれだけでは立ち行かないところを住民全体あるいは国民全体で相互に助け合う公的互助システムすなわち公助が必要です。それが真に個人を大切にすると共にお互いが助け合う真心をも大切にするきずな社会だと考えます。
 これに対し鳩山政権の政策は、各家庭にまんべんなく巨額の支給をするなど、いきなり公助ありきの社会を作ろうとしております。それでは一時的な人気取りではあっても、個々人の努力や創意工夫に応えることにはなりません。自助努力を阻害し、日本が厳しい国際競争の中で勝ち抜いていく底力もそぎ落としてしまいます。そのうえ高額所得者など、必要のない人にまで貴重な税金をただ漫然と投入することになります。頭ごしに生活のかてを万民に与えるのではなく、いかにそれを自ら得るかのすべを与え、生きる力を備えてもらうようにすることこそが、政治の正しい役割なのではないでしょうか?総理のお考えを伺いたく存じます。
 現在、社会保障制度や財政の持続可能性への懸念が国民の将来に対する大きな不安の要因ではないでしょうか?これを払拭し、わが国が目指すべき国の形は、大きな負担を余儀なくされる北欧諸国のような大きな政府でもなく、また、国民会保険制度がなく、セイフティーネットが不十分とされる、アメリカのような小さな政府でもなく、適切な規模の中福祉中負担国家だと考えます。しかるに民主党は、のっけからとてつもないバラマキを行い、概算要求における歳出規模も、いっきに100兆円近くに迫ろうという勢いです。そのような大きな政府にすることは、結局国民に大きな負担を押し付けることになり、そのことに口をぬぐっておられることは、きわめて無責任であると考えます。民主党は、高福祉高負担でわが国が存続できるとお考えなのでしょうか?低負担を補える打ち出の小槌をお持ちなのでしょうか?あるいは高福祉高負担の国家を目指そうとされているのでしょうか?総理ご自身わが国のあり方をどうお考えなのかご見解を伺います。


鳩山:
 国づくりと政治の役割についてのご質問を頂きました。私はあえて所信表明の中で、政治の役割はそれほど大きくないのかもしれないと申し上げたんです。すなわち、新しい公共という概念がこれから21世紀の日本のみならず、世界の社会の中で、最も重要な概念だと申し上げて参りました。すなわち、人を支える役割を、今までは官中心でありましたが、官のみでなく、民もしっかりと参加していただいて解決をする、このような役割をもった新しい公共をこれから実現していくのが、私ども新政権だと考えています。すなわち、全国各地で子育て会合、医療、教育、まちづくり、こういった問題に対して自分達で、身近な問題を解決していこう、こういう動きが、特に市民やNPOの皆様がたの中で広がって参ります。私どもはむしろこういった市民やNPOなどの活動を、政府として支援を申し上げる、こういう役割だと考えております。
 それから福祉と負担のあり方についてのご質問がございました。さきほど、100兆円近い大きな予算を考えていると、そのようにおっしゃいましたけれども、102兆円の補正と合わせた予算を提出されたのはどちらなんでしょうか?(ヤンヤの拍手)私はむしろ、だから申し上げたい、大きな政府とか小さな政府という前に、政治は弱い立場の人々のためにあると、申し上げたところであります。(拍手)したがって先ほども申し上げましたけれども、市民やNPOなどの活動を、政府が支援をすると、これが新しい21世紀の政治の役割だ、そう考えますと結果的に、それほど大きな負担にならなくとも、大きな幸せというものを享受できる社会を作ることができるんだ、私たちはそのように考えているところであります。


僕:この部分は谷垣のこの日の質問の中でも僕の琴線に触れた部分だった。家族にとって、そのはじめからいきなり国にカネがタダでもらえる社会って、人間を腐らせないだろうか?自分たちは独立しているという自負心を損ねるのではないか?自助の精神というのは、古今東西、普遍的な価値を持つと思うが、それを損ねる政策ではないだろうか?谷垣の言う通りで、与えるべきは、カネじゃなくて、自分で自分を助け支えるスキル、生命力ではないだろうか?
 ただ、この部分の鳩山の議論も興味深いと思う。人々が地域社会などで市民やNPOが公共的な活動をし、それを政治が支援するような社会というのは興味深い。ドラッカーによれば、アメリカにはこういう公共のために働くボランティアがたくさんいるという。そのあたりは、日本や欧州とはずいぶん違いがあるらしい。鳩山の議論は興味深いが、それが日本に根付くのかどうか、全然実感ができないものがある。そもそも政治がかけ声をかけただけで社会構造を変化させることが歴史上そういう例が一つでもあるのだろうか?民主党政権の発想は、介護産業がこれからの成長産業だとか、農業に所得保障をすることでそこに雇用が生まれ、内需の拡大にもなる、みたいな、政府が価値を認めればとうぜん社会もそれと同じような価値観を抱くと思いすぎてはいないだろうか?政府が主導してうまく社会に浸透した例としては、せいぜい「クールビズ」ぐらいじゃないだろうか?



谷垣:
政権発足後40日あまりたちましたが、鳩山政権の政策は、戦略性や政策体系としての一貫性がまったく欠如しているものと断ぜざるを得ません。各パーツのいいとこどりのホッチキス止めであったり、国内の政治的局地戦を優先するあまり、大きな国益を損ねている感が否めません。
 まずは、経済財政等についてお伺い致します。わが国経済は世界同時不況のあおりを受けて、深刻な危機に直面しましたが、景気の底割れを防ぐべく、矢継ぎ早に経済対策をとってきたところです。とくに今年度補正予算では、15兆円もの対策を講じました。しかし、世界経済は今なお先行き不安材料を抱えており、二番底懸念が指摘されております。にもかかわらず、民主党はその補正予算を取り崩すことのみに力を傾注し、地方の方々から、次々と不安の声が上がっております。これでは景気の二番底を自ら作り出しているようなものです。先般、無駄排除などと大義名分を立て、補正予算のうち2兆9千億円余りの執行を停止されました。国民に不安や戸惑いを与えておいて、いたずらに政治空白をもたらすだけではありませんか。凍結された事項について、無駄かそうでないかの判断基準を総理は是非具体的にお示し下さい。併せて、100兆円以下だ、以上だ、92兆円以下だという議論まで閣内で持ち上がっていたようですが、今後の経済対策も踏まえつつ、来年度の予算編成では、総額何兆円規模が必要か、総理と亀井国務大臣のご見解をお聞かせ下さい。


鳩山:
 平成21年度、第1次補正予算の執行見直しの考え方についての質問がございました。私どもは、コンクリートから人へ、と非常にわかりやすいメッセージを、国民のみなさま方に提示をし、そして選挙を戦い、政権交代を実現して参りました。したがってアニメの殿堂のような、このような予算に関しては、執行停止をさせた、いうことであります。(拍手)今回の補正予算の執行の見直しは、地方団体向けのもの以外の基金事業とか、あるいは官庁等の施設整備費等をはじめとして、各大臣が必要性、緊急性の観点から、厳しく優先順位を見直したものであります。その際に、言うまでもありません、地域経済や国民生活などに与える影響も勘案しながら、執行の是非を判断したところであります。

 それから平成22年度予算編成についてのご質問がありました。言うまでもありませんが、平成22年度予算については、これから概算要求の中身を具体的に精査をしていくものでございます。そこにおきましては、無駄使い、あるいは不要不急な事業をまず見直すなどによって、財源をキチンと確保していきながら、マニフェストの工程表に掲げられた主要な事項というものを実現するために全力を傾注して参る所存であります。そのさい、申し上げておきますが、私どもは一般会計だけではなく、特別会計も合わせて考えて参りたい。そのように思っております。(拍手)


亀井大臣:
 申し上げるまでもないことでありますが、予算の総額は、鳩山政治を具体的に実現をしていく政策の積み上げの中で決まっていくことでありまして、予算総額はその結果決まっていくことでありますから、予め額を決めてやることではないと考えております。


僕:谷垣は「民主党は補正予算を取り崩し、地方から不安の声が上がっている。景気の二番底を自ら作り出しているようなものだ」と言うのに対し鳩山は「地域経済や国民生活などに与える影響も勘案しながら判断した」と。どちらが正しいかは数ヶ月後に分る。



谷垣:
 ここで、強く指摘しておきたいのは、この政権には、経済成長戦略が欠けているということです。そもそも成長の目的とは、国民所得を上げ、雇用を増やすことにあります。それを何よりも優先させるべきなのです。子ども手当や高速料金の無料化などによって、家計をうるおすことが、何よりの景気対策だと言っておられますが、それは、財源となるべき他の歳出削減とトータルで見れば、今の景気を、かけって冷え込ませることになりませんか?それに加え、最低賃金や労働者派遣制度の見直しも掲げておられます。最低賃金について言えば、総理のお地元の北海道では、678円の水準ですが、これを1000円程度に引き上げられる企業が、どれほどあるんでしょうか?かえって深刻な雇用問題を引き起こすのではないでしょうか?


鳩山:
 景気対策についてのご質問がありました。新しい内閣は、経済合理性や経済成長率というものに偏重しないで、国民の暮らしの豊かさに力点を置いた、人間のための経済というものを目指したい、そう申し上げたところであります。歳出削減がすすめられていく一方で、子ども手当やあるいは高速道路の無料化、こういった施策によって、家計が潤い、消費などが増加することが当然見込まれて参ります。こうした政策を一つ一つ着実に実行することによって、日本経済が自立的な、民需、いわゆる内需を刺激することによって回復軌道に乗っていくことが充分に期待されているわけであります。
 最低賃金の引き上げについてのご質問がありました。これは言うまでもありませんが、真面目に働いておられる人が、生計を立てられるようにするためには、最低賃金の引き上げに取り組むことが重要だと私たちは考えているんです。今後、このいわゆる、歯を食いしばって必至に頑張っている中小企業の皆様がたのことにも充分配慮しながら、中小企業における円滑な実施をはかるための財政上のあるいは金融上の措置というものを実施をしながら、雇用の安定にも配慮して、最低賃金の引き上げについて取り組んで参りたいと思っております。最低賃金1000円を目標としておりますが、いっきに1000円にすぐにすぐに到達をするということはなかなか厳しいということも、充分理解しているところであります。


僕:この答弁は鳩山カラーが強く出ている。経済成長率をあまり重視しない社会を作るんだ、と言っている。では経済に依拠しない豊かさとは何か?それをどう作っていくのか?仮に鳩山の中にハッキリしたビジョンがあるとしても、そんなぶっとんだものを今の政権が作る能力があるのかどうか。


谷垣:
企業は、雇用機会を作るという意味で、家計にとっても大切な存在です。さらに、コンクリートから人へと主張されていますが、ダムや道路は、治水やライフラインともなって国民生活を守るセイフティーネットでもあります。浅薄なキャッチコピーでは、国民の安心安全は守れません。企業や公共事業を国民生活にとって非効率なものや有害なものといたずらに決め付けているのではありませんか?
 総理が描かれる成長戦略は、何をもって成長につなげるのか。景気や雇用を何をもって改善するのか、根拠があれば、それも含めてお聞かせ下さい。


鳩山:
 企業や公共事業は非効率で有害かというご質問がありました。私どもは、企業が非効率で有害かとは一言も言っておりませんし思ってもおりません。また、公共事業に関しても、すべてがいたずらに非効率で有害だと決め付けているわけではありません。大規模な、しかしながら、公共事業が、国民にとって本当に必要なものかどうかをもう一度よく見極めることが必要だ、そして、その中で、必ずしも必要でないものはやめようではないか。真に必要なインフラ整備に関しては、戦略的にすすめて参ろう、こういう趣旨でございます。言うまでもないですが、企業というものはいたずらに利益を追求するだけではなく、雇用を生み出し、社会的に意義のある事業の担い手であることは論を待ちません。公共事業依存型の産業構造を一方では転換をして、低炭素型の産業、あるいは医療や介護、子育てなどの産業を育てていく、そして新しい雇用と需要を生み出して参りたいと考えております。
 成長戦略について、具体策についてご質問がございました。私どもは、まず考え方として基本に、人間のための経済、まさに先ほど申し上げたように経済成長率至上主義に陥ってはならない。その反省の中から、人間のための経済というものを重視をして参りたい。その意味において、わが国が経済成長を実現していくために、イノベーションの強化を通じた世界最高の低炭素型産業を創造したり、あるいは、暮らしの安心を支える医療や介護、あるいは地域を支える林業、農業、あるいは観光、こういった分野での、内需中心の産業の育成、あるいは教育、子育てというものもあろうかと思いますが、こういったものを通じて、新たな雇用、さらには需要を生み出して参ります。あわせて、これもアジアの成長を後押しをしながら、その活力も取り込んで参ります。こういった取り組みを行っていくことによって、景気回復と雇用創出の双方を実現したいと考えております。


僕:ここには鳩山首相の描く新しい経済社会像がある。でも、経済至上主義になってはいけない、みたいに言っているので、鳩山は新しい「豊かさ」を経済の外に求めようとしているように思える。その一方で「人間のための経済というものを重視したい」と。つまり、鳩山が作ろうとしている新しい社会では、「豊かさ」と経済の関係がよくわからない。
 ドラッカーによれば、100年前には、どの先進国も、農業つまり第1次産業が最も労働人口が多く、生産量も多かった。それが、50年前に、製造業など第二次産業がとって代わった。農業は生産量が増えたにも関わらず、労働人口は劇的に減り、GDPに占める割合でも先進国ではごくわずかとなった。そして今、先進国ではその2次産業も、3次産業にとってかわられた。労働人口でもGDPに占める生産量でも、かつての農業と同じような凋落傾向をたどっている、と。先進国は、脱工業化し、2次産業から3次産業中心の社会にすでに移っている。しかるに鳩山政権は、林業、農業みたいな産業を振興することで新たな雇用、新たな需要なんて言っている。この世界第2位(まもなく中国に追い抜かれて3位になる予定だが)の規模の経済を、よりによって農業で牽引できると思っているかのようで、これもまた従来の常識を逆撫でするような挑戦的なビジョンではないだろうか?



谷垣:
 民主党は、マニフェストで、無駄排除で9.1兆円も捻出できると主張し、総選挙においても、政権交代すれば、予算の組み替えによって、1割ぐらいはすぐに無駄をなくせるという主張を繰り返しておられました。総理は、選挙期間中の党首討論で、歳出削減について、「まったく心配しておりません」とこともなげに言われました。そうであれば、7.1兆円と言われる来年の新規歳出の財源は、9.1兆円の歳出削減によって、なおお釣りが来るはずであり、現段階で国債増発の議論など出てくるはずもありません。責任をもって、まずはそれを確実に実行すべきです。ここに改めて、歳出削減を速やかに実行してみせるとお約束下さい。今までの予算は、無駄だらけだったからこそ、それを財源に新規の恒久的な施策ができると公言されたのですから、それに見あう恒久財源を示すべきです。補正はがしのような単年度の財源、埋蔵金を充てるといったフィクションで世を欺くことがないよう、責任ある政治を求めます。総理の明確な意思をあらためてお示し願います。
 さらにマニフェストでは、新規歳出、16.8兆円の財源を同額見出すとされておりますが、仮に財源が確保できたとしても、それを片っ端から使い切ってしまうわけですから、財政収支の改善はまったくなされません。そればかりか、高齢化等による社会保障費の自然増で、収支は悪化する一方となります。すでに来年度の予算編成においても、税収が借り入れを下回るのではないかという状況ですが、これでは債務残高が膨らむばかりで、まさに破綻のシナリオであります。これほど無計画な予算が組まれていくならば、市場からの信用は失墜し、金利は高騰、住宅ローンや中小企業の借入金の金利も跳ね上がり、国民経済が立ち行かなくなるのは必至であります。良いことばかりを国民に吹聴した結果、大惨事をもたらすようで、責任ある政党と言えるんでしょうか?少なくともわが党は累増する社会保障費を賄うべく、消費税を含む税制抜本改革を行うこととし、その道筋も含めて、先の通常国会で法制化したところであります。それにひきかえ民主党は、2年前の選挙ではマニフェストに「2011年には国・地方の基礎的財政収支を黒字化する」と書いておられましたが、今回のマニフェストでは、財政健全化に向けた姿勢は、まったく見られません。こういった姿勢の後退を、国民にどう説明されますか?政府として、どう責任をもって財政健全化をすすめていくのか、あるいは財政健全化目標は不必要とお考えなのか、成長等の見通し等を含めた、マクロ経済、財政運営の基本方針と併せて、総理のお考えを具体的にお示し下さい。

谷垣総裁代表質問(その2)3

鳩山:
 マニフェストに基づいた歳出削減についてのご質問がございました。9.1兆円というお尋ねは、これは特別会計と合わせての話でございます。無駄遣いや不要不急な事業を見直すことなどによって、マニフェストの工程表に掲げられた主要な事項を実現することが最優先だと、これは先ほども申し上げたところでありまして、このために仙石大臣を中心に、行政刷新会議というものを設立をして、そこで事業仕分けを含めた、歳出の抜本的な見直しに着手したところでございます。今後の予算編成過程において、行政刷新会議と各省で協力して思い切った歳出削減に取り組んでいただいて、その中で財源を必ず確保して参ります。
 それから予算編成における財源の確保についてのご質問がございました。何か、埋蔵金をあてるなどと言ったフィクションで世をあざむくようなことがないよう、そんな話がありましたが、そもそも埋蔵金がないと仰っていたのは、どちらの政党なんでしょうか?(ヤンヤの拍手)そして、われわれ、私どもの指摘で、埋蔵金というものがあるではないかと申し上げた途端に、埋蔵金に飛びつかれたのも、どなたらなんでしょうか?(拍手)私どもは、マニフェストの工程表に掲げられております主要な事項を実現するにあたって、ムダ使いや不要不急な事業を見直すことなどによって、財源は必ず確保できる、そのように確信をいたしておるところでございます。この恒久的な財源が必要ではないか、そんなお話がありましたが、恒久的な財源、たとえば消費税の増税などのことを見通しておっっしゃっておられるんだろうと思っておりますが、このようなことを国民に強いるためには、まずは国民の皆さんに、政治に対する信頼が回復されなければならないんです皆さん。(拍手)私どもは、政治に対する国民の皆さんの信頼というものの回復をまず果たすために全力を尽くしていきたい。その前に、消費税の増税を行う必要はないと、そのように考えているのであります。
 来年度予算編成においても、すべての予算を組み替えて、新たな財源を当然見出して参ります。それから財政健全化のすすめ方、経済財政運営の基本方針についてのご質問がございました。平成22年度の予算編成においては、マニフェストに従って、新規政策を実現するために、すべての予算を組み替えて、新たな財源を生み出すことによって、財政規律を守り、国際マーケットの信任を確保することができると考えております。中長期的な経済財政運営のあり方については、国民の暮らしを守るための財政のあるべき姿を明確に示した上で、長く大きな視野に立った財政再建の道筋を検討すると所信表明でも申し上げたところでございます。その一環として、23年度以降、菅大臣のもとで、国家戦略室において、中期財政フレームの策定を検討して参ります。


僕:これらの問題については、すべてこれからです、という表明。このごろよく聞くようになった「事業仕分け」という方法がどこまで有効に機能するかが、鳩山政権の命脈を握っているようにも思う。たしかに官庁だから無駄はあるに決まっているのだ。ただ、官庁からそういう無駄を削ることが果たして可能なのかどうか。



谷垣:
次に、外交安全保障政策等について伺います。外交安全保障政策は、国家の根幹に関わるきわめて重要な政策であると共に、国際社会におけるわが国の果たすべき責任を明確に示すべきものでもあります。これまで築き上げてきた各国との信頼関係を前提として、さらに発展させていくことが、わが国の国益に合致するものであり、政権が変わっても、変更にあたってはきわめて慎重な検討が必要であります。昨日も北沢防衛大臣は、普天間の現行案容認、給油対策を海賊対策に転用するなどのお考えを示されましたが、新政権発足以来、鳩山総理大臣、岡田外務大臣、北沢防衛大臣等、閣僚の発言に多々食い違いが見られますが、そのことによって、各国からわが国に不審の念を持たれ、外交関係に支障をきたすのではないかと、大変危惧しております。
 民主党は日米地位協定の改訂を提起することをマニフェストで明確に掲げられました。米軍再編、普天間基地移設問題や、在日米軍のあり方についても、見直しの方向で臨むとされております。さらには政権として補給支援法の単純延長もやらないと明言されております。これらの問題について、総理のご見解を承りたいと存じます。
 総理は、緊密かつ対等な日米同盟を標榜されておられますが、一歩間違えればそれどころか、日米の信頼関係に亀裂が生じ、安全保障政策が立ち行かなくなるのみならず、両国の経済関係や国内のさまざまな施策に波及し、国民の生命、財産を大きく脅かすことになります。明確な代替案もないまま、日米間の合意事項を一方的に見直すということであれば、同盟関係の弱体化にもつながりかねません。具体的にどこをどう変えるのか?総理は是非明確にご説明願います。また、普天間問題については、福島国務大臣からも伺いたく存じます。


鳩山:
 それから、日米地位協定、米軍再編、普天間基地移設問題、在日米軍のあり方についての質問を頂きました。日米同盟は、日本外交の基軸である。言うまでもありません。明年は日米安保改訂50周年という節目の年であります。中長期的な視野に立って、日米同盟を重層的に進化をさせて参ります。その観点から、ご指摘の点を含めて、今、包括的なレビューを行っているところでございます。
 その中で、在日米軍再編については、安全保障上の観点も踏まえて、過去の日米合意などの経緯も慎重に検証した上で、沖縄の方々の思いをしっかりと受け止めながら、真剣に取り組んで参ります。
 普天間の移設問題に関して、今まで10年以上結論を出さなかったのはどの政権なんでしょうかと申し上げたい。(ヤンヤの拍手)言うまでもありません、最後の意思決定は私が行わせてもらいます。
 補給支援特別措置法の延長についてのご質問であります。インド洋の補給支援活動は、文字通り単純延長はいたしません。アフガニスタンをはじめ、国際社会にも真に喜ばれる日本の支援のあり方は何か、それは今、そのことを真剣に慎重に調査をしているところでございまして、最も望まれている支援を積極的に行うことが重要だと考えております。


福島大臣:
 谷垣議員にお答えをいたします。普天間基地についてのご質問がありました。三党連立政権の政権合意に、沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改訂を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても、見直しの方向で臨むとあります。特に普天間基地の問題の解決にあたっては、沖縄県民の負担軽減の観点から、対応していくべきものと考えます。


僕:これについてもすべて「これからです」。鳩山首相は、まだ何も結論が出せずにいることを質問されると、「今まで結論を先送りしてきたのはどちらの政権でしょうか?」なんていう、あんまり与党らしくもない皮肉を言うことにしているのかもしれない。


谷垣:
 なお、昨夜の護衛艦くらまと、コンテナ船の衝突事故につきましては、
一刻も早い原因の究明をお願いいたします。


鳩山:
 昨夜、海上自衛隊の護衛艦くらまが貨物船と衝突をし、国民の皆様がたにご心配とご迷惑をおかけいたしました。政府といたしましても、情報収集に努め、危機管理に万全を期したところであります。今後も、しっかりと原因の究明を行って参りたいと存じます。




谷垣:
 地球の温暖化問題について伺います。総理は、温室効果ガスを90年度比25%減という目標を、いきなり国際公約されました。この問題への対応の本質は、中国、米国などの大排出量の国々を国際的な枠組みに入れ、実効ある削減を図っていくことであります。今後いかなる交渉戦略で米中の参加を実現しようとしているんでしょうか?総理は、米中が意欲的な目標を出すことを前提条件とされているようでありますが、その具体的な中身は何でしょうか?オバマ大統領の主張しておられる、90年比横ばいは、意欲的な目標にあたるんでしょうか?相手への要求があいまいなままでカードを切るのは、交渉ではなく単なるパフォーマンスです。年末のコペンハーゲン会合で米中の実効ある枠組み参加が決まらなければ、どう対処されるのでしょうか?今後のシナリオをよく考えて提案されたのでしょうか?
 また、25%削減達成のための方策や、そのコスト、経済成長率や産業空洞化への影響、家計への負担、雇用に対する影響をどう考えておられるんでしょうか?一国の総理が国際公約をされる時に、これらの検討をしないで数字を言うことは、ありえません。これまでの政府の試算では、失業者の120万人増、所得の16%低下等の数字を出しております。どこがどのように間違っているから、25%削減に踏み切ったのでしょうか?一部には、海外から排出権を買ってくればよいという議論もあるようですが、結局は国民負担であります。どのくらいの負担を想定されているんでしょうか?
 地球温暖化問題に各国は国益をかけて、厳しい国際交渉をしております。これらは国際交渉をすすめていくうえで、わが国の国益を守るため、当然検討すべきことであります。国民に納得できる交渉戦略と、裏づけとなる数字を示すことを強く求めます。総理ご自身の言葉でご開陳願います。


鳩山:
 それから気候変動に関する今後の交渉戦略についてのご質問がございました。9月22日、私は国連の気候変動首脳会合において、すべての主要国による公平かつ実効性ある国際的枠組みの構築や、意欲的な目標の合意を前提として、温室効果ガスを90年比25%削減という野心的な目標を率先して掲げたところであります。またこれも、先進国と途上国との間の架け橋を日本として先進国は役割を果たさなければならない、その思いのもとで、途上国支援のための、いわゆる鳩山イニシアティブというものを提唱したところでございます。思い切った削減目標、あるいは途上国支援というものを打ち出すことによって、国際交渉を通じ、主導していく。国際的な枠組み、その枠組みの中にアメリカや中国の参加を促していきたいと考えております。言うまでもないですが、私が国連で打ち出したことによって、コップ15、コペンハーゲンで12月に行われますが、コップ15を失敗させてはならないという国際的な機運が湧き上がっていることも、これも事実であります。まさにこういったモメンタムを作らして頂いた。これを加速させて、アメリカや中国にも協力をしてもらえる状況を今作りつつある、努力をしている所存、ところでございます。
 それから、日本の温室効果ガスの削減目標の前提条件である米中の意欲的な目標、それは何かという質問でございます。米中を含めた、主要国にとっての意欲的な目標が何か、ということは、今後の国際交渉の中で明らかになっていくものでありまして、現時点では明らかではありませんし、また明らかにしてはならないものであります。いずれにしても、すべての主要国が互いに検証、評価をできる形の中で、それぞれの状況に応じた、最大限の目標を掲げることが重要であり、そのために日本としても全力を尽くす、ということでございます。
 コペンハーゲン会合に向けた今後のシナリオや戦略についてという質問がございました。先ほども申し上げましたけれども、国連演説によって、きわめて大きな前向きのモメンタムが出て参りました。それが世界の風潮になってきています。従いまして、世界全体の温室効果ガスを削減をするということが重要なのであって、思い切った削減目標や途上国支援を打ち出すことによって、アメリカや中国などの主要国の参加を今後促すことに全力を傾注して参りたいと思います。言うまでもありませんが、アメリカや中国などが主要国が参加しない状況を前提とした戦略というものは、考えてはおりません。
 25%達成のための国民負担についてのお尋ねでありましたが、25%の削減は、これは温暖化を止めるために、科学が要請する水準に基づいたもので、それに基づいて私どもが表明をしたわけであります。旧政権における、経済影響、家計負担の分析、あるいはその結果の表現方法については、マイナスのみならず、プラスの効果もあると、その扱いなども含めて、さまざまな課題が存在しているところでございまして、これは、経済成長率や家計、産業、雇用に対する影響、あるいは海外クレジットの獲得による影響等について、閣僚委員会のもとにタスクフォースを現在設置をして、鋭意検討しているところでございまして、今しばらく時間がかかりますが、それほど間がなく結論が出るものと期待をしております。


僕:ここにも、民主党政権の、自分たちが決めれば社会もその通りに動く、みたいなちょっと無理な発想があると思う。この25%削減というのは、民主党のマニフェストの中には書いてあるが、まだまだ国民的な合意が形成されたというのとはほど遠い、というか、ほとんどの国民にとっては初耳だったのではないだろうか?こういう旗を掲げれば、日本社会もその通りに変わる、という権力者の素朴すぎる思い込みがあるのではないか?25%削減を掲げ、産業界の尻を叩けばイノベーションだって起こせる、と思っているのだろうか?


谷垣:
 次に、当面の政権運営について伺います。政治主導の予算編成や、経済財政運営の司令塔として、鳴り物入りで国家戦略室を設けたにもかかわらず、いまだに充分な体制が整っておらず、行政支出総点検会議は、行政刷新会議に看板が架けかわっただけの状況です。経済財政諮問会議がなくなり、成長戦略も、財政健全化のビジョンも、鳩山内閣として議論する場がありませんが、国家ビジョンがないだけでなく、ビジョンを打ち立てるつもり、姿勢が欠落しているんではないでしょうか?国民生活がかかっている予算編成についても、全体をどう組み立てるのか、その司令塔の不在をどのようにお考えでしょうか?この役割は、総理なのか、菅大臣なのか、仙石大臣なのか、あるいは藤井大臣なのか、それとも財務官僚なのか、どういう分担で、どなたが主導されるのか、総理として、内閣の方針をお示し下さい。


鳩山:
 新内閣のビジョン、予算編成全体の組み立てについての質問がございましたが、成長戦略も財政健全化のビジョン、ビジョン自身がないかのようなお話がございましたが、あなたがたに言われたくないと思われます。(ヤンヤの拍手がしばらく続く)より正確に申し上げれば、こんな財政にしたのは誰なんだということであります。(ヤンヤの拍手)旧来型の政官業癒着に基づいた成長戦略とは一線を画したものを私どもは考えて参ります。新内閣は戦後行政の大掃除を行う、税金の無駄遣いを徹底して排除する、そして税金の使い道と予算編成のあり方を徹底的に見直して参ります。すなわち、コンクリートから人へという理念に基づいて国民の暮らしを守るための財政のあるべき姿を明確に出して参ります。こういったビジョンを明確に、私どもはうちだしているところでありまして、これに基づいた予算編成を行って参ります。
 予算編成の司令塔についてのご質問がございましたが、司令塔は私でございます。国家戦略室は、税財政の骨格や、経済運営の基本方針を立案して、予算編成のあり方を徹底的に見直して参ります。行政刷新会議は、歳出を徹底して、まず見直して参ります。そのうえで、具体的な予算編成は財務大臣が中心に行う、このように役割分担がしっかりできているところであります。


僕:やっぱり「財政のあるべき姿を明確に出して参ります」と、まだ何も決められてません、という時には「あなたがたに言われたくない」なんて皮肉を言うことにしてるらしい。でも、これは谷垣自民党総裁の質問だけど、国民も聞いていると思って答えるべきだと思う。こういう言い方は自信のなさの裏返しに違いないと思う。ここで、菅さん、仙石さん、藤井さんの役割分担について、どうもよくわからない。まず菅さんの「国家戦略室」が「骨格」や「基本方針」を決め、仙石さんの「行政刷新会議」で「歳出の見直し」、それから藤井さんの財務省で「具体的な予算編成」ということらしい。この3段構えだけど、仙石さんは、岩のように大きな問題があった時に、それを噛み砕いて消化しやすいようにしておいて財務省に持っていく、という感じなのかな。


谷垣:
 マニフェスト通りにやると、マニフェストを金科玉条の如く各大臣が言っておられますが、高速道路の無料化、暫定税率の廃止などのように、専門家が異論を唱えている項目や、八ッ場ダムのように、地元関係者の声を無視して掲げた項目もありますし、温室効果ガス削減目標のように、科学的検証や国民的議論が余りにも欠落したままの項目もあります。おのおのの政策が問題をはらみ、実現可能性がきわめて疑わしいものも散見され、一部の人間が拙速に作ったとしか思えないような内容のマニフェストであります。
 はっきりと申し上げます。民主党のマニフェストは羊頭狗肉です。政権についた以上は、看板だけでなく、国民に提供する商品を早急に見せて頂きたく存じます。自民党は、民主党の掲げて看板の多くは無責任であり、公正でもないと反対して参りましたが、野党の当然の責務として今後も徹底的に政策論で戦います。選挙前につくられたマニフェストの内容には、まったく問題はないと言い切れますか?総理のご認識をお聞かせ下さい。


鳩山:
 民主党のマニフェストの是非についてのご質問がございました。決して私どものマニフェスト、羊頭狗肉だとは思っておりません。マニフェストの第一は、先ほどから何度も申し上げておりますが、無駄使いの徹底的な排除でございます。それから、政策的には、人の命を大切にする、そういった事業、さらには内需を刺激する事業を最優先するマニフェストを作成しているところでございまして、基本的な方向はマニフェストの内容に問題ががあるとは決して思ってはおりません。




谷垣:
 また、政策決定過程においては、関係者の意見に耳を傾け、議論を尽くす姿勢が必要ではないでしょうか?政治主導を呼号する政務三役と、萎縮した行政官の関係では、具体的な事実関係の把握にも支障をきたすのではないでしょうか?関係者や国民の声を真摯に受け止めるとともに、真に国民のためとなる、総合的大局的判断を政治家が自らの責任において行うことこそが、政治主導であると考えます。むやみやたらな政治主導は、政治家を無駄な瑣事にかかずらわせる余り、最終判断や責任といった、本来の責務をおろそかにさせるばかりか、政治権力の行使に、必要な自制心を失わせ、政治主導という名の政治暴走になりかねません。八ッ場ダムの問題や、日本郵政の人事に、その萌芽を感じておりますが、総理の言われる政治主導とは何たるかをご説明下さい。


鳩山:
 政務三役と行政官の関係、さらに政治主導とは何か、というご質問がございました。行政官は、決して、あなたがたが心配しておられるほど萎縮しておられません。政治家がしっかりと最終責任を負うと、しっかりと政治家が責任を負うよ、ということをわれわれが担保しておりますので、むしろ今まで以上に行政官はやる気をもって頑張ってくれている、そのように感じております。したがって、事実関係の把握に支障をきたしているということはありません。
 さらに、政治主導について申し上げれば、今までがあまりに官僚に頼りすぎていた、そしてうまくいかない時には、その責任を官僚にかぶせて、政治が責任を回避してきた。これが大きな問題だったと指摘いたします。政治主導というのは、政治家がしっかりと責任を、最終的な責任をとるということであります。官僚のみなさま方、行政官の皆さんには、その意思決定のための資料、データなどを政治家に提供していただくということになります。何を瑣事と呼ぶかにもよるのでありますが、瑣事のすべてに至るまですべて政治家が行うべきだと考えているわけではありません。そして、八ッ場ダムとか日本郵政人事に関して、あたかも暴走みたいな話がありましたが、決して暴走だとは思っておりません。


僕:これは、具体的には、亀井大臣に典型的にみられる政治暴走を谷垣が分析しているところで興味深い。政治のインサイダーでなければ出てこない見解だと思う。


谷垣:
 そもそも、マニフェスト通りと言い募るだけでは、言論の府たる国会審議は事実上無意味になり、代議制民主主義の否定とならざるを得ません。国権の最高機関を大切にし、国政を決定するにあたっては、国会での審議を十二分に尽くされるべきと考えます。
 さらには、政権に入っていない与党議員については、意見を政策に反映する場が充分にはないようでありますが、それで民主党は民意を汲み上げることができるんでしょうか?国会議員の仕事は、委員会と本会議の採決への出席のみで事足りるんでしょうか?党や国会のことは、小沢幹事長にまかせるなどということではなく、鳩山総理の明確な姿勢をお聞かせ願います。その上で堂々と、われわれ野党と国会論戦に臨まれることを強く希望いたします。


鳩山:
 マニフェスト政策の国会審議についてご質問がありました。マニフェストの適否を存分に皆さん議論しようじゃありませんか。私どもはマニフェストに書いてあるもの、連立与党で合意したものを、一つ一つ政府として、政策にまとめてそれを法案にしたり、あるいは予算にして提出して参ります。それをどうぞ、大いに国会の中で議論しようじゃありませんか皆さん。従いまして、国会審議は無意味だとはまったく思っておりませんし、しっかりと行うべきだと考えております。
 与党議員のあり方についてのご質問がございましたが、政府に入っておられない与党議員の皆様がたも、それぞれの政策会議におきまして、ご自身の意見を述べる機会は充分に用意をしておるところであります。政策会議におきまして、与党議員の意見を十分に参考にさせていただいて、それを政府が政策にし、あるいは予算付けしていくところでございまして、したがって、その場において、民意を充分に汲み上げることができると考えております。





谷垣:
 また、総理のいわゆる個人献金の問題等については、連日のように報道がございます。政治とカネの問題を明確にされることは、自民党に居られた頃からの総理の政治家としての原点であったと存じます。であるからこそ、総理自らこの問題について、国民の納得される説明をされることを強く望みます。


鳩山:
 最後に献金問題の説明についてのご質問がございました。私はおっしゃる通りクリーンな政治を、政治家として今日まで求めて参りました。それを原点として参ったことも事実であります。個人献金の問題に関して、国民の皆様がたに大変なご迷惑をおかけしたことを、心からお詫びを申し上げたいと思います。私自身も当事者の一人でございますので、調査を委託をして、解明されたことを発表申し上げ、収支報告書を訂正を申し上げ、さらに残された疑問点を含めて、調査の続行を依頼したところでございます。その後、ご案内の通り地検が捜査に入ったわけでありまして、その後は捜査に全面的に協力をするように指示しているところでございます。これは言うまでもありませんが、選挙の結果を踏まえて、一つ一つ政策を遂行していくことが、私に与えられた最大の責務だと考えているところであります。



谷垣:
 政治に夢がないと言われて久しくなりますが、あえて政治は夢を語り、国民に希望の光を示さなければなりません。わが国の歴史や伝統、文化、美しい四季折々の自然に、おおらかな自信を持ち、築き上げた先人たちに率直な敬意を感じるからこそ、それらを作り継承してきた個人の理性ある自由と努力の可能性を信じるものであります。私たちは、それらを礎に、新しい夢を作って参る所存です。

 わが党は野党の立場にはなりましたが、不毛な政争をやる積りは、毛頭ございません。正論を吐き続けます。国民のためになるという目的が同じであれば、与党に対案を出して、議論を尽くします。協力できることであれば、協力は惜しみません。もちろん、その前提として、政治は、正直に現実を国民に打ち明けなければ、うたかたの夢になるということも忘れてはならないことであります。
 民主党の皆さんにおかれましても、マニフェストを提示し、選挙に勝利された以上、それを実現することはもとより、鳩山総理および民主党が発言された政治姿勢については、将来ともご堅持頂き、責任ある政権与党として、精進されることを願い、私の質問を終わらせていただきます。

参院補選民主2勝3

 きのう10月25日(日)に行われた参院補選は、神奈川、静岡ともに民主党が勝った。神奈川では民主党新人の金子洋一が自民党新人の角田宏子を。静岡では民主党新人の土田博和が自民党新人の岩井茂樹をそれぞれ破った。
 だいたいどのぐらいの票を得たのかをみてみると、こないだの衆院選とほぼまったく変っていない。びっくりするぐらい同じだ。


 まず神奈川のほうだけど、民主の金子は投票総数の49%をとった。自民の角田は39%。民主金子は自民角田の1.27倍の得票だった。
 8月の衆院選で、神奈川の小選挙区を合計すると、民主党の候補に入れた人はやはり49%。自民党の候補に入れた人は39%。民主党の議員たちは自民党の議員たちより1.24倍得票した。つまり、8月の衆院選とほとんど同じ得票なのだ。(但し神奈川6区は自民党は独自の候補を立てず公明党の上田を推薦したので、上田の得票を自民党の得票とみなして計算に入れている。)

 次に静岡のほうは、民主土田は投票総数の52%をとった。自民岩井は37%とった。民主土田は自民岩井の1.40倍の得票だった。
 8月の衆院選で、静岡の小選挙区を合計すると、民主党の候補に入れた人は53%。自民党の候補に入れた人は37%。民主党の議員たちは自民党の議員たちより1.41倍得票した。

 これは、有権者たちが、神奈川、静岡という別々の場所で、先の衆院選とまったく変らぬ投票行動をしたことを意味すると思う。びっくりするぐらい変っていない。

 世論調査をみても、鳩山内閣は発足直後も、それから1ヶ月たった後もほとんど変化はない。たとえばNHKの世論調査だと、鳩山内閣の支持率は9月が72%で10月が70%。不支持率は9月が16%で10月が18%。やや支持が落ちたが、ほとんど変っていない。
 政党支持率をみても、9月は民主党42.0%、自民党18.9%。10月は民主党39.7%、自民党16.7%。両党とも少し落ちているが、ほぼ変らない。

 古い自民党政治を嫌い、民主党の新しい政治に期待して投票した人たちは、まだ民主党への期待を捨てていない。民主党の支持率はきわめて高い。
 でも僕は、民主党政権はそのうちズタズタになると思う。そうとしか考えられない。僕は、やはり日本には政権交代可能な2つ以上の勢力がなくてはいけないので、民主党にはまだまだ頑張ってほしいとは思う。でも、政策に無理があるし、そもそも筋が悪く、これからの時代のことをわかっちゃいないと思う。民主党には景気浮揚策がないとよく言われるし、その通りだ。でも閣僚たちに聞くと、これから介護の分野が成長分野だとか、自給率を高めるために農業で働く人を増やす、それが景気対策だとかわけのわからないことを言う人もいて、無茶苦茶もいいところだと思う。それらはどちらかというと社会福祉政策みたいなもので、そんなもので日本経済が牽引されたり、農業で日本のGDPを引き上げれるわけがないのに、そういうことを言う。亀井が暴れ回って無茶苦茶を言っている。借金を返さなくていいとか、この頃は良い談合もあるとか、革命的なことを言い出した。この不景気に、すでに組んである補正予算を削ることに内閣あげて夢中になっている。景気対策と真逆なことに血道をあげている。冷静にみたら、まともじゃないことばかりやっているのだが、やはりはじめての本格的な政権交代ということもあって、その熱がまだ冷めていない。だからこれだけ無茶苦茶なこともできる。
 で、なぜ民主党政権がこれだけ無茶苦茶なことをしなければいけないかというと、ひとつにはマニフェストを実行しなくちゃいけないから。なぜ実行しなくちゃいけないかというと、これが民主党政権の大黒柱だから。ほんらい民主党の内部も右から左まで幅広く、それに加えてすごい左の社民党と、かなり右というのかド保守と言ったほうがいいのか国民新党。これだけの人たちをまとめるには、マニフェストを金科玉条としなければ、バラバラになってしまう。イデオロギー的にもそうだけど、政権内の権力も、全体の政策を作るという菅副総理の国家戦略局が内閣にある一方で、亀井や福島の、連立与党首脳会議というのだろうか、それがあって、いっぽう民主党は小沢が仕切っていて、もしマニフェストという背骨がなければ、とたんにみんな好き勝手なことをし始めて、この政権はバラバラになってしまうことは間違いない。だからマニフェストを軸にするしかない。でもそこには景気浮揚策がない。
 たとえば、日本郵政の社長に元大蔵事務次官の斎藤次郎をもってきたとか、来年度予算が100兆円近くになるとかいったことは、致命的ではない。元大蔵事務次官を国営企業のトップに持ってくるのは、天下りである。天下り前面禁止と言っていた民主党の方針に違反するではないか、と言うけれど、そういうのは、外形ではなくて実質を見よ、って言って開き直っても構わないと思う。斎藤の場合は、局長になれなかった人が肩たたきで早期退職を余儀なくされるかわりに天下りさせるからそこで無駄なポストについてそこに出て行ってくれ、みたいなのとは違う。僕は郵政民営化見直しには反対だし、西川社長に圧力をかけて辞めさせたことには反対だけど、斎藤次郎を呼んだことを天下りだから駄目、というのは、批判が外形的すぎるからあんまり中身のある批判だとは思わない。

 僕は民主党政権がどういう終わり方をするのかはまだ分らないけど、可能性の一つは、不景気の二番底が予想以上に深刻な場合。90年代後半に橋本政権という人気のある政権があったが、財政引締めをして不景気が深刻化してグダグダになって、人気は急降下して98年の参院選でボロ負けした。来年の参院選がそれと似たものになる可能性は大いにある。そこで鳩山が引責辞任をする可能性があると思う。
 その他の可能性としては、不景気が深刻すぎて、景気対策をマニフェストよりも優先させなければいけなくて、マニフェストが政権の背骨たりえなくなった時、あるいは財政の関係から、たとえば子ども手当の政策を放棄せざるを得なくなるなどで、政権の方向が見失われた時、小沢、亀井、菅、前原などが勝手なことを言い出して収集がつかなくなる。こういう時にまとめるのは鳩山はものすごいうまいけれど、限界がある。それで現政権がつぶれる可能性。

 今日は臨時国家が開会して、鳩山総理は元気に演説していた。政権1ヶ月目にしてもういろんなところからほころびが見えてきている。そのほころびは大きくなることはあっても小さくなることはない。今回の参院補選で相変わらずの強さを見せたので、来年の参院選もいける、という人もいるけれど、1ヶ月でこれだけほころんでいる政権が1年後に今と同じ支持率を維持できると考えるほうがどうかしてると思う。
 まあでも頑張ってほしい。

東アジア共同体?4

 鳩山政権が東アジア共同体構想を出している。EUのようなイメージがあるようだ。
 
 EUは、通貨とか財政政策などを国家ではなくてその上位にあるEUに任せている。その結果、各国が独自に自分の国の状況に合わせた財政政策ができなくなってしまった。
 また、メリットとしては、鳩山首相が例の有名になった友愛に関する論文によれば、EU構想が現実になったことでかつて圏内であった領土問題が無意味化し解決に向かったという。

 ところで、東アジアの共同体を作るという構想は、日本が大東亜共栄圏構想に続いて70年ぶりに出す東アジア世界を統一するアイデアだが、EUと違って、宗教はバラバラ、文字もバラバラ。漢字文化圏というものもあるが、かつてはその圏内に入っていた韓国自体がすっかり漢字文化のアイデンティティから離れてしまった。共通の文学的、芸術的古典があるわけでもない。たしかに、おそらく有史以前からあったと思われる情緒的な部分で何かを共有していると思われるが、そういう漠然とした何か以外のものを、この地域はまったく共有していないと思われる。経済的なレベルも違いすぎるし、それに伴うセンスの違いも大きい。圏内の低開発の国の人々が楽しむエンターテインメントは、日本や香港などの先進的な地域の人々のセンスには耐えられないぐらいダサいものだろう。逆に我々のエンターテインメントの特に先進的なものは、彼らにはほぼ理解不可能だろう。これから崩壊ないしはそれに類する政治的リスクがある中国。民主主義の経験を持たない国々。そういう国々と共同体を組むメリットがどこにあるのか、わからない。

 民主党政権の人たちの中には、たとえば中国市場が伸びていくから、だからこそ中国と良好な関係を保つことが日本経済のためにもなる、という人がいるが、これは従来の「政経分離」の原則に逆行する。たとえば、中国と台湾の間には常に政治的緊張があるが、そういう中でも「政経分離」という価値のもと、経済的結びつきが強まってきた。つまり、政治的に反目し合っているにも関わらず、経済の結びつきはある、という状況を作った。それを、「中国の経済発展と日本をリンクするために、そのために政治的に良好な関係を作る」というのは、たとえれば、オリンピックと政治を結びつけることと同じ感じじゃないか?「政治的に仲良くするから、その上に立ってオリンピックを開きましょう(経済的結びつきを強めましょう)」というのは、逆を言えば「政治的に険悪になったら、オリンピックは中止です(経済的な交流も切ります)」ということで、危険な考え方だと思う。やはり政治家だから、経済を政治の下に従属をさせたいという考え方になりがちなのだろうが、現実は逆な時にうまくいっている。経済的な結びつきがあるから政治的な衝突も抑えられている。

 但し、環境、金融、経済、あるいは犯罪捜査などでも、一国だけで充分に対処できない状況にどんどんなっていく。税制ですら、自国内の事情だけで決められない。高い法人税を課せば、企業活動が外国に出て行ってしまう。だから、日本が超国家的な枠組みについて積極的に考えるのは当然のことだ。
 これについて、日本はすでに、アメリカとの間にそういう共同体を、無言のままに築いているのではないか?たとえば、長谷川慶太郎などの指摘によれば、戦後日本は、経済大国でありながら同時に軍事小国であるという世界史上かつて前例のない国になったという。なぜそれが可能であったかというと、ちょうどEUの国々が財政の主導性を放棄して上部構造のEUに任せてしまったように、防衛問題の主導性を放棄してアメリカにすっかりまかせてしまったから。
 そしてまた、日本は隣接するロシア、韓国、中国、台湾との間に領土問題を抱えているが、アメリカとの間の領土問題は、1972年の沖縄返還で解決してしまった。これは、EUの形成とともにその圏内での領土問題が解消していったのと似ていると思う。だから、日本はアメリカと共同体をすでに結んでいると思う。但しEUの各国は、EUの政治的決定に関わる政治家を送り込んでいるが、日本はアメリカの政治的決定に政治家を送り込んでいない、という違いがある。

夫婦別姓いいと思う3

 結婚しても夫婦別姓でもいいという法案が民主党で準備されている。
閣内不一致?亀井金融相と千葉法相、夫婦別姓めぐり衝突
 千葉景子法相が中心になって推進している。そして当然といえば当然だが、国民新党の亀井静香が反対している。旧社会党系で人権派の千葉に同調しているのは、社民党の福島党首。それに保守派の亀井たちが何かで衝突するのは、民主党政権が誕生する前から見えていた。政治を語る時に右派、左派という分け方は時としてアナクロニズムな時もあるけど、この場合はそのまんま、マンガのように分りやすい右VS左の構図だ。

 千葉法相はこの「選択的夫婦別姓制度」を、来年の通常国会で、民法改正案という形で提出を目指しているが、平野官房長官は「広く国民が議論するプロセスを経て決めなければならない」と慎重姿勢だ。夫婦別姓制度は、衆院選で民主党マニフェストに明記されることも検討されたらしいが、結局書き込まれなかった。


 僕自身は、やっぱり自分が右か左かという分け方をあんまりしたくないけれど、でもいわゆる右的な意見に共感することが非常に多いし、千葉景子議員のこれまでの行動や法相なってからの発言に不信感を持つ者だが、この「選択的夫婦別姓制度」については、いいんじゃないかな、と思う。

 職場でも、社外に、取引先とか顧客とか、いろんなヒトネットワークを持ってる人は、連絡をくれた時などに混乱をきたさないように、ということもあると思うけど、結婚して姓が替わっても旧姓を使う女性は昔からいる。たくさんネットワークを持っていても、新しい姓を取引先などにアピールしたりする場合もある。それはどの会社でも、本人が選択している。会社が「こっちの姓を使いなさい」と強制される、みたいな話は聞いたことがないので、女性が旧姓か新しい姓かどちらかを選んで使うということは、慣習的には広く行われている。

 だからあとは、法的にそういう慣習を認めるかどうか、という問題だけだと思う。こういう選択肢を法的に作ったとしても、誰も被害を被らないと思う。実際はたぶん、慣習的に旧姓を使う女性も、法的には夫婦一緒の姓を使う人が多いと思う。日本は別に夫の姓にしなくてはいけないということはなくて、夫が妻の姓に替えてもいい。そういう2つのオプションに、夫も妻も今までの姓を保持する、というのも、慣習的に充分に受け入れられることだと思う。恋人同士の男女が、お互いのことを下の名前じゃなくて姓で呼び合うこともよくある。これは英米などではほとんど見られない習慣だと思う。日本では、結婚した後でもそうやって姓で呼び合う人もあるときく。日本では、たとえば学校でも、先生が生徒を呼ぶ時にはほとんどが下の名前じゃなくて姓だと思う。会社では、同僚を呼び合う時には下の名前で呼ぶことを禁止するところもある。まあとにかく日本人は小さい時から下の名前じゃなくて姓で呼ばれることがなにかと多いので、自分のアイデンティティと姓が強く結びついていることも多いと思う。西洋などに比べてもはるかにそうだと思う。

 中国や韓国の場合、夫婦は結婚しても別姓だ。以前、台湾人から聞いたところでは、たとえば男の蘇さんと女の張さんが結婚した場合、女性の表記は、「張 秀麗」のままか、あるいは結婚したことを強調するために「張蘇 秀麗」みたいに表記したりすることもあるという。

 中国の文化では、男系でずっと家系が続く。誰でも家系図を持っていて、自分は誰それの何十代目の末裔であるとか、そういうアイデンティティを持ちながら生きているという。僕の偏見がどの程度入るかは分らないが、それは男の家系で続いているのであって、妻に来た女の役割というのは、その夫の家系の存続のために子供を生むという位置づけにすぎない。もちろん、夫に大事に愛されて幸せな女性はたくさんいるだろうが、中国や韓国の慣習的・文化的位置の中で、女性の位置はかなり疎外されているところにあると思う。そういう中で、妻が夫と同じ姓になれないというのは、女性の疎外的な地位を象徴しているように思う。大家族があったとして、おじいちゃんもおばあちゃんもいて、お父さんがいてお母さんがいて、子供も4人、5人といて、その中で、おばあちゃんとお母さんだけ別の姓なのだ。その家族の中で大切にされて、ものすごく幸せでも、なんだかちょっとその家族の主要なメンバーじゃない、みたいなことが前提としてあるように思う。

 いっぽう日本は、どちらの姓もあるし、そもそも家系図とかにこだわりがない。少なくとも僕は自分の家系図のことなどほとんど知らない。父親のほうについては、江戸時代以前からのことを少し聞いたことがあるぐらいで、それも父親の認識と、伯父の認識には年代的な齟齬があったりして、ほんとのことはよく分らない。母方のことについては祖父まで遡れるぐらいで、それ以前のことはまったく知らない。日本では、よっぽどの名門とか、ずっと京都にいる老舗とかでない限り、自分の家系のことについてはいい加減なものだと思う。中国とかでは、自分は孔子とか諸葛孔明の何代目、ということまでハッキリ分って、そういう先祖を同じくする同士で「宗族」と呼ばれる大家族を構成して、そのメンバーは多い時では数万人になるという。その中では結婚したりしない。同じメンバーが遠いどこかでたまたまそれと知らずに恋愛関係になったとしても、同じ宗族のメンバーであることが判明した途端に恋愛感情が消えうせる、みたいなのは日本ではない。また日本では、血がつながっていなくても、養子とかで、自分の家系を引き継がせることがある。中国などではおよそ考えられないことだという。

 まあそういう日本の風土を考えたら、夫婦別姓のオプションというのは別に構わないと思う。もともと江戸時代以前は姓をそもそも持っていなかった人もたくさんいるぐらいで、姓については柔軟に受け入れる風土が日本にはあると思う。

「親族間殺人は大企業に責任」?−亀井大臣発言を考察する2




(上の記事より引用)
 亀井氏は5日、内外ニュースの講演会で、日本経団連の御手洗冨士夫会長と以前会った際に、労働者を大切にする日本的な経営を捨てたとして大企業を批判したことを紹介した。「ため込んだ内部留保をそのままにしといて、リストラをやっている。人間を人間扱いしないで、自分たちが利益を得る道具として扱っている」と指摘。立件された国内の殺人事件の約半分が、親子や兄弟、夫婦といった親族間で起きていることを引き合いに、経営者側に「責任がある」とした。

 亀井氏は6日の閣議後会見で真意を聞かれた際も、「改革と称する極端な市場原理、市場主義が始まって以来、家族の崩壊、家族間の殺し合いが増えてきた。そういう風潮をつくったという意味で、(経団連に)責任がある」と発言を撤回しなかった。

(引用おわり)



 亀井静香大臣がこのように発言しているが、実際に親族間の殺人事件が増えているのか?警察庁の資料では、次のようになっている。

    親族間     面識ある人   殺人の総数
1986 590件(40.2%) 700件(47.7%) / 1466件
1987 532件(37.5%) 699件(49.3%) / 1417件
1988 488件(39.0%) 616件(49.2%) / 1252件
1989 454件(39.9%) 509件(44.8%) / 1137件
1990 422件(38.6%) 510件(46.7%) / 1093件
1991 404件(38.6%) 504件(48.2%) / 1046件
1992 ???件(40.4%) ???件(45.7%) / ????件
1993 434件(39.7%) 517件(47.3%) / 1092件
1994 438件(38.9%) 533件(47.3%) / 1127件
1995 473件(41.6%) 496件(43.7%) / 1136件
1996 458件(41.0%) 508件(45.4%) / 1118件
1997 447件(39.1%) 525件(46.0%) / 1142件
1998 520件(42.6%) 541件(44.3%) / 1222件
1999 459件(41.8%) 497件(45.1%) / 1098件
2000 514件(42.2%) 528件(43.3%) / 1219件
2001 492件(42.5%) 493件(42.6%) / 1157件
2002 512件(41.4%) 526件(42.5%) / 1238件
2003 530件(42.1%) 538件(42.8%) / 1258件
2004 557件(45.5%) 512件(41.8%) / 1224件
2005 541件(44.2%) 491件(40.1%) / 1224件
2006 542件(46.9%) 475件(41.1%) / 1155件
2007 506件(48.1%) 404件(38.4%) / 1052件
2008 558件(49.8%) 432件(38.6%) / 1120件

ちなみに2009(1-6月)は、
224件(46.8%) 193件(40.3%) / 479件
参考までに2008(1-6月)は、
282件(53.3%) 199件(37.6%) / 529件
だった。

 この統計をみると、親族間の殺人が殺人事件全体に占める割合は、昔は4割ぐらいだったのが、今はほぼ5割近くにまで上がってきている。
 しかし件数自体はここ20年ぐらいは、だいたい横ばいで、増えているとは言えないと思う。
 しかし殺人の総数はゆるやかながら減少傾向があるようだ。もっと顕著なのは、知人友人や職場の人間関係などの、「親族ではないけれど、面識がある人」の間での殺人件数が明らかに減少傾向にある。
 

 上の資料を見る限り、殺人の総数は20年前は1400件ぐらいあったのが、今は1100件ぐらいに減ってきているのかな、という感じだ。
 しかし去年の1120件というのは18年前の1093件より多いし。前年よりも100件以上多くなったり少なくなったり平気でする。つまり1割以上の増減が簡単に起こる。
 これは1億人以上の人が住む日本で、母集団1000件というのはとても少ない数字なので、何か偶発的な事件が起きるか起きないかで簡単に数字が変ってしまうんだと思う。たとえば1995年の地下鉄サリン事件は15人が殺された。これ1つだけで母集団が1%以上違ってくる。2001年には宅間守の事件があり8人が殺されている。去年は秋葉原で加藤智大が7人の殺人をした。こういう通り魔が1つあるかないかで数字がちょっと違ってくるというのがあるので、「去年より数字がこれだけ変った」というのを安易に社会現象に結びつけるのは慎重であらねばならないと思う。母集団が小さいので偶然によって数字が簡単に上下する。

 そのうえでちょっとみると、たしかに去年2008年の親族間の殺人は558件と、かなり多かった。しかし1986年には590件というのがあった。22年前のこの年には、それでも母集団が今より大きかったので、親族間の殺人は全体の40.2%。去年はそれよりも数では少なかったのに全体から見た割合では49.8%。
 だから、親族間の殺人の割合が半分に増えてきたといっても、必ずしも件数が増えていることを意味しない。亀井大臣は誤解を与える発言をしていると思う。
 考えると、最近は治安が悪くなってきていると感じる人が増えてきて、犯罪も多発しているというけれど、統計をみると、だいたいの犯罪は件数が明らかに減っている。強姦なんか、数十年前の10分の1ぐらいに減っている。なのに、エロい雑誌などが増えてそのての犯罪が増えている、みたいな認識がある。今年もあったが、男子大学生が集団で女子大生と乱交した、みたいなニュースが世間を賑わせたりして、作られるイメージは実際の数字とは逆方向に作られるようなことが多い。
 たしかに、犯罪件数自体は減っているのに、なぜ人々は治安が悪くなっていると感じるのか、そのことは非常に興味深いのでよくよく考えてみなければいけないと思うが、とりあえず亀井大臣は、このての、事実とは違うイメージ作りに加担する一つだと思うので、よくないと思う!

 で、再び具体的に資料をみると、親族間の殺人事件が多かった年として、1986年、1987年は多かった。これは85年のプラザ合意を受けて円高が急激に起こって「円高不況」と言われた時だ。これは、不況で家にいる時間が増えたので、やっぱり家族と接触する時間が長いので、しかも不況というあまり面白くない理由で家にいるので、やらなくてもいい喧嘩も増えるだろう。それで殺人も増えるということかもしれない。1998年もその前後より親族間の殺人が多いが、この時もアジア危機の真っ最中だった。去年も親族間殺人が多かったのは、リストラや残業が少なくなって家にいる時間が多くなったことが原因かもしれない。ちなみに、いちばん親族間殺人が少ないのは、この資料の中では、1989年、1990年、1991年あたり、つまりバブル景気の真っ最中で、ろくに家に帰る時間もない時期だったので、親族間で殺人し合う暇もなかったんだと思う。

 ところで、最近5年間ぐらいは、知人友人、職場の人との間の殺人がめっきり減っている。これは何を意味するだろう?と考えると、職場の人間関係とか、知人友人との交わりが減ったり、関係が薄くなっているんじゃないか?昔は、カイシャは終身雇用だったりして、なにかとエモーショナルになるけれど、最近は、正社員対派遣社員みたいに、最初から交流がないし、仕事が終わっても飲みにいかないし、と職場などでの人間関係が淡白になっているということがあるんじゃないかな。昔と比べたら、メル友とか、インターネットの掲示板での交流とかが劇的に増えたはずだ。2ちゃんねるをはじめとする掲示板などへの書き込みは膨大なものだ。それだけ日本人の労力と時間がそこに注ぎ込まれているということは、昔だったらリアルの人間関係に注がれていたに違いない労力と時間がかなり割かれているはずだ。だいたい人間関係あるところにいさかいがあり喧嘩もある。そうすると中には殺人も、年にたった1000件ちょっとだが、つまり1億人で割ると、10万人に1人ぐらいの割合で殺人にも発展したりするだろう。でも、2ちゃんねるで言い合いをしたって、リアル世界では相手が特定しにくいので、めったに殺人は起こらないだろう。
 しかし、そういう人間関係は希薄になっても、家族とは相変わらず、インターネットがない昔とあまり変らず、一つ屋根の下に住んで毎日顔を合わせているから、昔と変らずに喧嘩もする機会が多く、中にはそれが、殺人事件にも発展する、ということじゃないかなと思う。


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