素晴らしい日々〜Splendid days

感動したこと…疑問に思うこと… 何気ない日常を過ごすのも、感謝に満ちた日々を過ごすのも自分次第…

負けてもよくない?

成るように成る。

目標はたてた。たてた以上努力して実現を目指す。
しかし叶わなかった…としても、それはそれで意味があり、実現しなかったことを残念に思うのは健全な反応なのだと思う。

現実は目の前にある。
いつだってどんな現実だって、なるべくしての結果そうなった。

あとは自分がそれをどのように捉え、受け容れるのか?
それにかかっている。
それで自分にとっての経験を何とするかが決まる。

諦めの境地。
人により時によりいろいろな意見はあるだろうが、この世の中を少しでも楽に生きるためにはこの境地が必要だ。
たとえ、世捨て人と呼ばれようが、当人が満足しているのであればそれはそれでありなのだと思う。

「諦めたら負けだぞ!」こんな言葉が頭をよぎる。一般論として負けというのは良くないことなのかもしれない。
でもその負けを「負け」以外の捉え方をするのもありなのでは?

望みは高く… このような言葉には健全さや勢いがある。
元気のないときや、少し疲れたときには、この考えから少し離れてみるのも良いのかもしれない。

最近そんなことをふと思う。

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ねばならぬ思考

こうしなくてはいけない。
ああしなくてはいけない。

僕らは考え方の傾向として義務を課していることがたくさんある。
その対象は自分自身に対しても、それだけじゃなく、他人に対してもだ。

なさねばならぬこと。

本当にそれをしなくてはならないのだろうか?
長年当たり前のように持ち続けてきた信念だけに、疑問にも思わないのかもしれない。

例えば…
人に何かをしてもらったら必ず感謝すべき。

こんな信念を持っていれば、他者から何かをしてもらったにもかかわらず、それが嬉しくなかったとき、感謝に値しない気分だった時、この信念があるが故に、自分の体裁を飾るために「ありがとう」と言う言葉を出したとする。これは偽善。
嘘つきの自分に不快になる。

自分が誰かに何かをしてあげた。でも相手はしてもらって当然と言うような顔をしている。ありがとうと言う言葉すら口にしない。
なんで?私がせっかくしてあげたのに、この人はありがとうすら言わないのだろう?
非常識な嫌な奴だ。この態度は自分のことを馬鹿にしてるんじゃないのか?
プライドが傷つく。
最悪だ。

自分の考え方の傾向は、普段はなかなか意識して見られないものだ。

ねばならぬという思考を持っているがゆえに、自ら苦しみを作り出したりしている。

苦しみを作り出すことのできる?自分は、考え方を意図的にコントロールすることができれば苦しみを回避することも可能であるはず。

ねばならぬは自己呪縛。

この人生を有意義に過ごすのも、また違った形で過ごすのも自分の考え方次第ということになる。

スピリチュアル的視点と言おうが、心理学的視点と言おうが、言い方はともかく、この世界に生まれ出で、経験を重ねながら死んでいく。その人生の中身を作り出していくのは結局自分なのだ。

究極の自己責任。
誰のせいでもないんだよ。作っているのは自分なのだから。

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自己分析

いい人と思われたい。
私は浅はかだな。
体裁を飾る。本心を隠して。
自分の知っている本当の自分以上に見せたがる。

良い悪いは他人が判断して下す評価。

人は他人に対してさほど興味を持っていない。
だから表面的な部分でなんとなく評価してしまいがちだ。

他人の、真剣でない評価。
そうした評価を下されて喜んでいる。

そこに何の意味がある?

真実はどっちだ?

言わずもがなだろう?

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心を司る

社会が私を苦しめる。
あいつの存在が私を不幸にした。
あの言葉が私を傷つけた。

本当にそうなのかな?

苦しんでいるのは自分
不幸にしているのは自分
傷ついたのは自分

自分が決めてそうなった。

自分の心を司っているのは誰だろう?
気づいていようがいまいが己の心をハンドリングしているのは自分に他ならない。

この認識こそが責任というものだよね。

そういう生き方を志して行きたい。

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真面目な人

僕は、自殺などする人は、人生の辛さからただ逃れたいとても弱い人なのだと思っていた。

問題に終始真面目に取り組んできて、自力で解決しようと最後まで闘い続けた結果、力尽き自死を選んだ。
こうして自殺してしまった人は最後まで真面目に真剣に取り組んだ、決して弱い人ではなかったのだ。

でも、選択肢としては間違っていたのかも。

目を背けて逃げ出すチャンスはこれまでにもあったはずなのに…
それでも逃げてこなかったのは、真面目で責任感がある故の行動だということだよね。

でもね。
酒におぼれて現実逃避したってよかったじゃないか。
地獄のような学校生活なら、登校拒否すればよかったじゃないか。
ブラック企業の正社員なんてなっていたって命をすり減らすだけ。会社は捨て駒としかおもっていないんだよ。だからやめちゃってよかったんだ。
そしたらいま生きていられたのに。

真摯に取り組み、自力で解決しようとした、真面目な人。
持つべきだったのは逃げる勇気だったのかな。


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恐れの中で

人は恐れを抱いている時、同時に愛を拒絶している。

愛の対極にあるものが恐れ。

恐れを多く持てば持つほど、愛から隔離されていく。
これは負のスパイラル。

恐れは、自分にも他人にも義務を課す。
私はこうであらねばならない。
あの人はこうでなくてはいけない。
その期待が叶えられなければどうしようかとまた恐れる。必ず見返りを求める。
不安や怒り、妬み。これら全て恐れることが原因。

恐れの中にいる時、僕らはどうすべきなのだろうか?

理屈で考えられない感情状態ではあるのかもしれないが、恐れを手放す努力が必要なのかもしれない。

愛を意識する。
いま、自分にも他人にも見返りを求めないでできる事はなんだろうか?

そして今恐れているこの現実。
これは私に何を気づかせようとしているのか?
魂のレッスンだとしたら…

恐れの中にどっぷりつかってる状態からの意識の転換。

とにかく恐れの意識から離れて、自分を自分自身でハンドリングする力を取り戻すのだ。

今の自分に私自身が送るアドバイスとして考えてみた。

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今日という日

今ある日常って当たり前のことなんでしょうかね?
改めて考えてみなければ、見過ごしてしまう。

でも普段は、この日常が当たり前のものだと思っている。
むしろそんなに意識すらしていない。

今までの日々の積み重ねがあって今の日常がある。集積された結果としての今。
さらにその日常というのは様々な人の助けがあって今があり、と同時に私の今までの行いの結果としても現れている。

反省することばかりの毎日を送ってきたのに。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

家族はありがたいな。





肉親との関わり方

『しくじり先生、俺みたいになるな』この番組はすごくいい番組だと思う。
ある意味のカミングアウトだけど、自分が犯した失敗を例に挙げて他者への教訓とする。
本当に勇気の要ることだと思うよ。

故松方弘樹さんの息子さんである仁科克基さんがこの番組に出ている。
聞いていて、本当に辛くなるな…
まったく僕の想いと一緒だからだ。
肉親には謝れる内に謝ろう。
肉親には感謝できるときにありがとうと言おう。

やっぱりね…
肉親っていうのは特別なものなんだよなぁ。
僕がさんざん嫌っていた父。
それでもなぁ、、、闘病していたときには、心から回復を願っていたし、元気になることを信じて疑わなかった。
元気になったら、今までの不義理を取り戻したいと切に願っていた。
でも、それはかなわなかった。

できるときにしなくてはいけないこと。
肉親に対する感謝と謝罪だ。
父に対し素直になれず謝れなかったこと、感謝の言葉を一つも伝えられなかったこと、僕は未だに後悔している。

肉親ね…
間柄が近いだけに、良しにつけ悪しきにつけ心に刻まれる溝は深いのだろうけど。
やっぱり特別なものなんだよ。
プライドや体裁など諸々あるのだろうけど、後々後悔したくないならば、敢えて、そう敢えて、思いの丈を素直に伝えてみた方がいい。

それでも、そうは言ってもね…って言いたくなるよね。
わかるんだ。それも。
でも、本当に「敢えて」なんだ。
悪いことは言わないよ。「でも…」「しかし…」は脇に置いていて、素直になった方がいい。

肉親との関わり。これは自分が想うよりも時間的に短いものだよ。
有意義に過ごしたいよね。
肉親は特別。

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知らぬが仏

真実を知ること。
これは大切なことなのであろう。

でも翻って、間違ったことを信じ続けるのは完全にだめなこと?
そうは言えないような気もする。

何故かって…

人は、真実を知ってしまったがために、平穏な日常が一変し、苦悩の日々を歩むことだってある。
何なら、知らないままでいた方が良かった…
と思うこと。
こういう経験はないだろうか。

例えばパートナーの不倫や浮気。
調べようと思えば携帯の履歴を調べるなり、興信所を使うなり、方法はいくらだってある。
そう、真実を究明するために。
信じていた相手。シロであって欲しいと思っているのだろうが、その結果がクロだとしたら、その心につく傷は尋常ではない。

信じているなら信じ通す。
信じ通すということは、疑いもかけない。
疑いもかけないということは、そもそも真実を究明するとかそういうことではない。
その人にとっては今の状態が真実なのだから。

知らぬが仏。
事と場合にも依るが、知らない方が心穏やかでいられるなら、そのままでいるという選択肢もあっていいと思う。

真実をあえて究明しようとしない姿勢もありなのではないかと思うのだ。


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ウワノソラ

心ここに在らず。
これを上の空っていうんだよね。

気懸りなことがあればついついそこに意識を向けてしまう。
そうしていたって、けしていい気分になるわけでもないのに…
また、その逆もあり。今起きている現実が受け入れられず、現実逃避するため、あえて意識をどこかに飛ばす。

今この一瞬はどう頑張っても、今しか体験できない現実なわけで、上の空でいるときは、言わば今を生きていない。

そんな時には、善し悪しはあえてジャッジしないで、意識的に自分を愛でてみるといいかも。

どんな匂いがするだろうか?
頬に感じる空気の温度、風の流れは?
今着ている服の重さ、その感じ。

ただただ自分自身を感じてみる。
意識を全部自分に向ける。

途端に生きている感覚で満たされる。
ここではじめて「私」として、自分をハンドリングできる状態になる。

時間も空間もリアルに感じている。
私は今ここにいる。


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セラピストの“ひでぴん”です。

過去世療法や退行催眠、行動習性など、催眠と潜在意識の世界を歩いています。

ほか、ヒーラだったり氣功師だったり…
いろいろやってます。

臼井レイキマスター

カルナレイキマスター

セイキムレイキマスター

全米催眠療法協会認定ヒプノセラピスト

パストライフセラピスト



★☆ご訪問者にひとこと☆★

このブログに訪問していただきありがとうございます。

「袖ふり合うも他生の縁」

この出会いも何かのご縁あってのことでしょう。

初めての方もそうでない方も、今後ともよろしくお願いします。

【ホームページ】

ワンネス・ヒーリング&セラピー研究所



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