外国人材が来ない!

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週刊東洋経済誌(12/2号)の特集は『外国人材が来ない!』

日本では労働力不足が叫ばれており、農業や漁業、建設業、製造業などで多くの技能実習生が、3K業務を担っている。しかし実習生は「労働力」として位置づけられていない。技能実習制度の趣旨は、アジア新興国の若者に3年間、日本の技術や知識を学んでもらうこと。国際貢献が目的であり、労働力(人材)の確保ではない、とされている。

しかし、こうした技能実習制度は、建前と本音が乖離しており、その乖離を小さくする制度改正が行われることになっている。外国人労働者の人権を守りながら、産業の現場をどう支えていくかを考えないといけない。それがうまくいかないと、日本に外国人労働者が来なくなる。

記事の中では、東南アジアと日本の経済力の比較がされていた。「東南アジアには産業がなく生活水準は低い」「日本に出稼ぎに行きたい人はまだたくさんいる」という考えは捨てた方がよさそうだ。

タイ国内に193店舗展開しているやよい軒の「味噌かつ煮定食」は916円、同48店舗の大戸屋の「鶏と野菜の黒酢あん定食」は1298円、同51店舗のCoCo壱番屋の「フライドチキンカレー」は855円、同158店舗のスシローの「天然インド鮪6貫盛り」は1465円となっており、いずれも日本と同価格もしくは割高となっている。また、日本のマクドナルドのビッグマック価格は、中国、タイ、ベトナムを下回っている、という。

インド、タイにおける管理職への昇進年齢は日本のそれと比べて課長で約8歳、部長で約11歳も若い。経済産業省の「未来人材ビジョン」(22年5月)で公表された給与の比較を見てみても、日本企業の部長の平均年収(1700万円)は米国やシンガポール(3000万円)の半分近くで、タイ企業(約2000万円)よりも低い。

記事では、外国人労働者の賃金アップや外国人労働者の子ども達の教育の充実などが欠かせないとあるが、まずは日本人の給与をあげていく必要があるのでは・・・










ヤバい会社烈伝 スリーエム

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UnsplashEveryday basicsが撮影した写真

週刊東洋経済誌(12/2号)の「ヤバい会社烈伝」でジャーナリストの金田信一郎氏が『スリーエム』を取り上げている。
この会社には「15%ルール」「ブートレッギング(密造酒造り)」という不文律がある。業務時間の15%を自由な研究や活動に使っていい。しかも、密造酒を造るように、こっそり隠れて。

「社畜」を生まない仕組みとでもいおうか。デジー(取材時のCEOだったデジモニ氏のこと)があえてこの話をしたのには、意図がある。トップになる者ですら、判断を間違える。だから上司に従わず、自分を信じて開発せよ、と。

同社が生み出したセロハンテープやポスト・イットは、社員が思いついて、勝手に開発した。そうしたイノベーションを起こすためにも、社員を交流させて刺激し合う。失敗を許容する文化もトップ自ら繰り返し伝える。「1人の天才より100人の凡人」と言い切るこの会社こそ、大企業の強みを生かし切っている。

取材期間中、毎晩、食事会やパーティが開かれ、さまざまな部門の社員が参加してきた。彼らは世界200ヵ国に進出し、年数%の着実な成長(Organic Growth)を目指す。そして、100年を超えて配当を続ける。NYダウ工業株30種に50年近く入っていることが、アメリカを代表し続けている企業の証左である。
※オーガニックグロース(Organic growth)とは、自社内に蓄積された商品やサービス、人材、技術など、既存事業の内部資源をいかして収益を拡大させる戦略

今も「勝手な開発」は続く。数年前、セントポールの本社に行くと、中国の子供のためにPM2.5を通さないマスクを開発していた。「子供は体が小さいから、より精度を高める必要がある」。そんな思いで、45人の研究者が勝手に集まって開発していた。

日本では副業ができる環境を整えている企業もあるようだ。15%ルールというのは、副業と似ているのだろうか。8時間勤務だとすれば、15%は1.2時間に相当する。密造酒を造るようにこっそりやれるということは、失敗することを恐れずに挑戦できることにもつながりそうだ。

スリーエムの製品は多岐にわたっている。記事では製品数は5万とある。上の写真にあるようにフロッピーディスクもスリーエムの製品があった(若い人は知らないだろうけど)。こうした取り組みはスリーエムのような大企業だからできるのだろうか。100年以上続いている会社だから、失敗を重ねながら改善してきたのだろう。

日本の経済を成長させるためにも、変革が必要ではないだろうか・・・








何を人生の核心に据えるか

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日経新聞(11/25付け)に批評家の若松英輔氏が『良知とは〜王陽明の教え』と題して寄稿していた。
ある本を読んでいたら「忘る」と書いて「おこたる」と読ませているのに出会い、しばし動けなくなった。
(略)
何かを忘れると人は言い訳をする。忙しかったであるとか、体調がすぐれなかったなど理由はいくつでも挙げられる。だが、そうしているうちは「忘(おこた)る」ということの真の意味は分からない。忘れてはならないことを忘れたのは、言い訳できない自分の怠りであることをはっきりと感じる。そうしたとき初めて、意味の門が私たちの内なる世界で音を立てて開く。

「忘る」という文字に出会ったのは陽明学の祖である王陽明の言葉を集めた『伝習録』(溝口雄三訳)においてだった。そこに引用された『孟子』の一節にそれはあった。「忘(おこた)るな、助(せ)くな」、物事を行うには、怠惰と焦りが禁物だというのである。

この孟子の一節から「助長」という言葉が生まれた。ただ、孟子がいう「助長」は、単に何かを補助し促進することではない。よかれと思って早く行わせることが、かえって育成をさまたげることをいう。
(略)
「忘(おこた)る」という一語が問うのは、生きる意志とは何かということかもしれない。何を人生の核心に据えるか、それによって人生はずいぶんと姿を変える。別なところで王陽明は次のような一節を残している。

〈心の良知これを聖と謂(い)ふ。聖人の学、惟(た)だこれこの良知を致すのみ。〉(『王陽明全集 第二巻』)

人は誰も「良知」と呼ぶべきものをわが身に宿している。良知を目覚めさせることに人生の目的がある。そして良知は聖なるものですらある。学ぶとは内なる聖性を自覚することにほかならない、と王陽明はいう。

陽明学というと「知行合一」という言葉が想い浮ぶかもしれない。知性は実践を伴うときはじめて生きたものになる。確かに王陽明は語ることに終わらない、生きた叡知(えいち)を重んじた。だが、陽明学でもっとも重要なのは、知性の優劣の彼方(かなた)に「学ぶ」ことの意味と可能性を説いたところにある。能力において人間を見るとき、私たちは優劣の世界にいる。しかし「良知」を軸にするとき、比較を超えた「等しさ」の地平に導かれるのである。

誰しも忘れることはある。忘れてならないことを忘れたのは、自分の怠り、か。人は誰しも「良知」を宿しており、その良知を知るためにも学び続けることが必要ということだろうか。さらに良知は優劣を超えたところにあるという。

以前は、人を優劣で評価することがあった。しかし、それはその人の個性ではないかと考え直すことにした。私も含め個性は人それぞれである。約束を守らないとか、言ったことをやらないということも、その人の個性と捉えると、気持ちに余裕が生まれる。

私の人生の核心はなんだろう。これまで40年近く、同じ大学で研究や教育を行ってきているが、よくわからない・・・








コペルニクス的転回

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https://www.hamajima.co.jp/rika-binran/scientist/Copernicus_Nicolaus.html

日経新聞(11/24付け)に「生100年の羅針盤」という特集があり、そのなかでコペルニクスの晩年が紹介されていた。
ワーミア司教区行政官 ニコラウス・コペルニクス

「コペルニクス的転回」。
ものの考え方がガラッと正反対に変わる例えとして使われる言葉の主だから、この人は過激な科学者だったのだろうか。そう思って調べてみると、案に相違して、16世紀に驚天動地の地動説を発見しながら、なぜか自分の名前での公表をためらい続けた迷える役人だった。
(略)
コペルニクスは天動説の矛盾点について考えに考え抜き、62歳の時点で「コメンタリオルス」を発展させた大著「天球回転論」を脱稿している。数学的証明や自然哲学的考察などを加えたものだ。だが、公表しようとはしなかった。

4年後、若手の数学者、レティクスが訪ねてきて、出版を勧める。だが、コペルニクスは応じない。世間の反応を見るため、レティクスが「天球回転論」を読んだうえで、要約を「第一解説」として出版した。評判は上々で、コペルニクスが恐れていた事態には至らなかった。

そんな経緯の後、ようやく出版に踏み切った。ところが、自著「天球回転論」全6巻がコペルニクスの枕元に届いた日に、彼は息を引き取っていたのだった。享年70。
(略)
コペルニクスの地動説は、その後、ケプラーやガリレオら後世の科学者によって補強され、天動説を退ける「コペルニクス的転回」を遂げたのである。

2023年はコペルニクスの生誕550年となる。コペルニクスは行政官として手腕を振るっただけでなく、天文学や数学、さらには貨幣論と実に多才な人物だった、という。他にもニュートンやガリレオなども多彩な能力を発揮している。大学では専門を深く追求する研究者が多く、なかなか昔のようにはいかない・・・

しかし、コペルニクスが「天球回転論」をなかなか公表しなかったということは知らなかった。その理由については、大学まで行かせてもらった叔父への負い目があったり、哲学者や神学者からの攻撃への恐れ、そして持論への自信のなさがあると書かれている。

近年ではさまざまな分野ごとに学会があり、そこで論文を刊行している。論文の掲載では「査読」が行われ、論文誌へ掲載できる内容かどうかが問われる。査読を行うことで、論文誌のクオリティを保っているともいえる。しかし、一方で査読によって論文の公開が遅れたり、最悪の場合には掲載されないということもあるだろう。

研究成果はできるだけ早く公開され、みんなで議論できる場とする方が有益だと思うのだが・・・









樹木が地球を守っている

樹木が地球を守っている

ペーター・ヴォールレーベン著『樹木が地球を守っている』(早川書房)を読んだ。
「木材は環境にやさしい」「木を伐採しても、植林をすれば森は再生する」「人工林でも森の生態系は維持できる」は果たして本当なのか・・・

本書は3部構成となっており、第1部は「樹木の知恵」と題して樹木の生活や森の複雑な仕組みが紹介されている。第2部の「林業の盲点」では我々が考えている林業の在り方、地球環境問題への対応などについて説明されている。第3部は「未来の森」として、一本の木の大切さなどについて述べられている。

本書では、針葉樹ばかり植えた人工林には多くの欠陥があるという。針葉樹は広葉樹と違い、秋にすべての葉を落とすわけではないため、水を地中に溜にくい。それだけでなく、人工林では林業機械が頻繁に使用されるため、その重みで土壌が圧迫され、土壌の貯水能力を下げている。土壌の貯水能力が下がれば、水が川に流れ出し、洪水などの被害が起こりやすくなる。

人工林では間伐や伐採が行われるため、内部に日が差し、異常繁殖した微生物や土壌動物が腐植土を侵食し、土壌から大量の炭素が大気中に放出される。そうした状態に陥った森は、森が本来もつべき能力、つまり雨を降らせたり、気温を下げたり、炭素を貯留したりする力をうまく発揮できなくなり。したがって、針葉樹を植林しては伐採するというプロセスを繰り返せば繰り返すほど、気候変動は加速する、と主張している。

地球温暖化の議論では、樹木が吸収する二酸化炭素が話題となる。しかし、森林の土壌には地球上で最も炭素が多く貯蔵されている。その量は地球のすべての植物と大気の総貯蔵量を上回るという。森林の土壌は特別な条件下にあり、巨大な冷蔵庫のように機能している。大木が並ぶ森の中は、夏でも気温があまり上がらないため、土壌の中の生物はゆっくりとしか活動しない。そのおかげで、厚い腐食土層が形成され、そこに多くの炭素が蓄積されている。

天然林を増やすために、木材を二酸化炭素税の課税対象にすべきとしている。1立方メートルの木材が燃やされると、約1トンの二酸化炭素が放出される。木材にも炭素税を課税することで、木材はより高価になり、安価なエコ燃料として発電所で燃やされることはなくなる。

樹木は、木材としてではなく、生きた形で生態系のなかに残ってこそ、環境によい影響をもたらす。そのため、伐採をやめ森林を自然のままの状態にしておくことを決めた森林所有者には、伐採をした場合に生ずるはずだった税額と同等の額を支払うようにすべきだという。

樹木だけでなく、土壌や微生物なども含めた全体で考える必要があるということか。







地震後に病院機能を維持するために必要なこと

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<とある市庁舎の柱頭免震の施工中の様子>

ご覧になった方も多いと思いますが、NHKの時論公論(11/10放送)『地震後に病院機能を維持するために必要なことは』がありました。
今回は、病院の建物の地震に対する強さ、「耐震性」についてです。

大地震の時、病院はその直後から大勢の患者の治療にあたらなければなりません。つまり病院の機能が地震後も維持されていることが重要です。厚生労働省は、全国の病院に対して、耐震性に関する調査を行いました。しかし、その結果からは、病院の耐震性の課題も見えてきました。

地震の後も病院の機能を維持するために、何が求められるのか考えます。

最後に以下のような提案がなされています。
1つは、耐震基準を満たしていない病院について耐震改修や建て替えを促進することです。

2つ目は、基準を満たしていても、免震ではない病院については、どれくらい耐震性に余裕があるのかを調査することだと思います。こうした調査を行えば、例えば、地域の災害医療の拠点となる病院に、耐震性の余裕が少ない、つまり大地震の時に機能しなくなる可能性が高いことがわかった場合に、補強工事をして耐震性を上げる、あるいは、その病院が使えなくなることも想定して、地域の災害医療の計画をつくっておくといった対応を進めることができます。

3つ目は免震についてです。建設コストがかかるだけに、病院を建て替えるときに「免震」にすることを促すような支援制度が必要だと思います。

仮に制度ができたとしても、免震の建物を増やすには時間がかかります。それだけに、上記の対策を同時並行で進めることが重要になってきます。

トルコでは100床以上の病院の建設では免震化するように決められています。日本ではこのような規制をすることはできないと思いますが、免震構造を普及するために補助金などの支援制度ができないものかと考えます。

そのためには、免震技術の高度化とあわせて、社会に免震のことを知ってもらうことも必要でしょう。








日本地震工学シンポジウム始まる

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第16回の日本地震工学シンポジウムが、横浜で始まりました。上の写真は開会式の様子。
コロナ禍を経て5年ぶりの開催です。

免震構造に関する発表も多くあります。
免震構造の研究開発の時期を区分けすると、2000年の法改正以降は「第4期」とされています。第1期は開発の黎明期、第2期は学会指針などが出た1989年以降、そして第3期は1995年の阪神・淡路大震災以降となっています。

会場での立ち話ですが、第4期になってずいぶん経つので、2016年以降を「第5期」としてはどうかという話をしました。2016年は熊本地震が起きたときで、長周期地震動に関する国交省の通達が出た時期でもあります。さて第5期はいつまで続くでしょう・・・

会場はパシフィコ横浜で、遠くにランドマークタワーも見えます。
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日本の教育が危ない

ウエッジ11月号

Wedge(11月号)の特集は『日本の教育が危ない』
そのなかで冷泉彰彦氏が「日本と違う米国の公教育 一億総事務員教育から脱却せよ」と題して書いている。米国では私立高校生の割合は9%程度で、多くの生徒は学区の公立高校に通っている。
米国の公教育では日本とは平等の概念が異なるということだ。日本では特に中学までの教育課程では、カリキュラムは完全に横並びである。教科書は複数販売されているが、難易度の区別はない。とにかく履修内容の平等が原則とされている。一方で、米国の考え方は能力別である。低学年は原則1本だが、算数・数学の場合は小学校4年生頃から得意な生徒にはより高度な内容を与え、反対に苦手な生徒には基礎から丁寧に教える。

つまり、その子どもの発達段階に応じた効果的な学習機会を与えることこそが平等である、という思想が貫かれている。その結果として、12年生(高校4年生、日本の高校3年生に相当)になると数学の履修内容は同じ公立高校の中でも、上下6段階以上の差ができることもある。

能力のある子どもを認めて伸ばすという思想が教員集団の中に定着しているということがある。教員より明らかに学力が上回る生徒を教えるということでは、残念ながら日本の中等教育にはそのノウハウがない。けれども、米国の場合は優秀な生徒を評価し、より高い機会を与えるというのは、教員の姿勢の基本であるとされている。
(略)
一方で、日本の場合は教育内容の見直しが必要だ。日本人は相も変わらず「1億総事務員」を育てる教育から脱却できず、既に時代の変化に対して対応ができなくなっている。

原因の一つは、教育の新機軸がいつも小学校で実験されるということにある。ICTにしても、英語、プログラミング、深い学びなど、新しい内容は常に小学校段階で導入される。その一方で、中高の段階ではどうしても入試があるので、教育の内容は保守的になる。特に「答えのない問い」に取り組んだり、「問題を解くのではなく、分からないことを発見して問題提起をする」といったスキルは、入試にそぐわないので中高段階では深追いがされない。

記事では、教育にかける予算が低いことも指摘している。また、思春期の若者には、校則、部活、入試で囲いこむことはやめて、伸び伸びと最先端に触れたり、社会の現実に触れることで、爆発的な学習モチベーションを引き出すべきだ、としている。

米国と日本の教育にも一長一短があるのだろう。教育に正解はないと思うが、日本の教育はこのままでいいのだろうか。学校の先生がもっと余裕をもって教育に取り組めるようにすることも大事なことだろう。








英オックスフォードの入試は口頭試問

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UnsplashBenjamin Elliottが撮影した写真

日経新聞(11/4付け)の「春秋」欄に『英オックスフォードの入試は口頭試問』という記事があった。
世界の大学ランキングトップ、英オックスフォードの入試は口頭試問、いわゆる面接で合否が決まる。例えば、実験心理学科を受験する学生にはこんな質問が出される。「カタツムリには意識はあるでしょうか?」。物理学科なら「世界に砂粒はいくつありますか?」。

どの問いにも正解はない。知識ではなく、ものごとを考え抜く力と対話する能力を時間をかけて観る。
(略)
(日本の大学で)入試を大きく変えられない理由の奥には「公平性」を巡る古くからの議論が横たわる。筆記試験であれば客観的な選抜ができるが、面接官の主観に左右される方式は不公平になる、というものだ。階級社会を守り続ける英国との思考様式の違いもあるかもしれない。

だが今、世界の大学は競い、頭脳を奪い合っている。公平性にこだわるあまり日本の大学が失っているものはないか。点数ではなく、じっくり話して採りたい人を採る。そうすることで詰め込み教育からはじかれた若者にも門戸は開かれるはずだ。多様性と個性をキャンパスにもたらす近道のように思えるが、どうだろう。

『科学』(11月号)の巻頭エッセイに東京大学の隠岐さや香氏が『学問の自由』について以下のように紹介している。
「学問の自由」の度合いを世界規模で調査している人達がいる。世界の民主主義の状況調査で知られるV−Dem研究所が、179カ国の「学問の自由」の度合いを0から1までの数値で評価しているのだ(学問の自由度指数Academic Freedom Indexと呼ばれる)。日本の数値は0.58であり、これは下から30〜40%の集団に相当する。高いのは西欧や北欧、低いのは北朝鮮やエリトリアのような権威主義体制の国である。

残念ながら日本の数値はあまりよくない。それは「大学等の組織自治」と「研究と教育の自由」に低い評価があるからだ。

一部の大規模な国立大学に、運営方針の決定などを行う合議体の設置を義務づける法案が衆院文部科学委員会で可決されたという報道があった(朝日新聞11/17付け)。会議は学長と、外部の有識者も想定している3人以上の委員で構成され、中期目標や予算について決定するとしているが、委員の選任については、文科相が承認した上で学長が任命する、となっている。

学問の自由はどこまで守られるだろうか・・・

これに関して、京都大学名誉教授の竹内 洋先生は、『「手術は成功したが、患者は死んだ」という言葉があるが、「大学改革は成功したが、大学は死んだ」にならないようにしたい。そのためには、改革に現場の意見を取り入れる必要がある。現場が声を上げ、代替案を出すことが大事』(週刊東洋経済(11/25号))と述べている。







そんなに太らして体に悪いんじゃね

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UnsplashDawn McDonaldが撮影した写真

週刊東洋経済誌(11/18号)の「ヤバい会社烈伝」ではエネオスやアポロなどの石油企業が取り上げられている。
岸田政権の経済対策は、かなりヤバい。国民から次々と税金を搾り取り、それを取り巻きにばらまいて票につなげている。その徹底した姿勢は、悪代官に近い。中でも、悪質度が高いのがガソリンの補助金だ。

そもそも、インフレが激しい世の中にあって、なぜ、ガソリンだけ、「価格が上がったから、補助金を投じて安くする」のか。卵とか乳製品だって、とんでもなく値上がりしている。つまり、政策の公正性、妥当性がまったくないのである。

しかも、その効果が疑問である。ちなみに、すでにガソリン補助金に6兆円ものカネが投じられている。これは国民1人当たりにして5万円になる。4人家族なら、20万円を補助してもらったはずだ。

おいおい、そんなにもらった実感、まったくねえぞ!

このガソリン補助金、石油元売り会社に流されている。それを聞いた2年前から、こう思っていた。あ、これは石油会社が懐に入れて終わるな、と。

だって、本気で国民を救う気ならば、直接、ガソリンを買った消費者に補助金を渡すはずでしょ。買った人に、「大変ですね、これで少しまかなってください」と言って渡すイメージだ。もちろん、手渡すのは無理なので、ガソリンスタンドのレシートを使って、年末調整で税還付をすればいいだけの話だ。極めてシンプルである。
(略)
ガソリンの価格って、半分近くは税金で占められている。まず「ガソリン税」といわれる「揮発油税」と「地方揮発油税」が乗っかり、さらに「石油石炭税」が加わる。そこに「地球温暖化対策税」まで上乗せされている。そしてトドメは、これら税金も足した合計額に対しての消費税10%だ。

二重課税の典型であり、これをやめるだけで消費者は救われる。
(以下省略)

公明党のコメチャンネルには「高騰するガソリンにはどんな税金が?」という記事の中で、二重課税ではないと解説されている。
国税庁の見解によると、消費税は「課税資産の譲渡等の対価の額」を基準に計算されます。この「対価の額」には、ガソリン税や石油石炭税も含まれるとされています。なぜなら、これらの税金は石油メーカー等が納税し、その金額が商品価格に組み込まれているからです。

消費税は基本的に最終消費者が負担する税金ですが、ガソリン税や石油石炭税は石油メーカーなどが納税し、その負担は商品価格に組み込まれているため、消費税の課税対象とされているのです。

このように、ガソリンにかかる各種の税金は、それぞれが異なる目的と納税義務者に基づいたものであるため、「二重課税」ではないのです。

ガソリン税は1リットル当たり53.8円で、これには「揮発油税」と「地方揮発油税」が含まれ、2008年からは暫定税率の25.1円も加えられている。この暫定税率は一般財源となっており、暫定税率をやめるだけでもガソリンは安くなるのではないだろうか。

所得税の減税を行うとされているが、国の借金がとても増えているなかでは違和感がある。税金の使い方などをもっと見直す必要があるだろう。







伝統のトルコワイン

日経新聞(11/16付け)に『トルコ・トラキア地方「チャムルジャ」 伝統トルコワイン』という記事があった。
イスラム教徒がほとんどを占めるトルコでワインが生産されていることはあまり知られていない。実は古代から続くワインの産地で、その歴史は7000年近いとされる。南東部には5世紀から続くキリスト教修道院のブドウ畑から造られるワインもある。
(略)
近年のトルコのワイン生産はエーゲ海沿岸や、ギリシャ、ブルガリアにまたがる欧州大陸側のトラキア地方がけん引し、新進気鋭のワイナリーが存在感を増している。中でもトラキア地方クルクラーレリ県のワイナリー、チャムルジャは注目株の一つだ。

地元の農家出身のムスタファ・チャムルジャ氏が政府や欧米監査法人などを経て故郷に戻り、ワイン生産を始めたのは11年。今では年100万リットルを出荷し、23年の国際コンクール「AWCウィーン」ではカベルネソービニヨンとメルローの部で大賞を受賞したほか、国別の最優秀ワイナリーに選ばれた。

チャムルジャの特徴は、旺盛な探究心に支えられたブドウの多品種栽培だ。世界的によく知られる品種に加え、ナリンジェ、オクズギョズ、カレジクカラスなどトルコや地方固有の品種を合わせ、計16種類の畑が計130ヘクタールの敷地に点在している。

中でもチャムルジャ氏が力を入れるのは、赤ワイン用品種、パパスカラスだ。オスマン帝国時代にトラキア地方で盛んに造られたが、現在はあまり知られておらず「再びトルコを代表する品種にしたい」と意気込む。
(以下省略)

トルコには何度か行っており、そのときトルコでワインが生産されていること、そして美味しいことも知っていました。

先週開催されていたトルコの世界免震制振会議の会場では、朝・昼・夜の食事代と飲み物代(ホテルのバーも含め)も含まれていました。夕食ではワインもいただきましたが、生産地までは指定できませんでした。最初に泊まったホテルも同様のシステムでしたが、赤ワインはイタリア産でした。
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帰国して1週間ほど経ちますが、時差ぼけの影響が少し続いています。会議の開催地アンタルヤの気温は25度以上で、帰国すると10度も低い気温のせいかもしれません。週末に体調を整えたいと思います。









偶然の発見には理由がある

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UnsplashDustin Humesが撮影した写真

日経新聞(11/12付け)に『偶然の発見には理由がある』という記事があった。
「見ているのと発見は違う」
炭素原子が細く筒状につながった分子「カーボンナノチューブ」を発見した名城大学の飯島澄男終身教授の発言が印象に残っている。NECの主席研究員だった1991年11月、英科学誌ネイチャーにナノチューブの論文を発表すると、世界中の研究者が参入し、ナノテクノロジー(超微細技術)ブームの火付け役になった。

飯島氏は過去の取材で「自分より前にナノチューブを見ていた人はたくさんいただろう」と話していた。実際、先に発見していたと主張する研究者はいた。しかし、分子構造を特定して科学的に新規の分子だと明らかにしたのは飯島氏だ。何がこの差を生んだのか。「発見の準備をしていたからだ」と分析する。
(略)
「幸運は用意された心のみに宿る」
細菌学を切り開いたフランスのルイ・パスツールはこう語ったとされる。試行錯誤や努力を重ねて技能を磨いていなければ、チャンスを引き寄せてつかむことはできないという格言だ。
(略)
2000年の化学賞を受賞した筑波大学の白川英樹名誉教授も学生の実験結果から「プラスチックは電気を通さない」という常識に疑問を持ち、先入観なく研究を続け、導電性高分子の開発につなげた。同じ画像やデータ、結果を見ていても、疑問に思わなければ発見にはつながらない。こうした科学者の姿勢は新たな製品や事業などビジネスの世界でも通用するのではないか。

昔、実験をして得たデータをグラフ化してみていたら、恩師から「データに語らせよ」と言われたことがある。データやグラフを無心で見よ、ということかもしれない。しかし、データに語らせるにはそれ相応の準備と基礎知識も必要だが。

ノーベル賞につながる発見でなくても、学業や趣味などでも事前に準備をしておくことで、幸運を得ることにつながる(はず)。スポーツの場合を考えれば、なにも準備せずに競技会に出ても成果を出すことはできない。ちゃんと準備したものだけが栄光を手に入れることができる・・・











建築学と木材学のはざまの木質構造

建築技術(11月号)の「一言居士」で、槌本敬大氏が『建築学と木材学のはざまの木質構造』と題して寄稿している。
木質構造はいうまでもなく、木材・木質材料を躯体とした構造であり、以前は “木構造” と称した。我が国の伝統的な木造建築物は各地の寺社建築などに見られるように、金物や釘を使わずに嵌合だけで構成されており、まさに木構造であった。しかし、これでは現代社会で要求される耐震性、居住性などを確保するためには、困難な場合が多く、構造用合板などで面材耐力壁をつくったり、接合部を金物補強したり、断熱材を用いたりすることが必要となった。さらに、木材の強度を工学的に計算、評価したEngineered Woodの使用が推奨され、製材の目視・機械等級区分技術も進んだが、比較的乾燥が容易なラミナから製造する集成材が多用されるようになった。これらを受けて、故 杉山英男先生が木構造を改め、木質構造と称することを提唱し、現在に至っている。

一方、日本建築学会は、「建築防災に関する決議」(1959年)のなかで、伊勢湾台風で受けた甚大な被害に鑑み、建築物の火災、風水害の防止を目的として、特に災害リスクの高い地域での建築制限の一つとして「木造禁止」を提起した。故 内田祥哉先生によれば「伊勢湾台風による木造市街地の惨状を目の当たりにし、もう木造で建築物をつくるのがイヤになったという社会全体の雰囲気だった」そうである。とはいうものの、林産学分野は、木造・木質材料の特性、それを組み合わせた耐震壁、さらには木造建築物の構造研究を、前述の故 杉山英男先生が核となって細々と進めてきた。筆者はこの流れを汲む教育を受けた。

木材は生物材料であり、ほかの無機系の材料とは異なり、各々強度や弾性係数が異なるばかりか、局部の特性も一様でない。強度は母集団の下限値として設計する必要があるため、その品質のばらつきを制御しないと下限値は低く評価され不利である。だから木質構造の設計には生物材料としての特性をよく理解して、これを取り扱う必要がある。この意味では、木質構造はやはり木材学の一部なのかもしれない。しかし、木材学・林産学の主流はその化学的利用やセルロース科学が多勢を占め、建築を含む物理的利用はどちらかといえば非主流である。

昨今の二酸化炭素固定化機能に立脚した木造建築ブームでは、木材の特性にあまり大きく踏み込むことがなくても設計ができるようにしようという風潮がある。少なくとも筆者にはそう感じられる。そして、その方が木材の普及保進にはよいかもしれない。2010年には木材利用促進法も施行された。しかし、建築学でも木造は未だなお主流ではない。学術界では、ほかの無機系材料による構造より、比較的簡単に設計できるものとして考えられている雰囲気もあるが、実務設計者にいわせると、木造の設計は難しいそうである。建築する地域で入手できる木材の樹種や、その等級区分が違ったり、異方性があったり、集成材やLVLなどさまざまな木質材料も生産者によって、樹種や強度が異なったりするのが、理由のようである。地域性がある点はまさに農学の一部である。

以上、近現代木質構造研究の大雑把な流れと現在の位置づけについて述べたが、近代以降最も木質構造、木造建築が重視される時代にあるにもかかわらず、本分野は建築学と木材学のどちらにおいても端っこである。

最近の中層木造建築ではいろいろな取り組みがなされている。木造を構造体として使用する場合、大変形時の特性などは実験で確認されているものの、実際の大地震時の非線形挙動が明確でないなどの理由で、免震構造と組み合わせられることが多い。木造をつかった高層建物が増え、実際の地震時挙動が明確になると基礎固定で建設がされるようになっていくだろう。

それと耐火性能の確保(耐火被覆)の問題もある。下の写真は耐火被覆の状況だが、耐火のために構造体と同じくらいのボリュームが必要とされている。
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しかし、木質構造は高層建物だけでなく、さまざまなところに取り入れられようとしており、これからの展開に期待したい。

免震構造も実用化されて40年、1995年兵庫県南部地震から急速に普及してから約30年。ただ、建設数は多くはなく、免震構造も建築構造学の端っこか・・・








失敗は失敗のもと

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Unsplashthe blowupが撮影した写真

朝日新聞(11/4付け)に失敗学会理事長・畑村洋太郎氏による『失敗は失敗のもと』という記事があった。
手帳を過去50年分ぐらい取ってあります。もっとも、最初はほとんど空白でした。そのうちに、数日ごとに書き込みが出てきます。人と約束した用事の時間や場所ですね。

大きく変わったのは、在外研究員として米国とドイツに1年間滞在した40年ほど前。急に、びっしりと文字で埋まり始めます。初めての海外で、まったく違う世界があると知ったから。手帳は自分の頭の中を全部文字にして、あとから見直せる道具だと気づきました。毎晩30分ぐらいかけて1日分、7行の欄に文章をつづっています。

手帳を使うきっかけは、高校で国語の教師が「本を読んだら、どんな本かを手帳に書き出す。あとから振り返ると、自分がどういう道を通ったか分かる」と言ったこと。どの道を通るか。私が専門とする機械の設計では、技術者は大学を卒業して会社に入り、実習を経て初期の教育を受けて……。この過程では知識や経験を受け身で教えてもらう。指導者や先輩が教えなかったことまで含めた本当の意味での知識や経験は、自分で考え、やってみることを通して、能動的に学ばなければ身につきません。

だから技術者は新しいものを創造しようとすると、ほとんど失敗する。失敗を恥だと感じ、目を背けていると繰り返します。次第に自信を失っていき、今度こそはと挑戦する意欲までなくすこともあり得ます。「失敗は失敗のもと」です。失敗を通して学び取ったことだけが次の「成功のもと」になる。失敗との付き合い方が大切なのです。技術者に限らず多くの人に当てはまることもあって、2002年に「失敗学会」を設立しました。

失敗学では事故・失敗の経緯や原因を解明し、未然に防ぐ方策を提案します。成果は大きく、「どうでもいい失敗」の数は必ず減ります。そうすれば、なんとか耐えられる水準にダメージを抑えられる。日本は強くなるはずです。

日本がもっとも学ぶべき失敗は、東京電力福島第一原子力発電所の事故でしょう。11〜12年に政府の事故調査・検証委員会で委員長を務めました。原因をこう考えます。津波や電源喪失など、どのリスクにどれだけの備えをするか。自分たちの都合で考える範囲を狭く限定し、それを超える部分は考えなくてもいいとしたことで「安全神話」を世の中に広め、国民を染めた――。「あり得ることは起こる。ありえないと思うことも起こる」「見たくないものは見えない。見たいものが見える」などが教訓です。

私も手帳でスケジュール管理をして、メモ書きなどはしているが、1日分の出来事をまとめたりはできていない。こうした日々の積み重ねが何かを成し遂げるには大事なのだろう。

なにか失敗や不具合があると、新しい基準や規格、法律がつくられることが多い。そうした基準によって失敗や不具合などは減らせるだろう。しかし、当初の基準がつくられた根拠や理由はいつしか忘れられ、その基準に従うことが当たり前になり、異なる失敗を招くこともある。失敗で学び取ったことをいかに伝えていくかはどの分野でも課題ではないか。










SDGsの大嘘

SDGs
池田清彦著『SDGsの大嘘』(宝島社新書)を読んだ。

SDGsは嘘!?
ちっともサステナブルでないことをやって現在の繁栄を築いた国が中心となって、「SDGsが大事」なんて言ったところでなんの説得力もない。「グローバル資本主義にのっといて、じゃんじゃん生態系を壊してきた」という自分たちの都合の悪い話から目を逸らさせることが本来の目的なんじゃないの、というのが著者の率直な感想。

SDGsなんて表向きは美しいスローガンだけど、本当のところは、グローバル資本主義で繁栄を築いてきた西側諸国をこれまでどおりに優位に立たせるための新しいルールであって、強い国はそのまま強く、弱いところを弱いままに固定させるような弊害しかない、と。

世界の人口は79億までふくれあがり、これからさらに増加する勢いをみせている。本気で「貧困をなくそう」「飢餓をゼロ」にという目標を達成しようと思ったら、陸や海の豊かさを守ることは不可能だ。逆に、本気で生物多様性を守り、陸や海の環境をサステナブルにしようとすれば、これまで以上に貧富の差は拡大して、食料の争奪戦に負けた国の人々は深刻な飢えの問題に直面することになる。

食料や水、そしてエネルギーという上限の決まっている資源を地球規模でシェアしながら、貧困をなくそう、飢餓をなくそう、生物多様性を守ろうという誰も反対できない素晴らしい目標を達成するには、人間の数を減らす(増やさない)ことが必要。世界中で「みんなで協力して人口増加を抑制しましょう」と呼びかけることが必要。SDGsを本気で実現するには人口問題としっかり向き合わなければいけない。

地球温暖化!?
実はマクロレベルでみると、大気中のCO2はどんどん減る傾向にある。なぜかというと、CO2は海に入って最後は石灰岩になって固定されるので、無理をして減らしていかなくても、放っておけば自然に減っていくものなのだ。だから、おそらくあと数億年ぐらい経てば、地球上の大気中のCO2はなくなってしまう可能性がある。

科学的にみれば、CO2というのは一定以上増えると、地球の気温上昇に及ぼす影響はさほどないということがわかってきている。布団を何枚も重ねても重たくなるだけで、なかの暖かさはそれほど変わらないのと同じ。さらに科学的な視点でいえば大気中にはCO2だけでなく、いろいろな物質があって、温暖化ガスということでは水蒸気だってかなり重要だし、火山活動なども気温に影響するし、地球の温度なんてCO2だけで説明できるような単純なものではない。

日本人の気質
日本では、みんなが「いいことだ」と言っているものに逆らってもしようがないという考えが強い。「長いものには巻かれろ」という感覚が、実は日本人の強固な基底をなしているじゃないか、と。日本全体が「まわりからどうみられるか」ということに過剰に気にした結果、誰も自分の頭でしっかりと胡散臭さに向きあわないで、なんとなくみんながSDGsに賛成している、というのが本当のところじゃないだろうか。

日本社会には、こういう無意味というよりも有害なシステムで成り立っている組織が山ほどある。なぜかというと、日本では一度こういうシステムが出来上がってしまうと、それがどんなに科学的にはバカバカしいものであっても、さらに国民の利益を損なうものであっても、それを壊すことができずに、みんなで後生大事に守っていくというところがある。

日本人にとって、すべての出来事は「自然現象」なのである。どんなに不条理な目に遭っても、ワケのわからないめちゃくちゃなルールを押し付けられても、それは「冬になれば寒くなる」のと同じような自然現象。だから無理に逆らわず、黙って受け入れる。「やむを得ない」「しょうがない」「仕方がなかった」なんて言って、現状を素直に受容する。

では、日本はどうすればいいのか。
結論は「余計なことはしない」という一言につきるとして次のように説明している。

「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」とか「海の豊かさを守ろう」「陸の豊かさも守ろう」なんていうのは、何をもってして目標達成とみなすのかがよくわからない、胡散臭い目標だ。だから、エネルギー資源のない欧州や、アメリカやロシアなどの資源大国の政治的駆け引きに翻弄されるだけ翻弄されて、気がついたら、資源もない、食料自給もできない日本だけが「ひとり負け」の状態になる可能性がきわめて高い。だから、日本は余計なことはしないという戦略を取るのが一番いいと思う。

日本のサステナブルな社会をつくるには、「限られた土地と資源のなかで、どうやったら最も効率的に自給自足できるのか」を考えた農業が必要。その象徴が「里山」であり、「江戸」だという。江戸には人口にちょうど見合うレベルの食料の供給源があり、江戸で出される排泄物やゴミも、その食料を供給するためのサイクルに組み込まれていた。もう一つの要因が「江戸の人々が肉食ではなかった」こと。肉食は自給自足以上の大量の穀物を必要とするので環境破壊につながりやすい。

エネルギーに関しては、地熱発電を中心に、火力や水力、風力などをバランスよく組み合わせることが大切。エネルギーと食料は、その地域で暮らしている人々の地域内でつくって、そこで消費することが最もサステナブルな方法である。

食料もエネルギーも地産地消をめざすことがSDGsへの近道なのかもしれない。







我々はどこへ向かっているのか?

イアン・アイケン氏(米国)の基調講演の最後で、下記のスライドが示されました。
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我々はどこへ向かっているのか?
  • 材料特性とデバイスの挙動について、より良い特性評価と理解が必要である。
  • 成熟に伴いしばしば起こる「コモディティ化」に抵抗しなければならない。
  • 免震建物の最終的な性能は、多くの要因の総和である。しかし、正確な地震ハザードの評価、高度な構造解析、プロジェクト要件に沿った設計・製造・試験を行ったとしても、カフラマンマシュ地震が示したように、建物は期待通りの挙動を示さないかもしれない。
  • 免震設計の知識を新しい技術者に広めるだけでなく、機能性を追求するのであれば、設計や建設に携わるすべての人々の免震に対する理解を深め、効果的な長期メンテナンスを確保する必要がある。

今回の会議では、2月のカフラマンマラシュ地震での免震病院の挙動についても報告がありました。これまで情報がなかった免震層の特性(球面すべり支承)の特性の一部が紹介されました。下の写真には摩擦係数が書かれています。上の2つと一番下の建物は完成していますが、それ以外の建物は施工中の物件。そのため支承の軸力が低いため摩擦係数は高くなっています。
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ただ完成している建物の摩擦係数は日本と比べると高めです。こうしたことも地震時の免震層の変形が小さくなった要因かもしれません。免震病院の応答については出来る範囲で検証していこうと考えています。

さて、4日間にわたった世界免震制振会議は終わりました。会場となったホテルでは食事も飲み物も無料でした(会議参加費に含まれていました)。次回は、2025年9月にカリフォルニアで開催されます。
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新築物件の5%を免震に!

招待講演で ”Learnings from S/M/L/XL Seismic Isolation Projects, and What's Next?” がありました。発表者はロサンジェルスの構造設計者です。彼は、今後10年の目標として新築物件の5%を免震にしようと主張していました。
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そのために必要なこととして、次のように述べてます。
私は、構造エンジニアリング・コミュニティが主導権を握り、影響力を行使する必要があると考えています!
プロジェクトのより良い成果を達成するために、新しい考え方を取り入れる。
クライアントから信頼されるパートナー、そして技術的専門家になるために真摯に取り組む。
より良いコミュニケーターになることを学ぶ:知識を共有し、価値あるアイデアを生み出す。
オーナーが情報に基づいた意思決定を行えるよう、複数の構造コンセプトを開発する。

日本でもこうした考えが広まることを期待したいですね。









第18回世界免震制振会議が始まりました

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トルコのアンタルヤで、第18回世界免震制振会議が7日から始まりました。
アンタルヤは、地中海に面した都市でリゾート地です。11月でも海で泳げるほどです(私は泳いでいませんが)。会場となっているホテルもリゾートホテルで、ホテル内にプールもあるし、広いビーチもあります。

世界各地から免震や制振構造の専門家が集まっています。

日本免震構造協会免震研究推進機構で展示ブースをだしています。日本免震構造協会は今年で30周年となり、それを記念しての出展です。自分の発表以外は、展示ブースにいます。
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アンタルヤの旧市街を歩く

アンタルヤに宿泊しているホテルから旧市街までは歩いて1時間もかかりません。アンタルヤの旧市街には、紀元前1059年に築かれた城砦などの歴史的建造物が残っているということで、行ってみました。下の写真はホテルとその下にあるビーチです。
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また、歩いていると至る所に国旗が掲げられていました。建国100年のお祝いなのでしょう。
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旧市街は城壁に囲まれています。それほど広くありませんので、1時間もあれば見て回ることができます。城壁は港を囲むようにあり、港には多くの観光船が停泊しています。
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街歩きに疲れたので、休憩です。呼び込みのおじさんに誘われて港の傍にあるお店へ。呼び込みのおじさんが看板の前でポーズをとってくれています。ビールはトルコでつくられているもので、エキストラはこくがあって美味しかったです。
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最後は、旧市街のカフェにあった看板です。アインシュタインのエネルギーと質量の関係を示す式の新しい解釈が紹介されていました。
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トルコ100年の歴史を歩く

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今井宏平著『トルコ100年の歴史を歩く』(平凡社新書)を読んだ。

本書はトルコの首都アンカラを中心にトルコ100年の歴史をたどっている(トルコは1923年建国)。イスタンブールは商業と観光の中心であるが、政治はアンカラで行われてきた。著者はアンカラにある中東工科大学に留学していた。

トルコ共和国の建国の父で初代大統領はムスタファ・ケマル(アタチュルク)である。ケマルは、オスマン帝国が西洋諸国の勢力争いの場となり、最終的に崩壊したことを受け止め、西洋をモデルとした「近代化」「文明化」を志向した。

トルコは地政学的に重要だといわれる。トルコは中東、南コーカサス、東欧、バルカン半島など多様な地域に隣接している。黒海、マルマラ海、エーゲ海、地中海に接しており、特に黒海とエーゲ海を結ぶボスフォラス海峡とダーダネルス海峡の存在は重要。ロシアを経由せずにアゼルバイジャンやイラクの石油・天然ガスの輸送ができる。チグリス川とユーフラテス川の上流に位置し、イラク、シリアの水資源をコントロールできる。

トルコと日本との関係も深い。古いものだとエルトゥールル号の事件がある。1889年にオスマン帝国が日本に派遣したエルトゥールル号が和歌山県熊野灘で座礁した際に日本人が懸命に救助を行った。また日本のアニメなども人気だという。しかし、現在の両国関係はそれほど深いものではなく、互いをあまり理解していないために成り立っている友好関係であるという。そのなかで両国の共通の課題である地震関連の対策は両国を結びつける上で重要であるとしている。2024年はトルコと日本の外交関係樹立100年の年となっている。

2023年2月にはトルコ南東部で大きな地震がおき甚大な被害がでた。このとき震源地付近にあった免震病院は比較的被害が少なかったと報告されている。これからトルコでも免震建物が増えて行く可能性があり、その際に日本の経験などを役立ててもらうことができればと思う。

本書ではトルコ人は海が好きだ、と書かれている。いま来ているアンタルヤは地中海に面し、日中の気温は25度を超えている。ホテルのプールやビーチでは泳いだり日光浴をしている人が多く。まさしくリゾート地だ。







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講義中・・・
著書など
研究室のマスコット
「アイソレータ・マン」。頭部は積層ゴムで、胸にはダンパーのマークでエネルギー充填
『耐震・制震・免震が一番わかる』
共著ですが、このような本を技術評論社から出しました。数式などを使わずに耐震構造、制震構造、免震構造のことを、できるだけわかりやすく解説しています。
『免震構造−部材の基本から設計・施工まで−』
2022年に改訂版がでました。初版から10年が経ったので新しい情報やデータを追加・更新しています。免震構造の基本をしっかり学べるような内容となっています。
『4秒免震への道−免震構造設計マニュアル−』
いまでは少し内容が古いかもしれませんが、免震構造の基本的な考えを述べています。初版は1997年に理工図書から出ていて、2007年に改訂版を出しました。
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