私は、病気と付き合う姿勢を随分前に大先輩から学んでいた。

病気に甘えず
他人に押し付けず
憐れみを貰うことも買うこともなく
病気と付き合うのは自分だ、と自覚することを。


姪が生後9ヶ月。
私の結婚式3日前の夕方に発覚した難病。

血小板の数値によって週1か週2で採血、悪ければ入院を繰り返していた。


採血は、初め母親や家族から引き離して別室で、2才頃から膝に乗せてやっていた。

姪が泣くと看護師さんや家族は、笑いながら『大丈夫だよ~』なんて言いつつ、姪をがんじがらめに押さえ付けていた。


3才になって初めての採血の日。
『もうね、泣かないから大丈夫だよ』と。

私の膝の上で、看護師さんにちっちゃな腕を差し出し、ぎゅっと目をつぶり針を2回刺されてもガマンする姪。

彼女の宣言通り、泣かずに採血…

だけど、見ていた私の方が涙ぽろぽろ流れてしまった。

その健気な強さに。

えらいね、と何度も繰り返し、姪を抱っこしながら自分の涙を拭いた。

姪が泣いてくれた方が、押さえ付けている大人達のせいだと言っているみたいで…
その方が大人達の気持ちが楽だったなんて、失礼千万な話だ。


入院する度に点滴をほぼ一日中付けていて、その管を指差して
『これカッコイイひもなんだよ』と言う姪。

わずらわしいとか、辛いではなく『治す為の薬を入れているからカッコイイひも』だと、真意だけを素直に受け入れている心に脱帽な思いだった。


姪が5才の時。
おでこをぶつけて内出血が止まらず、目の周りにも紫斑が広がり、見事なパンダ顔になってしまったことがあった。

私が思いっきり憐れみの目で見つめていたら
『みんぽぽちゃん、大丈夫だよ』ってニッコリと笑顔…

また私は涙がぽろぽろと流れてしまった。

幼き姪が私を察して、あたたかい言葉をかけてくれたのだ。

そして、憐れみの目で見たことを申し訳ないと思った。

姪は姪なりに一生懸命生きているのに、憐れみをかけるとは、なんて侮辱的な行為だったと深く反省した。

それ以来、心配はするけど、可哀想という言葉と可哀想だから何かをしてあげる事は無くなった。


もうすぐ六年生になる彼女は、未だかつて『自分は難病だから…』という言い訳をしたことが無い。


病気という試練を受諾し、共に生きる姿勢を示してくれた者として、姪は私の大先輩である。



って、姪と私…性格が似ているんだねぇ。