素晴らしい日々〜Splendid days

感動したこと…疑問に思うこと… 何気ない日常を過ごすのも、感謝に満ちた日々を過ごすのも自分次第…

オレサマ

昨日、図書カードを買いに行った時の話。

図書カードを数枚買い、店員がこういう。
「こちらのカードになります。ご確認ください。よろしいですか?」

はい、と答え。
店員がそのカードを紙ケースに入れようとしたのだが、手を滑らせて床に落としてしまった。慌てて広うとする店員。
しかしなかなかとれなかった様子。
拾い上げた図書カードをテーブルの上に置いたのだが、見ると、角の方が拾ったときにオレ曲げてしまったのか明らかに曲がっている。擦り傷さえある。

こちらとしては…
当然、そのカードは他のきれいな新品と交換してくれるものと思っていたのだが…

その店員、なんの躊躇もなく、紙ケースに入れようとしたので「あの、そのカード角の方が曲がっちゃってるじゃないですか?」と僕は指摘した。

そしたら、その店員。
「はい。でも何の支障も無く使えるので大丈夫です!」と。

一瞬、ん?と沈黙のあと。

あまりの予想外の対応に「あのね、これ人にプレゼントとして渡すために買っているんですよ。擦り傷がついたり折れ曲がったのは渡せませんよ。きれいなものと交換してください。」
とちょっと語気を強めに。

そしたらその店員「少しお待ちください」とお店の責任者らしき担当を呼び出し、客がムリを言っているというトーンでその担当に話していた。
たまらず、今までの店員の対応と、自分が使うぶんには良しとしてもプレゼント用には受け入れられない旨話した。

その担当は平謝りで私に謝罪して、カードはきれいなものに替えてもらい事を収めた。
それでも心中では「ちゃんと教育しておけよ!」といってやりたい気分でいっぱいだった。

これね…
たぶん当然。
売り手と客という関係性とか常識的には、私の対応や、心の動きもおそらく理解されうるものなのかもしれない。

でもなんか自分のしたことがあとになって心地悪かった。

店員は、確認はしなかったが高校生くらいにしか見えない若い女子店員。
この対応からすると売り手としての経験もごく浅い店員なのだろう。

自分の度量が小さいというか、余裕がないというか…
そんな自己批判のような感情が広がった。

「オレサマは客だぞ!」「だからそれなりの対応で迎えろ!」
「オレサマは偉いんだ!」
心のどこかでそんなアイデンティティをまといながら接していたのかもしれない。

そういうヤツが大嫌いな自分なのに、無意識ながらそんなヤツになっていた自分。

あぁ自己嫌悪。


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不幸せな人

何だったかな。この間聴いていたラジオの人生相談だったか。
こんな言葉が印象的だった。

「幸せな人はいじめなんかしない。」

あぁ、なるほど。
そうかもね。

いじめをして何らかの満足を得ているような人というのは、幸せから遠ざかるような行動を自らしていることに気づかないのだろう。
因果律の中で生きていることに。

いじめ云々を置いておいても、今自分は不幸だとか嘆く前に自分の普段の行動を見直したらなにか解決の糸口がみえてくるのかもしれないな。

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面倒くさいやつ

混み合う電車の中での光景。
若い女性が席に座っていて、その前に老いた男性が立っている。
「どうぞ」と言って、目の前のお爺さんに声をかけ、席を譲ろうとしたのだが…
「いや、いいから」といって申し出を断った。
さらに…
「あのさ、あんた、老人なんか大切になんかしなくていいんだよ!」
「年寄りなんぞに優しくしたって何にも特にならないんだから。あはは」
「あとさ、ヨタヨタ杖つきながら出かけるやついるだろ?」「ああいうの腹立つんだよ。」「俺なんてああいうのには絶対席譲らなかったからね」「俺、性格悪いんだよ、ガハハ…」
と、テメーの持論を堰を切ったように語り出す老人。
それもみんなに聞こえるようにわざとなのか、大声でね。
困惑する女性。

なんだかね。。。

人の善意は素直に受けておいたほうがいいんじゃないなかな?という思いと、空気読めよ!という思いと。

あーぁ、面倒くさいやつ。って思ってた。

席を譲ろうとした若い女性が気の毒だったな。

持論語れて気持ちよかったのかな?あのじーさん。調子に乗って口が滑らかになってたし。

面倒くさいな、こういうやつ!と思いつつも同時に…
人のふり見て我がふり直せ。ってあるけど、時に自分も面倒くさいやつになっていたりしやしないか?と、調子に乗るじーさんをみてて思ったのだった。

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手放す

抵抗してもしきれないもの。
し続けても疲れるだけだからね…

そのように悟って。
諦めて。
受容れちゃうと楽だよね。

後になって振り返ってみればわかるんだ。
そういうこと多いよね。

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北風と太陽

旅人のマントを脱がせるのはどっち?
物語の内容を知っている人には、言わずもがな。

太陽だ。

北風は、強引に風を吹かせてマントをはぎ取ろうとした。
しかし旅人はマントを手放すどころか、マントにくるまり身をかがめて抵抗した。

そして、片や太陽は照り続けた。
その日差しの暑さに、旅人はたまらずマントを脱いだ。

イソップの有名な寓話だ。

北風も、太陽も旅人のマントを脱がせようとしたことが同じだが、手段が違うと言うもの。
手っ取り早く、手荒な手段でせめても相手が頑なになるだけ。
ゆっくりと地道に暖かな手法で対応したほうが、相手は自分から行動してくれる。というような意味が込められているのだろう。

しかし現実の人間関係は様々だ。
嫌な話だが。
人の優しさにつけ込んで、相手から吸い取れるだけ吸い取ってやろうなどという輩もいるのも現実。
おまけに「人の良いのも馬鹿のうち」などと影で嘲笑ったりする。

こういう人は、民度の低いかわいそうな人なのだが。

そんな相手でも、忍耐強く与え続けることで相手自ら変わっていくことがあるのだろうか?

スピリチュアル的な理想と現実。

足元がよほどしっかりしていないと、やってられない世界だ。

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Where are you now.

気がつくと、何かを憂いている。
先々のこと… あの時のこと… さっきのあの人の言葉…

我に返ってみると、建設的でないことにエネルギーも時間もかけていることに気づき、後悔。
そしてちょっとした自己嫌悪。

なんら建設的でない!
ほんとにね…

結局はぼーっと時間を費やしてただけ。

その間は「現在」に肉体を置き去りにしてどこかへ行ってたんだな。
私は、今、ここ、にいなかった。

今ここにいよう。
って、最近この言葉を忘れている。

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あなたが認めたくないものは何ですか?

僕が仕事中によく聞いているテレフォン人生相談。
この番組のパーソナリティーの一人である加藤諦三先生が番組の冒頭で発する名台詞。
「あなたが認めたくないものは何ですか? 」
「どんなに辛くても、それを認めれば道はひらけます。」

ふと頭の中に響いた。

なんだか今日はこの言葉が本当の意味で自分の身に突き付けられた感覚だ。

認めるという事は現実を受け入れるということであり、逆に認められないということは現実を受け入れず抵抗しているということなのだろう。

今、目の前で起きている現実は起こるべくして起きた現実。因果。原因があって結果があり、その結果が今現れていると言うこと。
自分が納得していようといまいとこれは経験せねばいけないことなのだろう。
だからこの経験を拒んでいると、先には進まない。

スピリチュアルなことを探求してきた私は、こういう仕組みを知識として知っている。

往生際が悪いな。とつくづくおもう。
まだ葛藤の中にいる。

いい加減にもう踏ん切りをつけないとな。

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時間

時間が経つのが遅く感じることがある。
えー、まだこれだけしか経っていないの?

だいたいそんな時は自分の望まない現実を体験している時だ。
その現実を受け入れられず、抵抗すればするほど時間の流れが遅く感じられる。

逆に時の流れが早く感じる時。(ちなみにこれは、過去を振り返って早く過ぎたと思うそれではない。)
それは現実を当たり前に受け入れている時。言葉を換えて言えば「今を生きている」時だ。
いつだって今に集中して生きていれば、時間の事など気にしない。言わばそこには時間は存在しないとも言える。

私は今、ある現実に必死に抵抗して生きている。

長い一日を過ごしている。

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生きること1

生きること。

生きていくためにはエネルギーが必要だ。
日毎にみな等分に与えられる天からのエネルギー。
使い道は自由だ。

人を憎んだり、嫉妬したり、怒ったり、先のことを心配したり…
これらは多くのエネルギーを費やすそうだ。

これらにエネルギーを費やすことを続けていけば、生きるためのエネルギーが枯渇する。
生きるパワーが失われ、より悲観的な想像が絶えなくなる。負のスパイラル。

私はいま苦悩の中で日々を生きています。
心が分刻みで目まぐるしく変化して疲れます。
ここ数日はとくに本当にどうかしています。
弱気になってもいます。ときに我に返ります。
人生はうまくいかないものだなぁとしみじみと感じています。
心が疲弊して吸う息さえ重苦しい。
なにもかもうまくいきません。

生きること。
自分が思っていた以上に大変なことだと思う今日この頃。
私の中にある自分なりの宗教観がこの世界にとどめている唯一の綱だったりする。

虚勢を張ってきたけれど、私も一人の弱い人間。
私は私自身をずっと装い続けて生きてきたのだなぁとつくづくそう思う。
そのツケを払うときが今の私の人生にやってきた。
それに右往左往、対処しきれず溺れそうな有様。無力。情け無いものだ。

かつての自分ならこう言っていただろう。
疲れたときには休みなさい。
って。

冷静な人はそう他人にアドバイスできる。

でもそれはその人の立場からの言葉なんだよなぁ。
今思うと偉そうに、私も人にそんなこと言っていたっけ。

自分が言われるその身になってみると、そういう言葉が遠くに見えて、なお悲しくなってくる。所詮他人事だな…って。
そうなんだよ。
人は他人にそれほど興味は無いし、自分のことで精一杯だったりするのだ。
人に対して共感しなければいけない義務など無い。

実際のところ生活もあるし休めない。
休めるのならばすでに自分で機会を見つけて休んでいたのだと思うよ。

孤独感、疎外感は増してゆく。

さて。
死ぬ気になれば何だってできる。って人はいうよね。
でも、それができないのだ。
一切合切を捨てて心機一転、新たな人生を!なんて、それは生きる希望のある人ができることなんだ。と思ってしまう。

ああ言えばこう言う…
今の自分はまったく嫌なやつだ。悲観的だなあ。
こうしてまた自己嫌悪。

自分を客観的に見れば見るほど、嫌な部分が見えてくる。

内心はわからないけれども、楽しそうに生きている人が羨ましいなぁ。
人生に疲れた人が見る世界。
それを今、その世界から実感しています。

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影の自分

なんか今月はいろいろな意味で大変な月だったなぁ。

ひと月が本当に長く感じられた。

諸々あってね…
見て見ぬフリをしてきて、対処してこなかった自分の心と真剣に向き合わなくてはならなかった。

子供の頃からの事を逃げずに思い出して、向き合ってみた。
正直辛かった。

なんだかぶちまけたい気分なので、うらみごと有りで、愚痴っぽくはなりますが…



なんの因果だろうか。
ギャンブルに狂い、家族のことなど顧みない父を持ち、悲しみ憎しみ怒り落胆する母に翻弄され…
子供の頃の幸せな思い出なんてまったくありません。
悲しくなって…我慢して…諦めて…のくり返し。

いまあらためて思うのだけど、本当に辛かったんだ。

子供の頃の私は、本音を言えばもっと可愛がられたかったんだろうなぁ。
言えなかったけど。

私の生まれ育った家庭には、いつも父母の争う声が聞こえ、いつも怒りと落胆と何とも言えない空気があった。
夫婦ゲンカの最中父は家を出て行った。
何日も帰ってこない日が続き、やっと帰ってきたかと思えば母に返り討ちにされまた出て行く父。やりきれなかった。
母の気持ちもわかる。幼子三人抱えて、頼りにならないどころか堕落の極み、迷惑をかけ続ける夫。
よほど父を憎んでいたのだろう… 母は、父に似た言動を私の中に見つけると怒りにまかせて鬼の形相で私をなじった。
こうして私の自信は失われていった。
ましてや3人兄弟の一番上。知らなくてもよい事情を他の兄弟の知らぬところで知らなければならなかったし。なにも知らぬ妹弟はあまり状況を深刻には受け止めてはいなかったろう。無邪気にふざけあう兄弟を見て、余計に辛かった。

幼馴染みの良ちゃんが我が家のすぐ隣にいた。
他人の家族がいつも羨ましかった。
ふざけて冗談を言って子供を笑わせるお父さん。
笑い声の聞こえる仲のいい家族。

「良ちゃんはいいなぁ…」
これが幼稚園時頃の幼き私の口ぐせだったとか。

でも、変わることのない現実を見れば落胆するだけ。
人を羨むことすらいつしかやめた。

私は愛されていなかったんだ。
そんな現実を見ないようにしていた。惨めな自分を認めたくなかったからだ。

感情をいつも押し殺していた。

こうして出来上がった私のポーカーフェイス。
人は言う。「物事に動じない淡々とした姿勢がすごいですね!」と。
いいえ、実は違うんですよね。
それは心の動揺を見透かされたくないが故の取り繕いを続けた積年の成果。(=_=;)

愛情を受けて育ってこなかった。
もしかしたら愛情を受け付けない人になっていたのかもしれないけれど。
いつもどこにいても孤独だった。
いつも感じていた疎外感。

思春期、ただただ苦しい思いだけが残っている。

いつしか私は自信の無い自分を見透かされたくない一心で、必死に取り繕った。
高いプライド。
でも、これらは相反するもの。
自信が無いくせに、プライドばかりは一流なのだ。
まったくナンセンス。

私はきっとこれを克服しようとしてきたのだろう。
様々なセラピーにヒーリング。精神世界。

理屈は学んだ。山のように。
心の奥底では変えたかったのに、触れてこなかった。
まやかしみたいなことはしていたのかもしれないが、本当の意味で実践してこなかったのが現実。

齢五十の声も聞けば積年のツケが表出してもくるだろう。
あっぷあっぷと溺れそう。

致し方なくなのか、宿命なのか、今、影の自分と対峙しなければならないときが来ている。

ごめんね。
知りながら向き合わずいままで無視してきて。
私の一部なのに。

影の自分との真剣な対峙。
いままで50年もの間、向き合わなかった相手だぞ。
こんな程度で気づいたことにするなよ。俺。
まだまだ気づいていないことはたくさんあるはずだ。

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セラピストの“ひでぴん”です。

過去世療法や退行催眠、行動習性など、催眠と潜在意識の世界を歩いています。

ほか、ヒーラだったり氣功師だったり…
いろいろやってます。

臼井レイキマスター

カルナレイキマスター

セイキムレイキマスター

全米催眠療法協会認定ヒプノセラピスト

パストライフセラピスト



★☆ご訪問者にひとこと☆★

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「袖ふり合うも他生の縁」

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初めての方もそうでない方も、今後ともよろしくお願いします。

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