ニッポンの大学の問題点

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中央公論(2月号)の特集は、「大学改革の混迷」
その中にオックスフォード大学教授の苅谷剛彦氏による『「小さな政府」に高等教育は可能か イギリスから見たニッポンの大学の問題点』があった。
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多くのヨーロッパの国々は、高等教育の無償制を掲げてきた。大学のほとんどが国立である。それを問題なく維持できていたのは、大学が高度な知識の生産やそうした知識をもった人材の養成機関として社会に裨益する、そういう「公共財」としての認識が受け入れられていたこと、加えて、大学に進学する人々が一定数に限られていたことにもよる。

ところが、この20、30年の間にヨーロッパでも事情は一変した。グローバル化した「知識経済」のもとでは、より高い知識や技能をもった人材が以前にも増して必要となる。そのためには、大学教育の拡張が欠かせない。だが、大学教育の機会をあまねく提供するためには、国の財政負担が増えるというネックが存在する。

イギリス政府は、大学の授業料をこれまでの年額3290ポンド(1ポンドを122円とすれば約40万円)を上限とする仕組みから、それぞれの大学の決定によって年額9000ポンド(約110万円)にまで引き上げることを可能にする政策への転換をはかった(1998年までは無償)。国による財政負担増を軽減するためだといわれている。

イギリスでは、授業料の支払いは、学生が大学卒業後に得る収入に応じて、給与から天引きされる後払い方式をとっている。いわば大学教育はほぼ自動的に国からの学生ローンを引き受ける形で、受益者の負担となるのである。

一方、日本では先進国の中でも際だって高等教育費の公的負担が小さい。言い換えれば、財政面での国家の役割は、もともともっとも「小さな政府」だったのである。教育費の私的な負担といっても、イギリスのように受益者負担にはなっていない。

日本では、大学にかかる費用の多くは、親たちが支払う。貸与による奨学金を利用する学生の比率は日本でも高まっているとはいえ、親から子への財産贈与の一部とみなした方がよい。学生の側からみれば、自分が将来負担すべき自らへの投資ではなく、親への依存によって大学に行っているという意識につながる。大学で学ぶことにへの意識の低さにもつながる「甘えの構造」はこうした費用負担の仕組みと関係している。

しかも、私学が全体の学生数の8割を抱えている。「小さな政府」ゆえの私学依存・家計依存による高等教育の拡大が、日本の大学教育のもっとも本質的かつ構造的な特徴である。

教育機会を拡張しようにも、家計の経済力による不平等を残してしまうのも、教育の質を高めようとする議論の多くが空振りに終わってしまうのも、その根本には、国による財政負担を小さくしたまま、高等教育の機会を(安上がりに)提供・拡張してきた日本型高等教育の発展史にもその原因があるのだ。市場原理に任せて教育の拡張をはかり、国による財政的な負担を最小限にとどめておく「小さな政府」を、高等教育の世界で日本がいち早く実践してきたことのツケである。

これまでも指摘されてきていることだが、大学が抱える古くて新しい問題は、以下のとおり。
(1)就職活動
 就職活動の早期化により4年間の教育が十分に確保されない。
(2)カリキュラム
 広く浅い学習になっている。学生たちは実質3年間で単位をとろとするから、一週あたりの登録授業数も多い。そのためほとんどの授業が予習を課さない、話を聞いて試験を受ければよい講義形式の教育に終止する。ベネッセが行った「大学生の学習・生活実態調査」(2008年)によれば、一週間に予習や課題に費やす時間が3時間未満の学生は73%、一週間に大学の授業以外の自主的な学習をする時間が3時間未満は81%におよぶ。日本の大学とは、授業中にしか学ばないところなのである(授業中だけでも学ぶ方はまし?)。
(3)付加価値
 何をどれだけ学び、身につけたのかが問われないうちに、就職の内定が決まってしまうのは、日本の社会が大学教育の付加価値に関心を持たないことを象徴している。
(4)修士プレミアム
 高度な人材養成が必要だ、教育の質の保証が重要だ、といわれる割には、大学院教育へのシフトが起きていない。修士号をとってもそれが雇用市場では全く評価されない(特に文系では)。

これらの問題が長年指摘されながらも現在でも大きく変わらないのは、このような大学教育の仕組みが一定の機能を果たしてきたからである。たとえ大学教育が付加価値をつけずとも、大学入試が訓練能力のシグナルを提供している限り、大学は一定の役割を果たしてきたとみることができる。

このような理解は、日本という閉じた社会の中での競争の仕組みを言い当てるものだった。あくまでも相対的な順位が問題にされるのであって、国内の閉じた空間の中で競争をする限り、教育の中身が伴おうと伴うまいとそれは問題にされない。閉じた競争の中での相対的な順位争いが受験競争であり、就職競争だった。

ところが、日本国内で閉じた競争が続いているうちに、日本の外側では大きな変化が生じている。大学教育においても、企業の人材獲得においても、急速な勢いでグローバル化している。大学がグローバルな人材育成競争の担い手として注目され、いわゆるワールドクラスの大学がしのぎを削り合う。しかも、そうした変化の舞台は、研究者養成だけに限らない大学院教育に移行しつつある。
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オックスフォード大学の授業で課せられる課題文献の量は、一つの授業で1学期に20冊近くの文献を読ませ、それをもとにエッセイ(論文、毎回A4で10頁くらい)を書かせ、議論する。しかも、個別指導が中心で、ゼミ形式の授業もきわめて少人数で行われるという。多くの文献を読ませ、多くのエッセイを書かせ、批判的に思考する力、議論する力を身につけさせる。そういう付加価値をつけることが、グローバルな競争で求められている、という。

日本の平均的な大学生は4年間でも本を20冊くらい読んでいるだろうか。企業の採用活動もかわってくるだろうし、企業が求める人材も変化するだろう。ユニクロは学年や国籍を問わない通年採用に踏み切った。企業の採用活動がかわれば、大学も自ずと変わらざるをえない。外圧に頼らないと変われないところが少々悲しいが、これまでのやり方を急には変えられない。教員の対応力にも課題があるだろうし、できるところから変わっていくしかないのだろう。東大の秋入学もグローバル化を意識したものだろうが、入学時期を変えただけでグローバル化に対応できるわけではない。大学の改革は待ったなしということか。

泡盛天国

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日経新聞(2/1付け夕刊)に歌人の俵 万智さんが寄稿している。
ワインは旅をしないと言われるが、どんなお酒も、旅をしないほうがおいしいと私は思う。つまり、つくられた場所で飲むお酒が一番だ。ワインの場合は特に、振動に影響されるということから、輸送に不向きとされる。が、輸送にそれほど影響を受けないお酒であっても、生まれた気候から遠ざからないほうが、いい。

外国を旅して、こんな素晴らしいお酒があったのかと感激し、重い思いをして持ってかえったものの、いざ日本で飲むと「あれ?」という経験した人は多いだろう。インドの安いラム酒を箱買いしたり、ポルトガルのポルトーを後生大事に抱えてきたり、中国の人参茶の味がする缶ビールをお土産にしたり、ベルギーの修道院でもらった地ビールを手荷物で運んだり・・・した人は、そう多くはないかもしれないが(全部、私です)、ふるさとを離れたお酒は、悲しいほど色あせてしまうというのが実感だ。

さて、去年の夏から石垣島に住む私の、夜のお決まりコースは「オリオンビール→泡盛」。オリオンビールは、さっぱりしていて水のように飲める。亜熱帯気候にぴったりの喉ごしのよさが特徴だ。泡盛は、地元の「請福」を贔屓(ひいき)にしている。琉球王朝時代から育まれた黒麹菌を、石垣島於茂登岳の自然水で仕込んだもの。米から作られるお酒だが、麦焼酎よりはクセがある感じ。だが、そのクセが不思議と、いろいろなものと合う。私はこれまで、焼酎を飲むならお湯割りで、梅干しを入れるとかナントカサワーとか、絶対にいやだった。焼酎の風味に失礼だろうくらいに憤っていた。

が、泡盛は、普通にお湯割りでもイケるのだが、たとえばシークワーサーを搾ったりすると、いっそう風味が増す。クセを消すという意味ではなく、クセが生きるという方向なのだ。単純に、こちらの気候が、柑橘系とマッチしているということなのかもしれないが。いつからか、泡盛にシークワーサーは、定番になってしまった。生の果実があるときは、せっせと搾るし、季節が移れば100パーセント果汁の瓶詰が、手頃な値段で手に入る。これも地元ならではの楽しみだ。

そして、南の島もさすがに肌寒くなってきた今日このごろ、私が無夢中になっているのは「EGOIST」という生姜シロップ。これで作る泡盛のお湯割りが、とてつもなく美味。たまたま友人がお土産でくれたもので、沖永良部島で作られている。EGOISTとは、「ELOVE GINGER ORIGINAL ISLAND TASTE」の頭文字をとったものだそうで、島の生姜、島の黒糖、島の蜂蜜、そこにシナモン、クローブ、レモンが加えられたシロップだ。基本、受注生産で、大量に注文が入ると、あたふた生姜を搾ったりするような規模らしいが、これがもう泡盛を天国の味に変えてしまう。質のいい生姜のおかげで、体がぽかぽかと暖まり、寝酒には最高だ。

確かにお酒(だけに限らないが)は、作られたところで飲むのがおいしいと思う。そこでとれた素材や水を使って作られたものは、やはりその気候にあっていると思う。また、地元の料理との相性もいいはずだから。ただ、最近はインターネットや流通網が発達したおかげで、日本のみならず世界中のお酒が自宅で楽しめるわけだが。

ただ、ネットとかで流通していない地酒のようなものは、やはり地元に行ってみないと出会えない。石垣島には行ったことはないが、鹿児島にいくと知らない銘柄の焼酎がたくさんある(普通の居酒屋にもおいてある)。普通、焼酎はあまり飲まないのだが、鹿児島で飲んだ焼酎は美味しかった。そういうお酒と巡り会えるのも地元ならではの楽しみの一つである。

東日本大震災 EERI Report

EERIから、東日本大震災の建物被害に関する調査報告が出された。
このレポート(PDF)は以下のアドレスから入手できる。(他のレポートはこちらから

http://www.eqclearinghouse.org/2011-03-11-sendai/files/2011/03/Japan-eq-report-Buildings-medrez.pdf

このレポートは全16ページで、鉄筋コンクリート構造と鉄骨構造の被害、そして免震・制震構造の地震時応答について書かれている。日本ではすでに知られた内容と思われるものの、免震建物は11棟、制震建物は6棟を視察し、地震時の応答が紹介されている。

このレポートの中で、建物の地震観測は非常に有効であるが、データの公開に関しては民間建物は協力的ではない、けがき式変位計(scratch plate)は有効である、免震エキスパンションジョイントの被害は見かけの問題と位置づけられるが、構造設計者の関与が必要である、といったことも書かれていた。

いずれにしろ免震構造は、設計で想定した入力に近いか超えるレベルの長周期・長時間地震動に対して、十分に性能を発揮したと結論づけられている。

災害と折り合う

建設通信新聞(1/30付け)の「建設論評」欄に『災害と折り合うために』というエッセーがあった。
東日本大震災を受けて、防災制度の見直しが進んでいる。(略)しかしながら、大震災が提起した課題は、防災対策の強化・充実だけではない。より重要なのは、われわれの生活や産業活動が自然的環境のもとにあるという現実を深く受け止めること、そしてその上で、受け入れるほかない地象、水象、気象との関係を厳しく吟味することである。

もともと日本列島は、プレート境界上に生成し、多数の活断層を抱えるなど強い地殻変動を免れない位置にある。また、モンスーン気候のもと、豪雨、強風、豪雪なども避けることができない。このような自然現象と折り合うべく、従来からたゆまぬ努力が積み重ねられてきた。防災対策もその一環である。

ところが、その恵みのみを享受し、不都合を排除する仕組みを発展させた結果、自然をトータルにとらえてそれと折り合う知恵が失われていった。特に、そのような知恵が必須である農林水産業が衰退したことが、自然環境と社会とのバランスを崩す傾向に拍車をかけたのである。自然の脅威が激しく牙をむく深淵はそこにある。

従って、なすべきは、自然と折り合う仕組みを鍛えることである。そしてそのためのかぎは、自然を風土としてとらえる感性を磨くことである。風土と人間との関係を深く考察したのは和辻哲郎であるが、彼は、その著書『風土』において、人間に対する風土の負荷は極めて豊富であるとし、人間は過去(歴史)のみならず風土をも背負うと主張した。生活が風土に組み込まれることによって人の感性に違いが生じ、その違いが社会文化の類型となっていくとするのである。

これは非常に重要な視点で、技術と文化のあり方は風土を色濃く反映するのである。災害もまた風土の表れであるから、それを特別視することなく、日常に組み入れなければならない。つまり、自然の恩恵とともに不都合をも丸ごと受け取る覚悟が必要である。

例えば、災害を制御する計画に過度に依存しないこと、人工物の限界を謙虚にわきまわること、自然と直に向き合う体験やリアルな身体感覚を直視して鋭敏な感覚を育てることなどが大事である。あるいは、生態系の尊重も風土を受容する上で極めて有効である。大震災が問いかけるのは、そのような便利さや効率性とは異なる風土に根ざした価値観を再発見し、鍛錬していく決意のほどであると考える。

この決意は同時に、経済政策、国土政策などの大幅な見直しを要求することになるはずだ。震災からの復興は、これら政策の転換と一体となって進めなければならない。それを怠ると、また・・・・。

今年は平年以上の雪が降っていると報道されている。2メートルとか3メートルという雪が積もり、毎日が雪との戦いとなっている。豪雪地帯の雪に対するイメージは、雪が滅多に積もらない地域とはまったく違うのだろう。そういう地域では雪が多いか少ないかの違いはあるにせよ、雪との戦いは毎年のことで、生活の一部、風土となっている。

豪雨や台風による被害もほぼ毎年のように日本のどこかで発生している。毎年のように繰り返されることに対しては、生活の一部となり、風土に根ざした対応策も蓄積されてきているだろう。しかし、昨年の大震災のような津波に対しても同じだろうか。そのような大惨事に対して、どう対処すればいいのか。防災対策だけでは限界があるので、災害と折り合いをつけよう、といわれてもどうすればいいのか。こういった大災害を経験するのははじめてという人々が多い中で、折り合いをつけることってできるだろうか。

自然現象である地震や津波は防ぎようがない。そういうものが発生するということ自体とは折り合いをつけるしかない。しかし、そういった自然現象によって発生する災害は防ぐことができるのではないか。もちろん人工物だけで防ぐということはできないし、災害が起きたときにそれを少しでも和らげる対策も必要だろう。

発生する確率が非常に低い事象(災害や事故など)に対して、どういう心構えで、どう対処すればいいのだろうか。そういう事象は起こらないはずだと思って暮らしているほうが幸せかもしれないが、万が一のことについて、地域で検討したり、家族で相談したりしておくことは大切なことではないだろうか。

高層ビルの長周期地震動

朝日新聞(2/3付け)に「揺れ10分 耐震義務化」という記事があった。
東日本大震災による長周期地震動で全国の高層ビルが大きく揺れたため、国土交通省は震災前につくった対策を大幅に強化する方針を固めた。震災級の揺れに対応しておらず、大きな被害が出るおそれがあるからだ。今夏から、新築の高層ビルには10分にわたる大揺れなど震災級にも耐えられる強度を義務づける。

建築基準法の規則では、高さ60メートル以上(約20階建て以上)の高層ビルに対し、主に阪神大震災などの直下型地震の耐震強度を義務づけている。ビルが揺れる時間の想定は「60〜120秒」(1〜2分)だ。

だが、近年、遠くの地震でも長周期地震動で高層ビルが揺れることがわかった。国交省は2010年12月、大地震の長周期地震動を想定して約500秒(8分)の揺れに耐える強度を義務づけると公表し、11年春に始めようとしていた。 そこへ東日本大震災が起き、揺れは想定を大きく超えた。国交省は義務づけをとりやめ、震災のデータをもとに規則を作り直した。

新規制は、ビルの構造計算をする際、東日本大震災のように複数の地震が立て続けに起きる「連動地震」を想定して設計させる。具体的には、東海、東南海、南海地震が立て続けに起きる連動地震3〜4パターンと単独の南海地震を想定し、これらの長周期地震動による大揺れが10分続いても耐えられるようにする。

梁や柱を増すなどして強度を高めるほか、基礎部分に免震用のゴムを入れたり、柱の間などの油圧などで揺れを吸収するダンパー(制震装置)を入れたりしなければならない。建物によっては揺れ幅が2〜4割減って建物の損傷を軽くするほか、ビル内の人が転倒するのを抑えるという。

長周期地震動の定義というのは、はっきりしていないが、ゆっくりとした揺れが長時間続く地震動のこと。こういった地震動では、超高層建物のように長周期構造物で、減衰が小さい建物ほど大きな揺れが長く続くことになる。大きな揺れが続けば、高層建物の上層階にいる人たちは立っていられなかったり、家具などが移動・転倒して怪我をすることもある。建物が倒壊するまでにはいたらないにしろ、構造体に被害が出る可能性があるから、補強が望ましいといわれている。

そのなかでも、大阪府の咲洲(さきしま)庁舎(55階建て、250メートル)は10分揺れ、上層階では3メートル(往復)の横揺れがあった。壁や天井など360箇所が壊れた、という。咲洲庁舎は24億円をかけて、東京都庁ビルも40億円をかけて改修工事を行うそうだ。大きく揺れるのは、鉄骨造の超高層建物が多いようだ。鉄筋コンクリート構造の超高層建物が大きく揺れたということは聞かない。これは鉄筋コンクリート構造の建物の初期剛性が高い(そのぶん周期が短い)ということと、微小なひび割れなどにともなう減衰が大きいためだろうか。

超高層建物を補強するにしても、どこまで周期を短くできるか、制震ダンパーでどのくらいまで減衰性能を高めればいいのか。想定される長周期地震動の揺れの長さだけでなく、地震動の強さや周期特性とも関連する。新築でも補強するにしても、性能向上の目標値についても明示することが必要ではないだろうか。ただ、これは建築基準法の性質上いえないだろう。建築基準法では最低基準を規定している。長周期地震動により人命に危害がおよぶ可能性が高くないのであれば、最低基準を上回る性能を義務づけることは難しい。しかし、社会はより高い安全性や使用性を求めているということかもしれない。

同じ記事には免震構造に関しても言及してあった。
震災を機に、不動産・建設業界も長周期地震動の対策に本腰を入れ始めた。
三井不動産レジデンシャルは建設中の「パークタワー東雲」(43階、585戸)を皮切りに、高さ60メートル以上の高層マンションで、免震ゴムやダンパーなどを使った「免震構造」を取り入れる。これで揺れを2〜4割吸収するという。

大手ゼネコンの鹿島は、扱ったビルのうち免震ビルが、震災前の年10件から今年度は30件以上になったという。中村満義社長は「震災後の注文はほとんどが免震構造」と話す。

免震構造が普及するのはいいことであるが、阪神淡路大震災のときと同じような状況になっていないか危惧される。阪神淡路大震災のときにも免震マンションが急拡大したものの、翌々年には急速に減少していった。一時的なブームで終わってしまっては困るし、計画中のマンションが本当に免震構造が必要なのかどうかについても慎重な判断を求めたい。たとえば、軟弱地盤で、風が強い海岸近くに、高層免震マンションが本当に必要なのかどうか。

免震マンションだから揺れないというわけではない。免震ゴムより上にある建物の変形は小さくなるものの、免震層の変形は大きい。たしかに大地震時の免震効果は大きな魅力であるものの、小さな地震や強風時の居住性などについても、正しい情報をマンションの購入者に伝えることがディベロッパーの責務であることを認識してほしい。

iPhone5登場か?

いま使っている携帯電話は、iPhone3GSで、2世代ほど前のiPhoneだ。

そろそろ、iPhone5が販売されるのではないかと思って、買い換えないでいる。そのiPhone5に関する情報がWEB上にあった。なんでも、iPhone5のプレスリリース画像が流出したものだとか・・・
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ディスプレイサイズは、3.5インチから4.3インチに大きくなり、CPUもデュアルコアA5チップからデュアルコアA6チップにと性能アップ、そしてアルミニウムユニボディになるとか。

別の情報によると今年の10月販売されるという噂も・・・

ところで、携帯電話のケースにもさまざまなものがある。たとえば、ウサギの耳をかたどったものなどもある。
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2つ折りの携帯電話なんかだとケースに入れていた人は多くないのではないか。デコレーションをしている人もたまに見かけるが。ところがスマートフォンになるとケースをつける人が増えたように思う。ケースにバリエーションが増えたからというのもあるだろうけど、スマートフォンの裏側が寂しいからなのか・・・・

しかし、耳なんかがついていると背広にスムーズにしまえそうにないから、やっぱりビジネスパーソンには凝ったケースは不要かな?

いまのiPhoneにはネックストラップをつける箇所がない。たまに首からぶら下げておきたいときもあり、そういうときは不便だ。新しいiPhone5と思われる写真を見る限りついていそうにない。やっぱり、ジョブズの美意識にはなじまないのかな〜

採用活動は卒業後に

日経新聞(1/30付)の「春秋」欄にあった記事。
就職活動で複数の会社から内定を手にする学生を「内定ゲッター」と呼ぶそうだ。その一方で、卒業間際まで就職先探しに奔走する学生がいる。自己PRの書き方に面接の想定問答。そうした型にはまった技術とは別の鍵が道を分ける。

近著「世代論のワナ」でそう説くのは人材育成コンサルタントの山本直人氏だ。鍵の一つが親。内定ゲッターや優秀な若手社員は皆、伸びやか。その人柄は親が子に過度なダメ出し、つまり欠点の指摘をせず信頼して育てた結果だとみる。子を信じるには親に自信が要る。自信ある親から自信に満ちた子が巣立つ。

こうして目に見えない「自信の相続」が進行中だと山本氏。窮屈な環境で育った子には本来、大学3年生の1年間が逆転の好機だった。研究、サークル運営、留学などにより自力で自信を身につけるのだ。貴重な1年が近年は就活でつぶれ、入学時の自信の多寡が就職の明暗まで左右するようになったと分析する。

人材の流動化や多国籍化でコミュニケーション能力の高い社員を企業が求め始めた。伸びやかな人が引く手あまたなのもそのためらしい。そもそも若者が生き生きしていない社会の未来は暗い。彼らが自分に自信を持てるよう、学校や職場は不要なダメ出しをやめて、「勝つ」体験を積ませてはどうだろう。

朝日新聞(1/30付)の「私の視点」欄にキャリアコンサルタントの田淵孝満氏が『採用活動は卒業後に』と題して寄稿している。田淵氏は電子機器メーカーを退職後、国立大で学生就職指導相談員をされている。企業の採用活動は大学卒業後、あるいは4年生の1月以降にするよう提案されている。一部を抜粋する。
採用試験を次々と受けて早々に内々定をいくつもとる学生がいるかと思えば、夏休み前に就活をあきらめ、「留年した方がいいだろうか」と相談にくる4年生がいる。少数だが、3年生のうちに内定をもらったのに4年生の単位がとれず、「卒業できない」という学生も駆け込んでくる。

こういう実情をみていると、大学4年間とは、学生が教養・専門教育や学内外の活動を通して知識を教えられるだけでなく、自ら学ぶ力をつけて成長する貴重な期間だという教育の原点に思い至るのである。3、4年生が就活に多くの時間をさき、右往左往させられていいわけはない。

学生は卒業まであと1年という大事な時期に、新卒一括採用にこだわる企業によって採用試験、内定、入社前研修と振り回される。学生が成長する機会を奪われることは本人はもちろん、企業、社会にとっても大きな損失である。

大学が学生の「質の保証」を公約して企業の信頼を得るようにすれば、企業は他社より一歩でも先に優秀な学生を確保したいという企業エゴを捨てて、「採用活動は学生の卒業後に」という点で合意できるのではないか。

そもそも大学は4年間在籍する必要があるのか。実は1999年に学校教育法が改正され3年で卒業できるよになったにもかかわらず、3年以上を修業年限としている大学は少数のようだ。多くの大学では卒業に必要な単位数は124単位。年間に40単位ほどとれば3年で卒業に必要な単位数はほぼとれてしまう。そうすると4年目は残り数単位の修得と就活しかないことになる。

優秀な学生が3年で卒業できるようにしてもいいのではないか。欧米の大学では早く成果がでた学生は早く大学を卒業する。もちろん4年次に卒業論文などの必修科目が配置されていたりすると、いくら卒業単位を満たしていても卒業できない、ということになる。本学でも4年次に卒業論文が必修となっていることが多い。3年で卒業できる学生には3年次に卒業論文(プレ卒論のようなもの)の単位をとれるような制度設計をすることはできるのではないか。わが国の大学の制度にももっと柔軟性をもたせていいのではないだろうか。

できる学生には3年で卒業できるような制度を、そしてじっくりやりたいことを探したい学生にはじっくりと時間をかけて卒業できるようにすることが必要なんじゃないだろうか。でも、就職や採用活動の時期がどうなるかが大きな影響を与える。採用活動をもっと柔軟にすることも必要なのではないか。

東大をはじめ主要な大学はグローバルな競争を踏まえ秋入学に移行することを検討している。研究大学はグローバルに評価されるような体制を率先して実現していくことが必要だろう。そうすることがわが国のベルアップにつながるものと思われる。

快眠で仕事テキパキ

日建産業新聞(1/26付け)に睡眠に関する記事があった。
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「日本人は世界的に見ても睡眠に対する意識が低い」
日本睡眠改善協議会の白川修一郎・常務理事は言い切る。経済協力開発機構(OECD)が2009年に調査した報告書によると、日本人の1日当たりの平均睡眠時間は7時間50分。18カ国の中では韓国に次いで短い。

最適な睡眠時間は人それぞれ個人差があると言われるが、白川氏は「95%以上の人が7時間前後必要。最低でも7時間は寝て欲しい」と話す。健康への影響が出ないためには6時間半〜8時間、頭脳を明晰にするには7〜9時間が目安になる。

しかし、実際は5〜6時間という人も多いのはないだろうか。リーマン・ショック以降、仕事の負荷は高まるばかりで、早朝出勤と残業の繰り返し。休日の睡眠が平日よりも2時間以上長いという人は寝不足のサインだ。

睡眠不足は仕事にどれくらい悪影響があるのだろうか。
米国の研究チームによると、「本来、8時間寝るべき人が6時間で済ませる生活を1週間続けるだけで、その人は”ほろ酔い”と同じ状態になる」らしい。お酒を飲みながら働くようなもので、効率は下がりミスも増える。体調そのものを崩すリスクも当然高まる。09年の研究では、鼻風邪のウイルスにさらされた場合、睡眠効率が低い人は高い人に比べて5.5倍の確率で発症した。強い眠気で食欲が落ちて朝食を抜いたため、かえって太りやすくなったという調査結果もある。また、1日の平均睡眠時間が5時間以下の人は、7時間超の人と比べて糖尿病発症の危険性が5倍以上高くなることが、旭川大や北海道大などの分析で分かったとの報道もある。

睡眠を改善するには、自分の睡眠履歴を記録して、どれだけ睡眠不足かを自覚することが大事という。睡眠不足を休日の補う、いわゆる「寝だめ」は厳禁とのこと。体内のリズムが狂って夜寝られなくなるなど弊害しかないそうだ。1時間くらい早く寝て、1時間くらい遅く起きるくらいなら問題ない、と。それと睡眠の質をあげるには食事や適度な運動も大切とのこと。

仕事中に眠たくなったらオフィスで仮眠をとるのも一つの方法。
「医学的にいうと昼寝は55歳以下の人には本来必要ない」(白川氏)が、年齢に限らず午後を乗り切る手段として活用したいという。寝過ぎると頭が働かなくなるので、昼休みに約15分。座ったまま寝るのがベスト。すっきり目覚められるよう、寝る前にコーヒーなどカフェインを取ると良いらしい。

机に顔を伏せて寝るのは、顔に跡がついたりするが、この枕を使えば問題ない?
ロフテーが販売しているデスクピローは、寝やすそうかも。
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学生は睡眠不足が多い(というか寝る時間が遅い?)。若いから無理もきくかもしれないが、授業は1限目(本学は9時開始)からあるわけだから、すっきりした頭で授業に望んでもらいたいものだ。

企業にできる経済活性化策

日経新聞(1/25付け)の「大機小機」欄に『企業にできる経済活性化策』とした小さな記事があった。
日本経済を活性化するためには、政府レベルによる構造改革も重要だが、個々の企業が簡単に実行できる対策もある。経済の成長と国際的な競争力の源泉は人的資本の育成と人材の有効活用にあることは言うまでもない。

しかしこれまで日本企業、とりわけ人事部門は、人的資本の蓄積を大きく阻害してきた。日本企業は、新卒、とりわけ文系の学生を採用するときに、大学時代にやった勉強を問わないことが多い。このため、入試まで必死に勉強してきた学生も、大学に入るとレジャーランドに来たような気分になって、スポーツなどのサークル活動だけに励む学生が多い。もちろんサークル活動で、多数の人の意見をまとめ、活動を動かしていく経験は非常に有益なものである。

しかし同時に学生生活の両輪であるべき勉学については、卒業単位を取得するためだけに楽勝科目を選び、試験直前だけに詰め込み勉強する学生が多いのが実情である。しかし企業に入社すると、英語、中国語などの外国語や基礎的な数学、法律、会計の知識は必要不可欠となる。これを入社してから長い残業の後で習得するのは、当然不十分なものになるだろう。時間が有り余る学生時代を無駄に使ってしまったことになる。

やはり企業は学生に向かって、「重要科目の成績がよくない学生、語学ができない学生は採用しません。そうでないと中国をはじめとするアジア諸国の人材と競争になりません。大学でちゃんと勉強してきなさい」と言い放つべきではないだろうか。

これまで採用を担当する人事部は、学生に対してそういう言い方をしてこなかったから「体育会系の部活で体力さえつけていればそれなりの企業に雇ってもらえるし、社会でも昇進できるだろう」という変な勘違いをさせてきたのではないか。

日本企業は、基本的な知的能力の必要性を学生に対して宣言すべきだ。きちんとした日本語の文章が書けて、英語が読み書きヒアリングでき、財務会計、会社法、数学がある程度わかることが必要だと宣言し、できない学生は入社試験で落とす必要がある。

企業がこうした採用方針で臨めば、学生もそれに応えて企業で必要なスキルを身につけるように励むだろう。これは大学にも授業内容を刷新するプレッシャーを与え、将来の人的資本の蓄積を刺激するだろう。

いま大学3年生は就職活動の最中だろう。今年は就活が約2ヶ月遅くなったものの、それでも3年生から始まるのはかわらない。学生時代に学んだことや成績も採用時に重視するなら、少なくとも4年次の後半から採用活動を始めるべきではないだろうか。採用活動の変更もなく、大学時代に勉強しないとダメだといっても説得力はない。

もちろん、学生の教育に関することは大学の責任で行うべきことである。入学させた学生を一人前に育てて卒業させることが役割でもある。学生の教育に一生懸命取り組んでいる教員もいるものの、卒業生などから大学時代の勉強なんてあまり役に立たない、なんて言われると、がっくりする。大学には○○を期待している、もっと教育に力を入れるべきだということは言われるものの、それが新卒の採用活動とは関連ないかのようだ。

産業界、大学・教員、そして学生それぞれが甘えているのか、遠慮しあっているのか。格好いいことばかりでなく、現実を直視して、本音で語り合うことが必要ではないだろうか。それが、お互いに厳しいものとなっても・・・・

揺れとの激闘

クーリエ・ジャポン(2月号)に鹿島建設技術研究所の記事があった。紹介の中心は、三次元振動台「W−DECKER」で、世界中のほぼすべての地震の揺れを再現できるだけでなく、超高層ビルの上層階での揺れも再現できるとか。

これほど大がかりな装置が必要なのか、という問いに対して研究員の一人は、
「いえ、実験1回ごとに新しい発見があります。例えば、壊れると予想したものが壊れない。現実には力が分散されたりするんです。やってみなければわからないことだらけですよ。」

「そして、わからないことを解明することこそが、私たちの存在意義だと思っています。」

地震対策技術は、「揺れても壊れない建物」を目指して進化してきた。そして、夢はもっと大きい、と。
「いつか『街ごと免震』を実現してみたいんです。」
「今は建物の下に免震装置を入れています。しかし、街全体の地盤自体を免震化してしまえば、路上の建物ひとつ一つを免震化する必要がなくなります。歩行者の安全まで守れる、理想的な地震に強い街ができるんです。」

記事は次のように締めくくられている。
一見、夢物語だ。しかし今、我々が当たり前のものとして足を踏み入れている免震の建物とは、耐震技術黎明期の技術者にとって同じ夢物語だったはずだ。彼らの宿命との激闘は続く。

『街ごと免震』は、アイデアとしては昔からある。たとえば、岡隆一氏による『地盤の褥作用に對する實驗的考察』(建築雑誌、1932-06-25)だ。岡氏は軟弱地盤の変形を利用して建物の耐震性を高める効果について検討している。また、最近では大林組は「ゼリー免震」なるものを提案している。地盤を柔らかすれば免震効果に近いものを得ることはできるだろう。しかし地盤が柔らかくなれば、鉛直支持力や不同沈下などの課題も克服する必要がある。ただ地盤の水平剛性などを自由に変えることは難しいから、それに代わるものとして積層ゴムなどの免震部材が開発された。

免震構造の黎明期には積層ゴムなんて学会で発表してもまったく相手にされなかった。「街ごと免震」もいくつもの課題があるかもしれないが、夢を実現すべく頑張ってほしいものだ。

22%

さて、この数字は何でしょう?

週刊東洋経済(1/21号)にあった「気になる数字」によれば、「50代女性で10歳以上若く見られていると思う人の割合」とのこと。「若く見られたいと思う」ではないところに注意がいる。
NTTアドが実施した第二回「見た目年齢」に関する調査によると、6割に上る人が実際の年齢より若く見られると認識し、特に50代女性では2割の人が実年齢より10歳以上若く見られると思っていることがわかった。この調査は同社が昨年11月上旬、首都圏在住の30から59歳の男女300人を対象としてインターネットで行った。

何歳に見られるかとの質問では、10歳以上若く、6〜9歳若く、1〜5歳若くを合計して、男性57.3%、女性64.7%と、半数以上の人が実年齢に比べて若く見られると回答、特に50代女性では「10歳以上若く見られる」が22.0%と、全体平均の10.3%を大きく上回っている。

実年齢と比べて何歳に見られたいかとの願望に関する問いでは、男性55.4%、女性77.3%が若く見られたいと回答。男女とも前回調査に比べ上昇し、男性が11.7ポイント増加したのが目立つ。また、願望と実年齢との差を見ると、男性は3.5歳、女性は4.8歳、特に40代以上の女性は5歳以上若く見られたいとしている。

若く見られたい理由は、男性で「好感を持たれる」がトップ(複数回答)。一方、女性は「魅力的に見える」と並んで、「おしゃれが楽しめる」「美しく見える」が上位に挙っている。特に30代は「美しく見える」が5割超、30〜40代は「おしゃれが楽しめる」が4割以上と、美しさにこだわる女心が垣間見えるようだ。

若さを保つために、食事や美容などに気を配る人が増えている。アンチエイジングのためのサプリメントなども多く出回っているようだ。

サムエル・ウルマンの詩(岡田義夫訳)『青春』(Youth)から一部を紹介する。

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年
月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる
事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

いつまでも「青春」でありたいものだ。
外見だけでなく、心の持ちようも若さには必要ではないだろうか。
それにしても時間は早く流れる。もう1月が終わる・・・

社会が受け入れる技術

日経産業新聞(1/27付け)に東海大学工学部の内田裕久教授が『信頼・安心感が大前提』と題して寄稿していた。
稼働中の原子力発電所の定期検査入りが相次ぎ、四国では全基が停止した。これと前後し、政府は原発の運転期間を原則40年、例外で最長20年延長できるとする方針を発表した。現存の原発を延長稼働させるのが狙いと受け止めざるを得ない。しかし東京電力福島第一原発の事故が起きた今、原発は社会から受け入れられるほど信頼されている技術といえるだろうか。

原発は核反応、エネルギー変換、放射線管理、材料科学、機械工学、電気電子制御など多様な技術が複雑に組み合わされたシステムだ。社会が受け入れるのは多くの人が信頼する技術。自動車、鉄道、航空機など、事故が起きても公共性、利便性が認められ、長年にわたり培われてきた技術を社会は受け入れている。

技術への信頼は短時間では不可能だ。技術の改善を繰り返し、最先端技術を取り込み、安全性の向上を追究する。ユーザーに信頼と安心感を与えるようになれば、技術は社会から受け入れられる。

原発技術では従来、「どんな技術もある確率で事故は起きることを国民は理解すべきだ」というリスク論が先行してきた。しかし社会は確率論で技術を受け入れない。日常利用する新幹線や路線バスにシートベルトはない。水平飛行中の航空機内で乗員はサービス業務で歩き回る。「事故は起きない」という思い込みだが、信頼されるハード技術と運航技術が安心感を醸し出している結果だ。

これまで原発では疲労破壊はじめ材料に起因する故障が頻繁に起きた。毎回、破損材料の解析調査を電力会社や関連組織が実施してきた。福島原発の事故調査でも客観性は低いと感じる。社会が原発を信頼しない大きな理由だ。

筆者はドイツ技術検査協会(TUV)のような第三者機関が事故調査をすべきだと繰り返し警告してきたが実現しない。現存する原発の安全性、信頼性を確保しようとするなら、福島原発の事故原因を徹底して技術検証すべきだ。

最近の原発運転では経済性や稼働率向上、自動化・省力化に力が注がれ、システムの全機能喪失、炉心溶融、放射性物質の大量放出など最悪の事態は想定外だった。社会は信頼、安心感を与える技術だけを受け入れる。政府と原発担当者は肝に銘ずべきだ。

科学技術政策研究所が実施したインターネット調査によれば、東日本大震災の前後で科学・技術に対する信頼度は減少している。震災前後の調査方法が異なるため、単純に比較できないとされているものの、科学や技術を信頼してもらえるように説明していくことが必要ではないだろうか。
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鉄道でも飛行機でも事故は起きている。しかし、その事故の原因などは第三者が調査を行い、その失敗を繰り返さないような対応がとられてきている。そういう積み重ねで技術の信頼が達成されてきているのだろう。一方で、鉄道や飛行機は毎日運航され、その安全性が身近に実感できるのも安心を与えることにつながっているのではないだろうか。

建築などの構造物はどうだろう。地震で壊れないことが耐震構造の役割であるが、大きな地震では被害を受ける建物もある。それでも人命が守られることで、耐震構造でよかった、と思ってくれているだろか。大地震はめったに起こらないから、こんな大きな地震で命が助かったんだから良かったと思ってくれているだろうか。

耐震設計(免震でもそうだが)で達成できている「安全性」について、国民に正しく伝えていくことが必要ではないだろうか。

ハートができる石橋

秋冬の5カ月間だけ、陽光が川面にハート形を描く石橋がカップルに人気だ。熊本県美里町にあるその橋の名は「二俣橋(ふたまたきょう)」という。

熊本市から南東へ車で約45分。山がちで、川も多い美里町には江戸時代に造られた石橋が36基もあるという。二俣橋は太陽の昇る角度が低い10〜2月の午前11時半〜正午ごろの約30分だけ、日の光がハートマークに浮き出て見える。一昨年、地元カメラマンが気づき、人気が若者へ広がった。昨年6月には、NPO法人地域活性化支援センターがプロポーズにふさわしい場所に選ぶ「恋人の聖地」にもなった。



石橋がつくられたときからハートはずっとできていたんだろうけど、長い間だれにも気がつかれなかったなんて不思議だ。

働きがいで14位

「働きがいのある会社」に関する調査結果が発表された。

その中に「日建設計」がランクインしている。昨年より順位は少し落としたものの、3年連続のランクインとなっている。調査は従業員アンケートを中心に調査してランク付けするもので、「経営層への信頼」「仕事や会社の誇り」「会社内の連携」にかかわる設問を通じて評価する。

日建設計の広報資料には次のようにあった。
株式会社日建設計は、Great Place to Work(R) Institute Japan が実施した、第6回「働きがいのある会社」調査にてベストカンパニーにランクインいたしました。

弊社が本調査に初参加した第4 回(2010年)以降、3期連続してベストカンパニーにランクインしたことになります。ベストカンパニーの30社には様々な業種の有名企業が名を連ねる中、「建築設計」業種として唯一、14位にランクインいたしました。

弊社では、2010 年に策定した中期経営計画「新VISION」において「働きがいのある職場」づくりを重要なテーマのひとつとして位置付け、社内制度や職場環境に関わる取り組みを実施してきました。引き続き、働きがいの向上、職場環境の充実、企業文化の醸成に努めてまいりたいと考えております。


Great Place to Work(R) Institute は、世界40カ国以上で「働きがいのある会社を世界共通の基準で調査分析し、各国ごとに評価を行い、各国の有力メディアで「働きがいのある会社のランキング」として発表している。米国では、この「働きがいのある会社」リストに名を連ねることが、「一流企業の証」と受け止められているそうだ。参加企業は45 カ国で5500社を超えており、200万人を超える従業員が調査に参加しているとのこと。

全体の1位は2年連続で「グーグル」で、米国における2012年の調査では「Google」が1位となっている。

30階建てホテルが15日で完成?

MailOnlineの記事に中国でのスーパーな建物の施工が紹介されていた。

コンピューター大国で経済大国。中国は世界も羨む21世紀の超大国である。そして今度は世界最速の建設技術国の称号を宣することができるようになった。僅か15日間(=360時間)で30階建て183,000平方フィートのホテルを建設したのだ。施工したのは中国中南部、長沙市の建設業者で、作業員たちに一人の怪我人もなく、この驚異の仕事を成し遂げたのである。

持続可能な建築に特化した中国の建設会社「Broad Group」社が湖南省・洞庭湖でこのアークホテルを建設した。中国建築研究所が調査確認したところによると、マグニチュード9.0の地震にも耐えうる構造で、従来の平均的な建物の約5倍の耐震性があるという。資材はすべて事前に組まれ、各セクションは現地からは離れた地で仕様に従って組み立てられた。したがって、無駄も最小限に抑えることができた。

全ての部屋は防音および断熱材が施されている。さらに中国ならではの大気汚染問題に対処すべく各部屋には大気汚染モニターも設置している。作業員たちは徹夜はしなかったものの、毎晩夜10時までのハードスケジュールをこなしたという。

YouTubeには建設の記録映像もあった。
こちらは15階建ての建物を2日で建てたときの映像となっている。


そして、こちらが30階建てのホテルの建設映像となっている。


すごいスピードで施工されていくが、柱はそれほど太くないし、本当にマグニチュード9.0まで耐えられるのだろうか。

考えの整頓

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佐藤雅彦著『考えの整頓』(暮らしの手帖社)を読んだ。

著者は、NHK教育テレビ「ピタゴラスイッチ」「2355/0655」などを手がけ、東京藝術大学の教授でもある。本書は雑誌「暮らしの手帖」に2007年から2011年まで連載された「考え方の整とん」に基づいている。日々の生活に根ざした考察(気むずかしいものではないが)となっている。

本書から気になった部分を抜粋して紹介したい。

現代は、携帯電話やテレビの一人一台化、TwitterやSNSなどの個人的な情報発信に代表されるように、個と情報の在り方が従来と大きく変化してきている。個人というものを過度にちやほやしている嫌いがあるのではないだろうかと感じる程である。言ってみれば『個の偏重』社会である。それに伴い、「自分」という意識の肥大化が生まれ、地域全体、日本全体という意識が希薄になっているのではないだろうか。つまり、「みんなでひとつの社会を作り上げていく一体感」が乏しくなってきていると感じてしまうのである。論理が飛ぶように思えるかも知れないが、私には自殺率の高さや国際競争力の低下などの原因の一端もそこにある気がしてならない。(以上、『「たくらみ」の共有』から)

projectという言葉は、pro+ject つまり、前に(=pro)投げかける(=ject)ということを語源として、一般的には「企て」とか「計画」とかという意味で使われている。私は、この『プロジェクト』という言葉に、その根源的な意味をもう一度付加させて、「未来に投げかけること」という意味合いで、自分やスタッフに対してこの語を使うことがある。別の言い方をすれば、将来に、その価値が発現されることを強く意識した活動を、自分たちの『プロジェクト』として定義し直したのである。それは自分たちの目線がどうしても目先のことだけに向けられ、スポーツで言うルックアップができていない状態になるのを防ぐためでもあった。(以上、『広辞苑第三版2157頁』より)

先日、大学で同僚の桐山孝司教授から、こんな問いかけをふいにされた。
桐山先生は、黒板に次のような四つの簡単な引き算を書き、これをサッと解いてみてください、と言った。
  1−1=
  4−1=
  8ー7=
 15−12=
その後で、さらに、こんな質問を投げかけてきた。
  「では、次に、12から5までの間で、頭に浮かんだ数をひとつ選らんでください」
私は言われたとおり、頭の中に浮かんだある数を一つ選んだ。そして、その後の桐山先生の言葉に、私は唖然としたのだった。
  「その数は、○ではありませんか」
そのとおりの数を選んでいた私は、自分の頭の中をまるで覗かれた如く当てられ、びっくりしてしまった。もしかして、かなりの読者の方が、頭の中で選んだ数字を当てられてしまったのではないだろうか。


実は、これは、キース・デブリンという数学者が、『数学する遺伝子』(早川書房)のという著書の中で書いていることで(中略)、この不思議な現象の解説として、この問題を出されると、既に何題か引き算の計算をやらされている我々の頭は引き算モードになっているため、頭に浮かぶ数字は12と5の差、つまり7なのである、と書いている。つまり、言い当てられた人は自分では引き算などやったつもりはまるでないのに、無意識で引き算をやっていたということなのである。(以上、『無意識の引き算』より)

最後に、『船酔いしない方法』で、学生からデザインとアートの違いを問われるとき、次のように答えているそうだ。

デザインとは「よりよく生きるための方法」であり、アートとは「なぜ生きるか」ということ自体から考えることである。

裸のフクシマ

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たくき よしみつ著『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(講談社)を読んだ。
著者は7年ほど前に福島県川内村(原発から20〜30kmの位置)に引っ越してきた。それまで住んでいたのは新潟県の川口町だったが、そこを2004年新潟県中越地震により、震度7が直撃した。

田舎は、自然災害には強いが、権力と金に弱い。しかし、それだけ苦労しても住み続けたいと思えるだけの魅力があり、簡単に引っ越ししようとは思えないという。川内村の放射線量は、飯舘村どころか、福島市や郡山市よりも低い。著者は、低線量地域では「居残る権利」があるべきだという。汚染された地域の全世帯に線量計を配付し、まずは自分の生活環境がどの程度放射線に晒されているのかを知らせることが大事だと。同心円や自治体境界線で線引きをすることは現実に合っていない。土や水という生活の基盤を汚された上に、我慢して暮らし続ける権利も奪われたら、もはや人間として扱われていないに等しい。生きる権利を奪わないでほしいとも。

本書は、著者が経験した震災と福島原発にかかわる生々しい記録である。
海岸沿いの津波の直撃を受けた被災エリアを除けば、福島の「被災地」は見た目は何も変わらない。今までと何も変わらない風景の中で、見えない放射能による被害と補償を巡り、様々な人間模様が展開されているという。仮払金や義援金の支払い、仮設住宅に配られる家電6点セット問題などなど。

どうすれば、国から少しでも多くの金をもらえるのかという発想で動く。これは原発を誘致したときからずっと変わっていない福島県の体質なのだ。まずは補助金ありき、助成金ありき、その延長として今回は補償金の上乗せありきで動く。そうしたぶら下がり体質を、県が元から叩き直さない限り、福島の再生などあるはずがない。

エコタウン、スマートシティ・・・聞こえはいいが、いま被災者に必要なのは、屋根に太陽電池を載せた建物が並ぶ絵に描いたような街ではなく、地道に自分たちの力で産業を再開・維持していける生活基盤なのだ。流されてしまった漁港の付帯設備をいち早く再建して、再び漁業ができるようになることであり、食糧危機を迎える前に東北の農業基盤を回復させることだという。

いま必要なのは「正直になること」。
「原発が安いというのは嘘でした。クリーンだというのも嘘でした。嘘をつき通すために今までさんざんみなさんの税金を注ぎ込んできましたが、もうやめます。これから先、しばらくは、いちばん効率のよい、そして技術が確立されている発電方法で電気をつくります。でも、エネルギー資源は有限ですから、できればあまり電気を使わなくても幸せになれる世の中を作っていきましょう」

川内村に住んでいた事故当時小学校6年生の女の子が書いた抗議文を紹介したい。
原発は私のすべてをうばった。
私の大切な大切な故郷も仲間も学校も今までやってきたこともすべて。
原発さえなければ、こんなに悩むことも苦しむこともなかった、原発さえなければ。
なんで原発なんてつくったんだよ。
川内のみんなとこれからつくりあげていくはずだった歴史もすべて。
あなたは私の何を保しょうしてくれますか?
私の時間を私の仲間を私の心をすべてうばった。
あなたは、私のすべてを保しょうしてくれますか?
こんな思いをいだいているのは私だけではないでしょう。
あの美しい川内村を、あのあたたかい川内村をかえしてください。
私のふるさとを返してください。
楽しい思い出がつまった川内村を返してください。
原発のせいで、多くの命が消えました。
どれだけ私達にとって川内村が大切だったか。
お金なんかじゃ、けっして保しょうなんかできないんです。
あなたを私は絶対にゆるさない。
すべてをうばったあなたを。
原発なんか絶対に。
こういう思いに対して、大人は何と答えればいいのだろうか・・・・

最後に、原発に関してちょっと気になる記載があった。
3月11日の地震発生直後、1F(福島第一原発)で作業をしていた人たちは、建屋の上から大量の水が流れ出してきたと証言している。つまり、津波が来る前から配管は破断し、水が漏れだしていたのだ。

1Fの事故後、1F構内で働いている青年は、「内部被曝? そりゃしてますよ。1Fの免震棟は地震で入口が歪んでいて、きちっと閉まらないんですよ。エアフィルターで放射性物質を除いているってことになっているけど、そのフィルターだって事故後交換していない。」と述べている。

「免震棟の入口が歪んでいる」とはどういうことか。さらに原発の配管が地震で被害を受けていたのか否か。地震のときに原発がどういう状況だったのか、きちんとした検証が必要ではないだろうか。

インターンシップの目的

朝日新聞(1/16付け)に大阪大学准教授の近藤久美子氏が『インターンシップ 本来の目的を忘れないで』と題して寄稿している。
就職活動が本格的に始まっている。最近の大学生や大学院生の多くは授業、論文執筆、課外活動、アルバイトと忙しく、社会人並みの長時間労働をしているのではないかと思われる学生もいる。忙しさの中で周囲からの限られた情報を手がかりに、早い時期から就職活動の動向を捉えようと懸命の模索が続く。なかでも企業や官公庁インターンシップへの参加が自然の流れになりつつある。

インターンシップへの関心の高まりは、好ましい傾向かもしれない。しかし、インターンシップの本来の意味を理解する前に、参加する学生が急増しているのではないか。望ましいインターンシップの形は、学生生活を送りながら経済的・時間的にも負担にならない範囲で経験を積むことができる実学である。原則、就職に直結するものではいが、就活に有利になるのではないかと期待してか、インターンシップ参加のための交通費や滞在費の工面に奔走する学生まで現れて、本末転倒な現状だ。特に地方の大学から、企業の東京本社や中央官庁のインターンシップに参加する費用はかなりの負担になっている。

私も米国留学中にインターンシップに参加したことがある。諸外国におけるインターンシップが本来の意義である「学生の中・長期的な学びの場」となる背景には、労働市場の流動性がある。つまり、企業がインターン生を受け入れることで現場についての理解を深めさせ、業界もしくは社会全体で「未来の労働者を育てる」という目的意識がその根底にある。

一方、労働市場の流動性が低い日本では、インターンシップの本来の意味が薄れているのではないだろうか。例えば、短期インターンシップの最終課題として、事業戦略立案のテーマに学生が取り組み、社員や経営陣を前にプレゼンテーションを行うプログラムが最近目立っている。「未来の人材育成の場」であるはずのインターンシップが、「今どきの若い消費者の観察の場」としての側面が強くなっているのではないだろうか。

学生の短期的な満足度は高まったとしても、彼らが将来役立つ経験を積むという視点が日本では軽視されているように思う。成果を生み出す現場のプロセスに携わり学ぶことこそインターンシップの本質である。企業が人材流動化に向けた採用の工夫と並行して、インターンシップの本来の目的を再考することで、若者が得た学びを社会に還元できる機会が広がることを期待したい。

本学でもインターンシップを行っている。夏休みや春休みを利用して企業にインターンシップに行く。ある学科では必修科目にして全員にインターンシップを経験させている。100名以上の学生の受け入れ先を確保するのは大変そうだ。インターンシップの期間はせいぜい1週間から2週間程度。これでは中長期とは言えないものの、受け入れる企業側にとっての負担は大きいと想像する。

本学科でも独自にインターンシップを実施しているが、受け入れ企業は学生の自己開拓を原則としている。お仕着せのインターンシップではなく、自分で実学を見て経験したいという意欲が必要だと考えている。そういう意欲のある学生には多いにインターンシップで経験を積んでもらいたいし、企業側にも受け入れる体制や研修プログラムを充実させてもらえると嬉しい。

狭い意味での「教育」は大学などの教育機関の役割であろうが、人間として社会人としての広い意味での「教育」は家庭や企業も含めた社会全体で行う必要がある。最近では企業の経営も厳しく余裕もなくなってきているのかもしれないが、「業界や社会全体で若者を育てる」という目的意識が広まることを期待したい。

また、インターンシップに参加する学生にも、単に就活に有利といった短絡的な目的ではなく、将来の進路を見据えてさまざまな経験を積むという本来の目的を意識して欲しい。

秋入学に移行?

日経新聞(1/21付け)に大学の秋入学に関する記事があった。
東京大学の浜田純一学長は20日の記者会見で、学部の春入学を廃止し、国際標準である秋入学に全面移行する時期について「5年前後で実現したい。東大単独ではなく、必ずほかの大学と一緒にやる」と述べ、他大学と足並みをそろえて実施する考えを示した。4月に有力大学との協議組織と、産業界と大学側との協議組織をそれぞれ設ける構想も明らかにした。

東大の懇談会は同日、秋入学全面移行の早期実現を求める中間報告を正式発表。中間報告は東大ホームページに掲載し、一般からも意見を募集し3月末までに最終報告をまとめる。東大はこれを踏まえて学内議論を本格化させ、2年以内に方針決定する。

大学間の協議組織は東大のほか11校の参加を想定。北海道、東北、名古屋、京都、大阪、九州、筑波、東京工業、一橋、早稲田、慶応で、既に参加を打診している。

浜田学長は「秋入学や国際化などの方向性を共有できる大学と重点的に議論する。社会の変化を待つのではなく、大学が主体的に秋入学を実現する条件づくりに取り組みたい」と強調。卒業時期と企業の採用時期とのずれなど課題を洗い出し、連携して産業界などに見直しを働き掛ける考えを示した。

一方で「大学はそれぞれの方法で国際化に取り組めばよい」として全大学が秋入学に移行する必要はないとした。産業界との協議組織については経団連に参加を要請。企業の多くは秋入学移行を歓迎しているが、導入大学が増えれば通年採用の体制をつくる必要に迫られる。このため採用方法の見直しをはじめ、高校卒業から大学入学までの半年(ギャップターム)の学生の体験活動の試行を話し合う。

大学が秋入学を導入するとしても、一部の学部や生徒だけを対象とするのであれば、これまでの大学の授業などの影響はそれほど大きくないだろう。しかし、それでは秋入学に移行する本来の目的は達成できないかもしれない。秋入学とした場合には、就職や公務員の試験時期などの課題も大きい。就職については、春採用を行っている企業が多いため、産業界との調整も必要となる。

秋入学を導入するのは、主要な国立大学が中心となるのではないか。他の大学は、文科省から秋入学に移行すべしといったお達しがない限り、これまでと同様に春入学を続けるだろう。そうすると同じ年齢でも春入学と秋入学の学生は卒業する時期が異なる。これまでみんな同じタイミングで大学に入り、社会に出るといったことにズレが生じる。これはこれで良いことではないかと思う。

そこに多様性が生まれることが大事なのではないか。入学までのギャップタームを有効に活用できるプログラムなどが用意されることで、さらに多様な人材を育てることにつなげていくことができるのではないだろうか。

秋入学の実現に期待したい。

フライドポテトの話

某ファストフードのフライドポテトが、腐らないと噂になっているらしい。

ガラスの容器にフライドポテトを3年間放置した結果、某ファストフードのフライドポテトは腐らなかったという。詳しい実験の状況などはわからないし、実験は1回しか行われていないので、信憑性にかけるかもしれないが。

でも腐らないというのはどういうことだろう?
カビの菌がなかったのか、カビが繁殖する湿度などの条件があわなかったのか、調理する際に高温で殺菌されたからだろうか・・・・

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この実験結果についてのコメントはこちらにある。また、この件についての某ファストフード店へ取材内容は、こちらにある。

トランス脂肪酸を多くとると、血液中のLDLコレステロール(悪玉コレステロール)が増え、HDLコレステロール(善玉コレステロール)が減るため、トランス脂肪酸は「超悪玉の油脂」と呼ばれているそうだ。油脂の中でもトランス脂肪酸を多く含む食品を食べると、心臓病といった生活習慣病のリスクが高くなる。

2003年、国際機関(FAOおよびWHO)で「トランス脂肪酸の摂取量は、1日の摂取カロリーに対して1%未満まで」と勧告されたそうだ。これを受けて、2006年ごろには米国などの諸外国では、食品にトランス脂肪酸の含有量を示す栄養表示や、使用上限を設けるといった取り組みがなされている。しかし、日本で製造・販売された食品には、表示義務や使用制限がない。

トランス脂肪酸が含まれているのは、マーガリン、フライドポテト、ビスケット、クッキー、ドーナツ、シュークリーム、菓子パン、インスタント麺などなどで、カロリーが高い食品が多い。

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