表に出ている看板には『OST-20』と書かれているが、店主の名刺によれば『オスト・ヴァン』が正式名称らしい。更に、『Ost-20 Fromage et Vin Brasserie』という長い名前が書書かれている。Ostというのはノルウェー語でチーズという意味だそうで、20種類ほどのチーズの取り揃えがある。で、ワイン(Vin)もあるという事で、『オスト・ヴァン』という店名になったらしい。

 店は地下一階。木製の扉を開けると、そこには予想したよりもずっと広い空間がある。ワインバーというと、カウンターだけのスモールサイズの店が多かったりするが、ここはレストランとしても十分通用するだけの容量を持っている。事実、フードはどれも見事だった。

 センターには楕円形の大きなテーブル、左手にはテーブル席、右側にはカウンター席がある。カウンターの更に奥側がキッチンになっている。メンソールの目を引いたのがドラムセット。しかもヤマハ。聞くとスティーブ・ガッド・モデルなんだそうだ。6インチのスプラッシュシンバルは、元カシオペアのドラマー、神保彰が使っていたのと同じ物だそうで、店主はスティーブ・ガッドと神保彰のファンだったそうだ。毎週火曜日にはジャズライブがあるそうで、どうりでちゃんとチューニングされてたはずだ。実は、メンソールもスティーブ・ガッドと神保彰のファンで、多少ドラムもプレイする。ジャズドラムじゃなかったし、実力ももうなくなっているけれど....。

 メンソールはカウンターに座り、今宵のパートナーの到着を待つ。この日の一杯目をどうしようかと迷ったけれど、いきなりチリのワインにした。ワインがグラスに注がれる、グラスをくるくると回すまでもなく、甘い香りが立ち上り、メンソールの鼻孔を刺激する。グラスを引き寄せ軽く回転させ、香りを更に吟味しようとした時、扉が開いた。


 メンソールは振り向かなかった。外は少し雨が降っている事もあって、メンソールはこの日の最初の客だった。多分紀香は、迷う事なく真っ直ぐにメンソールの席まで来ると、「メンソールさん?」と囁くような声でたずねた。メンソールはうなずくと紀香に椅子を勧めた。

 オーダーしたフードは、『豚足のパン粉焼き』、『アナゴとトランペット茸のリゾット』『タイのポワレ、ブロッコリーグラタン添え』だった。紀香のペースは速かった。メンソールもワインを飲むペースは速いほうなので、あっという間にボトルが空いてしまった。二本目のワインは紀香がオーダーした。『可愛い味の白ワイン』という事で、選び出されたワインはコート・デュ・ローヌだった。実はメンソールも、フランス南部のロワールとかのワインが好きだったりもする。

 メンソールは紀香にバラの花束をプレゼントした。今日は黄色が良いですよ、店の人が言うので、その通り黄色いバラを買った。


 岩塩とマスタードが添えられた『豚足のパン粉焼き』が運ばれると同時に、紀香がナイフとフォークを巧みに使い、解体していく。こんがりとこげたパン粉の中に、ゼラチン質のねっとりとした触感を持つ豚足と、さんさんと照り輝く太陽を十分に浴びたコート・デュ・ローヌの白ワインとの相性は絶妙だった。

 二品目のアナゴも、美味しかった。メンソールも食べるスピードは、遅くはないと思うが、紀香はもっと早かった。で、美味しかったという事しか覚えていない。メンソールは皿にソースを残すのが嫌なので、バケットをオーダーした。

 三品目の『タイのポワレ』も美味しかった。これは、完全に食べ負けた。


 店主の花澤氏とワインの話をした。ワインは確かにブームなんだけど、情報が先走っている、との事だった。新しい店がオープンしたから、雑誌などで紹介されたからと言って、ワインバーを訪れる客は多いが、一回きりでリピートがない。客との会話の中で、その客に会うワインを探し出す手伝いをしたいけれども、それが出来ないといった事も言われていた。またグループで来た時には、予算と何本飲むつもりなのかをあらかじめ先に伝えてほしいという事も言っておられた。実はこの言葉というのは、メンソールが初めて『ジャンヌ・ダルク』を訪れた時の帰り際に、チーフソムリエールの佐藤双美嬢が言ったのと同じ言葉で、赤ワインの場合は開栓直後よりは、しばらく時間を置いて、十分空気と触れさせたもののほうが美味しいし、本数を伝えてもらえれば、あらかじめ開栓しておく事が出来るとの事だった。


 ここで四品目の『豚肉のテリーヌ』オーダー。これは比較的ゆっくりと味わう事が出来た。脂っこくなくて、軽いけれども、噛み締めていくとちゃんと脂の旨みが出て来る。なかなかお茶目な一品だった。


 続いてデザートにチーズをオーダー。ブルーチーズとウォッシュタイプのものとシェーブルの三種。店主によると日本人が一番嫌いな三種類なんだそうだ。その中でも特に臭いのきついものをセレクトしてもらったが、これをメッチャクチャ美味しいと感じているメンソールは日本人ではないのかもしれない。

 チーズに合わせて、この日三本目のワイン。残念ながら銘柄は覚えていない。でも美味しかった。

 料理やワインの基本というのは、『食べて美味しい』に尽きると思う。店主も言っていたけれど、ワインブームでソムリエの資格を取ろうと勉強したり、カルチャーセンターに通ったりする人が多いのだそうだが、結局情報ばかりが頭に入ってしまって、自分が本当に好きなワインというのが判らない人が多いのだそうだ。実際メンソールもソムリエ試験対策のテキストを読んだ事があるけれど、そうした知識を得る事で、よりワインをおいしく飲めるようになったり、自分の好みのワインを探し出すための手助けとなったりするならともかく、ソムリエの資格を取ること事態が、目的になってしまっているような人が多いような気がする。

P.S.
 この店は、残念ながら閉店してしまいました。順序が逆になってますけど、紀香シリーズはこれが第一作で、『ウェスタン・ラアリアット』が二作目です。