(*写真は、桝井孝則『夜光』より)
上映後、さまざまなサイトで「未来の巨匠たち」上映作品について言葉が交わされております。
「未来の巨匠たち」ウィーク、あっという間に1週間は過ぎ去りましたが、熱気はまだまだ残っています。
作品に刺激され、つぎつぎと新しい言葉が生まれてくることを願っています。
今回の企画にも参加していただいた映画批評家の梅本洋一さんもさっそく『夜光』について書いていますので、ここに掲載いたします。
「未来の巨匠たち」特集上映の枠で、桝井孝則の『夜光』を見た。プログラミングに携わるひとりなのに、初めて見たと告白する無責任さを許してほしい。関西に住む彼の作品に触れる機会がなかったと言い訳するのも、DV撮影されているのに、ディジタル時代のアナログメディアである映画がなかなか距離を踏破しづらいことを示しているのかもしれない。
「未来の巨匠たち」ブログに掲載されている海老根剛の文章( ☆ )はこのフィルムにはうってつけのイントロダクションになるだろう。そして桝井孝則のフィルムを、ものの1分も見れば、このフィルムが作っている力学を感じられない人はいないだろうし、その映画を見たことがある人なら一様に「ストローブ=ユイレ!」と呟いてしまうだろう。異様なテンションで語られるリアリズムから遠い台詞回し、長々と続行する風景のショットとノイズを排除しない現場の音……そう書けば、ストローブ=ユイレの真似事は誰にでもできそうなのだが、ゴダールの真似をできる人がいないように、映画の限界体験でもあるストローブ=ユイレの力学をそのままコピーしたところでストローブ=ユイレになれる人など誰もいない。なぜなら、ストローブ=ユイレのフィルムが生成するのは、フォルムではなく、力学からだからであって、その力学は、厳密な弁証法に基づいて成立する。音声と映像と簡単に言ってしまえばそれまでなのだが、その弁証法的な力学に到達できる人は、例外的だ。
つまり桝井孝則は例外的な存在だ。彼のフィルムでは、どんな局面においてもそうした弁証法的な力学が息づいている。台詞と声、ペンと紙、男と女、都会と田舎、停止と移動、時間と空間、仕事と金銭……。表面的には、派遣労働者である女性と同じように写真家になりたいのだがアルバイト生活をする男性の労働についての物語の体裁を採っている。重要なのは、その物語が語る内容ではなく、弁証法の産み出す力学であって、映画は、その要素をひとつひとつ詳細に知的に構成しつつ、弁証法の運動をそのプロセスのまま提示している。『夜光』は、その意味で、撮ってしまった映画とは正反対の位置にある。
*「nobody」ウェブサイトより
http://www.nobodymag.com/journal/archives/2010/0126_1950.php
梅本洋一(うめもと・よういち)
現代に蔓延する疎外。仕事が生活を圧迫し、生活はただ食べて寝るという単調な繰り返しになっていく、 という日常。印刷会社で働く由佳も、そのひとり。会社の傾きにより、時間外も働くことが当たり前になって自分の生活を見失ってしまう。映画はここから始ま る……。第16回大阪ヨーロッパ映画祭上映作品。
監督・撮影:桝井孝則
録音:松野泉
出演:本倉由佳、濱口香済、植田歩、佐々木一平、田野“JAM”昌子
2009年/DV/51分
映画『夜光』公式HP
http://www.shikounorappasya.or.tv/yako/main.html
桝井孝則(ますい・たかのり)
1979年大阪生まれ。「思考ノ喇叭社」( ☆ )の一員。2006年、板倉善之『にく め、ハレルヤ!』に製作助手として参加し、2003年に活動をスタートした「思考の喇叭社」に加入した。同グループは、個々のメンバーが映画、アニメー ションに限らず、イラスト、音楽、人形制作とジャンルを超えて協力し合いながら、活動を続けている。