夕日が海岸線に沈みかけている海岸。夏ならば海水浴客であふれ返っているであろう砂浜の波打ち際に、ショートヘアの女性がたたずみ、海を見つめている。淡い色の服を着たその女性は、やや小柄だったが、スカートの裾からのぞく彼女のふくらはぎはよく発達しているので、対照的に足首の細さが強調されている。彼女もきっとアスリートなんだろう。それにしても彼女はここで何をしてるんだろう。
 
その時一人の男性が、彼女に近づいて行った。男は彼女の名前を呼び、彼女は振り返ったが、その顔には驚きと戸惑いの色が有った。男はもう一度彼女の名前を呼び、小走りに彼女に向かって駆け出した。一瞬躊躇したようだったが、彼女も男の方に向かって駆け出していた。彼女は駆け出す直前、にやりと不気味に微笑んだよう思えた。まるで子どもが新しいいたずらを思いついた時のように....。気のせいだろうか。彼女の名前を呼びながら駆け寄る男と、手を振りながら駆け寄る彼女。映画とかだったら、次には熱い抱擁とキスのシーンが来るはずだ。まさに男の両手が彼女を包み込もうとした瞬間、彼女は男の腕をかいくぐるように身をかがめると同時に、鋭く左へ飛んだ。男の両腕はむなしく宙を切り、前のめりになって体勢を崩す。バランスを取ろうとしてあごが上がったところへ彼女のウェスタン・ラリアットが打ち込まれた。不意を突かれ、カウンターで入ったラリアットを受けた男の体は、ワイヤープレイによる特撮を見るように宙に舞い上がり、見事に一回転して砂浜に落ちた。彼女は倒れている男の背中を踏みつけ、二言三言浴びせかけた後、くるりと背を向けると、そのまま立ち去って行った。砂に埋もれた男は、辛うじて上半身を起こしたが、彼女を追いかけることも、呼び止めることさえも出来なかった。メンソールはヒューッと口笛を吹きそうになった。ブラボー。強い女は大好きだ。去っていく彼女の後ろ姿、鍛えられたふくらはぎを見ながら、メンソールは立ち上がった。待ち合わせの時間は19:30。そろそろ行かなくては....。
 
少し前に受けとったメールには「シーラカンスでデートしないか」と書かれていた。紀香と初めて会ったのは去年のことで、メールだけでやり取りして、何度目かのメールでメンソールが誘った。今度はメンソールが誘われたんだけど、正直びっくりした。紀香と初めて会った時、「付き合ってほしい」なんて言おうもんなら、それだけで迎撃ミサイルが飛んでくるのではないかと思うほどの強力な防衛線が張られていた。哨戒機も飛んでいたような気がする。それでも「付き合ってほしい」と言ったメンソールは健気だなと思ったりするが、その話は横に置いてくことにしよう。その後何度かメールで誘ったけれど、OKは出なかったし、メンソールも半ば諦めかけていた。その彼女からの誘いだった。どういった心境の変化なんだろう。
 
昨日のリレーマラソンの時は、第一区を走り終わった時点ですでに大腿四頭筋がパンパンだった。筋肉痛は翌日の方が辛い。朝起きたメンソールは、うめきながら立ち上がった。昨日の時点では痛みを感じなかった大腿二頭筋や背筋までが筋肉痛を起こしていた。とってもぎこちない歩き方をしてるんじゃないかと気になって、ウィンドウなんかに自分の姿を映してみるけれど、自分が思っているほど変な歩き方をしているわけではないようだ。下り階段では、大腿四頭筋がエキセントリックに働くので、その苦痛は筆舌に尽くし難い。手すりをつかみ、一歩一歩確認するような足どりで、長堀橋の駅を降りた。最近心斎橋に、和食系とはではいわないけれど、創作系居酒屋といった店が増えてきている。メンソールも昨年は、飲みに行くといえばワインバーだったけど、今年はじっくりと日本酒を飲みたいと思っているので、こういった創作系居酒屋のオープンはうれしい限りだ。いくつか気になっている店の場所をチェックすると、そのままアメリカ村の三角公園を越え、ちょっと話題になっていたスパニッシュの『コンパドーレ』の前の通りを西へ向かう。『ラーメン・シンガポール』を越え、堀江公園の南側を西へ西へ。なにわ筋に出る手前に『金魚』という店がある。『シーラカンス』での待ち合わせの時間まではあと30分くらいある。それまでここで時間をつぶすことにした。
 
メンソールはビールをオーダー。キリンの瓶ビールだったけど、丹念に時間をかけてグラスに入れてくれる。メンソールの前には、ビアサーバーでいれたのではないかと見間違うほどのクリーミーな泡の帽子をかぶったビールが置かれた。あては冷奴。メンソールは冷奴でビールを飲むことはあまりないけれど、カウンターバック、ボトルラックの上にある黒板に書かれている今日のおすすめメニューを見ていると、時間のかかりそうなものばかりだったので、一番時間がかからないであろうと思われる冷奴にした。南船場の『ルーリオ』で、オーダーしたものが予想外に時間がかかって遅刻しかけたことがあるし、これから『シーラカンス』に行って、メンソールの好きな辛いタイ料理を食べるわけだし、前日は、早起きして走って体力が低下したところへさして、ケーキと日本酒という取り合わせで、胃が悲鳴を上げたのか本調子じゃないし、というわけで慎重になっていた。
 
ビールを飲みながら、店内を観察する。入り口横と、奥のテーブル席の入り口あたりに水槽が置いてあるので、たぶんこれが店名の由来なんだろう。でも泳いでいるのは金魚じゃない。カウンターは9席。奥のテーブル席は4人掛けテーブルが2脚じゃないかと思う。入口扉は木製だが、それ以外はガラス張りになっているので、外から店内を伺うことが出来る。カウンターテーブルはタイル張り。だからカウンターに座っていても銭湯に座っているような気分になる。カウンターバックの壁は、黒い板塀みたいになっていて、ジンやウォッカが少しと、リキュール類が沢山置かれている。ラックは二段なんだけど、その上には食器類が置かれていて、それが全部和食器だったりした。照明は落とされているし、雰囲気はバーなのに和食器が並んでいるのは、違和感があるんだけど、不調和を超越したような調和が楽しかったりした。それから、その時は気がつかなかったんだけど、その右隣に別のラックがあって、そちらにはブランデーやウィスキーとグラス類が置かれていた。
 
 店主が「お仕事がこの辺なんですか」と話しかけてきた。10年くらい前に、ダーバンに勤務している女性と付き合ってたけど、メンソールの勤務地はこの辺じゃない。東大阪だよ、と答えると、今度は「お住まいがこの近くですか」と聞いてきた。メンソールの実家はなにわ筋の近くにあるけど、今の住家はこの辺じゃない。守口の方だよ、と答える。たぶん変な客だと思ったと思う。その時メンソールのPHSが振動して着信を知らせてくれた。
 「メンソール、『シーラカンス』はクローズしとるわ」の声が飛び込んできた。それならこっちへおいで....、ということで、「シーラカンスから一本北へ、それから東へ、なにわ筋を渡って駐車場の前だよ」とメンソール。それからしばらくして、紀香が店の扉を開けた。
 
紀香はまずビールをオーダー。メンソールは、彼女からの電話があったときにオーダーしておいた二杯目のビールで彼女と乾杯した。それではということで、フードメニューをもらい、串揚げをオーダーした。メンソールは10本セットのフルコースに加えて野菜の5本セット。彼女は10本セットをオーダーした。25本ですか....、店主がびっくりして聞き返してきた。(ネタは)結構大きいですよ....、ちょっと心配そうだ。大丈夫と、メンソールが答える。事実、メンソールと紀香は25本の串揚げを食べたあと、焼き鳥を食べに行くことになる。鶏もも、蟹の爪、豚肉&アスパラ、海老シソ巻、ホタテ、キス、レンコン、カボチャ、アスパラ....、これで9本か。さすがに10本すべてを覚えるのは無理だった。でも悔しいなぁ。何かのクリームチーズ乗せだったんだけど....。それはともかく、ネタも良かったし、やはり揚げたてのアツアツはおいしかった。こちらの食べるスピードに合わせて揚げてくれるんだけど、メンソール達の食べるのがあまりに早いので、びっくりしていたかもしれない。紀香は日本酒をオーダー。黒板には五種類くらい、辛口の純米酒ばかりが書かれていた。が、この日店にあったのはそのうちの二本だけ。手書きのメニューなんだから、ちゃんと店の在庫と一致させておいてほしいと思うが、店の女の子が自転車に乗って買いに行くあたりが、なんかユニークというか微笑ましかったりする。日本酒は片口徳利に入れられてやってくるし、猪口ではなくてぐい飲みだったりするのはうれしい限り。三回お代わりしたけど、メンソールがちょっとこぼしてしまったので、そのうち五勺くらいは布巾とコースターに飲まれてしまった。ところであの片口徳利は何合入りだったのかな。一合ということはないと思うので、二合かな。ということは二人で六合でんな。
 
串揚げを食べ終わった紀香は、抹茶リキュールが気になったらしく、考えた末にソーダ割り、それならということでメンソールは『椿三十郎』というカクテルをお願いした。生クリームがないとのことだったので、代わりにミルクで作ってもらったが、やっぱり生クリームで作った方が美味しいと思う。
 メンソールと彼女は、この店を後にした。行き先は彼女が美味しいと言っていた焼き鳥屋。カクテルを飲んだ後に、紀香が「さぁ、焼き鳥食べに行こか」と言ったとき、たぶんここの店主ば目を回したと思う。メンソールはそんなたくましい紀香が大好きだったりする。


・金魚
・06-6539-1477
・大阪市西区南堀江1-23-8
・18:00-26:00
・水曜日休み

 
 
メンソールと紀香を乗せたタクシーは、北へ向かって走り、それから西へ....。ということは九条あたりかな。メンソールは車を運転しないのでよく判らない。橋を渡るときに、紀香が「最後はここで締めようね」と言った。タクシーはその店を通りすぎてしばらく走り停止した。二件目の焼き鳥屋でも名刺をもらったけれど、西心斎橋にある二号店の住所が書いてあったので、あったので、メンソールは最後まで自分がどこにいるのか判らなかった。けれど何処か懐かしい感じのする街並みだった。焼き鳥屋の名前は『ばかや』だった。明るい店内で、入り口にテーブル席、奥にカウンター席がある。カウンターは6席くらいかな。彼女は「二人なら一本くらい飲めるでしょ」と言いながらワインをオーダーした。グラーブの赤ワイン。華やかな香りの辛口のワインだった。銘柄を記憶しようとしたが、頭に入って来なかった。
 
メンソールはエアロビのしすぎで、左膝関節を痛めて以来、焼き鳥屋では必ず軟骨をオーダーすることにしている。それと定番のこころ、せぎもとせせりも外せない。もちろん造りも大好きだ。紀香は、歳と共に体力が低下してくるというけど、私はそうは思わない。今の自分の方が若いときよりも体力があるはずだ、と言う。実はメンソールもそう思っている。卒業したら体力が落ちると言われていたので、そろそろかな....と覚悟はしているけれど、一向に落ちる気配がない。逆に学生時代よりも今現在の自分の方が体力があると思う。ところがFENさんの師匠によると、40を越えるとそうではなくなるらしい。体力が衰えてくるという訳ではなく、精神面と肉体面のギャップが生じてくるというのだ。
 
彼女はFENさんのことを中国人だと思っていたようだけど、FENさんは日本人だ。FENさんのお兄さんはメンソールと同じ歳て、出身校も同じだったりする。なぜFENさんの話になったかというと、マルチリンガルな人がいるという話から派生した。FENさんも多芸で、マルチリンガルな人で、聞いたことはないがラテン語が喋れるそうだ。それから恋愛論争。「なんで会う度にセックスせなあかんねん」と彼女は言う。メンソールもそう思う。セックスは最終目的というわけではなくて、コミュニケーションの一部だと思っているし、セックスレスなデートって結構面白かったりする。そう言えば二週間ほど前、某女性に「男性は女好きな人とセックス好きな人がいるけど、メンソールは女好きでセックス好きやな」と言われてしまった。そこには否定できない自分がいたりする。
 
この焼き鳥屋の壁には、ハガキ大のカードが何枚か張られている。その中には『イ・パードリ』のものや『アレグリア』のものがあった。二号店は西心斎橋のステージ9ビルにあるらしい。そう言えば昔、このビルに、時間と共に色が変わっていくビールがあって、その秘密を苦労して聞き出した覚えがあった。あのビア・バーは今もあるんだろうか。メンソールはこの日紀香に会って、彼女のかわいい部分を発見したような気がする。ひょっとして、意外とシャイな部分が、奔放なようで、どこか照れ残しているような一面があるんじゃないだろうか。『白雪姫』がそうだったように、王子様の出現を待ってるんじゃないだろうか。


・焼き鳥 ばかや
・06-6584-8066

 
 
焼き鳥屋でワインを一本開けて、それから歩いて先ほど通りすぎた店へ。カウンターだけのスモールサイズのバーで、照明はかなり落としてある。メンソールは『響』のストレート。彼女が何をオーダーしたのかは覚えていないが、『響』の滑らかで甘い香りは確実に二人の夜を包んでいく。カウンターに並んで座っているときに、スッと彼女の首をフックしてキスするいう技を、メンソールは昔良く使った。今日もチャンスは何度かあったけど、それはしなかった。別に不意打ちの様なキスが卑怯だと思ったわけではない。初めて会ったときほどではないけれど、紀香のまわりにはやっぱり強力な防衛線が張られていて、不用意な接近は避けた方がいいと思ったのが一番の理由。迎撃ミサイルが飛んでくることはないだろうが、ロケットパンチが飛んでこないとは断言できない。「なんで私のこと口説こうとするの。ほかの男で私を口説こうとする人なんかおれへんよ。メンソールだけやで....」と言われてしまった。「そらそうでしょう。あなたは、口説かんといてくれっていう雰囲気を纏ってるんだから」とメンソール。
メンソールここでの二杯目は、カンパリソーダ。時刻は01:00をまわっていた。「メンソール、どうやって帰るの」と彼女が聞く。「もう電車はなくなったから、今日は泊めてほしい」とメンソール。メンソールより少し遅れて店を出て来た彼女に、微笑みながら近づいていく。彼女を抱きすくめようと広げた両手をかいくぐるように、彼女は左へ飛んだ。おやっ?、このシーンはどこかで見たような....。ラリアットは飛んでこなかったが、彼女が挙げた右手に応えたタクシーが、メンソールの背後に止まった。
 
「メンソール、はよ帰り」と紀香が言った。とんでもない。こんなところからタクシーで帰ったら、今日の飲食費より高くつく....。「えっ、泊めてくれるんじゃないの....」とメンソール。「それだけは絶対にあかん」と言って彼女は微笑み、「シーラカンスのリベンジやろな」と言って手を振った。参った。でも、次のデートの時には必ず彼女の制空権の内側に入り込んでやろうと決意を新たにするメンソールであった。やっぱり『愛の頂肘』が必要かな。
 


・アルファベット5文字だったと思います(覚えてません、ごめんなさい)


 
1999年11月7日に書いたレポートを、加筆の上、掲載したものです。