新入生よ、大学を使い倒そう

日経新聞(4/2付け)に九州産業大学の全面広告が載っていた。
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キャッチコピーは『一日、3242円の自由と責任。』
これは、九産大の全学部の平均年間納付金を、365日で日割りした金額。
大学には、高校のような校則やおそろいの制服、時間割はありません。授業をどう選んで何を学ぶか、空いた時間をどう過ごすかは、学生の自由。

そこには、日々選択する責任も付いてきます。卒業する時の君をつくるのは、君自身だから。

好きな本や音楽、好きま人を見つけるように、好きな学問、産業に出会ってください。はじめは、気になることからでいい。

130を超える産学連携プロジェクトやインターン制度、図書館、美術館、グラウンド、スタジオ、展示室。九産大のすべては、君のためにあります。

逆算すると1年間の平均納付金は、1,183,330円となる。

広告では365日で割っていた。長期休暇や週末も大学の施設を利用する場合には、妥当かもしれないが、週末や長期休暇期間中は大学に来ない場合には当然ながら単価は上がる。極端なケースを試算してみたい。前期・後期の授業は15週間行われる。この後に試験などもあるので、この期間を2週間とすれば、半期で17週間、1年で34週間となる。これに月曜から金曜の5日間を掛けると170日となる。この日数で日割りすると、6960円となる。

一方で、大学を卒業するには、最低でも124単位が必要で、1年間で40単位を修得すると想定する。1科目は2単位なので、1年間に20科目の授業を受けることになる。これが15週間あるので、授業回数は300回となる。年間納付金を300回で割り算すると、1回の授業に3944円を支払っているという計算になる。この金額は図書館やグランウドなどの利用時間は含まれていないものの、授業中に居眠りしたりすると無駄なお金となってしまっている。

大学生活の自由と責任を自覚した上で、楽しく有意義な大学生活をおくってほしいですね。
ぜひ、大学(施設と教員もふくめ)を使い倒してほしいものです。











教育ママの元祖

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<写真出典:https://ameblo.jp/xoxo-nana-xoxo/entry-11715013018.html

日経新聞(4/1付け)に漢字学者の阿辻哲次氏が『「孟母三遷」教育ママの元祖』と題して寄稿している。
ウチの子ったら、塾に行くといって出かけながら、ゲームセンターで遊んで帰ってくるんですよ、いったいどうしたらいいんでしょうか、という相談を受け、そんなに嫌がるのなら塾なんか行かさなければいいだろうと答えて、母親のご機嫌をいたく損ねた経験がある。

ドラえもんに出てくるのび太くんのママよろしく、とかく世間の母親は子供にむかって「勉強しなさい!」と叫ぶのが日課になっているようだ。塾などほとんどなく、のんびりした時代に育った私から見れば、子供が勉強しないのを見ているのは、母親としてそんなに辛いことなのだろうか、と思う。私が子供だったら、「お母さんが子供の時には毎日勉強ばかりしていたの?」と憎まれ口の一つもたたきたいところである。

「教育ママ」ということばが世間で広く使われるようになったのは、いったいいつごろからなのだろう。私が中学生から高校生だった1960年代には、そんなことばはまだあまり耳にしなかったような気がする(もちろん私が知らないだけかもしれない)。そして世間でよくいわれる話だが、教育ママの元祖は、なんといっても孟子のお母さんである。

孟子一家は、はじめ墓地のそばに住んでいた。墓地では頻繁に葬式がおこなわれるので、孟子少年は葬式のまねばかりして遊んでいた。困ったことだと考えたお母さんは、次に市場のそばに引っ越した。すると孟子は商人のまねをして遊びはじめた。商人のまねをしていったい何が悪いのかと思うが、孟子のお母さんにとっては、それはやはり困ったことなのだった。それで今度は学校のそばに転居したところ、孟子が「学校ごっこ」をして遊びはじめたので、孟子の母はたいへん喜んだという。

ただし当時の学校は国語や算数のような「お勉強」を教えるところではなく、お祭りやさまざまな儀式のやりかたを教えていたので、孟子は儀式に使う道具(らしきもの)を並べ、宴会の作法などをまねて遊んでいたにすぎない。孟母はそれで満足したのだが、現代の教育ママなら、きっとまた別のところに引っ越しを企てたにちがいない。

今日から新年度がはじまった。
本学ではさっそく新入生のガイダンスも行われた。来週の授業開始に向けてバタバタと大学生活が始まる。大学生になったという実感を感じるのは、もう少し後になってからになるかもしれない。

今では「教育ママ」という言葉は使われないのではないだろうか。家庭で勉強するというよりも、今では小さいときから塾や習い事に行かせることが増えたように感じる。「勉強」は、家庭から外部の機関(学校や塾など)にアウトソーシングされているのかもしれない。その分、教育のための費用が増えている。

塾などに行っていれば、お母さん(家族)は一応安心(?)しているのかも知れないが、勉強を外部から強制されるのではなく、自主的に「学ぶ」ようにすることの方が大事だと思う。子どもたちの知的好奇心を高めるような家庭環境を形づくることの方が大切だと思う。

大学生になっても、知的好奇心の大切さは変わらないし、自主的に学ぶことができる学生の方が望ましいのは言うまでもない。









家も作れるレゴ風レンガ発売?

ディスカバリーチャンネル『イーロン・マスク、つまらないレンガ発売』という記事があった。
テスラSpace XのCEOであるイーロン・マスク。彼が創設したThe Boring Companyは最近、火炎放射器(↓写真)を販売し好評だったが、次期商品は「岩でできたレゴ」となるようだ。しかもこれで家を建てることも可能だという。その名も「つまらないレンガ」(The boring bricks)だ。
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ブロックの素材はトンネル掘削(boring)時に出てきた岩からできているのだ。この岩はカリフォルニア州の地震荷重基準にも適合するとても頑丈なものだとか。それでも中心部分は穴が開けてある(bored in the middle)ため重くはないという。

そう、おわかりのようにこのレンガの製品名は、穴を開けるという意味と、つまらないという意味を包括する「boring」という言葉がかけてある、言葉遊び的な製品なのだ。

そんなブロックで何をすればいいのか?と思われるかも知れないが、マスクによれば「彫刻や建物をつくるのに使える」とのこと。ブロックで建物も作れる、と聞くと一部レゴマニアの方の血が騒ぐに違いない。だが、同時に、質の悪いレゴのパチモン商品を購入されたことのある方はパーツがキッチリ噛み合わないという恐怖をご存じだろう。しかしマスクによればこの岩製のブロックは「精密な表面仕上げが施されている」と共にインターロック式であるからそんな問題もなさそうだ。

小さな家の外壁を作る場合であれば、二人がかりで一日かそこらで作れるだろう、とマスクはしているが、きっと販売された暁にはブロックマニアがとてつもないものを作ってくれそうな予感がする。

まさかエイプリルフールのための作り話ではないだろうが、家もつくれるようなブロックが発売されるのだろうか。日本でもコンクリートブロックはあるし、これを使って小規模な家を建てることも可能だ。ただし、ブロックの接合や鉄筋の挿入などで耐震性を高める配慮は必要だけど。

火炎放射器を実際につくって販売するくらいだから、どんな「つまらないレンガ」が発売されるのか楽しみにしておこう!









「原爆の子」の台座の設計

建築技術(4月号)の「施工者に幸あれ(第76回)」欄で構造家・川口衞先生が取り上げられている。広島にある原爆の子の像の台座は、川口先生が大学院2年生のときに初めて構造設計をした作品とのこと。
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「構造設計の仕事に”駆け出し”はないと思っています」
「初めてとか、経験がないとか、そんな言い訳は無意味なのが”設計をする”という行為です」


「駆け出し」という言葉に潜む、経験の薄い、慣れない、未熟な、という意味合いは、技術者として自らに許すべきでない。初めて設計する者であろうと熟練者であろうと、担う仕事の責任は同じ。新米だからできが悪かったでは許されないのが構造設計という仕事なのだ。

構造にとって計算は当然な技術的作業。
小規模なシェル構造で、「原爆の子」は解析や計算に問題ない。重要なのは、「耐久性100年のブロンズ像を乗せることを考えると、台座の耐久性をどうクリアするかが問題でしょ?」。細い3本の脚が立ったままでコンクリートを流すとなると、コンクリートは柔らかいシャブコンになるから耐久性などあったものではない。

「そこで、脚を三つに分けて水平に寝かして工場でつくるPCaとすることにした」。説明を聞けば誰でも納得する固練りの、強くて長持ちのする台座のつくり方。さまざまな予見を一つずつ解決して積み上げた結果であり、「若造が考えても同じことなのですよ」。決して施工者任せにせず、エンジニアがつくり方を示すことができてこその施工なので模型をつくり続けてきた。

建築のつくり方を示すことで、施工者も余計なコストを見込む必要がなくなる。構造家とアーキテクトは一体化して、不確定要素をなくすスタディを繰り返すことが肝要なのだ。だから、国家的プロジェクトで図面だけを見てコンペ案を通した審査員や、そのため月並な競技場に変更されてしまった一連の流れに憤る。すべての予見ができてことの建築家なのだと。

川口先生の言葉には、重みを感じる。設計という行為のとらえ方、構造家と建築家の関係、設計に対する責任など、建築との向き合い方について学ぶべき点が多いと思う。

ずいぶん前に、川口先生にご講演いただいたときに「建築構造の発展に必要なもの」として
  1.自由な発想
  2.ホリスティックな考え方(用,美,強)
  3.自然への畏敬と責任感
  4.手法の限界の認識と柔軟な活用
  5.自律的な思想と権威,権力への不依存
が示された。設計だけでなく研究にも通じる基本的な考えだと思う。









生産性が低い日本の研究?

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日経新聞(3/12付け)に『日本の研究、生産性低く、投資あたり論文数 最低水準』という記事があった。
オランダのアムステルダムに本社を置く学術出版大手のエルゼビアは、日本の研究活動を主要国と比較した報告書をまとめた。日本の官民合わせた研究開発投資の総額は米国と中国に次ぐ世界3位だが、一定額あたりの論文数でみると主要9カ国のなかで最低水準であることがわかった。研究の生産性で劣り、海外研究者との連携拡大が必要と指摘している。

報告書は主に2012〜16年に世界で発表された論文数から日本の研究活動を分析した。研究開発投資額(100万ドル)あたりの論文数を計算すると日本は0.7となり、カナダ(3.8)や英国(3.7)、イタリア(3.6)を大きく下回った。フランス(1.9)やドイツ(1.5)、米国(1.2)にも及ばず、中国(1.1)や韓国(0.9)にも後れを取る。

1本の論文を書くのに日本はカナダや英国の5倍以上の研究開発費を使っている計算になる。生産性が低く、研究開発投資を増やしても競争力の向上につながらない恐れがある。

研究論文の質をみる被引用件数と投資額の関係を調べても、各国の差はほぼ同じような傾向だった。被引用件数は世界の研究者が注目した回数にあたり、論文の質の高さを表す。

日本の低迷について、報告書では国際共同研究の割合の低さを原因の一つに挙げている。先端研究は、優れた研究者が知恵を持ち寄る国際共同研究が成果につながりやすくなっている。各国とも積極的に海外との研究に乗り出している。

日本の研究者は日本国内にとどまりがちで、流動性の低さも問題だとみている。海外の研究者ネットワークに加われず、情報収集や共同研究で後手に回っている可能性がある。

研究を「生産性」という観点で測ることに意味があるのかという疑問があるが・・・

ここでいう「研究開発投資額」というのは、純粋な研究費だけなのだろうか。100万ドル(約1億円)の投資で、論文数が1〜4本ということは、1本の論文あたり平均2500万円から1億円の投資がされているということになる。研究分野によっても異なるのだろうけれど、僕から見ればすごく高額な研究費ということになる。

日本の研究者、特に大学の教員は雑務が多いという面もあるのではないだろうか。国際共同研究を促進するには、日本人が海外に留学して研究者のネットワークをつくることも欠かせないと思う。研究の生産性が急に上がるということは考えにくいので、まずは日本の研究力を高める地道な努力が欠かせない。








震災と無気力

日経新聞(3/16付けの夕刊)の「プロムナード」欄に評論家の東浩紀氏が『震災と無気力』と題して寄稿している。
震災から7年が過ぎた。東京では震災はあまり話題にならなくなった。時が過ぎるとはこういうものなのだろう。とはいえ、時間が経(た)ち傷も癒えた、では済まされない現実もある。福島第1原発の事故処理はその一例である。記憶が消えても放射能は消えない。溶融した3基の原子炉を解体し、除染を終えるまでにどれほどの時間と費用がかかるのか、まったくさきが見えない。

東京の住民として、もうひとつ気にかかるのは首都直下地震の可能性である。2013年の末、政府は衝撃的な数字を発表した。30年以内にM7クラスの首都直下地震が起こる可能性は70%で、最悪の想定では死者は2万人以上、被害は95兆円にのぼるという。ところがその後報告は更新されず、いまではたいして話題にならない。そして20年の五輪に向け、東京では着々と関連工事が進められている。

これはいったいどういうことなのだろう、と時々考える。70%はけっして小さい数字ではない。30年もそれほど長くない。想定発表から5年経っているので、いま25年ローンで家やマンションを買うと、返済が終わるまえに巨大地震が来る可能性が7割もあるということになる。これはたいへんな問題だ。にもかかわらず、みな気にせず不動産を買っている。

福島でも東京でも、みな厄介な現実から目を逸(そ)らして日常を送っている。ぼくは震災後ずっと、そんな状況に苛立(いらだ)ちを覚えてきた。けれども最近、少し諦め始めてもいる。

日本は地震国である。火山も多く台風もやってくる。高確率で災害が襲うのは首都だけではない。日本中がそうなのだ。そして人間にできることなどたかがしれている。たとえば五輪開催中に巨大地震が来たら、壊滅的状況になることはまちがいない。それはみな知っている。でもどうしようもない。真剣に考え出したら、五輪は中止にするほかない。だからみな知らないふりをして、粛々と準備だけを進めている。

これはおそらく、災害に溢(あふ)れるこの列島の長い歴史で培われた、一種の生活の知恵であり文化なのだろう。高度成長期からバブル期まで、日本ではたまたま巨大地震がない時期が続いた。だからそのあいだ、みなその条件を忘れていた。ところが3.11以降、その文化がふたたび前に出始めている。震災後の日本が、どこか投げやりで、無気力感漂う国になっているのはそのためだ。ぼく自身、なにも考えず東京に住み続けている。

大きな問題から目を逸らすことで、はじめて現実に対処する力を得る。それはけっして誇れる話ではない。世界的には異常でもある。けれど日本人は、その感性を身につけなければ、この災害の島で生き残ることができなかった。日本とはそういう国なのだ。

ただぼくとしては、そのなかでもせめて「考えてもしかたがない」こととそうでないことの区別ぐらいは訴えていきたいと思う。たしかに巨大地震については、考えてもしかたがないのかもしれない。けれども原発事故の処理については、逆に考えなければどうしようもない。同じことは高齢化や基地問題についても言える。すべてを災害をモデルにして捉えては無気力になるだけだ。いまの日本は、あまりにも多くのことを「しかたがない」で片付けてしまっているように見える。

いま桜の季節だ。(↓の写真は東京の品川から泉岳寺の間で撮影したもの)
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僕の住んでいる地域でも桜が満開となっている。なぜ日本人はこれほどまでに桜に心ひかれるのだろうか。この点に関してはいろいろな論説がこれまでも出されているだろうけれど、寒い冬から解放されたという喜びとともに、すぐに散ってしまう切なさというのもあるのではないだろうか。自然に抗っても「しかたがない」という日本人の気質にもあっているようにも思う。

しかし、大地震はいつか、どこかで起きるのは間違いない。
大地震が起きて自分の家や家族が被害にあっても「しかたがない」と言える人はどれほどいるだろうか。日常のなかで地震が起きることを考えるのは難しい面もあるかもしれないけれど、万が一のことを考えて備えておく、考えておくということは必要ではないだろうか。

そうした備えをした上で、被害にあったなら、自然の方が勝ったということで、「しかたがない」と思えるかもしれないけれど・・・









火山を透視する

日経新聞(3/25付け)に『火山の透視解像度100倍』という記事があった。
東京大学の田中宏幸教授らは、従来の100倍の解像度で火山の内部をレントゲンのように透視する技術を開発した。マグマが上昇している様子やマグマの空洞がどこにあるかなどをきめ細かく把握できる。今後、より短時間に透視できるように改良を進め、噴火予測に役立てる。

ミュー粒子と呼ばれる素粒子をガス検知器で検出する新型の透視装置を使い、桜島(鹿児島市)の内部を透視した。縦横10メートルの解像度で内部の様子を撮影できた。従来は縦横100メートルだった。

桜島の昭和火口が噴火で広がっている様子などが見えた。また従来の装置でははっきり撮影できなかった山の形も明確に見えるようになった。

実験では試験用の小型透視装置を使い、半年かけて解像度の高い透視画を撮影した。今後、試験装置の50倍前後の大型装置を作り、数日で火山内部を細かく撮影できるようにする。将来は毎日のマグマの動きをリアルタイムで把握できることを目指す。

透視装置はミュー粒子が火山を突き抜けてきた様子を調べて、火山内部の画像を作る。ガス検出器を使う透視装置は従来より小型でも高い性能を得られ、価格も安くなる。東大はハンガリー科学アカデミーと共同で開発を進めている。

↓は田中宏幸教授が2007年に発表した浅間山の写真で、肉眼では見ることのできない活火山の火口底より下の画像。
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また、田中教授は、高エネルギーのニュートリノを利用して地球を丸ごと透視できなかと研究をすすめているそうだ。これまで地震波の伝播でしか分からなかった地球の内部構造がよりはっきりすることが期待される。

こうした技術を地震断層の検出などに利用できないものだろうか。断層の位置などを特定するには、トレンチ調査などで実際に地面を掘ってみることが必要となる。これでは特定の個所でしか断層の確認はできないが、もっと面的に広がりをもった範囲を透視して断層の位置や大きさがわかるようになれば素晴らしいのだが。










建築と道具

建設通信新聞(3/20付け)の「建設論評」欄に『建築と道具』という記事があった。
製図板というものを見かけなくなった。一昔前は皆一枚の大きな板に向かい、T定規と三角定規をそれこそ神業のように自在に操って無心に図面を描いていた。手にはホルダー。一本の線を引くたびに指先が自然に回転していた。そんなことを知る人は少数派となった。回転しなければ、左から右に行くに従い鉛筆の芯が削れ、線が太くなり均一の線が描けないのだから、自然に手が覚えた。一人前になるまでに一体何本の線を描いただろうか。

そしていま、製図板・T定規からCAD。鉛筆。ホルダーからマウス。ケトン紙・フィクサチーフからインクジェット紙。透視図から3D動画。矩計図は手描きからコピーアンドペースト。デザインは建築雑誌・建築写真集からネット検索ダウンロード。何ともお手軽になったものだ。

しかし、知らず知らずのうちに、道具の移り変わりに伴う本質的な危険が内在してしまった。「考える」という行為が省略されているからだ。矩計図は、いざ描こうとしても肝心なところが描けない。分からない、というより分かっていないことが分かる。だから勉強する、トレースしてみる、現場を見る、そうして気付かぬうちに分かっていく。海外の雑誌からは格好良さ、センスの良さを学べないかと考える。自分の頭で。そして拙いながらも具現化し、自分の力量を知ることになる。

図面もまた美しかった。断面線、姿線、寸法線へと鉛筆の濃さは淡く細くなり、自然と立体的に浮かび上がってきた。そして時が経ち、CADの世界へ。意識しないと線の太さは皆同じ。機械製図と変わらなくなった。入りこめない図面の中へ。だから読み取るのに時間がかかる。図面とは意図を伝えるための手段、建築における言語だ。これでは通訳が必要になりかねない。

毅垉蚕僂凌焚修録佑鮹噂禳邏箸ら解放し、創造的な時間を与えてくれる革命だ。重いかばんにぎっしりの図面や写真集を詰めていた時代から、タブレットに膨大なデータベースが詰まっている。イメージの共有にとられていた手間は、劇的に省力化された。一体その時間がどこに消えてしまったのだろう。人まねではない、創造的な時間に充てられただろうか。それを可能にするための知識を蓄積する時間に充てられただろうか。

コピペは人をダメにする。お手軽が思考を停止させる。建築は人がつくるものだからすばらしい。「心」があって、「頭」があって、「手」がある。手の部分だけが便利になった、ただそれだけのことではないか。「消しゴム」と「ステンレス製の字消し板」がなくなったのはノスタルジーとしても、迷い迷って答えを見つける一手間だけは惜しんではならない。苦労の先にしか達成感はないのだから。出来上がった建物を見て、一人静かに万感の思いに浸ることができる。ネット経由で得たものは、所詮模造品にしかならない。あなたを頼りにしてくれた人たちに対する、せめてものそれが礼儀ではないだろうか。

「A儀、君には無理だよね」

昔、製図道具を使って図面を描いているときは、図面をどう配置し、どの順番で描いていくかなどを考えないといけなかった。墨入れ(これも死語か)をするときなんかは、間違えないようにさらに緊張が強いられた。昔の図面を見ると、線の太さが違ったり、濃淡があったりして、立体的に見えたものだ。

記事では、機械図面がやり玉にあがっているが、機械の図面も昔は違ったようだ。↓は日本機械学会誌(3月号)に掲載されていた「国産機械図集」で、発電タービンの図面。手描きの味というものが感じられる。
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本学の建築の設計教育では、2年生までは図面を手描きとしている。しかし、3年生や卒業設計では多くの学生がCADを使っている。その方が便利だということもあるかもしれない。ただ、最近の卒業設計やコンペでは、きとんとした図面を描くというよりは、アイデア勝負という面が強くなっていないだろうか。

大学教育の目的や役割をどう位置づけるかによると思われるが、きちんとした図面を描けることが基本だと思うし、そうした基本を身につけた学生を育てたいと思っているのだが・・・









「ハヤク」「ヤスク」「ヨク」

建築の品質
建設通信新聞(3/9付け)の「建設論評」欄に『「ハヤク」「ヤスク」「ヨク」』という記事があった。
わが国を代表する大企業を舞台にした品質問題が、全国紙や全国ネットのテレビなどのメディアで、毎週のように取り上げられている。いわく、検査データを改ざんした、無資格者に検査をさせていた、などと俎上に載せられて、わが国のモノづくりに寄せられてきた信頼が揺らいでいると顰蹙(ひんしゅく)を買っている。

その多くは製造業の製品であるが、建設業者にとって、これを対岸の火事と傍観してはならないと思う。なぜならば、建設工事の現場でも陥りやすい体質を抱えているからだ。

まずは、「ハヤク」「ヤスク」「ヨク」の再認識である。新入早々真っ先に、叩き込まれた人も多いだろう。

この建設工事現場の3大管理目標の3つは、だてに並んでいるわけではない。ハヤクが一番先にあり、ヨクが最後にあることがミソである。

実は、この3つを等しく達成することは不可能のだ。ハヤクしようとすれば、残業や追加雇用が必要になるだろう。当然、コストに跳ね返る。だから、工事費は高くなる。早く終わるには手間暇をケチるのが早道だ。当然ながら品質に悪影響が出る。つまり、早く完成させようとすればヤスクやヨクは犠牲になる。

ヤスクを最優先するには、経済速度を守り、無理に仕事を急がないことだ。完成は遅れるだろう。丁寧な作業は放棄して手抜きするだろう。品質は悪くなる。つまり、ハヤクやヨクは犠牲になる。

ヨクを最優先するには、手間暇をかけなければならない。つまり、工期を十分長くとり、費用を惜しみなくかけるのだ。そんなことはしたくないというのが、経営者や管理者の本音であろう。

3つの関係は、1つを達成しようとするほかの2つは犠牲になって達成できない恐れが出てくる。この関係をトレードオフの関係にあるという。

だから、トレードオフの関係にある場合には、達成する優先順序を考慮する必要がある。そこで考えることが3つの順番である。ハヤクが一番先に挙げられているということは、工期順守を最優先にしているということだ。3番目に位置付けられているヨクは、後回しにされ、犠牲にされることになる。

結局、職場が追いつめられると品質にしわ寄せされてきたのだ。そう考えると品質の軽視は、わが国のモノづくりの職場の宿あだったのではないか。いまさら、こと改まって登場してきた問題ではなかったのだ。実態が表沙汰になったにすぎなかった、ということだ。

品質は、そのモノが存在している間は存在する。それに引きかえ、工期や費用は一過性で時限的な問題である。その点で、品質をおろそかにすると影響は大きい。その罪は大きい。これを放置しておくと、わが国の品質神話は、完全に崩壊するだろう。

建設工事の現場でも、この問題を他山の石として気持ちを引き締めないといけない、ということである。

建築物や土木構造物の場合の品質というのは、どうやって確認するのだろうか。家電や自動車のように完成品をテストすることはできない。その設計や施工段階での管理と監理が重要となろう。設計者も施工者も、そして発注者の3者が、いい建築物をつくりたいという思いがあれば、トレードオフ関係を克服できるようにも思うのだが、あまりに理想的か・・・

免震建物の設計でも、トレードオフ関係がある。免震層の変形と上部構造の応答加速度や変形がそれにあたる。免震層の変形を小さくすれば、上部構造の応答は大きくなり、逆に免震層の変形を大きくとることができれば上部構造の応答を抑制できる。このトレードオフの解消に向けては、上部構造の特性にもよるけれど、免震層を構成するデバイスの特性をチューニングすることである程度対応できる。

本質的に免震層の変形と上部構造の応答には厳然とトレードオフの関係が存在する。しかし、「ハヤク」「ヤスク」「ヨク」の間にあるトレードオフの関係は、人間(当該関係者)の力でなんとかできる要素も多分にありそうだ。さらに、これらの関係は、当該関係者だけでなく、社会に対する責任という観点からも検討されるべきではないだろうか。









英語で一番面白おかしい言葉は「お尻」

ディスカバリーチャンネル『英語で一番面白おかしい言葉は「お尻」』という記事があった。
子供の頃、変な言葉が友達の間で流行ったりしたことはないだろうか?
筆者は男なので、女の子たちがどのような言葉で笑っていたのかはよくわからないが、子供の頃、訳もなく排泄物の名を叫ぶわんぱく小僧がたくさんいたのを覚えている。汚い言葉は男の子達の定番だが、他にもごく普通の言葉がなぜか面白おかしく連呼されていたのが記憶に残っている。

そんな面白おかしい言葉があるのは万国共通。イギリス、ウォーリック大学の研究者は、英語における面白おかしい(funny)言葉を調査。アメリカ人の821人に対し、選ばれた200単語を見せ、その面白さを評価した。

この調査を行なった発端は、研究者の上司の子供達が「porridge(ポリッジ、オートミール)」という言葉で笑いが止まらなくなったことによるもの。アメリカ英語では「oatmeal(オートミール)」、イギリス英語では「porridge」と言い、同じ意味でありながらも音の違いからどちらがより面白いか調べてみたいと思ったとのことだ。

調査の結果、面白おかしいとされた上位12単語は下記の通り:

1. Booty(ブーティ、お尻)
2. Tit(ティット、おっぱい)
3. Booby(ブービー、おっぱい)
4. Hooter(フーター、おっぱい)
5. Nitwit(ニットウィット、まぬけ)
6. Twit(トゥウィット、ばか)
7. Waddle(ワドル、よちよち歩き)
8. Tinkle(ティンクル、おしっこ)
9. Bebop(ビーバップ、ジャズの一形態)
10. Egghead(エッグヘッド、インテリ)
11. Ass(アス、ケツ)
12. Twerp(トワープ、ボンクラ)
(略)
今回の調査が行われた主な目的は、将来的にユーモアに関する調査をする際、役立つようにとのこと。しかし今回の調査において、男女間における興味深い差が観察できたという。主に男性は「orgy(オージー、乱交)」や「bondage(ボンデージ、SMによる拘束)」と言った卑猥な言葉を面白く感じるのに対し、女性は「giggle(ギグル、くすくす笑う)」や「beast(ビースト、獣)」と言った、語感が面白いものを選ぶ傾向にあったというのだ。

性差関係なく面白いと感じた単語としては、「chug(チャグ、一気に飲む)」や「fluff(フラフ、間違える)」などで、男女ともに、あまり一般的でない言葉を面白いと感じることがわかったという。

これについて「おかしさは予想だにしない事態(不快に思わないものに限る)が起こった時に起こる」という仮説で説明できると研究者は指摘。また、あまり使われない言葉が面白く感じる理由の一つとして、その音も指摘している。人が面白いと思う音が存在し、たとえ意味がなくても面白おかしいと思える言葉を作ることが可能だとしている。

今回の調査はイギリスの研究者によってアメリカの被験者を対象に行われたが、両国で話される英語の違いに関わらず、面白いと思う言葉に差は確認できなかったということだ。

こうして一覧にして見てみると、面白おかしいとされる言葉のほとんどは性的なもの(しかしそれほど過激でないもの)や汚いものに関係しており、面白いと感じない言葉は苦痛や死に関係していることがわかる。また、今回の調査では若い被験者と年老いた被験者により結果が異なることも判明しており、研究が進めば、ジェネレーションギャップによるミスコミュニケーションなどを回避するのにも役立つかもしれない。

小さな子どもが、お尻とか汚いものを指す言葉を面白いと感じるのはなんとなくわかる。ただ、例語でこれらの単語が面白いのかどうかはネイティブじゃない僕らにはわからない。僕が小さいときには、日本語でもそうした面白い言葉というのがあったはずだが、いまでは覚えていない。そうした言葉は年代によって、変わってくるんだろう。

ひょっとすると、英語は表音文字であるため、音の響きとかで面白さを感じやすいのかもしれない。日本語には漢字とかながあり、表意文字(漢字)と表音文字(かな)が混じっているといえる。そうした文字をつかっている日本人にとって、面白い言葉・単語というのは、英語とはずいぶん違ってくるのかもしれない。

あまり関係ないけど、NHKのみんなのうたで「おしりかじり虫」というキャラクターがいましたね。
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折り紙名刺

本学の卒業生(機械工学科出身)の名刺は、折り紙建築ならぬ「折り紙名刺」となっている。名刺を開くと、ITERの内部構造が現れる。
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ITER(イーター)は、国際熱核融合実験炉で、フランスで建設が進められている。このITER計画には彼もかかわっており、ITERを紹介するために名刺を自分自身で手作りしているという。

ITERの建設中の状況は↓のとおり。
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ITERはトカマク型核融合装置であり、その中心部分は超伝導コイル、真空容器及び真空容器内機器等から構成されている。これらの機器は、運転温度が異なるため熱収縮を考慮し柔軟な支持系で支持されており、標準設計として0.2gの地震加速度に基づいて耐震設計がなされているだけである。そこで、それ以上の地震動に対応するために、ITER建屋は免震構造となっている。もう免震層は見えないけれど。。。

ITER計画を簡単にいえば、「地上で太陽をつろう!」というもの。原子力発電のように放射性物質などはでないクリーンなエネルギー源となることが期待されている。








世界初、発電ゴム開発

福島民報(3/8付け)に『世界初、発電ゴム開発』という記事があった。
福島大共生システム理工学類の島田邦雄教授=専門・流体工学、エネルギー工学=は光と振動により発電し、蓄電機能も有する導電性ゴムの開発に成功した。島田教授によると世界初で、国内特許を出願した。電源が課題となっている未来型ロボットの人工皮膚や、壊れにくい太陽電池の開発などへの応用が見込まれる。既にロボット研究者らが関心を示しており、福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想事業への活用も期待される。

島田教授は2001(平成13)年に磁石を溶かした液体「磁気混合流体」を開発した。今回は磁気混合流体に風船などの原材料となる天然ゴムを混ぜてゴム化した。ゴム化するには硫黄を混ぜ加熱する方法が一般的だが、天然ゴムと磁気混合流体を混ぜ合わせた材料に電気をかけてゴム化した。この手法により電気が非常によく流れる素材の開発に成功した。

現在の太陽電池は固体でゴムのような伸縮性がなく、衝撃を加えると壊れるのが一般的。導電性ゴムは伸び縮みしながらも光や衝撃に反応して、電気を発生させる。

2000年にノーベル化学賞を受けた白川英樹博士(筑波大名誉教授)はプラスチックは電気を通さないという従来の常識を覆し、電気が伝わる導電性プラスチックの作製に成功し受賞につながった。島田教授はこの研究成果から発想し、導電性ゴムの開発に取り組んだ。

島田教授によると、ロボット開発の課題の一つはロボットを動かす電源。導線をロボットに付けたりバッテリーを装着したりする必要がある。導電性ゴムをロボットの皮膚に使用できれば、光や衝撃によって電気を起こすことができ、外部からの導線が不要となる。バッテリーや導線としての機能も持ち、ドローンや自動車、義手、義足などへの活用が期待される。

島田教授は「この素材は想像していない分野への応用もできるはず。未来への夢が大きく膨らむ開発内容だと思う」と語った。
(以下省略)

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↑の写真は、2015年にリコーが発表した「発電ゴム」。この「発電ゴム」は、圧力や振動などの負荷をかけると電気を取り出すことができる。また、とても柔らかいシート状のゴムで、わずかな圧力を検知して電気信号を発生するという。

島田教授が開発した「発電ゴム」は光によっても発電し、蓄電機能もあるというところが新しい点ということだろうか。この発電ゴムの発電能力というのはどれくらいなのだろうか。さらに、力学的特性(硬さや伸び性能など)もわからないものの、もし建築構造物に組み込んで使うようなことはできるのだろうか。たとえば、制振ダンパー用の材料として使うことができれば、高層建物が強風によって揺れるたびに発電する、なんてこともできるかも。

天然ゴムのかわりに、高減衰ゴムを使うことができれば、減衰性能も高めることができそうだけど。島田教授も言っているように、「想像していない分野への応用」に期待したい。









免震の実験に長年携わった技師が退職

多田英之先生が免震構造の実用化を本格化させた1982年に、本学の第二構造実験室が完成しました。写真は完成したばかりの実験室の内部です。
実験室s

この実験室の加力装置などの操作や維持保全をしてきてもらったA技師が退職することになりました。八千代台住宅の振動実験のときには、車に計測機器を積んで福岡から千葉の八千代台まで一緒に行ったこともありました。このようにA技師は免震構造の実験に長年携わられてきました。

そこで、卒業生の有志によって退職記念パーティがホテル日航福岡で開催されました。卒業生30名ほどが集まり、楽しいパーティとなりました。
victory1

パーティ用に昔の写真を探していたら、1985年にゼミ合宿に行ったときのものと思われる写真(バーベキュー?)が出てきました。多田先生ご夫妻とA技師夫妻(後列)が写っています。A技師もそうですが、多田先生ご夫妻も若い(!)です。
victory2_1985年7月












ドバイでハイパーループを実用化

ハイパーループは、減圧されたチューブの中を超高速で移動できる列車で、いよいよ実用段階に入ったようだ。

この列車の最高速度は時速1200キロで、日本で建設が始まったリニア新幹線の2倍の速度となる。この列車のプロトタイプが、ドバイで公開された。2020年ごろの実用化を目指しているという。
hyperloop
こちらで、ほかの写真も多数公開されている。

もしハイパーループが実用化されたら、下の映像のようになるとか。


なんか夢の計画のようだけど、実現できたらスゴイね。減圧されたチューブの中を移動するので、空気抵抗が抑えられ、そのぶん高速移動が可能なんだろう。









3・11からの7年

今日で、2005年福岡県西方沖地震から13年目を迎えた。福岡県内には福岡市の中心を南北に走る警固断層がある。福岡市は警固断層によってマグニチュード7.2程度の地震が、30年以内に0.3〜6%の確率で発生するとしている。この確率は結構高いものの、備えは十分だろうか。
2005_Fukuoka_earthquake

建設通信新聞(3/14付け)の「建設論評」欄に『3・11からの7年―自然現象と社会―』という記事があった。
東日本大震災が起こった7年前の3月11日から既に7年も経ってしまった。ここで「既に」と書いたのは「まだ」解決していない大きな課題があるからである。

95年前、1923年の関東大震災では当時の国家予算の4倍から7倍といわれる大被害と10万人を超える死者があったが、7年後の30年には復興のめどは立っていたようである。例を挙げると、29年には濱口雄幸総理大臣を名誉委員長として古市公威日本工学会会長が主催した万国工業会議が東京で開かれ、震災復興を国際的にアピールして大成功を収めている。

ところが、「3・11」の復興状況は関東大震災と大きく違う。起こった自然現象は同じだったが社会は大きく発展し、人口、資産も増えていたのにそれに対応する防災投資が不十分だったのである。特に98年以降の公共投資削減政策の影響が大きかった。その結果、故郷に帰る見通しの立たない避難者がまだ7万3000人もいる。さらに深刻な問題は、この避難者の多くが福島県民だということである。その原因は原発災害という日本が初めて経験する災害が生じたことである。原発はエネルギーのない日本の救世主として重視されてきたのだが、結果として自然現象に対するもろさを露呈してしまった。

災害と社会の関係について一般には明確に意識されていないが、自然災害は自然現象を引き金とした社会現象であることを改めて強調したい。社会は時代とともに変わっていくから、自然現象は変わらなくとも災害に規模、形態は変わっていく。3・11では原発という大きな社会的変化があったにもかかわらず、自然現象への対応に失敗し、災害としてしまったのである。人類は災害をもたらす自然現象のメカニズムを古代以来探ってきたが、まだまだ未知の部分が大きい。さらに人類の力が大きくなり、自然に影響を与えるようになってそのメカニズムも変化している。

産業革命以来放出してきた炭酸ガスの温室効果による気候変動をみれば、メカニズムの変化は明らかである。洪水、地滑り、渇水、地盤沈下などに人間活動が影響していることも確認されている。水俣病、イタイイタイ病は、当初は自然現象が原因とされていたが、その後の研究で人為災害であることが判明している。人類は天が落ちてはこないと信じて生きてきたので「杞憂」という言葉すらあるが、最近の研究は天体の衝突により地震、津波、気候変動が起こることを明らかにし「杞憂」を死語にしてしまった。

一方、影響を受ける社会の方も年々発展を続けていく。その社会を支え災害を防ぐのが役割のインフラ自身も、発展を続けなければならない。

福島原発災害復興の主役の一員はインフラである。土壌汚染・地下水汚染対策には厳しい条件の中で、インフラ関係者が日夜取り組んでいる。その努力に並行して来るべき南海トラフ地震、首都直下地震、極端気象、大規模噴火などに対応できる社会をつくり、支えるのもインフラの役割であることを忘れてはならないのである。

震災に備えるには、建物の耐震化、インフラの整備なども大切だろう。しかし、人びとの防災への意識を高めていくことの方がより大事だと思う。災害列島に住んでいるという意識をいかに根付かせるかが課題ではないだろうか。ハード面の対策だけでは、災害への備えは不十分だ。








未来の建設生産の姿

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建設通信新聞(3/12付け)に『戸田建設 5年後の建設生産モデル発表』という記事があった。
戸田建設は、生産性を飛躍的に向上させる施工モデル「トダ・イノベーション・サイト〜2023年の姿〜」を発表した。超高層建築物を対象にタワークレーンの自動誘導システムやドローンによる施工管理などを導入、5年後の23年までに従来の労働集約型産業からの脱却と魅力的な産業の実現を目指す。

今回の構想では、地上構築技術、地下構築技術、ICT施工管理技術に着目し、生産性を向上する。地上構築技術分野では部材の揚重から取り付けまでの一連の作業の自動化を目標に掲げ、施工BIMデータ、3次元の位置データ、工程の管理データを活用した自動クレーンや無人搬送車(AGV)を実現する。地下構築技術の分野では基礎部のマスコンクリート解体技術や掘削土垂直水平搬送システムを開発し、生産性を向上する。ICT施工管理技術分野では位置測位技術、ネットワーク技術、IoT(モノのインターネット)技術やドローンを活用した生産性管理を推進する方針だ。

同社では16年に未来の建設産業モデルをまとめた「建設の未来像〜2030年の姿〜」を発表し、先端技術を活用した建設業の実現に向け研究開発を続けている。今後は実用化した技術を全国的に展開するとともに、中小規模の建物を対象とする技術開発に取り組む。

5年後は、あっという間に来そうだが、建築生産はそんなレベルに達しようとしているのだろうか。建築の現場にも、ICT技術がどんどん導入されていくのは間違いない。こうした技術を活用することで、そこで働く人たちの負担が減り、より高い品質をもつ建物ができることを期待したい。

おそらく、こうした技術開発は各社で実施されているのだろう。しかし、そこに使われている技術には共通のベースがあるはずだ。そうした共通の基盤を各社が協力して開発するなんてことは難しいのだろうか。その方が、各社の負担は減るような気もするけど、独自技術へのこだわりがあるのか・・・







日本酒の「もっきり」は、おこぼれ文化の最たるもの

ロバート・キャンベル氏が『日本酒の「もっきり」は、おこぼれ文化の最たるもの』として書いている。
むかし、日本ではお酒を飲む目的が何か、ということが議論されていた。酔うためであるとか味や香りを楽しむため以上に、飲酒という行為そのものが持つ趣(おもむき)、味の外にある人生の「味わい」に通じるものを追究するのが上手い酒だ、という考え方が根強い。

たまたま私の手許に、お酒の「正しい」飲み方を説いた江戸時代の板本(はんぽん)が二種類ある。どちらも、飲む時に相手との会話がはずみ、距離が縮まるかたちで杯を酌み交わす術(すべ)を教えている。ひとつ目は、『飲夢』という一冊(小原鉄心著、慶応三〔一八六七〕年刊。もと漢文)「酒を飲んで趣を知らない人は、本を読んで意味が分からない人と一緒だ」と、かなり手厳しい。江戸の酒席では始めに「乾杯!」といくのではなく、宴も酣(たけなわ)に有無を言わさず客と一緒にぐいと杯を挙げてから会を終える習慣があった。だが、それでは酒は十分に楽しめず趣がない、と断言する。「客と亭主が揃えば先ず大きな杯で一杯を酌み交わし、酔いを身に付けておくことだ。そこからペースを落とし、真情を語り合おう。こうしてようやく酒の中の趣を全うするのである」とまとめている。

もうひとつは、その名も『酒中趣』である(清代・石天基著、嘉永二〔一八四九〕年刊。漢文)。こちらは微醺(ほろよい)を奨める。ちかごろ流行っている晩酌は避けるべきで、気分もまだフレッシュな昼下がりから数杯の酒を飲んで「真の楽しみ」にひたるコツを書いている。

ひらたく言えば酒はきっかけであり、人生の醍醐味を味わうためのものだというわけだが、ここで思い出すのは日本酒の「もっきり」である。「盛切酒(もっきりざけ)」の略。徳利を使わず茶碗やコップ一杯でいくらと定めて売る酒のこと。注ぎつ注がれつの煩わしさもなく個人主義的で、銘柄の選択にも人柄が表れる。給仕する人が升酒の枡を白い皿におき、または枡の中にコップを置いて、瓶から直接どぶどぶと清酒を注ぎ、溢れさせる。最高である。ヨーロッパでグラスワインを頼むとそのグラスに目盛りがしっかりと印字してあって、一ミリの狂いはない。これに比べると、溢れさせた日本のもっきりはまさに「零れ幸い」で、格段の趣が出る。おこぼれ文化の最たるものだと私は思う。
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出張で博多に行くことが多いが、帰りに必ず博多駅の奥にある住吉酒販という角(かく)打ち(立飲み屋)に寄る。九州一円の美酒をもっきりで飲めるから堪らない。その上にアテも美味く、酒を出す工夫をいろいろしている。好きなひとつは「イロハニ枡」。大きな枡に別々の酒を盛ったガラスや陶器のお猪口を四つ置いてぽんと出す。枡の外側に「イ」「ロ」「ハ」「二」と焼き印が付いていて、何を飲んでいるか瞬時に分かる。盛っている種類が別々なので零したりはしないけれど、零れたように、とてつもなく豊かな気分になる。

お酒(飲酒)はコミュニケーションのツールとなったり、気分をリラックスさせてもくれる。適度の飲酒は、良い効果をもたらしてくれそうだ。でも、やはり飲み過ぎはダメだ(自省もこめて)。

これから桜が咲いてくれば、お花見という方も多いだろう。昼間から満開の桜の下で飲むお酒は最高でしょう。くれぐれも飲み過ぎないようにしたいものだ。








フロリダで歩道橋が崩壊

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米国フロリダで歩道橋が崩壊し、車が下敷きになる事故が発生した。
この歩道橋は、別の場所で建設されたものを移動して設置された。道路の封鎖を最低限にするためにこうした方法が選択されたのだろう。歩道橋の設置の状況は、↓の映像で確認できる。


こうして設置された歩道橋がどういう理由で崩壊したのかは、まだわからない。しかし、歩道橋の写真をみてみると、床板にはおそらくプレストレスが導入され、中央にだけトラス構造があるようだ。この事故をみて、2003年に新潟の朱鷺メッセの歩道橋が落下した事故を思い出した。構造はフロリダの歩道橋とは異なるが、トラス構造という点では同じだ。

フロリダの歩道橋の事故原因が究明されることを期待したい。







オーバースペックの呪縛

日経新聞(3/14付け)に『「適正」認識 世界とズレ オーバースペックの呪縛』という記事があった。
大手メーカーによる品質不正が相次いだ昨年11月。都内のある機械部品メーカーの営業担当者は顧客のロボットメーカーに頭を下げた。「人手も少なく装置も足りないので試験回数を減らさせてほしい。品質は変わりません」。だが、相手の購買担当者は最後まで首を縦に振らなかった。

「試験を何度しても強度の数値は求められた品質の範囲内。減らしても耐久性や安全性に問題はないが」。その担当者は肩を落とす。
(略)
「過剰品質」の呪縛からどう日本の製造業を解き放つか。東レの日覚昭広社長は反省を込めて「特別採用(トクサイ)に代わる新しい物差しが必要」と話す。トクサイとは顧客の同意があれば契約した品質基準を下回っても出荷できる日本工業規格(JIS)にも定められた制度だ。神鋼や東レ子会社などはトクサイを悪用、顧客の同意なしに出荷していた。

日覚社長は「品質をグレード別に分けて取引する」ことを提唱する。強度や耐久性などの品質に応じ価格など取引条件を分類。サプライヤーと顧客はその条件に従って契約する。トクサイが入り込む余地はない。

「日本と欧米では樹脂や成形部品など適正な品質に対する考え方が違う」。旭化成の小堀秀毅社長は指摘する。独BASFやティッセン・クルップなど素材大手は欧州車メーカーに必要十分な品質規格を提案。車メーカーも素材メーカーの提案を受け入れ高コストにつながる過剰品質を排除する。

日本ではメーカーが乱立し、ライバルを制して受注するために素材各社はライバルより高い品質をアピールする。一方、車メーカーも故障などに備えて抱えておく交換部品の在庫を減らしたいがために、高い品質を素材メーカーに要求する。

欧米では製品に欠陥があれば即座にリコール(回収・無償修理)し部品交換で対応する。一方、日本では「リコール=悪というイメージが根強く高品質の部材を採用してリコールを極力避けることを考える」(国内車メーカー幹部)という。

日本能率協会コンサルティングの宗裕二品質革新センター長は「欧米の製造業では契約書にある品質データが全てで、それ以上も以下もない。従ってトクサイは通用しにくい」と指摘。そのうえで「グローバル競争が激しくなるなかトクサイを再考し、顧客と取り決めた品質と価格に従って厳格に取引する制度を根付かせるべきだ」と訴える。

素材や製品にどこまでの品質や性能が必要なのか。この点を明らかにすることを案外むつかしい。ユーザーは品質や性能が高いことに超したことはないと考えるだろうし、逆にどこまで性能を落としても大丈夫なのかというのも決めにくい。結果として、それほどコストが変わらないのなら、高い品質・性能を求めることにつながるのではないだろうか。

日本において素材や製品の品質不正が広く行われていたことが明らかとなった。製造側はもともと高い品質と性能を持っているのだから、多少規格をはずれても問題ないはずだという認識が働いたのだろう。それがいつか当たり前になったのかもしれない。

グローバル競争が激しくなるなか、過剰品質の製品で競合する海外の企業と競争できるのだろうか。

ずいぶん前の免震構造の国際会議でのこと。日本では大地震時に大きな免震層変形が起きるので、積層ゴムの変形性能を高めることが必要で、そのための解決策を提案した発表があった(僕ではありません)。それに対して、海外の研究者・実務者からは、なぜそんなことをしないといけないのか、理解できないといった発言があった。その国で求められる免震層の変形は日本よりずいぶん小さかったようだ。これは地震動の大きさの違いによるものではあるし、過剰品質とはちょっと違うものの、日本で求められている品質・性能は海外からみると、オーバースペックと映りやすいのではないかと思われる事例の一つであると思われる。

そんななか、今年、積層ゴムに関する新しいJISができた。
  JIS K 6410-3:2018
  「建築免震用積層ゴム支承―第3部:高耐久・高性能の仕様及び試験方法 」

JISK6410

ここでは、積層ゴムの性能や品質を、変形能力や特性バラツキの大小などによってグレード分け(グレード機↓供↓掘砲できるようにしている。グレード気JISK6410-1に規定されているもので、グレード供↓靴呂修谿幣紊陵弋畧能が求められている。具体的には、グレード靴任蓮⊃緤森篝のバラツキは±10%、破断限界ひずみは450%以上となっている。

こうした規格で、日本の製品が海外で使われるようになるだろうか。それとも海外の安い製品が日本に入ってくるのを防ぐことができるだろうか。日本の施主や設計者は、積層ゴムには高い性能を求めたいだろう。では、その高い性能を満たすために、製造コストがあがった分、高く買ってくれるだろうか。逆に、海外で使ってもらうために、わざと性能を落とした製品を安く造れるのだろうか。

積層ゴムが大量生産されていればストックから、それに見合った性能の積層ゴムを出荷できるだろうが。いまのように少量生産では難しい?










アマゾンとコンビニ

日経新聞(3/2付けの夕刊)の「プロムナード」欄に東浩紀氏が『アマゾンとコンビニ』と題して寄稿している。
ぼくは狭い空間がどうも苦手である。みなそうだと思われるかもしれないが、じつはそうでもない。狭い空間が好きなひとはけっこういる。

そもそも日本人は狭い空間が好きである。日本文化は、狭い空間を工夫して使うことに高い価値を置いている。茶室や弁当が典型だが、その伝統はいまも生きている。建築界には「狭小住宅」なるふしぎな言葉があるし、現代日本を象徴する建物といえばコンビニである。そしてホームセンターに行けば、どこでもアイデア収納商品が山と積まれている。

よく言われるのは、日本は土地がないからしかたないとの理由である。しかし、ぼくはそれは疑わしく思っている。地方のロードサイドに行くと、だだっ広い駐車場の真ん中にぽつんと小さなコンビニが建っている光景によく出くわす。ワンルームマンションも全国どこにでもある。うまいラーメン屋はたいてい狭い。いくら広大な土地があっても、コンビニや1DKやひとひとりすれ違えないような狭いカウンター席が好んで作られているのだ。日本人は「工夫された狭い空間」が積極的に好きなのではないか。

ぼくも日本で育ったので、その美学が理解できないわけではない。けれども、会社をはじめてからすこし考えが変わってきた。狭さはそれなりのコストを伴っている。

そのなかでも最たるものが収納コストである。狭い空間を工夫するというのは、つまりは工夫するコストをかけるということだ。なにをどこに置くかに頭を使い、なにをどこに置いたかを思い出すのに頭を使い、取り出すのにも頭を使う。日本人はその工夫こそが効率的だと捉えているふしがある。たしかにコンビニの商品配置はある種芸術的だ。

けれどもみながコンビニをまねる必要もない。空間コストと収納コストのトレードオフを考えるとき、ぼくがよく思い出すのはかつて見たアマゾンの倉庫映像である。端末に送られる配送指示にしたがい、従業員とロボットが連携し24時間商品を取り出し続けるその棚は、驚くぐらいスカスカで、それまで見たことのあるどの倉庫とも違っていた。同じ商品が複数の場所にあり、ひとつの棚には数個しか商品が置かれていない。おそらくアマゾンは、商品の探索や取り出しにかかる時間をかぎりなくゼロにしたいと考え、そのためには空間はいくら犠牲になってもいいと判断している。アマゾンの考える効率性は、コンビニの効率性とはまったく異なっているのだ。
(アマゾンの倉庫の写真は、こちらで)

アマゾンとコンビニ、どちらが「美しい」かは判断のわかれるところだろう。倉庫ならともかく、自室や自社の空間設計となれば、最終的には趣味によるとしかいいようがないかもしれない。コンビニ型の迷宮的空間が安心するというひとも多いにちがいない。

収納という面では、僕は書類や資料を整理するのが苦手だ。たまに、あの資料どこにやったっけ?といって研究室中を探し回ることもある。きちんと整理してルールを決めて片付けておけば問題ないはずなのだ。ただ、資料を整理するのはちょっと手間がかかる。その手間を惜しむからいけないのだが。最近ではスキャナーが使いやすくなったので、片っ端からスキャンしてハードディスクに入れておくなんてことも試みている。まっ、これも後で探すのに苦労することもあるのだけれど・・・

ところで、アマゾンがコンビニ「Amazon GO」の1号店をシアトルにオープンさせた。レジがないので、並ぶ必要がないらしい。入店するときにスマホ(専用アプリが必要)をかざしてQRコードを読み取れば、あとは商品を選んで店を出るだけ。天井に設置されたカメラがどの商品を手に取ったかを記録しているそうだ。
amazongo-1024x538amazon-go

商品棚の作り方も日本のコンビニとは違うけど、決済方法もずいぶん違う。こうした決済方法もだんだんと増えていくのかな・・・









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講義中・・・
著書など
研究室のマスコット
「アイソレータ・マン」。頭部は積層ゴムで、胸にはダンパーのマークでエネルギー充填
『耐震・制震・免震が一番わかる』
共著ですが、このような本を技術評論社から出しました。数式などを使わずに耐震構造、制震構造、免震構造のことを、できるだけわかりやすく解説しています。
『免震構造−部材の基本から設計・施工まで−』
免震構造協会の委員会活動の成果として、このような本をオーム社から出しました。免震構造の基本をしっかり学べるような内容となっています。
『4秒免震への道−免震構造設計マニュアル−』
いまでは少し内容が古いかもしれませんが、免震構造の基本的な考えを述べています。初版は1997年に理工図書から出ていて、2007年に改訂版を出しました。
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