佐藤恵に会ったのは、昨年のこと。夏も終わりかけて、そろそろ台風シーズンに突入しようかという頃だった。名刺は交換したんだけど、そのままになっていた。何かの拍子に恵のことは思い出すんだけど、当時のメンソールはもらった名刺を整理する暇もなくて、とにかく何枚か単位で輪ゴムで束ねて、山積みにしていたような有様で、連絡が取れずにいた。それが年末に年賀状を出すために、それまで手つかず名刺を一気に整理したところ、恵の名刺が見つかった。年賀状印刷ソフトに恵のオフィスの住所を打ち込みながら、ふと裏を見ると、恵のメールアドレスが記されていた。

 年が明けてから恵に宛てたメールのタイトルは、『謹賀新年』で、本文は『ご無沙汰しております』の一行だけだったが、恵はすぐに返事をくれた。それから一ヶ月後、メンソールは恵をデートに誘った。「もし、気分が良くて、胃の調子が良くて、朝起きたら偶然晴れていて、夜更かしできそうだったら、デートしてしてくれないか?」とメールを送る。恵からはすぐにOKのメールが来たので、それからあとは早かった。恵のリクエストは「居酒屋系が好き、激辛はダメ、好き嫌いはないし、ちょっと変わったものでも食べれる。でもやっぱり魚が好き」だった。
 
 ならお洒落系居酒屋か。となれば心斎橋かな。『桃酔』『(ちゃおず&わいん)包』『なごみ』『(酒総菜)げんや』等が乱立している。その中からメンソールが選んだのは『利楽心(りらくしん)』と『我家2(がやがや)』だった。待ち合わせに使ったのは日航ホテル二階のロビー。場所はもちろん一番奥にあるバー『夜間飛行』の前。これから心斎橋に繰り出そうという時は、メンソールはここを指定することが多い。バー『夜間飛行』の入り口からもう少し奥に進むとトイレがあり、以前「メンソール、何で待ち合わせ場所がトイレの前やねん」と怒られたことがあった。
 
 少し早い目に到着したメンソールは、迷わず『夜間飛行』に入る。オーダーするのはもちろんドライマティーニ。実はメンソールが初めてドライマティーニを飲んだのが『夜間飛行』であった。ここのドライマティーニは非常に辛口で、ほとんどジンのストレートに近い。メンソールは『ノー・デコレーション』と告げていたので、オリーブはなし、レモンピールもなしである。一気に飲み干すと、ドライマティーニが胃壁を焦がし、体中の血液が胃に集まってきて熱を帯びていくのが判る。まるでこの日の出来事を予感させるかのようだ。
 
 待ち合わせは19:00。名作『マティーニ気分』では、「いい女は必ず5分遅刻する」と言うことになっているが、メンソールほどの年齢になるとそれは当たらないようだ。メンソールが19:00ジャストにバーを出ると、恵の姿が目に入った。メンソールは恵にバラの花束を渡した。「メンソール恒例の花束やね」と恵は言うが、メンソールはデートする相手に必ずバラの花をプレゼントするわけではない。「メンソール、何で私には花束プレゼントしてくれへんの....」等と攻められたこともあったし、プレゼントする本数も決まっているわけではない。ちなみに過去最低は 1本。過去最高は30本である。そんな話を恵としていると、「3本は標準的なの?」と聞かれた。「まぁそんなかんじかな」と応えてから、「誕生日に年の数だけバラの花をプレゼントしたこともある」と付け加えた。「私らの歳になったらそれはきついかもね....」と恵が笑う。「今日の店やけど....、ワイン系と日本酒系とどっちがええ?」と聞く。「私が選んで良いの?」と聞き、「日本酒系が良い」と応えた。恵の一言で、この日の店は『利楽心』に決まった。日航ホテルから御堂筋を南下し、八幡筋で東に折れてしばらく進む。店は畳屋町の角、地下一階にあり、石造りの階段を下り店に入る。
 
 メンソールが案内されたのは、いろり席。このいろり席は18人掛けの大きなテーブルで、掘り炬燵式になっている。しかもちゃんと足下に暖房が入っていて暖かい。他にも 4人掛けのテーブルが 5つと 6人掛けのテーブルが2つあり、大かまどが中央にでんと横たわる厨房を臨むカウンター席 10席がある。但し、カウンター席は禁煙となっている。店名の『利楽心』はジャズトランペッターであるマイルス・デイビスの名盤『Relaxin'』にちなむもので、店内にはジャズが流れているが、店には9割方客が入っているので、BGMが流れていることさえ判らないほどだ。恵はビールをオーダーし、メンソールは最初から日本酒で飛ばしたい気分だったが、とりあえず恵に合わせた。突き出しは何とさえずり。メニューを見るとさえずりを単品でオーダーすると\2,800-となっている。「ひょっとしてこの突き出し\2,800-するんちゃうやろか?」とメンソールが切り出すと、「それはないと思うで」と恵が言う。カツオ風味が芯まで染み渡ったさえずりで、舌触りも柔らかく優しい一品だった。
 
 とりあえずメンソールがオーダーしたのは、造りの盛り合わせ。恵がオーダーしたのはのれそれだった。このオーダーを見ても恵がただ者ではないことが判る。のれそれは陶器の皿に、ふた付き出されたので、ひょっとしてのれそれの踊りではないかと喜んだのだが、残念ながらそうではなかった。こちらもカツオベースの旨みのある味で、のれそれを食べること自体も久しぶりだったが、今まで食べた中では一番美味しいのではないかと思わせるほどの味だった。
 
メンソールは造りを食べるときには醤油を使わない。まず造りだけを食べてみる。二口目を食べるときにわさびをつけるが、箸ではうまく量が調節出来ないこともあって、指先を使って適量のわさびを取り、切り身につけると、そのまま手づかみで食べる。行儀は悪いかもしれないが、これが一番わさびの量をコントロールしやすい。塩味が足りないときは、箸の先に醤油をつけて補う。切り身を醤油につけるなんてとんでもないと思っている。貝柱は軽く抵抗するだけで、歯先が貝柱の繊維を割っていく食感が何ともたまらない。フグ皮の湯引きも少量添えられていたが、こちらもポン酢もなかなかいい味を出していた。
 
 この辺で日本酒に移行するが、オーダーは恵に任せた。恵は結構濃厚な味の日本酒が好きなようで、日本酒の好みはメンソールに似ているのかもしれない。焼き物では恵が一番興味を持った関さばの一夜干しをオーダーした。これがテーブルに届けられると、開口一番、「行儀悪い食べ方してもいい?」と聞く。「いいよ」と答えると、恵は関さばを箸で半分に分けると、そのまま手づかみで食べ始めた。メンソールも嬉しくなってしまい、メンソール自身もいつもしているように手づかみにして食べ始めた。背骨の周りの、半透明の幕になったような部分などは、奪い合うようにして食べた。初デートだというのに色気も何もあったもんじゃない。けれど、初デートだからといって緊張したり自分を不必要に飾ったりしない恵に好感を持ったりした。
 
 メンソールは恵が席を外した隙に会計した。初デートの時の食事代を、メンソールが持つか割り勘にするかは、食事中の雰囲気によると思う。「私も払うから....」という恵を押しとどめて、「『メンソールって、デートに誘てんのに会計は割り勘やねんで〜』と言うたおなごがおったのや。割り勘にしよっちゅうたから割り勘にしたのにやで....。そんな言われ方すんの嫌やから、初デートの時は払うことにしてんねん」とメンソールは言った。恵は大爆笑しながら、「大丈夫、私はそんなこと言わへんから....」「じゃ、次の店は任せてもいい?」とメンソールが聞くと。「いいよ」と恵。実は二件目に行く店は決まっていたのだ。最初『利楽心』に行く道すがら、メンソールは配られていたパンフレットを受け取っていた。そのパンフレットにはちょっと有名なデザイナーがデザインした店が案内されていた。「仕事がらちょっと気になるの」と恵は言い。この時初めてメンソールの恵の仕事を意識した。サービングが少し遅いのが気にはなったけど、料理は全て美味しかった。恵も良い店やな、と言っていた。
 

【店  名】 利楽心(Relaxin')
【ジャンル】 カジュアル和食
【電話番号】 06-4708-9445
【住  所】 大阪市中央区心斎橋筋2-1-8 藤田ビル地下一階
【営業時間】 11:30-14:00, 17:30-22:30
【定 休 日】 日祝

 
 
 二件目の店はバー『KEN'S DINING』で、インテリアデザイナー森田恭通氏のデザインによる。店内に無数の小窓が開いているような空間で、従って客席は逆光といった感じになりややくらい目である。事実メンソールは帰り際にカバンを見つけられなくて困ったりした。森田恭通氏は他にも新地にある『Photogenic』というバーのデザインをされていて、こちらは写真のフィルムを引き延ばしたものを壁一面に張り付けたような感じで、こちらも店内は逆光といった感じになる。
 
 メンソールは、この店に入るときにはかなり酔っていたと思う。足がふらついていたわけではないし、言動もしっかりしていたと思う。ましてや呂律が回らないと言った状態ではなかったんだけど、このバーに入ってから帰るまでのことをあまり覚えていない。メンソールは一階にあるバーカウンターへ案内された。カウンター 10席のみの細長く薄暗い空間を奥へと進む。メンソールはこの空間が、ものすごく細長いものに感じたんだけど、メンソールの座った一番奥の関には鏡が張ってあり、店内の広さが二倍に感じたというわけ、照明はかなり落としてあるので、そこに座るまでこのトリックには気づかなかった。
 
 ストゥールに座ると、恵のオーダーはバーボンの水割り、メンソールは例によって偶然座った席の真正面にあったスコッチのストレート。恵はスコッチのスモーキーフレーバーが苦手らしい。メンソールはバーボンの焦げたような薫りがあまり得意ではないので、洋酒の好みは同じではないようだ。 横に座っている恵を見ると、滅茶苦茶可愛く思えてキスしたくなった。「キスしたら怒るよね?」メンソールが聞くと、「当たり前やん」と答え、「急にどうしたん?」と付け加えた。「さっき一瞬、恵のことがものすごく可愛く思えて、キスしたくなった」と言うと、恵は笑い転げた。「メンソール、私あかんねん。あんまり口説かれたことないから、口説かれたり誉められたりしたら照れんねん。どう対処したらええか判れへんねん。それに口説いてばっかりおる男は嫌いやし....」と言う。それから「そんなんしたら三割増しになるで....」と付け加えた。へっ?、三割増しって何?。このあたりからメンソールは記憶が定かではない。色々なことを話し合い、それぞれがとっても楽しかったことを覚えているが、次の日になって思い出そうとすると、まるで夢の中の出来事だったかのように、全然現実感がない。店を出たとき、メンソールはいきなり恵にキスされた。完全に不意打ちだったけど、驚きはしなかった。「また会えるかな?」と聞くと、「会えるよ」と答えてくれた。メンソールが恵を抱き寄せると、「あかんねん、照れんねん」と言いながら笑っていた。
 「知り合いがやってるバーがあってな、そこのカウンターでキスするカップルがたまにおるんやて。それを見つけたら会計の時に三割増しにする言うてたんや」と帰りの電車の中で恵が言った。なるほど、三割り増しというのはこのことだったのね....。ちなみに記憶能力が極端に低下していたメンソールは、この日は確認できなかったけど、二階には「Sushi Bar & Ozashiki」があるらしい。しかも和を意識した掘り炬燵。三階には「Dining(Party Space)」があり、こちらは着席50名の広さ。プロデュースは居酒屋『ちゃんと』だったりする。
 

【店  名】 KEN'S DINING(ケンズ・ダイニング)
【ジャンル】 バー
【電話番号】 06-6282-3383
【住  所】 大阪市中央区東心斎橋1-7-28
【営業時間】 17:00-25:00(Dining), 17:00-27:00(Bar)
【定 休 日】 年中無休
【そ の 他】 『ちゃんと』の系列店です。


 

 
2000年2月4日に書いたレポートを、加筆の上掲載したものです。