夢を叶える人へ!未来へのアドバイス

ビッグな著名人が登場し、現在公開中の未来の名刺の中から
気になる夢をピックアップ。毎回一人の名乗りストへアドバイスを送ります。

ワタミグループ会長・渡邉美樹「夢を語る食事会」

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ワタミグループ会長・渡邉美樹
「夢を語る食事会」



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渡邉美樹(わたなべ・みき)
1959
年生まれ、神奈川県出身。明治大学商学部卒業。財務や経理を取得するため会計システムの会社に勤めた後、1間運送会社で働いて独立資金300万円を貯め、84年に()渡美商事を設立。経営不振だった「つぼ八」の店を買い取り、FC店オーナーとして起業。 1992年居食屋「和民」を開発。その後、全国的に店舗を増やし、「外食」のほか、「介護」「高齢者向け宅配」「MD」「農業」「環境/メンテナンス」などを手がける。個人としては、学校法人 郁文館夢学園理事長、医療法人 盈進会岸和田盈進会病院理事長、日本経団連理事、公益財団法人School Aid JapanNPO「みんなの夢をかなえる会」代表理事



新しい一年の計画、みなさんはもう立てられましたか?
「未来の名刺」の最初の一年は、「みんなの夢アワード
2010」の開催で幕を閉じました。
そし
て、新しい一年の始まりにまず行われたのは、渡邉美樹氏が「みんなの夢アワード2010」の最終プレゼンターを招いて語り合う、「夢を語る食事会」。
今回は、その様子をお届けいたします。

あなたにとっての夢とは?

 

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——新宿にある語らい処「坐・和民」新宿大ガード店に集まった、税所さん、鶴岡さん、マサキさん、野口さん、マクレーンさん。

渡邉氏を交えて乾杯した途端、次々に話題が飛び交います。

「あなたにとっての夢とは?」という話題から、会話はどんどんと進んでいきました。

 

税所さん:僕にとって夢とは、世界の人と一緒に夢を追いかけられる、何よりも楽しいこと!

マクレーンさん:ほんとに、楽しすぎて寝食を忘れてしまう時がありますね。

鶴岡さん:私は、大きい夢の方が小さい夢よりもかないやすいんじゃないかなって思っています。それをかなえられるのは自分しかいない、そんな思いで動くから。

 

そんな言葉が飛び交うなか、意外な言葉を発したのはマサキさんと野口さんでした。


マサキさん:僕は実は、夢ってなくてもいいんじゃないかなって思うことがあるんです。

野口さん:僕も、おしつけるものではないなと思うことがありますね。

渡邉氏:そうだね、なくてもいい。でも、それでもあったほうが毎日が楽しくなる。自分自身が夢を追いかける人生を楽しんでいるから、“夢っていいよ”って みんなにも伝えたい。僕が「夢」をテーマに色んなことを語るのは、それだけのことかもしれないな。

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できない理由なんて、いくらでもあげられる


野口さん:でも、そうやって自分の夢を語り始めた時、“やめといたほうがいいよ”というちょっとネガティブなことを言う人もいるんですよね。アドバイスだ と思うけれど、どういうふうに受けとめればいいかな、と思うこともあるんです。渡邉さんはどう思いますか?

渡邉氏:いるよね、「できないから、やめとけよ」っていう人。ある段階までは聞かなくてもいいんじゃない? できない理由なんて、いくらでもあげられるだろ? 夢を描いたり、実行に移す段階でそれに耳を貸していたら動けなくなってしまう。僕にもそういう人はいたけど、聞かなかったな〜。自分で描いた夢だから、一 般的な意見なんて聞きたくなかったんだよ。それ以上の段階になったら、知識のある人の意見を聞いたりしなきゃいけないけどね。


さらに、以前「失恋のショックに暮れていたころに夢を見つけた」と語っていた税所さんからは意外な質問が。


税所さん:夢をかなえるためには、どんな伴侶を見つければいいんでしょうか?

渡邉氏:おおっと(笑)。僕は、“こういう夢をかなえたい”“そして、その夢を追いかけながら、こういう人と結婚したい”というイメージがあったんです。 やっぱり、社長になると決めていたから、自分のことを理解してくれる人がいいなとかね。そして、家内に出会った時、 “この人だ!”って思ったんだよね。

マサキさん:僕も『青年社長』が大好きで、特に奥様と出会われたシーンが好きなんです。渡邉さんは、恋愛は肉食系なんですか?

渡邉氏:おいおい、なんだ、肉食って!? まるで、恐竜みたいに歩いてるもの片っ端から食べてくみたいじゃないか。そういうのじゃないよ。でも、はっきり 伝えるね、“君は僕と一緒になるべきだ”って(笑)。


そして、話は、5人それぞれのこれからの夢についての話に。


マサキさん:今度は電飾をつけた100人パレードをしようと計画しています。

渡邉氏:おもしろそうだね。ただ大事なのは、それを続けられるモデルを作ることだね。一回の思いつきだったらなくなっちゃうから。どうすればそれを続けて いけるか、それを考えていかないとね。

鶴岡さん:私は今日できることをやろうって。自分が動いて実績をつくって信頼してもらおうって。 税所さん:僕も去年、ひとり合格者を出して実績をつくって信頼が集まったので、今年もそうやって進んで行こうと思います。

渡邉氏:そうだね。一つひとつの現実をどうやって変えていくことができるか。分かってくれない人に対しては実績を作っていくのが大事だから、それが挑戦だよな。

マサキさん:そうやって日々挑戦される渡邉さんのなかには、経営者としての渡邉美樹さんとそうじゃない渡邉美樹さんがいらっしゃるんですか?

渡邉氏:いや、僕は365日ずっとこのままだね。家でもこんな感じ。家族から見ると、「家なんだから、もっと気を抜いてゆっくりすればいいのに」と思われてるみたいだけど、これが僕自身なんだよ。習慣っていうのはすごいものでね、自分の時間をつくって日記を書いたり、そういうことが習慣づいていて、緊張感 を持っているのが日常になっているんだよね。

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マクレーンさん:見られている時と見られていない時でも変わらないんですか?

渡邉氏:変わらないんだよね。そもそも、社員が何千人もいれば、ずっと“つくった自分”だけを見せるなんていうことはできないんだよ。今はテレビにも出ているか ら、街でも僕を知っている人がいるしね。でも、そういうことは社長になる時から心がけていたね。自分がいつもできる限りきちんしているように努力はしよ う、ただ、自分らしく嘘はない人間でいたいってね。


悶々とする気持ちも邪念もすべて活力に繋がる


野口さん:啓発本なんかを読んでると「全てのパワーを夢に」、なんて書いている方もいますよね? 僕は、人間である限り、いくら夢があったってそれとは別に悶々とする気持ちってあるんじゃないかなって思うんですよ。そういう邪念のようなものは、渡邉さんにはないんですか?

渡邉氏:でも、悶々とする気持ちも邪念もすべて活力に繋がるなんじゃない? たとえば、「彼女欲しいな〜」なんて考えているのが邪念だとしても、彼女できれば元気になるしはげみになるでしょう? いいんじゃないのかな、そういう気持ちがあったって。でも、そういう色んな気持ちを持つ色んなタイプの人と僕は話してみたい。だから、こうやってそれぞれ の個性を持つ君たちと話せるのはとても嬉しいよね。応援しているから、みんなこれからもがんばってね。

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渡邉氏からのアドバイスを交えて、尽きることのない夢の話。 この日のお話は、『日経アソシエ』2月1日売号にも掲載されています! ぜひ、ごらんください。



(テキスト:柿原優紀)



山梨日立建機株式会社代表取締役 雨宮 清さん

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山梨日立建機株式会社代表取締役 雨宮 清さん
「日々の中に強さを生むのは、“使命感”」
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雨宮 清(あめみや・きよし)
山梨日立建機株式会社代表取締役。1947年山梨県生まれ。中学校卒業後に上京、就職。クレーン車の整備を担当。8年間のサラリーマン生活の後、23歳の若さで故郷の山梨市に車両工業所を設立。1980年に日立建機の特販店及び指定工場となり、現在の社名に変更。ビジネスを求めて訪れたカンボジアで地雷被害者に出会い、対人地雷除去機を作ることを決意。以降、現在に至るまでカンボジア、アフガニスタン、ニカラグア、アンゴラで使用する対人地雷除去機を開発。

モチベーター(勇気づける人)

関谷 剛一

「日本全国の会社(団体、組織)で働いている人を、私の提供する研修や講演やブログや書籍で勇気づけること。」

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大切なのは、「使命感」を持っているかどうか。

カンボジア、アフガニスタン、ニカラグア、アンゴラを始めとする世界の国々の地中に1億個以上が残り、その被害者の数は1日70人とも言われている地雷。対人地雷では人々の手足が吹き飛び、対戦車地雷では車輌ごとが木っ端みじんに吹き飛ばされるといいます。その残忍さから、「悪魔の兵器」とも呼ばれる地雷ですが、手作業で除去を続けたとすると、これから1000年をかけても世界中の地雷を取りきれないのが現実なのだそう。 今、その除去作業を100倍のスピードで行える重機があります。その重機を開発しているのが、今回登場する山梨日立建機の雨宮社長。雨宮社長が開発した地雷除去機は、現在、世界中で活躍しています。だれもできなかった大きな夢に向けて進んできた雨宮さんに、夢へのアドバイスを頂きました。

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——こんにちは。雨宮社長に夢へのアドバイスをいただきたくて、山梨まで来てしまいました。笑

わざわざこんな田舎にまで、ありがとう。「夢を持ってください」「使命感を持ってください」というのは、私も講演の度に伝えてきたことです。このサイトで見られるように、夢を持っている人がというのは良いことですね。


——今おっしゃった「夢」と「使命感」って、少し違うような気もするのですが、「使命感」ってなんでしょうか?

極端に言うとね、私は夢は必ずしもかなわなくてもいいと思っているんです。夢や目標を描いて、「使命感」を持って進んでいくことが大事だと思う。夢を持つと、自分の未来像が頭の中に浮かぶよね。その未来像に向かって本気で取り組むなかで、使命感というのは生まれてくると思う。

たとえば、結婚して家族ができたとします。子供も生まれてね。そうすると家族の中に、子供を育てるっていう使命が生まれてくるよね。使命感があれば、日々の中に強さが生まれ、モチベーションも上がってくる。そういう使命感が人間の力を最大限にすると思う。自分が何やりたいかを描いていて、日々使命感を持って過ごしている人は強いと思いますよ。


——社長の「夢」と「使命」は?

だれもが安心して生活できる平和な世界を作ることが夢。そして、地雷除去に取り組む以上、地球上から地雷をなくして、人々が安心して暮らせるようにする。それが、私の使命。

私は、1994年にカンボジアである老婆に出会ったんです。当時、建設機械の製造販売をしていて、アジアでのビジネスチャンスを探していた時にカンボジアにも訪れた。当時は内戦の直後で、路上には大怪我をしたままの人やストリートチルドレンがたくさんいたんですよ。これから復興していくうえで、建設機械のニーズがあるんじゃないかなんて思って訪れたんだけど、本当にショックを受けましたね。可哀そうだと思う一心で、銀行に駆け込んで持っていたお金をたくさんの1ドル札に替えて、困っている人に一枚ずつ渡して歩いたんです。NGO関係の外国人も周りには居ましたが、素通りですよ。それはあたりまえかもしれないですけれどね、一人ひとりにあげていたらこの国を出られなくなってしまうから。でも、その最後の1ドル札を渡したのが、その老婆だった。地雷で膝から下が無くなってボロボロの状態で少女を背負っていてね。その老婆が私の腕を掴んで言ったんですよ、「地雷でこの子の親も、みんな死んでしまった。あなた日本人でしょ。私たちを助けてください」って。その言葉が本当にショックだった。その言葉が、私には、「あなたたち日本人は、儲けているだけじゃないですか」って聞こえて仕方がなかったんですよ。事実、そこで一儲けしようと思っていたわけだから。その途端に、後ろめたさを感じて、俺は何をやっているんだって愕然としたよね。

その瞬間から「俺は、技術屋として何ができるだろう」「この技術を使って人を助けなければ」って考え始めた。帰国の飛行機の中では、見たこともない地雷を想像しながら、「足や手を吹き飛ばす程度のものならばそんなに大きい爆弾ではないはずだから、それを壊す機械をつくれるかもしれないな」って、持っていた紙にスケッチをしていたね。それ以来、地雷除去に使命を感じてやってきてるわけです。

地雷で手足をなくした人にも夢を持って進んでもらえるようにと、時にはリハビリセンターを訪れて、話をして、勇気づけながら一緒に進んできました。

 

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カンボジアに埋まる地雷と不発弾。


——手足をなくして絶望している人を勇気づける……、どんなことなのでしょう?

そうですね。地雷被害者のリハビリセンターなんかに行くとね、「死にたい」と言う人がたくさんいるんですよ。そういう人を励ましていくのはそう簡単じゃない。


——死にたいと言う人と、何を話すんですか?

夢を捨てないでくださいと伝えます。私自身の夢も伝えながらね。「私の夢は、カンボジアの地雷をなくすことです。早く地雷をなくして、あなたたちが安心して暮らせる場所にしますから。それが私の夢ですから。だから、あなたも夢を持ってください」と伝えるんです。たとえば、ここに夢を投稿している“モチベーター”の関谷剛一さんもきっとそういうことですよね?

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アンゴラのリハビリセンターを訪問する雨宮社長

——関谷剛一さんは、「アドラーマン(勇気づける人)になって、勇気を挫かれた人を勇気づける活動」をしていらっしゃるようですね。では、関谷さんへのアドバイスも含めてさらにお話を聞かせてください。

人に思いを伝えるというのはとても大事なことです。だから、私は、現地ではその土地に住む人々と話し、日本では講演も行ってたくさんの人に話しています。



——カンボジアやアフガニスタンなど、日本から離れた場所で起こっていることについて、その土地を訪れたことのない人に興味を持ってもらったり、活動について共感してもらうのはとても難しいように感じるのですが、伝えることはできるのでしょうか?

難しいよね。関谷さんも本を書くことを目標にしてらっしゃいますが、僕も仕事の合間にね、テレビに出たり、本書いたりしています。それでも、万の人間に共感してもらうことって難しいと思うんですよ。

でも、私は今日あなたに会って、あなたにこの話をした。それであなたが家に帰って家族に話をする。それによって、あ、うちの嫁がしてくれたのは大切な話だったなって、彼が思えばいいんです。みんなに伝えるのは無理がある。でも、そうやって少しでも共感してくれる人が増えればって思って、取材を受けたり、テレビに出たり、本を書いたり、講演したりを続けているんです。周囲に思いを伝える意味でも、本は良い形だと思うよ。思いを伝えることはとても大切だから。


——少なくとも、カンボジアの老婆が社長に伝えた思いは、しっかりと社長に届いて、地雷除去を実現させているわけですよね。

私を見て、「見つけた」と思ったのかもね。きっと、亡くなってしまったと思うんですけどね、怪我をして食べ物もない状態でしたから。それでも命をかけて伝えてくれたんだと思います。だから私も命をかけましたよ。なにしろ爆弾が相手ですから、自分の身を惜しんだらこんな事業はできないですからね。命をかけ、彼らに寄り添って、進んできたんですよ。やはり、それくらいの思いでやってこそのことなんですよ。


——寄り添うというのは?

私は、地雷除去機の開発を始めてから10年、カンボジアに暮らしました。地雷除去機なんてね、そんなに簡単に作れるものじゃないわけだから、開発をしながら、試行錯誤しながらやってきました。カンボジアで彼らと同じ生活をして、物作りの上でユーザーが何を望んでいるのかを考えるのと同じように、現地の人々が何を望んでいるのかを知らなければという思いで。

だから、彼らと暮らして気持ちを聞くっていうことを原点として大事にしてきた。そうするとね、現地にはマラリアになるような蚊や噛まれれば死んでしまうような毒蛇がいるということがわかるわけですよ。じゃあ、どういう機械ならそれを改善できるのかを彼らと話し合う。地雷原の中に住んでいる人たちと話せば、柵を越えると地雷原ってわかっているけれど、そこにしか土地がないからその中で農作物を作って、手伝っていた子供たちがそれで手足がなくなったりしていると聞いたりね。

食べるものも決して美味しくないものを「美味しいね」って一緒に食べて、水を飲めば下痢をする、そういう中まで入っていって会話をすることで聞こえてくるものがあるんです。「地雷を除去して畑を作ってください。畑は自分たちで耕しますから」と言われれば、地雷を除去して、根っこや木を取り除いて、水路を作ることまでしなければ、地雷だけを取っても木々を伐採する機械も持っていない彼らが生活できないと分かりますよね。

その結果、今は、地雷除去機と伐採機を複合した地雷除去機を作っています。


——現地の人にも除去の技術を指導しているとお聞きしましたが、 地雷の恐ろしさを目の当たりにしてきた人が自ら地雷原に入り、除去作業をするには大変な精神力が要ると思うのですが。

そうですね。でも、私たちだけで全ての地雷を除去できるわけじゃない。だから、現地の人が技術を持って取り組んでいかなければいけないんです。一緒に取り組む現地の若者には「技術を自分のものにしなさい」と言って、とことん指導しています。今もアンゴラの人を日本に呼んで、いろんな技術を教えています。機械だけを与えても技術がなければいけない。操作はもちろんですが、エンジンを組み立てる、修理をする、そういうことができないと。現地に寄付された機械が、ネジがひとつ外れて動かなくなり、雨ざらしにされて使われていない、というような光景を見てきましたから。

でも、指導するにしたって、「俺はここで見てるから、やってみて」と言っても、彼らは地雷の怖さを知っているからできないでしょう?自ら除去機に乗って地雷原に入ってやって見せなければ。「俺が自信を持って作った除去機だ。お前ら見てろよ。ほら、絶対大丈夫だろう。だから信じて一緒にやってくれ」と。そうやって現地で作業し続けたおかげでね。自分だけが安全な所に立っていくら口で言ったって本当の信頼は生まれないんだよ。

そうやってやることで、「あいつらは、本当に命がけで来てくれたんだ」って思ってくれている。私自身も地雷の爆破音により耳の鼓膜が破れ右耳が聞こえなくなってしまったが、聞こえなくなった右耳から子供達のはしゃぐ大きな声、農民が収穫する大きな喜びの声が聞こえてきている。命が惜しくないわけじゃない。でも、私の使命は地雷に挑戦していくことだから。「俺ひとりの命で数千人の命を救えたら安いもんじゃないか」って思えるのは、使命感があるからだろうね。

関谷さんやその他の夢を持つたくさんの人にも、そうやって相手の声を聞く事を大切にして、自分の目指していることに使命感をもって進んでほしいですね。

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アフガニスタンにて現地のとともに暮らす。左端が雨宮社長



夢の中に生まれる「使命感」。みなさんにはありますか?


 

(インタビュー・テキスト:柿原優紀)

 


料理研究家・中島デコさん

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料理研究家・中島デコさん
「夢を実現させれば、そこから種が広がっていく」

中島デコ(なかじま・でこ)
料理研究家。1958年生まれ。長女の妊娠をきっかけに本格的にマクロビオティックを学び始める。1986年、リマクッキングスクール師範科を卒業。同年、料理教室「ワンダー・マミー」を主宰。99年よりフォトジャーナリストの夫、エバレット・ブラウン氏とともに千葉県・外房に移住し、その地を「ブラウンズフィールド」と名付ける。「ブラウンズフィールド」(http://www.brownsfield-jp.com/)では、自然農とマクロビオティックによる食生活への理解と関心を深めることを通じて、持続可能なシンプルライフを模索中。

風通しのいい空間in香川

にしわき あや

「香川に移住。自分の要望をかなえた白く日当りのいい家を建てて自宅兼事務所兼1日1組限定ゲストハウスに。」

風通しのいい空間in香川 にしわき あや

新しい土地では、寂しさや不安よりも得るもののほうが多い

今月のアドバイザーは、料理研究家の中島デコさん。16歳でマクロビオティックに出会い、25歳から本格的に学び始め、現在は2男3女の母でもあります。そんなデコさんは99年、家族とともに千葉県・外房に移住し、自給自足のライフスタイルを提案する「ブラウンズフィールド」を主宰。新しい土地に移り住んでからも自分のしたいこと、ライフスタイルを追究し、多くの注目を集めているデコさんのアドバイスは必見です!


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——こんにちは。 「未来の名刺」の投稿者のなかには、デコさんのように新しい土地で“何か始めたい”と言う人が多いのですが、デコさんが選ばれた名刺を教えていただけますか?

思い描いていることが私がやっていることにとても近くで気になったのは、“風通しのいい空間in香川”のにしわきあやさん。この子だったら私の経験を参考にしてもらえるかもって思いました。


——確かに、新しい土地に行ってゲストハウスをやって、まさに今のデコさんですね。そもそも、デコさんが外房に移住されたきっかけは何だったんですか?

ここに来る前は、東京の下北沢で自然食の教室をやっていたんです。でも、遠くから運ばれてくる野菜を高いお金で買うために、無理やり仕事して……これって自然なライフスタイルじゃないですよね? それに子供が5人もいるとやっぱり東京が窮屈になってきて。そんなふうに感じるうちに移住することを考え始めたんです。だけど、最初は千葉にはまったく興味がなくて、できるなら温泉があるところがいいなと思っていたぐらい(笑)。でも。たまたま、主人の知り合いのイギリス人夫妻が住んでいたところが空くという話があって、それで見に行ってみたらすごくいいスペースだったので即決しましたね。


——東京から見知らぬ土地に移住するって、結構大変な決断ですよね? 知り合いもいない環境に不安はなかったんですか?

知り合いって必要なのかな? 友達は新しく作ればいいと思うんですよ。私の場合、そこに不安はなかったんです。でも、私もずっと都会で育った人間なので、例えば夜になるとすごく暗くなるとか、そんな当たり前のことに不安を感じましたね。都会にいると、眠れなくてもちょっとコンビニに行ったり、友達と出かけたり、まわりに何でもあるっていう変な安心感があるじゃないですか。彼女も、四国に移住したらそんな不安を感じるんじゃないのかな。でも、大丈夫! 移住してみたら、やることはいっぱいあるし、週末の度に東京から友達が押し寄せて来て「もう、うるさいっ!」って言うくらい(笑)。私は毎日子供の世話に追われて、その間にカフェや宿泊施設、ワークショップを始めたりして、寂しいと思う暇もなくあっという間に10年が経っていましたね。


——こちらに来られてから、地元の方とも仲良くなられたんですか?

最初は正直なところ、「ちょっと嫌われてるのかな?」って思うこともありましたよ。でも、それはどの土地でもそうじゃないですか。いきなり人と人との距離感が縮まることはないですよね。ここに来て10年間、スタッフの子も含め、きちんと笑顔で挨拶したりしているうちに自然とお互いの気持ちがほぐれて、今ではすっかり仲良しになりました。スタッフの子なんかはよそのお家の大きいお風呂に入りに行くぐらい(笑)。おじいちゃんやおばあちゃんに、漬け物の漬け方や昔の話を聞いて参考になることもありますね。


——地元の方と仲良くなることで、その土地のルールや伝統を知ることができるんですよね。

実はこのあたりだと、割合で言うと、地元の人より移住してきた人のほうが多かったりするんですよ。いつまで経っても、移住者は移住者でしかないけど、自分で選んでこの場所に来たわけだから地元の方にいろんな話を聞いて、伝統は引き継いだほうがいいと思うんですよね。例えば、年に1〜2回祭りのときに作る“花寿司”というのがあって、太巻きを花やトンボのかたちにするんです。そういったことも、地元の方に教えていただかないと知らないままじゃないですか。


——デコさんが「ブラウンズフィールド」をされているのを見て移住して来られる方も増えたのでは?

こういう拠点があることで、安心して移住して来られる人もたくさんいると思います。ここを始めるときに、そうなっていきたいなとも考えていたんですよ。こんな不便なところでも楽しく、元気に、気持ち良く、そして地球のためになるような生活ができるんだということがわかれば、全国にそういう種が広がるような気がしています。ひとりでやるには限界があるけれど、彼女みたいに夢を持っている人に遊びにきてもらって、「いいな」と思えるところがあれば、どんどん種を広げていってほしいです。運営方法や工夫している点など、いいとこ取りしてもらって、自分なりの世界を作っていってもらいたいですね。彼女のような人が増えると、地方が活性化しますし、おじいちゃんやおばあちゃんもきっと元気になると思うんです。今は、都市にみんな集中しているけどコミュニティになっていないから、それぞれがもったいない生活をしているじゃないですか。ひとりひとりが小さな部屋を囲っていてね。でも、それをシェアすることができれば、あくせく働かなくても生活できるはずなんですよ。それぞれが地域のため、地球のため、みんなのために持続可能な生き方を浸透させていければ、日本全体が元気になると思います。



何をするにしても、“生活力”がいちばん大切



——デコさんには、ここでの農的な生活だけじゃなく“+α”がありますよね。運営面での難しさはありますか?

それはあるでしょうね。「ブラウンズフィールド」にはカフェもありますけど、私はカフェをやりたいと思ったことは一度もないんです。東京では食事会のような料理教室をやっていましたが、ここだと東京のようにすぐ人が集まるわけじゃないですよね。それで「どうしようかな」と思っていたところに、たまたま「ここの生活のことを文章にしてくれないか」ってお話をいただいたんです。田植えをしたことや、稲刈りをしたこと、今月のレシピなどを書いていると、それを読んでくれた方が遊びに来てくれたりして。そうするとお茶を出したり、お昼ご飯を一緒に食べたりしますよね。そんなことが続くうちに「このスペースをキレイにして、メニューを用意すればお茶に対して50円でも100円でも置いていってくれるんじゃない?」と考えたんです。そのほうが出される方も遠慮がなくて居心地がいいかなと思いましたし。“おもてなし”のようなたいそうなものじゃなくて、「うちで食べているご飯はすごくおいしいんですよ」みたいなね。あまった食材は全部食べてしまうので、廃棄することもないですし、こちらも気持ち良くお客さまを受け入れられるんです。


——最近では、“小さな農”を暮らしに取り入れつつ、自分の好きなことを仕事にする「半農半X」にも注目が集まっていますよね。

そうそう、私は「半農半X」ってすごくいいなと思うんです。全農だと本当に疲れてしまうけど、半分は好きなことをやって、もう半分は農業をやって自給率を高める。そうすることで自分の時間も作ることができるし、これからはそんな生活が重要になってくると思います。都会でバリバリ仕事をしていると、地方に住むことで「周りに忘れられちゃうんじゃないか?」って不安はあるかもしれない。でも、それを逆手にとれば「地方の生活のほうがもっといいよ」ということを発信して人を集めることができるんです。

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母屋、カフェの目の前に田畑が広がる!


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ツリーハウスの下では、2頭のやぎがのんびり


——彼女もこれから「X」の部分を考えていくのだと思いますが、デコさんのところに来られているスタッフの方々は何を学ぼうとしているんですか?

料理や農業、うちの旦那がカメラマンだからカメラだったり、それは人によって違いますね。でも農業だろうと料理だろうと、そこは生活をしなくちゃいけない場所なので、学校みたいに丁寧に教えてもらう場所じゃないんです。掃除をしたり、まかないを作ったり、そのなかから学ばなくちゃいけないのでギブアップする人もたくさんいますよ。何を学ぶにしても、いちばん大切なのは生活力だと思います。だから、今後は子どもキャンプみたいなものをどんどんやっていきたいですね。(現在のキャンプの様子は、webサイトでも公開中)小さな頃から「魚はこうやってさばくんだよ」とか「鳥をしめるのってこんなに大変なんだよ」とか、「薪でご飯を炊くのってこんなに簡単なんだよ」ってことを教えたい。それを生活のなかで続けていくわけじゃなくても、頭の片隅にあればたとえ災害があっても慌てなくてすむし、どこに行っても役立つんです。


——貴重なアドバイス、ありがとうございます。

にしわきさんには、「ブラウンズフィールド」もぜひ見に来ていただきたいですね。ゲストハウスにはお客さんとして、WWOOFとしても受け入れを行っているのでWWOOFとしてでもいいし、ゲストハウスにはお客さんとして空きがあればいつでも受け入れられるので、自分の目で見て体験してみてください。絶対にできるよ!!




知らない土地に移り住み、自分の夢を実現するには何が大切なのか? 地元の方とのコミュニケーション、生活を維持するための工夫、地方にいるからこそ発信できること……デコさんのアドバイスには夢を叶えるためのヒントが溢れています。その根底にあるのは、与えられたもので満足するのではなく、自ら一歩を踏み出す行動力。いろんな不安を吹き飛ばしてくれるデコさんの言葉は、とても力強いものでした。


(インタビュー・テキスト:柿原優紀)