2010年09月18日

映画「食べて、祈って、恋をして」の感想

ジュリア・ロバーツ4


 小説を読んでから映画を見たためだと思いますが、やや物足りない。

 小説から得られる深い瞑想感覚が映画では今一つ味わえない感じでした。


 ニューヨークで離婚して、すぐ新しい恋人と出会い、そしてその恋人とも喧嘩してイタリアへ旅立つのですが、イタリア旅行までは主人公の心のガサツキが映画自体のガサツキにも繋がってしまい、「この映画は何が言いたいのだろう?」と観客に思わせてしまうかもしれません。

 しかし、イタリアを旅立ち、インドのアシュラム(瞑想するための道場)のあたりから、だんだん心の整理を始める主人公の姿が上手く描きだされ始め、映画としても楽しめるようになってきました。

 そして、インドネシアのバリではインドほど禁欲的な瞑想もなく、イタリアほど美味しいものもなく、主人公は新しい恋と出会い、そして人生の次なる扉を開けるところで映画が終わります。

 
 人が旅に求めるものが、この映画の中でかなり入っているのではないかと思います。


 イタリアでは、美味しい食べ物や美しい景色、歴史的遺産に出会います。

 イタリアである遺跡を訪ね、そこで、時代は変わってもその遺跡自体が残っていると言う現実に、主人公は、自分の心も時の流れや周囲の環境に惑わされないよう、見つめて行かなくては・・・という気持ちになって行きます。



 次に訪れたインドの到着シーンがとても衝撃的でした。
 恐らくインドを旅行した人は知っているのだろうと思いますが、物乞いが凄いんですね。タクシーに窓がないのか、手をタクシーの窓の中へ出して来て、何かをねだろう子供たちがとっても可哀そうな感じがしました。

 インドは貧しい人が沢山いるのですね。日本でも貧しい人はいますが、観光客にあんな風にものをねだるようなことはありません。あっ、そういえばヨーロッパでは、地下鉄とか教会の前に物乞いの人が座ってたりしますね。ニューヨークでも、歩道で紙カップを差し出してお金をもらおうとする人がいたな・・・。あれは、もう禁止になったのかな。


 インドでの瞑想はなかなか深く自分を見つめるきっかけになった様子が描かれていて、それを見ていると自分自身のこともふっと振り返ったりして、上手に映画の中で少しだけ瞑想できる感じがありました。

 そして、バリでは主人公は「女」であることをもう一度楽しむかのように新しい恋人と巡り合います。



 都会で疲れ、渇いた心を癒すために、1年と言う月日をかけてイタリア、インド、バリを旅行した主人公ですが、ここまでしないと人は「神」の存在を身近に受け入れながら、日常を楽しみ、人生を暮らして行くことができないものなのでしょうか。

 主人公がした旅行をしたい!と思う人はいると思います。


 ヨーロッパの美味しい食べ物を食べ、美しい芸術を堪能し、インドで瞑想して、バリで恋をする(もしくは恋人やか夫婦、家族でバリへ旅行する)・・・なんと贅沢な旅行でしょう。一度に3か所に旅行しなくても、一生のうちでこんな旅行が全部実現しただけで幸せです。


 でも、イタリアまで行かなくても日本で美味しいものは沢山食べれます。きっとニューヨークでも食べれるはず。そして、インドまで行かなくても、幸福の科学の精舎に行けば、インドのアシュラムに行くより深い瞑想が間違いなく出来てしまいます。幸福の科学の瞑想は、物凄い深いところまで自分を見つめられるんです。さらにバリに行かなくても自分の国で恋もできるでしょう。


 まっ、いいんですけどーーー、世界旅行して自分を見つめるのも。


 イタリアには行ったことありますが、もう一度どうしても行きたい!とは思わなかった国です。インドにはあまり行く気になれません・・・。バリにもそんなに興味がないです。この小説と映画で十分です。でも、この映画を見ることは、絶対おススメです。心の窓が少し開く映画だと思いました☆

 少々理屈っぽいニューヨーカーの作家の思考回路をのぞいてみたい方には、小説もおススメです。白人女性の知性が爆発してます。


 
 

miore2009 at 01:30コメント(0) |  

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