バク宙するロボット

ソフトバンクが買収したボストン・ダイナミクスの人間型ロボット「Atlas(アトラス)」が、「バク宙」をするまでに進化している。
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<左上から時計回り>
詳しくは下の映像で確認を。


バク宙をした後、脚でバランスを取るように踏ん張っているところなど、まさしく人間的だ。これがさらに進化すれば、人間が入れないような、例えば核施設のような危険な場所で作業ができるようになるかもしれない。

そのためには、もっと細かい作業ができるようにしたり、動きをもっとスムーズにできるようにしたり、もちろんバッテリーの寿命も長くする必要があるだろう。そこまで進化すると、建設作業なんかでも、ヒューマノイド型ロボットが24時間働くようになったりして・・・

建築基準法と地震時の安全対策

BELCA(10月号、ロングライフビル推進協議会)の巻頭言に工学院大学の久田嘉章教授が『建築基準法と地震時の安全対策』と題して寄稿されている。
最近、建築基準法を基本とする国の安全対策の限界を痛感する機会が増えている。

まずは、千年に一度という超巨大地震である2011年東北地方太平洋沖地震の教訓を踏まえた「超高層建築物等における南海トラフ沿いの巨大地震による長周期地震動への対策(国土交通省、2016年6月)」である。大阪・名古屋・静岡の湾岸地域では従来の基準法の告示レベルの2倍の長周期地震動を考慮した設計が求められている。 

この対策は内閣府による「南海トラフ沿いの巨大地震による長周期地震動に関する報告(2015年12月)」をもとに、1707年宝永地震と1854年東海地震による地震動の推定結果から振幅レベルを決定している。基準を担当する国交省と異なり、防災を担当する内閣府には発生確率を度外視した最悪の結果を提示して対策を推進する役割がある。

考慮した二つの地震も南海トラフ地震の中でも極めて稀な超巨大地震であり、千年に一度の最悪の地震に近い。基準を2倍にしても設計は可能であるが、ダンパーを過剰に付加するなど、従来の基準の建物の耐震性能を悪化させる可能性があり、実質は免震建築物等の禁止令に近い。可能性の極めて低い地震動で設計させておいて、可能性の高い地震動の性能を悪化させる政策に、何の意味があるのだろうか?

実際には民間はもっと進んでおり、基準法を超える地震動レベルを考慮した建物の余裕度検証や、基準を超えた場合のフェールセーフ機能の開発などの対策は広く行われ、この分野では世界の最先端である。国は数千年に一度という最悪地震にも対応可能な、世界に先駆けた技術開発と対策を誘導した方がはるかに建設的と思う。

次の例は、数千年に一度という活断層帯の地震である2016年熊本地震の教訓を踏まえた「益城町の市街地復興に向けた安全対策のあり方等に関する最終報告書(国土交通省、2017年3月)」である。そこでは「活断層のズレに対する安全対策」として、「低層建築物では新築される建築物について特段の追加的配慮は必要ない」としている。
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天然記念物とするよう答申された布田川断層
国交省の安全対策とは「倒壊しないこと」に過ぎず、一般市民が考える安全とは大きなズレがある。実際、熊本地震では倒壊等による直接死は50人であるが、大勢の住民が避難所・仮設住宅での生活を余儀なくされ、災害関連死は200人を超えている。全半壊した家屋は4万2千を超え、その復旧に膨大な時間と公費が投入されている。活断層のズレに対しても、べた基礎や耐震壁など高い耐震性をもつ建物には甚大な被害が生じないことは熊本地震でも確認されている。活断層の近くであれば、「耐震性能を向上させる追加的配慮」を推奨すべきだと思う。

建築基準法は全国一律の最低基準であり設計目標ではない。今の社会が望む基準や指針は設計者・技術者の合意の上で主体的に決めるべきだと思う。海外では最近、「性能設計」から「建物の復旧性能に基づく設計法(Resilience-Based Design)」が提唱されており、国・民間が協働した設計指針や建物の認証制度が始まっている。今後、基準法を超える指針や認証制度の重要性は益々重要になると思う。

ここに書かれていることは、まさにその通りである。
建築基準法は最低基準とされ、法に適合していれば建築できることになっている。しかし、長周期地震動では、国交省が出した長周期地震動波形を使って設計しないといけないことになっている。基準法のレベルを大きく超える地震動を使って設計しないと建築させないということらしい。これは、法のダブルスタンダードではないのか。

そろそろ、建築基準法という枠組みを大幅に見直す時期ではないだろうか。この機会に、膨れ上がった法体系をスリム化し、民間に任せてみてもいいのではないだろうか。あわせて国は耐震問題や防災に対する技術開発への積極的な支援をしてもらいたいものだ。

地球の自転速度と地震の関係

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Geophysical Research Letters(Geological Society of America)に、”Do weak global stresses synchronize earthquakes?”という論文が掲載された。著者はRoger Bilham(コロラド大学)とRebecca Bendick(ミズーリ大学)の二人。

この論文の本文は読んでいないが、ガーディアン紙が”Upsurge in big earthquakes predicted for 2018 as Earth rotation slows”として伝えている。これによると、
地球の自転速度は1日あたりに数ミリ秒遅くなっており、この低下は数年周期で一気にスピードアップすることで解消されます。自転速度の変化はわずかなものなので、人間が体感することは不可能ですが、原子時計を利用することで正確に測定することが可能です。ベンディック博士らは地球の自転速度がおよそ32年ごとに増減を繰り返す周期に入ることを発見。

増減を詳しく分析すると、自転速度が速まる直前に4年間にわたって日々速度が減少し続けることがわかりました。さらに、ベンディック博士らは、地球の自転速度の変化が及ぼす目に見えてわかる現象として「巨大地震の多発」という兆候をも発見しています。ビルハム博士らの調査によると、過去数世紀において地球の速度が減少し、増加に転じる5年間のサイクルにおいて、マグニチュード7を超える巨大な地震の数が急激に増えているということがわかったそうです。

ビルハム博士によると、過去4年間にわたって地球の自転速度は減少し続けており2018年が5年目の反転時期にあたるとのこと。「推論は明快です。来年に私たちは巨大地震の数が急激に増えるのを目の当たりにするでしょう。これまでのところ、巨大地震はたった6回しか観測されていません。2018年が始まれば、巨大地震が20回くらい起こる可能性は高いでしょう」と。

地震も地球の活動にともなう自然現象であり、地球の動きによって地震活動が活発になるということはあるだろう。もし、来年地震の発生回数が増えるとしても、それがどこで発生するかによって、被害の様相は変わるだろう。いつどこで地震が発生してもいいような対策をしておくことが望まれる。耐震化が十分でない地域では、耐震的な住宅をつくることができるような支援も求められる。

最近でもメキシコやイラン・イラク国境、そして韓国などでも地震が相次いでいる。これは来年の地震多発に向けての前兆なのだろうか・・・

日本、少なくとも科学技術立国には向かっていない

日刊工業新聞に『どうなる日本の科学・ノーベル賞受賞者に聞く』というのがあり、その第1回目に東大宇宙線研究所所長・梶田隆章氏がインタビューに答えている。
―物理学賞が決まったその日から、基礎研究や若手支援の重要性を説いてきました。
「この2年間、機会を頂くたびに日本の科学技術が危機的な状況にあることを説明してきた。特に若手研究者の待遇は厳しい。ただメッセージがどれだけ伝わっているのかはわからない。これまでの政策や大学改革は本質的に正しかったのだろうか。少なくとも科学技術立国には向かっていない。日本はどんな国を目指すのか。もし科学技術でないなら、何かを示してほしい」

―すぐには役に立たないとされる「学術研究」をどう支えるべきですか。
「貧弱になった大学の運営費交付金を立て直し、日本学術振興会の『科研費』を拡充すべきだ。もともと運営費交付金の削減分を競争的資金として分配するはずだった。だが科研費は伸びず、交付金の削減分を補えていない。科研費の採択率は3割に届かない。採択されても提供される資金は申請額の7割程度に過ぎない」
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<出典:日刊工業新聞

「また研究者が研究に使える時間が短くなっていることも深刻だ。研究者に対する支援スタッフの数が少ない課題もある。日本は経済協力開発機構(OECD)諸国の中でも異質ではないか。他国が科学技術予算を増やす中、日本だけが大学や研究機関の体力をそぎ落とし続けている。社会として問題の深刻さを共有できていない。このままでは科学技術を立て直す時期を完全に逸する」
(略)
―東大は競争的資金での「間接経費」を使って正規雇用を推進しています。一方で、「地方大学から削った資金が東大の雇用安定化につながる」との皮肉も聞かれます。
「雇用対策は東大の社会への問題提起と考えていただければ。東大のように大規模大学で外部資金を集められる大学でなければ実現は難しい。私は政策テクニックは分からない。ただ新たに立ち上げるより、運営費交付金や科研費を立て直す方が先だ。大学や学振には研究を評価し進める仕組みがあり、その改善も続けてきた。予算を増やせば受け皿はあるはずだ。若手は本当にやりたいテーマを追究してほしい。どの研究がノーベル賞級の成果が出るかはやってみなければ分からない。一人ひとりの興味や探究心に応じてテーマを選べる環境が重要だ。大学の細かな改善策では状況は覆らない。いま必要なのは根本的な対策だ」

研究は、大きく基礎研究と実用化研究に分けることができる(もちろん両方やっているところもある)。実用化研究では産学連携の大型化や組織化をしやすく、研究成果がどう活用されるのかがわかりやすい。一方、研究者の探究心を基に進める「基礎研究」は、民間資金の導入が難しい。そのため、公的資金の導入が必要となる。

宇宙や深海の探査などに関して巨大な研究施設が作られてきている。そうした施設を使ってノーベル賞受賞者も輩出してきているし、そうした成果によってこれまでわからなかったことが理解できるようになり、学術的、科学的な成果は大きい。

一方で、工学に関連する分野での大型研究施設の建設はなかなかすすまない。例えば、建築や土木の構造部材を実大サイズで、実速度・実変位で破壊できるような試験装置の設置を求めているものの、公的資金の支援を得ることは現状では難しい。

隣国の中国をみると、潤沢な研究資金があるようで、大学に大型の実験施設の設置などが進んでいる。基礎研究だけでなく、そのうち実用化研究の分野でも、日本の研究や技術開発力が低下していきかねない。

2015に生理学医学賞を受賞した大村智北里大学特別栄誉教授は「大学予算の一部を小中学校の理科教育の充実にあててもいいかもしれない」。小中学校で理科を好きになった子どもが、受験勉強で面白さを失っていく現実を嘆きつつも「教育ほど確実な投資はない」と強調しているとか・・・

人口が減少していっている日本にあって、教育と研究をどう進めていくのかは、重要な課題だ。

列車が20秒速く出発して謝罪

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日本の鉄道会社が定刻より20秒早く出発(早発)したことを謝罪する声明を発表し、多数の海外メディアが驚きを持って報じている、という。

謝罪したのは、東京都内と茨城県つくば市を結ぶ「つくばエクスプレス」を運営する首都圏新都市鉄道。南流山駅(千葉県流山市)で2017年11月14日の9時44分頃、下りの列車が定刻より20秒早く発車したとして、「お客様には大変ご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます」と、その日のうちにプレスリリースでお詫びした。

プレスリリースによると、列車は定刻の9時43分40秒、同駅に到着した。出発時刻は9時44分40秒だったが、乗務員が十分に時間を確認しておらず、列車は9時44分20秒に発車した。「この件でお客様からの苦情等はありません」という。

この謝罪について、海外メディアは、次のように報じているという。
「史上最も反省した20秒だったかもしれない」(ニューヨーク・タイムズ)
「日本の鉄道会社が20秒早く出発して謝罪した」(BBC)
「日本の鉄道会社が謝罪した。ニューヨークの乗客は決して聞くことがない謝罪だろう」(ニューヨーク・ポスト)

鉄道関係者は、「本当はこの列車に乗れたかもしれないのにタイミングを逸してしまったお客様もいるかもしれません」と言っているという(J-CASTニュース)。確かに、列車の扉が閉まるギリギリに乗り込んでくる乗客もいることから考えれば、そういう人もいたかもしれない。

列車だけに限らず、飛行機でも数分遅れただけで、遅れて到着したことを謝るアナウンスが流れる。海外では考えられないことだ。これだけ日本社会は精密に動いているということだろうか。精密さ、厳格さを求めるのはいいけど、そのぶん社会に余裕がなくなってきてはいないか。

新幹線をはじめ多くの列車を精密に運行するシステムは素晴らしい。しかし、一方でアルミ材などの材料特性の偽装、自動車の完成車検査での不正などなど、日本社会の厳密さを揺るがす事態も明らかになっている。あまりに精密さ厳密さを求めるとどこかに歪みが生じてきているのかもしれない。そうした事態に備えるための「余裕」も我々に欲しいものだ。

ところで、朝日新聞(11/19付け)の天声人語では、日本の横断歩道における車優先の状況に関して、次のように書いている。
「お上を意識して動く。そんな日本社会の特徴が出ているのではないか」と、日本交通心理学会の太田博雄会長は言う。信号機のような明確な縛りには従うが、おとがめがなさそうな場面では緩みが出てしまう。自分たちの判断で安全をつくるのが苦手なのかもしれない。

日本では「お上」がルールを決めないといけないのか。しかし、「お上」が決めたルールは守らない・・・

施工がわかるイラスト建築生産入門

『施工がわかるイラスト建築生産入門』(彰国社、3200円)が発刊された。
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本書では、一つの建築物の着工から完成、維持・保全までのプロセスを実践に基づいたストーリー仕立てで分かりやすく解説されている。800点を超えるイラストを中心に現場のリアルさを凝縮し、読むだけで疑似体験できるよう心がけたとか。発刊は日本建設業連合会の建築生産委員会によるもので、イラストは川一雄氏が担当している。

編集の中心的役割を果たした同委員会の木谷宗一施工部会長は、「現場の魅力を埋め込みながら、品質問題や企業の社会的役割といったトピックも散りばめている。大学や専門学校の学生、ゼネコンの新人教育に役立つ内容になっている」と説明。

大学などの教育機関では、各専門分野の内容を分かりやすく理解できるように工夫した教科書が多数あるが、図版や写真よりも文字が多く、若者にとって難解な部分も多いことから、「現場で何をやっているかが手に取るように分かる」ことにこだわったとか。
(以上は、建設通信新聞より)

本書をみると確かにイラストが多く、文字は少ない。写真よりもイラストにする方が、注目して欲しい点などを強調できてわかりやすいようだ。大学生だけでなく中学・高校生や一般の方にもとっつきやすいかもしれない。しかし、難解な文章を読み解くことも大学生には必要なスキルだと思う。こうした入門書から興味をもってもらい、さらに深く学んでもらうことに繋がれば嬉しい。

ところで、「地震に対する技術」というところで免震構造が紹介されている。
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そこでは、「積層ゴム支承」に下記のような説明がついている。
「積層ゴムは、地震時にゴムの柔らかさによって地震動が伝わらないようにゆっくり揺れる。鋼板は、その硬さによって建築物を支える。」

???
鋼板は積層ゴムの中間鋼板のことを言っているのだろうか。鋼板の硬さで建築物を支えているわけじゃないんだけど。ちょっと説明が不足していないだろうか・・・

世界最大の免震空港ビルが建設中

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ArchDaily”See the Structural Skeleton of Zaha Hadid Architects' New Airport Terminal in Beijing”という記事で工事中の写真を掲載している。

この新空港は北京の中心から南に46キロのところに建設中で、設計はザハ・ハディド事務所。完成すれば世界最大の空港ターミナルビルとなる。中央のターミナルから5本のウイングが延びていて(上の写真では6本あるようにみえるが、手前の一つは鉄道の駅舎部分だと思われる)、ウイングの端から中央ターミナルまでは600mという長さ。また、中央ターミナル部分(約500m×400m)は免震構造となっている。免震構造の概要については、こちらを参照。

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免震構造を採用した理由は、中央のターミナルを覆う屋根の鉄骨トラスのためだと聞いている。写真をみると、繊細そうな鉄骨にみえる。スケールが巨大だから相対的にそう見えているだけなのかもしれないが・・・

5本のウイング部分は耐震構造となっている。写真やパースだけでは判別できないものの、屋根部分にもエキスパンションジョイントを設けているのだろうか。

イラン・イラク地震

イラクとイランの国境地域で12日午後に起きたマグニチュード(M)7.3の強い地震による死傷者は、死者400人以上、負傷者7000人以上に上ったと報道されている。今年9月のメキシコシティのM7.1の地震では、少なくとも369人が死亡した。今年の地震として最悪の被害となる可能性がある。

米地質調査所(USGS)によると、震源地はダルバンディカンから約30キロ南、イラク国境沿いのイラン・ハラブジャから南西約30キロ。震源の深さは約23.2キロとなっている。
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<出典:BBC
イランは地下を複数の大きい断層が走る地震多発地域にある。2003年には、イラン南東部の古代都市バムがM6.6の地震で破壊されている。イランとイラクの国境地帯は、アラビア・プレートとユーラシア・プレートが衝突している(↓の左図)。アラビア・プレートは毎年数センチずつ北に動いている。南東部ではアラビア・プレートがユーラシア・プレートの下に潜り込んで圧力をかけているが、北西部では両方の巨大プレートが直接互いにこすれあっている。この圧縮運動の結果生まれたのが、ザグロス山脈だといわれている(↓の右図)
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建物被害としては、完全に倒壊したものもあり、また外壁などが脱落した建物もみられる。こうした建物は施工不良との指摘もなされている。イランで最も被害が大きかったのは震源の南にあるサレポレザハブ。同地で被害が拡大した原因として、「愛情住宅」と呼ばれる低所得層向けの公共住宅が手抜き工事で建設され、耐震基準を満たしていなかった疑いが浮上しているという報道もある。
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こうした建物から家財道具を運びだしている様子も報道されていたが、余震があったら崩壊しかねず危険だ。一方、イラクでは、フセイン政権軍の空爆から身を守るため、住宅を強固な構造にしていたことが被害軽減につながったとみられる。

いずれにしても、住む家を失った人たちの支援や救助を優先すべきだろう。

読み、書き、数学

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日経新聞(11/9付けの夕刊)の「プロムナード」欄に森田真生氏が『読み、書き、数学』と題して寄稿している。
船上に26匹の羊と10匹のヤギがいる。このとき、船長は何歳でしょう?

40年前、数学教育を専門とするフランスの研究者がこの問いを小学低学年の子どもたちに投げかけた。すると、大多数の子どもが「36」と答えたそうだ。

もちろん、船の上に動物が何匹いようが、船長の年齢と関係はない。解けるはずのないナンセンスな問いだが、子どもたちは反射的に、文中に出てきた数を足し合わせ、もっともらしい「解」を導き出したのである。

その後、グルノーブルにある「数学教育研究所(IREM)」は、規模を大きくした追加実験を行った。すると、出題された7歳から9歳の子どもの9割近くが、この問題が無意味であることに気付かず、文中の数字を組み合わせて答えをひねり出したという。その後、ドイツやスイスなどでも同様の実験が行われ、子どもたちの同じような反応が確かめられた。

ショッキングだが、にわかには信じがたい話だ。この実験を紹介しているベルギーの教育心理学者エリック・ディコルテらの著書「Making Sense of Word Problems(文章題を理解する)」の中に、この実験の正当性を疑ったアメリカのある教育研究者のエピソードが紹介されている。

彼は、実験の対象に選ばれた子どもたちが、たまたま「よい数学教育を受ける機会がなかった」ことが、結果に影響を及ぼしたと考えた。そこで、試しに我が子に、同じ問題を出してみたそうだ。すると、小学5年の彼の子は、迷わず「36」と答えた。驚きと落胆とともに「なぜ?」と尋ねる父に、「こういう問題のときは、数字を足すか引くか掛けるんだよ。この問題の場合、足すと一番うまくいく」と返事があった。

こうした子どもたちも、実際に船に乗ったら、船長の年齢を調べるために、まさか羊やヤギを数えはしないだろう。「算数の文章題」という体裁で出題された途端に、普通だったらあり得ない不合理な推論を、平気でしてしまうのである。

私たちはそもそも何のために算数を学ぶのだろうか。原点は、「読み、書き、そろばん」の「そろばん」である。つまり、あらかじめ決められた手続きにしたがい、正しく計算する能力を身につけること。実際、試験では制限時間内に正しい答えを一つでも多く導くことが求められる。その結果、計算の「意味」をいちいち考えない癖がつく。そうした試験でいい成績を収めた人は、社会に出ても「言われたことを、言われた通りに、正しく実行する能力」に秀でている可能性が高い。そして、かつてはそうした能力が希少だったのである。

だが、言われたことを、言われた通りに、正しく実行する能力に関しては、もはや人間はコンピュータに及ばない。では、そもそも何のために算数や数学を学ぶのか。この問いは、移り変わる時代の中で、くり返し問い直していく必要がある。

単なる計算の技術ではなく、論理的な思考を頼りに、新たな概念を生み出し、それを使いこなしていくこと。それこそが、数学を通して学ぶことができる最も大切な能力である。「読み、書き、そろばん」ではなく、「読み、書き、数学」が常識になった未来を、私はこの目で見てみたい。

され、現代、あるいはこれから必要となるスキルはなんだろう。現代版の「読み、書き、そろばん」には何がふさわしいだろうか。

「読み、書き」は必須だろう。
ただし、これは日本語は当然だとして、今なら英語(ひょっとした中国語)も含まれてくるだろう。

では、「そろばん」は?
計算をするという意味では、「コンピュータ」だろうか。コンピュータを使いこなすスキルはどの分野でも必須だ。ただ、最近ではスマホやタブレットでスクリーンをタッチすることに慣れたせいか、キーボードでうまく文字を入力できないとも聞く。一方で、コンピュータ・プログラムの学習にも注目されている。プログラミング(コードを書くともいう)では、論理的な思考力を養うことにつながるともいわれている。

そういう意味では、「数学」も論理的な思考力を鍛えることができる。コンピュータやソフトウェアの操作スキルだけでなく、プログラミングや数学といった論理的思考力が求められてくるだろう。そうなると、「読み、書き、数学」というのもありか・・・

日本の強みは弱みに

建設通信新聞(11/6付け)の「建設論評」欄に『日本の強みは弱みに』という記事があった。
日本のモノづくりの技術は世界で断トツのナンバーワンと言われているそうだ。だが、そうした吹聴を額面どりに受け取ってはならないと思う。なぜならば、無条件でそう信じて誇示するのは日本人であり、そう言っている外国人自身でも、日本に倣う気持ちは乏しいからだ。内外の人々が認識を等しくしてこそ「国際的に」と言い切れる。だから、日本のモノづくりの常識を国際的な常識に短絡すべきではないのである。

それを端的に示しているのがISO(国際標準化機構)の思想である。ISOが求める品質水準とは、発注者や使用者が要求し満足する品質とされている。日本人が常識的にとらえる品質水準の概念は、仕上がりや完成時の精度や誤差を、発注者や使用者の要求や希望とは関係なく設定している。だがISOは、日本人が考えるような、良ければ良いほど良い品質とは考えないわけで、こうした国際的な常識として通用しない日本的な認識が誤解を生むのである。

図面どおりに施工したと言い張る業者を、完成時の仕上がりがイメージと違うと責める主張がある。だが、図面どおりに施工した施工者を責めることは筋違いである。請負金額は図面に基づいて算出されているからであり、図面どおりに施工した態度を責めることは、契約書類を構成している図面の否定にも通じる。契約書類の否定は発注者の意向を無視することにつながるのだから、当然、国際的な常識に通じるはずはないのである。

いまの日本では忖度(そんたく)が世の倣(なら)いらしい。だが、忖度がまかり通ることになれば、忖度を口実にして、発注者や使用者の要求や希望を黙殺したモノづくりが横行する。忖度は許されないのである。

日本国内ではいま、猫も杓子(しゃくし)も、国際的、グローバル、ボーダーレスの風潮にとりつかれている。建設の世界もしかりであ。拙(まず)いことに、日本の良さを外国でも通用するように、という「日本の押し付け」がある。

一つの例を挙げよう。
ある国の国会議事堂の建設を、日本の設計事務所と建設会社が引き受けた。凝った外観で、特に国家元首と国賓だけが使用する正面玄関の車寄せは、美しくかつ繊細な曲線を描いた外壁で仕上げられた。その表面は、太陽の光で刻々と変化する微妙な光沢を映し出し、息をのむ出来映えだったそうだ。時の国家元首が、感嘆したか喜んだかは定かではない。

分かっていることは、発注者側は業者の労苦を一顧だにせず、余分にかかった費用を支払わなかった、という事実だ。言ってみれば、ナタかマサカリの刃の程度でよかったのに、日本刀の鋭利さに仕上げたわけで、この見当違いの気遣いは無為な証になったわけだ。

その類の轍(てつ)を、日本の建設会社は何度も踏んできた。独りよがりのこだわりが発注者や使用者の意向無視、生産性や対費用効果の軽視につながることを思えば、国際競争力を失い、国際市場から取り残されかねないのである。

日本企業の経営者は、外国で通用する品質管理の常識に合うように、技術者や職人を啓蒙すべきなのである。まして、日本風の伝統的な認識を助長することには、警鐘を鳴らしたい。

図面などの設計図書に設計意図などをどこまで書き込むことができのだろうか。設計者や発注者の意図がすべて書き込まれていれば、いいわけだが実際にはそうなっていないから、設計者らと協議しながら施工を進めていくことになるのではないだろうか(推測だけど)。高い品質のモノをつくりたいというのは、ものづくりに携わっている者からすれば、当然なような気もする。ただし、それに見合った費用が支払われるということが前提であるようにも思う。こうした事態を想定して契約書はつくられていないのであろうか。

日本のモノづくりの技術は、世界トップクラスという自負はある。しかし、日本国内では受け入れられていたことが海外では通用しないということはよくある。以前は「ガラパゴス化」とも言われていた。日本の強みを活かして、ガラパゴス化を脱することが必要なんだろう。

しかし、ちょっと心配なのは、自動車の検査や材料の品質などにおいて不正が長年にわたってなされていたことだ。これでは、日本におけるモノづくりの技術が劣化していると思われるのではないか。これからのモノづくりはどうあるべきなのか、日本の強みは何か、などを再検証する必要があるのではないだろうか。

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<ソニーの初代WalkmanとiPhone>
明治大学の富野教授は、「今後、日本のものづくりが更なる飛躍を遂げていくためには、問題解決力はこれまでと同じように磨き、それと共に猝簑衄見力瓩凌鴫修鍵の1つを握っているように思います」と述べている(Meiji.net)。

いろいろな分野で、イノベーションを起こす力が求められている。

ゲンバ写真集『建設中。』

建設現場の写真集『建設中。』というのがある。
写真を撮ったのは、勝田尚哉氏で、以前ゲンバにいたとき高密度に規則正しく並ぶ鉄筋や整然と組みあがった鉄骨をみて、美しいと思ったことがあった、と。
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この写真集には、本当に建築物や土木構造物の工事中の写真だけが掲載されている。
あとがきには、こうある。
「こんなん、何の意味があるんだ?」
本書に掲載したような写真を見た、何人もの建設人の言葉である。工期中の状況など見せるためのものではないので仮に美しかったとしても意味はない、いやこんな仕上がっていないものはキタナイので当然仮にも美しくないに決まっている、大体これでは私のやったデザインがわからんじゃないかと設計の方、オレは忙しいんだこんなものを愛でているヒマはないと施工の方。

要するに「このスジの者」にとって、これらの光景は日常の、あたりまえの、踏み越えていくだけの光景なのである。なんの刺激も表現としての価値も感じないようなものだ。のみならず、良いものを完成させようと心血を注いでおられる感性からは、これらは途中であり、したがってまだあれもこれも不備なのであり、勢いむしろ「見せたくない」とすら考えるようなのだ。

その世界の住人の「あたりまえ」が、それ以外の一般人が思う「凄さ・価値」を全く見落としている、わからないでいることはよくあることだ。私自身が建設人として不良であったのでこんなものに入れ込んだのだろう、私はこの題材が、相対的に一般向けの性格を帯びていることをかなり前から感じていた。
(以下略)

撮影者は、「人の営みを撮る」」ことをテーマとしていたという。人類が連綿と繰り返し積み上げてきた「築く・建設する」という人の営みを俯瞰してみせたい。確かに、地面を掘り、そこに建物を建てていく行為は、人の営みそのものであろう。ゲンバの写真をみて、建設という人の営みの美しさを理解してもらえる人たちが増えることを願いたい。

建設途中なので建物は完成していないけれど、工事の途中でも美しくできているものは、完成しても美しいのではないか、と思う。建設途中がキタナイものであれば、たとえ美しく完成しても、本当の美しさではない・・・?

「カワイイ」ばっか言ってんじゃねェ。

2017年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」の結果が発表された。
今回のテーマは「捨て犬・捨て猫問題」で、1127点の応募作品から、入賞作品が決定された。

最優秀賞に選ばれた作品は、 「カワイイ?」。
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講評では、インパクトのある猫のビジュアルと鋭いコピーが審査委員からの支持を集めたとされ、「動物を飼うことは命に関わることだと警鐘を鳴らしている」、「世の中のカワイイ志向と、捨て犬・捨て猫問題。二つの事象を一つのメッセージに昇華している。コピーとビジュアルの関係も絶妙だ」、「瞬間的にかわいいと言いがちな世情に対するメッセージが込められている」、「猫の表情を捉えた写真をうまく生かしたキャッチーな表現」との評価を受けた。

制作意図として、捨て犬・捨て猫問題は、捨てた本人やペットを飼っている人だけの問題でしょうか? ペットを捨てる人を非難するだけではなく、自分も捨てる側になる可能性をはらんでいることに気づき、みんながこの問題を考えるきっかけをつくりたいと思いました、と。

捨て犬・捨て猫、そして殺処分される犬や猫の多さなどはたびたび指摘されてきている。ペットショップでカワイイというだけで、子犬や子猫を買わない、買うのなら責任をもって最後まで飼いつづけるといったことが必要なのではないか。ペットを飼っている人は多いだろうが、ペットはモノではなく、命があるということを再認識すべきだろう。

横断歩道のルール「止まらぬ車」

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朝日新聞(11/9付け)の「私の視点」欄に名城大学准教授のマーク・リバック氏が『横断歩道のルール 止まらぬ車、戸惑う外国人』と題して寄稿している。
私が日本に来て、とまどったことのひとつは、日本は「信号機のない横断歩道は車優先」ということだ。私の母国のイギリスでも、先日訪れたオーストラリアでも、横断歩道に歩行者がいれば必ず車は止まる。それがルールだからだ。日本で育った私の子どもたちは停車してくれることにとても驚き、「オーストラリアの人は親切だね」と感激していた。

日本の法律はどうなっているのかを調べてみると、驚いたことに、日本でも信号機のない横断歩道は歩行者優先となっている。

道路交通法38条「横断歩道等における歩行者等の優先」では、歩行者や自転車がないことが明らかな場合を除き、横断歩道直前の停止線で停止できる速度で進行しなければならず、横断歩道に歩行者や自転車があるときは、停止線で停止して、その通行を妨げてはいけないと定められている。一方、警察庁が2017年3月に公表した「平成28年における交通事故の発生状況」によると、人対車の交通事故のうち約30%が横断歩道を横断中に起きている。

このままの状態だと、海外から多くの人が訪れる東京オリンピックの際、「横断歩道では車は止まってくれる」のを当たり前だと思っている外国人は、すぐに交通事故にあってしまうだろう。実際にわたしの母が初めて来日したとき、横断歩道であやうく命を落としそうになった。

日本の横断歩道で車と歩行者の行動を観察していると、車優先で、歩行者は車の途切れ目をみはからって横断しているようだ。わたしの日本人の妻も運転中に横断歩道で停車しないひとり。その理由を尋ねると、「日本人は人を待たせることを心苦しく感じる。停車してあげると慌てて渡ろうとして、反対車線の車にひかれてしまうリスクが高まるから、下手に止まらないほうがいい」と話す。車も歩行者もお互いに迷惑のかからないあうんの呼吸をもって横断歩道と付き合っているのだろう。

 しかし、これは外国人には通じない。外国人は「日本人は親切で礼儀正しい」と信じているので、きっと横断歩道でも「必ず停車して、私たちが渡り終わるまで笑顔で見守ってくれるだろう」くらいの期待をもっている。そのため、オリンピックイヤーの2020年だけでも歩行者優先のルールを徹底するか、「日本では横断歩道で車はとまりません」と空港に降り立った外国人全員によく周知するか、どちらかにしないと、「日本人は思っていたほど親切じゃない」とがっかりさせるだけでなく、実際に事故にあう外国人も出てしまうだろう。オリンピック成功のためにも、ぜひこの問題に真剣に取り組んでほしい。

車を運転するとき、横断歩道を渡ろうとしている人がいれば、横断歩道の手前で停車するようにしている。しかし、対向車線の車が止まらないことがよくある。日本では車優先となってしまっている。毎日新聞は、『横断歩道に歩行者 「止まらない」車9割 』とJAFによる調査を伝えている。 交通事故の多くは交差点で起きているという。交差点や横断歩道では人が優先であることを徹底すべきだろう。

横断歩道のない交差点でも歩行者が優先となっている(道路交通法第38条の2)。自動車だけでなく、自転車も車の一種であることを認識してほしい。歩道を猛スピードで走る自転車、人で混み合っている歩道をわざわざ自転車に乗って走ろうという人もいる。

人が優先であることをみんなが理解すれば、すみやすい町になると思うんだけど・・・

地震の規模別にビルの揺れ抑制

日経新聞(11/6付け)に『地震の規模別にビルの揺れ抑制』という記事があった。
清水建設は地震の大きさによって減衰力が切り替わってビルの揺れを抑える装置を開発した。シリンダーとピストンを組み合わせた装置で、巨大地震でも通常の規模でも揺れを抑えられる。現在の免震装置は巨大地震だとビルの地下部分が地盤側の壁と衝突する恐れがあった。新築と改修のいずれにも対応できる。8月に横浜市で着工したビルに設置する予定だ。

免震構造の建物では、地震時に建物が大きくゆっくりと動くため、地盤側の壁と建物の間に隙間を設けている。建築基準法などで定められた地震では壁と衝突しないよう設計されているが、想定を超すと、壁と建物が衝突する場合がある。

免震・制震装置大手のカヤバシステムマシナリーと開発した。装置は地震でビルにかかる力を往復するピストンと油の粘りによって揺れを吸収する。ピストンには穴が開いている。

揺れが大きくなると、往復の振れ幅が大きくなって穴をふさぐような構造になっている。このため、巨大地震時には油の抵抗力が増して揺れが小さくなる。センサーなどが不要なため保守などの手間が少なくて済むという。

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↑の写真は、大成建設の免震用切替型オイルダンパーでカヤバシステムマシナリーとの共同開発。

免震層の速度や変位の大きさに応じて減衰力を可変にすることができれば、地震動の大きさに応じてよりよい応答特性を得ることができる。いま、こうした機能をもつダンパーの開発は盛んである。

巨大地震を想定して免震層に多くのダンパーを設置していると(減衰性能を高くする)、巨大地震よりも頻度が高く発生する地震動に対しては、免震効果が十分発揮できないことになる。車でいえばブレーキが効きすぎている状態。かといってブレーキの効きが悪いと巨大地震がきたときに免震建物が擁壁に衝突するような状態にいたる可能性もある。(衝突しても問題ないかもしれないが)

衝突しても上部構造に十分な強さ(耐力)があれば構造体に大きな損傷を抑制できるのではないかと思われる。可変減衰ダンパーなどのように免震技術を高度化することも一つの方向であるが、万が一のこと(終局状態)を考えて免震建物全体としてどういう設計をするのか、どういう限界状態を想定するのについて考えておくことも必要だろう。

ダンパーでなでなく、積層ゴムのようなアイソレータにも、変形性能をより高めるなどの高度化を求めたいところだ。建物の重量を支持しながらというのは非常に困難な課題であるというのはわかってはいるが・・・

献立表の文字

日経新聞(11/7付け)の「プロムナード」欄に黒田龍之助氏が『献立表の文字』と題して寄稿している。
文字の汚い料理店はまずい。わたしが信じる法則である。

今どきなら、印刷のほうが圧倒的に多い。それでも、日替わりメニューなんかを店頭に示すときは、紙やボードに手書きで表す。その文字が汚いと、なんだかガッカリしてしまう。反対に美しい文字で、閉店のお知らせが貼り出されているのを目にすると、悲しみが深まる。

大学生の答案も同じだが、文字の上手・下手ときれい・汚いは違う。汚いというのは、なんというか、雑なのである。人に読んでもらおうという気持ちが感じられない。字の汚い答案は内容もいい加減だし、料理店も雑な調理なのだ。

料理店によっては、外国人が働いている。だから日本語を書くのが苦手だと、擁護する声もあるだろう。だが同じ漢字文化圏の店でも、ひどい字でその日の定食を書き出しているのを見ると、軽く失望する。

文字は形だけでなく、そのバランスも大切にしたい。

 豚肉とモヤ
 シ炒め定食

文字の数を揃えたいのだろうが、日本語表現も合わせて微妙である。
(以下省略)

大学では学生の書くレポート演習や答案などをたくさん目にする。レポートはパソコンで作成して印刷する場合もあるだろうが、自分の課すレポートは手書きで書くように指示している。構造力学の演習でも、計算過程などをちょこちょこと書き殴るように書いていると、どこが間違っているのか、書いた本人も分からなくなることがある。

きれいな文字でなくても、丁寧に書いたレポートは、わかりやすいし、理路整然としている。きれいでなくても丁寧に文字を書く習慣をつけることが必要だ。確かに手書きでは時間や手間がかかるかもしれない。しかし、そうした手間をかけることで、身につくものもあると思う。

料理店でもメニューなどを手書きしているところは多い。店に入るかどうかは、店頭に出されているメニューなどが判断材料になる。そういう意味では、メニューの文字や書き方は大事である。↓は、以前アラスカのアンカレッジで開催された会議に参加したときのもの。バーの看板で、カクテルの一種である”レモンドロップ”が紹介されていた。これを見て、レモンドロップを迷わず注文した。

写真 (14)写真 (13)


英国での脱メートル法の動き?

WSJ誌に『脱メートル法、ブレグジットで勢いづくか』という記事があった。
イングランドでは遅くとも中世の時代からキュービット、ストーン、マイル、エーカーなど独自の度量衡を開発してきた。その一部は現在も米国で使用されている。だが英国政府は1965年以来、米国とリベリアとミャンマーを除くほぼ全ての国で使われているメートル法の使用を推進している。

公園や包装、料理本や市場では頻繁にメートル法が登場するが、英国人はストーンで体重を量り、パイントで酒を飲み、マイルでの速度資源に従って運転する。

EUはメートル法だけを使うよう加盟国に求めているが、英国は例外を勝ち取った。道路標識と農産品のラベルなどにはメートル法と帝国単位の両方を使える。ビールやシードルなどいくつかの物は帝国単位で販売できる。

EUが英国に過大な影響を与えているとの見方に駆り立てられたブレグジットを受けて、自国のあるべき姿について考える英国人は多い。欧州との結びつきが強い国か弱い国か。干渉主義か孤立主義か。欧州各国と同じ深紅のパスポートか伝統の紺か。

メートル法か帝国単位か。
(↓の動画では、単位系を混用したことによる失敗事例も紹介されている)


ブレグジットが決まった国民投票の後にユーガブ(YouGov)が実施した世論調査によると、農産品のポンド・オンス売りを支持する人は45%、キロ売りは39%だった。50歳超の大半は帝国単位を、18〜24歳はメートル法を支持した。
(以下省略)

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英国では、メートル法と帝国単位が混在して使われているようだが、わが国の度量衡は法律によって規定され、異なる単位系を使うことが許されていない。わが国では、1959年(昭和34年)からメートル単位系の使用が計量法で義務付けられ、尺貫法からメートル単位系に変わった。そして、さらに1992年(平成4年)には国際的な流れだということで、SI単位を全面的に採用することになった。

長さや重さなどを規程する「単位」というものは非常に大切であり、標準をどれにするかは国家間の駆け引きでもあろう。そういう意味で日本は非常に素直であり、尺貫法→メートル法→SI単位とあっさりと単位系を変えてしまった。はたして、SI単位に変えたことで、わが国はどれくらいのメリットがあったのだろうか。

確かに論文ではSI単位で記述することが求められるものの、米国人の書く論文などではフィートやポンドが使われている。単位というのは、我々が生活する上での「物差し」である。1キログラム重(kgf)=9.80665ニュートン(N)と換算すれば済むと言う問題ではないだろう。

地球で生活する以上、メートル法で十分ではなかったかと思う。

AIは建築業界で活用できるのか?

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<出典:建設工業新聞
建築技術(11月号)の「一言居士」欄に大井尚志氏が『AIは建築業界で活用できるのか?』と題して寄稿している。
最近、新聞やテレビでもよく取り上げられているAI(人工知能)は、さまざまな業界で活用が期待され話題となっている。有名なのは囲碁で、AIが名人に次々と勝利したことであり、もっともAIが得意とした分野であるように思われる。

銀行、保険会社、通販会社でのオペレーションサポートにも導入され、顧客の質問などに対して的確に回答を行う手助けをしている。また、医療分野でも多くの臨床医療のデータを学習し、AIがベテラン医師のように診断を下せるようになると期待されている。このようにさまざまな産業で適用が進められているAI、建設業界ではどのような活用がされていくのであろうか。

まずは2015年12月から国土交通省が進めている「i-Construction」が上げられる。これは調査・測量から設計・施工に至るまでのプロセスで、ICTなどを活用して建設現場の生産性向上を図る目的で進められているものであるが、同時にAIも活用が進められている。

例えば、土木部門では建設機械にAIを搭載し、自律走行を実現する走行制御システムなどが開発されているが、建築部門では同じ建物が存在せず、構工法もさまざまで、工種も多いことから自動化施工の開発は行われているものの、実用化にいたるレベルではないのが現状である。

しかし、建築施工の分野でも慢性的な職員不足から職人に代わるAIを搭載したロボットが職人の技を真似て、建物をつくる日が来るのはそんなに遠くはなく、技術の必要な左官工事や塗装工事などにも活用されるといわれている。

AIの活用は施工分野だけではなく、設計の分野にも活用される動きがある。現在、3Dソフトを用いたBIMの取組が積極的に行われつつあり、設計段階での生産性の向上に期待される。その中で敷地が決まったら、法令などを考慮して建物のモデルを作成する自動設計が注目されつつあり、そこにAIの技術が活用されることも期待されている。このように設計から施工、建物維持管理までにAIを搭載したロボットやシステムが、私たちの行っている建設業界の仕事もとって変わる日が来ると予測されている。

2017年4月22日に日本経済新聞のHPで公開された、どんな職業や業務がロボットに置き換わるのかを簡単に調べられるように開発されたツール「わたしの仕事、ロボットに奪われますか?」で、建築や建設に係わる仕事がロボットに置き換わるのか調べてみた。このツールは米マッキンゼー・グローバル・インスティチュートのデータに基づき、仕事の未来がどう変わるか、一つの指標を提供しているものだそうである。

まず、建築の設計者、エンジニアリング、製図技術者については19.2%がロボットで代用できるという判定であった。また建設業従事者(作業員)は40.7%が代用でき、建設現場監督についても50%が代用できるという判定であった。

昔は、現場の仕事は「勘と度胸」といわれたことを思い出すと、現場監督が50%も代用できるという回答は以外であったが、3DCADや自動工程表作成ソフトなどコンピュータソフトの急激な進歩を考えると、施工計画、安全管理やコスト管理など、ある程度のアルゴリズムなどを用いればAIでの代用が可能であると思われる。人口減少に伴い建設会社の職員も少なく、また残業時間の削減も近々の問題としてある中、AIの活用はもっと早いスピードで進められ、実用化されることを期待している。

建築業界でもICT活用の流れはますます加速するだろう。情報端末やさまざまなソフトウエアの登場によって、現場の作業効率が改善され、働く環境が改善されることにつながれば、いいことだ。しかし、オフィスオートメーションとか、ペーパーレス化などと言われて、パソコンなどが導入されてきたが、仕事の効率を改善することにはつながったものの、働く環境の改善につながったかどうかは少々疑わしい。

AIやロボットの活用によって、よりよい品質のものができるようになり、そこで働く人たちの働き方改革に繋がる(脱ブラック化!)と嬉しい。

ちなみに、大学教授も15.8%がロボットで代替できる、そうだ。
大学教授も6人に1人は要らなくなるかも・・・・

緊急時の人間行動

昨日は、2011年の東日本大震災を受け、津波対策についての理解や関心を深める日として定められた世界津波の日だった。ところで、『科学』(10月号)に慶應義塾大学商学部の吉川肇子(きつかわとしこ)氏が『緊急時の人間行動』と題して寄稿されている。
事故や災害の後にパニックが起こるというのは、災害研究では繰り返し否定されてきた誤解である。起こることは極めて稀であるという意味で「神話」と呼ばれている。
(略)
事故や災害を扱った映画で登場するような、避難の際に人々が押し合いへし合いしたり、他者を押しのけて逃げていくような状況は、複数の条件が同時に揃わないと起こらない。その条件にはいくつかのバリエーションがあるのだが、ここではその一例を挙げておく。
 (1)限られた空間に閉じ込められたと思うこと
 (2)脱出ルートが急速になくなってきていること
 (3)生き残るためには逃げなければならないと思えること
 (4)誰も助けてくれる人がいないこと
「同時に」条件が揃わなければならないということを言い換えるならば、一つでも条件が欠けるとパニックは起こらないということである。たとえば、(2)の条件が欠けるとき、すなわち沈没した潜水艦や崩落した炭坑のように、脱出が不可能であるような場合には、パニックは起こらないのである。

避難行動について多くの実験研究を行ってきた釘原(※)は、パニック発生に影響を与える要因として、空間構造、被災者の数と密度、脱出許容時間の3つを挙げている。これはつまり、避難経路を物理的に確保したり、人々の密度のコントロールに配慮した空間設計をしたり、適切に誘導したりすれば、パニックの発生は防げることを示唆している。
(※)釘原直樹:グループダイナミクス−集団と群集の心理学−有斐閣、2011年
(略)
緊急時に具体的にどのような行動が表れるのかについて、釘原が手際よくまとめているので紹介する。それらは、以下の7つである。
 ヾ靴貎討靴鵑誠佑紡个垢訐楸
 慣れ親しんだ場所に対する接近
 4靴貎討靴鵑生景に対する接近
 ご靴貎討靴鵑戚魍笋鬚箸蹐Δ箸垢襪海
 イ茲慣れた行動をすること
 Υ靴貎討靴鵑誓験茲箙堝阿鯊海韻茲Δ箸垢襪海
 Т靴貎討靴鵑製衢物や脱出方法に対する固着
(略)
日本に限らず先進国に同じように見られるのだが、リスク管理のシステムが整ってくると、危険なことは起こらないと、人々が過度に信じてしまう現象がみられる。(略)安全な社会への慣れが生じているようにみえる現象を説明できる理論に、「リスク・ホメオタシス理論」がある。人々は、どれだけのリスクを受け入れられるかと主観的に考えている水準(受容水準)と一致するように行動を選択すると考える理論である。
(略)
リスク・ホメオタシス理論について知っておくべき重要な点は、人々のリスクの受容水準を下げなければ、いかに技術的な対策をしても被害が減らないということである。技術的な安全対策が進むと、皮肉なことに人々はリスクをとる方向に行動する。安全な社会にすることがかえって過信を生むのである。そのため、本当に危機が迫っている時に、警告を無視してしまい、犠牲者が出てしまう。

高い堤防が、避難の必要性を心理的に下げてしまうのである。それを防ぐためにも、「安全対策をしたから大丈夫」とするのではなく、人々のリスクの受容水準を下げる努力をしなければならない。言い換えれば、より安全な社会でなければならないと人々が思わないとこの問題は解決しないのである。
野々下海岸
<気仙沼市の野々下海岸の堤防>
(略)
緊急時における人間行動への理解を深めておくことは、われわれが普段からどのように備えていくのかを考える上で、あるいは、自分がその状況に置かれたときにどう振る舞うべきかについて、指針を与えてくれる。物理的な環境が整っていればきちんと避難できること、緊急時にあっても人々は助け合うことなどを知っていれば、自らの命を救うことにつながる。逆にこのような知識がなければ、緊急時に他者が信じられなくなって自らの命を危うくするかもしれない。また、慣れ親しんだ行動に固着することを知っていれば、避難訓練の重要性に対する意識も高まるだろう。さらに、いざというとき一つの経路に固着しがちだと知っていれば、別の避難や脱出の方法を考えるきっかけとなるかもしれない。盲目的にリーダーについて行くのではなく、そのリーダーの判断が正しいかどうか、再検討する可能性も高めることもあるだろう。

また、ここまで述べてきたことは、被害にあう一般市民だけにあてはまるものではない。危機管理対応にあたる専門家であっても人間なのだから、これまで述べてきたようなバイアスのとらわれてしまうことは十分ありうることである。
(略)
最初にあげたパニック神話の例でいえば、危機管理を担当する人たちが本当にパニックを恐れて情報を控えるということはもちろんあるのだが、この神話を知らないふりをして、すなわち、パニックを恐れているふりをして情報を控えることも実は可能である。そのようなことを防ぐためには、人々がパニック神話についての知識があると危機管理担当者に知らせておく必要がある。そのためにも、繰り返すが、本稿で紹介したような知識が社会に普及していることが重要だと考えている。

映画などでみるパニック行動は「神話」だったのか・・・
それにしても人間行動はなんと複雑なのか。こうした行動特性を知るためにも防災教育が必要だろう。文明が進歩すれば、社会は脆弱となると言ったのは民俗学者の柳田国男だったか。文明や技術が進歩すると同時に、われわれも知識を蓄えないといけない。

考える葦

JALの機内誌「スカイワード」(11月号)に浅田次郎氏が『考える葦』と題して寄稿している。
このごろ私たちが、急激に想像力を喪失していることにお気付きだろうか。
実に急激に、である。

ぼんやりと物思うことがなくなった。書物や新聞が、SNSやゲームに入れ替わっただけではなく、多くの人が物思う時間を掌(てのひら)の中の小さなロボットに奪われてしまった。今や通勤電車の車窓から、沿線の風景を眺めている人も少なくなった。いわゆる「歩きスマホ」は危険予防上の禁忌ではあるが、人間は本来、歩きながらさまざまの想像をめぐらしている。そうした貴重な時間まで、掌の中のロボットに捧げているように思える。
(略)
もしや私たち人類は、鋼鉄の手足を持たず、協力な武器も備えてはいない善人ズラのロボットに、地球を乗っ取られてしまったのではあるまいか。祖先たちが何千年もかけて、営々と築きあげてきた文明を。
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想像は創造の母である。どうでもよさそうな想像を掻き集め積み重ねした混沌の中から、創造という行為が生まれる。物を考えずに何かが造り出されるなどありえない。想像する時間を奪われ、急激に想像力を喪失した人類は、やがてごく特定の分野を除いて、おそらく正当な創造を停止すると思われる。

そう言えば、このごろはぼんやりと物思うどころか、切実に考える時間も少なくなった。正しくは、考えたり議論したりする間もなく、誰かが解答を調べてしまうのである。(略)考える間もなく一斉に、ロボットの知識を頼るのである。つまり、考える前に調べてしまう。どうやら進化を遂げたロボットは、世の中の疑問のたいていをたちまち解いてくれるらしい。

はっきり言って、つまらん。それではまるで、ろくに考えもせずにクイズの解答を見てしまうようなものではないか。あるいは卑近なたとえをするなら、翌日の新聞でレース結果を見て、同時にあっけなく散財を知るようなものではないか。

科学者はどうか知らぬが、文科系の思考回路を持つ人々は、結論に重きを置かないものである。むしろ、議論の経緯を楽しみ、結論を見ることは何につけても虚しいとさえ思う。

しかし、文明の利器は誰彼かまわず結論を提示してしまうのである。むろん便利にはちがいないが、その便利さによって社会が一元的に使用すれば、人間は考える楽しみを失ってしまう。そしてもうひとつ、これは私たちにとって肝心なことだが、世界中の人々が一元的にこの方法をとれば、伝統的な教養主義に支えられてきた日本は、まっさきに脱落し、堕落してしまうと思うのでらう。
(略)
人間は考える葦である。すなわち、考えてこその人間である。

電車の中で本を読んでいる人を見かけると(ほとんどいないが)、ほっとする。しかし、多くの人たちはスマホを見つめている。新聞やニュースを見ている人もいれば、SNSやゲームをしている人、などさまざまだろうが。いまやスマホを手放せないという人も多いのではないか。

確かにスマホは便利だ。
しかし、なんでもスマホに頼っていれば、自分の頭で考えなくなる。やはり自分の頭で考えるということが大事だ。便利な道具(文明の利器)をいかに使いこなすか。技術の進歩に、人間が追いつく必要があるが、技術の変化の方が先を行っているようだ。

「SOGI」知ってますか?

朝日新聞(11/1付け)の「ことばの広場」欄に『性の多様性』という記事があった。
「SOGI」という言葉をご存じですか。
どの性を好きになるかを表す「性的指向(Sexual Orientation)」と、自分の性別をどう考えるかを表す「性自認(Geder Identity)」の頭文字を取ったものです。

ここ数年で広まった「LGBT」。
レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字を取っています。それぞれを分けて考えてみると、L・G・Bは性的指向、Tは性自認に関わるもので、当然ながら性的指向と性自認は別です。この言葉のおかげで性的少数者への理解が進んだ面はありますが、四つの分類に当てはまらない性的少数者もいるのに、ひとくくりにされたと受け取る人もいるようです。

一方、SOGIは「性的指向」「性自認」そのものを表し、特定の性的少数者ではなく「全ての人」に当てはまる概念です。国連などの国際機関に加え、日本でも使用が増えています。

大阪大学は7月、「SOGI基本方針」(大阪大学男女協働推進センター)を策定しました。大学における知と人材をより豊かにするため、性的指向・性自認の多様性と権利を認識し、偏見と差別をなくすよう啓発していく、とうたっています。

この方針の具体化にあたり、阪大が着手したのが新しいトイレサイン(↓の図)の作製です。オストメイト(人工肛門などを使う人)にも対応したトイレに「ALL GENDER(オールジェンダー)」という表示を使用。日本語で「みんなのトイレ」としなかったのは、性別を問わず使えることを明示し、ジェンダーの多様性を啓発するためだそうです。「今後は学内アンケートでも男性・女性に加えて新たな選択肢を設けるなどの配慮を進めたい」といいます。
20170725-OYT1I50005-L

「SOGI」は朝日新聞の記事ではまだほとんど使用例がありません。しかし、性的指向・性自認を幅広く伝えることばとして、紙面に登場する機会が増えてくるかもしれません。

日本でも「多目的トイレ」として「車いす対応トイレ」を見かけることは多い。このトイレには「どなたでもご利用ください」と表示されている。しかし、「ALL GENDER」となっているトイレは見たことがない。

たかがトイレ、されどトイレ。
性に関する議論は日本では避けられがちのような気もするが、トイレが性の多様性を考えるきっかけになれば・・・

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講義中・・・
著書など
研究室のマスコット
「アイソレータ・マン」。頭部は積層ゴムで、胸にはダンパーのマークでエネルギー充填
『耐震・制震・免震が一番わかる』
共著ですが、このような本を技術評論社から出しました。数式などを使わずに耐震構造、制震構造、免震構造のことを、できるだけわかりやすく解説しています。
『免震構造−部材の基本から設計・施工まで−』
免震構造協会の委員会活動の成果として、このような本をオーム社から出しました。免震構造の基本をしっかり学べるような内容となっています。
『4秒免震への道−免震構造設計マニュアル−』
いまでは少し内容が古いかもしれませんが、免震構造の基本的な考えを述べています。初版は1997年に理工図書から出ていて、2007年に改訂版を出しました。
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