素材感損なわず木造耐震補強

9 (1)

建設通信新聞(6/8付け)に『素材感損なわず木造耐震補強 伝統建築物の壁を置き換え』という記事があった。
松野浩一東洋大理工学部建築学科教授が中心となって開発した木造建築物の耐震化工法「複層斜交重ね板壁構法」への引き合いが増えている。竣工案件・設計中案件を含めて計6件で採用しており、低コストで大規模伝統建築物の耐震化を実現できる構法として今後も注目を浴びそうだ。

同構法は、柱と梁の軸組に壁枠をビスで留め、側面の凹凸で接合する本実矧(ほんさねは)ぎで接合した小幅板を、斜め・横に3層に重ねて壁枠にビスで留める。逆方向の斜め小幅板が左右それぞれの地震力に対する耐力を高め、中間層の横板で面材を一体化するとともに、靱性を高める。壁の耐力を示す壁倍率は約10倍にまで到達し、通常のラスカットパネルによる補強の2倍の耐力を実現できる。
20180607_172609_33125

鉄製のダンパーなどを使用せず、「壁の置き換えで耐震補強できる」(松野教授)ため、木造の伝統建築物の素材感を損なわない点が大きな特長だ。壁を複層斜交重ね板壁に置き換え、表面を周囲の壁と同じに塗れば、壁面ごとの大きな時代的差異を感じなくなる。

さらに大きな特長は、対象建造物の規模や素材、求められる耐力などに柔軟に対応できる点にある。「軸組と壁枠のビスの打ち方で、壁倍率を3〜10倍にまでチューニングできる」(同)ほか、「新築や耐震補強、真壁づくりや大壁づくりにも対応できる」という。集成材の軸組構造や軽量鉄骨の補強にも適用できる。使用する材料も、「杉やひのきなど無垢(むく)材なら何でも良いし、木材の等級も関係ない」(同)。耐力計算も、通常の許容応力度計算や限界耐力計算で対応できる。
(以下省略)

木造建築に制振ダンパーを設置することも増えてくると思われるが、木造のなかに鋼材や粘弾性体など異種の材料を組み込むよりは、木造で耐力を確保できれば、それにこしたことはないだろう。まっ、このあたりは設計思想・哲学によるのかもしれないけれど、単に耐力さえ確保できればいいという考えではいけないように思う。

1909年竣工の奈良ホテル(木造2階建て)の耐震補強では、この構法が採用されたという。伝統的な建築物の耐震補強のみならず、新しく伝統建築を建てる際にも有効な方法となるのかもしれない。

免震構造でも免震層の特性をチューニングするために、さまざまなデバイスを組み合わせることがある。免震層の履歴特性だけをみれば設計地震動に対して最適な免震効果を発揮できるのかもしれない。しかし、応答解析で使う履歴特性だけが、そのデバイスの性能ではないし、複数のデバイスを組み合わせた場合に問題がないかどうかについても十分検討する必要があろう。










妻は強く、夫は弱く

朝日新聞(6/13付け)に『妻は強く、夫は弱く 変わる夫婦像』という記事があった。
30年で妻は強く、夫は弱く――。
こんな調査結果を博報堂生活総合研究所がまとめた。家庭での決定権が夫から妻にシフトするなど、働く女性の増加を背景に、夫婦の力関係が大きく変化していることが浮かび上がった。

調査は1988年から10年ごとに実施しており、今年は2〜3月に東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県に住む20〜59歳の夫婦630組を対象に行った。

家庭で最も決定権を持っている人について「妻」と答えた夫婦が30.3%で過去最高に。一方、「夫」との回答は30年前の72.4%から38.7%に下がり、過去最低となった。年代別に見ると、妻が30代以下の夫婦で初めて妻が夫を上回った(調査結果はこちら)。
kazoku30release-1_ページ_2

夫婦像については理想も現実も、夫・妻とも「友達夫婦」が最多となり、「亭主関白」とする夫は過去最低に。また、「配偶者がいないと暮らしていけない」と答えた夫の割合は67.1%で、妻の59.5%を上回った。

回答した妻の専業主婦の割合は、30年前の53.9%から29.2%に減少した。三矢正浩上席研究員は「女性の活躍が進んで妻の経済力が上がり、夫が一方的に決める時代ではなくなってきている」と分析する。

家庭での決定権は、「妻」が30.3%、「夫」が38.7%で、多少は「夫」の方がまだ高い。それでも、「夫」の決定権はずっと低下してきており、今後は逆転するなんてことになるかも(現実には妻が30歳以下の夫婦では逆転している)。

この決定権の調査で「妻」と「夫」との回答を足すと69%でしかない。残りの約30%の人たちの回答は、どうなっているのだろうか。「夫婦」が同等の決定権を持っているということだろうか・・・









カラクリ装置で建設業の魅力伝える

o1080081014211108713

建設通信新聞(6/12付け)に『仮囲いにカラクリ装置 建設業の魅力伝える』という記事があった。
東急建設は、建設資材で時計や建設現場を表現した「カラクリ装置」を製作し、東京都渋谷区で施工を進める渋谷区役所合同庁舎建替プロジェクトの仮囲いに設置した。建設業の魅力発信を目的に、同社の部門交流若手社員特命プロジェクトが企画した。6月中旬には同社ウェブサイトに特設ページを設け、若手プロジェクトの取り組みや装置の動画などを公開する(特設ページはまだ公開されていない模様)。
o10800810142111087691528956113_photo

カラクリ装置は渋谷公園通りに面した仮囲いの一部に設けた横3.5m、高さ2mの空間に設置した。機械仕掛けの舞台装置などを手掛けるTASKOとタイアップで製作し、装置上部には単管で製作した時計を設置。下部は単管でクレーンやボーリング作業、ビル群などを表現した。時計とクレーン、ボーリングは常時作動し、ビル群は10分ごとに動き出す仕組み。夜間にはライトアップも実施する。

どういう「カラクリ」になっているのか、見てみたいものだ。建設工事中は仮囲いで囲まれて、中での作業が見えないことが多い。最近では一部透明にしたりして中が見えるように工夫することもあるし、仮囲いに絵を描いたりすることもある。

こうした取り組みによって、建設業の仕事の魅力が伝わるといいね。










勝手に壁をつくる

日経新聞(6/5付け)にゲーム作家の山本貴光氏が『勝手に壁をつくる』と題して書いている。
文系か理系か、それがモンダイだ。

高校生の頃、この二択を迫られておおいに戸惑った。なにもこんなに早く絞り込まなくてもいいのに。と思ったのはどちらにもそれなりの楽しさを感じていたからだ(念のために申せば、よくできたわけではない)。クラス分けのためにいずれかを選べと言われて、文系に後ろ髪を引かれながら理系を選んだ。

高校を卒業して1年浪人した際も予備校の理系コースに通った。そんなふうに曲がりなりにも高校、予備校と理系コースにいて、物理学だの化学だの生物学だの数学だのの受験勉強に取り組んでいると、自分でもだんだんと理系のような気がしてくるからいい加減なものである。

結局、慶応義塾大学の環境情報学部という当時できたばかりで、海のものとも山のものとも知れない学部へ運よくもぐりこんだ。

なぜ選んだのか。そりゃあ学びたいことがあったからですよ。と言えれば格好もつくのだが残念ながらそうではない。そこには1990年という時期には珍しくインターネットを使える環境があった。なんのことはない、設備に釣られたわけである。ついでに申せば、入試科目は英語か数学のどちらかと言われて英語を選んだ。理系という選択はなんだったのか。でも、人生とはそんなものだ。

大学では、現代芸術(岡田隆彦)、心理学(小此木啓吾)、文学(江藤淳)、社会学(富永健一)、建築(槇文彦)といった教養科目のなかに科学論の講義があった。担当は赤木昭夫先生。この講義が大変面白く、どんな先生だろうと思って、ある日教員プロフィルを載せた冊子を読んでみた。するともともとご自身は英文学を専攻していたとある。先生はNHKで科学番組を制作する過程を通じて科学史家に(も)なったのだった。

ゼミに出てみると、研究テーマはルネサンス文化だったり、ハリウッドの映画産業だったり、これまた科学論とも違う。そのたび驚いた。なぜ驚いたのか。考えてみたら私が勝手に壁をつくっていたからだ。文系か理系か。こっちはこっち、そっちはそっち。赤木先生の話を聞くたび、自分で勝手につくっていた壁が壊れていった。分野は気にせず面白いと思う問題を追跡しよう。必要ならそのつど勉強すればいい。それでいいのだ。

そんなふうにして壁が崩れてみると、気になることも出てくる。ではいったい文系/理系といった区別や、さまざまな学問の分類は、どんな経緯をたどって現在のようになったのか。それ以来、学術や教育制度の歴史が気になって調べている。

日本の場合、明治期に西欧から学術を移入したものが今日の学術の基礎となった。その頃、西周という人が「百学連環」という私塾で行った講義で、ヨーロッパの学術全体と相互の関係を総覧しようと試みている(講義録が残る)。彼は後に教育制度の設計にも携わり、学問全体をいまでいう文系と理系に二分する案を提示した人物でもある。

理系文系

高校では、2年生、早いところでは1年生の段階で文系・理系に分けられ、分野ごとの科目に特化した受験勉強を行うようだ。しかし、将来の目標が定まっていなかったり、大学で学ぶ学問について十分理解しないまま受験科目の得意・不得意で「なんとなく」文理を決める人が多いのではないか。「文理分け」により片方の科目群しか勉強しないシステムは、弊害があるのではないか。「私は文系だから数学は必要ない」「私は理系だから政治や文学について考えなくてもいい」という発想も出てくる。「文系人間」「理系人間」という言葉も、そうした発想に基づいている。

よく言われるように全ての学問が理系・文系にくっきり区分できるわけではない。経済学は「文系」に所属しているものの数学の知識が必須だし、心理学は実験を行い結果を統計で処理する点で、研究手法は科学的だ。一方、「理系」とされる認知科学・情報科学では、哲学の知見が援用されることもあるし、建築は工学部に属しているものの、思想・美術とも密接に絡んでいる。

現在の入試を考えれば、文理選択も必要なのかもしれないものの、勝手に自分の壁をつくってしまわないことが必要だろう。そういう意味では、大学での「学部・学科」の壁というものも、もう少し薄く・低くなってもいいように思う。











勉強するほど「やる木」が育つ

朝日新聞(6/9付け)に『たくさん書いて「やる木」育てる』という記事があった。
勉強すればするほど「やる木」が育ちます――。
文具大手のコクヨが、鉛筆に装着して文字や数字を書いた量を「見える化」する文具「しゅくだいやる気ペン(仮称)」を開発中だ。小学2〜4年生を主な対象としており、2019年春に発売する予定だ。
20180607_KOKUYO1

ノートやドリルなどに書き込む鉛筆の動きをセンサーが感知し、筆記量を記録する。その量に応じ、スマートフォンのアプリの中で「やる木」と名付けた仮想の木が育つ。

あらゆるものをネットにつなげる「IoT」技術の文具への応用だ。子どもの努力の量をアプリで「見える化」し、宿題に取り組む習慣作りを手助けするのが狙いだ。「やる木」の成長に応じ、文具などがもらえるサービスも検討している。

想定価格は5千円。クラウドファンディングの大手サイト「レディーフォー」(https://readyfor.jp/projects/yaruki-pen)でも、8月末まで資金を募っている。

小学生向けだけでなく、高校生・大学生向けにシャープペンシルにも取り付けることができるようにできないものか。文章を書くということが減っているし、ノートの取り方も十分身についているとはいえない学生もいる。こうした文具でどれくらいノートをとったかを測ることができれば、やる気につながるのではないだろうか。

学生からは、余計なお世話だ、文章はパソコンで書いていると言われるかな・・・










学ぶ脳 ぼんやりにこそ意味がある

P1080828

虫明 元著『学ぶ脳 ぼんやりにこそ意味がある』(岩波科学ライブラリー)を読んだ。
本書では最新の脳研究の成果を反映して脳の活動とそれに基づく学びについて解説されている。「はじめに」から少し抜粋して紹介する。
我々の知識は様々な分野に細分化、専門化しており、その知識の使い方は認知的スキルと呼ばれ、教育の一番の目標になっている。さらに科学や技術の高度な専門化により、人の仕事も専門化が進んでいる。昨今の人工知能、情報科学などの進歩により、こうした認知的スキルの一部は外部記憶に頼りウェブ上の情報を検索することで誰でもアクセスできるようになってきた。
(略)
最近の脳科学の研究から、脳は我々が作業したり考えたりして活発に精神活動を行っている時にだけ活動するのでなく、ぼんやりと一見休んでいると思われる時(安静時)にも活発に活動していることが分かってきた。マーカス・レイクルらによればこの安静時にも活発に活動している場所(本書では基本系ネットワークと呼ぶ)は、計算などをしている時には休んでおり、計算を終え休んでいるときに活発に活動する。このように、計算などに関わる脳の場所と安静時に活動する場所はシーソーのように片方が働くともう片方が休み、しばらくすると活動する場所が交代する。
(略)
この基本系ネットワークは、脳のネットワークの集まる中心すなわちハブであり、脳全体を統合する役割をしていることが分かってきた。実は休んでいる時にも我々の脳は想像や記憶に関わる活動をしている。さらに基本系ネットワークは意外な時に活動することが分かってきた。すなわち他人や自分に関する知識や、複数の人の心の働きを問う課題で、活発に活動するのである。このようにぼんやりしている時に働く基本系ネットワークは、自己認識と他者認知、さらには創造性といった非認知スキルの主要な働きに関わることが次第に明らかになっている。(略)すなわち、ぼんやりしている時の脳の活動は、実は非認知的スキルを育てることに関わっているのではないかと。
(以下省略)

本書では、脳の機能や役割を理解することはできたものの、専門用語も多くちょっと難しいと感じた。そのなかでも創造性に関する部分は興味深い。創造性は、特定の分野で発揮されるとしても、その基礎には非認知的スキルが関わっていること、創造性を発揮するには、異なる思考を自在に切り替えられる非認知的スキルが必要ということ、そして、創造性には新しい経験への開放性、即興性、想像性などの因子が関わっており、特にアートには想像性を発揮するための無限の可能性がある、という。

創造性を発揮するために大切な心構えとは、疑問を持つことをやめないこと、疑問を持ち続ける力だとアインシュタインは言っている。子どもたちは何でも「なぜ?」とか「どうして?」と疑問を持ち、同時に様々なことを想像している。しかし、大人になるにつれて、年齢とともに質問することが減っていく。これは、もちろん認知能力などが発達して疑問が減っているのかもしれないものの、疑問を持つ状態を回避しようとして分からないことには触れないようにする、「知らないことを知らない」とする状態が知らず知らずのうちに備わっているからではないか、とも。

創造性を高めるには、学びの意欲を保ち、質問力を高めていくことが必要なのかもしれない。









『国難』をもたらす巨大災害対策について

先日、新聞各紙は、土木学会が公表した報告書「『国難』をもたらす巨大災害対策についての技術検討報告書」について報じていた。見出しには『被害1410兆円』という数字が大きく掲げられていた。以下は産経新聞「「南海トラフ」被害1410兆円 巨大地震は「国難」レベル」の抜粋。
西日本を中心に大きな被害が想定されている南海トラフ巨大地震が起きた場合、道路など公共インフラの損害で長期的に1410兆円の被害が生じるとの推計を7日、土木学会が公表した。学会は「国難」レベルの災害になるとして、対策の強化や都市機能の分散を進めるべきだとしている。

土木学会の委員会が公表した報告書によると、南海トラフ巨大地震の発生から、経済がほぼ回復するとみられる20年後までの間に、インフラの破損などに伴う経済活動の低迷で1240兆円、建物や工場、個人の資産で170兆円が失われるとした。

南海トラフ巨大地震で政府は経済的被害を220兆円と推計しているが、土木学会の推計はこれを大きく上回り、本年度の国の一般会計予算である97兆7千億円余りの約14倍となった。
(以下省略)

この被害額の算出根拠を知りたいと思い、土木学会のレジリエンス委員会報告書「『国難』をもたらす巨大災害対策についての技術検討報告書」を読んでみた。報告書では、「過去の大災害のもたらした長期的影響を調査し、これをもとに今後起こりうる巨大災害のもたらす被害を推計し、それを減ずるに必要な対策とその経済的効果を示し、対策の早期実施を求めている」としている。報告書を読んでみたものの、過去の被害から将来起きる災害をどのように推計したのかについて理解できなかった。報告書の本編ではなく、付録にある各分科会の報告に記載されているのかもしれないが。
巨大災害の被害推計

南海トラフ地震による被害では、20年間の経済被害として1240兆円が示されている。この被害額は、道路遮断および生産設備の毀損による1048兆円の20年経済被害(GDPの20年間の累積毀損額)に加えて、港湾における交通遮断による16.9兆円(内閣府推計)に基づいて求めた20年経済被害の推計値192兆円の合計とされている。

それに対して、地震・津波で毀損する建築物等の資産量としての試算被害は内閣府が試算した金額170兆円としている。こちらは、20年間の累積毀損額は計算しなくていいのだろうか。

で、こうした国難を避けるための具体策としては、
 ・高規格幹線道路網の整備
 ・被災地における道路の強靱化
 ・海岸堤防対策
 ・港湾・漁港耐震強化対策
が掲げられ、最後に
 ・建築物対策としての耐震化
が紹介されている。

こうした巨大災害に対する公共インフラ対策は、経済被害を縮減し、税収の低迷を緩和することを通して、「財政構造の健全性を守る」ためにも不可欠であり、さらなる被害軽減を図る上で、地方部における交通インフラ投資をはじめとした「東京一極集中緩和策」の展開が求められていること、より防災機能を重視したインフラ整備の必要性が示された、とまとめられている。

確かにインフラの整備は国土を強靱にするには必要なことかもしれないけれど、人的被害を減らすには建物の耐震化をまずもって促進することが求められているはず。対象分野が違うと災害対策についても、その注目点が異なるということかな。









実務なしで建築士の受験可能?

建設通信新聞(6/6付け)の1面に『建築士法改正 実務なしで受験可能』という記事があった。
自民党の建築設計議員連盟(額賀福志郎会長)は5日、同党本部で開いた総会で、日本建築士事務所協会連合会日本建築士会連合会日本建築家協会の設計3会による建築士資格制度の改善に関する共同提案を受け、建築士法の改正に乗り出すことを明らかにした。建築士試験の受験者数の減少を踏まえ、学科試験の受験資格に実務経験を課さないなど試験の要件や内容の合理化が柱となる。今後ワーキングチームを作り、データなどを精査した上で議員立法による改正作業を進める。
20180605_171151_32941

建築士事務所に所属している1級建築士は約14万人だが、その6割以上が50歳以上で高齢化が進んでいる。さらに、1級建築士の学科試験の受験者数は2007年から16年までの10年間で約4割減少しており、若い受験者の確保は喫緊の課題となっている。

現状では1級建築士の学科試験を受験するためには最低でも2年以上の実務経験が必要だ。学校卒業後すぐに受験できないことや就業後は業務が忙しく受験勉強の時間が十分に確保できないことから受験を諦めるケースがあった。

そこで、学科試験の受験要件に実務経験を課さないことを提案。最終的な建築士名簿への登録時点で一定の実務経験を求めることで、資格のレベルを維持しながら、現状の課題に対応する。実務経験の範囲についても、設計前段階の建築の基本計画の作成など実態に即した範囲の拡大を行う。

試験の内容も改善する。実際の設計業務ではCADが主流となっている一方で、試験は製図板とT定規を使用し、鉛筆書きにより行われている。業務実態に即した試験となるようにCADによる試験の導入を提案した。また、学科試験合格後に製図試験が3回不合格になると、再び学科試験から受験しなければならないという規則を改め、学科試験と製図試験を切り離すことも検討する。

佐野吉彦日本建築士事務所協会連合会会長は「資格者が高齢化しており、将来が不安である。そのために資格制度の現実的な改善があった方が良いという考えから建築3会で意思を統一した」と提言の意図を説明。「優れた建築を生み出すことは国の力であり、国際的な競争力だ。設計行為は資格を保持し、絶えざる向上を行っている者のみが携わっていることの重みを十分に感じている」と述べた。

大学を卒業した年に「1級建築士」を受験できることになったとしても、どれくらい受験生が増えるだろうか。受験生が増えたとしても実際に合格できる人たちの数が増えるだろうか。卒業してすぐに受験できるとなると、大学ごとの合格者数などによるランキングが出てくるのではないか(実際、薬剤師や医師では大学別の合格率も公表されている)。そうなると資格合格のために、大学教育が影響を受けないか、ちょっと危惧される。

また、製図の試験をCADで実施するという点については、以前から検討されているようだが(ずいぶん前に本学にも使えるパソコンが何台あるかといった問い合わせがあった)、受験生が使えるパソコンをどう準備するのか、使うソフトは何でもいいのか、など解決すべき課題は多いと思う。

建築士を増やしたいのであれば、受験制度の変更だけでなく、建築士としての将来が安心できるような業界にしていくことの方が大事であるように思える。









安くておいしい国の限界

朝日新聞(5/31付け)の「論壇時評」欄に歴史社会学者・小熊英二氏が『「安くておいしい国」の限界』と題して寄稿していた。 
国際会議で外国に行くと、観光客の急増に驚く。パリやニューヨークはもちろん、ベイルート、バンコク、北京などもそうだ。「マナーの悪い観光客に困っている」という話はどこでも聞いた。

国連世界観光機関(UNWTO)の統計では、2000年から17年に世界の国際観光客到着数は2倍に増えた。17年は7%の「高度成長」ぶりだ。昔より航空券も安いし、ネットで簡単に予約できるのだから当然だろう。

16年のランキングだと、日本は国際観光客到着数で世界16位。ただし増加率が高く、12年から17年に3倍以上になった。今や観光は日本第5位の産業だが、多すぎる観光客のせいで「観光公害」が出ているという声もある。

なぜこれほど急に増えたのか。アジアとくに中国が経済成長し、近場の日本が観光先になったことも一因だ。だが私が世界各地を訪ねた経験からいうと、別の理由がある。観光客からみれば、日本は「安くておいしい国」になったのだ。

ここ20年で、世界の物価は上がった。欧米の大都市だと、サンドイッチとコーヒーで約千円は珍しくない。香港やバンコクでもランチ千円が当然になりつつある。だが東京では、その3分の1で牛丼が食べられる。それでも味はおいしく、店はきれいでサービスはよい。ホテルなども同様だ。これなら外国人観光客に人気が出るだろう。1990年代の日本は観光客にとって物価の高い国だったが、今では「安くておいしい国」なのだ。
(略)
元経済産業省官僚の古賀茂明はこう述べる。「日本には、20代、30代で高度な知識・能力を有する若者が、高賃金で働く職場が少ない。稼げないから、食べ物も安くなるのだろう」。古賀は米国で経営学修士を取って起業した若者のこんな声を紹介する。「日本に帰る理由を考えたけど、一つもなかった。強いて挙げれば、そこそこおいしいご飯がタダ同然で食べられることかな。アメリカだと、日本の何倍もするからね」

一方で日本では、観光客だけでなく留学生も増えた。12年度の約16万人が、17年度には約27万人だ。もっとも世界全体でも00年の約210万人が14年の約500万人に伸びてはいるが、これまた日本の増え方には特徴がある。

福岡日本語学校長の永田大樹はいう。「世界で活躍するには英語圏への留学が有利だが、日本は非英語圏で、日本語習得は難しい。それでも留学生が集まるのは、『働ける国』だからだ」。日本では就労ビザのない留学生でも週に28時間まで働ける。だが米国では留学生は就労禁止だ。独仏や豪州、韓国は留学生でも就労して生活費の足しにできるが、日本より時間制限が厳しい。そのため「日本に来る留学生の層は、おのずと途上国からの『苦学生』が多くなる」という。

いま日本では年に30万人、週に6千人の人口が減っている。17年末の在留外国人は前年末から7%増えたが、外国人の労働者で就労ビザを持つ人は18%。残りは技能実習生、留学生、日系人などだ。受け入れ方が不透明なので、労災隠しなどの人権侵害も数多い。こうした外国人が、コンビニや配送、建設、農業など、低賃金で日本人が働きたがらない業種を支えている。
(略)
私は、もう「安くておいしい日本」はやめるべきだと思う。客数ばかり増やすより、良いサービスには適正価格をつけた方が、観光業はもっと成長できる。牛丼も千円で売り、最低賃金は時給1500円以上にするべきだ。「そんな高い賃金を払ったら日本の農業や物流や介護がつぶれる」というなら、国民合意で税金から価格補助するか、消費者にそれなりの対価を払ってもらうべきだ。そうしないと、低賃金の長時間労働で「安くて良質な」サービスを提供させるブラック企業の問題も、外国人の人権侵害も解決しない。デフレからの脱却もできないし、出生率も上がらないだろう。

日本の人々は、良いサービスを安く提供する労働に耐えながら、そのストレスを、安くて良いサービスを消費することで晴らしてきた。そんな生き方は、もう世界から取り残されている。

日本では、まだモノを買うということが中心で、目に見えにくいサービスの評価が低いような気がする。先日の日経新聞(6/8付け)に、スウェーデンの自動車メーカーであるボルボが車を買わずに使えるようなサービスを拡大するという記事があった。ボルボでは、2020年代の半ばに同社が造る自動車の半数を、毎月定額を支払えば自動車や関連サービスを利用できる「サブスクリプション型」のサービスで提供するという。
VOLVO

「モノ」を売るメーカーからサービス会社への変身を目指している。同社の社長は「消費者の自動車に対する期待は急速に変わっている」「車両だけにとどまらない、移動にかかわる顧客ニーズに応える企業になる」と話す。

「安くておいしい」というのは嬉しいけれど、それだけでは日本は成長しないのではないか。人口が減少し、高齢者が増える日本社会がより豊かで幸せを感じることができる社会となるための変化が求められているのかもしれない。










大学広報と危機管理

20160911-00062091-roupeiro-000-8-view

日経新聞(6/6付けの夕刊)の「あすへの話題」欄に京都大学教授の佐藤卓己氏が『大学広報と危機管理』と題して寄稿している。
先月は「アメフト事件」の記者会見をリアルタイムで見続けた。テレビは録画が普通の私にとって異例のことである。

反則タックルは言語道断で人並みに義憤を感じたが、アメフトというスポーツに特別な関心はない。むしろ、もともと広報学と呼ばれていた科目(現・メディア文化学)の担当者として、大学広報部のメディア対応が格好の教材に思えた。むろん、反面教材である。何ごとであれ、成功例より失敗例に学ぶべきことは多い。

私は講義の冒頭で、宣伝propagandaと広告advertisementと対比させて、広報public relationsをこう定義している。政治領域の宣伝、経済領域の広告の中間領域にある合意形成活動である、と。その機能では、操作するmanipulate宣伝、説得するpersuade広告に対して、納得させるconvince広報と分けることもできる。また、宣伝や広告が短期的、即時的な効果を目指しがちなのに対して、広報は長期的な影響に照準を合わせるのが普通である。

このアメフト事件では加害者選手、監督・コーチ、大学長と三つの記者会見を見たわけだが、「広報」として成功したのは視聴者が納得した学生の会見だけだった。言い訳(情報の操作)に終始する監督・コーチ会見も、組織防衛(内向きの説得)を優先する学長会見も、それぞれ逆効果の「宣伝」、出来の悪い「広告」に見えた。

とはいえ、大学側の対応の悪さを「危機管理」という言葉で批判する言説には違和感を覚えた。危機管理とは危機が発生する以前の予知・予防の重要性を強調する概念であり、泥縄の事後処理で成功した事例などほとんど存在しないからである。

いま本学は進学説明会を各地で開催している(こうした説明会は多くの大学が実施している)。入試広報という位置づけで、説明会の中心は来年の入試について紹介している。入試以外でも大学としての取り組みや現状(教育や学生支援など)についても紹介しているものの、短い時間でどこまで「納得」していただいているかは少々頼りないかもしれないが。

今では大学広報のあり方も、SNSを活用するなど多様化してきている。大学としてどのような「広報」が求められているのか、やり方や内容などを今一度検討する必要がありそうだ。









被災地と首都圏 防災意識高く

0301a

日経新聞(5/26付け)に『被災地と首都圏 防災意識高く』という記事があった。
ヤフーが3月、防災に関する知識を問う「全国統一防災模試」をインターネットを通じて行ったところ、近年の地震被災地や首都圏で参加率と平均点が高い傾向だった。災害経験や、首都直下地震への懸念が意識を高めたとみられる。東日本大震災で被災した宮城県が参加率、平均点ともにトップ。岩手、福島両県も平均点で上位に食い込んだ。

防災模試は3月1〜31日に実施。スマートフォンアプリから参加でき、約65万人が解答した。「災害時のスマホ設定として最適なものは?」「揺れが収まった。まずすべき行動は?」など25問で、解答の早さも得点に加味した。

人口当たりの参加率は宮城県が最も高い0.68%。次いで東京都の0.65%、神奈川県の0.61%だった。熊本地震のあった熊本県は0.59%で5位。全国平均は0.50%で、最も低かったのは長崎県と鹿児島県の0.33%だった。

平均点は宮城県の57.96点が最高で、南海トラフの巨大地震で被害が懸念される高知県が56.60点、福島県が56.56点と続いた。全国平均は54.9点。100点を取った人は解答者の1.3%に当たる8176人だった。

年代別の参加人数は40代が最も多い一方、平均点は若い世代の方が高かった。参加者は女性の方が多かった。

ヤフーの広報担当者は「どれだけ多くの人が当事者意識を持って、事前に災害と向き合うことができるのかが大事。これを機に防災グッズの準備や点検、避難経路の確認につなげてほしい」と述べた。

防災意識が高くなるのは、日常的に地震が多く、また地震危険度が高いといわれている地域、そして被災地だろう。ただ、被災地でも記憶の風化が進んでいると言われており、これからも防災意識を高く維持していくには、何らかの工夫が必要だろう。

防災模試の主な質問と解答は下記のとおり。
  Q01:自宅にいると地震が発生 ! どこに移動しますか ?
  A01:出入り口に近い机の下

  Q04:揺れがおさまった。まずすべき行動は?
  A04:ドアを開けておく

  Q17:災害時のスマホ設定として、最適なものは?
  A17:明るさを暗くする

  Q24:お札が破れていた。半額でも引き換えてもらえるのは、どのくらい残っていた時?
  A24:2/5以上

参加者は少ないものの、こうした取り組みが防災意識を高める契機になるといいな〜









韓国の地震、地熱開発の水が影響?

朝日新聞(5/31付け)に『韓国の地震、地熱開発の水が影響?』という記事があった。
昨年11月に韓国の浦項(ポハン)市で発生した地震は、周辺の地熱発電所で水を注入したことがきっかけになった可能性があることが韓国やスイスなど2チームの研究でわかった。論文は米科学誌サイエンスに掲載された。

地震はマグニチュード(M)5.4、日本の震度では4程度とされたが、建物の損壊が相次いだ。震源地近くでは、地下に高圧の水を大量に注入して熱水を得る「強化地熱システム(EGS)」と呼ばれる発電が2016年に始まっていた。

釜山大学校などのチームによると、今回の地震は深さ約4キロのEGS用の井戸底部のすぐ近くで発生していた。1978年から2016年まで、周辺でM2を超える地震はなかったが、掘削の完了後から発生し始め、水を注入すると地震活動が活発化していたという。チームは、水が地下の断層に染みこんで発生したと結論づけた。

チューリヒ工科大などのチームの研究でも、地震の深さは約4キロで、周辺の自然地震の12〜15キロより浅く、人間の活動による地震の特徴を示していた。注水で活発化した断層は井戸の底から1キロ以内にあるとみられるという。

地下に注水することで地震が発生しやすくなる現象は、シェールオイルやガスの採掘が進む米オクラホマ州などでも知られている。水によって地下にかかる力が変化することなどが原因と考えられている。

日本地熱協会によれば、日本の地熱発電所は↓のとおり日本中に存在している。
fig03_3_b

記事で紹介された研究が正しいとすれば、水を注入することで地震活動にも影響を与えるということか。水によって地下の圧力が変化するということのようだが、逆に言えば、水を使って地震を起こすこともできるということになるのだろうか。万が一、そうした操作が可能だとすれば、地震が自然に起きる前に、地震を起こしてしまえば、地震の脅威におびえなくても済むようになる?

そのためには、深い地盤までの構造や特性がわからないと無理だろう。人体についてはX線やMRIなどの装置で透視ができるようになった。地球(地殻)の透視もできるようになれば、地震のメカニズムももっと理解できるようになるのだけど・・・










なにを勉強すればよい?

日経新聞(5/29付けの夕刊)にゲーム作家の山本貴光氏が『なにを勉強すればよい?』と題して寄稿しいる。
ゲームクリエイターになるにはなにを勉強すればよいですか。しばしば中高生のみなさんからお尋ねいただく。

そうか、そうなのか。勉強しちゃうのか。はじめて問われたときは少々戸惑った。私自身はゲームの作り方を勉強したという自覚がなかったからかもしれない。勉強というよりは、作りたいから勝手に試行錯誤する。その過程で足りない知識や技術に気づいたら調べて試す。

とはいえご質問の意味も分かる。そうだよな。時代も違えば環境も違うもの。私が趣味でゲームを作り始めた1980年代は、そうはいってもハードの性能はいまと比べて低かったし、できることにも制限があった。
(略)
現在はどうか。パソコンの性能は段違いに向上した。3Dグラフィックを駆使できるのはもちろんのこと、人の声でも楽器の多い音楽でも動画でも自在に再生できるし、ネット接続も当たり前。視野を覆うヘッドマウントディスプレーのような装置や、人工知能をはじめとする各種既成のプログラムだって活用できる。ウェブにはプログラム入門の解説ページや独学のためのサービスもあり、書店に行けば多種多様な指南書や技術書がある。ゲーム開発に使える便利な道具や材料が多々提供されている。

なんだ、あとは作るだけじゃん。と言いたくなるものの、たしかに道具や環境がありさえすれば作れるというものでもない。頭に入れておくとよいこともある。

第一にゲームとはルールの複合物だ。例えば「オセロ」でも将棋でもサッカーでも「スプラトゥーン」でもよいけれど、それらはみな複数のルールを組み合わせてできている。自分で考案しようと思ったら、論理やモデルを考え、頭のなかで動かして予想する必要がある。これは数学や科学で鍛えられる。ゲームによっては物理学や計算機科学や統計学も活用できる。

また、ゲームは遊んでもらってなんぼのもの。遊ぶ人を楽しませたり、悔しがらせたりするのが仕事。そもそもゲームが提示する目的に挑んでみようとその気にさせねばならないし、できれば飽きずに遊んでもらいたい。そう、ゲームを作るには、なにより人間を知る必要がある。心理学、認知科学、社会学、歴史、文学の出番だ。

加えて言えば、ゲームの題材はゲームの外にこそある。古代の神話以来の諸芸術とその歴史、テクノロジー、各種の自然現象、社会現象、政治経済など、何を知っているかで出せるアイデアも大きく左右される。自分の経験と記憶を材料に発想するしかないからだ。

そして複数の専門家が集まって作る場合、なにをどう作るのかを適切に伝え、意思疎通できなければならない。読み書き会話がとてつもなく重要であるのは言うまでもない。

なんだか大変な話になってきた。でも大丈夫。以上に述べたことは、高校までの科目を理解していればなんとかなるものだ。ことに分野を問わずものを読んで理解するための基礎があれば申し分ない。そうすれば、自分で自分をバージョンアップできるから。

星新一の作品に「あるエリートたち」という短編がある。だいたいこんな感じ。
とあるゲーム会社、新しいゲームを開発しようと超優秀な社員を選抜した。選抜された社員たちは無人島に送られてしまう。あまりにやることがない彼らは、いろんな遊びをし始め、気がつくと、時間を忘れて没頭できるゲームができていた。
「面白い遊びというものは、理屈からはうまれない。また、軽薄な思いつきでは成長しない。」

僕が学生だった頃、流行ったのはインベーダーゲームでしたね。喫茶店や飲み屋にもこうしたゲーム機が置いてあった。こうしたゲームに熱中していた友人もいました。
インベーダーゲーム

大学に入学してくる学生は何かを学びにきている。勉強すれば、何かが身について、良い企業に就職できるとか資格が取得できるとか考えている。まっ、確かにそういう面はあるけれど、何かの役にたつための勉強だけをすれば良いわけじゃない。

人間の幅を広げるためにも、勉強に限らずさまざまなことに挑戦してほしい。そうした自由な時間が与えられているのが、大学だと思う。もちろん、勉学が疎かになれば、留年したり卒業できなかったりすることもあるけれど、自己管理ができるようになることも大切だよね。

記事の最後にある「自分で自分をバージョンアップ」できることが大切だと思います。










単位スコップ

単位スコップ

日経新聞(5/30付け)に大阪大学の「単位スコップ」が完売したとの記事があった。
「単位が地面に埋まっている」
学生が単位取得の難しさを口にする大阪大学で、クリエイティブユニットの伊藤雄一准教授(情報科学)らが作製したお守り型キーホルダー「単位スコップ」(500円)が人気だ。赤いスコップに「単位」と表記した小片が磁石で付いている。2016年11月の発売から約9カ月間で、用意した500個は完売。その後の追加発注分も売り切れる人気ぶりだ。
(以下略)

製作の背景には学生や受験生の間で広がる都市伝説があるという。京阪神では単位の取りやすさを比較して「空から降ってくる京都大」「地面に落ちている神戸大」「地中に埋まっている大阪大」などといわれているという。伊藤雄一准教授は「実際にオープンキャンパスなどでも高校生から質問がある。阪大は厳しいと敬遠されがちなところを逆手に取った」「遊び心でお堅いイメージを払拭し、大学に愛着を持ってもらえれば」と話している。

単位の取りやすさが、都市伝説になっているろは驚きだ。大学を卒業するまでの評価方法に大きな差があることは少々問題になるのではないだろうか。それとも入学できた大学が問題なのであって、大学で何をどう学んだ、ということはあまり問われないということか。

ところで、大学時代の恩師が設計ではさじ加減が大事だということをよく言っていた。僕たち学生はまだ未熟であり、さじ加減ならぬ「スコップ加減」だな、と言っていたことを思い出した。










頭の良いメガネっ子?

glasses-cognitive-180530

ディスカバリーNEWSに、『頭がいい人はメガネをかけている率が30%高い』という記事があった。
メガネをかけていると頭が良さそうに見える…なんて印象を持っている人は少なくはないだろう。どうやらその印象も間違ってはいないのかもしれない。認知機能と遺伝の関係を調べたイギリスの研究で、メガネと認知機能の高さに相関関係が見られたのだ。

エディンバラ大学の認知加齢と認知疫学センターのゲイル・デイヴィス(Gail Davies)博士が率いたこの研究では、病気や加齢による認知機能の低下への理解を深めるために、16歳から102歳までのイギリスの30万486人の認知機能と遺伝が調べられた。これはこれまで行われた認知機能に関する遺伝研究の中で最大のものだとデイヴィス博士は英紙テレグラフに語っている。参加者の中には認知症や脳卒中のものは含まれておらず、参加者たちは遺伝子分析を受けると共に一般認知機能を出すための思考テストを受けた。
(略)
研究の一般認知機能と52の健康関連の特徴とを比較した部分では、そのうち36の健康面の特徴と認知機能との有意な相関関係が見られた。

なかでも面白いのは、一般認知機能とメガネをかけている事に関しての関係だ。認知機能がより高い人は、そうでない人に比べ30%近く多い確率でメガネをかけている、もしくはコンタクトレンズをつけていることが判明したのだ。しかしメガネをつける理由に関しては近眼である遺伝表現型とは正の相関がみられたものの、遠視の場合は負の相関が見られている。また、心臓血管の良好な健康状態と関連した遺伝子と高い認知機能とも相関関係が見られた。

この研究ではこれらの遺伝と認知機能とは相関関係が見られたが、この二つに因果関係があることを示すものではないし、相関関係の理由も判っていないということも注意すべきだろう。将来はこれらの相関関係の理由を探ることで、人間の脳の機能と遺伝との関係が判ることになるかもしれない。

近視になってメガネをかけるようになる要因は、遺伝もあるかもしれないが、勉強のしすぎ、ゲームのしすぎ、読書のしすぎなど様々な要因があるだろう。自分もメガネを中学生のころから掛けているが、勉強のしすぎではないだろうな。この研究では、メガネをかけていることと認知機能に因果関係があることを示してはいない。ただ、メガネをかけるほど、何かに熱中していたということはあるのかもしれないが・・・

最近では老眼で、新聞を読んだり、パソコン作業をするときには、老眼鏡が欠かせない。まっ、当然ながら、老眼と認知機能との関連はないんでしょう、ね。

なお、この研究成果はNature Communicationsで発表されている。興味のある方はご覧下さい。










地元愛が強すぎる都市は?

fukuoka_momochi

英情報誌モノクルでは、毎年、世界の住みやすい街ランキングを公表しています。このランキングでは、福岡市が上位に入ることもありあす。2017年のランキングでは、福岡市は、東京、京都に続いて14位となっています。

モノクルとは調査方法は異なるものの、1年以上前に、調査媒体:三菱UFJリサーチ&コンサルティング(株)が政令指定都市および東京都区部の計21団体を調査した結果がある。これによると「自分の住む街がとにかく大好きで仕方がない!」都市は、圧倒的に『福岡市』となっていた。詳細は、citrusで。
調査では、住んでいる街に対する「愛着」と「誇り」それぞれで「感じていますか?」という質問を行なっています。

愛着
1位 福岡市……55.5点
2位 札幌市……47.5点
3位 京都市……43.5点
4位 仙台市……41.5点
5位 北九州市……41.0点

誇り
1位 福岡市……39.5点
2位 京都市……38.5点
3位 神戸市……25.5点
4位 札幌市……24.5点
5位 仙台市……20.5点

同調査ではさまざまな分野において「現在お住まいの都市について、友人・知人に勧められますか?」という質問も行なっています。

Q. 現在お住まいの都市について、友人・知人に勧められますか? 
全体的によいまちであること
1位 福岡市……62.0%
2位 札幌市……54.5%
3位 仙台市……44.5%
4位 京都市……42.5%
5位 神戸市……41.0%

いろいろな人と交流を深めること
1位 福岡市……43.0%
2位 札幌市……28.5%
3位 京都市……15.5%
4位 神戸市……14.5%
5位 仙台市……13.5%

いかがでしょうか?
まるでこの5都市しかランキングに参加していないような結果となっていますが、もちろんそうではありません。日本全国の21都市が参加していますが、1位は大差で福岡市となり、2位から4位で多少入れ替わるという結果はほぼ同じ。

同調査ではこのランキングのほかに「買い物・遊びなどで訪れること」「住むこと」「働くこと」「デートすること」「多様性があること」というランキングもありますが、こちらも上位5位のうち4都市はさきほどのラインアップがランクインしています。中でも福岡市と札幌市は、すべてにおいてベスト5入り。要するにこの5都市の人々は、どんな分野においても自分の都市のことが自慢なのだと推測されます。中でもとびぬけて愛情が強いのが、福岡市と札幌市といえそうです。

確かに福岡は住みやすいと思います。学生に聞いても、福岡がいい!という声も多いですね。しかし、福岡市にも課題はあります。福岡市中心部には車やバスが集中してしまうこと、公共交通機関がバスが中心であること、歩道が十分整備されていないこと、ウォーターフロントへのアクセスが悪いことなどなど。

こうした点が改善されていけば、さらに住みやすい街になると思いますね。









構造の常識

日本建築学会の機関誌「建築雑誌」(6月号)の特集は、『「構造の常識」の過去・現在・未来』。昭和21年、当時の京都大学の棚橋 諒教授が建築雑誌に「建築の常識」と題して寄稿されている(全体で3ページの短いエッセイ)。このエッセイの中には、「構造家は創意の工夫がなければならないが、同時に常識もなければならない。それはあらゆる角度から検討し判断する力が必要だと云う意味である。常識的な構造家では文明に寄与するところは甚だ少ないのである」という文がある(2ページの中ほど)
構造の常識_ページ_1

この特集では、現在までを4つの時代に区分をして、その折々の「構造の常識」について、その時代を生きた構造家へのインタビューがなされている。登場する構造家は、川口 衞先生、斎藤公男先生、佐々木睦朗先生、金箱温春先生の4名。紙面の都合なのだろうけど、インタビュー記事はちょっと舌足らずなところがあるかな、という印象だが。

それぞれの構造家のインタビュー記事の後に、コラムが書かれていて、私が金箱先生のインタビュー記事を読んで、コラムを執筆させていただいた。以下に私の拙文を掲載しておく。
AIが構造設計をする?

ある建設会社では構造設計にAI(人工知能)を導入し、ルーチン的な作業の7割の削減を目指し、構造設計者がよりクリエイティブな業務に集中できる設計環境の構築を図るという。近い将来、人間とAIが協力し、新たな発想による作品づくりを行う時代が来るのだろうか。日本の構造設計では耐震設計が大きなウエイトを占めている。耐震設計を行うにあたり、地震動、地盤、部材耐力などには不確定な要素があり、それらをどう判断していくかが重要となる。それらの判断資料として法令や基規準・ガイドラインが整備されてきている。法令や基規準類が十分に整備され、さらには設計用地震動までが提供されるようになれば、構造計算をほぼ自動的に行うことも夢ではないだろう。まさにAIの出番か。

ただAIが構造計算を行ったとしても、建物の耐震安全性をどう設定し判断するのかは、設計者と建築主の役割であり責務であろう。しかし、設計者(専門家)が建物の耐震安全性を一般の人たちに説明するのは難しい。安全性は「見えない性能」であり、分かりやすく説明する方法論(言語)を専門家は持っていないのが現状だ。こうした課題や設計者の職能などについて議論した内容が「建築の構造設計 そのあるべき姿」(日本建築学会、2010年)としてまとめられている。今後もこうした議論を継続していくことが求められる。
あるべき表紙

AIが過去のデータを学び進歩する限りにおいては、新しい技術の創造をすることはないだろう。免震構造が1980年代に実用化されて30年以上が経過する。当初、積層ゴムで建物を支えるということは非常識だと思われた。それが今では当たり前のように使われている。構造の非常識が常識となった。構造設計者には、これからの建築構造の発展のために新しいことにチャレンジしてフロンティアを開拓してほしい。「構造の常識」を超えた構造設計者の創意工夫を期待したい。

棚橋先生のエッセイのなかに次のような一文があった。
「創意の力はどうしても二十代三十代の人びとに期待しなければならない。この様に創意の力の発揮されることを妨げるものは中老年の人の経験である。」
エッセイでは尊重しなければならない経験と甚だ迷惑な経験があると書かれているが、還暦に近い私も若者の創意を妨げないようにしたいものだ。

さて、将来の構造設計は、どのようになっていくのだろう・・・










一番いいオフィスの温度設定とは?

Women-Deal-With-When-Office-Is-Cold-1

6月に入りますます気温も高くなり、そして梅雨の時期を迎える。
そうしたなかディスカバリーNEWS『一番いいオフィスの温度設定とは? 研究者が語る、性別で異なる夏の室内最適温度』という記事があった。
暑い夏、どこのオフィスも冷房が効いていて、涼しいと思う人もいれば、寒いと思う人も、はたまたまだまだ暑いじゃないか、と感じる人もいるだろう。何故一部の人は寒く感じて、一部の人はそう感じないのかをPopular Scienceが解説している。

アメリカ陸軍環境医学研究所の研究生理学者ジョン・カステラーニが、女性と男性の体の違いについて述べている。それによれば、平均して女性の方が体脂肪が男性より多く、これが断熱材の役割を果たすため、女性の方が皮膚温度が少し低いのだそうだ。

また、オランダのマーストリヒト大学病院の生理学者マルケン・リヒテンベルトは女性の代謝の方が低いことも指摘している。リヒテンベルトらが Nature Climate Changeに2015年に発表した研究では、一般的に人々が心地よく過ごせる室内環境モデルが構築される際に、女性の代謝に関して考慮されていないことが指摘されている。それによれば、女性は25度の平均室温を好むのに対し、男性は22度を好むとのことだ。

なお、アメリカ暖房冷凍空調学会による室内環境基準には男女の代謝率の差も考慮に入れられており、夏の間の室温は22.7度から26.1度を推薦している一方で、実際のオフィスの温度はそれを下回ることが多いとのことだ。ただし、この基準の作成にも関わったビャールネ・オルセンによれば、代謝は男女の性差よりも個人の差の方がよっぽど大きいとのことだ。
(以下省略)

室内や列車などの気温については、個人差が大きいのは間違いない。暑がりの僕にとっては、冷房が強い方が好きだけど、それにしても、オフィスの温度が22度というのは低すぎないか。

日本では冷房時の温度は28度が目安とされているが、この記事によれば、室内の温度はもっと低くてもいいようだ。もちろん、室内で働く人のことだけでなく地球環境問題なども考えてのことだろうけど、ちょっと高めかもしれない(と思う)。そのために、日本ではクールビズが取り入れられてもいるのだろうが。

ただ、気温だけでなく、湿度のことも考慮すべきだろう。
蒸し暑い日本では、単に気温だけで体感温度を把握できないこともあると思う。オフィスの気温をどのように設定すべきかについて誰もが納得する気温というのはないのかもしれない。個人で対策をとっていくしかないのかも・・・

ということで、夏場はいつも扇子を持ち歩いている。










測量の日

images
6月3日は「測量の日」だそうだ。

1989年、建設省(現国土交通省)が測量法の制定40周年を記念し、同法が1949年6月3日に成立したことにちなんで制定したものだ。その測量は現代社会にあっては、国土の管理・保全や、防災・減災、さらに急速に拡大する地理空間情報高度活用社会を支える極めて重要な情報インフラとなっている。

国土地理院では「測量の日」にあわせて「重力って何?」をテーマに、重力観測施設(重力棟)を初めて公開する。国土地理院は、今年は測量の日の制定30年目にあたることにちなんだ展示や体験学習も行う。6月6日〜8日は、JR新宿駅西口広場で「くらしと測量・地図展」を東京都と共催で開く。明治期から今日までの測量機器、測量施設、地図などを紹介する、という。
00091037

日本測量協会のサイトでは、「測量」について紹介されている。
Q「測量」とは?
「測量は地表面上の地点の相互関係および位置を確立する科学技術である。」

Q「測量」という言葉は、どこから来たのか?
 誰もが知っている「測量」という言葉ですが、現在伝えられているところでは、中国の「測天量地」という言葉から考案したものとされています。日本で初めて「測量」という言葉が書物に出てくるのは、儒学者 細井広沢の著「秘伝地域図法大全集」亨保2年(1717)です。

昔は地図帳とかで調べるしかなかったけど、いまではスマホで地図を確認でき、さらにGPSで自分の位置まで確認できるようになった。もはや、地図は日常生活でなくてはならないものといっても過言ではない。

では、そうした地図がどのようにして作成されているのか。こうしたことにも興味をもってもらうことも必要だろう。いまでは、ずいぶんと測量の方法も変化しているんだろう。

大学時代にトランシット(当然アナログ)を使って測量実習をしていた時代が懐かしい・・・









スマホはパソコンとして使えるか?

im-10593

WSJ誌『スマホをパソコンとして使えるか』という記事があった。
スマートフォンとコンピューターの違いは何だろうか?
スマホとノートパソコンを見比べて、よく考えてほしい。頭に浮かぶのは、処理能力やメモリ、スマホではできない作業がある、といったところだろう。

長年にわたり、その答えは正解だった。デスクトップやノートパソコンと比べてスマホは処理速度がとても遅かったからだ。だが今や「iPhone(アイフォーン)」のプロセッサは多くのベンチマークテストで「MacBook(マックブック)」のプロセッサを上回っている。

最新型のスマホなら動画の編集や複雑なゲーム、さらに「ワード」や「エクセル」にも対応することができる。中にはドックやソフトウエアを使って大型ディスプレーにつなげられる端末もある。これなら従来のパソコンを使っている感覚とほぼ変わらない。

スマホならではの優位性もある。1日を通して最も利用される機器で、常に手元にあることだ。重要なファイルや個人情報にアクセスでき、利用者がそのインターフェースを熟知している。多くの点でスマホはパソコンを上回るコンピューターかもしれない。最大1000ドルも支払うのなら、そうあってしかるべきだろう。

スマホを主たるコンピューターとして使うのは必ずしも容易ではない。アップルやグーグルのスマホ向け基本ソフト(OS)は、デスクトップのようなマルチタスクを処理するようデザインされたものではないためだ。それでも不可能ではない。筆者が試してみたところ、スマホに足りないのは大きなディスプレーとキーボードであることが分かった。そしてこの2つの問題には対処する方法がある。

キーボードとディスプレーは、現時点では単純にブルートゥース経由で接続するのが最善だろう。筆者はロジテックの「Keys-To-Go (キーズ・トゥ・ゴー)」(iPhone用スタンド込みでアップルのサイトで70ドル)を気に入った。キーボードは軽く、常にかばんに入れておける程度には丈夫な作りになっている。
logitech-keys-to-go-keyboard-main-image-100742701-orig

iPhoneをディスプレーに接続するにはHDMIケーブルに加え、アップルの「ライトニングデジタルAVアダプタ」(50ドル)が必要になる。アンドロイドOSを搭載したスマホの場合、多くはUSBとHDMIをつなげるケーブル1本でディスプレーに接続することが可能だ。

これらのアクセサリーを使ったことで、スマホに対する筆者の考え方は完全に変わった。数日前に自宅にノートパソコンを忘れて電車に乗ったが、問題はなかった。スマホと無線キーボードをブルートゥースで接続し、iPhoneをマグカップに立てかけて電子メールなどを処理することができた。
(略)
筆者は自分のデジタル生活すべてを1つの端末に集約するという考え方が気に入っている。そうなれば1台の素晴らしい端末に集中的に投資できるからだ。その端末には使い慣れたアプリを入れ、設定やデータもそこにすべて保存できる。多くのコンピューターにログインするより、よほど安全な気がする。グーグルのパスワードを盗まれるより、スマホを盗まれる可能性の方が恐らく低いだろう。ただし、スマホを紛失すれば、非常に困ることになる。

いまでは、スマホで電子メールの送受信ができるようになった。外出先からでもメールをチェックできて便利だ。ただ、添付書類を開いたりするときには、ちょっと不便を感じることもあるが。もう一つは、文章の入力も小さなキーボードだと長文は難しい。こうしたときには記事で紹介されているようなキーボードを使うのがいいのだろう。

しかし、パソコン用のソフトはあるけどスマホ用のアプリがないなどという状況は以前として存在している。今後、スマホがどのように発展していくのだろうか。スマホ1台でなんでもやれる時代になっていくのか、それとも用途別にスマホやタブレットやパソコンを使い分ける必要があるのか。

最近の学生は、パソコンよりもスマホを使うことに慣れている。研究室にパソコンはあるが、調べ物をするときにパソコンよりもスマホを使っていたり(大きなディスプレイの方が楽だと思うのは老眼のせい?)、簡単な文書を作成するときにもスマホで入力していたりすることもある。キーボードを使うことに慣れていないのかもしれない。実際、スマホでもワードやエクセルのアプリはあるので、将来、スマホで仕事、なんて時代になっていくのか。

スマホでの文字入力に慣れていない世代としては、携帯型のキーボードを買ってみようかな・・・









Archives
Recent Comments
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

講義中・・・
著書など
研究室のマスコット
「アイソレータ・マン」。頭部は積層ゴムで、胸にはダンパーのマークでエネルギー充填
『耐震・制震・免震が一番わかる』
共著ですが、このような本を技術評論社から出しました。数式などを使わずに耐震構造、制震構造、免震構造のことを、できるだけわかりやすく解説しています。
『免震構造−部材の基本から設計・施工まで−』
免震構造協会の委員会活動の成果として、このような本をオーム社から出しました。免震構造の基本をしっかり学べるような内容となっています。
『4秒免震への道−免震構造設計マニュアル−』
いまでは少し内容が古いかもしれませんが、免震構造の基本的な考えを述べています。初版は1997年に理工図書から出ていて、2007年に改訂版を出しました。
  • ライブドアブログ