ライが、
自身の音楽ルーツや、ボトルネックとの出会い、また原曲の原型をとどめないほどの極端なアレンジに関して赤裸々に語った語録を抜粋して箇条書き風にまとめてみた。
IMG_20180520_083323
(ニューミュージック・マガジン1978年6月号より。来日時、後ろ姿を撮られる。)


ボトルネックを始めたのは15歳か16歳の頃だった。

60年代前半のカリフォルニアには、ボトルネックをやってる人なんて誰もいなかった。南部のトラディショナル・プレイヤー達だけしかやってなかった。

最初からボトルネックは小指に嵌めてやってきた。

ボトルネックを学んだのは、トラディショナル・ブルーズ・プレイヤー達のレコードから。ボトルネックをやっていたのは当時は彼らだけだったから。

最初に手本にしたのはブラインド・ウィリー・ジョンスン。

ギターの他にバンジョーやダルシマーとか色々弾いていた。

家にあったレコードはウディ・ガスリー、ピート・シーガー、レッド・ベリー、ジョッシュ・ホワイトとかフォーク・シンガーのモノばかりであった。その後、スリーピー・ジョン・エステス、サン・ハウス、スキップ・ジェイムス、ミシシッピー・ジョン・ハートらが再発見され、ステージに引っ張り出されるようになり、その演奏を観る事が出来るようになった。

色々な楽器をやるようになったのは、僕を楽しませてくれたし、それぞれの楽器に合う音楽や音階があるから。例えば三味線でブルーズをやってもシックリこない、というような。

タジ・マハールと会ったのはロサンゼルスのフォーク・クラブ(アッシュ・グローブ?)で、60年代は僕らの溜まり場になっていた。そこで、マーク・シーガーやトム・ベイリー、ジェシー・フラー、レヴァランド・ゲイリー・デイヴィスとも会った。彼らから音楽について色んなことを学んだ。
タジ・マハールとはライジング・サンズという5人編成のグループを結成した。

僕はスティール・ボディ・ギター(ドブロのようなリゾネーター・ギター)は使わない。木のギターのサウンドが好きだから。

ボトルネックはガラス。
ガラスの方が音がソフトでコントロールもしやすい。メタル・パイプは冷たい音なので好きじゃない。

ボトルネックを小指に嵌めると、他の指で弦をおさえることができる。

僕はギタリストだから、オリジナルがピアノの曲だったりするのをギター用に、つまり自分の能力に合うように作り変えざるを得なかったというだけなのだ。