クールビズ勘違い

日経新聞(8/25付けの夕刊)に『クールビズ勘違い7割』という記事があった。
「クールビズ」の意味、本当に分かっていますか――。
オフィスの空調設備管理などを手がける三菱電機ビルテクノサービスがこんな調査をしたところ、約7割が勘違いしていた。すっかり浸透したように見える夏の省エネ対策だが、正しい理解は広がっていない実態が浮き彫りになった。

6〜7月、オフィスで働き、エアコンの設定温度を変更できる男女1千人からインターネットを通じて回答を得た。

結果を見ると、省エネへの意識は高いとみられ、75.5%の人が「職場でクールビズやスーパークールビズを実施している」と回答。一方、環境省が示した「衣服を軽装にして、冷房時の室内温度を28度に調整」というクールビズの定義を正しく理解している人は、23.8%にとどまった。

誤った認識の内容としては、室内温度ではなく「エアコンの設定温度を28度にする」と認識している人が38.2%と最多。「夏の間はエアコンの設定温度を変更しない」など、ほかの内容も含め70.5%がクールビズの意味を勘違いしていた。

ちなみに、実際にオフィスで設定しているエアコンの温度を尋ねた結果では、勘違いしている人が多かった28度は19.9%。最も多かったのは24.8%の26度と、ちょっと涼しめの設定。ほかに27度が19.3%で、22度以下が1.9%、決まっていないという回答も6.0%あった。

この時期、朝夕は少し涼しく感じるときもあり猛暑は過ぎてきてるようだが、仕事場ではクールビズで室温の設定も28度とされているところが多いのではないか。体感温度としては、温度だけでなく湿度も大切で、湿度の調整もできているとずいぶん感じ方も違うと思う。

さて、クールビズもずいぶん定着しているようだが、やはりどんな服装がいいのか、男性にとっては悩ましいところだろう。一番多いのは、「ノーネクタイ」や「半袖シャツ」だろうか。もちろん「ジャケット」もなしが多いだろう。中にはポロシャツというところもあるかもしれない。

しかし、これはやりすぎだろう・・・・
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大学をどう変える?

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日経新聞(8/20付け)に『大学をどう変える 「公共財」としての価値を高めよ』という記事があった。
政府は高等教育の無償化の検討を始めた。だが、私立大学の約40%が定員割れし、大半の大学が学力による学生の選抜機能を失っている。現状のまま無償化で門戸を広げれば、大学の一層の質の低下は避けられない。

必要なのは、量的拡大よりも国際競争力の強化だ。人材育成や研究の中核を担う「公共財」としての価値をいかに高めるのか。長期的な視野に立ち、抜本的な大学改革に乗り出す時だ。

まず、検討すべきは大学の規模の適正化だ。
バブル経済崩壊後の低成長、少子化時代に、大学はその数、入学定員を増やし続けた。その結果、志願者の90%超が進学する「全入」に近づいた。水ぶくれした大学が限られた予算を奪い合い、国全体としての教育・研究の投資効率を低下させてはいないか。

18歳人口のピークは1992年度の205万人。直近は120万人で、2040年には88万人と予測される。現在の大学数は780。92年に比べ18歳人口は約40%減ったが、大学数は約50%、入学定員も約25%それぞれ増加した。

今の大学進学率、入学定員が維持されると仮定すると、20年後には十数万人規模の供給過剰になる。入学定員1000人の大学が100校以上不要となる計算だ。
(略)
大学の数や入学定員が急増したのは、「事前規制から事後チェックへ」という政府の規制緩和策が大学設置基準にも及び、一定の要件を満たせば新規開設が認められるようになったからだ。

規制緩和の本質は、新規参入を促す一方、質の低いサービスは市場から淘汰される仕組みにある。しかし、大学の経営や教育水準をチェックするため2004年度に文科省が導入した「認証評価制度」がうまく機能していない。

大学基準協会などの機関が評価結果を公表しているが、社会的にほとんど認知されていない。財務省の財政制度等審議会は、主に規模や定員の充足率に応じ交付する私立大の補助金を評価結果に連動させ傾斜配分すべきだと提言。学術論文の数や学生の就職実績なども勘案すべきだと指摘する。

どんな評価指標が妥当かは議論の余地があるが、公費の使途や効果の「見える化」は国民的な要請だ。評価機能の拡充も課題だ。

その点、気になる動きがある。評価機関によって経営や教育が「不適格」とされた地方の私立大が公立大に衣替えするなど、定員割れの私大を地方交付税で救済する事例が相次いでいる。納税者の観点からは、違和感がある。

日本の大学の国際的評価が総じて低調なのは、密度の低い教育を量的に拡大してきたからだ。高等教育無償化の前提は、各大学が入学金や授業料が公費で充当されるにふさわしい公的価値を持つことを、社会に証明することにある。

国はまず、定員を戦略的に削減し教育の質を高める大学を支援するなど規模適正化と、外部評価に応じた資金配分に着手すべきだ。

18歳人口が2040年に88万人となるということは、現在よりも30%ほど減るということになる。その後も若者は減っていくので、進学率が上がらない限り入学者を確保することは難しくなる。入学者の確保が難しくなってから大学の統合や再編が行われるのか、それとも先を見越して戦略的に定員の削減などが行われるようにするのか。

入学生の定員削減は私立大学にとっては死活問題であり、教職員数の調整とあわせて、それなりの時間を要する。いまから20年、30年先を見据えた改革が必要となる。単に経営上の問題だけでなく、『密度の低い教育』の改善も求められる。この問題については、大学入試のあり方、就職や採用のあり方、もちろん大学教育のあり方などを検討しなければならないだろう。

未来の大学は、これまでの「学校」というものを必要としないかもしれない。いまでもアメリカの大学ではたくさんの授業をビデオで公開している。こうした映像をみて学習することは可能だ。将来はオンライン授業を受けることで大学を卒業できるようになるかもしれない。テクノロジーの進化によって、これまでとは異なる大学が実現するかもしれない。

広辞苑によれば、「公共財」とはその便益を多くの個人が同時に享受でき、しかも対価の支払者だけに限定できないような財やザービスを指し、公園や消防・警察などがあたるとされている。大学が学生だけでなく、社会にどのような財やサービスを提供できているのかを、見直してみることも必要だろう・・・

未来の年表

河合雅司著『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(講談社現代新書)を読んだ。
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国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2017年に約1億2653万人だったのが、50年後の2065年には約8808万人(2017年に比べ約70%)、100年後には約5060万人(約40%)になるという。さらに、200年後には、約1380万人(約10%)となる、そして300年後には約450万人になるという。これは今の福岡県の人口よりも少ない。

日本列島を1平方キロメートルごとに区切って人口の増減の見通しが国土交通省の「国土のグランドデザイン2050」に示されている。これによれば現時点で人が住んでいる約18万地点のうち、2050念には63%で人口が半分以下になり、その3分の1にあたる19%の地点は誰も住んでいない無居住エリアとなる。
2050年までに無居住化する地点

本書の第一部では、日本の将来がどうなっていくかが年表形式で紹介されている。それを踏まえて第二部では10の処方箋が示されている。
(1)「高齢者」を削減
年齢区分を見直して75歳以上を高齢者と呼び、65歳から74歳を准高齢者として区分するという。これにより社会保障費を削減できるかもしれないものの、人口減少問題の本質的な解決にはならないだろう。
(2)24時間社会からの脱却
いまの便利すぎる社会からの脱却で、過剰サービスを見直すことで不要な労働を無くし、社会全体の労働時間を短くするという提案。確かに、少なくなる労働力をいかに効果的に配分するかという問題の解決につながるだろう。これには日本の消費者が不便さを受け入れてくれるかどうかにかかっている。
(3)非居住エリアを明確化
人が住む地域と、そうではない地域を明確化し、コンパクトで効率的な国につくりあげる。コンパクトシティを目指すということだが、土地所有の問題や故郷への郷愁といった問題を解決する必要があろう。

そのほか下記の処方箋があげられている(項目だけ掲載する)。
(4)都道府県を飛び地合併
(5)国際分業の徹底
(6)「匠の技」を活用
(7)国費学生制度で人材育成
(8)中高年の地方移住推進
(9)セカンド市民制度を創設
(10)第三子以降に1000万円給付


(1)〜(9)までの処方箋は人口減少にともなう社会の激変を少しでも緩和する方策であり、人口減少を食い止めるには出生数を増やしていくしかない。日本では未婚で出産する女性が少ないことを考えると、結婚支援が最も効果的となる。そのため真っ先に取り組むべきは、雇用を安定させ、出会いに恵まれない人のきっかけをつくることだろう。

そして第二子を増やすには長時間労働の改善が必要。第二子が生まれた世帯への優遇策(たとえば大学を卒業するまで所得税を下げるなど)も必要となる。さらに第三子以降を増やすには、経済的な負担を軽減する方策が求められる。それが、第三子以降に1000万円を給付するという提案となっている。

いずれにしても、安心して結婚がでてき、子どもを育てることができる社会を作っていくことが必要となる。そのためには、これからの日本社会がどのように変化していくのかを理解し、対策を考えていくことが必要だろう。

昔のお見合いのようなことをしてくれるお節介なオバちゃんも求められている、のかも・・・

フィッシュ&チップスと在外研究

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日本機械学会誌(8月号)の「Myメカライフ」欄に埼玉大学の荒木稚子准教授が『フィッシュ&チップス』と題して寄稿している。荒木准教授は、現在イギリスで在外研究(英語ではサバティカル)をされており、これで3回目の在外研究だそうだ。
現在在籍している大学の学食では、金曜日になるとフィッシュ&チップスが出てきます。また金曜日になると、近所のスーパーでは魚が20%オフになり、通勤路のサンドイッチ屋では魚フライのサンドイッチが突如出現します。どうやら金曜に魚を食べる習慣があるようです。

調べてみると、この起源はユダヤ教徒が週の7日目の安息日(サバス)に魚を食べることにあるとのこと。サバティカルの語源は、このサバスにありますが、元々は聖職者が7年目に休息を取るために行われていたものでした。
(略)
自分自身の反省と周りの方の体験を参考にするに、より充実した在研(在外研究)生活を送る上で重要(だけれども特に理系日本人が苦手)なことは、『コミュ(ニケ-ション)力』『図々しさ』、そして『柔軟性』ではないかと最近感じています。

まずコミュ力ですが、ある程度の語学力は必須としても、決して流暢である必要はなく、『とにかく意思の疎通を速やかに行うこと』が一番大切です(自戒)。また現地で人を動かすときには、ときには私たち日本人が『図々しいと思うくらいの態度』が必要になることがあります。さらに、現地ではさまざまなことが思い通りに進まず、日本の研究環境が恋しくなったりもしますが、それでも『めげずに状況に柔軟に対応する姿勢』があれば、想像以上に多くのことを学ぶことができるかと思います。

私も三度の在研を経て、日本人の奥ゆかしさを忘れ、Japanglishをひるまず使い、逞しくも柔軟に学ぶ術(?)を少しは身に着けたように思います。

本学でも在外研究の制度はあるものの、7年に1回もとれることはない。人数制限があるため多くは在職中に1度くらいだろう。しかし、7年でなくとも10年とかに1度くらいは大学の雑事から解放され、新しい研究のネタを仕込んだり、研究者のネットワークを広げたり、日常ではできないことをやってみるのは、研究の拡大と進展にとっても有効だと思う。

また、『コミュ(ニケ-ション)力』、『図々しさ』、『柔軟性』は、学生が留学するときにも有効だろう。なかなか長期の留学をする学生は少ないものの、短期の留学(語学研修的なもの)に参加する学生は多い。そうしたときでも、図々しさを発揮して、現地でコミュニケーションをはかって欲しいものだ。

黒板アートが人気

中高生に「黒板アート」が人気だそうだ。
学校の教室で、教員が授業の内容を書く黒板。
これをキャンバスに見立て、チョークで一面に色鮮やかな絵を描く「黒板アート」が中高生の間で盛り上がりを見せている。黒板メーカー主催の全国大会も開かれ、新たな表現手段として注目されそうだ。

第2回の黒板アート甲子園で最優秀賞を受賞した作品では、黒板に穴があき、教室と野生の世界がつながっている。キリンやトラが飛び出すのを見て、驚く生徒たち。静岡県立富士宮東高の美術部員がバーチャルリアリティー(仮想現実)の視覚効果をテーマに、縦1メートル、横4.5メートルに描いた作品となっている。
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動物の毛並みなど淡い部分はハケでぼかし、消しゴムで影との境界を明確にした。2016年に続き今春開かれた「黒板アート甲子園」には87校が参加。富士宮東高の作品は独創性が評価され、最優秀賞を受賞した。中心になって制作した3年塩沢海斗さん(18)は「紙と違い黒が基調なので、明るさを加えていく作業。このサイズで絵を描くことはなかなかないので楽しい」と目を輝かせる。

高校は大学入試に向けた受験勉強で忙しいのではないかと思うものの、こうした活動に参加することは意義があることだと思う。大学入試では、試験で学力(高校で学んだ知識)が問われるが、知識だけでなく、表現力や主体性などもこれからの大学入試では問われるかもしれない。

いや、大学入試で問われる問われないに関わらず、大学で学ぶための態度や姿勢といったものにつながるのではないかと思う。

進む大学生の「受け身」志向

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日経新聞(8/10付け)に『 進む大学生の「受け身」志向 大学の授業改革と逆行』という記事があった。
ベネッセ教育総合研究所は、大学生の学習や生活の実態調査をまとめた(プレスリリースPDF)。大学がディスカッションなど主体的・対話的な授業を増やす改革を進める一方、学生側の学ぶ姿勢は逆に受け身になっていた。同研究所は「授業改革の方向性は正しいが、学生の気質を変えるに至っていない」と分析している。

調査は2008年から4年おきに実施しており、今回は16年11月から12月にかけて全国の大学1〜4年生約5000人を対象に行った。

大学で経験した授業に関する問い(複数回答)では、グループワークをする授業を経験した学生が71%。08年に比べて18ポイント増えた。プレゼンテーションをする授業は67%で16ポイント増。授業に取り組む態度(同)を聞くと、グループワークなどで「異なる意見や立場に配慮する」とした学生が67%で14ポイント増、「意見を言う」と答えた学生は59%で12ポイント増えた。

一方で、学習の方法を「授業で指導を受ける」と「自分で工夫する」のどちらがよいかを尋ねると、51%が前者を選んだ。この数字は08年から11ポイント増えた。学生生活についても「学生の自主性に任せる」より「教員が指導・支援する」方がよいと考える学生は38%で、08年を23ポイント上回った。

「あまり興味がなくても単位を楽にとれる授業がよい」と答えた学生の比率は8年前より13ポイント多い61%だった。大学選択で重視する点(同)として「興味のある学問分野があること」を挙げた学生は54%と10ポイント減少した。

松本留奈研究員は「学生の依存的な傾向が強まっている」と指摘。そのうえで「学生の気質には社会や経済などいろいろな要素が影響する。(授業改革で)学生の気質を変えるのには時間がかかる」と指摘する。

大学は、文科省が進める高大接続改革もあり、入試改革と併せて授業改善などに取り組もうとしている。学生が自主的に学んだりできるようにしたり、アクティブラーニングなどを導入したりと試行錯誤の段階だ。しかし、学びたい学問分野に興味や関心がなければ、学ぼうという動機付けができていないかもしれない。もちろん大学に入学してから、学びたいと思えればいいのだが。

この調査では、高校時代の進路決定について「興味のある学問分野があること」を重視して大学選択した学生が減少していることが示されている。16年は約55%で、8年前に比べて10ポイント減少している。当然かもしれないが、「興味のある学問分野があること」を重視しなかった学生ほど、高校時代に進路や将来について積極的に考えていなかったと回答している。大学のオープンキャンパスに多くの高校生が参加している(本学でも13000人以上参加)。こうした機会をつかって、是非とも興味ある学問分野を見つけてほしいものだ。

いま大学では、3つのポリシーを策定し公開することが求められている。ディプロマポリシーは大学が学生に卒業するまでに身につけさせたい能力を明文化したものだ。そうした能力をつけるための教育プログラム(主に授業科目)に関するカリキュラムポリシー、そして入学生に求める能力などを記載したアドミッションポリシーがある。このディプロマポリシーを理解している学生ほど、大学生活に満足しているという調査結果が得られている。「大学生活を総合的に判断して」(とても+まあ満足している)割合は、ディプロマポリシーを「知っていて理解している」と「知らない」で21ポイントの差があった。大学は単にポリシーを策定するだけでなく、受験生や大学生にポリシーを理解してもらうことも重要だろう。

学生の志向が変わるなか(学生の生徒化?)、大学は多様な資質や能力をもつ学生を対象とした教育改革に挑まなければならない・・・

地震リスク評価の不確実性

朝日新聞(8/10付け)の「私の視点」欄に京都大学の清水美香氏と橋本学氏が『地震リスク評価 不確実性、社会で向き合おう』と題して寄稿している。 
「いつ」「どこで」「どのように」地震が起きるかの予測は、不確実性を伴う。日本は、地震リスクの不確実性をとらえ、今後に生かすかの岐路に立たされている。一部の自然科学者のみならず、社会科学者、政府や自治体、緊急事態関係者、市民らが協働で向き合う必要がある。

現在、地震予知を前提とした「大規模地震対策特別措置法(大震法)」は、東海地方のみに適用されている。予知→意思決定→警戒宣言→指示という対応だ。これを南海トラフ沿いの全域に拡大するか、観測から得られる情報を活用する方策はないかを巡り、政策議論が続いている。地震予知には本質的な困難があるのに、予知の精度を高めること、地震学の実力を高めることが問題解決の糸口になるような見解や報道も見聞きされるが、科学の現実を踏まえていない。

地震の予測は「あいまい」「情報が怪しい」ではなく、最善の最新の科学でも予測できない不確実性がある。理論が確立し、豊富な経験を擁する気象予測とは訳が違う。大地震に備えるために議論すべきことは、「不確実性をもつ地震リスク情報を、いかに『日常的に』適切に市民に伝えられるか」という切り口だ。

こうした問題意識から、政策研究者の清水、地震研究者の橋本ら多様な分野の専門家が協働する京都大学の研究グループは、企業や学校などに重点を置いた、地震リスクと不確実性についてのワークショップを行ってきた。参加者からは「不確実性への理解が変わった」「普段の防災対策を見直すきっかけになった」「外れても空振りなんて思わない、小さな変化でも情報提供がほしい」といった声が聞かれた。

その点で、米国カリフォルニア州の取り組みは参考になる。科学者らの継続的な科学評価を通じ、地殻変動などの特異な変化を観測すると、たとえその変化が大地震につながる可能性が5%程度でも、緊急事態関係者は公式情報として自治体や市民に伝える。法的な強制を伴わず、防災対策の見直しを促す「アドバイザリー」情報の提供だ。

同州で、公式のアドバイザリー情報で注意が発せられて実際に大規模地震が起きた例はない。一方で、情報を発しても地震が起きなかった「空振り」によって、社会の混乱を引き起こす事態も起きていない。それどころか、科学者と緊急事態関係者、さらには地方自治体、市民の間のリスクコミュニケーションの強化につながっているという。

こうしたことをヒントに、岐路に立つ私たちは、今後に備え、日本の社会や暮らしを守り続けるために、多様な関係者を巻き込んだ協働による地震リスク評価体制やコミュニケーションの仕組みの構築を、急がなければならない。

「空振り」を、日本(人)は嫌う傾向にあるように思う。もし起きなかったら、もし違ったら、という強迫観念が強いようにも思う。情報を出す方は「空振り」を覚悟し、情報を受け取る方もその情報の扱い方を理解していることが必要だろう。

市民と専門家、あるいは市民間のリスクコミュニケーションを強化していくことが必要だろう。京都大学の取り組みは地道ながらその成果が出ているということかもしれない。その方法論を広く公開し、多くの自治体などで、同様の取り組みを進めていくことも求められよう。

東京都は「東京防災」という冊子を配っている。自治体からのこうした情報提供も必要だろうが、地震リスクを正しく理解してもらうには、一方向ではなく双方向のコミュニケーションが必要なのだろう。
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といいつつ、専門家の間でのリスクコミュニケーションも活発にしていかないといけないだろう。

免震エキスパンションジョイントのこと

免震構造は地震時に変位(水平移動)することが必要となる。変位する部分に人がはさまれたり、モノが落ちたりしないように、カバーをすることが一般的である。最初の頃は犬走りを設けることが多かったが、最近ではバリアフリーへの対応ということもあってか、周囲の地面と段差のないエキスパンションジョイントが用いられることが多くなっている。

2011年の東日本大震災や2016年の熊本地震などにおいて、免震構造はその有効性が示されてきている。しかし、免震エキスパンションジョイントが損傷する事例が多数見られている。これらの中には、設計上の配慮が足りなかった例もあったが、そもそも3次元で揺れる免震建物と地面側(地球側)を接続することの難しさもある。

ただ、エキスパンションジョイントが損傷をしても、それによって人が怪我をするということは今まではなかった。

下の写真は、東京都内の某所にある高層マンションのエキスパンションジョイント部分を撮影したものである。この建物の敷地は少し傾斜している。そのため片側の側面道路は坂道になっていて、そこにエキスパンションジョイントが設けられている。建物側には免震建物であり最大50cm移動するという表示板もあった。
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しかし、この建物敷地と道路の境界が縁石などで仕切られている。もし、エキスパンション近くに人がいたり歩いているときに地震が発生したらどうなるだろうか。エキスパンションジョイントが移動してきた時にとっさに避けることができるだろうか。理屈としては、道路側にすぐに移動すれば大丈夫ということかもしれないが、高齢者や子どもは・・・
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道路側には歩道が整備されるかもしれないので、エキスパンションジョイントの側を通る人は少ないということかもしれない。いずれにしても、エキスパンションジョイントが地震時にどうなるかについて、設計者や施工者は想像力を働かしてほしい。また、性能評価機関などでも免震建物の設計をチェックする場合には、エキスパンションジョイントの納まりについても留意してほしい。

ちなみに、この坂道側と反対側にもエキスパンションジョイントがある。道路側の歩道を歩くよりも、このエキスパンションジョイントのところを通る人が多かったようだ・・・
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活断層探る宇宙の「目」

朝日新聞(8/10付け)に『活断層探る宇宙の「目」』という記事があった。
地殻変動を捉える「目」として注目されているのは、宇宙航空研究開発機構の地球観測衛星「だいち2号」に搭載されている「合成開口レーダー」だ。衛星からマイクロ波を照射し、地球からの反射波を受信して距離の変化をつかむ。その解像度は3メートルで、先代の「だいち」の10メートルから大幅に上がった。軌道の安定性が向上し、数十メートルにわたって生じた地表の変化なら、わずか数センチの上下変動も検出可能。地上での調査では見逃されがちな変化を、上空から把握できる。

昨年4月の熊本地震では、その解析力がフルに発揮された。
熊本地震は、日奈久断層帯と布田川断層帯で起こった。しかし、その周辺で、200以上の小さな断層が動いていたことが、国土地理院による解析でわかった。

典型的な長さは数キロ程度で、地表のずれは数センチから数十センチ。活断層に誘発されて動く「おつきあい断層」だ。布田川断層帯から離れた場所にも多数見つかったことに、専門家は驚いた。活断層に伴う地殻変動は、これまで考えられていたよりずっと複雑なことが浮き彫りになった。
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東北大の福島洋准教授は、合成開口レーダーのデータを使い、昨年12月28日に茨城県北部で起きたマグニチュード(M)6.3の地震について解析した。その結果もまた、活断層の常識を覆すものだった。

この地震は、2011年3月19日の地震(M6.1)と同じ断層の活動により発生したことが判明した。M6の規模の地震は、通常なら数百年以上の間隔をおいて起きるというのが従来の常識だった。だが、東日本大震災を起こした東北地方太平洋沖地震(M9.0)の影響でこの地域の地殻の状況が変わり、急速にひずみがたまったため、わずか5年9カ月後にM6級の地震が再び起きた。

これまで、活断層では「同じ規模の地震が、ひずみをためきる周期で繰り返し発生する」と考えられてきた。しかし、空からの詳細な観測によって、規模や周期は固定的ではない可能性が示された。

熊本地震や茨城北部で起きた地震のように、人工衛星のデータを解析することで活断層のふるまいについて新たな知見が得られてきた。東北大の遠田晋次教授は「数万年に1回、1メートル動くと考えられてきた断層も、実は数千年に1回、10センチずつ動いてきたのかもしれない」と話す。活断層の規模や地震の頻度についての考え方は今後、見直しを迫られることになりそうだ。

こうした最新の技術を使った地震がどのように発生したのかが理解できるようになってくることで、将来の地震の規模やメカニズムの解明に役立つことを期待したい。一方で、「1498年の日向灘地震はなかった?」とする調査結果が東大地震研が発表したという記事もあった(朝日新聞8/19付け)。
マグニチュード7〜7.5の日向灘地震があったという説は、江戸時代の読み物「九州軍記」に描かれた地震被害に基づいて1987年に提唱された。九州で山崩れ、地面が裂けるなどの現象がおき、民家は全て壊れ死傷者多数とされた。

軍記は1601年に書かれ、別の人が修正を加えて1607年に完成。地震後100年以上経ってから、できていた。被害地域の名や人的な被害数などの具体的記述がないうえ、同じ時刻に地震が起きたという記録は、ほかの史料には見当たらないことがわかった。

源平盛衰記を参考に「創作」した可能性が高く、史実としての信頼性はきわめて低いと考えられるという。原田さん(地震研特任助教)「信頼性のある史料が新たに発見されない限り、地震の年表などからは削除した方がよい」と話している。

地震現象の解明には、最新の技術と、過去の史料、この両方をうまく活用していかないと、いけない。しかし、いままで当然と思われたいた過去の地震被害の証拠となる史料の再検証も必要ということか。

博士人材、「使えない」は本当か?

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朝日新聞(8/8付け)に『企業の採用 博士人材、「使えない」は本当か』という記事があった。
「日本は人が資源。人材力が低下することは大学にも、産業界にも危機的だ」

6月中旬、関西の企業と大学のトップが産学連携の将来を探る研究会の場だった。座長の小林傳司・大阪大副学長からの大学の現状報告は厳しいものだった。

政府からの運営資金が減り、大学の財政事情が厳しいことは知られる。ただ、博士課程へ進む学生が減り続けているのは意外だった。修士から博士へ進む人の割合は2001年度の15%台から、16年度の9.3%に減っている。

「末は博士か大臣か」と言われた時代もあった。いま、大臣の資質が厳しく問われるだけでなく、博士の人気も下り坂なのだ。

なぜ、博士希望者が減ったのか。きっかけは90年代、政府が進めた大学院改革だった。定員を2倍にしたが、就職先の教員数は増えず、大学に残れても多くは任期付きポストでしかない。

「将来の見通せない博士課程に進んでも……」という不安が大学院生の間で定着してしまっている。

企業の採用枠も限られている。文科省の関連団体が研究開発型企業1825社(資本金1億円以上)を対象にした16年の調査では、新卒の修士の採用企業は3割弱、博士は6%台しかない。

企業からは色んなことが言われる。
「博士人材は30歳近い。新入社員と同様に扱えない」
「博士ほどの専門知識は必要ない。扱いにくい」


ただ、それでいいのだろうか。手持ちの技術の改良、改善で生き残れる企業はどれだけあるか。「ダイバーシティー」を掲げながら、横並びで学士や修士を一括採用する。企業に、博士人材の高度な専門知識を生かす経験、蓄積がないからではないか。

一方、欧米や韓国では博士人材は増えている。研究領域の拡大が背景にあるという。

独NRWジャパンのゲオルグ・ロエル社長は日独の産学連携を手がけるが、博士人材の活用の違いを指摘する。「我々は社会として、彼らの専門知識を高く評価している。企業と大学の交流人事も頻繁だし、活躍の場も大学、企業に限らない」という。何より、物理学博士のメルケル氏が首相になり、大学関連予算が増えたという。

日本の博士人材は本当に使えないのか。少し救われる話を北海道大学で聞いた。12年前から博士課程の学生に年間50〜60社との交流会を開き、採用に結びつけている。東北大、名古屋大、お茶の水女子大など6校と連携している。

担当の樋口直樹・特任教授は「一度、博士人材を採用すると、継続して採用する企業が多い。新規事業関連の博士を採る例も目立つ」という。

博士人材は自ら課題を見つけ、解決策を探った経験をもつ。そうした人材が異なる分野の人材と化学反応を起こして新たなものが生まれる。追いつけ追い越せの時代とは異なる人材が必要ではないか。

企業や組織は、多様性が大事といいながら、新卒を一括で採用し同じ色に染めようとする。おそらく、これまでの時代では、一番効率のいいやり方だったんだろう。しかし、これから人口が減っていき、働き手も大幅に減少していく日本社会において、現状維持なんでできないんじゃないだろうか。

そうした時代には新しい分野を切り開いていく人材が必要なはずだが。高度な知識やスキルを身につけた人材を活用する術を企業にも身につけてほしい。

ある教諭の悩み

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日経新聞(8/15付けの夕刊)の「あすへの話題」欄に社会学者の橋爪大三郎氏が『ある教諭の悩み』と題して寄稿している。
もう二〇年ほど前のこと、勤務先の研究室に、障害をもつ児童を現場で教える教諭が訪ねてきた。なぜ私のところへ、といぶかった。悩みがあるんです。どんな悩みですか。すると相手はこう切り出した。

私は障害児のクラスを担当しています。みな元気に日々、成長しています。ところで、重度の障害児のための、出張授業もあるんです。その児童はベッドに寝たきりで、呼びかけても反応がない。毎週ベッドの傍に数時間坐っているだけ。とても辛い。どうしたらいいでしょう。

私は専門家でない。だがこれは知識の問題でないだろう。こういう質問には、正面から向き合うしかない。心の内側から言葉が出てくるのを待つ。「心配するな、何を語るか私が教える」という、聖書の言葉が頭をよぎった。

あのね、教育は、結果ではないと思うのです。
返事がなくても手を握れば体温が伝わる。脈も打っている。その交流が大事なのじゃないか。保護者にしても、子供のため先生が来てくれて嬉しい。すべての児童が平等に扱われる、その原点をあなたがいま支えているのです。

教育学の本に書いてあった。行動とは、状態の変化のこと。学習とは、行動の変化のこと。物理学をなぞった教育学は、子供に、大人の思い通りの「違い」をつくりだすのが教育だとする。じゃあ、それができなければ教育は失敗なのか。その子供に価値はないのか。そんな教育学は、教師を困惑させ、子供を苦しめるだけだ。

子供は、そこに存在するだけで価値がある。そして自分で変化する。大人は、その成長の環境を整えるだけ。その変化の、ほんの手助けをするだけだ。

子どもは自分で変化する、大人はその成長の環境を整え手助けするだけ。まさしくその通りだと思う。大学で教育に携わる者として、「教育は結果ではない」というのはちょっと救われる。

大学生は、子どもとは言えないだろうけど・・・

ところで、アルバート・アインシュタインは、次のように言っていたそうだ。
「教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう」
Education is what remains after one has forgotten everything he learned in school.

建設職人基本法

朝日新聞(8/18付け)の社説に『建設現場 新法てこに処遇改善を』という記事があった。
大手建設会社でつくる日本建設業連合会は、9月にも残業時間に上限規制を設ける。

建設業界は、政府が3月にまとめた「働き方改革実行計画」に伴う残業時間の上限導入を、東京五輪向けの工事などを理由に5年間、猶予された。しかし、新国立競技場の工事に従事した建設会社員が今春に自殺し、両親が違法な長時間労働だったとして労災申請したのを受け、自主規制に乗り出す。

大手が一歩を踏み出す格好だが、中小を含む建設業界を見渡せば、解決すべき課題が山積みになっている。まず、低賃金と長時間労働の常態化だ。公共工事の人件費の基準額を引き上げて賃金の底上げを図っているが、まだ製造業の工場労働者に及ばない。週休2日の確保も不十分だ。

社会保険の加入率も低い。国交省が2014年に民間工事を調べたところ、2次、3次下請けの作業員の厚生年金保険加入率は5割前後だった。一方で、建設現場では事故死が多く、年間約400人が亡くなっている。業界団体によれば、建設労働者10万人あたりの死亡率は英国の5倍、ドイツの3倍というデータもある。

こうした現状の改善をめざす法律が今春、施行された。

通称「建設職人基本法」(建設工事従事者の安全及び健康の確保の推進に関する法律(平成 28 年法律第 111 号)平成29年3月16日施行)で、全会一致による議員立法だ。
001177698

この新法には二つの特徴がある。
一つは、安全と健康の確保を民間工事にも厳しく求めた点だ。
請負契約の中で災害補償の保険料を含む経費を明示することや、適切な工期を確保することなどを促している。対応を迫られる元請け企業は、経費の上積みが必要になりそうだ。それが元請けの責任だと自覚すべきだろう。

二つめは、これまでの労働法制では保護されなかった「一人親方」も対象にしたことだ。
大工や左官などで、全国に約50万人いるといわれる。「けがと弁当は自分持ち」という気風が残るうえ、下請けの末端で働く人が多く、待遇改善を求めにくい実情がある。新法を機に、保険加入率の向上や安全教育の徹底が期待されている。

ただ、法律には罰則規定がない。政府は法に基づく基本計画を6月に閣議決定し、請負代金や工期を適正に設定することを掲げたが、業者にどこまで徹底できるかは未知数だ。計画の実現を図るには、工事現場により近い自治体との連携が欠かせない。都道府県別に毎年、保険加入率や事故率を比較するなど、できる工夫を重ねてほしい。

この法律に基づいて、建設工事従事者の安全及び健康の確保に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るための基本計画が平成29年6月9日に閣議決定された。
001188046

この策定された基本計画によって建設作業者や親方などの働く環境が改善されることを期待したい。職人の働き方が改善されることは、建設会社の働き方の改善につながることも期待される。ただそのためには、工期が延びたり、工事費が高くなることに対する発注者の理解が必要だが・・・

「守」「破」「離」

日経新聞(8/12付け夕刊)の「あすへの話題」欄に龍谷大学農学部教授 伏木亨氏が『「守」「破」「離」』と題して寄稿している。
銀行でもホテルでも、窓口のお姉さんが微笑みながら挨拶してくれる。お店の好感度が増す。かつてデパートのエレベーターには上品な制服と帽子の女性店員が同乗して、行き先ボタンを押してくれた。子供心にも眩しかった記憶がある。
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正しい挨拶のマニュアルというものがある。客を迎える時には右手の上に左手を重ねる。相手に何かして差し上げる時には逆に右手を上にするのが正しい。仕上げに背筋を伸ばして微笑み、いっぱいに体を腰から折る。角度はきっかり30度――。大学生の就活にこう勧めるホームページもある。

品のある洗練された所作の規格は日本中に蔓延している。喫茶店のカウンターで280円のブレンドコーヒーを注文して、この丁寧なご挨拶に出会った。恐縮のあまり後ずさりしそうになりながら、420円のウインナコーヒーにすべきだったかと後悔した。

ご当人のせいではないが、申し分のない微笑みなのにどこか窮屈に見えるのが惜しい。どの店でも同じだからだ。マニュアルは経験のない人にも最善の方法を教えてくれる。便利ではあるが、冷たいようにも感じる。もう一歩柔らかい仕草になれば、さらに魅力が増すだろう。

守る破る離れるという伝統的な教えがある。教えを守り習熟するのが第一歩。動作の意味を理解し、時に必要に応じて改善する域に進む。動作の意図を会得することで型から自由になり、自分なりに自然に使えるようになればゴールである。

型から離れて自然な挨拶に至る時、相手は本当に温かい心を受け取ることができよう。そんな一文をマニュアルに追加したらいかがであろうか。

いつまでもマニュアルに頼っていては「型」から脱することはできない。型から出て、挨拶や言葉遣いが自然にできるようになることが理想だろう。マニュアルの最たるものは、「法律」かもしれない。法律が定められれば厳格に運用されるものの、法律の当初の制定目的が忘れ去られ、法律を守ることだけが優先されることもある。

マニュアルの本質を知ることも大事だろう。
ところで、雑誌「室内」の編集をずっとやっていた山本夏彦は、次のように言っていたという。
「文章は真似です。真似して真似して、それを極めた時に、それに飽き足らなくなって自分の文章が出て来るんです」
「湯飲みは絶対欠けたものは使ってはいけない。欠けた湯飲みを使っていると、そういう人間になってしまう」

また、建築家の林昌二は「二十二世紀を設計する」のなかで『写す−盗む−創る』と書いている。最初はコピー、建築なら図面のトレースから始め、手に覚えさせる。手が自由に動くようになれば、手を通じて頭が働く。頭が働いて、手から自分のものが出てくるようになる、と。その次の段階が「盗む」で、ノウハウを会得し、そういうプロセスを経て「創る」にいたる。

ある意味、「守」「破」「離」は、『写』『盗』『創』と同じですね。

デキる社員の隣に座れば能力アップ?

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WSJ誌(WEB版)に『花形社員の隣に座れば能力アップ』という記事があった。
仕事の能力を高めるにはどうすればいいか?

自分が向上させたい分野に秀でた同僚を見つけ、その人の隣に席を移動すればいい。

有能な人の近くに座ることで、触発やプレッシャー、新たな学びを通じてさまざまな仕事で能力が高まることが、多数の調査で明らかになってきた。今はやりの固定席のないフリーアドレス制に不満を抱いている人は、それを自分にプラスになるように利用すればいい。

ノースウエスタン大学が、ヘルプデスク要員をはじめとするIT(情報技術)企業の顧客サービス担当者2452人を対象に2年にわたって調査した結果、有能なスタッフの隣に座ることで仕事の能力が3〜16%高まることが明らかになった。

これはオフィス職の能力をさまざまな側面に分け、各能力における波及効果を分析した初の調査だ。ハーバード大学経営大学院が昨年、その論文を公表した。

それによると、仕事を迅速にこなす生産性の高い社員は、仕事の遅い同僚のアウトプット(成果)を8%引き上げていたことが明らかになった。また、顧客の問題を同僚に引き取ってもらうことなく自分で処理できる効率的な社員は、近くに座る同僚の効率を16%上げていた。さらに、顧客調査で高評価を得ている仕事の質の高い社員は、同僚の質の評価も3%向上させていた。調査を行った研究者は、対象企業の欧米にある複数のオフィスの人事ファイル、座席配置リポート、業務追跡ソフト、顧客満足度調査のデータを分析した。

論文の主執筆者でノースウエスタン大学 ケロッグ 経営大学院のディラン・マイナー助教(経営経済学)は、同僚からの触発とプレッシャーが相まった結果とみており、カリスマ的なリーダーが与える影響になぞらえている。また、有能な社員が近くに座る能力の低い社員に足を引っ張られることはなかったという。

さらにマイナー氏は、創造力など上限のないスキルについては、有能な人の隣に座ることで、大幅に伸びる可能性があると指摘する。在宅勤務や出張の多い人は スターバックス を見つけ、コーヒーを飲みながらバリバリ働く人たちに囲まれて仕事をするといいかもしれない。
(以下省略)

デキる人は周囲に良い影響を与えるということかな。
なお、こうした効果を得るには、業績に連動した報酬(給与)が得られるということがないといけないという研究もある。

良い環境や良い友達に囲まれていると、周囲に引っ張り上げられるということがある。働いたり学んだりする環境が大事だということだろう。昔から、かわいい子には旅をさせよとか、武士が武者修行に行くということも、これと似たようなことなのかもしれない。もちろん、こうした環境にいても、自分から学び取ろうとしなければ、ダメだろうけど。

ただ、3〜16%という数字がどの程度有意なものかは判断が難しいが・・・

数え15歳で志を立てる

日経新聞(8/7付け夕刊)の「あすへの話題」欄にコマツ会長の野路国夫氏が『数え15歳で志を立てる』と題して寄稿している。 
「私は社会に貢献するためにAI技術者を目指して勉強に励みます」

私の郷里の福井市では幕末の志士、橋本左内を見習って数え15歳、つまり中学2年の時に「立志の集い」を行っている。自分自身を見つめ直し、校長先生、先生方、そして全校生徒の前で「自分の将来の人生の誓い」を宣言するのだ。

私は橋本左内とは浅からぬ因縁がある。私が生まれたのは、左内の生誕地から百メートルの所で、子供時代は、左内が産湯として使った井戸「常盤の井」の近くで遊びまわっていた。その後、春山小学校、明道中学校、藤島高校で学んだが、どれも自宅から歩いて通える範囲だった。大学になって初めて福井を出て大阪大学に進学したのだが、偶然にも阪大は左内と縁があった。左内が蘭方医学を学んだのは緒方洪庵が開いた適塾だが、それが阪大の原点だった。
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左内が15歳の時に自分の生き方の指針として書いたのが「啓発録」だった。ここで左内が述べたのは、
  (1)稚心を去る(子供じみた心をやめる)、
  (2)気を振う(努力する)、
  (3)志を立てる、
  (4)学に勉(つと)める、
  (5)交友を択(えら)ぶ、の5項目である。
15歳の少年が自らに課した言葉とは思えない立派なものである。

私たちは「15歳はまだ子供だ」と、つい思ってしまう。左内とは時代が違うと言われるかもしれないが、年齢的にも将来のことを話し合う適切な時期かもしれない。ドイツでは小学校修了時(4年)に自分の将来の進路を、職人の徒弟制度に由来する職業教育と大学教育に代表される高等教育のどちらにすべきか決めるそうだ。

ドイツの10歳は早すぎるとは思うが、いつまでも子供扱いするのも問題ではないだろうか。

わが国では、20歳で成人式を迎え大人の仲間入りをすることになっている。最近、選挙権が18歳にまで引き下げられたので、18歳から大人の仲間入りかと思いきや、競輪などの公営ギャンブルは20歳まではできないようにする法改正を検討しているとか。

日本でいう「大人」って、どういう意味があるのだろうか。18歳になれば結婚もできるわけだし、アイドル(18歳以下でも)にもなれるし、大人ともいえる。でも大学生は「大人」とはちょっと違う意識のようだ。大学を卒業したら「社会人」になる、なんてややこしい言い回しもあるし。といっても、自分が学生だったときを思い返せば、「大人」という意識はそれほど強くなかったような・・・

ほとんどの若者が高校に進学し、その8割が大学や専門学校などの高等教育機関に進学するわが国の今の状況では、学校教育が終わってからが、「大人」の仲間入りという意識が強いかもしれない。

大人かどうかは、社会環境の影響が大きいが、若いときからいろいろな経験をし、将来の目標などを考えておくことは意味のあることだと思う。

スマートフォン・ゾンビ

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朝日新聞(8/7付け)の「天声人語」に『歩きスマホ』に関する記事があった。
ゾンビ映画の何が怖いかと言えば、人間の姿をしているのに人間らしい思考も感情もないことだ。うつろな目をして集団で動き回る。そんな姿を連想するからだろう、「歩きスマホ」は英語で「スマートフォン・ゾンビsmartphone zombies)」と言うらしい。

さて、ゾンビたちを横断歩道から締め出す条例がハワイのホノルル市で制定された。10月下旬からは、スマホを使いながら横断すると15ドル(約1650円)〜35ドルの罰金が科され、繰り返すと金額が上がる。画面に目を奪われて事故にあうのを防ぐためだ。

読書しながら歩く人は多くはないが、歩きスマホはあっという間に広がった。その行為を「非人類的」とまで言うのが作家の藤原智美さんである。

「人間は歩いているとき、周囲の状況に目を配り、頭の中ではさまざまな思いや考えをめぐらす」。そんな二足歩行を始めて以来のあり方が変わってしまったと、著書『スマホ断食』で述べる。社会がスマホ一辺倒になり、一人で考えることから遠ざかっていくと警告する。

どうすればいいか。藤原さんの提案は、3日間の「スマホ断ち」である。小さな機械に魂を奪われゾンビ化していないか、自分で確かめる機会となろう。3日は長すぎると感じるのは、すでに心が支配されているせいか。

振り返ればテレビも漫画も、思考力を奪うと批判された歴史がある。スマホも心配しすぎだったということになるのかどうか。答えが出るのは、幼時から小さな画面に触れる世代が大人になるときだろうか。

日本だけでなく海外でもスマートフォン・ゾンビは増殖しているようだ。海外の都市では、スマホ・ゾンビ用に歩道を区切るところもあるようだ。
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イヤホンをして音楽を聴きながら、スマホを見ながら歩いていたんでは、人や電柱などにぶつかってケガをしても仕方がない。それは、やはり自己責任なんじゃなかろうか。

スマイルダンパフレーム

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建設通信新聞(8/2付け)に『スマイルダンパフレーム初採用 構面数減らし低コスト』という記事があった。
富士ピー・エスが小堀鐸二研究所の技術支援を受けて開発した「スマイルダンパフレーム」が、北九州市八幡西区市営住宅の耐震補強工事に初めて採用された。建物を使用しながら耐震補強工事が可能な外付け制震補強工法で、設計は西部交通建築事務所、施工は清水建築工業が担当した。

スマイルダンパフレームは、プレキャスト部材で構成される補強フレーム内に取り付けたダイヤ型スリットダンパの応答低減効果によって、従来の強度型補強と比べて構面数を30〜50%程度減らすことが可能になった。また、一般的な制震構造に必要な時刻歴応答解析を行わず、ダンパの効果を静的に評価して補強設計を行うことができる。

さらに、外部から補強するため工事期間中も建物の継続使用が可能となり、 低騒音・低振動、無粉じんで施工できるほか、 プレキャスト部材は厚さが400ミリと薄く、補強後も採光・通風を妨げない。

同社は、これまで学校などの公共施設の耐震補強事業で、強度型の耐震補強であるパラレル構法や同構法の長所を伸ばしたスマイルパラレル工法を展開し、多くの実績と高い評価を得てきたが、住宅分野の耐震補強事業拡大に向けて、さらに長所を発展させ、制震デバイスを活用したスマイルダンパフレームを開発した。高層建築物の補強に適用でき、地震による揺れの収束時間が早いという特長を持つ。

スマイルダンパフレームの技術資料(PDF)によると、ダンパーには鋼材ダンパーが使わており、補強後の耐震性の評価には応答低減率を使って構造耐震指標を算出するそうだ。応答低減率は減衰効果を評価して算出するようだけど、ダンパーの配置などによって影響はないのだろうか。

でも、なぜ「スマイル」という名称なのだろうか。
施工事例の写真を見たときに、補強面が笑顔(スマイル)のように見えたことと関係あるのかしら・・・
SMILE



ギネスビールの色は・・・

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ハフィントンポスト『ギネスビールの色は黒じゃなかった。では、何色なのか?』という記事があった。
「黒ビール」と言われて最初に思い浮かぶのは、やはりギネスビールかもしれない。

世界中で愛飲されるギネスビールが生まれたのは、いまから約260年前のこと。アイルランドで生まれた歴史あるビールだ。キリスト教の祝日「セントパトリックス・デー」に飲まれるビールとしても知られている。

さて、ここで問題です。

問.「ギネスビールの色は何色でしょう?」

「なに言ってるの?誰がどう見たって黒でしょう?」
「いや、あれは深いチョコレートブラウンだね」
そんな声が聞こえてくるようだ。しかし、驚くなかれ。実はギネスビールの色は、黒でもブラウンでもないのだ。

では一体、何色なのか?答えはギネスビールの公式ページに書かれている。
Why is Guinness black?
Look closely. Guinness beer is not actually black but rather dark ruby red because of the way the ingredients are prepared. Some malted barley is roasted, in a similar way to coffee beans, which is what gives Guinness its distinctive colour.

近くで見るとわかりやすいですが、実際のところギネスビールの色は黒ではなくルビーレッドです。ギネスビールは、作る過程で原料に使われる大麦麦芽がコーヒー豆のようにローストされます。そのローストされた大麦麦芽が、ギネス特有の色をつくりだします。

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そう、ギネスビールの色は黒ではなく赤なのだ。
明るい場所で光にかざしてみると、わかりやすいかもしれない。

ギネスビールはたまに飲むけど、「黒ビール」ということで色は黒だ、と思い込んでいた。

しかし、ギネスを飲むとなるとバーなどだから暗い場所が多い。今度、明るい場所で飲むことがあれば、光にかざして見てみよう!

その結婚、続けますか?

講談社の「本」(8月号)という冊子に下重暁子氏が『その結婚、続けますか?』と題して連載している。その4回目は『当世「タブレット婚活」事情』
内助の功とは、誉められることではあっても、けっしてけなされることではなかった。わが家など他人から見たら私がずっと仕事をして、つれあいが趣味である料理を、朝、昼、晩とつくったりしているから、つれあいが内助の功と見えるかもしれない。

どっちだっていいではないか。自分の得意なことをすれば、お互いに不満だって溜まりはしない。しかし日本の伝統的内助の功とは、男が仕事をするのを女が支えるというものだから、日本の男、いや女にもそれが染みついている。

男と女の生活はシーソーゲーム。片方が重くなれば、片方は空に浮かんで何もしない。上手に両方がギッコンバッタンとこいでいくのはなかなか難しい。女の方にも問題はある。どこかで、料理をはじめ家事は女の仕事とすり込まれていて、たまに男がやってくれると、必要以上に感謝する。「私の仕事をやってもらってありがとう」というところが見え隠れする。

私は決して必要以上に感謝しない。共同生活なら当たり前という顔をしているし、だからこそ自分の仕事の手抜きはしない。自己表現をきっちりやってみせてこそ、内助の功にとらわれることがなくいられるのだ。

それにしても結婚に向いていそうな人の方が結婚せず、まったく向いていないと思える人が、結構のほほんと他人と暮らしているというのはどういうことだろう。やはり向いていると思える完璧に近い人は無理をしているのではないだろうか。何でもできる必要はない。私は私らしくそれでいいから共に暮らしてもいいという人がいればいい。最近の婚活で、結婚だけを見つめて相手を選ぼうというところには、どこか無理がある。

必死で結婚相手を探すのは分からなくはないが、その必死さがしんどい。それが相手を疲れさせ、なかなか結果がでない。もっと肩の力を抜いて、結婚など忘れて好き勝手に遊んでみよう。見合い20回、30回という実績をもつ知人は、ある時から一人で生きると決め、しばらくしたらパートナーに自然に出会った。そうした例はいくらでもある。

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昔は、お見合い結婚も多かったし、結婚式などでは「仲人(なこうど)」がいた(形式的な仲人もあっただろうが)。僕らも昔、仲人をしたことがある。けれど、結婚が続かなかったカップルもあった。結婚生活は結婚した二人が努力していくことが必要だろう。まさしくシーソーゲームなんだろう。いつまでも片方に負担がのしかかると、いつかは不満が爆発することになる。

若い人たちの結婚年齢があがっているとか、結婚しない人たちも増えているとか言われているけど、肩の力を抜いて、自分らしい生活ができそうな人を見つけていくのがいいんじゃないだろうか。でも、なかなかそういう人に巡り会わない?

やはり現代版仲人(世話好きな人)が必要なのかもしれない。

「溶けて落ちない」アイス

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朝日新聞(8/9付け)に『「溶けて落ちない」アイス』という記事があった。
夏は棒アイスが食べたくなる。でも、食べ終わる前に溶けて手がベタベタになる。そんな悩みを抱かずに済むアイスが「金座和(かなざわ)アイス」。「室温40度のなかで3時間形崩れしない」が売り文句だ。

実際に食べてみた。カチカチかと思いきや、サクッとかめる。食感もふわっとして通常の棒アイスと変わらない。

「秘密はイチゴポリフェノールです」。製造販売するバイオセラピー開発研究センター(金沢市)の社長、豊田剛史さん(40)はそう明かす。牛乳など通常のアイスの材料に加え、イチゴから抽出した抗酸化成分のポリフェノールを混ぜ込んでいる。

イチゴポリフェノールは油とも水とも相性がいい性質がある。室温が上がっても油分と水分が分離するのを抑えるため、クリーム状の食品をそのままの形で長時間保てることも分かった。アイスの材料にしてみると、溶けにくくなった。

溶けにくいと「見た目」でも楽しめる。東京・原宿の店では人気キャラクター「くまモン」やハートの形のアイスを販売。大阪・ミナミのアメリカ村の店では阪神タイガースの球団ロゴをあしらった。

冬場には「学問の神様」で知られる太宰府天満宮(福岡県太宰府市)近くで、絵馬の形のアイスを販売する計画。「溶けて落ちない」と「志望校に落ちない」をかけて受験生らに売り込むという。今後の販路拡大を目指し、7月には金沢市に新工場をつくり、生産能力を1日1万本と現在の約7倍に引き上げた。

溶けないアイスか・・・
暑い夏には冷たいものが欲しくなる。溶けていくアイスを一生懸命に食べるのもいいかな、と思うが。用途もアイス以外に広がりそうだ。

でも、ちょっと(だいぶ)価格が高いかな。。。

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講義中・・・
著書など
『耐震・制震・免震が一番わかる』
共著ですが、このような本を技術評論社から出しました。数式などを使わずに耐震構造、制震構造、免震構造のことを、できるだけわかりやすく解説しています。
『免震構造−部材の基本から設計・施工まで−』
免震構造協会の委員会活動の成果として、このような本をオーム社から出しました。免震構造の基本をしっかり学べるような内容となっています。
『4秒免震への道−免震構造設計マニュアル−』
いまでは少し内容が古いかもしれませんが、免震構造の基本的な考えを述べています。初版は1997年に理工図書から出ていて、2007年に改訂版を出しました。
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