40年前、日本人2人、インドネシア人1人の船の仲間の女性3人で、船の仲間の家を渡り歩きながら、バンドン、ジョクジャカルタ、バリと弥次喜多道中を繰り広げました。
今回、その3人がまたバンドンで終結する予定だったのですが、
もう一人の日本人が、必要なパスポート残存期間を3か月と勘違いして6か月を切っていて、日本出国の空港で乗せてくれなかった、というアクシデント。パスポートを再発行してもらって合流したのは同窓会プログラムも終わった昨夜(今朝?)の深夜でした;;

昔はツアーだったり、航空券の手配を旅行代理店に頼んだり、インドネシアも観光ビザが必要だったりで、どこかのタイミングで「パスポートの残存期間が足りない」というチェックが入ったのですが、オンラインで自分でちゃっちゃと予約すると、思わぬ落とし穴があるのですね。。。

その40年前のバンドンには強烈な思い出が。
今回の同窓会のホストを務めた、ハリーとタティーは青年の船カップルです。
40年前はまだ二人は結婚前で、私たちはタティーの家にホームステイさせてもらい、ハリーは毎日通ってくれたのでした。

いざ、バンドンからジョクジャカルタに汽車で向かう、と、バンドン駅に行き、列車に乗ったのですが。。
そこで強烈な洗礼。上から下からで汽車のトイレにこもっていると、見送りに来ていた医学生の仲間に引きずり降ろされ、タティーの家に送り返されましたOrz。

タティーの家のお手伝いさんが作ってくれたお粥(インドネシアでもよくお粥Buburを食べます)はチキンスープで煮込んだ濃厚な卵がゆで、食べることができず「何もはいってないのを」と頼んだわがまま娘。
夜、日本語がわかる台湾人の医者のところに連れていかれ、お薬をもらって、何とか次の日には旅立てたのでした。。。

そういう意味でバンドンはトラウマであり、夜、涼しいところで冷たい名物のスウィーツを食べないように気を付けよう、と心に決めていました。

予防的に新ビオフェルミンを飲む、熱いお茶を飲む、氷の入ったものは食べない、お土産でもらったバンドンの強烈な生姜湯を飲む、と気を付けて、なんとかバンドンは乗り切り、これでもう慣れたかな、と思ったジャカルタの昨夜。。。

日本人3人でジャカルタにコンドミニアムを借り、2晩を過ごしたのですが、2日目の昨夜お腹の調子が悪く、何度もトイレに...。

朝、ソロに向かう2人を送り出して、昨日、チェックインを済ませてビッグラゲージ持ち込んでおいた
ホテルに移動すると本格的に下痢Pに;;

午前中はホテルでごろごろ寝たり、本を読んだりして過ごしていました。

昼頃、なんとか持ち直したので、徒歩でグランドインドネシアという大きなモールへ。

暑かったですが、歩道が広く、歩きやすかったです。
ただ、車前提社会で、外から歩きで入る入口が、とってもとっても遠かった;;

スーパーや本屋、おもちゃ屋などを見て歩き、夕方、帰る前にインドネシアカフェで鶏のお粥を頼みました。
鶏スープで煮込み、上にねぎやら鶏肉やら、クルプック(揚げせんべい)やらがてんこ盛りのブブルを見て、その昔、バンドンで食べられなかった鶏粥を思い出しましたとさ。