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日経新聞(8/20付け)に『大学をどう変える 「公共財」としての価値を高めよ』という記事があった。
政府は高等教育の無償化の検討を始めた。だが、私立大学の約40%が定員割れし、大半の大学が学力による学生の選抜機能を失っている。現状のまま無償化で門戸を広げれば、大学の一層の質の低下は避けられない。

必要なのは、量的拡大よりも国際競争力の強化だ。人材育成や研究の中核を担う「公共財」としての価値をいかに高めるのか。長期的な視野に立ち、抜本的な大学改革に乗り出す時だ。

まず、検討すべきは大学の規模の適正化だ。
バブル経済崩壊後の低成長、少子化時代に、大学はその数、入学定員を増やし続けた。その結果、志願者の90%超が進学する「全入」に近づいた。水ぶくれした大学が限られた予算を奪い合い、国全体としての教育・研究の投資効率を低下させてはいないか。

18歳人口のピークは1992年度の205万人。直近は120万人で、2040年には88万人と予測される。現在の大学数は780。92年に比べ18歳人口は約40%減ったが、大学数は約50%、入学定員も約25%それぞれ増加した。

今の大学進学率、入学定員が維持されると仮定すると、20年後には十数万人規模の供給過剰になる。入学定員1000人の大学が100校以上不要となる計算だ。
(略)
大学の数や入学定員が急増したのは、「事前規制から事後チェックへ」という政府の規制緩和策が大学設置基準にも及び、一定の要件を満たせば新規開設が認められるようになったからだ。

規制緩和の本質は、新規参入を促す一方、質の低いサービスは市場から淘汰される仕組みにある。しかし、大学の経営や教育水準をチェックするため2004年度に文科省が導入した「認証評価制度」がうまく機能していない。

大学基準協会などの機関が評価結果を公表しているが、社会的にほとんど認知されていない。財務省の財政制度等審議会は、主に規模や定員の充足率に応じ交付する私立大の補助金を評価結果に連動させ傾斜配分すべきだと提言。学術論文の数や学生の就職実績なども勘案すべきだと指摘する。

どんな評価指標が妥当かは議論の余地があるが、公費の使途や効果の「見える化」は国民的な要請だ。評価機能の拡充も課題だ。

その点、気になる動きがある。評価機関によって経営や教育が「不適格」とされた地方の私立大が公立大に衣替えするなど、定員割れの私大を地方交付税で救済する事例が相次いでいる。納税者の観点からは、違和感がある。

日本の大学の国際的評価が総じて低調なのは、密度の低い教育を量的に拡大してきたからだ。高等教育無償化の前提は、各大学が入学金や授業料が公費で充当されるにふさわしい公的価値を持つことを、社会に証明することにある。

国はまず、定員を戦略的に削減し教育の質を高める大学を支援するなど規模適正化と、外部評価に応じた資金配分に着手すべきだ。

18歳人口が2040年に88万人となるということは、現在よりも30%ほど減るということになる。その後も若者は減っていくので、進学率が上がらない限り入学者を確保することは難しくなる。入学者の確保が難しくなってから大学の統合や再編が行われるのか、それとも先を見越して戦略的に定員の削減などが行われるようにするのか。

入学生の定員削減は私立大学にとっては死活問題であり、教職員数の調整とあわせて、それなりの時間を要する。いまから20年、30年先を見据えた改革が必要となる。単に経営上の問題だけでなく、『密度の低い教育』の改善も求められる。この問題については、大学入試のあり方、就職や採用のあり方、もちろん大学教育のあり方などを検討しなければならないだろう。

未来の大学は、これまでの「学校」というものを必要としないかもしれない。いまでもアメリカの大学ではたくさんの授業をビデオで公開している。こうした映像をみて学習することは可能だ。将来はオンライン授業を受けることで大学を卒業できるようになるかもしれない。テクノロジーの進化によって、これまでとは異なる大学が実現するかもしれない。

広辞苑によれば、「公共財」とはその便益を多くの個人が同時に享受でき、しかも対価の支払者だけに限定できないような財やザービスを指し、公園や消防・警察などがあたるとされている。大学が学生だけでなく、社会にどのような財やサービスを提供できているのかを、見直してみることも必要だろう・・・