生き物が老いるということ

生き物が老いるということ

稲垣栄洋著『生き物が老いるということ』(中公新書ラクレ)を読んだ。
セミやサケなどは、卵を産むとその役目を終えて、生涯を閉じる。
哺乳類は子育てをするようになって、子孫を残した後も生き長らえるようになった。しかし、体力が落ちれば、天敵に襲われたり、厳しい環境を克服できずに死んでしまう。生き物たちは、老いることなく、若いまま死んでいくのだ。

老いることのできる生き物は、人間くらいだ。「老い」は人間の特権である。
(略)
私たち人間は、自ら老いても守られる環境を作り上げた。
そして、守られた環境で老人が知恵と経験を発揮することによって、人類はさらに発展してきたのである。
(略)
私たちが獲得した「老後の時代」は、生物学の常識からも、遺伝子の支配からも、完全に解き放たれた時間である。私たちの老後には、何のしがらみも、呪縛もない。
(略)
生物の戦略の鉄則にしばられない生き方とは、どのようなものだろうか。
私は、その一つは「好きなことをやる」ことだろうと思う。
好きであることと、得意であることは、ときどき一致しない場合もある。

「好きだができないこと」と「嫌いだができること」があるとき、どちらを選ぶべきだろうか。
(略)
できなくてもいい、好きなことをしようではないか。
それどころか、「好きでできること」よりも、「好きだができないこと」のほうが良い。上達するわけでもないのに、打ち込めるものがある。やってもやっても上達しない。もし、老後にそんな趣味があれば、こんなに楽しめることはない。「好きだけどできない」。これこそが、人生を最上にするものなのだ。

著者は人生をイネの成長に当てはめて説明している。イネは稲穂を実らせて、頭を垂れる。この「米」は人間にとって何に相当するのか。それは、「生き方」であり、「老い方」そして「死に方」を見せることだという。

老化というと良いイメージがないが、「老い」というのは人生でもっとも重要な実りのステージだ、という。

私たちは、立派な老人にならないといけない。










ビールを炭酸で割る?

日経新聞(7/29付け)に『ビール、炭酸で割るなんて』という記事があった。
顧客離れが続いたウイスキーが復権できたのは、炭酸水で割る「ハイボール」という飲み方が普及したことが大きい。今、酒類業界で賛否が分かれているのが、サントリーが10月の発売を予定するハイボールならぬ「ビアボール」だ。

ビアボールは酵母への栄養補給など新製法を導入し、アルコール度数が16%と高い。これを炭酸水と氷で割って飲む。ロックで16%のまま飲むのもいいし、4%ぐらいの軽めにもできる。
(略)
「最初はビールで乾杯」というように、ビールが長年にわたって飲み会の代表的なアルコール飲料であることは間違いない。しかしビールほど、飲み方がパターン化した分野は少ない。

日本酒は熱かん、常温、冷酒と温度を変えて楽しめるし、焼酎やウイスキーにはロックや様々な割り方がある。ビールはその「硬直的」な飲み方に要因があるかどうかはともかく、2004年から17年連続で市場規模が前年を下回っている。
(略)
結果と答えを求めすぎてきたのが日本企業だ。しかしこれからは答えより「問い」が大事だ。完成品はいらない。場とアイデアだけを提供し、消費者に新しい市場を作ってもらうくらいの割り切りがファンの醸成につながる。

ビールの飲み方にも多様性を持たせようという試みか。

今ではビールは飲めるし好きだけど、学生時代はビールは苦くて飲めなかった。最近の学生もビールは苦いから敬遠する者が多いようだ。ビールが飲めるようになったのは、暑い夏に汗をかいて実験した後に飲んだバドワイザーがきっかけだった。バドワイザーは当時の日本のビールほど苦みがなかったためと思われる。

でっ、これがきっかけでビールが飲めるようになった。

日本のビールの大きな転換となったのは、アサヒのスーパードライだろう。これが誕生してからはスーパードライを飲むことが増えた。しかし、最近では、喉ごしが強すぎるという感じになってきたので、別のビールを手にする方が多い。年齢を重ねると嗜好も変化するということだろう。

大手がつくるビール以外にも、クラフトビール(地ビール)も各地でつくられている。全国で流通はしないものの、地域ごとに特徴がある。最近では「クラフトサケ」なるものも試みられているという。日本酒もとても飲みやすいものが増えてきたし、飲み物の選択肢は多様化している。

たとえば、下の写真は「湘南ビール」(熊澤酒造)で、いろいろな種類がある(ラベルが特徴的)。クラフトジンやどぶろくもつくっていて、創意工夫をすることで需要を喚起している。
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「選択と集中」より「集中と選択」

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日経産業新聞(7/29付け)に発想コンサルタントの関沢英彦氏が『「選択と集中」より「集中と選択」』と題して書いていた。
人口が減少し、経済の停滞も続く。企業・大学・地域などは持てる資源を特定の分野に集約して生き残りを図っている。こうした「選択と集中」の戦略は「集中」した結果、その分野が伸びればいいが、現状維持さえも難しいことが少なくない。縦割りの体制の下、既存の一部を「剪定(せんてい)」するだけで、残した部分は旧態依然だからである。

「選択と集中」よりも「集中と選択」の発想が求められるのではないか。「集中」といっても、拙速に組織を統合するのではない。縦割りの壁を取り払って、全体的視点から、企業・大学・地域の価値を再定義。各分野の強みを掛け合わせて、イノベーションを起こすことを目指す。

あるいは、眠っていた技術や魅力を基盤にして全く新しい様態を考えてみる。創造的な方向性を「選択」することでコストも一気に下がる。「集中と選択」は縦割りの発想ではなく、分野を融合させて、変態に導くトランスフォーメーションの志向である。

縮む時代にサバイバルする方法として、「選択と集中」は切り捨て型、「集中と選択」はもり立て型といえる。
(以下省略)

「選択と集中」という場合、なにを選択して、集中するのかが難しそうだ。集中して取り組んだことで企業が成長すればいいけど、それがハズレたら一気にまずくなりそうだ。会社の経営では、理念やヴィジョンを明確にして、それを社内に浸透させていくことが必要だろう。

ところで、2年生を対象にした集中講義(4日間)が今日終わった。
この講義では、卒業生から受講生に建築の仕事を紹介してもらいキャリア形成を支援することを目的としている(自分は講義はしないが、事前の準備や当日の対応で案外大変)。そのなかで、本業(建築ではない)だけでは成長に限界があると考え、不動産や住宅業界に乗りだした企業が紹介された。住宅業界への参入にあたっては企業買収を行い、九州各県で住宅の建設(年間400棟ほど)に乗り出しているという。これは「選択と集中」ではなく多角化となろうか。

また、保育園や幼稚園に特化した建築設計事務所を経営しながら、実際に幼稚園など11園を経営している卒業生も登壇してもらった。幼稚園などの運営・経営と設計事務所での設計業務をリンクさせながら、良い効果を生み出しているという(本人はとても忙しそうだが、自分は起業家だと言っている)。これはある意味、「集中と選択」のもり立て型といえそうか。

この講義に参加した2年生の進路選択にあたり、少しでも参考になれば嬉しい。










全長120キロ高層ビル?

WSJ『全長120キロ高層ビル、サウジ計画の全容』という記事があった。
都市設計者が思いついたのは世界最大の建造物を作る計画だ。高さ500メートル弱の2棟の高層ビルが、海岸や山岳地帯、砂漠を横切りながら、長さ120キロメートルにわたって平行に連なるというもの。2棟の間は歩道で結ばれるという。
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「ミラーライン」と名づけられたこの構想は、ムハンマド皇太子が以前発表した線状都市を造る計画がベースとなっている。全て完成すれば約500万人を収容可能で、費用は最大1兆ドル(約136兆円)と見込まれる。

鏡張りのビルの下には高速列車を走らせる計画だ。入居者の食料を賄う目的で、ビル内では垂直農法が行われる。娯楽施設として地上300メートルの高さにスポーツ競技場を作るほか、ビルのアーチの下にヨット用のマリーナも設置される。
(以下省略)

長さ120キロというのは想像もつかない。120キロというと福岡から熊本の先までとなる。万里の長城の長さには及ばないが、万里の長城の高さは500メートルもない。

ただ、全長120キロともなると地球は湾曲しており、それにあわせて湾曲させたり、上層部に隙間を設けるといった対処が必要となるだろう。そもそも長さが120キロもあれば温度応力などもあり、エキスパンションジョイントは必須だろう。

そもそも巨大な壁を砂漠につくることで環境(生物を含め)への影響もあるのではないか。実現するかどうかは不明なものの、構想はメチャクチャ壮大だ(砂上の楼閣?)。こうした構想はオイルマネーのなせる技なのか・・・









コロナ新規感染、日本が最多

日経新聞(7/28付け)に『コロナ新規感染、日本がG7最多』という記事があった。
米ジョンズ・ホプキンス大によると、日本の新規感染者数(7日移動平均)は26日時点で約17万6000人。直近1カ月で10倍以上に膨らみ、米国(約12万9000人)を上回った。感染力が強いとされるオミクロン型の派生型「BA.5」へ置き換わりが進み、感染拡大に歯止めがかからない状況だ。
(略)
浜田篤郎・東京医科大学特任教授は、今年前半の国内の感染状況が各国よりは比較的落ち着いていたため「感染によって免疫を持った人が増えず、現在の感染者数増加につながっている可能性がある」と指摘する。

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こうしてグラフ化されると日本の感染者増加は異常にもみえる。朝日新聞(7/29付け)でも『日本の感染者、世界最多なの?』という記事があったが、その中では「(海外の)検査の実態はよく分からず、単純比較は難しいところもある」と指摘している。欧米では積極的にPCR検査などを行っていないために、日本の感染者数が突出しているのかもしれない。医療の逼迫が連日のように報道されているが、欧米ではそうした事態になっていないのだろうか。

そんななか、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会は、コロナの感染症法上の位置づけの見直しを提起する方向で調整に入ったという報道もある。季節性インフルエンザと同じ「5類」相当にして、全数報告をしなくても良いようにすることでも医療機関や保健所などの負担は減るのではないか。

僕のまわりでもコロナ陽性になったとか濃厚接触者になったという連絡がけっこうある。しかし、症状としては発熱や倦怠感などで2〜3日で回復しているとも聞く。もちろん高齢者などは重症化するケースも多いかもしれないので、そうした人たちへ医療資源を重点的に配分できるような仕組みを早急につくる必要があるのではないだろうか。

「第8波」も来るかもしれないし・・・










皮膚、人間のすべてを語る

皮膚

モンティ・ライマン著『皮膚、人間のすべてを語る』(みすず書房)を読んだ。

皮膚は重量9キロ、面積2平方メートルに及ぶ最大の「臓器」である、という。多くの人にとって皮膚が臓器という認識はあまりないのではないか。本書では皮膚がもつさまざまな特徴が紹介されている。ちょっと難しい専門用語もでてくるが、皮膚が果たしている役割には驚きが隠せない。

第1章では皮膚の構造とはたらきについて説明している。皮膚はとても薄いが、外界からの侵入者を防ぐと同時に体内の水分が外に出て行かないようなバリアの役目ももっている。そうした皮膚では人間1人の身体からは毎日100万個以上の皮膚細胞が剥がれ落ち、表皮は約1ヵ月ですっかり生まれ変わるという。

第3章では身体の内と外のかかわりとして、身体の内側の状態が皮膚に影響を与えるという。例えば、思春期に悩むニキビは食生活の影響を受けている。美容の世界ではコラーゲンが含まれたクリームなどが使われているけど、分子が大きいため皮膚の外側からは浸透しない、など。

第6章では触覚のメカニズムと謎について紹介されている。触覚は4種類のレセプターで成立している。しかし、こうしたレセプターは人間の身体に均等にあるわけではない。特に手と足と唇が触覚に対して敏感になっているという。皮膚をもっとも人間らしい臓器にしているのは触覚なのかもしれない、という。

本書では皮膚のことを「欲望と罪と恥が入り混じるスリルと興奮に満ちた最大の生殖器」だとも表現している。コロナ禍でハグなど他人と肌と肌を触れあわせる機会が減った(日本ではあまりハグはしない)が、こうした行為を避けることが社会性や心理にどういう影響を与えることになるのだろうか。

なかなか自分の皮膚をじっくり観察することはないと思うが、皮膚にはその人の人生そのものが刻まれているのかもしれない。










新卒一括採用が「日本人に植えつけた」残念な悪癖

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東洋経済オンラインにヘッドハンターの妹尾 輝男氏が『新卒一括採用が「日本人に植えつけた」残念な悪癖』と題して寄稿している。
日本の大手企業の多くでは、いまだに「新卒一括採用」を続けていますが、これは日本独自のものです。このようなシステムを採用している国は世界中を見渡しても、ほとんど見ることができません。

他国ではほとんど見られないこのシステムを多くの日本企業が採用しているのは、「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」など、戦後に確立された日本型人事システムとの相性がよかったからだと考えられます。

長らく続けられてきたこの採用システムに関しては、かねてさまざまな問題点が指摘されてきました。

曰く「雇用のミスマッチの原因になっている」「人材の流動化の妨げになっている」「企業の寿命が短くなり、定年までの雇用を保証するのが難しくなった」「複雑化する問題や課題に対応できる人材を中途採用する際の障害になっている」などなどです。

これらの指摘はいずれも的を射ており、異論はまったくありません。しかし私は、「新卒一括採用」にはもっと大きな問題があると感じています。

私が感じる最大の問題とは、「自分の人生の舵を他人に預ける」という価値観を日本人に植えつけてしまったことです。
(以下省略)

「自分の人生の舵を他人に預ける」とは、例えば希望する企業に就職できたとしても、そこでどんな仕事をするのかは研修を経てから決められたり、異動や転勤があったりしても、これが「普通だ」と思って従ってしまうことを指している。

日本では「就職」ではなく「就社」、職ではなく会社を選んでる(選ばれている)ということだろう。建築分野では、施工管理職とか設計職とかで分けて採用しているので、この記事にあるように「人生の舵を他人に預ける」という状況ではないと思われる。

就職であればジョブ型雇用ということになるが、まだまだ日本の企業では採用しているところは多くない。一方で、新卒一括採用がなくなれば、学生にとっては「新卒」というブランドが通じないことになる。学生が大学で何を身につけたのか、どんなことができるのかを厳しく確認されるようになるかもしれない。

私は以前から、就職・採用活動は卒業してからやればいいのではと言っている。大学は秋入学に変えて、6月とか7月に卒業してから就活をして、来年の4月に入社する。大学を卒業しているので、大学時代にどんなことに取り組んだとか、どんな卒業研究をやったかなどをしっかり確認できる。秋入学になれば、3月に高校を卒業した後、例えば5月とかに大学入学共通テストを実施し、個別の大学入試を6月とか7月に実施することができる。高校生も3年間しっかり勉学に取り組むことができる。

良いことずくめと思っているのだが・・・









悪乗りする資格制度

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建設通信新聞(7/21付け)の「建設論評」欄に『悪乗りする資格制度』という記事があった。
世間には、数多くの国や公的機関、民間団体などによる資格が制度化されている。その受験者や加入者の人数が業界誌、機関誌、専門誌などを通じて会社ごとに示されることがある。
(略)
そもそも資格制度が存在するにもかかわらず無資格者が行ってもかまわないとか、大臣などが認めれば無資格でも許されるとか、有資格者が職場に一人だけ在籍すればそのほかの全員は無資格でも許されるなどとか、資格の要件である権限が乏しい制度なのだ。権限が伴わなければ真の資格の意味を持たない。

真の意味での資格の例に医師がある。医師の資格を持たない者は医療を行う資格がない。先日も医師ではない技士が患者に縫合手術を行って罪に問われているとメディアが報じた。これこそ真の資格なのだ。

医学博士は医師より偉そうで権威もありそうだが、医師ではない医学博士は医療行為は許されない。博士号を持たないとやってはいけないという行為はない。だから、博士号を持たなくても有象無象の教員が大学の教壇に立っていられるわけである。

いにしえに夏目漱石は、博士号の授与を迫る文部省の申し出を拒絶したそうだ。博士でなくても漱石はまったく支障がなかった。博士は称号で、資格ではないからである。

医師の資格者に対する要求は容赦なく厳しい。終身の資格であることを良いことに、安逸をむさぼっている診療や医療のミスを犯した医師は訴えられて裁判にかけられる恐れもある。その深刻な事態を踏まえて、関係の機関や団体は、医師としての技量を保ち、その劣化を防ぐ制度化に乗り出した。いわゆる専門医、認可医の資格制度である。医師たちは定められた講習会やフォーラムなどに定期的に出席して、その出席点をもってそれらの資格の更新を行っている。

これに多くの技術者資格制度が刺激を受けたのか、資格者に向けて資格更新を促す制度を創設している。講習会などの受講を通じて最新技術の摂取、技量劣化の防止を図ることを狙っているとされる。

だが、真の意味での資格を伴わない技術者制度では、その資格更新が労は多くして功が乏しいことを懸念する。医師の資格更新の制度に倣った悪乗りのように見える。

さすがに、博士の学位所持者に対しては更新手続きの催促は届いていないらしいが。

新入生に将来の目標について聞くと、建築士になること(すなわち資格取得)がもっとも多い回答となっている。建築学科に入学したのだから、将来は建築士になることが目標なのは当然かもしれない。大学で学ぶなかで将来の目標を具体的に考えていってもらえればと思う。でもなかには在学中に資格をとった方が就職に有利ではないかと考えている学生もいるほど、資格は魅力的なのかもしれない。

資格の更新などではCPD(Continuing Professional Development)単位を求めるところもある。CPDは講習会などへ参加することで単位を得ることができる。その道のプロだから参加するだけでも、技量や知識の向上に寄与するのだろう(と思いたい)。

大学の教員になるには今では博士号は必須となっている(特に理系は)。博士号の取得は研究者への第一歩であり、教育能力とは直接関係ないかもしれない。昔は博士号がなくても立派な教育者はたくさんいた。ただ、日本では大学院博士課程への進学者は少ない。博士号の取得者が研究職だけでなくさまざまな企業などで活躍できるようにすることも大事だ。

資格制度といえば、弁護士は弁護士会に登録しないと活動できないようになっている(弁護士法)のに対して、建築士は建築士会への入会は義務となっていない。なぜなのだろう・・・












どんな患者も、俺が診る

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朝日新聞(7/23付け)の「フロントランナー」欄で訪問診療医の田代和馬さんが紹介されていた。田代さんは、「どんな患者も絶対に断らない」というポリシーを掲げる在宅診療クリニック(ひなた在宅クリニック山王)を3年前に東京で開業した。
ノブが外れ、半開きになった玄関ドアを開けると、天井まで積み上げられたゴミが視界に飛び込んできた。ちゅうちょなく隙間をすり抜け、ベッドに横たわる患者の元へ。「あれ、飼ってたインコどうしたの」「先生、ネズミに食われたよー」。九州なまりで会話をしながら、手早く注射を打つ。「今日もしっかり効いてるからね」。優しいまなざしを向けると、次の診療先へと車に乗り込む。「ああいうお宅を断る医者は多いのだけど。僕もすごく貧乏な出なので、全然平気なんですよ」。そう言うと、驚く記者に向けてほほ笑んだ。
(略)
真骨頂は初めての患者と方針を話し合う「インフォームド・コンセント」だ。「『末期』と言うけどね、『まだまだ元気』の略なんです」「この先どうしていきたいか、一緒に考えていきましょう」。1時間以上かけた丁寧な説明に、患者と家族の顔がパッと明るくなった。この日訪問したのは15軒、多いときはひとりで20軒以上を回る。
(略)
僕と同じような若くて昨日まで普通に働いていた人が、しんどすぎて動けず、布団の中に排泄をしたまま独りでいる。人としての尊厳を完全に失った状況が何件もあり、衝撃を受けました。リスク上医師しか家に入れないので、汚物のついたシーツを取り換え、できるだけ掃除して、診察をして……という作業をひとりでやりました。この国の首都東京で、こんなことが起きているんだと。

一方で、クリニック近辺の病院では、100床単位で病床が空いていた。コロナ病床として確保されているのに入院できない「幽霊病床」です。重症のときには受けないのに、いよいよ亡くなるというときにようやく入院できるというケースが何件もあった。

――なぜ。
はっきり言って、東京の医師の実力不足ですよ。スペシャリストだけど自分の診療科以外は診られません、という医師ばかり。だからコロナで、かつ糖尿病の急性合併症で、という患者さんを受け入れない。それで亡くなった患者さんは、いましたから。

――デルタ株の猛威のなか、感染しないか怖くなかったですか。
全然。かからないようにするのがプロですから。実際、私含めスタッフは誰も感染しませんでした。

ここ数日コロナ陽性者数が最多を更新している。専門家と称する人たちはコロナ禍が広まったときと同じように手を洗う、密を避ける、会話を控えるといったことを守ることを力説している。聞いている方はマンネリだと感じているのではないか。感染者は増えているが重症者は以前ほど増えていないが、医療が逼迫するので、感染者を増やさないことに懸命だ。

しかし、これまでのコロナ感染との戦いで、病床が不足することはわかっているのに、それに対する対策も講じてこなかったし、PCR検査に長蛇の列ができるなんて光景も目にする。検査体制の拡充をすると政府は言っているものの、いつも後手後手の政策しか打ち出せていない。

こうしたことで日本の医療は大丈夫なのだろうか。超高齢社会を迎える日本で患者の望みをかなえる医療体制を構築し、地域医療の充実を促進することをもっと積極的にやることが必要だろう。









朝ドラのイタリア料理が物議?

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NHKの朝ドラをご覧になっているだろうか? 

東洋経済オンライン(7/20付け)にフードライターの宮本 さやか氏が『「ちむどんどん」のイタリア料理が物議を醸すワケ』と題して寄稿している。
現在、放送中の朝ドラ『ちむどんどん』。沖縄本土復帰前の山原(やんばる)の村に生まれたヒロインが貧しいながらも家族愛に包まれて成長し、料理人を目指して上京。イタリア料理のシェフとして頑張っていくという物語だ。

ところが、主人公暢子(のぶこ)がシェフになってから(第30話以降)登場するイタリア料理がひどい!あんなものがイタリア料理と思われては困る!という声が、イタリア料理関係者各位から上がっている。
(略)
私が脚本家だったら、実はこの時代のイタリア料理の情報は少なくて、いい加減なものも少なくなかった、本当はこうこうで〜、なんて説明をテロップか何かで入れるのになあ、そうしたらイタリア料理のウンチクも知ることができて、視聴率ももっと上がるかもしれないのになあ、なんて考えながら毎日観ている。

ただ考えてみると、このドラマの主役は沖縄なのである。沖縄料理なのである。それは番組の構成を見てもわかる。週ごとのタイトルが沖縄料理に絡めてあるのだから。だからイタリア料理は二の次。だから仕方ないと考えるか、二の次だからといって適当な情報を流すから、ますます正しい文化が広がらないじゃないか!と憤るか。あなたならどう観ますか?

同様な記事がほかにもある。たとえば、食文化研究家の畑中三応子氏は『1972年にペペロンチーノ対決は「まさかやー!?」 時代考証から考察』という記事がある。
なにかと話題を、ときには反発も呼んでいるNHK朝ドラの『ちむどんどん』。主人公の暢子が銀座で「アッラ・フォンターナ」の扉の前に立った瞬間から、イタリア料理の時代考証に違和感を持ち続けていたが、女主人にペペロンチーノ対決を挑むという第7週のストーリーは、あっと驚く「まさかやー」だった。

超シンプルなレシピで対決するという話自体はおもしろいし、ペペロンチーノに施した二人の工夫は素晴らしかったが、この時代のどの雑誌や料理本でも「ペペロンチーノ」というスパゲッティのメニュー名を見たことはないし、いくつかの理由から設定に無理があると感じた。

朝ドラはあくまで朝ドラなので、出てくる料理に目くじらを立てることもないかなぁと思う。ただ、朝ドラが始まるときにはイタリア料理だけでなく、もっと幅広く美味しい料理が紹介されるのかと思っていたのだが。1970年代にイタリア料理が日本でどこまで浸透していたのかについては私自身も少々疑問だった。スパゲッティはあったと思うけど、喫茶店などで出されていた「ナポリタン」という独自のメニューの方が普及していたのかもしれない。

大正大学の澤口恵一教授が2012年に『日本におけるイタリア料理の産業史とコックのライフ・ヒストリー研究:その序論的考察』という論文を書かれているここをクリックするとPDFがダウンロードできます)。本論文によれば、日本で本格的なイタリア料理店が萌芽したのは1970年代のことで、初期に本格的イタリア料理店を開いた日本人の特徴は、もともとコックになる意志がなかった者が多かったと指摘している。1980年代の後半になるとイタリア料理は最盛期を迎える。日本のイタリア料理産業は、他国にはない独自の発展過程をたどりながら形成され、現在はイタリアのレストラン産業の現場を日本人コックが支えているようにまでなっていると指摘している。

イタリア料理だけでなく、中国料理なども日本でそれぞれが発展してきていると思う。それぞれの国民の嗜好にあわせて料理も変化していくのは当然のこと。そういう意味では、料理店のランキング(星いくつとか)などもあるが、結局は審査員の価値観や嗜好によるところも大きいと思われる。結局は、自分自身が美味しいと思うかどうかで、他人の評価はあまり関係がない・・・








建築ってなんだ?

建築って何だ

中山繁信ほか著『建築ってなんだ?』(オーム社)を読んだ。本書では、建築に関する質問に著者たちが回答する形式となっている。その最初の質問は「建築には正解がないと聞きましたが、先生方は正解がないのに、なぜ私たち学生の設計を評価できるのですか?」

回答の一部を紹介すると以下のとおり。
正解がないのにどのように設計の指導をし、どのように採点をするのかは考えてみれば確かに不思議です。ひとつは、設計の指導と評価をする教師の「価値観」によるといえるかもしれません。ですから、何人もの教師を説得できるだけの明確なコンセプトとアイデア、デザインを提示し、その案がどれほど素晴らしいかを論理的に説明するのです。そして、あなたの考え(案)がどれくらい指導教師の共感を得られたか、その程度が評点になるのです。その点数はその課題を評価する教師の価値観によって変わるのです。
(略)
もし、教師と見解が違うなら、あなたも論理的に自分の案の正当性を説明しなければなりません。そのとき「好き/嫌い」という主観的な意見では説得力がありませんから、客観的・普遍的な事象をもとに説明してください。これは物事を論理的に考え、他人を説得するスキルを学ぶいい機会なのです。

そのほか「夏休みの過ごし方はどうすればいいですか?」という質問では、「ほっつき歩く」こと、建築の見学をするための旅行をススメている。「建築を学ぶ手段として旅行を勧められましたが、どこに行けばいいですか?」という質問もある。たくさんの建築をじっくり見ることを推奨している。本学でも8月になれば夏休みとなる。ぜひ夏休みを有効につかって欲しい。

ほかには「学校ではどんな能力が問われますか?」「学生に何を求めますか?」「研究室はどうやって選べばいいですか?」「研究テーマはどう決めればいいですか?」など、全部で76の質問が用意されている。

建築学科に入学した新入生や建築を目指している高校生に読んでほしい。








子ども向けユニフォーム

建設通信新聞(7/15付け)の記者座談会の欄で『子ども、女性向けユニホーム製作』が紹介されていた。
官民を挙げて実現を目指す給与・休暇・希望の「新3K」があるが、最近では、「かっこいい」を加えた「新4K」も提唱されている。ここ数日の本紙を見ていると、かっこいいやおしゃれを追求したユニホーム製作プロジェクトが進展している。

日本建設業連合会は、未来を担う子どもたちに関心を持ってもらおうと、「ユニフォームから建設業界を変える! ドリームプロジェクト」と銘打ち、約1年前からキッズユニホームの製作を進めてきた。それがいよいよ完成し、お披露目イベントを兼ねた現場見学会が開かれた。

カラーは2パターンを用意した。今の子どもたちには分からないかもしれないけど、ネイビーは国民的アニメ「ガンダム」、レッドは「エヴァンゲリオン」を連想させるといった声も聞かれた。これもむしろ親世代に響くと思うが、音楽グループ「DREAMS COME TRUE」の中村正人さんがプロジェクトに参画し、デザインや色決めにアイデアを出したというのもポイントの一つだね。
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一方、全国建設業協同組合連合会は、建設業で働く女性のためのユニホームデザインプロジェクトを始動させた。5年前にも同様のコンテストを開催したが、建設業で活躍する女性の増加といった時代の流れを踏まえ、改めて女性向けユニホームのデザインやアイデアを募集することにした。

今回も東京モード学園と連携する形で、同学園の学生から作品を募る。2〜4年生の約400人が参加対象になるという。オリエンテーションには、試作品の製作などに協力するミドリ安全のデザイナーも参加した。そのうちの一人はなんと、5年前の最優秀受賞者という。いろんな巡り合わせがあるもんだね。

ユニフォームもかっこいいデザインがいいだろうけど、機能性、暑さ・寒さ対策などもしっかり考えてほしい。暑さ対策でファンが付いた空調服を着ている方も多いが、体型が膨らんでみえるので、見栄えも意識したデザインにならないものか。作業服ではないが、ランドセルにファンを装着して背中の蒸れを抑える「ランドセルクールパッド」なるものもあるようだ。

ところで、こうしてデザインされたユニフォームを採用した企業ってどのくらいあるのだろうか。作業服(ユニフォーム)のデザインだけでなく、「給与・休暇・希望」の新3Kを実現することが優先ではないのか・・・











嘘つく知恵見抜く技術

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建設通信新聞(7/8付け)の「建設論評」欄に『嘘つく知恵見抜く技術』という記事があった。
幼い子は嘘をつけない。嘘を見抜けないからだまされる。やがて嘘がつけるようになる。嘘がつける知恵がついた子どもは、叱責や威嚇に対して嘘偽りでわが身を守れることを実感して嘘の効用を覚えるのである。

「嘘つきは泥棒の始まり」と、嘘をつかぬように幼い時からしつけや教育を徹底させる考えがある。その一方で、「嘘も方便」と嘘をつく知恵を認識する考えもある。

だが、嘘をついてはいけないと嘘を全面的に否定するよりも、嘘を必然とする考えに立って、悪知恵を働かさない倫理教育と嘘にだまされない自衛教育を徹底する考えが必要に思われる。

昔から国境を接して、長年にわたって国ぐるみで争いを繰り返し魑魅魍魎(ちみもうりょう)が百鬼夜行している国々では、きれいごとのしつけや教育でわが身、家庭や国を守れるとは考えないらしい。

北欧のフィンランドが幼稚園、小学校、中学校で、偽情報から国民を守る教育をしていると報じられている。特定の授業の科目ではなく、大半の科目に、情報の真偽を判断する能力(メディアリテラシー)を向上させる課題が組み込まれているそうだ。

例えば、世界史の授業では、他国が過去に流した政治的宣伝の事例を学ぶ。美術の授業では、写真や映像によって印象がいかに操作されるかを覚える。

このように幼稚園の段階から偽情報を学ぶことについて、この国の教育相は「偽情報が蔓延する世界で、情報を評価する技術を幼いころから学ぶことは重要」と強調している。これは物心がついた時期から偽情報対策を教えるフィンランドの英才教育の徹底である。

そのフィンランドと国境を接する隣国ロシアは、偽情報を通じて周辺国の弱体化を狙っているとみなされている。フィンランドは偽情報から国民を守る教育を強化することで、偽情報に対する自衛能力を幼いうちから習得させようとしているのだそうだ。

翻って、嘘をつかずに正直の徹底をしつける日本では、その結果、嘘を見抜く能力が低く、正直者が世界で最もだまされやすい国になっている。そのことは、いわゆる「オレオレ詐欺」が横行するのは世界で日本だけという不名誉な事実で裏付けられる。

検査の手抜き、データの書き換え、産地偽装、規格外原料の使用などの不祥事が後を絶たない原因は、消費者や住民、時には係官までが確信犯の嘘を見抜く気がないからだ。

日ごろの建設工事で、設計変更の交渉を巡って受発注者が言った言わないの不毛の水掛け論に陥るのは、口約束を盲信する甘い態度が原因である。

生き馬の目を抜くような世知辛い海外市場では、性善説を過信せずに、嘘つく悪知恵を見抜く術を身に付けることだ。それが、わが身や我が職場を守ることにつながるのである。

昨今はSNSの利用が広がり、その信憑性を判断することが求められる。インターネット上にはさまざまな情報があふれており、それが真実かフェイクかどうかを見極めることも必要となる。そうしたスキルはどこで身に付けることができるだろうか。

亡くなった多田英之先生からは「悪知恵」が必要だ、とよく聞かされた。
『設計者が重要視するのは、社会的責任、倫理観、プライドである。全責任は設計者自身にあり、無責任は許されない。更に、建築主からは「大丈夫か」という心配と、建設業やメーカーからは「裏をかいてやれ」「手抜きをやってやれ」「困らせてやれ」という嫌がらせの両方から挟み撃ちに遭っている。設計者には、悪知恵と言えるほどの用意周到さと洞察力、判断力が要求される。そして、逃げられない責任を負っているという自覚。これが妥協しない、させない倫理観である。』

嘘つきはよくない。嘘つきは泥棒のはじまりとも良く聞いていた。多田先生は魑魅魍魎が百鬼夜行しているなかで自身の設計を貫くためには「悪知恵」が必要と言いたかったのだろう。いまはそんな時代ではないのかも知れないが・・・










withコロナにおける新しい生活様式を支える技術

日本機械学会誌(7月号)の特集は『withコロナにおける新しい生活様式を支える技術』として、神経刺激インターフェイス、新たなコミュニケーションを支える人間拡張基盤、力触覚技術を用いた建設作業用ロボット、力触覚技術の可能性と遠隔診療への応用などが紹介されている。

このなかで大林組の江沢迪和氏が「建設技能作業再現システムの開発」と題して寄稿している。
建設現場において、各種建設機械を用いた作業は積極的に自動化が進められ生産効率は年々上がっている。しかし、ビルの内装工事など人が手作業で行ってきた部分の機械化は、数十年にわたりさまざまな取り組みが行われてきたが、事実上ほとんど開発が進んでいない。この手作業を機械化、自動化していくことが課題となる。

人の手による作業の自動化が進まない原因として、手(力触覚)にかわる技術がなかったことが考えられる。力触覚を実作業に導入した事例は少なく、建設作業に使う機械はいわゆる「硬い制御」によるものがほとんどで、技能労働に必要な触覚を活用することができなかった。

この課題を解決するための手段として、「リアルハプティクス技術」の導入を計画した。リアルハプティクス技術とは「一対のロボットの位置情報および現実の物体や周辺環境との接触情報を双方向で伝達し、力触覚を再現する技術」である。人間が物体に触った際に感じる硬さや柔らかさ、風船のような弾力、自律的な動きなどの力触覚を伝送することで、遠隔にいる操作者の手元で同様の力触覚を再現できる。本技術を応用し力触覚を用いた技能をデータ化、再現することができれば、建設技能作業の自動化、生産性向上、および技能訓練の促進を図れる。

このなかで、ロボットの前に設置された1m四方の塗り壁を熟練技能者が遠隔で左官業務を行う実証実験が紹介されている。その結果、左官仕上げは十分な品質を得ることができたという。
ロボット左官

リアルハプティクス技術は慶應義塾大学の大西公平教授が実用化したもので、人間の手の感触を伝送/再現、拡張/縮小、保存する技術となっている。別の寄稿では、ハプティクス技術を使ってコロナ患者からの検体採取を自動で行うシステムが紹介されている。こうした技術が普及すると遠隔診療でも、聴診や触診が可能になるかもしれないとしている。

こうした技術がますます進歩すると、映画「サロゲート」(2009年)で描かれたような世界が実現するかも。まだまだ先のことかもしれないけど、人間が各々の身代わりロボット “サロゲート” に日常生活の一切を任せるようになったりして・・・










ハワイ観光 来る前よりよい場所に

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2014年の日米構造設計者会議でハワイ島に行ったときの写真

日経新聞(7/17付け)に『来る前よりよい場所に、観光客も』という記事があった。
みなさんはハワイと聞いて何を思い浮かべるだろうか。白い浜辺と青い海、豪華なリゾートホテル、美しい自然、独特の文化などだろうか。「夢の楽園」とも称されるが、問題に直面しているという。例えば、外来種が繁殖し在来種(ハワイの固有種)が激減している。
ハワイにとって、観光業は経済の要だ。コロナ禍で大打撃を受けたが、「けがの功名」ともいえる現象も起きた。観光客が一時激減したことで、自然が見違えるほど美しさを取り戻したのだ。

ハワイ島の西側でシュノーケリングツアーを主催する「フェアウィンドクルーズ」のキャプテン、ダンテ・ルーエンバーガーさんは「コロナでツアーが止まっていた間に岸辺がきれいになって、より多くの魚を見た」と話す。

同社はツアーが環境に与える影響を再認識し、サービスを一部見直した。サンゴ礁に悪影響を与える成分を含まない日焼け止めを使ってもらうため、船内には潤沢な数のボトルを並べる。ほかにも、船上で出す食事を植物性由来にするなど、徹底している。

環境へのインパクトを減らすだけでなく、自分が来る前より良い場所にして旅先を去る――。これがコロナ後のハワイが提案する新しい観光の形だ。

翻って日本を見ても、コロナの前は京都や鎌倉、沖縄などでオーバーツーリズムが問題になっていた。観光客が本格的に戻る前に、日本もハワイの姿から学ぶことは多いはずだ、という。

日経新聞(7/18付け)に星野リゾート「勝手にSDGs」』という記事があった。
国内外で運営するホテルなど50を超す施設はコロナ流行初期、宿泊客が急減した。「より遠くから、より多くの人を呼ぶ。そうした流れの中で、地元や地域とのつながりがおろそかになっていなかったか」。星野佳路代表は省みた。

宿泊業の使命とは何か。祖業である避暑地の温泉旅館も「夏以外は地域の人々の骨休めの場だった」。原点に返り、コロナ禍で緊張して暮らす近隣の人に安全とくつろぎの時間を提供。森や海岸など地域の持つ自然の中で朝食を楽しむなどのサービスで、多くの施設がインバウンドを補った。

もう一つの使命は「文化の発信拠点」だ。同社の施設は米ホテルチェーンと対極で設計は標準化せず価格帯もまちまちだ。コロナ禍前から若手芸術家の起用や祭りの再現、街場の店の案内ツアーと、地元文化の紹介に力を入れてきた。

自分の地元の魅力を知らない人は多い。そのため地元の旅館に市民が泊まり郷土の文化や食を知る宿泊が各地で生まれた。円安が続けば海外に行きづらく、地元や国内の旅が増える。「インバウンドだけに頼らない仕組みが大事」とみる。

これらの試みを「勝手にSDGs」と呼ぶ。軽井沢で100年続く自家水力発電など環境対策に加え「観光客が少ない場所に魅力を作る」ため地域食材や土地の文化を取り入れた。北海道ではゴルフ場を牧場に戻す。ペットボトルの水の提供をやめるなど脱プラスチックも進む。
(以下省略)

夏休みになれば旅行に行く人も増えるだろう。これまでの観光と違う新しい価値を見つける観光体験につなげていくことが必要なのだろう。そういう意味では、観光地も従来からの発想を変えていくことも必要になっていくのではないだろうか。

ただ、コロナ感染者が急増しており、混雑する観光地は避けたいかな・・・







土を育てる

土を育てる

ゲイブ・ブラウン著『土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命』(NHK出版)を読んだ。著者は、米国のノースダコタ州にある2400万平方メートルの農場で、農地を一つの生態系とみなす「環境再生型農業」を実践している。いま「すべての命は土あってこそ」ということを忘れ、農薬や機械を駆使する工業型農業が中心となっている。著者が実践しているリジェネラティブ農業(環境再生型農業)は大気中の二酸化炭素を土壌に取り込んで温室効果ガスの排出削減を実現する「カーボン・ファーミング」の手法としても注目されている。

著者は土の健康に欠かせない5つの原則を示している。
第一 土をかき乱さない
土を機械的、化学的、物理的になるべくかき乱さない。耕すと土壌の構造が壊れてしまう。肥沃な土をつくりだす土壌生物たちの”棲み処”を引っかき回さない。化学肥料、除草剤、農薬、殺菌剤なども土壌の生態系に悪影響を及ぼす。

第二 土を覆う
土は常に覆う。むき出しの土地は正常ではない。自然はいつだって土を覆い隠そうとする。天然の”よろい”をかけてやることで、土は風や水による流出から守られ、それが土壌生物のエサや棲み処にもなる。

第三 多様性を高める
植物と動物の多様性を確保する。自然界のいったいどこに単一品種だけが生えている場所があるだろうか。野生の大草原を見渡したとき、その信じがたいほどの多様性に気付かされる。

第四 土のなかに「生きた根」を保つ
年間を通して土のなかにできるだけ長く「生きた根」を保つ。これらの生きた根は土壌生物のエサとなる炭素を供給している。そして土壌生物は植物のエサとなる養分の循環をつくりだす。

第五 動物を組み込む
自然は動物なしには成り立たない。動物が植物を食べることで植物が刺激され、土により多くの炭素が送り込まれる。

米国での農業というと広大な農地に、超大型の機械を使っているというイメージがある。ただ、本書によれば後継者が不足しているという。その理由として’西譴亮益では2世帯分の生計を支えられない、⊇農のコストがかかりすぎる、ことだという。

著者の農場ではすべてが「炭素」を中心に回っている。育てているのはトウモロコシ、エンドウマメ、春小麦、オーツ麦、大麦、ライ麦、ヘアリーベッチ、冬ライ麦といった一年草の作物と、無数の在来作物。穀物は、種や飼料として、遺伝子組み換えでない飼料を求める人々に売る。また、穀物をふるいに分けた後のごみやくずをニワトリやブタに食べさせている。家畜を通して、ごみをお金に換えている。土地のかなりの部分は放牧用の多年草の牧草地となっていて、放牧している牛、羊、豚や鶏の肉、鶏卵などを売って収入源としている。

著者の農場には17もの部門があるそうだが、ほとんどの作業を著者と妻、息子とそのガールブレンドでこなしているという。どうして少人数で可能になっているのかというと、それは「自然にまかせてしまうので、やる必要がない仕事がこんなに多い」からだという。肥料や農薬や殺菌剤を運んでいく撒く必要がない。家畜にワクチンや殺虫剤噴霧を行う必要もない。放牧しているので家畜小屋から糞を運び出して、耕作地に撒く時間も必要ない。

著者は、農地の面積あたりの収益をあげるカギとして ”いろいろやる” ことだという。現在の農業モデルは細分化が進んでいるために、効率的かもしれないが、値段の変動が大きかったり、ものすごく低い商品価格になったりする可能性がある。評価されるブランドを作り出すためには ”信頼” を築き、”透明性” を保ち、”まっとうな商品” を提供する必要がある。それによって農産物に「質」という付加価値をつけることができている。

著者もいろいろな失敗をしながら現在に至っている。これまでと異なるやり方を取り入れるためには、先入観を持たずに、前向きに学ぶ姿勢を持つことだ大事だという。「できると思えばでできるし、できないと思えばできない」(ヘンリー・フォード)。また失敗を恐れずに、そこから学ぶことが大切だ。「失敗とは、次にもっと賢くやり直すためのチャンスにすぎない」(ヘンリー・フォード)。

「土は生きている」
このことを実感できる内容だった。









エコノミークラスにベッド?

日経産業新聞(7/14付け)に『NZ航空、エコノミーにベッド』という記事があった。
ニュージーランド(NZ)航空は2024年に、国際線のエコノミークラスに手足を伸ばせて寝転べるベッド付きのシートを導入する。欧米を結ぶ超長距離便が対象で、快適な睡眠環境を求めるビジネス客らの需要を見込む。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う出入国規制で大きな打撃を受けたが、旅行やレジャー需要の回復を見据えて攻めの一手を打つ。

「エコノミークラスの乗客に完全に横になれる選択肢を提供したかった」。6月末、NZ航空のグレッグ・フォラン最高経営責任者(CEO)はベッド付きシート「スカイネスト」の導入する狙いをこう語った。

スカイネストは同社が24年から順次導入する米ボーイングの中型機「787―9ドリームライナー」に設置される。3段ベッドが2列で、計6ある。4時間ごとの枠から利用時間を選んで予約ができる。
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(以下省略)

コロナ禍で海外にはずっと行っていない(2020年末に台湾に実験しに行った以外は)。欧米に行くためには10時間以上も飛行機に乗っておく必要がある。私はエコノミークラスを利用するが、いかに機内で快適に過ごすかが課題となる。当然ながら足は伸ばせないし、背もたれも倒さない。
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4時間だけでも横になれるのはありがたいかな(問題は利用料金だけど)。今後は海外旅行も増えていくだろうから、航空各社は需要を取り込もうといろいろと知恵をしぼっているということかな。









遊びが人生の主役

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Photo by Senjuti Kundu on Unsplash

日経新聞(7/11付け)の「あすへの話題」欄にクレディセゾン会長の林野 宏氏が『遊びが人生の主役』と題して書いていた。
「遊び」が人生の中で最も重要なものではないかと思う。人生は、どのくらいエンジョイしたかによって決まる。そして、それを決めるのは自分である。遊びの本質は、夢中になることではないか? それは個人個人によって異なり、異なってよい。

昔は、遊びの範囲が狭く道楽という範囲で括(くく)られていた。いわゆる「飲む」「打つ」……そして「競う」。現代は趣味の世界は際限なく広がり、全てを知ることも、経験することも勿論できない。スマホが登場し、遊びも全く変わってしまった。

人が何かに初めて夢中になるのは、子供の頃の遊びである。遊びによって夢中になることを学び、それがその後の人生に活かされていく。囲碁、将棋、麻雀(マージャン)、トランプ、カード、花札、サイコロ、競馬、パチンコ、カジノ、ダーツ等世界は限りなく広がる。
(以下省略)

子どもが夢中になるように、大人になっても夢中になれるものがあるといいのだろう。それが仕事でも、家庭でも、趣味でも。。。

ところで、朝日新聞のEduA(61号)には、神戸大学の赤木和重准教授が『夢中が見つからないときはどうする?』と題して寄稿していた。
子どもが夢中になる姿って、いいものですよね。親にとってのしあわせの一つのかたちだと思います。でも、なかなか夢中になれない子もいます。理由のひとつとして考えられるのは教育や子育ての影響です。夢中になるというのは、子どもが自分の欲望や要求を優先させること大人の指示を的確に守るのが「いい子」とされてしまうと、そちらが先に立ってしまい夢中が置き去りになってしまいます
(略)
大切なのは、「夢中」の基準を大人が設定しないことです。大人は勉強とか将来に役立つことに夢中になってほしいので、あまり役立ちそうにないと感じたら、「やめときなさい」と止めてしまう。でも、それは大人のエゴです。大人が「これはいいけれど、あればダメ」と線引きしないことが、子どもが夢中の世界に入っていく上で重要なことだと思います。

やりたいことを見つけるのは子ども自身です。ただしきっかけをつくるのは大人の仕事。親子の関係や社会とのつながりから、夢中は生まれてきます。周囲の大人とも協力しながら、10回誘って1回反応があればいいかな、という軽い気持ちで、あれこれ水を向けてみましょう。

その際に必要なのは対話です。「一緒にやってみよう」と誘いかけ、対話を重ねていくと、子どもも自分の気持ちが見えてくる。その結果、「これ、やりたくない」「ここが面白くないから」と親に言えたら十分。そのうち自然と、「こっちをやりたい」ということが出てくるはずです。反対に、「やりたいことは何?」という問いかけや、「やりたいことをやっていいよ」という丸投げはやめましょう。子どもを困惑させかねません。

集団のなかで「やりたい」気持ちを育むことも大切です。子どもの集団では「よく分からないけど楽しそう」という夢中が感染します。特に、異年齢の集団のなかでは、思ってもみなかった「やりたい」が見つかるケースが多いようです。

大人でも夢中になるためには、周囲から「それやってなんになるの?」とか言わないことも必要だろう。いまはすぐに役立つことを求める風潮にあるし、学生のなかには役に立つことしか関心がないような者もいる。子どものような熱意をもって取り組める環境を用意することが、創造性を発揮するためには必要なことだろう。









衆院の比例代表選出議員は必要ない

週刊東洋経済誌(7/16号)の「少数異見」欄に『衆院の比例代表選出議員は必要ない』という記事があった。
衆院の選挙制度は1つの選挙区で複数人を選出する中選挙区制だった。これを、当選者1人を選ぶ小選挙区制に切り替えた。それでは「死票」が増えてしまうため、政党単位の比例代表制が併用されることになった。比例代表制は参院でも導入されているが、仕組みは異なる。違いの一つが、衆院では小選挙区と比例とで重複して立候補できるため「比例復活」が可能という点だ。

政党政治が前提の現代日本では、小選挙区での当選であっても、議員個人への支持か政党の力か切り分けることが難しい。だが、とくに衆院比例代表での当選は政党の力によるのが明白である。

にもかかわらず、比例代表え選出された後に政党を離党する事例が起きる。そのたびに「国民の信任に反する」といった批判が起こるものの、抜本的な対策はなされてこなかった。

そもそも衆院で比例代表選出議員は必要があるのだろうか。死票となる民意をくみ取ることが目的なら、選挙を通して政党に投じられた票を国政の意思決定に反映できればいいのだから、「議員」である必要はない。比例票に応じた国会での「投票権」を各党が持つようにしてはどうだろう。

投票権の行使は党の責任で行われる。つまり党の公約と国会での行動が一致する。有権者は比例では政党へ投票するわけだから、それで何の問題もない。

比例代表の議員がいなくなるので、衆院議員数の削減(176人)にもなる。その分だけ歳費や調査費(旧交通費)なども軽減できる。お金の面だけでなく、比例選出議員の離党問題も、比例復活もなくなる。選挙に対する有権者の納得性も高まるように思う。

日本は人口減少、国の経済力の低下などの深刻な課題に直面しており、各種社会制度の抜本的改革は避けられない。それらをリードする政治家が、まずは痛みを伴う改革を実行して範を示すのはいかがだろうか。

日本の人口がこれから減っていくので、議員数もそれに応じて減らしてもいいと思う。地方で人口が減っていくと、小選挙区といいながら大選挙区になるかもしれない。ところで、先日の参議院選挙では与党の勝利に終わった。その結果は有権者の判断だが、総務省によれば年代によって投票率に大きな差がある。
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若い人たちの意見を反映できるような制度にできないものか、と思う。選挙に行くか行かないかは有権者の意思ではあるが、投票に行くことを促進する方法というのはあるのではないか。政府はマイナンバーカードを普及させるためにポイントの付与を行っている。投票にいけば、ポイントがつくような仕組みとか、ネット(スマホ)で投票できるようにするとか、できないものか、と思う。

そもそも政治へ期待できないということが根本的な問題なのか・・・











富士山噴火に備える

富士山噴火

「科学」(7月号)の特集は『富士山噴火に備える』となっている。
富士山の過去の噴火のうち古文書などで確かに噴火したと思われるのは紀元781年以来10回とされているが、その発生間隔はまちまちである。飛鳥時代から平安時代にかけては7回の噴火が数えられ、数十年に1回程度の頻度で噴火していたことが読み取れるが、鎌倉時代以降は特に不規則で100年以上の間隔がある。

7世紀から12世紀までの500年間に流出した溶岩の年代を溶岩流直下の炭化物や土壌の炭質分に炭素14年代法を適用すると、16回の噴火があったことがわかっており、古文書と同様に781年以降に限ると12回である、古文書に記録された回数の約2倍になる。このように、古文書がすべての噴火を網羅しているとは限らないが、江戸時代以降は政治も安定して全国の情報を幕府が把握していたことを考えると、紀元1707年の宝永噴火以降300年以上噴火が発生していないことは確かであろう。
(略)
何千年もの間、30年に1回の頻度で噴火を繰り返してきた火山が1707年以降は300年以上噴火をしていないのである。平均休止期間の10倍以上の間噴火していないのはやはり異常であり、今後いつ噴火してもおかしくないと考えられるが、次の噴火が数年以内のことなのか、数十年後のことなのかについてはわからない。
(略)
マグマ供給系の研究も、地震波速度構造の探査も、電磁気的手法の研究も、富士山の主要なマグマだまりは20km程度かそれよりも深いことを示唆している。伊豆大島や桜島などの他の火山のように6〜10kmの深さではない。(略)このように深い場所にマグマだまりが存在すると、マグマだまりに次々とマグマが供給されて内部圧が高まっても地表での変位はごくわずかで、地殻変動観測では把握できない。しかし、噴火前にマグマが上昇して10km程度の深さまで達すれば、地表の地殻変動観測網でも探知できるようになる。

富士山のマグマだまりにどの程度のマグマが蓄積されているは地表での観測では把握できないが、300年以上噴火していないことから、かなり大量のマグマが蓄積していることが予想される。(略)噴火前の休止期間が長くなるほどマグマの蓄積量が増大し、規模の大きな噴火も起こり得ると考えられる。もちろん、マグマだまりに蓄積されたマグマの全量が次の噴火で噴出するとは限らないから、長く休んだ火山が必ず大噴火をするというわけではない。しかし、世界の火山の噴火前の休止期間の長さと噴火規模の関係からは、宝永噴火並みかそれ以上の規模の噴火の前の休止期間は100年以上である例が圧倒的に多い。長く休んだ火山では大量のマグマが蓄積するといいう考えと矛盾しない。富士山の地下にも今や大量のマグマの蓄積があると考えたほうがよい。
(略)
宝永噴火並みの大噴火は、最近でも世界各地でいくつか発生しているが、降灰地域のほとんどが原始林や過疎地や海域である。首都圏のように、多種の公共交通機関が発達し、数千万人の居住者が生活する近代都市の被害想定の参考になるような例はない。(略)もし、18億立方メートルの火山レキ・火山灰を放出した宝永噴火と同等の噴火となった場合、生活区域から除去すべき火山灰は膨大な量となる。運搬方法や投棄場所を含めて事前に綿密な計画を立てておかないと、首都圏の復旧は困難になる。

富士山の次の噴火が宝永噴火並みの噴火だとすれば、火山灰・レキの量は大量となる。18億立方メートルのすべてが首都圏に降り注がないと思われるが、火山灰の密度が1立方メートルあたり1〜1.5トンとすれば、10億トン以上の火山灰となる。東日本大震災のときのガレキの量が3000万トンといわれているが、それを超える量となるかもしれない。

本特集では宝永噴火の降灰シミュレーションも示されているが、それによれば神奈川・静岡県境で降灰厚さは60cm以上、東京でも4cmとなっている。降灰は上空の風速や風向などの影響を受けるが、桜島による鹿児島市でさえ、年間降灰量が1cmを超えないことを考えると、東京を含む南関東地域に甚大な影響を与えることは明らかだ。宝永噴火は2週間も続いた噴火だといい、将来の噴火も降灰厚は何日もかけて徐々に増加し、影響も長期化する可能性もあるという。

降灰が厚く積もると建築物への影響も懸念される。火山灰は雪よりも比重が大きいため、降灰が20cmを超えると木造や鉄骨造の屋根には被害が生じる可能性も高くなる。また鉄筋コンクリート造では構造的には問題はないかもしれないが、ひび割れに火山灰中の水溶性成分がしみこむことで、強度が劣化する可能性は否定できない、という。

そのほか人間の健康やインフラ、交通への影響も懸念される。社会的・経済的な影響が大きいため、噴火に対する備えや事業継続計画などの策定が求められる。









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著書など
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「アイソレータ・マン」。頭部は積層ゴムで、胸にはダンパーのマークでエネルギー充填
『耐震・制震・免震が一番わかる』
共著ですが、このような本を技術評論社から出しました。数式などを使わずに耐震構造、制震構造、免震構造のことを、できるだけわかりやすく解説しています。
『免震構造−部材の基本から設計・施工まで−』
2022年に改訂版がでました。初版から10年が経ったので新しい情報やデータを追加・更新しています。免震構造の基本をしっかり学べるような内容となっています。
『4秒免震への道−免震構造設計マニュアル−』
いまでは少し内容が古いかもしれませんが、免震構造の基本的な考えを述べています。初版は1997年に理工図書から出ていて、2007年に改訂版を出しました。
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