易しい入試で正当に評価

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日経新聞(6/5付け)の「挑む」欄に『数学力低下、大学に危機感 易しい入試で正当に評価』という記事があった。
「大学入試懇談会」に参加した。大学の数学入試担当の教員から、その年の入試問題の作問意図や受験生の成績などについての報告を受け、高校と大学の相互理解を深める懇談会である。今年は首都圏と関西圏の国立・私立大学8校が講評を行った。

多少の温度差はあったが、各大学に共通していた話題は「計算力の低下」だった。A大学は、受験生の計算力を確かめるために記述ではない設問をあえて出題したという。

塾で教えていても計算力が落ちていると感じることが少なくない。式は立てられても計算ができずに正解に至らない生徒や、計算の仕方の「工夫」を意識せずに闇雲に力で押し切ろうとする生徒、それはあり得ないだろうというような数値が出てきても違和感を感じずに計算し続けていってしまう生徒などなど。

明確な理由は分からないが小・中学校の段階から「意識」を持って計算に取り組むことを教えていかないと解決は難しいと思う。

今年度入試で数学が易しくなったと評判のB大学からは、「数学をきちんと勉強してきた生徒を正しく評価するために易しくした」というコメントがあった。

一瞬、「逆ではないのか?」と思ったが、大学の説明はこうだった。数学の問題が難しいと、しっかり勉強してきた生徒とそうでない生徒の間で得点差がつきにくい。そうなると受験生心理としては、「数学はそこそこ勉強しておけばいいや」と考えがちになる。教える側も「まあどうせ点差はつかないから」という指導に流れる可能性も出てくる。

易化の背景には数学力低下に対する大学の危機感があったのだ。日ごろからきちんと勉強していれば、各設問のつながりや誘導に気付き、得点できるように配慮されていたというわけである。

2020年の入試制度改革に注目が集まっているが、その間も入試は続く。改革の行方をフォローするだけでなく、目の前の受験生のきめ細かい指導に生かさなければと感じた。

入試問題の作成は、大変だ。
受験生にとって難しすぎるとみんな点数が低くなるし、逆に易し過ぎると高得点者ばかりになる。したがって、受験生の学力に合致した入試問題の難易度を設定する必要がある。入試では、受験生の何を測りたいのかによって、入試形態も変えないといけない。面接や小論文を組み合わせるなど。

高大接続改革で、入試制度が大きく変わる可能性がある。
入試制度を議論する際に、国としてどういう人材を育成したいのか、ということを常に念頭においてもらいたいものだ。ただし、そうした共通認識があればだが・・・

高大接続改革 能動的学びへ転換

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日経新聞(6/5付け)に日本学術振興会理事長の安西祐一郎氏が『能動的学びへ転換』と題して寄稿している。
戦後最大、あるいは幕末から明治にかけての転換に匹敵する教育の大改革が静かに進んでいる。世間は「大学入試の問題が変わる」程度の受け止め方だが、実際のインパクトは極めて大きい。

2019年度から高等学校に導入される「高校生のための学びの基礎診断」を皮切りに、大学入試センター試験に代わり20年度に始まる「大学入学共通テスト」、20年度から段階的に導入される新学習指導要領、さらには学習指導方法や学習評価方法の開発、教員養成・採用・研修等の仕組みの改革、調査書の改訂、大学認証評価制度の改革、個別大学の入学者選抜方法改革や3ポリシーの公表と実践・・・。

一連の改革は、「受け身の教育から能動的な学びへの転換」という目標のもとにシステム化された教育の大転換である。

今なぜ、大改革が必要なのか。それは1990年代初頭から急速に起こった出来事に起因する。

国内では生産人口の急減と社会保障費の激増、国際社会では多極化の進行、情報科学技術を基盤とする新しい社会への転換。中でも産業の活力や雇用制度、財政基盤、科学技術などにおける日本のパワーの低下。一刻も放置できない状況を抜本的に転換するには、新たな教育立国の創造をおいてほかに道がない。

改革の大きな柱が高大接続改革である。教育再生実行会議提言から3年半余の検討を経て、文部科学省と大学入試センターは「共通テスト」と「学びの基礎診断」の実施方針案や大学入学者選抜実施要項の見直し予告案、共通テストの記述式モデル問題例を公表した。
(略)
こうした問題が国レベルの共通テストで出題されると、影響は高校教育や大学教育のみならず、中学校教育まで及ぶであろう。生徒は多種多様な情報を統合して自分で考えを構成し、書き言葉で的確に表現する主体的な学びを積み重ねることになる。これこそが21世紀を生きる若い人たちに極めて大切な学びであり、今後の日本の教育が最も留意すべき点でもある。

英語の4技能(聞く・話す・読む・書く)入試では、すでに多くの大学が多様な形で活用している民間の資格・検定試験を活用する方向で検討されてきた。資格・検定試験が競合して問題を簡単にしてしまう「ダンピング」を避けるためにも問題の客観的な評価は必要だが、4技能のうち「話す」「書く」に関しては民間により多くの知見がある。活用は当然の結論であろう。

今回の改革に長く関わってきた者として、思うことがある。

英語の4技能についていえば、英語教育関係者以外では「なぜ入試に英語の4技能テストが必要なのか」についての議論がほとんどない。入試の出題方法ばかりに注目が集まり、基本的な議論を怠っている。これは大人の思考停止であり、まず大人が主体的思考力を持たなければならないことの証左でもある。

他人の言うことに従っていればつまらなくとも困らない暮らしができた時代から、思考力と主体性を身につければ多様な人たちと真に楽しい人生を送れる時代へ、世の中は変わりつつある。

当然、テストも若い人たちの思考力や主体性を育み評価する方向へ変わる必要がある。それに従来のテスト測定論が対応できないのであれば、新たな理論を創造するほかはない。そこでは事象を俯瞰(ふかん)し、情報を抽出・統合し、問題を発見し、理解する、問題発見・解決プロセスの評価論が一つの軸になるだろう。

大学入試が変われば、高校教育、さらには中学教育も変わっていくかもしれない。しかし、入試で測ることができるのは、受験生の一面でしかない。文科省は「学力の三要素」を測ることを求めている。学力の三要素とは、
 (1)基礎的・基本的な知識・技能
 (2)知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等
 (3)主体的に学習に取り組む態度
とされている。これらを大学入試で測るなんてことはできるのだろうか。たとえ測れるとしても、入試方法(測り方)に対応した受験対策がなされるだけなのではないか。

理想は大事だが、それを実現するにはまだ準備や検討が足りないのではないだろうか。

先日の学内での検討会で、ある教員が『なぜ英語の4技能を入試で測る必要があるのか。英語よりも国語の4技能の方が大事なのではないのか』と発言していた。まさしく基本的な議論が怠っていると思われる。

「うんこ」漢字ドリル


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朝日新聞(6/6付け)に『「うんこ」例文 スルスル理解』という記事があった。

すべての例文に「うんこ」を使った漢字練習帳が爆発的に売れているそうだ。その名も「うんこ漢字ドリル」(1〜6年生)。3月の発売から2カ月でシリーズ累計200万部を突破したという。

学習指導要領で定められた小学校6年間で習う漢字は1006字。それぞれに三つずつ、計3018の例文のすべてに「うんこ」が用いられている。

例えば、1年生で習う「本」は《先生がうんこのお手【ほん】を見せてくれた》、6年生の「純」は《うんこは、人間にとって不【じゅん】物なのだろうか》といった具合だ。

発案は2年ほど前。映像ディレクターの古屋雄作さん(40)が作った「うんこ川柳」の商品化を考えていた文響社の山本周嗣社長(40)が、「子どもが学ぶ漢字と結びつければ、受け入れられるのでは」とひらめいたという。

「質のいい学習参考書はたくさんあるが、子どもの『勉強嫌い』という状況は変わっていない。そこは課題でもあり、大きなチャンスでもあると感じていた」

山本社長は「子どもは楽しいことならやる。学習参考書の作り方に新たな可能性が見えた気がする」と話す。

うんこ漢字ドリルを実際に購入してみた。
なかなかよく出来ていると思う。その他の例文などは、こちらでも。


うさん臭い安全の字

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建設通信新聞(6/15付け)の「建設論評」欄に『うさん臭い安全の字』という記事があった。
「私たちは安全という字がくっついていると、もうそれだけで安心してしまって、つい気が緩んでしまう。これで大丈夫だと安心をしてしまう。その分だけアブないという気がする。(略)安全という字は、どこかうさん臭い」
(『霊長類ヒト科動物図鑑』 向田邦子著)

「安全ピン」という題で、交通安全、安全地帯、安全ピン、安全カミソリについて向田さんの経験を交えて論じ、「どうも私は安全という字を疑っている、信用していない。この二字がつくとかえって警戒し気をつけなくてはいけないぞと、気持ちも手も身構えて用心している」という。

向田さんが知ったら驚くほど、建設現場は安全という字にぐるりと囲まれている。
まず入口に安全衛生旗を掲げた現場を入ると安全掲示板があり、安全柵に囲まれた安全通路を通る。保護帽と安全帯を身につけ、安全靴を履き、安全朝礼で安全指示を聞き、安全第一や安全スローガンの安全標識を横目にみて、安全指示書で安全作業に掛かる。今月は安全週間の準備で安全大会や安全パトロールがある。

安全という字がうさん臭いならほかの言葉に置き換えてはと、偏見も覚悟で乏しい語彙力を絞って試みた。

安全帯は命綱、安全ネットは防網、これらは法令用語にもある。安全衛生旗⇒無事故・無災害象徴旗、安全掲示板⇒労働災害(労災)防止活動掲示板、安全柵⇒立入制限用囲い、安全通路⇒作業区画路。安全靴⇒つま先保護作業靴、安全朝礼⇒伝達・体操集会、安全指示⇒リスク回避指図、安全第一⇒人命最優先、安全標識⇒無事故無災害業務。安全週間⇒労災防止活動推進週間、安全大会⇒労災防止特別全員集会、安全パトロール⇒労災防止現場巡回指導・・・。

うさん臭いとは、どことなく疑わしいことだが、言い換えれば今度は面倒臭い。
(略)
日本工業規格・安全側面(JISZ8051)は、「(略)安全とは、危害を引き起こすおそれがあると思われるハザード(危害の潜在的な源)から守られている状態をいう。製品またはシステムには、あるレベルのリスク(危害の発生確率およびその危害の度合いの組み合わせ)が内在している」とし、「『安全』および『安全な』という用語は、特に有益なその他の情報を伝えない場合には、形容詞としての使用を避けることが望ましい。さらに『安全』および『安全な』という用語は、リスクがないことを保障していると誤解されやすいので、可能な限り目的を示す用語に置き換えることが望ましい」としている。

「安全」の字を使用せずに事象を表現するには、先に試みたように置き換えても、面倒くさく理屈っぽくて、やはりうさん臭い。

向田さんはこうも書いているそうだ。
「安全ピンで怪我をしても、補償はしていただけない。使い方がよくないのですと叱られそうである。安全カミソリで顔に傷をつくっても、同じこと。これこそ、気のゆるみと腕が未熟なのだ。」

リスクがあるからこそ、「安全」「安全」と言い続ける必要があるのかもしれない。
耐震設計でも、この住宅は安全です、と説明したりするけれど、そこには条件がある。ここでいう安全には、建物が地震で損傷しないということではなく、最低性能として倒壊を防ぎ人命保護を優先している、といったことが含まれている。

こうした説明をきちんとしていくことが必要だと思われる。

建物の損傷把握「写震器」

建設通信新聞(6/12付け)に『E−ディフェンスで「写震器」検証 建物の損傷 瞬時に把握』という記事があった。
三井住友建設は、地震時に建物の損傷を瞬時に把握する建物変位計測システム「写震器」の実用化に向けた震動検証実験を実大3次元震動破壊実験施設(E−ディフェンス)で実施した。実験は防災科学技術研究所と共同で実施し、一般的な10階建て集合住宅を想定した高さ27.6mのRC造の架構を試験体に使用した。

「写震器」は床上に設置したカメラで天井の光源ターゲットの軌跡を追跡する装置で、地震発生時に建物の揺れ幅を自動計測して損傷を推定する。
写震器

損傷程度は変形の大きさから4段階(建物小破、建物中破、余震注意、継続使用不可)で判定するため、計測データをインターネットやメールの自動送信で共有すれば建物の状態をリアルタイムで把握できる。

実験では兵庫県南部地震で観測された最大加速度の10、25、50、100%レベルを順次入力し、構造の層間変形をとらえたシステムが地震による損傷程度と被災後の建物の安全性との関係を評価できるかを検証し、実用化に向けた結果を得た。

今回の検証結果を踏まえ、同社では本店と全国の支店に「写震器」を導入し、地震発生地域の建物の損傷程度を遠隔で相互に把握する運用システムを構築した。地震発生後の事業継続計画(BCP)の遂行に向けた活用を想定している。

通常、地震時の建物の揺れを記録する方法としては、地震計(加速度データ)を使うのが主流だった。しかし、建物の被害状況を知るためには層間変形などに方が直接的である。加速度から変形を求めるには建物の重量や剛性などが必要となるが、それらにはバラツキがあり加速度から各部の変形が正確に出せないことも多い。

この点、「写震器」は振動による対象部位の軌跡をダイレクトにカメラにとらえられるので、建物主要部の変形状態を正確に知ることができる、という。写震器は、1秒間に50〜100個程度のデータを0.5mm単位で記録するという。

カメラで変形が0.5ミリで測れるような分解能があるんだ。こうしたシステムが普及するといいけど、地震計を設置するのに対して、費用はどの程度なのだろうか。免震層のケガキ板の代わりに使えないかな?

熊本地震、備蓄が役立った

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(出典:http://yumetrendpress.seesaa.net/article/437245313.html)
日経新聞(6/16付けの夕刊)に『熊本地震の被災企業、「備蓄が役立った」46%』という記事があった。
政府は16日、2017年版の「防災白書」を閣議決定した。16年4月の熊本地震で被害を受けた企業などへのアンケート調査の結果を掲載。備蓄品の購入や買い増しが役立ったとの回答が4割を超えた一方、BCP(事業継続計画)の見直しなどの課題が浮かんだ。

調査は今年3月、熊本地震で震度6弱以上を記録した熊本県内の24自治体に本社のある2500社と、これらと取引のある全国の2500社を対象に実施。それぞれ1255社、756社が回答した。

震災時に有効だった取り組みを複数回答で尋ねたところ、最多は「備蓄品(水、食料、災害用品)の購入、買い増し」で、回答した554社のうち46%が挙げた。「災害対応担当責任者の決定、災害対応チームの創設」が38%で続いた。

一方、災害時に資金援助などを受ける協定の締結が役立ったとした企業は8%。防災セミナーの受講や社員への防災関連資格の取得推奨が有効だったという企業も6%にとどまり、取り組みが浸透していないことがうかがえる。

調査では今後取り組みたい防災対策についても聞き、1294社が回答した。「BCPの見直し」が49%で最も多く、けがや交通網の寸断で出勤できなくなった従業員の「代替要員の事前育成」が48%だった。災害時に活躍できる人材の育成や設備の拡充など、社内態勢の見直しに関する項目を挙げた企業が多かった。

回答企業のうちBCPを策定済みの割合は大企業(資本金10億円以上など)では7割を超えたが、中小企業は1割にとどまった。内閣府は「事業継続のための優先事項の洗い出しなど、BCPの策定に力を入れてほしい」としている。

白書ではアンケートとは別に、製造業や流通業など10社にヒアリング調査をした結果も紹介。事業所の建物を設計段階から耐震強化したことで被害を抑えられたり、通行可能な道路の情報を社内で共有したりといった減災や災害対応に役立つ事例が多く寄せられた。

BCPは、Business Continuity Planningの略で、事業継続計画となる。災害が発生しても事業を中断しないために、また中断したとしても、いかに早く本来の事業を再開できるかについて計画を立てておくこととなる。中小企業では、まだまだBCPの策定は十分ではないようだ。

では、企業ではなく、個人や家庭ではどうだろうか。
個人や家庭では、LCP(Life Continuity Planning)、すなわち「生活継続計画」が重要となるのではないだろうか。災害対応グッズや水などを備蓄しておくということも大事だと言われている。こちらをハード対策とすれば、ソフト対策として、いかに早く通常の生活を取り戻すかを事前に考えて情報を集めておくことも重要ではないだろうか。たとえば、補助金や保険金の申請はどうすればいいとか、役所への被害届や避難所はどこに設定されているか、などなど。

もちろん、住宅の耐震性を確保することも大事だが、万が一のときに備えて、LCPの策定を事前に行うというのはいかがだろうか。

消えゆく「Whom」

WSJ誌に『消えゆく「Whom」、文法上の誤りとの戦い』という記事があった。
ツイッターのユーザーが自分のホームページを開くと、画面の上部にボックスが表示される。その中には、グレーの文字でこう書かれている。「Who to follow(フォローすべき人)」と。

この「Who」の使い方は文法的に正しいのか? 
もちろん、間違っている。

多数のツイッターユーザーが、青いチェックマークの入った認証済みアカウントを持つ人たちを含め、文法上のこの誤りに不満を表明している。ツイッターの広報担当者ブリエル・ビラブランカ氏によると、社内で検討した結果、これらの「Whom派」は健闘したものの、より自然なリズムが選ばれ、「Who派」が勝利したという。
(略)
どんな場合に「whom」を使うのが適切なのか。前置詞ないし動詞の目的語になるときだ。その一例がアーネスト・ヘミングウェイの小説のタイトル「For Whom the Bell Tolls(誰がために鐘は鳴る)」というわけだ。その語が文あるいは節の主語の役割を担うときは「who」を選ぶ。

言語に関する本を何冊か執筆しているデラウェア大学のベン・ヤゴダ教授(英語学・ジャーナリズム)は、こういった問題を気にかけている。だが、使うべきところで100%、必ずwhomを使うべきだとまでは主張していない。冒頭のツイッターの言い回しについては、「『whom to follow』にするとあまりにも堅苦しくなって具合が悪い。ソーシャルメディアは感嘆符やなにやであふれているからだ」と話す。

考えてみよう。英国のバンドの名前が「The Who」ではなく、「The Whom」だったら、その音楽を聴きたいと思うだろうか。同じように、映画「ゴーストバスターズ」の有名な主題曲の歌詞「Who ya gonna call?」が「Whom ya gonna call?」だったら、そして、ボ・ディドリーの有名な曲「Who Do You Love」が「Whom Do You Love」だったら、果たしてヒットしていただろうか。
(以下省略)

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手持ちの辞書(LONGMAN, OXFORD)で調べてみると、whomは公式なスピーチや文書では使用されるが、普通の会話や英文ではwhomよりもwhoの方を使うとある。そして、whomが使われるのは、one of whom, none of whom, some of whom などの場合だとも。

英語も時代とともに使い方が変わっていくのだろう。同様に日本語も変化しているし、それに関して寛容な人たちもいれば、そうでない人たちもいる。まっ、こうして言語は変わっていくのだろうし、ダメだと言っても止めることは難しそうだ。

言語だけでなく、価値観も変わっていっている。技術の進歩がそれに拍車をかけているようにも思う。しかし、後戻りはできない。できるだけいい方向に向かうように、人それぞれが考えて行動していくしかないのだろう。

災害時の検索データ、どう生かす?

朝日新聞(6/1付け)に『災害時の検索データ、どう生かす? 情報格差が課題』という記事があった。
熊本地震に関する検索データを分析し、支援や将来の防災にいかす道を探る――。
ボランティアや学者など被災地で活動する専門家が集い、そんなテーマで意見を交わした。被災者から直接聞いた声と、検索というビッグデータを突き合わせた結果、新たなニーズが浮かび上がる一方で、現場で強いニーズがあるのにデータには表れない事例も発見。「検索できる環境にない」「調べるべき言葉を知らない」といった情報格差の問題に対応する必要性も浮かんだ。

「熊本地震×検索データ 支援・防災にいかすには?」と題し、5月28日に熊本大工学部で議論をした。参加したのは、被災地の仮設住宅で住民の聞き取り調査などを続ける熊大の研究者、被災者の法律相談をデータ分析して活用する弁護士、大規模な避難所を運営した地元のYMCA、全国21の災害支援団体でつくる「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)」、朝日新聞記者らの5チーム。

事前にそれぞれの問題意識に基づいて検索大手ヤフーのデータを分析。熊大の研究者は「支援」という語句とともに「住宅金融支援機構」や「日本学生支援機構」が多く検索されていたとし、「住宅ローンがある子育て世代や大学生など若い世代が支援の情報を探していた」と被災者のニーズを推測した。

一方で、「益城町」とともに検索された語句の中に「災害公営住宅」が少なかったことに注目。同町での聞き取り調査では多くの被災者が「災害公営住宅」に関心を示していたとし、「ネットで検索をしない高齢者や、仮設住宅などでネット環境をなくした被災者のニーズが表れていないのでは」と指摘した。

YMCAも「地震後に熊本では精神科受診者が増えたのに、データに表れていない。データに出にくい分野もあるのでは」とし、JVOADは「地域の困りごとに関する情報はSNSに流通しているのかもしれない」との見方を示した。

検索データでは浮かび上がらない被災者のニーズや課題に、どう対応すべきか。弁護士のチームは、検索はあらかじめ言葉を知っているからできるとした上で、「データに表れない言葉は『知らない』のではないか。被災者にとって欠かせない支援制度を平常時から学ぶ『知識の備え』が重要だ」と提案した。熊大の研究者は「検索データに表れていない語句に着目することも重要で、情報が本来必要としている被災者に届いていないシグナルにもなる」と語った。
(略)
計量政治学が専門の政治学者でもある熊本県の蒲島郁夫知事は会場で議論を聞き、「ヤフーの検索データのようなマクロのデータ分析と、ボランティアやメディアが現場で集めるミクロの分析が共存してこそ、よりよい災害対応ができる。経験をすべて動員して次の災害に備えることが大事だ」と評した。

熊本県の蒲島郁夫知事は、政治学者サミュエル・ハンティントン氏が提唱した「ギャップ仮説」を用いながら、行政の災害対応における検索データの可能性について話したという(詳しくはこちら)。
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「人は期待を抱いていて、その期待に対して対応がないと失望、不満がたまっていく。最初の期待は『人命救助』、次は『水と食料』というように期待は日々変わる。行政としては変わっていく期待にいかに早く応えていくかが、難しい。行政は、これまでの経験をベースに期待値の変化を予想していたが、データを分析することでより早くその期待値のスピードを測ることができる」。

これからは、ネット上の書き込みやSNSなどを活用することで、被災者の支援をより確実に実施できるかもしれない。ただ、ネットを使えない高齢者、さらに、知らない言葉は検索できないわけだから、こうした方々への対応をどうするかも重要な課題だ。記事でも指摘されているように、ネットの情報とボランティアなどが聞き取った情報をいかに組み合わせて被災者支援に結びつけていくかが問われているのだろう。

ビールの注ぎ方

日経新聞(6/13付けの夕刊紙)のプロムナード欄に、NHK交響楽団首席オーボエ奏者である茂木大輔氏が『ビールの注ぎ方』と題して書いている。
ビールが大好きで、ほとんど毎晩飲む。ことに本番のあとのビールはあまりにも美味しい。ただ、日本では、同席した人のビールを注ぐのが礼儀となっており、これが困る。というのが、自分には正しい泡を作っておいしいビールを飲もうという目標があるからで、そのイメージ通りに注いでくれる他人というのはまずほとんどいない。この注ぎ方というのはドイツ(ミュンヘン)に留学した時に先生(音楽の!)や同級生などから教わったもので、要約するならば、できる限り多くの泡を立ててから飲むことに尽きる。

ビールの中には保存を目的として二酸化炭素が多く含まれているとのことで、これをできるだけ泡として放出してから飲むと、酸味や刺激が取れてまろやかな、麦の味のする美味しいビールになるのである。この、泡の立て加減というのは自分でコントロールするのが一番で、ドイツでは他人のグラスにサービスのつもりでビールを注いだりすると非常に驚かれたりする。これから留学する人などは気をつけましょう。

では、具体的にはどのようにするのかと言うと、まず瓶を高い位置に保持して、静かに、細く、まっすぐな糸のように、グラスの底とビールの表面をめがけてビールを落とす。するとビールは叩かれて、とても沢山の泡を出す。そのため、1回で注ごうとするとグラスはすぐ泡で溢れてしまう。この加減を見限り、一回目に作った泡がギリギリまで上昇したら注ぐのを止め、白く静まるまで1分くらい待つ。その後、この泡の層の下の水面を叩くように、いよいよ細く、高くからビールを落とす。高さ+細さが勝負なのである。このプロセスを3回繰り返すと、1、2回目に作った泡はこまやかなクリーム状ビールになって下の泡から押し上げられて、理想的な甘みと舌触りを持つ美味しい泡層になり、簡単には消えなくなる。試してみて下さい。

このプロセスを行う為には寿司屋で出るみたいな小さなグラスではダメで、一定の高さと表面積のあるタンブラー的容器がふさわしい。お店では小さいのが出て来ると、いつも「小ジョッキくらいのを下さい」とお願いして最初に取り換えてもらってしまう。

ドイツでは、このプロセスに真剣に取り組むと7分半かかると言われている。

ドイツの音楽家たちは本番の後など勢い良く飲みたいときでも、生ビール(「樽出しビール」と呼ぶ)を頼んで、7分半より早く持って来る店は信用しないという。時間を計っていなくても、泡を見ればすぐにちゃんと注いだかどうか解ってしまう。

ドイツのジョークに、飛び込み台から飛び込んで空中にいるうちに飲み物の名をとなえるとプールの水がその飲み物になる、という魔法のプールが出てくる。アメリカ人はバーボン、フランス人はワイン、ロシア人はコニャックなどそれぞれ唱えてそのプールで泳いだ。ドイツ人の番になり、飛び込みながら「ビール!」と叫ぶとプールの水がなくなってドイツ人は底に激突した。魔法使いの主人が出て来て、「すいません、正しくビールを注ぐには7分半かかるんです!」

本番後の7分半の忍耐は、ドイツ生活で持ち帰った数少ない生活習慣の一つなのであります。

この記事のような注ぎ方をするとなぜおいしくなるのかを研究した例はほとんどなかったそうだが、2012年にチェコのブドバー社が「3回に分けてビールを注ぐと炭酸ガスが低減し、苦味の質が良好になり、香味が変化する」との研究結果を発表したという。ただ、これは人の感覚を用いた官能評価の結果だった。

そこで、キリンでは、化学的に成分を分析したという。「三度注ぎ」には、ホップが華やかに香り立ち、まろやかなうま味を引き出す効果がある、ことがわかったという。詳細は、こちらで、家庭でもできる「三度注ぎ」のやり方も紹介されている。
ビール三度注ぎ

これからますますビールが美味しくなる季節となる。
さて、時間をかけてビールを注ぐことに耐えられるだろうか・・・

プログラミングで子ども変わった

日経新聞(6/5付け)に『プログラミングがやってくる「子ども変わった」驚く親』という記事があった。
2020年度からの小学校の授業への導入を聞き、「プログラミングって何をやるの?」と不安を感じる親は多い。だが先行する実験授業や民間の教室に参加して「子どもが変わった」と驚く親も出始めている。

CAテックキッズの「テックキッズスクール」渋谷校。小学生がそれぞれの課題に自主的に取り組む
「開発タイムだよ」。東京・渋谷で小学生約80人を集めたプログラミング教室、テックキッズスクール。小学生がパソコンの画面上で、色とりどり、形の違うジグソーパズルのようなピースを組み合わせ始めた。

ピースには「もし…なら」「…歩動かす」「…キーが押された」などと短い言葉が書いてある。ピースの形の合う部分をぱちっとはめ込むと、文章が出来上がった。「もしスペースキーが押されたなら8歩動かす」。これがプログラム。スペースキーを押すと、画面上の猫のキャラクターが8歩動いた。「歩いたよ」。歓声が上がる。

同教室は小学校での授業開始に先立ちIT(情報技術)企業、サイバーエージェントの子会社が継続して開く。小3の息子を通わせる米盛勧さんは「水泳やピアノのように、楽しみながら学べる」と話す。息子は得意げに作ったプログラム作品を見せ、最近はインターネットや洋書で新知識を調べている。(以下省略)

プログラミング教育の必修化に備え、保護者は何をすればいいのだろうか。15年前からプログラミング教育に取り組むNPO法人CANVASの石戸奈々子理事長は「授業でも使うことになるスクラッチビスケットといった代表的なプログラミング言語のサイトや、無料で学べるサイトを検索して見てみよう。簡単に体験できるゲームなどを用意してあるから、親子で試してみるといい」と話す。

プログラミング教育の論理的考え方は「日常生活の中でも鍛える方法がある」。例えば料理の手伝い。親子でジャガイモをゆでるのに、手順を書きだしてみよう。
(1)ジャガイモを鍋に入れる
(2)水をイモが浸るくらい入れる
(3)沸騰したら中火〜弱火にして10〜15分煮る
(4)イモの真ん中に、竹串をさし、串がスッと入る状態になればOK
(5)少し固いようなら、さらに煮る――。
料理とプログラム

子どもは料理手順という要素を意識し、これを正しく積み重ねるとおいしい料理にたどり着くことで「論理的思考を育める」という。

プログラミングというと、フォートラン言語やC言語などをイメージしがちだが、プログラミング言語を学ぶということではなく、論理的な思考力を高めると思った方がいいかもしれない。プログラミング教育で使うルールは、ブロックを入れ替えることでプログラミングができるようになっており、言語は理解できなくても、いろいろなことをコンピュータに指示できるようになっている。

こうした教育によって論理的思考力が高まることを期待したい。でも、プログラミングで何かを実現したい、創造したいという目的などがないと、単にソフトの操作方法を憶えるだけにならないか。小学校の先生たちも大変そうだ。

本学でもプログラミングの授業(フォートラン)はあるが、言語の習得というよりは、論理的な思考力を高めることを目的にした方がいいかもしれない。

唐津・虹の松原

週刊東洋経済誌(4/8号)に作家の童門冬二氏が『唐津・虹の松原は二里の松原』と題して書いている。
お薦めの土地はどこですか、とよく聞かれる。旅が多いからだ。ためらうことなく「唐津」(佐賀県)と答える。傷のない自然と人工の街との融合による景勝、そしておいしい魚介。文句の言いようがない。唐津城を核とした街づくりは、江戸時代の城下町の原型をよく保っている。イカ・カニ・カレイ・ウニなど新鮮な魚介のうまさは、いつ行っても変わらない。

唐津城の築城者は寺沢広高だ。豊臣秀吉に仕え長崎奉行などを務めた。関ヶ原の合戦後、徳川家康に重用され、上松浦地方と飛び地天草4万石を加増され、12万3000石の大名になった。唐津湾に突き出た岬の満頭山に城を築いた。
唐津城

発想が面白い。城を鶴に見立てた。満頭山に建造した本丸・二の丸・三の丸を鶴の頭部と胴体に、東西に広がる浜の白砂を鶴が広げた羽とした。

城の完成後、陳情が来た。玄界灘から吹きつける強風が浜の砂を巻き立て、農作物を皆ダメにしてしまうという。広高はすぐに家臣・領民を動員し、「浜に松を植えよ。一重では風は防げぬ。何重にも植えよ」と指示した。植えられたのはほとんどが黒松だ。幅600〜700メートル、長さ6キロメートルに及ぶ巨大な松原が出現した。領民たちは”二里の松原”と呼んだ。

やがてその美しさが有名になり”虹の松原”と呼ばれるようになった。長年の風雪に松の木は幹や枝が身をよじって耐えてきた。最近まではその樹間に櫨(はぜ)の若木が地をはい、秋には格別の紅葉ぶりを見せたが、今は目にしない。
虹の松原

城は美しい。夜10時までライトアップされる。周囲に高い建物がないので、ひときは目立つ。城の東西に鏡山(かがみやま)という丘があって、ここから一望する松原や玄界灘の眺望は、言葉にならない。私の印象だが、ここは日本の古代がそのまま座り込んでいる、ような気がする。ただ残念なことに、かつて浜で拾えた桜貝が絶えた。駅前の商店街もシャッター通りになった。が、虹の松原はその運命にも身をよじって耐えている。

虹の松原がどうしてつくられたのか、についてはこの記事を読むまで知らなかった。それぞれの土地の歴史を知ることは大切だなと思う。昔は、虹の松原には海水浴に行っていた。唐津においしい魚介を食べに行くこともあった。

そういえば、最近、唐津には行ってないな〜。

ロンドンの高層建物の火災

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日経アーキテクチャにロンドンの「グレンフェル・タワー」(24階建て)の火災について、早稲田大学の長谷見雄二教授に聞いた話などが紹介されていた。1974年に竣工したグレンフェル・タワーは、2016年5月に大規模修繕を終えたばかりだという。未曽有の大規模火災となった原因は何だろうか。
イギリス人の防火コンサルタントに聞いたところ、「断熱のある外装(外断熱工法)の防火基準は、火災対策からみた場合にあいまいな点があり、それがグレンフェル・タワーのような既存建物の改修では悪い方に現れる傾向がある」との意見だった。

「あいまいな点」というのは、外装に火炎が侵入しないようにする処置の仕方だ。断熱材や空隙のある外装を建物躯体の外壁に施工する場合、火災で火炎が窓から出てくると、外装・躯体間に火炎が侵入して煙突のように火炎が広がり大問題になる。火炎が侵入しないようにする必要があるが、その処置が明確ではない。

検証を待つ必要があり、あくまで想像だが、外装や断熱材そのものは認定を受けていたとしても、それら部材が接する外壁躯体や窓枠は多様だろう。隙間ができないようにしたり、火災で加熱されたときの変形が生じないようにする方法が、どんな外壁や窓枠でもうまくいくようにするのは、容易ではないのではないか。

1980年代に外壁からの延焼が欧米で続いたことがあり、日本では当時の建設省が、外断熱は不燃断熱材(ロックウール、グラスウールなど)にするよう指導した。その指導は今は賞味期限切れだが、少なくとも大手建設会社は、今でも不燃断熱材にしているはずだ。

ただ、ここ数年の高層木造などを見ていると、欧州ではきちんとした実験的検証をせずに、計算づくで基準をつくってしまう傾向にある。学者や官僚の視野に入りにくい「施工の問題」や「複数部材の接合部などをどう扱うか」というような点を軽視し過ぎている感じがしている。

焼けた外壁部分の写真を見てみると外壁が焼けただれている。外装材の素材や取り付け方法などに問題があったのだろうか。
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今後、火災の原因が特定されることを期待したい。それにしても、もしこれが木造建築だったら、倒壊する危険性もあったのではないだろうか。長谷見教授も指摘しているように、計算だけでなく、実物による検証実験なども必要ではないだろうか。

免震構造の普及のために

これまでに、わが国を襲った大地震(たとえば阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震など)において、免震構造はいずれも良好な効果を発揮し、構造躯体の被害のみならず、室内の家具の転倒も起きず、病院などの機能も維持されている。わが国において免震建物の総数はすでに4,000棟を超えている。

免震建物には鉄筋コンクリート造が用いられることが多い。これは積層ゴムを使う場合、所定の支持荷重が確保できないと適切な免震周期を得にくいため、建物重量が重い鉄筋コンクリート造との組み合わせが多くなると思われる(もちろん建物の用途にもよるだろうが)。ただし、最近では鉄骨構造の事務所建築などへも適用される例が増えているという。

2016年4月にニュージーランドの地震工学会議に参加する機会を得た。その会議終了後、クライストチャーチに足を伸ばした。2011年に地震が起きて以降、クライストチャーチでは多くの建物が取り壊され、新しい建物が次々と建てられている。この地震以前には免震病院が1棟あるだけだったが、4月に訪ねたときには確認できただけでも6棟の免震建物が建設されていた(レトロフィット含め)。その中で最も多かったのは数階建ての鉄骨構造の事務所建築だった。

下の写真がその一例である。
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1階の柱は鉄筋コンクリート造であるが、その柱の上にアイソレータ(球面すべり支承)が設置されている。上部構造は鉄骨構造である。こうした事例が他にも見られ、球面すべり支承+鉄骨構造の組み合わせがよく利用されているようだ。球面すべり支承は、球面の曲率によって固有周期が決まるため、建物重量に依存しない。また摩擦によって地震エネルギーを吸収するためにダンパー機能も併せ持っている。球面すべり支承はコンパクトであり、柱頭免震にすることで免震層も有効に活用できるだろうし、基礎部分にクリアランスも不要となる。

どのような免震システムを使うかは、建物の規模、用途や機能、フロアレスポンス、免震層の応答変形、もちろんコスト、そして設計者の好み(?)などを勘案して決められる。こうしたことが設計の醍醐味であると思われるが、標準設計のようなものを用意しておいて、これにならって設計することができるようなものがあれば、もっと免震が増えることにつながらないだろうか。

低層建築物や高層建築物などを対象として、設計事例を多く紹介することができれば、免震設計に二の足を踏んでいた設計者も興味を示すのではないだろうか。わが国でも通常の耐震設計において、「免震」を用いることがより高い耐震性を目指す一つの有力な選択肢となる機会が増えることを期待したい。

シドニーオペラハウスの光と影

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『シドニーオペラハウスの光と影』(三上祐三著)を読んだ。

著者の三上氏は、1958年から1967年までの間、ヨーン・ウツソンとオヴ・アラップのアシスタントとしてデンマークと英国でオペラハウスの設計に携わっていて、本書はそうした三上氏の経験に基づいて書かれている。

オペラハウスの設計では、あの特徴的な屋根の構造と、そのタイルの仕上げの設計と工事が、当初から非常に困難な問題であった。その難問がさまざまな経緯を経て、最後にウツソンの天才による球面ジオメトリーの発見によって解決の糸口が開かれ、アラップの協力によって実施設計が可能となっていく。

オヴ・アラップは、国際的な施工会社2社で長く技師長を勤めた経験から、「どうやって施工するか」が設計の決め手になるという信念を持っていたという。彼にとって、"how to build"に裏付けられていない設計というのは意味がなかった。

こうした経緯が、つぶさに紹介されており、巨大で優美な建築物ができあがる工程を身近に感じることができる。
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いまだったらコンピュータで解いてしまいそうな気もするが、それではここまで美しい建物にはならなかったように思う。建築家の強い信念、そして建築家と構造設計者の協働がいかに大切かを知ることもできる。

建築を学ぶ学生には、是非読んで欲しい。
この本を読んでから、オペラハウスを見に行くと、見方が変わるだろうな。

大学はどうあるべきか

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『大学ランキング2018』を購入した。
本書の大部分は、その名のとおり就職や入試、教育や研究環境などに関するランキングが紹介されている。受験生などには進路を考える参考になるかもしれない。ただ、ランキングで進路を決める受験生はいないと思うが。

本書には、12人の大学論が掲載されている。興味を引いたのは、作家で同志社大学客員教授の佐藤 優氏のものだ。
大学入試で受験生の学力は正確に判断できる。短い期間で多くの知識を覚えさせ説明させる促成栽培型は、エリートには必要条件であり、軽視してはいけない。もちろん、十分条件ではない。もっと学ばなければならない教養はたくさんある。ただ、入試によってこうした資質があるか見きわめられる点では、大きな意味がある。

諸外国にくらべて、日本の大学入試の特徴は、やり直しが利くことだ。高校2年時は成績不振であっても、3年、あるいは浪人のときに猛勉強すれば挽回できる。いずれにせよ受験に奇跡はない。その時点での学力が正確に反映される。将来のことを考えると、受験勉強には大きな意味があり、偏差値競争を否定してはいけない。
(略)
大学は学生の学力の欠損状況を知り、カバーしなければならない。学力の欠損部分を補う教育を通常のカリキュラムで行うのはむずかしい。検定試験を活用することをすすめたい。数学は数検(実用数学技能検定)が内容は優れており、トリッキーな問題は少ない。3級(中3レベル)から受け、準1級(高校修了レベル)まで到達できるようにする。
(略)
英語は英検の2級までとらせる。
やればできる。その意味で、勉強は量が重要である。学校の授業以外に平日は3時間、土日は5時間、1週間で25時間、1ヵ月約100時間。夏休みと春休みの300時間を加えて、年間1500時間は使える。これだけの時間を正しい順序で勉強すれば、学力は確実につく。

佐藤氏は、学力の欠損を補うためにチューター(教員?)が教えたり、ティーチング・アシスタント(学生)が徹底的に面倒をみる、ことで劇的に変化したと述べている。そこまで面倒をみることができれば、確かにそうだろう。問題は、そうした体制を大学としてつくれるかどうか・・・

「やればできる」
まずは大学と教員の意識改革、そして危機意識が共有されないといけないだろう。

中間階免震が増加

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写真は、福岡市の人工島(アイランドシティ)に建っている高層免震マンション。右側は42階建てで、3棟が途中階で連結されている。左側は平面形状が3角形(隅切りさてているので6角形?)の45階建て。いまこの建物とほぼ同様の規模の高層マンションが免震で施工されている。これらは、いずれも基礎免震だが、建設通信新聞(6/8付け)に『中間階免震が増加』という記事があった。
日本免震構造協会が会員105社の協力を得て集計した免震建築物の計画棟数は、2015年末までに累計4,139棟となり、4,000台を突破した。2011年3月の東日本大震災を受け、12年から14年までの3年間で990棟と大きな伸びを示したが、15年は170棟にとどまり一段落した格好だ。年間の計画棟数は、大きな地震後に増加する傾向にあり、16年4月の熊本地震がどう影響するか、次回の集計が注目される。

累計の計画棟数を官民別で見ると、官庁が804棟に対し、民間が3,335棟と圧倒的に多い。用途別では集合住宅が39%と最も多く、事務所が15%、病院・診療所が13%、庁舎5%と続く。これを最近5年間(11−15年)で見ると集合住宅が29%と10ポイント下がり、病院・診療所が18%、事務所17%、庁舎9%とウェートが高まっている

近年の特徴としては、大規模建築へ適用事例が増えているほか、中間階免震も増加傾向にあるとしている。一方で「国内には実大規模で実証する動的加力装置がない」ことがネックとなっており、同協会では、東京工業大学が中心となって日本学術会議に提案している世界最大容量の3方向動的加力装置および実験施設の早期具現化に期待を寄せている。

このほか、免震レトロフィットの15年末までの累計計画棟数は162棟で、ほぼ半数の74棟が「居ながら」改修となっている。制振建築物は同じく累計で1304棟。用途は事務所が45%を占め、集合住宅が22%など。免震戸建住宅の累計は4714棟。ピークの05年、06年に年間552棟だった計画棟数が12年以降は急激に落ち込み、15年は4棟と激減した。協会では供給サイドの要因とみている。

免震構造が増えることは望ましいことではある。しかし、もっと増えてもいいのではないだろうか。一方で、将来起きると予想される地震動はだんだんと大きくなってきている。免震構造の設計には適切な余裕を持たせるなどの配慮が必要となる。

免震構造をもっと普及させるためには、初期コスト重視の考え方を改めてもらう、免震設計者の裾野を広げるなどの対応をしていくことが必要だろう。日本免震構造協会で、免震設計の入門的な講習会を各地で開催するようなことをしてはどうだろうか。

オーナーや意匠設計者へ免震のことをもっと知ってもらうとともに、多くの構造設計者に免震の設計のことを理解してもらう、こうした取り組みも求められよう。

中2の約6割「勉強嫌い」

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日経新聞(6/7付け)に『中2の6割「勉強嫌い」』という記事があった。
小学1年〜高校3年の児童生徒に勉強の好き嫌いを尋ねたところ、「嫌い」の割合が中学1、2年で増え、中2で57.3%に上ったとの調査結果を、ベネッセ教育総合研究所と東大社会科学研究所が発表した。中学生活に適応できない「中1ギャップ」が知られているが、学習離れが起きやすい「中2問題」もあるとみている。

調査は2015年夏と16年夏に実施し、児童生徒と保護者の計約1万6千組が回答。小1〜小3は保護者が答えた。

16年に勉強が嫌いと答えた小1は21.2%で、その後20、30%台で推移。しかし小6の31.3%に対し、中1は45.5%と増え、中2、中3は50%を、高1、高2は60%を超えた。中1まで右肩上がりだった1日当たりの平均学習時間も、中2で下がっていた。

15年の回答との変化を見ると、好きだった勉強が嫌いに変わった児童生徒が、小6から中1で19.2%、中1から中2で17.4%おり、他の学年に比べて多かった。

逆に、嫌いから好きになった児童生徒も小3から小4で17.6%、中2から中3で14.2%、高2から高3で14.4%いた。好きになったと答えた中学生は勉強時間が増加。このうち「新しいことを知るのがうれしいから」が勉強の理由に当てはまると答えたのは72.0%で、嫌いなままの中学生の約2倍だった。

ベネッセ教育総合研究所は「学習への動機を持ち、一定の学習時間を確保することが『勉強好き』になる上で大切だ」としている。

中2から高2年まで、勉強が嫌いな生徒が5割から6割ほどいるということか。そうした生徒が大学生になるとなると、やはり大学でもなにがしかの対応策が必要になるかも。最近、小中高校とほとんど本を読んでこなかったという新入生もいる。受験勉強も大切だけど、読書習慣くらいは大学に入るまでにつけておいてほしい。

「勉強好き」でなくてもいいから、勉強嫌いではない生徒を育ててほしい・・・

機械に仕事は奪われる?

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ちょっと前の日経新聞(4/23付け)に『ロボットと仕事競えますか』という記事があった。
人工知能(AI)の登場でロボットの存在感が世界で増している。日本経済新聞と英フィナンシャル・タイムズ(FT)が実施した共同の調査研究では、人が携わる約2千種類の仕事(業務)のうち3割はロボットへの置き換えが可能なことが分かった。焦点を日本に絞ると主要国で最大となる5割強の業務を自動化できることも明らかになった。人とロボットが仕事を競い合う時代はすでに始まっている。
(以下省略)

今の仕事は、だんだんとロボットに置き換えらていくのだろうか。日本では、今後50年間で生産年齢が4割減る見込みだ。ロボットに任せられるところは任せて生産性を高めることも必要となる。

一方、NHKのスーパープレゼンテーションという番組で、『機械に仕事は奪われる? Will automation take away all our jobs?』というのがあった。プレゼンターは、マサチューセッツ工科大学のデビッド・オーター教授。
機械がますます人間に代わって 仕事をしている中で、なぜ人間の労働が余計になったり、人間のスキルが廃れたりしないのか?

その理由の一つは、人間の才覚や創造性によるもので、もう1つは人間の飽くことを知らないどん欲さにある。

人間の問題解決力や顧客との関係が 重要性を増している。同じことが建物の建設や患者の診察や手当 、教室一杯の高校生への授業などにも当てはまる。道具が進歩し テクノロジーが梃子として働くことで人間の専門技術や判断力や創造性がより重要になる。

現在人々の働く産業の多く医療や健康、金融や保険、電子やITといったものは100年前には存在しなかったか、ごく小さなものだった。私たちが多くのお金を使っている製品、エアコン、SUV、コンピューター、携帯機器といったものは100年前にはとんでもなく高価か、あるいは発明されていなかった。自動化により使える時間が増え、可能なことの範囲が広がり、新しい製品・アイデア・ サービスが生み出され、それが私たちの関心を引き、時間を占有し、消費を促すようになっている。

何百年先に人々が、どんな仕事をしているか、誰にもわからない。100年前には、存在していなかった産業や職業で多くの人たちが働いているのだから。

いまの仕事は、そのうちロボットに置き換えられたり、消えたりするかもしれないが、新しい産業や仕事がつくりだされていく(だろう)。そうした時代に対応するには、やはり教育が重要となるのは間違いない。

創造性豊かな人々を育てることがますます求めらよう。。。

科学的に安全ですから?

日経産業新聞(6/7付け)に、原発に関して『科学的に安全ですから』という記事があった。
「科学的に安全だと言っても安心できないなら、もうどうしたらよいのか」−−。

今月2日、福島第一原子力発電所で出る汚染水を浄化したあとに残る「トリチウム水」の処理方法について、風評被害などの観点から議論する経済産業省の有識者会議でこんな言葉が漏れた。福島の事故から6年がたってもなお残る、原子力をめぐる科学や専門家への不信感はどこから来るのか。

一つの手がかりは科学の「不確かさ」だろう。原発の安全審査では、専門家と原子力規制委員会の間で見解が割れることがある。5月、専門家グループが東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の敷地に活断層がある可能性を指摘し、規制委に審査の見直しを求めた。規制委は「活断層ではない」との立場だ。同様の動きは他原発でもある。

田中竣一委員長は「福島の事故後、専門家と称する人がたくさん出てきた」と苦い表情で語る。一方で「(規制委の審査は)専門的でない。大事なところを見ていない」と批判する専門家もいる。

学問では10人いれば10の学説が出ることもある。最新の知見で判断していると頭で理解していても、活断層の有無でこうも異なる見解が飛び交えば「科学的知見」も絶対ではないと不安になる気持ちも分かる。

日本原子力文化財団による調査(「原子力利用に関する世論調査2016」)では、原子力の専門家を「信頼できる」「どちらかといえば信頼できる」と答えた人は2割に満たなかった。国や電力会社は1割以下だが、いずれにしろ少ない。
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冒頭のトリチウム水は、科学の信頼問題を端的に表すテーマだ。信頼が回復できないまま「科学的にはこうだ」と強引に結論を求めては、科学と国民との溝は深まる一方だろう。専門的な説明に加えて、国民の不信感をぬぐう地道な努力が不可欠だ。丁寧に対話を重ねるしかない。

世論調査で原子力の専門家を信頼できない理由として、以下が挙げられている。
  • 情報公開が不足しているから
  • 管理体制や安全対策が不足しているから
  • 正直に話していないから
さらに、どの主体(専門家、原子力事業者、国、自治体)においても信頼を得られていないということは、よぼど根深い問題だといえる。福島の原発事故が起きるまでは、原発は安全だと言ってきていた。その反動とも言えるのかもしれない。

しかし、活断層のことを、果たして「科学的」に語ることなどできるのだろうか。だって、未知の活断層はまだあるだろうし、活断層だとしても、そこで地震が起きるかどうかもわからない。ものすごーく「不確定」なものに対して、安心してと言われても・・・

日本原子力研究開発機構の施設で放射性物質が漏れ出し、作業員が被ばくした事故が起きた。危険な放射性物質を取り扱っているという認識がどこまであったのだろうか(作業員だけでなく、組織としても)。原発も所詮人間がメンテナンスをし、操作をしている。科学以前の問題も大きいのではないだろうか。

女性研究者 低い教授昇進率

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朝日新聞(5/11付け)に『女性研究者 低い教授昇進率』という記事があった。
日本では女性研究者はほかの条件が同じでも男性より教授に昇進できる確率が2〜5割低いことが文部科学省の科学技術・学術政策研究所の調査でわかった。調査を担当した藤原綾乃主任研究官は「女性研究者の過小評価と言えるのではないか。日本の大学はさらに女性の活躍を促す工夫が必要だ」と指摘している。

総務省によると、日本の女性研究者は昨年3月末時点で約13万8400人。研究者全体の15.3%を占めて過去最高だったが、ロシア(40.3%)、英国(37.4%)、イタリア(36.0%)、米国(34.3%)などと比べると低水準だ。

藤原さんは科学技術振興機構の研究者データベースから分析可能な1万1901人分をもとに、性別や業績などが教授昇進にどう影響するかを調べた。

その結果、女性は男性と比べ、ほかの条件が同じでも人文社会学で19.1%、理工系で49.6%、医学・生物学で29.0%、教授昇進の確率が低かった。性別以外では、執筆した書籍数だけでなく、論文の共著者が多い方が昇進率が高かった。

さらに教授になった男女3094人を分析すると、男女間で研究の質にかかわる論文の数や国の競争的資金の獲得数に差はなく、むしろ書籍の数は女性の方が多かった。一方、大学や学会での受賞数や学会での発表回数、論文の共著者数は女性が少なかった。

理工系には、女性の研究者が少ないことも影響しているのかもしれないが、約5割も昇格の確率が低いのは驚きだ。米ワシントン大の鳥居啓子教授は、「日本の女性研究者が教授に昇進する確率の低さは衝撃的だ。日本の大学や団体の表彰は、私が知るなかでも男性ばかり授与したケースが複数ある。米国なら選考過程にバイアスがかかっていると疑われる」とも話している。

人口の約は女性で占められている。わが国では、職業選択にバイアスがかかっていると感じるところがある。飛行機の客室乗務員や看護師には、なぜか女性がほとんどだ。なぜだろうか。海外の航空会社では、男性の客室乗務員も多くみかける。日本社会に、あれは女性の仕事だ、という「空気」があるのだろうか。

そうした「空気」を薄くしていかないと、なかなか女性研究者は増えないのかもしれない。工学部では、「リケジョ」などとして女子学生に目を向けてもらうよう努めているが、工学部というだけで、敬遠される場合もある。かといって、入試で女性枠なるものをつくろうとすると、今度は不公平だといわれる。

女性の社会進出を支援するための大胆な政策、働き方改革、そして子育て支援などが必要ではないだろうか。

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講義中・・・
著書など
『耐震・制震・免震が一番わかる』
共著ですが、このような本を技術評論社から出しました。数式などを使わずに耐震構造、制震構造、免震構造のことを、できるだけわかりやすく解説しています。
『免震構造−部材の基本から設計・施工まで−』
免震構造協会の委員会活動の成果として、このような本をオーム社から出しました。免震構造の基本をしっかり学べるような内容となっています。
『4秒免震への道−免震構造設計マニュアル−』
いまでは少し内容が古いかもしれませんが、免震構造の基本的な考えを述べています。初版は1997年に理工図書から出ていて、2007年に改訂版を出しました。
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