1980年、ミノルタX-7のCFで一世風靡した宮崎美子。
80年代のラジオ番組・ミスDJリクエストパレード、TV番組・オールナイトフジなど"ジョシダイセイブーム"の火付け役ともいえる。
宮崎美子については
Wikipediaを参照していただきたいが、このCF効果は絶大で、初心者向け一眼レフX-7は爆発的に売れることになる。
同時期、大場久美子(OLYMPUS OM-10)早見優(Pentax MG)など女性アイドルを使ったCFも登場したが、やっぱり宮崎美子のインパクトには勝てなかったのか、X-7は同クラスのカメラの中では抜きん出て売れたといわれている。
彼女が出演したミノルタX-7のCFは、この有名な青ビキニ編(♪いまのキミはピカピカに光って by斉藤哲夫)のほか、フリスビー編(♪こんなんなっちゃった by忌野清志郎)や、涙編(♪君のプリズナー byCINEMA)などもあった。
ミノルタは70年代半ばから愛川欽也、研ナオコ(共にSR-T系)、篠山紀信(XE)、キャンディス・バーゲン(XD)とタレントを使ってきたのだが、いずれもCFとして成功したとは言い難い。
新型X-7は若者にターゲットを絞った機種。
宣伝会議では、当時流行った「女性を撮る」ことを前面に押し出そうとし、宮崎のほか2名の素人(一人はモデルといわれている)を使った若々しいCFのプロットができあがった。
撮影地はサイパン、2月に2泊3日で行われ、翌3月からは宮崎を使ったCFが第一弾として放映開始される。
そして同時に撮影した別の女性バージョンを次々打ち出す戦略だったが、宮崎のCFがあまりにも人気となりあとの二人はお蔵入り。
その宮崎人気と、春・入学シーズンで子供に買い与えるにはちょうど良い5万円以下という価格もあって、ミノルタX-7は売れに売れた。
またX-7は、1978年に登場した兄貴機・XG-E(後のXG-S)の骨格を使用している機種のため、故障も少なく利益幅も大きく、ミノルタに大いに貢献した。
やはりミノルタにとって「7」は魔法の数字なのか?
夏にはアキュートマット、グリップを搭載したX-7Blackが登場。
当時はシルバーが基本でブラックモデルを高級とする節があり「ライバルより一歩上」を望む高校生はこぞってブラックに憧れ、まさかの同機種買い替え需要も発生した。
たぶん今40歳を迎えるオールドカメラマンの中には、はにかみながら同級生を撮った記憶がある人も多いと思うが、撮影するファインダーの中には同級生ではなく宮崎美子が見えていたに違いない。
しかし、重くてピントも自分で合わせないといけない一眼レフから、AF搭載のコンパクトカメラ人気へと移行しつつあった時代。
1982年にミノルタの顔は斎藤慶子に変更となる(主にハイマチックAF2のキャラクターとして採用された)。
そして1985年の衝撃的なAF一眼レフ・α-7000登場まで、ミノルタの販売現場は泣かず飛ばずの状況が続くのであった。