瓜生稔のひゅーまんさぜっしょん

  ★★★自律協働型人材®を育成する 株式会社ヒューマンラボ★★★

見せてもらった商人道

やまちゃん 

2度3度と身体が宙を舞う。30人ほどの男たちが舞台の中央で白髪男の胴上げをしている。いや、よく見ると何人かの女性も含まれている。平成28年12月11日のことだった。

35年間、たった一人で医療機器の販売を手がけてきた男の、『大感謝祭』という名の、実は引退式のクライマックスだ。自ら立ち上げた会社を閉鎖し、事業は他社に引き継ぐという。しかも、お客様にご迷惑にならぬよう、自分もその会社に2年間程度所属し、お客様のフォローに従事するようにしたらしい。

そこここに野外を思わすような模擬店やゲームコーナーが配置されている。広い会場の中には、彼のお客様であった獣医の先生方や、看護師の方々、事務員の方がひしめき合っている。そして件のゲームコーナーでは、お客様のお子さん達が母親の手を引っ張りながら走り回っている。さながら夜祭の様相だ。300人を超す宴もたけなわとなり、締めの挨拶に立った医療機器のメーカーの方のサプライズだった。いつも用意周到な男だったが、この胴上げは全く予期せぬことだったようだ。男を脇に置き、壇上で挨拶されたメーカーの方が、ひときわ大きな掛け声をあげた。それを合図に舞台の両脇から、どどどどどと牛馬が押し寄せるかのように取引先の方々が壇上に駆け登ったのだ。十回を超える胴上げが終わり、『皆様のお見送りをしますので』と言って万雷の拍手の中、会場を退出する男は、ハンカチで眼鏡の奥の目頭を何度も拭っていた。舞台のそでには、この男を支え苦楽を共にされた奥様の姿もあった。

若い頃からの付き合いだ。たまたま互いの家も近く、地域活動の中で知り合い、何か惹かれるものがあって、今日まで交流があり、気づけば35年を超えていた。

何事につけてもいい加減を目指す私とは違い、曲がったことが大嫌い、邪な力とは断固闘う。この男の頭の中にはいい加減という言葉はない。加えも減らしもしない、あるがままの自分で生きてきた。かつてこの男に『闘う男』という称号()をプレゼントしたことがある。そう言えばこの男がもっとも好きな男が、あの闘う男、フィリピンのボクサー、マニーパッキャオだった。

この男が壮絶な闘いを展開した実に5年間、私はこの男の身近にいた。最初に状況を聞いた時、とっさに勝ち目はないという判断を下した。それまで教育研修会社に身を置き、42歳で自分の会社をつくった。ほぼ25年近く企業経営の支援という仕事をしてきた、言わば常識的判断だった。もちろん応援はするよとは言ったものの、弁護士を紹介するくらいで何をどうアドバイスすればよいかすら分からなかった。

闘う相手は世界的なメーカーの子会社である。医療機器においては我が国のトップスリーと言ってよいだろう。2005年9月、この男が客先である動物病院にそのメーカーの医療機械を納入した。700万を超える精密機械である。ところがその機械が20066月、作動不良となり、保証期間でもあったため新品の代替機が提供された。そしてその代替機も電源装置の不良でクレームとなったのである。ところがメーカーは故障の原因は医院における操作環境によるものと言う論を張り、この男や獣医師の主張に対し一切取り合わなかったのだ。

そこからこの男の5年間に及ぶ壮絶な闘いが始まるのである。やがて、この男はこの装置のハードディスクからデータを取り出し、この代替機が新品ではなく、何度もデモに使用された機械であることを突き止めた。同時にメーカーや販売会社とのやりとりを書き起こし矛盾点を突いていったのだ。メーカーはもちろん、販売会社、国の監督官庁や栃木、大阪の行政府と闘いを挑んでいったのである。

私の忠告も聞かず、いよいよ翌年、メーカー、販売会社を相手にして訴訟が始まる。薬事法に関しては弁護士以上に勉強したと後に豪語する通り、これまで学んだこともない法律や条例、過去の裁判記録などを読みあさり、幾夜の徹夜も経験した。相手は10名を超える顧問弁護士を抱える巨像なのだ。男はわずかに私が紹介した弁護士たった一人が頼りなのだ。勝ち負けは歴然としている、と私は判断していた。ところが、なのだ。男は見事に勝訴し、メーカーは敗訴し、支払命令を受けざるを得なかったのである。

ところが男の闘いはまだ残っていた。メーカに違法性は認められないと主張してきた行政との闘いである。この時ばかりは、行政がいったん判断したらその判断を覆すことはないと、例によって私の常識からかなり強くアドバイスしたのだ。勝ったとはいうものの、メーカーとの闘いでほとほと体も心も疲れ切っていた。「もう、いい加減にした方がいいよ」と。ところがこの男は加減を知らない。第二ステージの闘いが始まった。そして、なんと私のアドバイスとは逆に、行政に誤りを認めさせることになったのだ。行政から薬事法に抵融するとしてメーカーに対し、行政指導の手が入ったのである。これまでになんと5年の歳月を要したのである。男の完勝であった。

人が生きていくうえでも、仕事をするうえでも、闘いは避けて通れない。そして闘う以上は勝たなければならない。その勝つという意味は人、人によって違うだろう。この男の勝ちの意味は、自分が正しいことをしていることを証明することだったのだろう。言うならば、この男の仕事は、獣医さんや看護師さんの代弁者なのだ。獣医さんや看護師さんのお困りを、自分が取り得るすべての行動を通して助けていく、それがこの男の仕事なのだ。単に物を買ってもらうのが仕事ではない。メーカに不手際があれば、お客様のためにわが身を挺して正していく、それが今回の事件だった。訴訟中に、お客様にはお支払いいただいた機械代金を返却し、自ら借金を抱えて闘ったのである。そして見事勝利することができたのだ。『大感謝祭』と銘打ったあのお祭りは、実はこの男と、多くの取引先、お客様がともに戦って勝ち取った勝利宣言の集いであったのだ。

闘いに勝つ要諦は、いかに大義に生きるか、いかに小我に囚われないかである。この男は我が身を考えてはいなかった。お客様のお困りを助けるという利他の大義を考えて戦い抜いたのである。いや、大義を持っていたからこそ戦い抜けたのかもしれない。

ついつい自己利益を考えてしまうのが商いと思いがちだが、まさに商いに大義がなければ商人道とは程遠い畜生道なのだと大饗宴の中で、この男に教えられた。

ただ、きっとこの男はお客様に言ってきたであろう。

「先生、ここまでさしてもろてんねんから、儲けさしてもらいまっせ!」
  真の商人道に、そして永遠の友に乾杯!

Y氏の引退に際し

「耐える」ということ

 「今年9月で引退します。後任も決まりました。後は責任を持って自分の持っているすべてを引き継ぎ、後継を育てていきます。」
 半年間にわたる管理職研修プログラムの最後に、今後管理職としての課題は何かと問った時、一人の管理者の方が「率先垂範」という4文字を書かれた後の宣言だった。

 半年前、この管理職研修をスタートした時、全国規模の会社さんのため、同じ社内でもお互いに受講者同士をよく知らないということもあり、冒頭に「1文字自己紹介」を行っていただいた。自分の良いところも悪いところも併せ、漢字1文字で表し、お一人お一人ペアになってお互いに紹介し合うというワークだ。その時、ある管理者の方が書いた文字は「耐」であった。
 管理職研修でよくあるケースは、今後ということを考えて受講者が選別され、新任や若手の方が中心となり、ベテランの方や高齢の方は参加させないということがままあるが、この会社ではすべての管理者を対象として4教室に分け、2年がかりでこのプログラムに取り組むことになり、その一教室でのエピソードだ。
 「耐」と書かれた方も、いったん退職をされ、再雇用の身でありながら営業所長をされている64歳の方だった。この研修では、ベテランの方や高齢の方々を、やや無理矢理に受講いただいた感もあった。事実、別の教室では、そのことについて議論することから研修をスタートさせたということもあった。その「耐」と書かれた文字を見た時、(そうか、今回の研修を耐えるつもりで来られたんだな)という思いで受け止めてしまった。

 「耐」の真の意味を聴かせていただいたのは、初日研修終了後の懇親会の場であった。懇親会も終盤に近づいたころ、私の隣の席にその方が座られたのだ。
 「耐えると書いたのは・・・。」
と、私が問うまでもなくその方が語り始めたのは、壮絶な闘いのドラマだった。
 4年前の3月11日、彼はいつものように営業所を出て車を飛ばし、お客様に出向いていた。14時46分、あの痛ましい東日本大震災が起きた。彼はこの震災で4千人近い被害者を出した石巻の営業所長だったのだ。山側に向かっていた彼は、とっさにハンドルを切り、津波が押し寄せる海側に向かった。営業所は港のすぐ近くに開所しているのだ。(営業所は?所員は?)と彼の脳裏をよぎったのは自らの生死ではなく働く仲間の安否だった。

 2重にも、3重にも、折り重なって押し寄せる津波に、とうとう彼の車も捕まった。あわてて道沿いの木の上によじ登った。すぐ下を轟音と共に真っ黒な水が木材や車、すべてのものを飲み込み、押し流していく。まさに地獄絵であったろう。ふと気が付くと子供が流されている。溺れる寸前だ。彼は大声を張り上げ、子供に気づかせると、幸い水の流れが子供を自分の方に近づけた。思い切り片手を伸ばすと子供の小さな腕をつかむことができた。無我夢中で、ほとんど後のことは覚えていないとのことだった。ただ、「耐えろ!、耐えるんだ!」と誰にともなく叫び続けていた。数時間の後、水が引き地上に降りた時には、同じくその木に掴まって生き延びた3人で抱き合っていたという。たまたま学生時代、幾度となく冬山を上り、折れない心を磨いてきたこと、今もその鍛錬を怠っていなかったことが、この3人に「九死に一生」を得させたとのことだった。

 人が生きていく上で、何が何でも耐えねばならないことも多くある。苦しみや悩み、体のこと、仕事のこと、自分のことだけではなく、家族のことや働く仲間のこと、数え上げればきりがない。ただ、こうしたことを耐えて生き延びていかねばならないのだ。それはその人にしかできないことがあるからだ。他の誰でもない、自分にしかできないこと、それがあるからこそ、人はどんな苦労も逆境も「耐えて」、「超えて」生き延びた自らの命を使うのだ。それを私は「使命」という言葉で表している。

 一昨年からレジリエンストレーニングのサービスを開始した。すでに10社を超えるお客様に導入いただいている。どうしてもついて回るネガティブな感情をコントロールし、自分の人生を前向きに、積極的に、より良い人生を目指していく、そのための折れない心をつくるトレーニングだ。私はこのレジリエンスという力の根底には、その人の使命感があると考える。どんな苦労や逆境も耐えて、超えて生き延び、自分の使命を果たすことこそ、その人の荘厳な人生を創るものになる。
 このレジリエンスにつながる「耐えること」という素晴らしい話を聞かせていただいたことに対する感謝の念よりも、詳しく聴きもせず、自分勝手な解釈でその方を見てしまっていた自分を恥じた。その方は「耐えて」、「超えて」、自らの使命を果たそうとして、まさにより良い人生を築くためにこの研修に参加いただいた方だったのだ。
 人間主義を標榜し、「人には無限の可能性がある、それを信じることができるかどうかなのだ」と、常々人に説いていながら、実は自分がそのことを1番なおざりにしていたことに気づかせていただいた。

 出会いから半年を経て、9月引退を目の前にして、泰然と「率先垂範」と言っていただいた言葉に、また勇気をいただいた。感謝である。

                    5年目を迎える東日本大震災の日を前に

大阪市きらめき企業賞 受賞に寄せて

16年にありがとう-



大きな声を出したり、手を握りあったり、肩をたたきあったりといった派手さはなかったものの、201221日のわが社には大きな二重の喜びがあった。

ちょうど16年前のその日、199621日は、わが社が大阪の南船場でヒューマンラボ(人間工房)として産声を上げた日であった。貸しビルの小さな一室に、デスクが3つと会議テーブルがひとつ。私と社員あわせて3人のつつましやかな出発であった。そして16年の年月が流れ、この日、201221日、大阪市きらめき企業賞の受賞が発表になった。期せずして16年目の創業記念日に、である。「大阪きらめき企業賞」は、2004年に創設された男女共同参画社会づくりに貢献した大阪市内に本社を置く中小企業を顕彰するものである。

「写真これでいいですか?」

受賞企業の写真パネル展示を行うらしく、私の研修中の写真を展示すると言う。

「女性が頑張って表彰受けるのに、おっさんの写真展示してどうすんねん?」

ギャグ交じりに固辞をして、女性社員の写真に変えてもらった。


「晴々と誇らしく表彰を受けてきてください」

23日表彰式、まさに今日である。今日も「おっさん」は仕事の都合で参加できなかった。女性社員2人に式に出てもらうよう依頼し、その2人に送ったメッセージだ。

 先だって、ある文学賞を受賞された方が、「もらってやる」という迷(?)セリフをテレビの視聴者に向かって吐いたが、わが社はその逆である。受賞の知らせを聴いた時、率直な反応は「ええ、うちがもらっていいの?」だった。確かに16年間の経営を通じ、役員、社員含め9人の常勤社員のうち7人が女性でもあり、研修会社ということもあって、30人ほどの講師も女性が半数以上になる。その意味ではまさに男女共同参画社会の一端を担っているかも知れない。また、文部科学省の起業・再就職のための女性の学び直しプログラム、ハッピーキャリア3年間の実績や、ダイバーシティー、ワークライフバランスに関わる教育なども評価されたのかも知れない。

 表彰状の一文には「働く人がきらきらと輝く職場づくりを目指し積極的に取り組んでおられます」と記されている。しかしながら、経営にあたってそこまで考えてやってきたかというと、幾ばくかの疑問が残る。どちらかというと創業以来社員とともに無我夢中でやってきた結果が今回の授賞のような気もする。計画的に様々な仕組みや施策を実践し受賞された他社様のプロフィールを拝見すると、ますます肩身が狭くなるのである。

 ただ、創業以来、いかなるときも

「組織を本とするのではなく、人を本とする」

 「組織は人の道具であり、人が組織を使うのだ」

といった人間主義を貫こうとしてやってきたことは間違いない。男女共同参画社会の実現も、男といい、女といい、それぞれが本であり、どちらも従であるはずはないということが根本のような気がする。一人一人を活かす、そんな考え方が少し社内にも浸透してきたのかもしれない。

わが社にも幾度となく経営の危機があった。しかしながらこの危機を救ってくれたのは社員一人一人であったことを思い出す。ある時は彼女が、ある時は彼が、そうして今日の表彰に結びついているのは間違いない事実だ。それほど卓越した能力を持ったリーダーではない。むしろ力足らずを感じている。一人一人の頑張りがなければ16年の経営を続けてこれたはずがないと心底思う。

ただ、まだまだと感じている。まだまだ、表彰に値するほどの素晴らしい企業にはなっていない。一人一人が仕事にやりがいを感じ、生きがいをつくりだし、ヒューマンラボに勤めることを誇りに思えるような会社、一人一人がきらめく会社を社員とともに作り上げていきたいと、受賞を契機に感じるところである。

 創業間もないころに記した一文があった。

 人は自らの使命を自覚したとき、その能力を最大限に発揮できるという

 人の使命―それは価値の創造
 他の誰でもない自分がなさねばならないこと
 自分にしか創造できない価値を生み出すこと

 人は誰しも自らの想いを実現するためにこの世に誕生してきたという

 私たちが実現したいのは
 一人ひとりを活かしきる不撓不滅の組織を構築すること

 人と組織の共生を目指し
 自らの想いを実現し、組織と社会に貢献を果たす人材の育成

 これこそが、私たちヒューマンラボの信念である


「今日は一杯やって帰ってください」

件の女性社員へのメッセージだ。

そして、すべての社員に「16年にありがとう」とメッセージを贈りたい。


 


 

株式会社ヒューマンラボ
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