秋田県立大学の西田哲也教授が、「建築防災」(2012年9月号)に『志賀マップのこと』と題して寄稿されている。

秋田県(東北地域?)では公共建築物の耐震診断・補強などの判定委員会では資料として志賀マップを添付することになっているそうである。志賀マップは鉄筋コンクリート造建築物の地震被害と壁量との調査結果に基づいて提案されたものであり、その主旨は鉄筋コンクリート造建築物の第1次診断法と概ね同じということになる。ではなぜ、わざわざ志賀マップを添付するのか。それは、マップを見慣れてくると構造の特性等が一目瞭然でわかるようになるからではないかと書かれている。
(志賀マップの)原論文は昭和53年の日本建築学会東北支部研究発表論文『「鉄筋コンクリート造建物の壁率と震害」のマップについて』である(論文のPDFはこちらから)。この論文を読むと興味深いことがわかる。それは、志賀マップはX軸に壁量、Y軸に柱量、Z軸に壁・柱の平均せん断応力度をとって描いた立体図のX−Z平面への投影図であるということである。もう少し具体的には、X−Y−Z空間に描いた1G応答曲面で安全性(A,B,Cゾーン)を定義し、その応答曲面上で等柱量(0,20,40〜100平方センチメートル/平方メートル)を示す曲線をX−Z平面に投影しているのである。このようなことがわかると志賀マップをより深く理解できるようになる。

志賀マップの考え方は、新築鉄筋コンクリート造建築物の構造設計で耐震ルートを判別する式にも通じるものがある。構造設計の現場では、ルート判別式に壁のない建物に対するルート1適用の是非が議論されることがあると聞く。実はこのことについて、志賀先生とご生前にお話したことがあり、そのときの話を紹介しておきたい。

それは2009年の日本建築学会東北支部の総会のときで、常議員をしていた私は志賀先生と二人だけで少しばかり話す機会をもつことができた。最初は秋田での近況報告などをしていたが、前述の話を直接志賀先生から聞いてみたいと常々思っていたので、勇気を出して聞いてみることにした。この話を切り出した途端、志賀先生の目がキラリと光ったように見え、まだまだ技術者として現役という雰囲気を醸し出されたのはとても印象的だった。

私は「構造設計において、壁のない建物をルート判別式が満足していることを根拠にルート1で設計することについて、先生はどう思われますか?」と切り出し、さらに付け足して「志賀マップにおいても、平均せん断応力度が限度以下なら壁のない建物でも安全ゾーンに入りますよね。」と念押しした。

志賀先生は「うーん。」と少し困ったような顔で考え込まれ、少しの間をおいて「私ならやらんね。」と答えられた。

この答えを聞いたとき、これが理屈で物事の善し悪しを問う以前に存在する、鉄筋コンクリート造建築物の地震被害と壁量の関係を研究されてきた技術者としての率直な感覚なのだと思い、私は大いに感激したのである。構造の世界では数値を元に物事が判断される。逆にいえば、物事を判断するためにある境界線を引かなければならない。そして計算により求めた数値とその境界線を元に物事を判断するが、やはりその場合にも何かしら数値以外の判断もあって然るべきということであろう。

私も技術者の端くれとして、「私ならやらんね。」というような感覚を大切にしてゆきたいと思う次第である。

設計というのは、単に計算をしたり解析をしたりするだけではないだろう。解析や計算では細かい計算結果を得ることができるものの、それをどのように判断するかが大事であろう。バランスであったり、ある種の基準を満足すれば良しとするのかどうかといった判断・感覚が重要となるように思う。建築物の構造設計が対象とするのは、地震などの自然現象や地盤など、よく特性が把握できていないものを対象にしているのだから。