期待の若手映画監督たちが横浜黄金町に集結します!
★未来の批評キャンペーン実施中! 詳細はこちらまで

濱口竜介

最終日!濱口竜介監督!!

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(*写真はトーク)

最終日です!!

本日ご来場のみなさん、そして期間中ご来場くださったみなさんありがとうございました!!

そして、本日のトークも充実の1時間でした。

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(*写真は濱口竜介監督)

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(*写真は梅本洋一さん)

最終日のトークは濱口監督の作品についてはもちろん、監督になるまでのいきさつ、濱口監督の作品をご覧のみなさんなら誰もが思う台詞の多さや役者との関わり方などについて、大変興味深いお話を聞くことができました。

また、この企画に参加していただいた監督たちや今映画を製作している監督たちが思っている実製作におけるデジタルとアナログについての話は今現在の製作状況についてのある一片を垣間みれた瞬間かもしれません。
 
そしてトークの最後には、先日亡くなられたエリック・ロメール監督をめぐる話題が客席より提起され、それに答える濱口監督の発言は、これまでのロメール観とは異なる視点を導入するもののように思いました。

* * *

最後に、今回の企画に参加していただいた監督さんをはじめ、観客のみなさん、7日間お付き合いいただきありがとうございました。

* * *

また、「未来の批評キャンペーン」は会期後も継続して募集しておますので、ご来場いただいた方は、ぜひご感想を監督さんたちに送る気持ちで、ご投稿いただければと思います。

よろしくお願いします。
http://blog.livedoor.jp/mirai_kyosho/archives/51393279.html

本日最終日!濱口竜介の新作『永遠に君を愛す』上映!

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(*写真は、濱口竜介『永遠に君を愛す』より)



いつのまにか、もう最終日。

1週間というのは、あっという間ですね。

最終日を飾るのは、昨年『PASSION』で大きな話題を呼んだ濱口竜介監督。

しかも、新作『永遠に君を愛す』のプレミア上映つきです!

大学映研卒業時に制作した『何食わぬ顔』。

ENBUゼミの卒業制作である『はじまり』などなど。

濱口監督の歩みを追うことのできる、魅力的なプログラム。

また、20時より、濱口監督、梅本洋一さんをお迎えして、トークショーを開催いたします。

「未来の巨匠たち」も、ついに最終日となりました。

みなさま、ぜひともご来場下さい!

* * *

本日のスケジュール
14h00 『PASSION』
16h20 『何食わぬ顔』『はじまり』『Friend of the Night』
18h20 『記憶の香り』『永遠に君を愛す』
20h00  トーク  濱口竜介×梅本洋一(映画批評家)
http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/program/index.html


濱口竜介(はまぐち・りゅうすけ)

1978 年生れ。東京大学在学中より自主映画の製作を始める。卒業後、自作の制作と並行して映画やTV番組の助監督を務める。東京藝術大学大学院映像研究科(映画 専攻・監督領域2期生)の修了作品として長編『PASSION』を監督。サンセバスチャン国際映画祭、東京フィルメックスなどに出品され、大きな話題とな る。本特集では最新作『永遠に君を愛す』を本邦初上映。

作品紹介はこちら
http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/films/taki.html  

私の知っている2、3の映画作家について|濱口竜介

なんと「未来の巨匠たち」監督のひとり濱口竜介監督からを寄稿いただきました!

瀬田なつき監督、加藤直輝監督、佐藤央監督について語っています。

同世代の監督たちが互いに認め合い、そして強烈に刺激し合う姿が、
この文章からも窺えるはずです。

「映画」がつねに「驚き」であるためにはどうすればよいのか?

それに対する各々の答えをここで読むことができます。

彼らの映画のみならず濱口監督の映画を理解するためにも必読の文章。

読んだスタッフ一同も、やる気がさらに増したとともに、身が引き締まった檄文です。

どうぞ。

* * *

私の知っている2、3の映画作家について


よく忘れられているが映画とは驚きの言い換えである。

そもそも2時間前後の時間で、ある事柄を描き出す以上、当然映画は現実だったら到底受け入れがたい無茶をその内に含んでいるのであって、その驚きは言わば当たり前の驚きなのだが、この当たり前の驚きという矛盾を生きるのは非常に難しいため、人は時折「映画とは驚きのことだ」という当たり前の事実を忘れてしまう。そうした事態を前にして、「映画作家」という人種が(もしいるとして)常日頃考えているのは「じゃあ、一体どうやって驚かせてやろうか」ということなのである。しかし厄介なことに、彼らが望むのは、「おお!」とか「ああ……」とか「ええ?」とかいう驚きではない。それは例えば「お」とか「あ」とか「え」と口にするしかない、ひょっとしたら気付くこともできないような微細な驚きである。そのような微妙さの一方で、映画作家とはその驚きを連ね、「えおあおいおあうえい」というほとんど統合失調的な驚きをどうやって観客にもたらそうか、と始終考えている(あらゆる意味で)危険極まりない連中なのだ。私の知っている2、3の映画作家を例に挙げる。

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(*写真は、瀬田なつき『港の話』より)

瀬田なつきという監督がいる。彼女の映画に息づく「ここではない何処か」への強い希求を、ある種の未成熟さとして批判する者がもしもいたら、それは大き な間違いである。というのも、彼女の映す光景はどこをどう見ても「今、ここ」でしかないからだ(それはあの、あまりに虚構じみたスクリーン・プロセスでさ えそうなのだ)。別に「今、ここ」にとどまることが、「ここではない何処か」へ飛躍することよりも優れた選択だと言っているのではまったくない。我々の見 慣れた風景(「今、ここ」)が、たったひとつの身振りで、たったひとつの言葉で、「ここではない何処か」へ変容するあらゆる瞬間に、我々はただただ驚くべき だ、と言っているのだ。『港の話』では、断片的だった身振りや言葉は、やがて断片的なまま連なり出し(『彼方からの手紙』『あとのまつり』)、ふぞろいな ダンスへと発展する。彼女の映画はこのとき、「今、ここ」と「ここではない何処か」がまったく同じものである、という矛盾をダンスフロアにして踊り始め る。その魅惑的な危うさを目の当たりにする時、やはり我々は到底言葉にならない「えおあおいうえううい」的な驚きへと誘われるのだ。かつて登場人物の不可 思議な一挙手一投足を「瀬田化」と評した人は言い得て妙であった。映画を見て、心臓が速いリズムを刻んだらすでに「瀬田化」の波はついに我々まで及び始めてい るのかもしれない。世界が瀬田化する日、それは久方ぶりに映画の勝利が叫ばれる日になるだろう。

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(*写真は、加藤直輝『A Bao A Qu』より)
 
加藤直輝という監督がいる。彼のこれまでの映画を「暴力映画」として忌避する人がもしいるとしたら、やはりそれもまた大間違いなのである。というのも彼 はこれまで一度も「暴力映画」など撮ったことがないからだ。彼の映画を見た者は、その圧倒的な暴力描写とともに、叙情的な生活描写を併せ持っていることに驚 くだろう。そのふたつがあまりに似つかわしくない、とさえ。しかし、実はこれは同じものだ。加藤直輝の映画で、通り魔がバットを振り下ろすその瞬間、真に破 壊しているものは、別に「登場人物」ではない。それは「生活/暴力」の間に我々が無意識に仮定していた「/」を破壊するのだ。加藤直輝が徹底して破壊を試 みるのはあくまでこの「日常/非日常」「善/悪」「生/死」「現実/妄想」「事実/物語」の間に我々が自らの安全のために仮定している「/」なのであり、 加藤直輝にもし暴力性があるとすれば、そうした安穏さを彼が決して許さないことだ。こうした「/」が具体的に破壊される瞬間を触知した者は「あ」と呟かざ るを得ず、そこである恐怖を感じるはずだ。もしかして、おそらく加藤直輝の最終的な野心はスクリーンという「/」を破壊することなのではないか。彼が隙あ らば常に爆音上映を仕掛けて来るのはその現れだろう。目の前でスクリーンが破壊されるその事態を前にして、観客が「あえおいうえあいえあ」と逃げ出して も、きっとその時はもう遅い。世界は加藤直輝のものだ。だったらせめてその瞬間を見届けるのがよい。
 
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(*写真は佐藤央、『結婚学入門(恋愛篇)』より)

佐藤央という監督がいる。しかし、誰も決して佐藤央に驚くことはできない。

これは比喩的な意味ではない。佐藤央の映画を見て驚くことは、瀬田なつきや加藤直輝の映画を見て驚くより、遥かに困難なことだ。彼らの映画においては、 何とか可視化されていると言っていいフレームの内と外の無化、言ってみればオン/オフ境界の消失を佐藤央も軽々とやってのける。しかし、彼においてそれが 起こるのは「編集」の次元であり、オフがオンに塗り替えられるその瞬間はただ「編集点」というその一点でのみ起こり、人は「オン」の世界しか見ることがで きない。そこで触知される驚きは「ぁ」とか「ぇ」という極めて微細なものなのだが、一方でその微細な驚きの発見が最も大きな悦びをもたらすこともまた確か なのだ。人が佐藤央を語るためについつい「成瀬巳喜男」や「マキノ雅弘」と言った固有名詞で代表させて済ませてしまうのはその微細さ故だろう。しかし、現 時点での最新作『結婚学入門(恋愛篇)』で、何かが変わり始めている。ここには達人が技に入るために見せる一瞬の隙のようなものがあるのではないか。映画 のスピードと役者のそれが微妙な食い違いを見せ、佐藤央の映画は初めて人の目に留まる速度に達した。一方で、彼はすでに次の次元に入り始めている。驚くべき 早さで繰り出される新作『結婚学入門(新婚篇)』で、それがすでに起こっているのか、まだ誰も知らない。しかし、もし「ぇはひぁふひへへぁは」ともし「笑い ながら驚く」事態が起きていれば、時はすでに遅い。我々はひょっとしたら永遠に佐藤央に辿り着けないかもしれない。「笑い」と「驚き」の不可能な両立を達成 し、彼は誰よりも遠くへ行ってしまう。だが今ならまだ佐藤央を捉えられるかもしれないのだ。だとしたら、この機会を決して逃してはならない。
 
映画のもたらすこうした驚きは、あなたの人生を狂わせるかもしれない。しかし、それこそが彼らの目的だし、案外あなた方が望んでいることなのではないか。しかし、ただ驚かされるのも悔しくはないか。このままでは、言葉はひとり負けである。多くの場合、言葉は映画を愛しているが、映画は言葉を毛嫌いしている。どんな映画も言葉で自らを語られてしまう機会を忌避している。あるショットを叙述しようとする、叙述できると信じていることの醜さを、映画は決して容認することができないからだ。映画は自らを醜く映すことしかしない「言葉」という不出来な鏡を粉々にし、歪みのない欠片にのみ自らの姿を映す機会を常にうかがっている。そうした欠片が「お」とか「あ」とか「え」という驚きなのだ。それでももし言葉が映画と一緒にいたいと思うなら、それは映画にとって鏡ではなく他者でなくてはならない。驚きであるような言葉でなくてはならない。映画とて案外、言葉に狂わされるその時を待っているのだから。

濱口竜介(はまぐち・りゅうすけ)
映画監督。「未来の巨匠たち」特集監督のひとり。29日(金)に上映。
http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/films/taki.html

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瀬田なつき監督の作品たちは、明日1月23日(土)に上映いたします。「この1本!」には『ネネットとボニ』(クレール・ドゥニ)。トークゲストには井口奈己監督(『人のセックスを笑うな』他)をお迎えします。
http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/films/seta.html


加藤直輝監督の作品たちは、明後日1月24日(日)に上映いたします。トークゲストには藤井仁子氏(映画研究者)をお迎えします。
 
http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/films/kato.html


佐藤央監督の作品たちは、5日後1月28日(木)に上映いたします。「この1本!」には『ヒズ・ガール・フライデー』(ハワード・ホークス)。トークゲストには大谷能生氏(音楽家、批評家)をお迎えします。また最新作『結婚学入門(新婚篇)』のワールド・プレミア上映もあり。
 http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/films/satomiya.html

濱口竜介『PASSION』|松井一生

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(*写真は、濱口竜介『PASSION』より)

濱口竜介監督『PASSION』について、若き自主映画作家・松井一生さんより、ご寄稿いただきました。

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濱口竜介『PASSION』について

30代を目前に控えた数人の男女の関係が、ある一夜を経て徐々に変容していく……。このような粗筋だけ聞けば、おのずと「セックス」を連想してしまうのは私だけだろうか。嬉しいことに、その安易な予測はものの数秒で裏切られる。まずこの眼に飛び込んできたのは、どこか倦怠感を纏った街、ガスタンク、そしてそれらを見下ろす丘で乾いた土を掘り起こす男、墓標の前で手を合わせる黒服の女の姿である。ここに性的な空気は一切漂っていない。しかし、どうだろう。女が男の持つスコップを譲り受けようとし、それを遠慮されると、じゃあその代わりにと言わんばかりに、男のズボンに付いた砂埃を払い除けてやる。この瞬間、密封されていた性の香りが一気に放出され、画面の隅々までを支配する。本作『PASSION』の魅力と監督・濱口竜介の見事な演出力を語るなら、もうこれだけで十分である。濱口竜介は引き続き、セックスそのものの描写を恥じらうように避け、それでいて順々に登場する男女の組がそれぞれ間違いなく肉体関係を持っているのだろうと信じ込める絶妙な距離感を臆面もなく提示していく。

だが、それだけでは終わらない。緻密なショット構成の合間に突然、異質な何かが絡んでくるのを感じたら、そこからが真の始まりだ。挙句の果てには、これまでを無に帰すように、“愛”の営みからかけ離れた“暴力”が頻発する。しかも濱口竜介は、その二者——“愛”と“暴力”——すら、すでにどこかで契を交わしていたことを明確にしてしまうのだ。

己の映画がいつどうなろうが、それが己の選択ならば何も問題はないという清々しい身勝手さを、監督・濱口竜介は(幸運にも)持ち合わせている。いや、もうこのさい彼を「映画作家」と呼ぼう。その冷静な狂人の眼差しを我々はスクリーンを介し体感し、身震いすることだろう。

松井一生(まつい・いっせい)
1987年生まれ。慶應義塾大学文学部在学中。卒業後も、引き続き自主映画制作に携わる予定。

* * *

濱口竜介『PASSION』は、1月29日(金)14時より、上映いたします。
その他の上映作品は、『何食わぬ顔』(2002-03年)、『はじまり』(2005年)、『Friend of the Night』(2005年)、『記憶の香り』(2006年)、そして今回初上映となる『永遠に君を愛す』(2009年)です。
http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/program/index.html

濱口竜介(はまぐち・りゅうすけ)
1978年生れ。東京大学在学中より自主映画の製作を始める。卒業後、自作の制作と並行して映画やTV番組の助監督を務める。東京藝術大学大学院映像研究科(映画専攻・監督領域2期生)の修了作品として長編『PASSION』を監督。サンセバスチャン国際映画祭、東京フィルメックスなどに出品され、大きな話題となる。本特集では最新作『永遠に君を愛す』を本邦初上映。

『PASSION』
仲間とのパーティで結婚を発表した男と女。だがその直後、男は昔の浮気相手に再会する。だがその女性は男の友人とかつて関係を持っており……。6人の男女の恋模様と、人間関係の深遠な揺らぎが、夜の横浜を舞台に見事な演出で描かれてゆく。東京フィルメックス2008コンペティション部門出品。サン・セバスチャン国際映画祭2008出品作品。
監督・脚本:濱口竜介
撮影:湯澤祐一
出演:河井青葉、岡本竜汰、占部房子、岡部尚、渋川清彦
2008年/HD/115分
http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/films/taki.html

濱口竜介上映作品の見所|木村建哉

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(*写真は、濱口竜介『PASSION』より)

濱口監督の映画について、木村建哉さんにご寄稿いただきました。

濱口監督は、大学生のとき、木村さんの自主ゼミに参加して、映画を学んだと、インタビューで仰っています。

(*こちらのインタビューを参照。http://eigageijutsu.com/article/97397354.html


木村さんの文章は、濱口作品をまだご覧になっていない方にも、最良の案内となっております。

「どんな映画なの?」と気になっている方、必読です。

また、今回初上映となる『永遠に君を愛す』についても、触れていただいております。

どうぞ、お読み下さい。


* * *

濱口竜介上映作品の見所


濱口竜介の作品を学生映画時代の実質的な初監督作品である『映画を見に行く』(2001年)以来見てきて、その映画作家としての生成過程に立ち会ってきた経験から、今回上映される濱口竜介監督作品についてその見所と魅力を紹介し、この貴重な機会に上映機会の少ない作品を見逃さないようにと、多くの方々に対して扇動を企てたい。

『PASSION』については、劇場未公開であるにもかかわらず、2008年の東京フィルメックスのコンペ部門への出品や海外の映画祭への招待、そして『映画芸術』での2008年の日本映画のベスト5への選出等々ですでに伝説的な作品となっているので、これについては万一見逃している人はとにかく必見であるとのみ述べておけば十分だろう。一部に強い拒絶反応もあるようなのだが、それはむしろ作品の持つ圧倒的な力の裏返しであるというべきではなかろうか。言ってみれば、『PASSION』は、幸福に映画を愛し続けたい人々のための作品である以上に、骨まで映画に魅了されずにはいられない人々(そして映画に喰い殺されてしまいかねない人々)のための作品なのだ。

大学の映研時代に制作された『何食わぬ顔』は、すでに男女の三角関係と裏切りのテーマを扱い、また長回しの1ショットの内に展開される信じられない長ゼリフならざる長ゼリフ(それがどのようなものであるかはまさに見てのお楽しみである)によって、はるかに『PASSION』を予告し、また見ようによっては『PASSION』の登場人物たちの学生時代の姿を描いているとも言えよう。実は今回上映されるヴァージョンは、オリジナルヴァージョンの中の映画内映画の部分のみを独立させたものであり、100分ほどあるオリジナルヴァージョンでは、この映画内映画の撮影と完成・公開をめぐる騒動と顛末が語られており、濱口自身が演じる学生映画の監督による、上映会前のスピーチのシーンがとりわけ感動的で、別の機会にはこの幻のオリジナルヴァージョンも上映の機会を得ることを願ってやまないのだが、今回のヴァージョンは単なる短縮版ではなく、映画内映画のみを取り出すことによって凝縮度と緊張感は格段に増しており、濱口の選択はそれ自体として肯定されるべきであろう。濱口の資質がすでに表れている実質的なデビュー作にして人を喰った傑作『映画を見に行く』が、とある事情から公開の場での上映が難しいため、この『何食わぬ顔』(ニューヴァージョン)は、現在のところ濱口の出発点にもっとも近づける作品としても必見なのだが、学生が作っているという設定の映画内映画が、そうした設定から切り離された上で、言わば言い訳を排除した形の単体として示しうる強度と魅力は、まさにそこにこそこの作品を見る意味、いやむしろ喜びがあるのだという断定へと人を誘い込まずにはおかない。

『はじまり』は、中学生の男女3人を登場人物としつつ、ここでも三角関係と裏切りがやはりテーマとなっており、しかもその三角関係(とその意外な中心)が思わぬ形で露呈する脚本の妙と、「子供」の瑞々しい演技とのギャップが、爽やかにして残酷であり、見るものを唖然とさせずにはおかないだろう。ここでは長回しと長ゼリフがはっきりと意志的・方法論的に選択されており、その意味でこれは濱口の決定的な飛躍を示す重要な作品でもある。

『Friend of the Night』は、『何食わぬ顔』でも好演していたミュージシャン岡本英之の、まさに何食わぬ顔が絶妙の効果を上げる作品である。他人の話を聞くだけの何も表情を作っていない顔の魅力がこれだけ引き出されることに、思わずカサヴェテス監督作品のジーナ・ローランズやカサヴェテス自身を想起するのは私だけだろうか。ここでも、男女の恋愛の複雑さがテーマとして浮上するのだが、その瞬間の演出の見事さは、一度見たら決して忘れられないものである。

壊れた脚本を壊れたままに撮ったという呪われた怪作『記憶の香り』は、河井青葉との初のコラボレーションという点でも注目に値するが、現実と記憶や幻想の境界の消失の仕方という点では鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)や『陽炎座』(1981年)を想起させ、濱口と脚本の小林美香とを通じてカサヴェテスと田中陽造の奇跡のコラボレーションが生じているかもしれないという点でさらに注目すべきであろう。

そして今回の上映の目玉となる、初上映の『永遠に君を愛す』である。河井青葉、岡部尚という『PASSION』のキャストが出演しながら、『PASSION』とは全く異なる演出の方法論を用いており、濱口のより先に進もうとする強い意欲を感じさせる作品である。と同時に、物語の流れを切断するように挿入される、おそらくはヒロインの結婚相手の友人達で結婚式の余興の準備をしているミュージシャン達の演奏シーン(その中心にいるのがまたしても岡本英之であり、その個性的な存在感は、プロの役者たちとは全く違う仕方で、相変わらず圧倒的に素晴らしい)は、ゴダールの『ワン・プラス・ワン』(1968年)や『カルメンという名の女』(1983年)を想起させ、ここでも、濱口の新たな展開への期待は高まる。

今回のプログラムは、数本の作品が除外されているとはいえ、濱口竜介のフィルモグラフィーをたどる上で最上に近いものであり(『SOLARIS』[2007年]がおそらくは権利関係の問題から今回上映されないのは特に残念ではあるが、これは別にまた見られる機会があろうし、このことは決して致命的ではない)、それは、濱口における男女の三角関係、あるいは恋愛の複雑さと残酷さのテーマの一貫性を浮かび上がらせるものとなるであろうが、この一貫性は、物語にのみ関わる選択では決してなく、役者の感情の動きをその微細な表情の変化の内に生々しく捉えることを何よりも重視する濱口の志向の必然的な結果であるだろう。しかし、この一貫性は決してこわばりを意味するものではなく、絶えざる方法論上の探求を伴うしなやかにして強靱な持続であることもまた今回の上映から見て取ることができよう。映画作家濱口竜介の生成をたどりつつ、その未来を遙かに展望しあるいは夢想するまたとない機会を決して逃してはならない。

木村建哉(きむら・たつや)
映画学。成城大学専任講師。

* * *

濱口竜介監督の映画は、1月29日(金)に上映いたします。
http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/program/index.html

濱口竜介(はまぐち・りゅうすけ)
1978年生れ。東京大学在学中より自主映画の製作を始める。卒業後、自作の制作と並行して映画やTV番組の助監督を務める。東京藝術大学大学院映像研究科(映画専攻・監督領域2期生)の修了作品として長編『PASSION』を監督。サンセバスチャン国際映画祭、東京フィルメックスなどに出品され、大きな話題となる。本特集では最新作『永遠に君を愛す』を本邦初上映。

上映作品は、『何食わぬ顔』(2002-03年)、『はじまり』(2005年)、『Friend of the Night』(2005年)、『記憶の香り』(2006年)、『PASSION』(2008年)、『永遠に君を愛す』(2009年)です。
http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/films/taki.html
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