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唐津正樹

未来の批評キャンペーン|唐津正樹

akaisoku
(*写真は、唐津正樹『赤い束縛』より)


「京都新聞」に、唐津正樹監督のインタビューが掲載されています。2006年7月9日付けのものですが、以下にて読むことができます。
http://kyoto-np.jp/kp/rensai/gokan/060709.php

ところで、「未来の批評キャンペーン」に投稿がありました!

唐津正樹『赤い束縛』についてです。

ありがとうございます。

まだご覧になっていない方も多く、それが「投稿」へといたらない原因かと思っておりましたが、見ている方もやはりいらっしゃいました。

本キャンペーンは、会期中、会期後も引き続き行っていきます。

未見の方も、この機会に見ることのできた作品に関して、どしどしご感想を送ってくださいませ。

「未来の批評キャンペーン」詳細はこちら
http://blog.livedoor.jp/mirai_kyosho/archives/51393279.html

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唐津正樹の『赤い束縛』について

このブログに掲載されているメール・インタビュー()によれば、長編2本、短編10本という作品をすでに世に送り出している唐津正樹監督。CO2支援作品であるこの『赤い束縛』はそんな彼の長編デビュー作ということになるのだろうが、やはりというべきか、一筋縄ではいかない作品だ。

どこにでもいそうな夫婦の前に、どういうわけか近づいてくるひとりの男、そこから彼らの生活なり関係なりが変調を来たしていく——いささか簡略化しすぎに見えるもののこれがこの映画のあらすじだとすれば、何やらドロドロとした愛憎劇を想起してしまいそうなものだが、その実まったくそんなことはない。むしろ、ドロドロというよりサラサラ、もっと言えばサラサラというよりカラカラとした愛憎劇、とでも言いたくなるような肌理をこの『赤い束縛』は持っている。それまで知りもしなかったイケメン男が、不意に妻にキスを迫るのを目の前にしながら(厳密には「目の前」ではないのだが、これはもう実際に見てもらうほかない奇妙な場面なので正確には説明できない)、「お前ら何してるんだ」と無表情に一声かけるだけに留まる夫のあの「無表情」さのドライっぷり。ケロリとした顔で家に上がり込んでくる見知らぬ男のあの渇いた顔立ち。映画には「無表情」なるものがあるとしても、しかし、この『赤い束縛』を見ていると、明らかに怒っていたり悲しんでいたりする表情ですら渇いた「無表情」であるかのように見えてきてしまう瞬間がたびたび訪れる。それは何も俳優たちに人間味がないとか、感情がこもっていないとかという批判的な意味合いで言っているのではなくて、というよりもここでは、このカラカラとしたドライさこそがこの作品の魅力ある相貌のひとつだと言ってみたいのだ。怒り散らしながら無表情、泣きながらにしてドライ。いったい俳優たちにどんな指示を出したのか知れない唐津正樹のこの処女長編作品は、明らかに不穏な輪郭を身にまとってしまっている。

関西と関東で映画の地域性に線引きしようというわけではないが、何はともあれ関東地方での記念すべき初上映。この上映を機に、間違いなく私たちと同時代を呼吸している唐津正樹という映画作家を「発見」しない手はないだろう。

(高木祐介)

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唐津正樹監督の映画は、1月25日15時40分より、上映いたします。
http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/program/index.html

唐津正樹(からつ・まさき)
1979年京都生まれ。大阪電気通信大学に進学し、映画監督・大森一樹に師事する。在学中より、京都国際学生映画祭にスタッフとして参加し、同映画祭のドキュメンタリーを撮影。卒業後、京都の映画制作団体「町屋プロダクション」に加わる。

『赤い束縛』
平凡な結婚をした昌子は、突如、若年性痴呆症に侵された夫・健二とのやりきれない日々、ふいに近づいてきた男・浅井の一線を越えた干渉に引き裂かれ、あるイレギュラーな態度に踏み出す。それは、触れ合わずに、縛り合うこと。第6回ハンブルグ日本映画祭など国内外数々の映画祭に出品された作品。第1回CO2エキシビション企画制作支援作品。
監督・脚本:唐津正樹
撮影:近藤龍人
出演:後藤直樹、平原夕馨、金本健吾、山本華菜子、武藤美帆
2005年/DV/74分

また、唐津監督と桝井監督おふたりの選ぶ作品として、ストローブ=ユイレ『放蕩息子の帰還/辱められた人々』とシークレット作品を上映します(※シークレット作品のヒントは、両者のタイトルが若干似ております)。
20時40分より、桝井監督と唐津監督との対談もございます(司会は、佐藤央監督)。
http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/films/masukara.html

唐津正樹 インタビュー


akaisoku
(*写真は、唐津正樹『赤い束縛』より)


このたび、関東初上映となる、桝井孝則監督と唐津正樹監督。

彼らはいったい、どんな人なのか? どんな映画を撮るのか?

なかなか興味は尽きないかと思います。

そこで、おふたりと親交のある葛生賢さんに、メール・インタビューをしていただきました。

まずは、唐津監督。

映画をつくるようになったきっかけから、いま関心のあることまで、いろいろとお答えいただいています。

実際に、映画を見てからもう一度読んでもおもしろいかもしれません。

では、どうぞ!

* * *

1、『座子寝』で初めて映画を撮られるわけですが、そもそも映画に進まれるようになったきっかけを教えて下さい。

唐津 映画というか映像を撮るようになったのは、『座子寝』よりも前から作っていて、高校時代に『アンタッチャブル』(1987年/ブライアン・デ・パルマ)、『ユージュアル・サスペクツ』(1995年/ブライアン・シンガー)や『ミッション:インポッシブル』(1996年/ブライアン・デ・パルマ)なんかが身内で流行っていたので、シーンの再現なんかを友人4、5人を集めて昼間撮影して、日暮れてから鑑賞してた記憶はあります。まあ今もその延長というか、何人かが集まって映像を作るということに具体性が出てきたということでしょうか。


2、『座子寝』、『団地』というのはとてもユニークな作品だと思いますが、この映画の着想はどのように思いつかれたのでしょうか。

唐津 ユニークかどうかは僕は判断できませんが、「映画を作りたい」という衝動の方がシナリオより先行してたので、結果的にこういう形になったんだと思います。『座子寝』は「電車に乗って市内に出向くまで」、『団地』は通学中に見つけた「人気の居ない場所(=撮影可能)」というところから始まったという感じです。どういうきっかけで作ろうと思ったのかについては、もう覚えていません。


3、唐津さんのフィルモグラフィーを見ると、『座子寝』から最新作『包む』(残念ながら今回の特集では上映されませんが)までほぼ10年足らずの間に、長編2本、短編10本と、ほぼ1年に1本以上という驚くべきペースで作品を発表されています。特に興味深いのは、2001年あたりを境として、それまでの「実験的な」作風から、滑らかに物語を語る作風に移行したことです。これには何かきっかけがあるのでしょうか。またこのあたりからDVキャメラ、ノンリニア編集が導入されて、ハードウェア上でも変化があるのですが、そうした変化は撮る上で何か影響をもたらしましたか。

唐津 撮影するタイミングは、上記(『座子寝』『団地』)の性質のものとあまり変わってなく、発起から撮影までの期間が短いことが多いので、結果的に短編が多いのかなと思います。「物語を作る」という事に関しては、おそらく『団地』の時から「やらねばならない」と念頭にはあると思うのですが、単純に、長編を撮る上で物語がないと「見ていてしんどい」に尽きるということが世間と自分の見解の中で一致したと思っているので、そういう意味では必然だとは思っています。

ノンリニアに関しては、僕が作り始めた1999年頃から「PCで映像編集をする」という流れは、ほぼ制作者側に広まっていたのですが、実家にはビデオデッキ2台しかかったので「ダビング編集」で編集してました。今も特にノンリニアに特化した編集をしている意識はなく、仕事で映像を編集するときと自分の作品を編集するときとは、はっきりと区別しているような気もします。CGやエフェクトといったノンリニア特有の機能もあまり使いませんし、そんなものを使っても作品が良くなるとも思えません。たとえていうのであれば「オーバーラップ」の機能を使うことに対しても、現場と同等の労力を要した上で「必要」と判断すれば、それなりの効果が生まれるとは思いますが、ノンリニアはボタンひとつでなんでもできすぎなので警戒はしてます。


4、唐津さんの映画に出てくる役者は皆、実に独特な顔をしていますが、キャスティングの基準というのはどこに置かれているのでしょうか。具体的なエピソードなどありましたら、それも交えつつ教えて下さい。

唐津 顔とは容姿ですか? キャラクターですか? 容姿に関しては、個人的な好みで選ぶことも多いですが、結果として映画の中で、おっしゃっているような「独特な顔」というふうになっているのであれば、それは役者さんの力だと思います。オーディションなんかで選考した時のことを思い出して自分なりに分析してみると、こちらの話をあまり聞かずに好き勝手に演技をしている人を選ぶ傾向はあるかなと思います。それに関しても、監督側から何か指示をしてそれを再現する役者の方はどこかで演技が破綻すると思っているからで、役者さん本人のことは役者さんが一番良く知っているのではないかと考えるからで、僕が演出するときはその演技を客観的に誰かが見て魅力的だなと感じる部分だけを「それください」と言っているか、口説いているかくらいしかしてないような気がします。


5、唐津さんはよく「映画的」という言葉に対して違和感を表明しています。映画に関わる人は、しばしばそれが何であるかをキチンと考えずに「映画的」という得体の知れないものへ向かってしまうベクトルを持っている気がしますが、こうした状況に対し、唐津さんのスタンスはとても批評的でありユニークだと思います。ところで唐津さんは映画を撮る際、何を判断基準としていますか。

唐津 「映画的」という言葉は、個々人の考えに尽きる発言なので、あまり客観的ではないような気がします。もちろんある程度共通認識を済まされている間柄での言葉使いならわかるのですが、仮にそうだとしても「映画的」という言葉使いはおかしいとは思います。発言に客観性なり他者性なりを備えた上での映画的という言葉はまだ聞いたことがないので、やはり映画的というフレーズは「僕が思うに良い」としてもらったほうがまだ話が通じるような気がします。笠井潔の本に「狂気と正気の間に立って始めて、狂気と正気への理解が可能だ」というようなことが書いてあったのですが、まさしく「映画的」という言葉は「狂気の中の狂気」と言ったニュアンスしか持ちえていない気がするので、映画をこういった言葉で表現するのはどうかなと思います。ちなみに、僕は映画は「動く絵画」だと思います。


6、『包む』を準備されていた頃にお話した時には「ギャル」に興味があるとおっしゃっていて、その後『包む』を見たら、まさに「ギャル」が映っていてなるほどと思いました(笑)。現在は何に関心がありますか。またそれは次回作のテーマと関わったりしますか。

唐津 葛生さんと話していた当初、自分の中での新人類はまさしく「ギャル」だという確信がありました。ギャルの面白いところは2週間程度の期間でファッションやブームが新しくなるという事を聞いて、そのスピードに順応できるということ自体、僕には衝撃的でした。『包む』に関しては、撮影中にずっと寝ていた女優を毎回起しに行くという事態がありましたが、彼女は撮影中に彼氏と喧嘩中だったので、気を使って本テスまでは寝かせることにしましたが……(笑)。性質的な話をすると、今の日本映画(若手監督のものも含め)に出てくる人物というのはどうも物語にとって都合が良すぎる役割が多いのではないか? という部分を感じます。人物の要素で言えば、最近は「ツンデレ」とか「腐女子」とか「草食系男子」とか魅力的な人種がいろいろと発掘&開発されていますが、それを映画に入れ込んでみて単なるキーワードにならない物語が作れるようならそれは面白いかなと考えています。話し変わって、最近自分の好きな映画や文学を見ていると、亡命(もしくは作品を作る際にひとつの国にとどまらない)した作家や監督の作品が多いということに気づいたので、その周辺事情を調べてみようと思ってます。

(聞き手:葛生 賢)

葛生賢(くずう・さとし)
1970年生まれ。映画批評家・映画作家。「映画芸術」、「flowerwild」などに寄稿。映画作品に『吉野葛』(2003年)など。ブログ「Contre Champ」は、「シネフィルにもっとも読まれているブログ」との呼び声も高い。http://d.hatena.ne.jp/hj3s-kzu/

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唐津正樹監督の映画は、1月25日15時40分より、上映いたします。
http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/program/index.html

唐津正樹(からつ・まさき)
1979年京都生まれ。大阪電気通信大学に進学し、映画監督・大森一樹に師事する。在学中より、京都国際学生映画祭にスタッフとして参加し、同映画祭のドキュメンタリーを撮影。卒業後、京都の映画制作団体「町屋プロダクション」に加わる。

『座子寝』
実家のVideo8を大学のクラスメイトに託し、都市と自身とをカメラに収めた記念すべき処女作。
監督・脚本:唐津正樹
撮影:駒田隆之
出演:唐津正樹
1999年/VHS→DV/3分

『団地』
「本作の“自己と他者”の構造関係は、以後の映画制作での本質的な部分を確立させたと思っている」(監督談)。
監督・脚本・撮影:唐津正樹
出演:唐津正樹、若城大祐
1999年/VHS→DV/8分

『赤い束縛』
平凡な結婚をした昌子は、突如、若年性痴呆症に侵された夫・健二とのやりきれない日々、ふいに近づいてきた男・浅井の一線を越えた干渉に引き裂かれ、あるイレギュラーな態度に踏み出す。それは、触れ合わずに、縛り合うこと。第6回ハンブルグ日本映画祭など国内外数々の映画祭に出品された作品。第1回CO2エキシビション企画制作支援作品。
監督・脚本:唐津正樹
撮影:近藤龍人
出演:後藤直樹、平原夕馨、金本健吾、山本華菜子、武藤美帆
2005年/DV/74分

『喧騒のあと』
携帯電話を飲み込んでしまった女性の日常が、お腹のなかで鳴る着信音とともに描かれてゆく。アジアン・ミーティング大阪2006助成作品。
監督・脚本:唐津正樹
撮影:小口修司
出演:西山真来、河村宏正、姜華栄
2006年/DV/12分

『太陽と風に叛いて』
母親不在のある家族の休日、真昼間に暴風警報が発令された。
監督:唐津正樹
出演:吉岡研治、佐々木嘉子、谷進一
2009年/DV/サイレント/10分

http://www.mirai-kyosho.kitanaka-school.net/films/masukara.html
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