彼らの2つ目の共通点は、クチロロの歌詞を借りて言えば「日常 to the galaxxxy」感である。『あとのまつり』は、「建設現場のような荒地のような、もの凄く中途半端な感じ」(「nobody」誌ウェブサイト掲載「瀬田なつきインタヴュー」より抜粋 http://www.nobodymag.com/momo/2009/index.html )のする、ガラーンとした土地で撮られた。また、街の人たちはすぐに記憶を失くしてしまうため「はじめまして」という挨拶が日常化している。以上のことから映画で描かれる小さな世界は、まるで外側に広がりのない小宇宙のような感触を観客に与える。そして、それによりトオルとノリコの瑞々しい行動にともなう儚さというか、輝きがよりいっそう強調されることになる(青春映画!)。それは、世間や社会といったものの手触りが脱色された世界なのだ。
以上見てきたように、瀬田なつきと柴幸男という優れた作家は、日常世界において当然視されている身体表現や言葉遣いを一度疑い、独特の世界観を構築してきたと言える。その際ポイントになるのが、「ミュージカル」的であることと、「日常 to the galaxxxy」的であることだった。これまでの清新な作品世界を支持しつつ、今後の彼らの歩みを心して見守っていきたいものだ。