日本建築構造技術者協会(JSCA)の機関誌「structure」(10月号)の特集は『構造設計U-35 君たちはどう生きるか』である。特集では若手構造設計者たちが手がけた構造設計などを紹介したり、JSCAの各支部の活動などがまとめられている。
そのなかで若手構造設計者に向けたメッセージの一つとして、平岩構造計画の平岩良之さんが『100点と90点は10点差ではない』と題して書いている。
筆者の通っていた高校に、名物教師と言われる英語の先生がいた。まぁとにかく授業がつまらない。日本語の滑舌が悪く、英単語以外はゴニョゴニョと何を言っているのかわからない。おまけに授業内容は一般的な高校での英語の授業とかけ離れており難解。
試験内容を簡単に紹介すると、大問[1]の英単語の問題が以下である。
[1]以下の単語の英語訳を (a) アングロサクソン由来、(b) ラテン語由来、それぞれで答えよ。
(1)住む (2)尋ねる
ちなみに正解は、(1)(a) live (b) inhabit (2)(a) ask (b) inquire なのだが、どちらも正解しないと点数はもらえない。初っ端の英単語の問題からこの調子なので、赤点を取る生徒が続出する。ただ先生本人もそれを自覚してか、試験は250点満点なのだ。なので試験が4割できれば、なんと成績としては100点である。
負けず嫌いで、意味があるのかないのか、そんな損得勘定を抜きにして、なんにでもぶつかっていかなければ気がすまなかった当時の筆者は、英語よりも日本語のリスニング能力が試されているようにしか思えない滑舌に耳を傾け、レイアウトという概念はもちろん、そもそも余白がほとんどない授業プリントに目を懲らし、授業に食らいついていった。
そうすると試験の結果として意味なく200点となるのだが、成績表の評価としてはあくまで100点頭打ちなので、90点の人とは10点差でしかない。今風に言えば、なんともタイパが悪い。
建築設計の仕事は、遵守すべき法令があり設計条件としてのクライアントの要求もある。その点では明確でないにせよ合格ラインのある仕事だが、同時に創意工夫の余地もあるという意味で、青天井な側面もある。250点満点のあの英語の試験とそっくりではないかと思う。
そして、個人的にはあの試験の本当の恐ろしさとは、難しすぎて赤点をとることではなく90点の人から見たときに、満点の人との差が10点としか見えないところではないかと今さらながらに思う。目に見える10点以上の差が試験のたびに蓄積されていくのだ。
(以下省略)
建築学科の学生も設計課題に取り組むときに、時間が足りなかった、もっとこうすればよかったなどと口にする。もっと時間をかければ、良い作品になったと言いたいのだろう。たしかにそうした面もあるかもしれないが、設計課題だけでなく現実の設計でも使える時間は限られている。そのなかで、良い作品にしていくためにみんな努力をしている。
大学では試験などの点数が60点以上で合格となり、単位を取得できる。なぜ60点なのだろうか。40点でも単位を取得できるようにできないものかと思ったりする。結局、試験の難しさは受験生との関係で決まってくるし、合格点をとれるように難易度を調整するのもちょっと違うような気もする。
構造設計はどういう点が評価されるのだろうか。
これまでにない形態を実現した、新しい材料や構法を使った、などという点はわかりやすいポイントだろう。設計した建物のほんとうの耐震性は地震がこない限りわからない。そこに10点の蓄積が影響してくるかも・・・