2013年06月07日

古い船には新しい水夫が乗り込んでゆくだろう

♪ツッコまれる為にボケる人の心を誰もがわかってるなら、
 ツッコミ続ける人の心はあんなには燃えないだろう〜

♪喫茶店に彼女と二人で入って
「あの人、いるじゃない、ほら、あの、何だっけ、ほら」といって
 時間が過ぎてゆく事。ああそれが老人〜

元ネタのわかるひとは、還暦に近いと思う。

「イメージの詩」よしだ・たくろう(1970)



吉田拓郎がまだ広島にいた頃、上智大学全共闘のメンバーが作った自主制作アルバム「古い船をいま動かせるのは 古い水夫じゃないだろう」の中の曲で、広島フォーク村のコンピレーション・アルバムであり、のちにエレック・レコードから発売になる。

1971年春、広島フォーク村にいたグループ「難破船」のメンバーのひとりが僕らの地元に漂流してきて、友人の家に居候していた。彼の発案で、広島に拓郎という面白い奴がいるから呼ぼうという話になった。当時拓郎の名前なんて誰も知らなかった。僕は高校を卒業する直前だった。千葉県習志野の市民会館で行われたそのコンサートの前座を決める為、オーディションが行われ、僕ととみたいちろうが出演することになった。拓郎はその日「マークII」や「青春の歌」「やせっぽちのブルース」「準ちゃんが今日の吉田拓郎に与えた多大なる影響」などを歌った。ステージはめちゃくちゃ面白かった。

当日、僕といちろうは楽屋でブルースのセッションをやって意気投合し、その春、ユニットを結成して、ニッポン放送の番組、フォークビレッジに出演したり、ビクターのディレクターに呼ばれて、青山スタジオでデモテープを録音したりもしたけれど、すぐに解散した。

それから新宿の紀伊国屋ホールで拓郎のマンスリーコンサートが始まった。ライブ録音には僕らの野次が残っている。その年の夏、中津川フォークジャンボリーのサブステージで、伝説の「人間なんてラララ」の大合唱があった。メイン・ステージには岡林信康が出ていた。僕は演劇センターの黒テントで歌っていた。サブステージに拓郎が登場した時、僕は一番前に押しかけた。拓郎は「ここがメインステージだ」と宣言した。PAが飛んで、小室等と六文銭が加わった。人間なんて、人間なんて…。熱狂は2時間続いた。空き缶を叩き、歌い、踊りながら何故か涙が止まらなかった。ああ、それが青春〜

僕らがエレックと契約した1972年には、拓郎はCBSに移籍していた。



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