RCO Anthorogy vol.6RCO Live RCO11004 (CD3)
シベリウス:交響曲第4番イ短調 Op.63

 ロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラ
 パーヴォ・ベルグルンド(指揮)
 録音:1991年9月11日 AVRO





パーヴォ・ベリルンド(ベルグルンド) Paavo Allan Engelbert Berglund (b.1929) については説明不要だろう。
ヘルシンキ出身のフィンランドの指揮者。1949年ヴァイオリニストとしてフィンランド放送交響楽団 Radion sinfoniaorkesteri に入団。1952年にヘルシンキ室内管弦楽団 Helsingin Kamariorkesteri の創設者に名を連ねる。1962年から1972年までフィンランド放送交響楽団首席指揮者に就任、1965年にはボーンマス交響楽団とシベリウス生誕100周年記念演奏会を行う。1972年にボーンマス交響楽団 Bournemouth Symphony Orchestra 首席指揮者に就任(-1979)後、1975年にヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 Helsingin kaupunginorkesteri 音楽監督(-1979)に、1987年にはロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者(-1991)に、1993年にデンマーク国立(放送)交響楽団の首席指揮者(-1998)に、それぞれ就任している。
研究熱心で知られ、自らシベリウスの交響曲第7番を校訂している。また、左手で指揮棒を振る指揮者としても有名。


ベルリンドはシベリウスの交響曲第4番を公式に回録音している。フィンランド放送交響楽団(1968)、ボーンマス交響楽団(1975)、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団(1984)、ヨーロッパ室内管弦楽団(1995)。
今回リリースされたロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラとの録音は、ヘルシンキ・フィルとECOとのちょうど中間の時期に当たる。
CD/DVD化はされていないが、1981年にはフィンランド放送交響楽団を指揮した映像も残されている(YLEテレビ放送用)。

ベルリンドのような指揮者の演奏の是非を、私風情がとやかく言える筋合いでもないのだが、今まで聴いた中ではヘルシンキ・フィルとの録音が最も好みにあう。室内楽的と言われる作品であるが、弱音を奏でる分厚い弦の音色には背筋が寒くなる。
「理路整然と開けていく交響的な全体性を築き上げるというユニークな能力の持ち主」と評され、徹底したスコアの読み込みを行う一方で、決して「譜面通りの機械的な演奏」に堕することがない。「(最近の演奏を聴いていると)余りに正確に演奏しようとして、却ってシベリウスの音楽を損なっている。」という言葉を遺している。
このコンセルトヘボウとの録音でも、基本は全く変わらない。これ1曲だけの為に国内で10,000円を超えるボックス・セットを買うのを躊躇するのも当然だとは思うが、綺羅星の如く名演が揃っているなかにこれがあると思えば、決して高い買い物ではない。



交響曲第4番について、シベリウスの娘婿ユッシ・ヤラスは1988年こう語っている。
「我々フィンランドの音楽家にとって、シベリウスの交響曲第4番は聖書のような存在です。我々は、この作品に対し、大きな尊敬と献身とをもって接します。この作品のなかで、シベリウスは人生の矛盾という測りがたい悲劇に直面し、それに新たな意味を与え、新しい音楽的言語を使って、大胆に表現したのです。」

どういう曲か改めて説明するのもナンなのだが、2009年のシベリウス・フェスティバル(ラハティ)のパンフレットにカレヴィ・アホ氏が寄稿した解題があるので、代わりに。

この曲の作曲にあたって、シベリウスは再度「聴衆の期待」という難題に直面する。作曲された時期、シベリウスは生命を脅かす危機に晒されていた。1908年喉に腫瘍が発見され、ベルリンで除去手術を受ける必要があった。腫瘍は幸い良性だったが、再発するのではないか、人生が残り少ないのではないか、という恐怖に、数年間囚われ続けることになり、それまでのボヘミアン的生活を改める必要に迫られた。

この内面的な危機が、シベリウスの創作生活において予期せぬ「豊穣の時期」をもたらすきっかけとなった。1908年から15年にかけては一切酒も飲まず煙草も吸わずに過ごし、交響曲第4番、それに第5番の初稿といった最も重要な作品を創作したのである。

交響曲第4番が辿った作曲上の段階は、シベリウスの作曲方法を端的に示している。最初の衝動は、義兄エーロ・ヤルネフェルトと北カレリア地方のコリ山地へ旅行したこと。この旅行を通じ、シベリウスは「山の交響曲」を書こうと決め、1909年12月から取り掛かる。しかしながら、作曲は何度か中断されてしまう。1910年11月、シベリウスはエドガー・アラン・ポーの詩《大鴉》に基づく管弦楽伴奏の歌曲の作曲を始める。この歌曲は結局完成しなかったが、そのモティーフは交響曲第4番の最終楽章に用いられている。

1911年春にようやく完成した交響曲は、もはや何の標題も持たない、観念的心理的なドラマであった。この交響曲は、最も個人的で深遠な、作曲家自身の危機の顕現であった。

初演は1911年4月3日に行われたが、第3番と比較しても、聴衆を混乱させ、困惑させるものになった。アイノ・シベリウスは、後になってこの曲が受けた評判をこう語っている。「曖昧な見かけ、振られる頭、バツの悪い、皮肉で謎めいた微笑。」



決して「勝利」の音楽ではないが、最終的に人生を肯定し、「神」の存在を感じさせる(オスモ・ヴァンスカ談)作品。そして、フィンランドの交響曲の真の歴史がここから始まった、記念碑的作品である。
夜明け前の最も暗い時間から、やがて日が昇る予感を仄めかす、時間的空間的心理的な拡がりを強く感じさせる曲である。


気になったのは、調べようと思ってアクセスしたフィンランド音楽情報センターのHPに、ベルリンドの項目がないこと。最近は録音もないが、ご健勝だろうか。