免震装置交換でヒビ割れ?

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<日建設計コンストラクションマネジメント(株)>
毎日新聞(2/18付け)に『長野市役所、免震装置交換後ひび数百カ所』という記事があった。
東洋ゴム工業による免震ゴムの性能データ改ざん問題を受け免震装置を交換した長野市役所第1庁舎・市芸術館で、外壁に計数百カ所の細かなひびが発生していたことが市などへの取材で分かった。市によると、交換工事が影響したとみられ、安全性に問題はないが、専門家は「数が多すぎる。免震装置の大規模な交換は前例がほぼない。今後も交換は各地で続くため、詳しい検証が必要だ」と指摘する。

問題の建物は鉄筋コンクリート造り地上8階、地下2階建て。2015年11月の完成前にデータ改ざんが発覚したため、いったん設置した90基の免震装置を同年8月〜16年3月にすべて交換した。その後、コンクリート打ちっ放しの外壁に幅0.1〜0.3ミリ程度の「ヘアクラック」と呼ばれるひびが次々に見つかった。

市は「交換の影響が多分にあった」とみているが、詳しい原因は不明で「ひびの数も確認中」としている。補修中の芸術館の壁面では「181」と箇所数を示すシールが確認でき、関係者によれば総数は数百に及ぶという。

市によると、鉄筋など直接安全に関わる部分に破損はないが、影響拡大を防ぐため16年9月から薬剤を注入してひびを埋めるなど補修を続けている。工事は3月までかかる見込みだ。

免震装置の交換は東洋ゴム工業の費用負担で別の業者が請け負った。補修費用も東洋ゴム工業が負担するが、同社広報担当者は取材に「個別の案件には答えられない」としている。

国土交通省によると、データ改ざんなどのあった製品が使われた免震装置は154棟で使用され、順次交換が行われている。このうち公的施設26棟について毎日新聞が自治体などに取材したところ、長野市を除き交換作業が終わった6棟について、ひびなどの発生はなかった。国交省の担当者は「全体は把握していないが、一部の現場でヘアクラックができたとの情報はある」としている。

この記事を書いた記者から私に問い合わせがあったが、現場も見ていないので一般論でしか回答できていない。技術的には、免震装置を交換する柱軸力を油圧ジャッキで仮受けして、積層ゴムを交換することになる。その際、積層ゴムを取り出すために、建物が油圧ジャッキで少しだけ持ち上げる必要がある。そのときに過度な変形が建物に発生しないかを計測しながら実施すれば、建物への影響は最小限に抑えられるはず。
長野市役所
長野市役所の実施設計概要PDF
ただ、発生しているヘアクラックは建物の上層部でも発生しているようだし、室内の建具の開閉がスムーズでなくなったという情報もある。当該建物は複合施設となっており、なかなか複雑だ。免震装置の交換工事や施工管理がどのように行われたのかについて、さらには交換工事以外の要因に関して検証する必要があるだろう。

建設業は不滅か

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建設通信新聞(2/8付け)の「建設論評」欄に『建設業は不滅か』という記事があった。
歴史上、最も古くからの産業の一つと言われる建設業は、仕事がなくなることはあるまいと言われてきた。建築にしても土木にしても人の営みがある限り必要なものだからというわけである。確かに縄文時代から人の住む住居は必要であったし、今日でもそうである。また、道路はなくてはならないし、治水事業も必要である。言わば文明とともに発達してきた産業であっただろう。このところの旺盛な需要を見ても、まだまだ建設業は発展の余地があると思うのも無理からぬことである。

しかし、問題は建設産業の担い手である。いまや大学では土木学科というのはほぼ全滅で、「都市○○学科」「環境○○学科」などと名称を変え、隠れ土木として生き残っている。その卒業生の進路では、役所、コンサルタント、ディベロッパーなどの人気が高く、ゼネコン、工事会社は希望者が少なくて困っている。建築関係も似ているようだ。まして下請けである専門工事業者は若く新しい人が来ないという。

このところ、若者の志向といえばすっかり安全かつスマートな方面のようである。これに対し建設現場はいまだに3K(危険、きつい、汚い)と言われて正面から反論できず、「やりがいがある仕事」「大きなものが残せる」など主張をしているが、若い人の心をつかむには至っていない。もしこのまま推移すると、建設現場を担うべき人材が激減することが心配されている。

そうすると、東京五輪後に需要が減少することに加え、供給側の縮小もまた深刻な事態になる。さらにその後のことを考えると、問題はもっぱら供給側のことになるのではないだろうか。すなわち予想される事態は、仕事を出したくても受け手がいないという状況を迎えるということである。もし、そのような事態が続くと日本の建設業は当てにされず、多くの企業が国外に去ることも考えられる。
(略)
新卒の若者を採用する担当者から聞くと、昨年の数少ない建設希望の卒業生の多くが大手ゼネコンに流れたために、欲しい人数を確保することが難しかった。ここでも安定志向が働いて既存の権威が強く、その枠を破れない。そういう安定志向の若者を責められない事情があると思う。例えば、給料水準、休日、社会保険加入率など、大企業と比べて中小企業の多い専門工事業は遅れている。

中小規模の建設専門企業は、同じ業界の標準ではなくもっと広く他の産業と比較して思い切った施策を打ち出さなければ、いつまでも大企業の都合に振り回されることになる。中小建設業の経営者は、甘えを捨てて、自助努力で解決を図らないと生き残りは難しい。

本学建築学科の就職先の内訳では、おおむね3割がゼネコン(施工管理)に就職している。特に今春卒業する学生のうち約5割近い学生がゼネコンに就職する。最近では大手ゼネコンの採用意欲が強く、数名の学生を採用する企業も(以前はせいぜい1人だった)。また、Dハウス工業は学生にも人気なのか、10名前後の採用となっている。そういう意味で中小建設業に就職する学生はほとんどいない、ということになる。

建設業の担い手を確保するには、もっと建設業の魅力を伝えることが必要だ。やはり学生のなかには、ゼネコンは”3K”という思い込みが以前として根強い。そういう側面もあるかもしれないが、ゼネコンで働くということのやりがいなどを伝えていくことだ大事だろう。しかし、そうした情報というのはホームページやパンフレットだけでは伝わりにくい。OBやOGが学生に直接会って話をすることが効果的だと思う。

そういう地道な取り組みが必要ではないだろうか。あわせて、最近では女子学生でもゼネコン(施工管理)を希望する割合が増えてきている。女性でも働きやすい環境を整えていくことも不可欠だろう。

ただ、ゼネコンの仕事はなくならないにしても、仕事量は減っていくだろう。そうするとゼネコンの淘汰は起こりうる。これはゼネコンに限らず、大学でもそういう状況になるかもしれない。学生が企業の存続、安定性ということを意識することは当然だろう。こうした状況を踏まえて、建設産業の将来をどう展望するかが”大人”には求められている、と思う。

新しい学習指導要領で変わる歴史用語

日経新聞(2/15付け)に『変わる歴史用語、聖徳太子→厩戸王 学習指導要領案』という記事があった。
「聖徳太子」は「厩戸王(うまやどのおう)」、「鎖国」は「幕府の対外政策」――。

新学習指導要領案では、重要な歴史用語が最近の研究成果を反映して変更される。理科なども、自然災害の頻発や社会情勢の変化を踏まえた内容が盛り込まれた。

社会科では歴史研究の進展に合わせ、小中学校で計7つの用語の表記を変える。「聖徳太子」は小学校で「聖徳太子(厩戸王)」、中学校は「厩戸王(聖徳太子)」に変更。小学校では人物に親しみ、中学校では史実を重視する観点から表記を入れ替えている。聖徳太子は死後につけられた称号で、近年の研究では厩戸王に当たる可能性が高いとされている。

「鎖国」は「幕府の対外政策」に変更。外国との交流を断絶したわけではなく、実際には長崎や対馬など窓口を限定しつつもオランダや中国と貿易を続けたためだ。

「大和朝廷」は、当時まだ「朝廷」の概念がなかったのではないかとの研究から「大和政権(大和朝廷)」に変更。「日華事変」はより一般的に使われている「日中戦争」に表記を変えた。中学社会の「元寇(げんこう)」は、世界史の内容を充実する観点から、当時のモンゴル帝国をイメージできるよう「モンゴルの襲来(元寇)」と変えた。

理科は東日本大震災や関東・東北豪雨の発生などを踏まえ、自然災害の内容を手厚くした。小学4年では雨水の流れや染み込み方を新たに盛り込み、洪水や土砂災害の発生原理を理解する。現在中学で自然災害を学ぶのは3年のみだが、1年「火山と地震」、2年「気象とその変化」の分野で関連付けて学習するようにする。

自然災害の内容を増やすのは、日本という災害国に住む上で重要なことだ。しかし、英語やプログラミング教育など教える内容も増えてくる。小中学校の先生たちの負担はいっそう増えそうだ。学習指導要領の内容を確実に実施するためには、教員の長時間労働という現実を踏まえた対策も必要だろう。

それにしても、我々が習ったときの歴史用語が若い人たちには伝わりにくくなるかもしれない。聖徳太子や鎖国などと言ってもわかってくれるかな。昔、1万円札には聖徳太子の肖像が使われていたが、それも今は昔のこと。これで聖徳太子が「厩戸王」という用語に変わると・・・

聖徳太子


自分の頭で考えて動く部下の育て方(つづき)

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篠原 信著『自分の頭で考えて動く部下の育て方』(文響社)の続きだ。

「ほめて育てる」という言葉がある一方で、「ほめるとつけあがる」という指摘もある。ほめるとやる気が出て努力するようにもなるし、自己認識だけが肥大化して傲慢になり、成長が止まってしまうこともある。実は両者はほめるところが違っている。前者は「よく頑張ったね」とか「ここのところ、上手にやったね」と、”工夫や努力、苦労”をほめる。後者は「100点なんてすごいね」「こんな成績、過去に誰も挙げたことないよ」と本人ではなく、”結果”をほめている。

ほめるのだとすれば、工夫や苦労、努力といったその人の「内面」のことをほめるほうが次につながる。部下の仕事に対しても、「へえ、それは面白いねえ」「うわあ、そんなことがあったの」「よくそこでくじけなかったねえ」「どうやって気力を維持できたの」と、工夫を尋ねては面白がる。驚嘆する。すると、その人の中で工夫することの大切さ、苦労を克服することの面白さに気づく気持ちが生まれる。

工夫を凝らせば凝らすほど、仕事の能率は上がり、仕事への理解も深まる。理解が深まれば、仕事への意欲も高まる。「できない」が「できる」に変わる瞬間をいくつも味わってもらえる。この「結果をほめずに、工夫を尋ね、工夫を面白がる」方法は、新人にもベテランにも有効だ。

注意ではなく質問に転換して気づかせる。部下を叱るときはいいところをほめることから始める。
「あなたのここが素晴らしい、でもここが惜しい」
「あなたを見ていると悔しい、本当に悔しいです」
「こんなにいいところがあるのに、これがこんなことになるなんて、本当に悔しいね」
「惜しい」「悔しい」という伝え方は、非常に大切な言い方だと思われる。

同様に、「お前はこんなものではないはずだ」ということを伝えるようにしている。「こんなものではないはずだ」と思う根拠は、実はなかったりする。しかし、「こんなものではないはずだ」と祈る思いでそう言い続けると、「ウソがマコトになる」ことが結構多いのだ。人は信頼を寄せられると、それに応えたくなる生き物だからだろう。

創意工夫のできる人間に育てることは、多くの場合、可能だ。そのコツは「仮説的思考」だ。
例えば、「お客さんでいっぱいの喫茶店をやってみたい」と夢を持ったとする。しかしどうしたらそんな喫茶店になるのか、分からないことだらけだ。そこで「流行っている喫茶店をたくさん見れば、コツがつかめるのではないか」と仮説を立ててみる。そして喫茶店を回るうち、おじいちゃんばかりのお店や、若者ばかりのお店があることに気がつく。そこで「お店の内装によって客の年齢層が決まるのではないか」と仮説を立て、若い人がたくさん来る店の内装はどんなものかを観察し、自分の仮説を検証する。

こうしたことを繰り返すと、観察眼が磨かれ、仮説の立て方が次第にシャープになり、実現可能性がどんどん増してくる。仮説が間違っていたことに気がついてもそれで終わりではなく、反省の上に立った新たな仮説を立てることができるようになる。

手順をまとめると、観察⇒推論⇒仮説⇒検証⇒考察の5段階になる。実はこれ、科学の方法論そのものだ。気になる現象を観察し、何が起きているのかを推測し、「こうではないか」と仮説を立て、仮説が正しいかどうかを検証してみる。結果について考えてみて、新たに観察を始める。この繰り返しだ。

未知のことを既知に変える仮説的思考は、人間が本能的に持っている力だ。それをもっと意識的にやってみると、未知のことに取り組める人間になる。未知に取り組めるということは、創意工夫ができる人間だということだ。

「あとがき」には次のように書かれている。
乳幼児は「やりたくないことは絶対にやらない」という意味では、いろいろな打算が働くようになった大人よりも、モチベーションの引き出し方を工夫するうえで、格好の「実験対象」だ。3歳児を動かせるなら、打算も働く大人は、もっとモチベーションを引き出しやすい。子育て経験は、人間の理解を深めるうえで非常に役立つもののように思う。

日本では、女性が結婚し、子どもができると仕事から離れ、子育てが一段落して仕事に復帰しようとしても、パートくらいしか仕事がないことが多い。だが、子育てで奮闘した経験は、上司として部下をどう導くかということと直結している。日本は、人材の活用の仕方を相当誤っている会社かもしれない。

この「あとがき」を読んで、この本は良い本だと思った(^^;)

自分の頭で考えて動く部下の育て方

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篠原 信著『自分の頭で考えて動く部下の育て方』(文響社)を読んだ。
著者は、ビジネスマンなどではなく、国立研究法人の研究者。著者は自分のことをテキパキ指示がだせない、ズボラな人間だという。でも著者の周囲には指示待ち人間はいない、という。

なぜ人は指示待ちになってしまうのだろう? 
自分から意欲を持ち、自分で考え、行動する人間にどうしたらなるのだろう?

本書では、著者が「指示待ち人間製造機」から脱する過程で気づいたコツがまとめられている。
「上司の非常識な十訓」は次のとおり。
  • 上司は部下より無能で構わない
  • 威厳はなくてかまわない
  • 上司は口ベタでかまわない
  • 部下を指示なしで動かす
  • 部下をほめずに動かす
  • 部下にノルマを課さずに動かす
  • 部下のモチベーションを上げようとするなかれ
  • 部下の機嫌をとるなかれ
  • 部下に答えを教えるなかれ
  • 部下に成果を求めるなかれ
これらの方法は、従来リーダーに必要とされていた「高い能力」が、全くいらないものになる。「強いリーダー」「賢いリーダー」「ぐいぐい引っ張るリーダー」といった常識とはずいぶんかけ離れている。

本書では、山本五十六の言葉も紹介されている。最初の1行はよく知られているが、後の文章は知らなかった。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず

部下の頑張りを全身全霊で承認することが大事であり、部下はリーダーよりも何かしら優れた能力を持っていると考えるのが適切であると。

上司は自分が話すより、部下の話を聞くことが大切で、ラポール(相互信頼)を形成するために、「質問(訊ねる)しながら話を聞く」ということを心がける。

なんでも興味を持って、「へぇ!」「そうなんだ!」「大変だったね」「なんでそうしようと思えたの?」など、感嘆や質問の形式の相槌を用いて、聞く姿勢を続けてみる。そうすると二つの効果が表れる。「この人はこんなにも自分に興味を持ってくれている」「上司に受容された」「受け入れられた」という安心感を部下が持つことができる。もう一つは、自由な発想をしても構わないのだ、ということが言わずもがなに伝わるということだ。

「仕事を憶える」という、比較的つまらないことに見える業務に、意欲的に取り組んでもらうにはどうしたらよいだろうか。それは「工夫」だと考える。単純に見える作業でも、工夫の余地はたくさんある。コピーを取るのも、お茶を入れるのも、雑巾で拭くのも、タイプするのも、何かしらの工夫の余地がある。工夫の発見を部下にやってもらおう。

それを促すために、部下がルーチーンワークをつまらなそうにしていたら「何か工夫できるところないかな?」と尋ねよう。業務が改善されるような工夫を部下が発見した時にはすかさず、「面白いねえ」「よく気がついたねえ」と感心しよう。工夫を面白がろう。するともっと工夫を重ねてやろう、と火が付くだろう。

結論的には、上司と部下の人間関係、コミュニケーションが一番大事だということかな。さらに、仕事を面白くしないといけない。また仕事への意欲を引き出すには、上司と部下が一緒の方向を見て、一緒に課題を考え、質問する形で意見を促し、意見に対しては前向きな反応を見せる、ことだ、と。


(次回に続きます)

JSCA性能設計メニューを改定

建設通信新聞(2/8付け)に、JSCAの性能設計メニュー改定の記事があった。

新たな性能設計メニューでは、設計プロセスを
 「建築主の要求性能の把握」 (⇒性能グレードの設定)
 「目標性能の設定」 (⇒目標性能を設定し、建物の状態を検証)
 「耐震性能の提示」 (⇒シミュレーション結果に基づいて耐震性能を説明)
の3段階に分類した。適切な性能設計に必要な手順を体系化し、「建築主にも分かる言葉」を重視したと鳥井信吾主査(性能設計部会・日建設計)は強調する。

このうち目標性能は耐震構造・制振構造と免震構造の2種類の構造をそれぞれ『基準級』、『上級』、『特級』の3段階に分類し、必要な性能や発災時の想定被害を明確化した。損害額の軽減や早期復旧・事業再開など耐震性能グレードを高めた際のメリットを示したことで、「安全性能にも段階があり、たとえ免震構造でも被害がゼロではないということを建築主にも理解してもらいたい」と語る。

↓は性能マトリクス。余裕度検証用地震動は、極めて稀に発生する地震動の1.5倍で、建物の安全限界に対する性能を把握する地震動との位置づけ。海溝型地震動や活断層地震などの建設地特有の地震動に対しては耐震性能グレードを決める地震動とは別に考えることが必要とされている。
性能マトリクス

必要な性能を層間変形角や残留ひび割れ幅など客観的な数値で示したことで、構造設計者全体の技術力向上につながることも見込まれている。従来の性能設計メニューでは、地震荷重に対し発揮する性能を『軽微な被害』『小破』『中破』などの言葉で表現し技術者によって理解に幅があった。「旧版よりも踏み込んだ数値を示し、建物の特徴に応じて必要な性能を決める参考にできる。設計者や建築主に柔軟に活用してもらいたい」と辻泰ー副主査(鹿島建設)は期待する。

↓は高層S造建物「上級」の性能カルテの例。判定基準値は、建設地や建物の特性を考慮して設計者が決める。
性能カルテの例

5月ごろを目処に会員向けにパンフレットと説明書の頒布を開始する予定とのこと。こうした性能設計パンフレットを活用して、よりよい建築物がつくられていくことを期待したい。

ただ、このように性能を設定して設計され建設された建物が実際の地震のときに、どういう応答をしたのかを確認してほしい。設計した建物が目標性能を満足したのかを検証していかないと、設計手法が妥当だったのか、シミュレーションは正確なのか、あるいは施工品質は確保されていたのかなどが判断できない。

ぜひとも、性能設計の充実をはかる意味でも、建物の地震観測を積極的にすすめていってほしい。地震計の設置にはそれなりの費用もかかるし、維持管理も必要だ。しかし、最近ではヘルスモニタリング技術も進展しており、地震計のコストも下がってきていると思う。すべての建物に地震計の設置は難しいとしても、いくつかの建物を抽出して、地震観測を行うような体制の構築、そしてそれを実施する機関の設置も必要ではないだろうか。

とはいっても、まずは建築主の理解と協力を得ることが先決かもしれないが。

自然破壊と人の業

日経新聞(2/10付け夕刊)の「あすへの話題」欄に法隆寺管長の大野玄妙さんが『自然破壊と人の業』と題して寄稿している。
ここ数年、台風や洪水など、自然の猛威による災害が、タガの外れた規模になっているようだ。地震や火山爆発など、地球そのもののあらがいがたい営みは措くとして、気温上昇による気候変動は、人為的なしわざとする見方が根を下ろしてきた。

乾燥地帯が広がり、山火事が絶えない。あるいは北極の氷原が縮小しているといった海外の報道を見聞きする。身近なところでは「北海道の雪がサラサラの雪からボタ雪に変わってきた」「豪雪地帯なのに雪が減少している」と耳にするようになった。

よくいわれるのは、200年ほど前から人類のエネルギー消費が拡大し、大気に占める温暖化ガスの割合が高まったから。なお放置すれば自然破壊に拍車をかけかねない。このため、温暖化に歯止めをかけようとする国際的な取り組みが盛んだ。それ自体、有意義であり、異論はない。

ただ、仏教者としてもう一枚向こうに思いをはせてみる。

人は自然を壊さずには生きていけない。都市に住み、家電製品や先端技術に囲まれ快適なくらしを送る。それ自体が自然と遠い。こう言えば納得する人は多いだろう。だがそれだけでない。野山をひらき、田畑を耕し、作物を育てる。こした自然と寄り添う農業でさえ、原野を造り変える営みという点で、自然を壊しているのだ。

人はかくも深い業を背負っている。こう考えると、だれしも人間が嫌になるだろう。しかし、自棄的になってもはじまらない。ただ、限りある資源とどう向き合っていくか、という考えは大切だ。この自覚があるとないとで、人間の質は違ってくるだろう。小さな行為が人を大きくすると私は思うし、そう信じたい。

自然とはなんだろう。多くの人がイメージするのは、手つかずの原野とか、多くの野生動物が暮らしているジャングルなどであろうか。人間の生活がこうした自然を破壊している、多くの動植物を絶滅させている、ともいわれる。しかし、人間も自然の一部ともいえるはず。ただ、その生活の変化や技術革新の速度があまりにも急激すぎるのだろう。

2014年に公開されたイギリス映画『キングスマン(Kingsman: The Secret Service)』は、異色のスパイ映画(オフィシャルサイト)。悪役のヴァレンタインは、通話料やネット通信料がすべて無料となるSIMカードを世界中に配布する。ところが彼は過激な環境保護の思想を持っており、SIMカードを利用して信号を送り、人間を凶暴化させ、周囲の人間を襲わせた上で人口を減らすという計画を実行に移そうとしていた。結果的に、この計画は阻止されるのだが。
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人類の数を減らす、それも殺し合って人口減少を狙うというのは異常だろう。映画では、パブでの格闘シーンで” Manners maketh man”(礼儀が人(紳士)を作る)という格言がでてくる。

地球環境に対するマナーが必要ということかな。

バレンタインデーは要らない?

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今日はバレンタインデー。
親しい人へのお礼や、愛を告白したり、恋人同士が愛を確認しあったりと、この日を有効に使う人たちもいる一方で、チョコが「義理」「義務」となっては意味がない。ハフィントンポストに、 勝部元気さんが『バレンタインデーはもう要らない!は7割に』と題して寄稿している。
2月14日、バレンタインデー。残念ながら今年は平日ということもあって、「義理チョコ」ならぬ「義務チョコ」をあげなくてはならないということに辟易している女性も多いと思います。

もらう男性の側も、心理的負担やお返しの負担のほうがもらう嬉しさを上回っているという人も多いのではないでしょうか? 

日本法規情報が「バレンタインデーに関する実態調査」の結果を発表しました。職場でのバレンタインデーを社内規程で禁止することについて聞いたところ、「良いと思う」と回答した人が69%に及んでいます。

バレンタインはもはや「因習(=弊害を生んでいる古くから伝わるしきたり)」になったと見なすのが良いのかもしれません。本来、贈答というのは人と人の交流を深めて、社会における「幸福の総量」を大きくするもののはずですが、因習と化したバレンタインデーはむしろ「幸福の総量」を小さくしているわけです。女性から男性へという性別分業があるのも、ジェンダー平等の今の時代にはそぐわない発想ですね。

バレンタインデーを扱うニュースを見ても、「商戦」や「経済規模」等の言葉が並びます。もはや「幸福の総量」ではなく、「商業規模の総量」にしか興味が無いのだろうと感じざるを得ません。消費主義の全てを否定するつもりはありませんが、明らかに弊害のほうが大きくなったものに関しては、見直しが必要に思うのです。
(以下省略)

デパートとかでは、チョコの特設売り場ができて、高級なチョコレートが飛ぶように売れたりしている。業界にとっては、こうしたイベントはありがたいのだろう。バレンタインデーにチョコレートを贈るようになったのは、昭和30年代といわれている。そして、昭和40年代末から50年代にかけて、女性のこころを捉えて徐々に盛り上がり、今日のように盛んな行事になったという。

バレンタインデーの他にも、ハロウインなども日本独特の発展をとげているし、節分に恵方巻きを食べるというのも流行ってきている。日本人は、何かをみんなで一斉に行うというのが好きなのかもしれない。こうしたイベントを楽しむのは個人の自由ではあるが、恵方巻きが売れ残って大量に破棄されたとか、義理チョコで悩んだりする人がいるというのは、行き過ぎた感があるかな。

一方で、グリコの調査によれば、女子同士の友チョコ、さらに親子、同僚、先輩後輩でも手軽にチョコを贈り合うという、バレンタインデーのカジュアル化が進行中だとか。そして、男性の約5割がチョコをシェアしているとか。バレンタインも多様化してきているのか。

さて、あなたはチョコ何個もらえました? 逆にチョコを贈りました?

ゼネコンの副業?

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日経産業新聞(2/10付け)に「インフラ運営 長〜く稼ぐ」という記事があった。
準大手ゼネコンの前田建設工業が建設会社の新しい稼ぎ方を確立しようとしている。もくろむのは道路や空港などのインフラ運営事業の拡大だ。2020年の東京五輪・パラリンピック開催後は建設市場が縮小するとの見方が有力。前田建設は長期間にわたって安定的に収益を支える柱としてインフラ運営事業に着目している。

愛知道路コンセッションの設立は2016年8月。愛知県道路公社が管理していた有料道路8路線の運営権を県が民間に売却(コンセッション)するための特別目的会社として誕生した。この会社に50%出資して筆頭株主になっているのが前田建設だ。

運営権の期間は30年で価格は約1377億円。愛知道路コンセッションはこれを30年かけて支払う。同社の主な収益源は有料道路の料金収入。大まかに言えば、収入と運営権の支払いの差額が同社の利益になり、前田建設をはじめとする株主への配当の原資となる。

インフラ運営事業は一度受託すれば数十年にわたり、安定した収益が見込める。景気変動の影響もそれほど大きくない。建造物の建設を請け負って、その都度、収益を得るのが「フロービジネス」だとすれば、インフラ運営事業は「ストックビジネス」。売り上げ規模はそれほど大きくないが、利益は確実に得られる。

新たな稼ぎ方を模索している建設会社は前田建設工業だけではない。とりわけ大手5社以外の準大手での取り組みが目立つ。建設事業が大手5社ほど盤石ではなく、20年以降の建設市場縮小への危機感が強いためだ。西松建設は商業施設を設計・施工するだけでなく、管理・運営まで行おうとしている。再生エネルギー分野に活路を見いだそうとしているのが戸田建設。フジタは環境関連の技術開発を進める。ごみを焼却した後に出る灰を、低コストで処理できる技術を開発した。

建設業界の景気如何によって、大学生の就職にも影響がでてくる。いまは「売り手市場」で、特にゼネコンを中心に採用意欲が非常に高い。そのため就職したい学生にとっては恵まれているともいえる。しかし、2020年以降、建設市場が縮小してくるようになれば、学生の採用も減ってくるかもしれない。

一方で、ゼネコンが建設だけでなく、施設の運営・管理なども行うとすれば、大学での教育も変える必要があるだろうか。いままで建物の新築を念頭において主に授業カリキュラムが組まれている。これに維持修繕やマネジメントといった分野まで含めたカリキュラムに変えていく必要があるのか。それともゼネコンの海外進出の拡大に備えて、英語の力がさらに求められるのか。

いやいや、そんなことは入社してから教育するから必要ない、ということになるのか・・・・・
いずれにしても、今後の建設業界の動向を注視したい。

焼き鳥の串、外す?

朝日新聞(2/8付け)に『外す?外さない?焼き鳥の串論争』という記事があった。
「串から焼き鳥を外さないで」。
東京の飲食店が看板を掲げたところ、インターネット上でさまざまな意見が飛び交った。折しも今年は酉(とり)年。外す、外さない、どっちがいいの?

「焼鳥屋からの切なるお願い」。東京・田町にある鳥料理店「鳥一代」本店が昨年11月、店が入るビル1階に看板を掲げた。

「焼き鳥を串から外してシェアをして召し上がっているお客様が多く見受けられます。凄く…悲しい」「これでは切った肉をフライパンで焼いても同じ」「串から外さず ガブリついて食べて下さい」。ツイッターなどで拡散し、ネット上で議論が起こった。

否定的な意見は「客の自由」「店員の努力を食いにいってるんじゃない」。一方「串を外して食べるとかありえない」「胸がすっとした」と賛同の声もあった。
(以下省略)

串から外すとすぐに冷めてしまうこともあるが、大勢で注文するときにはシェアして食べるために串から外すときもある。しかし、基本的に串から外さずに食べている。フランス料理などを食べるときはマナーが重視されるが(レストランにもよるが)、焼き鳥を食べるときは自由でもいいかもしれない。最終的には、個人の好みということになるのだろうが、料理を提供する店側の言い分も理解できる、な。

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不動産情報会社「アットホーム」によるネット調査(2015年12月、計1457人に実施)によると、「大勢で焼き鳥を食べる場合は串から外しますか」という問いに、約6割の人が「外さない」、約3割が「外す」と答えている。ただ地域別にみると、神奈川や東京では6割以上が「外す」と回答しているのに対し、福岡では8割が「外さない」と回答している。

福岡では、焼き鳥屋で「豚バラ」があるくらいだから?かな・・・
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畏れると恐れるの違い

熊本地震のとき阿蘇の免震病院で記録された「けがき板」をお借りしている。病院に設置するレプリカの作成で試行錯誤したり、いろいろとアドバイスをもらったりもした(こちらのエントリー参照)。ありがとうございます。

最終的には、ちょっと薄手の紙を載せて、クレヨンでこすることで軌跡を写し取ることにした。罫書き線は盛り上がっているので、うまく写し取ることができた(上が北)。写真では軌跡が「あ」や「め」の文字のようにみえて判読は難しいかもしれないが。最大変形は46センチメートルだった。こうして写し取ったものを額装して、免震病院に届ける予定だ。
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ところで、今日で東日本大震災の発生から5年と11ヶ月。
朝日新聞(2/3付け)の「折々のことば」で、遠藤周作氏の『畏(おそ)れると恐れるとのちがいを若い人は知っていない』が取り上げられていた。
若い人というより時代の問題なのだと思う。

「恐れる」とは、強大な威力を前にして怯(おび)え、縮こまること。
「畏れる」とは、自分をはるかに凌駕(りょうが)する存在をまのあたりにして震撼(しんかん)し、おののくこと。

人々はいつ頃からか、自分を超えたものがなす審判に身をさらすことを拒むようになった。が、そのことで自らに厳しい要求を課すこともなくなった。作家の「勇気ある言葉」から。

阿蘇の免震病院で記録された応答変形は、これまでで最大の記録である。これだけの応答変形でも免震効果は発揮されたが、今後より大きな地震動が襲ってこないとも限らない。今後も自然に対して畏敬の念を忘れてはならない・・・

大学が教えるべきこと

日経新聞(1/16付け)に法政大学総長の田中優子氏が『大学が教えるべきこと』と題して寄稿している。法政大学では2016年に「自由を生き抜く実践知」を冠した大学憲章を定めた。
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企業のグローバル化、人材の流動化、人工知能やIoTの出現、少子高齢化、地域問題、国の抱える大きな負債、外交の複雑化……。それらを抱えて世界のなかで生きる日本。今後も大きく変化していく世界と日本で、本当に必要な能力や知性とは何か。大学は今、それぞれの立場でそのことを考えなくてはならなくなった。

はっきりしているのは、大学を卒業して社会に出て行く人々にとって、「今」の社会にのみ通用する知識では間に合わない、ということだ。

第1に、変化に対応できる知性が必要である。第2に、それは単なる臨機応変ではなく、人間と社会と環境にとって最適な判断を下すための知性でなくてはならない。そして第3に、その判断が個々の観察と思考と広い視野に基づいた、つまり個人の価値観に根ざした判断である必要がある。

なぜなら、個々の価値観に根をもつ判断こそ、自分の表現で他者に表明でき、説得力をもち、多様な価値観と議論できるからだ。

外国語とくに世界共通語化している英語の運用能力は必須となっている。しかし英語は手段にすぎない。表明し意見交換し、他者に耳を傾けることのできる知性こそが必要なのである。

このような現実を前に、大学はどうあるべきなのだろうか。最も重要なのは、それぞれの大学が個々の理想をもつことである。悠長な対応に見えるかもしれない。しかしそれなしに、学生たちに新しい能力、とりわけ「個々の価値観に根をもつ判断力」を身につけてもらう方法を開発することはできないのである。
(略)
「自由を生き抜く」とは、主体的、自立的に学び、考え、多様な立場に立って公正な判断を行い、決断し、自ら行く道を創造することを意味する。それは教育の本質であり、まさに変化する世界で必要とされる生き方と能力である。

しかし、誰もがそのような自由を生き抜くことのできる社会にはなっていない。むしろ考えることを放棄して、イデオロギーや強いリーダーやテロに依存する人々が増えているようだ。

そこで、自由を生き抜く能力を身につけるために、現実に根ざした実践知が必要になる。「実践知」とはギリシャ哲学で「フロネーシス」といい、「深い思慮」を意味する。現実社会に役に立つ知識という意味ではなく、現実に根を張り、現実に直面しながら、それぞれの現場で課題をひとつずつ解決していく知恵であり知性だ。

今後の社会では、いかなる状況や関係の中にありながらも、価値観や理想に照らして、自らの役割を速やかに決断する自信が必要となる。大学は、知識や教養を与えるだけの機関では済まなくなる。その決断や自信を含めた、学生の生き方にインパクトを与える存在になるべきなのだ。

個々の大学が理想を持てば、学生たちに必要な知性を身につけさせることができるのだろうか。どうすれば学生にインパクトを与える存在になることができるのだろうか。それは、個々の大学が考えることだ、ということなのかもしれないが、大学での教育を大幅に見直すことが必要だろう。

大学は知識を生み出すところと考えれば、授業で知識を教科書どおりに覚えるというだけでなく、知識のストックから必要なときに、必要なものを取り出して使えるようにしないといけない。そのためには、実践的な能力である「コンピテンス(知力)」が必要となる。

さらに「学び」や「探究」が重要となる。知りたい、やってみたいという意欲も求められる。小学校ではないが、「どうしてだろう」「なぜだろう」というところから学びが始まる。調べ学習をしたり、自問したり、自然や物事に働きかけたり、人間と交流して確かめたり、実験をしたり、似たケースに当てはめてみて検証したり。これまで身につけたものと組み合わせることで学びが整理され、その結果、「そうだったのか」と理解され、「なるほどなぁ」とある種の感動をもって、さらに「心にストーンと落ちたところで」その人の知識ができあがる。

教員と学生がともに喜びや感動を伴って知識を共につくっていくという探究体験が大学教育にも求められているのではないか。中国語の「勉強」は、意に反して努力する、やりたくないことをやらされるという意味だそうだ。「勉強」ではなく、「学習」「学び」(learning)への転換が必要だろう。

豪雪と地震が重なったら?

朝日新聞(2/5付け)の社説に『豪雪と地震 重なった時にどうする』という記事があった。
地震大国日本は、世界でまれに見る雪国でもある。全国の市町村の約3割は豪雪地帯の指定を受け、2千万人が暮らす。幸いにも、こうした地域では近年、大きな被害をともなう地震が真冬に起きたことはない。日本海中部地震は1983年5月、中越地震は2004年10月だった。しかし、それはただの偶然に過ぎない。

災害は、季節や風の強さ、時間帯などが少し異なるだけで、まったく違う顔を見せる。

東日本大震災では低体温症で30人を超す人が亡くなった。地震と津波が襲った翌朝、各地で気温は氷点下を記録した。厳冬期の寒冷地はさらに過酷な気象条件になり、被災者は命の危険にさらされる。

たとえば札幌市は、早朝の地震で11万棟が全半壊し、死者は2千人と想定している。加えて、建物に閉じ込められた6千人が、2時間以内に救助がなければ凍死する。体育館などに11万人が身を寄せるが、停電のため暖房がきかない恐れが高い。

「避難した後」に人々を待ち受ける事態を体験・検証するため、先月中旬、日本赤十字北海道看護大(北海道北見市)の体育館に防災の専門家や保健師ら約100人が泊まりこんだ。

外気の最低気温は零下19.5度。天井が高いため、これだけの人数がいても館内は暖まらず、就寝時の室温は約1度だった。ダウンコートにマフラー、冬用の寝袋。それでも寒さで目が覚める。ふつうの備蓄毛布ではとても眠れないだろう。

衛生管理の点から、避難所に土足で入るのは避けよと言われる。しかし靴下で体育館に立てば、あっという間に体温を奪われる。日ごろ「血栓を防ぐために水を飲んで」と説く参加者たちも、屋外の仮設トイレに行くつらさを考え、いつのまにか水分をひかえてしまった。

暴風雪で道路がふさがれれば物資の補給も滞る。一晩ならともかく、高齢者や幼児が幾晩も過ごせるか。過ごしたとき、どんな健康状態になるか。寒冷地に特有のこうした課題への危機意識が自治体や住民にまだ乏しい、と同大の根本昌宏教授は警鐘を鳴らす。

災厄が重なる事態を考えると気が沈む。だが「想定外」という言い訳はもはや通用しないことを、数々の失敗を通じて、私たちの社会は学んできた。完璧な準備は不可能だ。それでも、問題意識をもち、最悪のケースを頭に描きながら、対策の空白を少しでも埋めてゆく。そうした努力の積み重ねで、被害の広がりを抑えこみたい。

多雪地域では、長期荷重として、0.7S (Sは雪荷重)を考慮することになっている。日本建築学会の「建築物荷重指針・解説」(2004年)によれば、この値は、『長期許容耐力以下の荷重に対して、木質構造の接合部と部材の変形の比率を2:1と仮定して3か月間の載荷を行ったものとして、雪荷重のように漸増載荷される場合の変形量は、3か月間連続して最大荷重が載荷される場合の変形量に対して、ほぼ 0.65程度であるという委員会資料(久田俊彦:雪荷重長期取扱ひについて)から算定されている』とある。

設計用の積雪荷重の70%の荷重により求めた弾性変形量は、平年の積雪量に対して生じる(クリープ等を考慮した)真の変形量にほぼ相当すると考えられるので、それを目安にして設計しておけば、そう大きな問題にはならない、と理解できる。でも、クリープ変形が問題とならない構造の場合の根拠はどうなるのだろうか?

一方、多雪区域の地震時荷重では、0.35S とされているが、この0.35という係数は、確率統計論から求められたもののようだ。これは、主たる荷重が最大をとる時点での、従たる荷重の確率過程的な意味での平均的な値を採用することができる、とされている(荷重指針2004より)。

多雪地域では、雪荷重を考慮した構造計算がされており、一般の住宅よりも耐震性も高いと考えていいのだろうか。地震が起きた後に、大雪が降ったらどうなるだろうか。地震では倒壊しなかったものの、その後、大雪に見舞われ、雪は積もるが、避難勧告が出ていて雪下ろしもできないとすれば・・・
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平成17年 旧山古志村竹沢地区

「人生の構想」を描く

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本学は入学試験の真っ最中だが、日経新聞(1/30付け)に 埼玉県立浦和高校の杉山剛士校長が『米国の大学入試に学ぶ』と題して寄稿している。
米国大学の入学者選抜の実情を視察した埼玉県立浦和高等学校の杉山剛士校長は、日本の高校は生徒に「人生の構想力」を身に付けさせる教育が必要だと指摘する。

昨夏、民間教育団体が企画する研修に参加し、米国の大学8校を視察する機会を得た。そこでは実際に入試を担当するアドミッション・オフィサーの話や日本人留学生も含む学生の体験談を直接聞くことができた。現在進行している高大接続改革も、米国の制度を下敷きにしている面がある。

以下、米国での見聞で現場の高等学校長として感じたことを踏まえ、我が国の高大接続改革への示唆について述べたい。

まず驚いたことは、米国の大学入試ではエッセーが重視されていることだ。合否を決める選考資料は表のとおりいくつかあるが、最も重要なものはエッセーである。エッセーというと、随筆のようなものと勘違いしていたが全く違う。それは志願理由書であり、「人生の構想図」である。

自分とは何者か。高校時代の達成体験や挫折体験から何をつかんできたか。そして自分は社会や大学にどのように貢献できるか――。つまり「どんな人生を構想するか」を徹底的に考え、一つのストーリーとして表現・発信するのである。

現地で学ぶ日本人留学生が異口同音に語ったのは、エッセーを書く作業が自分のキャリア形成で極めて重要な意味をもったということである。

ある留学生は「ふらふらと大学に入る日本の高校生と米国の高校生の一番違うところ」と言い切り、別の留学生は「もし日本に戻って教員になったら、夏休みの宿題で生徒にエッセーを書かせ、それを徹底的に添削したい」と語った。ハーバード大に合格した受験生のエッセーを集めた本が売られていたが、決して付け焼き刃ではマネできない、それぞれのパッションが感じられた。
(略)
入学者選抜で優れたエッセーを見抜き、多様な学生を確保するために置かれているのが、アドミッション・オフィサーと呼ばれる専門スタッフである。教育活動を担う教授とは独立し、弁護士など専門職としての高い見識を持つ人もいる。米国内だけでなく全世界から優秀な学生を集めるために、地域ごとに担当を決めて精力的に活動している。

ハーバード大ではアドミッション・オフィサーが43人いる。卒業生の力も借りながら受験生にインタビュー、必要があれば高校まで調査に出向く。まるでプロ野球のスカウトだ。日米では大学経営の基盤に違いがあるとはいえ、大学や社会の活性化に資する人材を本気で集めようというエネルギーを痛感した。
(以下省略)

「一度しかない人生を君はどうしたいと考えているか」。
この問いに対する答えは変わっていくかもしれないが、常々考えるようにしておくことが大事だろう。大学に入ってきた新入生にこのテーマでレポートを書いてもらっているが、10年後の自分を想像することが難しい学生もいる。日々の生活のなかで、将来のことを様々な角度から考え、語り合えるような時間を確保することがあってもいいのではないだろうか。「時には、自分が慣れ親しんだ境遇とは違う、多様で異質な他者との出会いの機会を提供することも意義深い」と書かれているように、受験勉強だけやればいい、いい大学に入れればいい、ということにはならないで欲しい。

「人生の構想力」を鍛えるような高校が増えれば、大学入試も変わるかもしれない。逆にいえば、大学入試が変われば、高校教育も変わるだろう。大学側も受験生の「人生の構想力」を見抜くために、また人材の多様性を確保するために、どれだけ入試にエネルギーを投入するのかが問われているといえる。

こうした米国流の大学入試では、エッセーや他の材料に基づいて合否を判断しており、入学者を多面的に評価できているともいえる。しかし、入学希望者のエッセーを読むだけでも大変な時間がかかる。もしかしてゴーストライターがエッセーを書いたかもしれない。何でもそうだが、制度が決まればそれに適応して最も効果的な仕組みができあがってくるものだから。絶対という選抜方法はないと思われるので、試行錯誤しながらできるだけ良い選抜方法を編み出していくしかないのかもしれない。
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Who’s Reading Your Essay?

床衝撃音の緩和策

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建設通信新聞(1/31付け)に『集合住宅の床衝撃音測定』という記事があった。
大成建設は、横浜市の技術センターに集合住宅を模した「床衝撃音実験施設」を整備し、運用を開始した。実際の集合住宅の構造を再現した振動特性の異なる2種類の実験施設で、床仕上げ材など床衝撃音対策の効果を評価できるほか、地下鉄や設備機器からの伝搬音対策の技術開発にも活用する。

集合住宅では、上階からの音の低減が大きな課題となる。床をこする音や軽い物が落ちた音は、カーペットなどを敷くことで対応できるものの、重い物が落ちた時や人間が飛び跳ねた時の音(重量床衝撃音)は、構造物全体を響かせるためカーペットなどでは対策できず、床や天井の仕上げ材での対策が不可欠となる。ただ、仕上げ部材の性能は、コンクリートの床寸法や梁・柱など建物構造から大きな影響を受ける。実際と異なる構造の実験室では、実験時の性能が良くても実際の集合住宅では効果を発揮しないことがある。これまで床衝撃音低減工法を開発する際は、実際の集合住宅の現場で性能を検証するほか、床スラブの特性によって効果が異なるため複数の集合住宅の現場での実験が必要となっていた。

新しい実験施設は、縦約6m、横約6mのRCラーメン構造の柱・梁を骨組みとした2棟を建て、片方の床には通常のRCスラブ、もう片方の床には中空スラブに粒状体が入った袋を入れてコンクリート内の振動を低減する振動低減スラブ「T-Silent Slab」(栗本鉄工所との共同開発)を採用した。

床衝撃音低減対策用の仕上げ材を設置していなくても両スラブの効果を体感できるだけでなく、対策用の仕上げ材を設置すれば、より実際の集合住宅に近い環境で対策を施した結果の衝撃音を測定しやすい。集合住宅の構造に近いため、地下鉄から伝わってくる振動音や設備機器の揺れによって伝わる音に対する対策工法の開発も進める考え。

タワーマンションの需要が増え、床衝撃音対策への顧客ニーズも高いため、今後、さらに実験室の利用ニーズが高まると考えている。

共同住宅に住んでいると、上階などからの伝搬音はトラブルのタネになりやすい。下の階の住民が上階にクレームを言うことはよくあるようだ。小さい子どもがいる家庭で、家の中を走らないように言い聞かせることも難しいだろう。もしそうした住居の下に住むことになったらあきらめるしかない?

共同住宅でお互いが気持ちよく住むことができるように、こうした音の問題が早く解決されることが期待される。しかし、音は床スラブだけから伝播するわけではないのでややこしい。こうした実験施設で効果的な遮音方法が研究され、早く実用化されると嬉しい。

ちょっと疑問なのは、「T-Silent Slab」は、ボイドスラブの中に一種のTMDを仕込んで振動を軽減する仕組みになっているようだが、それで音の伝播を抑制できるのだろうか。衝撃によって粒状のモノが振動することで、構造体を伝播する音を抑制できるのだろうか。どれくらいの効果があるのかを是非この新しい施設で実証してもらいたいものだ。

さらに新築だけでなく、既存の建物にも簡単に組み込んで床衝撃音を緩和できる方法も研究してほしい。できるだけ安価で効果的な方法だとありがたいが。

地震を聞く

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USGS”Listen to Earthquakes”という映像を制作している。

普通、私たちは足の下の地面を「岩石のように」変化しないと考えています。実際には、地球は脆弱な岩を曲げたり押したり壊したりする巨大な力を受けています。岩石が断層に沿って壊れたり滑り落ちたりすると、蓄積されたエネルギーは振動として地球に放出されます。振動は音波または地震波であり、震源からすべての方向に伝わります。

地震計は、地震波を検出するための計測器です。地震計は振動源を区別しません。地震だけでなく、採石場の爆発、風、波浪、近くにいる動物の群れ、ホバリングしているヘリコプター、雪と岩の雪崩、土石流などのさまざまな現象によって発生した地震波を拾い上げます。独自の手書き署名を持つように、各タイプの地震源には固有の特徴があります。地震観測所からのデータ出力(地震波形)を見ている科学者は、地震の痕跡を認識することで、観測点付近で何が起こっているのかを知ることができるのです。

あなたは、地震の痕跡をどれくらいうまく識別できますか?



似たようなことは、これまでも試みられてきている。2003年には「地震とメロディ」と題して投稿している。この投稿のなかで紹介している福岡教育大学の山田伸之氏は、地震動記録を防災教育へ活用する手段として音楽(メロディ)にすることを研究されている(2003年科研費報告書)。

ところで、2016年熊本地震を経験された方に聞いた”音”の話。
その方は、自宅(在来構造)で地震を経験したとき、”ゴォッー”というような音を聞いたそうだ。一方、勤務先のホテル(免震構造)で地震を経験したときには、そうした音がしなかったという。ひょっとしたら積層ゴムによって地震の音が遮断あるいは減衰したのだろうか。

興味深い話である。

奨学金は出るけれど

日経新聞(1/29付け)の「日曜に考える」欄に『奨学金は出るけれど』という記事があった。

経済的な理由で大学進学をあきらめたり、退学せざるを得ないケースも目立つ状況を鑑みれば、政府が来年度から導入する給付型奨学金は画期的であるとしている。住民税非課税世帯の1学年約2万人を対象に、月2万〜4万円を支給するというもの。規模は小さいが、救われる学生は間違いなく増えるだろう、と。

ちなみに、本学でも給付型奨学金制度を設けている。ただ、申請者は当初の想定よりも少ない。私立大学を目指す学生の世帯は、それなりの経済力があるということなのだろうか。それともどれくらいの費用が必要なのかを入学前に十分把握できていないということだろうか。もっと広報活動に力を入れるとともに制度の拡充も考えたい。
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給付型奨学金の拡充などの流れの背景にあるのは、もっぱら教育機会の不平等は経済的な問題に起因するという観念。意欲と能力がある若者を支えれば教育格差は解消に向かうというが、「意欲」自体に成育環境などによる格差がつきまとっていないだろうか?

子どもの学力形成の要因には、親の所得など経済的な資本と文化的な資本が挙げられる。文化的な資本は、家にどれだけの本があるか、幼児期に読み聞かせの習慣があったかなど。さらに、親の学歴もその要素だとされている。非大卒の親は子どもが大学に行くことに必ずしも価値を見いださなず、それが次世代に受け継がれて社会は大卒と非大卒の2つの層に分断されていくと指摘する人もいる。

最近では、学力を形成する要因として、社会関係の資本も大切だといわれる。学校だけでなく地域が関与した学びの実践や生活のケアなどを指す。社会や他者とのつながりのなかに、教育の可能性を探る考え方である。

なにごとにも「意欲」は大切だ。
いくら頭がよくても意欲がなければ学ぶことも新しいことへの挑戦もしないだろう。これは大学に入ってからも同じだ。「意欲」を測るのは難しい。また「意欲」を教育で培うことも難しい(と思う)。大学に入ることが目標ではなく、大学で何を学びたいかなどが決まった段階で大学に入学するという道があっていいと思う。高校を卒業したら、すぐに大学に入るのではなく、一度就職してもいいし、ボランティア活動に従事したり、世界を旅してもいい。そうした寄り道ができる環境、社会を形成していくことも必要ではないだろうか。秋入学やギャップイヤーとかで一時期盛り上がっていたが、あの議論はどうなったのだろうか。

「チョウチョは決して無理して飛んでいるわけじゃない。あれがチョウチョにとってのまっすぐなんだ。」
チョウチョはまっすぐ飛ばない。次にどっちに向かうか、人にはなかなか読めない。だがこれは、狙いを定めにくくして、鳥に食べられないようにする飛び方の工夫ともとれる。人も、道を間違えたり回り道をしているように見えても、きっとそれぞれ命懸けで道を探しているはず。じっと見守ろう。
(朝日新聞「折々のことば657」から)

グローバル化と保護主義

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日経新聞の「私の履歴書」欄にカルロス・ゴーン氏が寄稿してて、その1回目が元日の新聞に掲載されていた。その中では次のように書かれている。
私は通常、月の3分の1ずつを日本、フランス、第三国で過ごす。一日一日はどれも違っていて、特別だ。例えば、パリでの生活は東京とは違う。米国やロシア、中国、ブラジルにいる時も各国のスタイルに身を委ねる。同じなのは私が早起きだという点かもしれない。
(略)
よく「殺人的スケジュールですね」といわれる。確かに分刻みの予定は多い。東京を金曜夜に出て北京の自動車ショーに出席し、月曜早朝からパリで会議に臨む、というのも日常茶飯事だ。だが、こんなことはグローバル化の時代に多くの経営者に求められることだ。

みなさんも地球が小さくなったことを実感しておられるだろう。インターネットの普及もあり、仕事も生活も自国だけではもう完結しない。では、グローバル化の時代に大切なことは何か。私は迷わず「アイデンティティーを失わずに、多様性を受け入れることだ」と答えるだろう。
(略)
20年前なら人間は生まれた場所で働くのが普通だった。だが、これからは世界を舞台に働き、生活するようになる。グローバル化には犠牲も伴う。私も様々な犠牲を払ってきた。それでもグローバル化は人の限界を取り除き、新たな可能性に気づかせてくれる。日本人の多くもそんな時代を生きることになる。

多様性を受け入れることは大切だ。最近では、賛成・反対、善か悪か、などといった極端な論調が目立つ。簡単に二分できない問題も多いのに、君はどっちだ?と問われる。何事もそう簡単ではないと思うのだが、デジタル化(0か1か)の影響なのだろうか。

朝日新聞(2/3付け)の「異論のススメ」欄に佐伯啓思氏が『グローバリズムの時代に保護主義は本当に悪か』と題して寄稿している。
昔、日本がまだ半導体で世界をリードしていたころによく引きあいに出された例がある。仮に米国の土壌がジャガイモに適しており、日本の労働者が半導体の生産に適していたとしよう。すると、アメリカはもっぱらポテトチップを生産し、日本はシリコンチップを生産し、両国が貿易すればよい。これでウィンウィンになる、というのである。

だがもちろん、米国は世界に冠たるポテトチップ大国では満足できない。そこでどうするか、政府が半導体産業を支援したり、あるいはIT等に投資して先端産業を育成するだろう。つまり、自国の優位な産業を政府が作り出すのである。

こうなると、自由貿易の正当性は崩れてしまう。しかもグローバリズムのもとでは、資本も技術も情報もきわめて短期間で国境をこえて移動する。すると、新興国の政府も率先して資本や技術を導入し、教育の質を高め、競争優位を発揮できる産業を育成するであろう。今日の中国や韓国をはじめとする新興国もまさにそうしたのであった。
(略)
私は、保護主義の方が優れているなどといっているのではない。ただ、保護主義をもたらしたものは、実はグローバリズムのもとでの自由貿易体制であった、という認識から出発したいのである。そうだとすれば、これは米国だけのことではない。日本も同じ状況に置かれている。「トランプの保護主義は危険だ、自由貿易を守れ」といってもあまり意味はないのだ。

だからまた、トランプを反グローバリストと断定するわけにもいかない。保護主義も米国第一主義も、ある意味では、グローバリズムを前提にした上での、それへの対応なのである。急激なグローバリズムが、強い国家による内向きの政策を生み出した。世界はすでにその段階に入りつつある。保護主義が危険なのではなく、敵対的で急激な保護政策が危険なのだ。いわば節度ある保護主義をうまく使うことを考えなければならない時代なのである。

グローバル化によって、たくさんの人が移動し、多様な製品や食料品などが輸出入されている。こうしたことで我々の生活は便利で豊かになってきている。それにともない衰退する産業も出てくるし、新しい産業も生まれている。グローバル化が進展することで、それぞれの国や地域の役割なども変化してくるだろう。新興国といわれる国もそのうち先進国に肩を並べるようになってくると、さて世界はどうなるのだろうか。どの国もみんなが日本や米国のようになってしまったら? グローバル化というのはそういう時代に向かうということだろうか。そんな時代がきたら、国とか国籍といったものはどうなるのだろうか。別の意味での多様性が形づくられることになるのかもしれない。

でっ、そのうち、建築もグローバル化しちゃうのだろうか。
いやいや、建築は風土や歴史、それに地域性を反映するものだから、世界標準の家?というものはないかな・・・

熊本地震の益城町の被害集中と地盤増幅特性の関係

『科学』(2月号)に「益城町市街地の地盤増幅特性と2016年熊本地震における被害集中地域との関係」という記事があった。著者は、京都大学の後藤浩之氏、大阪大学の秦吉弥氏、産業技術総合研究所の吉見雅行氏である。

熊本地震によって益城町では甚大な被害が発生した。被害地域の悉皆調査から、被害が集中した地域とそうでない地域があることがわかっている。その原因について、本稿では地盤の増幅特性(揺れやすさ)に着目して分析した結果が紹介されている。

著者らは、益城町の被害集中域でボーリング調査を実施している。その地盤構造を使い非線形特性まで評価できるモデルを構築して、観測波形を再現できるようにした、とされている。そして、地下50m〜70m付近に硬い凝灰岩層があり、この層における基盤入力波を推定し、これをKiK-net益城と被害集中域の臨時地震観測点(TMP3)の地盤モデルに入力した。

その結果、観測記録を(ある程度)再現できたという。図に応答スペクトルを示す。対数軸なのが少々気になるが、大まかな傾向はつかめているようだ。
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この結果から、深さ50〜70m程度までの地盤構造の違いによって地震動の強さが変わったと結論づけている。地盤構造の違いが地震動の違いを引き起こし、ひいては建物被害の違いを引き起こしたという。地震対策の観点からは、事前にこのような地盤を特定することが望ましい、と。現実的なコストで危険箇所をいかに特定していくかが、今後の重要な課題であると結んでいる。

地下50mとかそれ以上のボーリングデータは普通に存在するのだろうか。また、そうしたデータがあったとしても、どういう入力を想定すればいいのか。耐震や防災問題は一筋縄ではいかない。

なお、この成果については、米地震学会(Seismological Society of America)に論文を投稿中だそうだ。そのうち公開されれば詳細を確認することができそう。
"Nonlinear site response at KiK-net KMMH16 (Mashiki) and heavily damaged sites during 2016 Kumamoto earthquake, Japan"

参考資料:
益城町の臨時観測点で得られた本震記録
益城町の被害集中地域での地震記録
熊本地震での本震の観測


センサーで住宅損傷を検知

日経新聞(1/30付け)に『住宅損傷 センサーで検知』という記事があった。
東京理科大学情報通信研究機構、仮設住宅などを手掛ける大和リースなどは共同で、住宅にセンサー網を張り巡らし、大地震が起きた時の損傷を自動で通報するシステムの実証実験に着手する。3月から大分県にモデル住宅を建設し、人工的に揺らして実験する。損壊した住宅の危険度を迅速に把握し、住民の安全確保と速やかな復興につなげる狙い。
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東京理科大は国内の素材・電機メーカーと、柱や屋根の揺れや荷重、振動数などを自動計測するセンサーを開発した。柱や壁が損傷すると、柱や屋根への荷重のかかり方や建物が揺れやすい振動数などが変化する。

3月から大分県国東市に大和リースや今冨建築(同市)などと協力してモデル住宅を建設する。数百個のセンサーを取り付けて大地震を想定した揺れを起こし、データをサーバーに送信。これを分析し、損傷の程度や倒壊の危険度をどの程度判断できるか検証する。

大地震が起きると、地方自治体は建築士などを被災した住宅に差し向け、危険度を判定してもらう。「危険」「要注意」などのステッカーを貼り、居住者や通行人が余震による建物に巻き込まれないよう注意を促す。だが被災した建物をすべて調べるのには時間がかかる。昨年4月の熊本地震では、18市町村の約5万7000戸を調べ、約2カ月間を要した。

送信されたデータから危険度を予測できれば、倒壊の恐れが高い家から迅速に調査し、取り壊しなどの安全対策を取ることができ、被害の軽減に役立つ。

センサーは日ごろ、家の微小な振動や、屋内に差し込む光などから電力を得ており、電池なしで長期間動作する。東京理科大の山本貴博准教授は、効果が実証できれば「空き家の経年劣化の測定などにも活用できるだろう」と話している。

まさに、スマートハウスとか知能住宅と呼ばれる建物の実現を目指している。建物の中にたくさんのセンサーを張り巡らせることができれば、建物の耐震健全性や耐久性、そして日常の見守りなどにも活用できるかもしれない。

地震後の健全性評価(ヘルスモニタリング)ではGAINETのように少ないセンサーでも対応できる。東京理科大のプロジェクトはでは、建物のヘルス(健康)だけでなく、居住者のヘルスまで拡大しようという試みとなっている。

熊本地震による被害調査の一環で、熊本県益城町で大きな被害を受けた地域での全数建物調査(約2600棟)を実施した。この調査から一戸一戸の住宅の被災度が明らかになっているが、それを地図上にプロットして公開はできない。個人情報の保護の観点から難しいとされている。

今後このプロジェクトが実用化されて使おうとしたときに、個々の住宅の被災度を公開することはできるだろうか。住宅などの所有者の理解があれば可能だろうが、震災の復興のために自治体などに情報をすみやかに提供できるような仕組みも検討が必要だろう。

参考資料:
東京理科大のプレスリリース:http://www.tus.ac.jp/today/20160728000.pdf
大分合同新聞の記事:https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2016/09/02/003738241


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講義中・・・
著書など
『耐震・制震・免震が一番わかる』
共著ですが、このような本を技術評論社から出しました。数式などを使わずに耐震構造、制震構造、免震構造のことを、できるだけわかりやすく解説しています。
『免震構造−部材の基本から設計・施工まで−』
免震構造協会の委員会活動の成果として、このような本をオーム社から出しました。免震構造の基本をしっかり学べるような内容となっています。
『4秒免震への道−免震構造設計マニュアル−』
いまでは少し内容が古いかもしれませんが、免震構造の基本的な考えを述べています。初版は1997年に理工図書から出ていて、2007年に改訂版を出しました。
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