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ペイズリー模様、ミドリムシ、水滴、鳥の羽根などといろいろな形がイメージされる。ネクタイなどにみかける身近な模様だが、その起源は・・・日経新聞(12/9付け)にペイズリー模様に関する記事があった。
この模様は、インド・カシミール地方で織られたジョールの縁飾りとして、17世紀から18世紀にかけて生まれた。現地ではブータ(草花の茂み)などと呼んだが、後に産業革命期の英ペイズリー市で機械織りのショールが大量生産され、ペイズリーと呼ばれるようになった。

起源はサファビー朝ペルシャ(1501〜1736年)の花模様にあるという。ペルシャ芸術のルネサンスといわれる時代、草花や幾何学の模様が宮廷を彩った。文化交流を通じ、ムガール朝インドにも伝わった。ショール産業が盛んなムガール朝では、宮殿に描かれた花模様が王侯のショールにも登場した。風にそよぐ一輪の花。これがペイズリー模様の始まりとされる。

平山郁夫シルクロード美術館の堀内美和学芸員は「ペルシャの直立的な花模様に、インドでは自然な描写の揺らぎが加わった。民族特有の好みが反映されたのだろう」とみる。躍動的に先が傾く形は後々まで残り、模様を大きく特徴付けた。描かれる花は徐々に増え、18世紀ごろから花が密集した低木の姿になる。その後、根の代わりに花瓶などが現れ、花が地模様も埋めていった。19世紀初めには、地紋と区別され、定形化したブータ模様が登場する。(略)

円すい形が強調されていった背景には「多産や豊作を示し『生命の樹』の象徴とされる松かさ模様の影響もある」と、文様文化を研究する共立女子大学の城一夫名誉教授は推測する。西洋でブータ模様をコーン(球果)やパイン(松)と呼んだことからも、その形に松かさ模様を重ねたことがうかがえる。(略)

戦後、欧米の影響で広まった日本では「まが玉模様」とも呼ばれる。城教授によると「まが玉は胎児の姿を表す形という説もある」。ここでもペイズリーは豊かな生命力と密接に関係している。抽象的な模様が東西の自然観や生命観を結びつける不思議さ。生き生きと咲く花の姿が始まりと知れば、それも納得できる。

ペイズリー柄のネクタイは持っている(写真のように多くはない)が、何の模様なのか全く知らなかった。伝統的な模様にはそれなりの由来があることを知ることができた。ペイズリー柄のネクタイをつけるとときは、今までと違った気持ちになるかもしれない。模様や形がもつ意味とか由来がわかると、その見え方も変わってくる(かもしれない)。