ちゅら島ルーツを訪ねる旅〜そのァ屬きなわワールドの白旗の少女」ちゅら島ルーツを訪ねる旅〜そのА屬劼瓩罎蠅療磴砲董

2008年04月04日

ちゅら島ルーツを訪ねる旅〜そのΑ峙Г蠅旅場にて」

沖縄ワールドを出て、さらに南へと車を走らせる〜

これから向かうところが

実は、この旅で娘たちに一番見せたかったところ・・・







駐車場に車を置いて、敷地へ入って行くと、

1















そこは、

2














澄み渡った空の下に広がる芝生の広場。

まだ若い色をした見渡す限りの緑の絨毯の上に

シロツメクサの花が咲き広がっている。


遠くには、

海に向かって、たくさんの石碑が並んでいるのが見える・・・



人もまばらな広く静かな公園を

風音を聞きながら、

赤い屋根瓦の真っ白な建物を目指して歩きました。

3














4















5

















娘たちに、じっくりと時間をかけて見て欲しかったので、

最初の展示室の入り口から自由行動ということで

集合時間を決めずに解散しました。




展示は、

  _縄戦に至るまでの沖縄の歴史・戦争がなぜ起こったのか

 ◆―嗣韻了訶世ら見た被災状況の映像・実物展示

  地下(ガマ)と地上(死の彷徨)において住民が受けた惨劇の
         
          壕(ガマ)の再現や、蝋人形による生々しい展示

 ぁ_縄戦の体験の証言集と証言映像の展示

 ァ\鏝紊亮容所生活、27年間の米軍統治、

          復帰運動、平和創造を目指す沖縄の展示


という5つの部屋で構成されていました。



私が一番衝撃を受けたのは、

第2室の「住民犠牲の諸相」のところでした。

夫の母が

「敵より日本の兵隊の方が恐かった。」

と繰り返し話していた実態を目の当たりにして

改めて強い衝撃と、怒りと悲しみを覚えました。



壕の中で、子が泣くと日本兵に殺される・・・


夫の母は、「死の彷徨」の最中、

女子供が多いグループで行動していたので

他の人たちが避難している普通の「壕」には入れてもらえず、

仕方なく、空き家などの人のいない場所を渡り歩いていたそうです。

そのことが、かえって命を救われることにつながったのですが。


壕にいた人々の多くは、一緒に避難していた兵隊の命令で

逃げることも、投降することも許されず、

爆撃や馬乗り攻撃(壕の位置を予測して上からボーリングし、
 
  ガソリンなどを流し込んでおいてから、入口より火炎放射器で攻撃する)

によって犠牲になりました。

反抗的な者、投降しようとする者は虐殺され、

追い詰められた先で


「生きて虜囚の辱めを受くることなく
          
          悠久の大義に生くべし(牛島満陸軍中将)」

と、軍人の道連れに強制された集団死も多かった・・・






私も、かなり時間をかけて歩いたのですが、

娘たちは、私よりも一部屋分も二部屋分も遅れて

ひとつひとつの展示に見入って進んでいました。











最後の展示室を抜けると、

海に向かって一面ガラスの広いロビーに出ました。

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ガラス越しの、やわらかい日差しを浴びながら遠く海を見つめていると、

ここで犠牲になった人々への鎮魂の想いと、

今私たちが「当り前に生きている」ことの幸せが

改めてじわじわとこみあげてきて、

涙が出てきました。





7















   「沖縄戦の実相にふれるたびに 
    
    戦争というものは

    これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはない

    と思うのです 


    この なまなましい体験の前では

    いかなる人でも

    戦争を肯定し美化することは できないはずです 


    戦争をおこすのは たしかに 人間です 

    しかし それ以上に


    戦争を許さない努力のできるのも

    私たち 人間 ではないでしょうか 


    戦後このかた 私たちは 

    あらゆる戦争を憎み

    平和な島を建設せねば と思いつづけてきました 


    これが 

    あまりにも大きすぎた代償を払って得た

    ゆずることのできない

    私たちの信条なのです」 



・・・・・館内に大きく掲げられていた「展示のむすびのことば」です。



戦争はこわい、戦争は悲惨、過ちはは二度と繰り返してはいけない、

これまでどれほど繰り返し耳にしてきたことでしょう。

なのに、

私が今見た沖縄の「過去」のようなことが、

今も現実に世界中で起こり続けているのです。



「平和のための戦争」なんて絶対に無い!



残酷で生々しい現実の前に、

どんな論理も言いわけも説得力はありません。


戦争体験者が少なくなるにつれて、

その恐怖や平和への願いが風化してゆくのを感じますが、

娘たち、そしてそれ以降の子供の世代には、

戦争を「過去の歴史上の出来事」として知るのではなく、

そこで亡くなっていった人達、生き抜いてきた人達の

痛み、苦しみ、悲しみ、怒り、そして願いを

できるだけありのままに「感じる」経験をしてほしい。

そして、なぜ、そのようなことが起きたのか、

正しい知識と広い視野と人権感覚を持ち、

そこから、どうするのか、何を選択してゆくのか考え続けてほしい。









表に出て、「平和の礎」に向かいました。

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まるで天国・・・



いや、・・・ほんとに天国。

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こんな時代の、こんな美しいふるさとに生きたかったのだと、

ここに散ってしまったくさんの祈りが

花や、緑や、光や、風になってたたずんでいるかのようでした・・・


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11














ここには、

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沖縄戦で亡くなられたすべての方の名が刻まれた石碑が並んでいます。

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もちろん、

生まれて間もなく、

あるいは

生まれてしまっても生きてはゆけぬと、

母の腹の中にいるままで

名前すらつかぬ間に殺されてしまった赤子たちも

きっとたくさんいるのですが・・・

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戦渦の中では殺し合った敵も味方も、

平和を誓う灯火の前に、並んで静かにたたずんでいました。

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夫の母の言葉通り、

犠牲になった多くの人々が、実は「敵」ではなく、

「友軍」の日本人によって死に追いやられていたという事実。

赤子を殺した兵隊たちが守ろうとしたものは

いったい何だったのでしょうか?

本当に守りたかったものは・・・何だったのでしょうか?


見えない敵を空から爆撃するのも

命乞いする敵の兵士や住民を撃ち殺すのも

壕の中で泣く乳飲み子を刺し殺すのも

同じこと。


現状の中では、国際関係の均衡と自衛のためには、

軍備そのものはやむを得ないのかもしれません。

でも、「戦争」は、

敵も味方も、

兵士も住民も、関係なく殺してしまう「狂気」なのです。



「戦争は人の心の中で生まれるものであるから
  
  人の心の中に平和の砦を築かなければならない 」



私は、三十数年前高校生だった時、

呉市の生徒会連合会の運営する「高校生平和の集い」で

基調提案をしたことがあったのですが、

その時に引用したユネスコの憲章前文の一節が思い出されました。


この時とてもお世話になった顧問の社会科教師は、

あの、沖縄海軍司令壕で自決した

太田実海軍少将の息子さんでした。


実は、そのことを知ったのは、卒後、

先生が執筆された自伝を読んでからだったのですが。

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太田実海軍少将が、自決する直前に海軍次官宛てに発信した


 「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」


の電報はあまりにも有名ですが、

しかし、本土決戦先延ばしの捨て石に使われた沖縄県民は、

「高配賜る」どころか、

その後も米軍の占領下に切り捨てられ、

復帰後33年経った今もなお、

基地問題に翻弄され痛めつけられ続けていることを、

忘れてはいけないと思います。


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娘たちよ、

忘れないでほしい。

ここで見たこと、

感じたこと・・・




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そして必ず、

おまえたちの次の世代へと、つないでいくんだよ。




(続く)














最後まで読んでくださってありがとうございます♪
ご縁あって、ここへお立ち寄りくださったみなさまに、
重い話題ですが、ぜひ知っていただきたいことがあります。
時間とお手間がとれましたら、是非ご覧ください。
7分間のフラッシュムービーと、それについての記事です・・・

「あれから1年・・・」

見てくださって、ありがとうございます。
もしかしたら、みなさまのかわいいワンちゃんの親きょうだいも、
今、こんな場所にいるのかも・・・



minnkuri at 14:12│Comments(13)TrackBack(0) 旅行 | 平和への祈り

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この記事へのコメント

1. Posted by パール姫の執事   2008年04月04日 15:47
「生きて虜囚の辱めを受くることなく悠久の大義に生くべし」

東条英機が唱えた分厚い「戦陣訓」が例外なく牛島の中にも生きていたわけです。
帝国軍人の中に一人歩きして誇張されてきた「戦陣訓」。
確かに正気の沙汰ではなかったでしょう。
国民の士気を煽り倒し、勝てぬ戦いに人材をつぎ込み続けた上層部の愚かさには呆れるほかないです。
2. Posted by パール姫の執事   2008年04月04日 15:47
しかし実際に戦場に赴いた多数の彼らは、勝つと信じ、我が家族が、そして未来の日本人が、誇りをもって生きる事ができるように、日本の未来が当時のように混沌としているのではなく、明るい未来があると信じ、体をはって、見知らぬ異国で、そして沖縄で血を流して死んで行きました。私は、多くの先人の死が無駄ではないと思っていますし、決して無駄にしてはいけないと考えています。彼らの犠牲が無ければ、今の日本は存在しなかったのです。呉の海事博物館に昨年赴きましたが、家族に当てた手紙には、国に対する、日本人に生まれた誇り、家族に対する感謝と愛情が綴られています。

だからこそ、教育含め、曲解せず、「事実」をきちんと知っていかないといけないんです。
今はあまりにも右だの左だので曲解しすぎている部分が多いように思います。
3. Posted by まある   2008年04月04日 17:30
♪パール姫の執事さま、
私の父は昔平和運動をしていました。
その頃生まれた私に、「平和を望む」という名をつけたんです。

でも、父は、軍歌が大好きでした。

家ではいつもレコードをかけていたので、
傍で聞いていた私も大抵の歌なら知っています。
勇壮な曲も、悲しい歌も。

右から、左から、誰に何と言われようと、
呉の海軍工廠で終戦を迎えた父にとって、
「軍歌」は「青春」なのです。

史実をありのままに見ること、受け入れることと、
その意義や価値判断をすることは、
次元の違う話だと思うんです。

時代に強いられてきた生き方を、
美化もしない、けど批判もできない・・・

でも、そのからくりをきっちりと事実に基づいて解いてゆけば、
これから先への「教訓」は必ず見えてくると思います。



4. Posted by パール姫の執事   2008年04月04日 23:00
この辺りの時代に関しては、学校という所ではほとんど教わる事が無いというのも悲しい話です。
授業時間という制約が有る以上、膨大なこの時代の事実や意義を知り尽くすには無理があるのかも知れないですが。
とにかく自分も含め、知らない事が多すぎます。

私は学生時代、第二次大戦前後の日本近現代史を先攻するか、全く違う別分野先攻かでずいぶん悩みました。結局後者を取ってしまいましたが、今から考えると歴史をとるべきだったか・・と少し後悔しています。
でも、これからでもいくらでも学ぶ機会がありますから大丈夫・・・ですね。
5. Posted by まある   2008年04月05日 00:08
♪パール姫の執事さま、
まったく、その通りですね。
私が学生だった頃も、この時代は
「残りの時間でつじつま合わせて学年の終了に間に合わせた」
そんな感じで適当にすっとばして通り過ぎたように思いますよ(^_^;)
今の時代の直接土台にあるここを学ばずして、
歴史の何が役に立つのか・・・ですよね。
いやいや、偉そうなことは言えません。
私も知らないことだらけなので・・・

呉に、「歴史の見える丘」という場所があります。
呉鎮守府や海軍工廠などのあった辺りを間近に見下ろすこの場所から
どんな「歴史」が見えているのか、
ここから、この国がどう変えられていったのか、
大和ミュージアムが開設されるまで、
実は知らなかった若い人は多いのではないでしょうか。
6. Posted by tammy   2008年04月05日 09:05
昨日読ませていただいた時は、色々なことを想像してしまって涙でした。

今日書けるかどうかわかりませんが、私のブログでまあるさんの今回の日記、紹介させてくださいね。

今、沖縄にいる息子に、まあるさんの文章を読んで思わずメール。
沖縄県平和祈念資料館へ行っておきなさいよ〜と。

そしたら、もう行ったよとの返事。
何だか嬉しかったです。


7. Posted by さとり   2008年04月05日 15:21
何をどう書けばいいのか悩みます。
昨今、稚拙な愛国心が溢れています・・・・
この国の人はアノ戦争を本気で反省したのか。
責任を転嫁して、問題を先送りしただけのような
気がしてなりません。

ただ事実をありのままに。
後はそれをどう感じ取るか。
それでイイと思います。
娘さん達も戦争の醜悪さを感じたのでは。
8. Posted by まある   2008年04月05日 22:38
♪tammyさま、
息子さん、今沖縄にいらっしゃるんですか。

この資料館を見ず、沖縄のこの悲しい歴史を知ること無く
楽しい「観光」にうつつを抜かすことは
”罪”ではないかとすら感じてしまいました。

ぜひとも、若いうちに訪れてもらいたいと思うところです。

ブログでのご紹介、ありがとうございます。
沖縄を訪れるより多くの方が、
他の場所の観光を削ってでもここを訪れてくださるような、
そんなきっかけになるといいな、とも思います。
9. Posted by まある   2008年04月05日 23:01
♪さとりさま、
ほんとですね。
真の「愛国心」を持つ者は、
他国の民族の「愛国心」も理解し尊重するものではないかと思うのですが。

「事実」を知る機会に恵まれないこと、
事実を「ありのままに」知らされないこと、
事実から「感じ取る感性」を持ち合わせない、あるいは鈍らされること
そんな不幸が起こらないようにしたいですね。
10. Posted by 隊長   2008年04月06日 12:13
広島も平和を願う気持ちが強いですが、沖縄は今でもアメリカ色が強いから考え深いものがありますね

俺も3年位前に沖縄旅行に行って資料館とか回りました
広島の平和公園の資料館には車で10分くらいでいけるのに15年くらいは行ってません

中学生のときとはまた違った感じ方になると思うので機会を作って行きたいと思いますm(__)m
11. Posted by まある   2008年04月06日 21:39
♪隊長さま、
私が初めて広島の原爆資料館を訪れたのは、
確か小学一年生くらいだったと思います。
まだ、建て替え前の”旧資料館”の時で、
今のように構成に工夫のある「きれいな」展示ではなく、
展示資料が今よりももっともっと生々しくて、
怖さのあまり、ところどころ目をつぶって友達に手を引いてもらったほどでした。

数年後、建て替え後に再び訪れた時は、
展示資料も随分少なくなり、以前ほどの生々しいものはなくなっていて、
「見やすく」されたのかな、という印象がありました。

大人になって、守りたい家族が増えると、
同じ展示を見ても、
また違ったインパクトを持ってつきつけられるものがあったように思います。

いつか、隊長さまも、息子さんを連れて訪れる日も来るのでしょうね。
12. Posted by hiko   2008年04月07日 22:29
娘達は2人とも
高校の修学旅行で沖縄平和祈念資料館に行きました。

2人ともかなり衝撃を受けて帰ってきたみたいです

ホントに平和のための戦争なんて有り得ない。。

戦争の悲惨さを風化させてはいけないですね。
13. Posted by まある   2008年04月08日 07:26
♪hikoさま、
楽しい思い出づくりもいいですが、
娘さんたちは、きっと人生の糧になる旅行をされたのでしょうね。

私の世代では、まだまだ日常の暮らしの中で
「戦争体験」を聞く機会がありました。
娘たちも、実家に帰った時に祖父母からの話を聞くことができます。
でも、これからは・・・
体験のない私たちにインパクトある話はむずかしいですし、
こういうところで生々しい写真や遺物に触れ
感じる機会をつくることが今以上に必要になるでしょうね。


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