素晴らしい日々〜Splendid days

感動したこと…疑問に思うこと… 何気ない日常を過ごすのも、感謝に満ちた日々を過ごすのも自分次第…

茹で蛙

「戦争」ってどこか縁遠いように思えたけど、油断しているその隙に突如として戦争前夜のような状況になることもあるのだろう。

ここのところ毎日、北朝鮮に対してアメリカ軍の攻撃があるのではないかとそういう話がニュースを賑わしている。

北朝鮮が核実験をする。
失敗したようだ。
また核実験だ。
もう何回目の核実験だ?
ミサイル発射。
またミサイル発射?
今度は複数発のミサイル発射。
僕らは、脅威が増大化して身の危険を感じるまで知らず知らずに見過ごしてきたのだ。こうして自ずと勝手に脅威が着々と増していくのに慣れてしまったのだ。

茹で蛙と一緒だよね。

いじめは気持ちいい?

いじめは良くないことだよ。ってCMなんかもやってりしているけど。
いつの時代だって、無くそうとしているのだろうにいじめは存在する。

いじめ問題って、永遠になくならないんじゃないのかな…

いじめについていろいろ考える。

人はなんだかんだ勧善懲悪、好きだよね。
悪者をやっつけてやる。そうすると胸がすいて、なんか気分が良くなる。
でしょ?

でもさ…

悪ってなんだろうか?悪者の定義は?
基準は?尺度は?

そういったら完全に人によりけりの話なのだ。

まずはね、悪と定義づける尺度で、一番に言えることが「自分と違う」ということだ。
それは、行動だったり、考え方だったり、文化だったり、経済状態だったり、容姿だったり…と。


周りに合わせることがよし。協調こそが正しいこと。このような考えが正しいと思う人はこんな見方をして悪に仕立て上げる。
自分の興味あること脇目も振らずに自由な行動をする。→空気を読まない自分勝手なやつ。

平等が大事。みなが等しく利益を享受すべき。
いつだってビジネスは先見の明、目聡いものが勝つ。早いもの勝ちさ。→いつも金のニオイを嗅ぎまくる小狡く強欲なやつ。

太っているのは自己管理ができていない証拠。一時こんな風潮がありましたよね。
ただ太っているというだけで、自己管理ができない、努力しない、堕落した人間だとレッテルを貼られたりもする。

自分の信念に適わない対象って、無意識レベルで目障りだったり、それゆえに嫌悪感を覚えたり。

「悪」とひとくくりにしてしまうのはどうかとも思うが、これらを言うところのものを「悪」だとすれば、その悪を排除する。懲悪しようとする心の動きが出てきても不思議ではない。
人は無意識のうちに自分の信念(潜在意識レベルのものも含み)に親しんで「善し」としている。

ここで勧善懲悪。

悪を懲らしめることが、自分の信念の正しさを認めるものであり、同時に信念の価値を再確認しようとする働きなのかもしれない。
その働きがうまくいったときに、人は胸のすく思いや快感を得るのだろう。

いじめの根幹って自分とは異種の対象を無くして、自分の信念や立場を維持しようとする無意識の働きにあるのではないだろうか。

(ここはお許しを。デブという言葉をあえて使わせてもらいます。)
デブは悪だ。と思うデブな人は、同じたぐいのデブをいじめる。自分もデブなのに…
オマエを見ているとつい自分の容姿を意識してしまい、自分自身に嫌悪感を覚える。
その嫌悪感の投影で目の前のデブを攻撃。ってこんなスタイルのいじめもある。

これは僕が子供の頃にあった実際の出来事だ。
金持ちの家に生まれ何不自由なく育ち(勝手な思い込みも含め)、いつだってほしいものをいち早く手にしていた彼。ラジコンカーとか、当時はみんな欲しがったが高価で手に入れることのできないあこがれの数々をいつも一番に手に入れて、みんなに披露していた。
いつも彼の周りは軽い人だかり状態だったような気がする。
今の時代で思い当たるのが、ドラえもんに出てくるスネ夫のような感じかも。
わまりのやつらは「見せびらかしてた」というかもしれない。羨ましかったんだろうな。

あるとき、彼の一言がきっかけで一転いじめられる対象になった。

その一言とは「うちは上流だから…」という言葉だった。

なんかね…
小学生からその言葉がすっと出てきたわけじゃないんだと思うんだ。おそらく彼の家庭ではそんな意識でいて普段から言葉に出ていて彼はなにげなくその言葉を聞かされていたのだろう。
さて、そんなこんなで、その言葉を直接聞いていない友達にも口づてで広がり、調子に乗っているだの、自慢しかできないのか!とか、ただモノで人をつってんじゃねぇか!とか。
今までが一転、真逆の評判になってしまった。一時はいわゆるハブ。仲間はずれとか意図的な無視なんかも行われていたみたいだ。

思うに…
勝手な推測だけど、なぜ彼が一気に悪者として扱われたのか。
小学生ながらプライドを傷つけられたと感じたのかな…
上流とくれば、下流なり中流があろう。比して見下された感とか、それも小学生じゃ家庭の経済状況をどうにもできるわけじゃなく、自分の親が見下されたとも思ったのかもしれない。
学校ではみんな平等にとか公平にとか言われながら、世の中は実際には平等でも公平でもない。貧富の差は子供の目にだってはっきりとわかる。
彼のことをうらやむ声はよく聞いた。そんななか無意識でなんとなく感じていた、実のところ見たくはなかった自分の劣等感を露呈させられて怒りに火がついたのかもしれない。
そういう人の前では、彼はもはや悪人なのだ。
いままで思い通りにしてきた悪人が、みんなに批判され窮地に追い込まれている。みんなが離れていく。そんな彼を見て心のなかでざまぁみろと思った人はけっこういたかもしれない。
このざまぁみろはある種の快感ではなかろうか…

これはいじめなのだけど、いじめと気づかずに荷担していた人もいたのかもしれない。

僕はこのとき、噂レベルで見聞きした程度で、このいじめ問題にそれほど関わっていなかったので、どのように」解決されたかは定かではないが、幸い後を引くようないじめではなかったと記憶している。
もちろん彼の負った心の傷の深さについて推測はできない。

いじめる理由なんて、いじめる側はどんなふうにでも決めつけることができる。
もちろんどんな理由であれいじめを行っていい正当な理由など無い。

今回のタイトルは「いじめは気持ちいい?」だけど、言葉尻を捉えて誤解はしないでほしいな。

理由付けをするに当たり、心の深層にある信念を揺るがしかねない、その己の信念に違う状況を排除したいという意識が作用しているように思える。


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肩書き

卒業、入学、入社、異動…
春はいろいろ動きのある季節ですね。

自分自身に変化はなくても、周りが変われば自ずとその変化の影響を受けたりする。
なんだかんだ、みんなが変化の渦のただ中に放り込まれる春。

さて、年度変わりで役職付きになるような人もいるだろう。
ここでね、役職付いた途端に急にエラくなっちゃう人、喜びに沸く人、その役職の重責に身を引き締める人…
反応は人によりけり。
こんなところでも人間性が現れる。

急にエラくなる人、よくいるんだよね。
あれはなんともいただけない。
もちろんエラくなるといっても偉人になるわけじゃなく、態度が横柄になるやつ。昨日と今日で中身にほぼ差はないのに…
考えてみれば、憐れな人なのかもしれない。
この手の人はアイデンティティに重きを置くタイプの人で「◯◯たる私」が存在価値の基準だ。
いつもなんらかのアイデンティティを着ていないと自らの存在価値を見出せない。その着るアイデンティティ、中には他人からつけられたレッテルもあろう。役職なんかはその例だが…
自分もそのレッテルが気に入り、満足で調子のいい時はいいさ。
そんなものばかりにしか意義を見出すことができないヤツは自滅への転落も速い。
自らの存在意義は最終的には自分の行いや人間性により決まるもの。

昔、電車内での乗客同士のトラブルの場面に居合わせたことがある。
しきりに偉ぶって文句を言っていた男。
私は一部上場会社の部長だとか言っていたっけ。他の乗客の失笑をかっていた。
僕も失笑するしかなく、馬鹿じゃねえこいつ?と思ったことを思い出した。
一般社会ではどんなに大きな会社の部長かどうかなんて関係ないのだよ。
逆にこんな人間を部長にしている一部上場会社はその価値を貶めるだろうに。

優しく、寛大で、親切で、人の気持ちに寄り添える人

愛ある人はいつだって、どこにいても必要とされる人。
その存在価値は高い。
私は◯◯な人間です、なんて言う必要なんかない。

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苦しいときの神頼み

苦しいときの神頼み。

「お願いします、神様!」
救いの主の出現を期待するのだが。


お願いするときにだけ都合良く神様を思い出す。

普段は神に感謝なんてしないのにね。

人は現金なものだよね。

お願いして、そこでまた、神様に期待しちゃうわけだ。
「あーなりますように…」
「おうなりますように…」

ちょっとの期待もやめた方がいいね。

結局のところ…
神に祈ったら、運を天に任せるしかないんのだ。
すべては因果応報。
自分の日頃の行いが“今”を体験する原因になっているのだから。

いうならば「あきらめ」かな。

期待する分、叶わなかったときに落胆する。
最後は腹をくくって何でも受け容れてしまった者勝ちなんだ。

そういう仕組みなんだよ。この世の中は。

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フランシスコ・ザビエル疲弊して帰国した説

僕らが子供の頃に社会科で必ず習うであろう、キリスト教の伝来。
そこでまた必ず出てくる人物が、イエズス会のフランシスコ・ザビエル。
キリスト教が伝えられたことまでは習うのだけど、日本での活動がどのようなものだったかについてはほとんど知らされていない。
そのザビエルが日本に来てからたった2年間で精根尽きてして帰国したという話を聞いたことがある。
“フランシスコ・ザビエル疲弊して帰国した説”

なんで疲弊?って思ったんだけど、そこは日本人が他の国々とは違い、とらえ方が尋常じゃなかったということなのだ。
キリスト教においては洗礼を受けてない人は皆地獄。
こうやって布教していったのでしょう。これはいわゆる恐怖支配を仕掛けてきたわけで、人は恐怖の前には簡単にひれ伏す。
相手の言うことをよく吟味もしないでそのまま信じるのもまた愚かなこと。
言っては悪いが、愚民こそ簡単に恐怖の前にひれ伏させることが容易だ。

相手の言うことを良く聴いて、矛盾を突いて逆に質問してきた当時の日本人に手を焼いた姿が想像できてニヤッとしてしまう。

洗礼を受けずに死んだ自分のご先祖様は地獄にいるのか?
なぜ全知全能の神が自分のご先祖くらい救うことが出来ないのか?
なんて無慈悲な神様だ。

ほんとにその通りだよね。

 話しは変わるが、以前近所に住んでいた某カルト宗教の熱心な信奉者が勝手に会報誌を入れていったり、我が家を訪ねてきて、厄除けの御札が貼ってあればすぐに剥がせだの、神棚祀っているのを難癖つけてきたり。
そしてこう言って入信を迫った。
なんだか上人に帰依しないと大地震がおき、それに巻き込まれ死んで、なおかつ地獄行きになるんですよ!と諭され?いや脅されたことがあったな。
笑って一蹴してやったけど… それでも諦めずに何度か来たっけ。
最終的には「僕は絶対に入信しないし、あなたの言う地獄に落ちてもいいですよ。今後は迷惑だから一切そういうのやめて!」といって追い返した。
本人が崇高な教えだと思ってなにを信じるのも個人の自由だからね、それはそれでいいのだけど、人の迷惑になったり、押しつけ、脅しはよくないね。
本当に人を幸せにしたい、苦悩から救いたいという意図のある宗教なら、信者にノルマを課したりするのは違うよね。そして自分たちの教えを否定したり拒否したりする自由も認めるのがあるべき姿だと僕は思う。


Youtube動画 sead TVさんの【すごい日本人】布教先の日本人に論破されすぎてフランシスコ・ザビエルも泣きを入れた!「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」 より
《以下引用》
日本の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。
それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。
そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今、どこでどうしているのか」ということだった。
 つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・
当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。
元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答えました。
すると日本人が追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」
 ザビエルは困ってしまいまして、本国への手紙に次のように書きました。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」と。
《引用ここまで》

下記の動画、ちょっと面白いので興味があれば見てみてください。(c^-')b"

欧米日本の顔文字の違い

日本人にはおなじみの顔文字だが、欧米人にとっては日本式の顔文字は画期的なのだという。
以下はその比較。

日本の顔文字
(^_^) (T_T) (>_<) (-_-;) o(`ω´ )o

欧米の顔文字
: ) :-) XD B-) =) :( :-( :-D

日本式は正面、欧米式は横倒しの状態、っていうのもあるのだが、大きな違いは、日本式の顔文字が喜怒哀楽の表情を形作るのが「目」なのに対して、欧米式の顔文字は「口」で表情を形作るというところなのだそうだ。

目は口ほどに物を言う、とは日本ではよく言われることわざだけど、海外では違うのかなぁ?と思ったりして。
ちょっと調べてみたら、この「目は口ほどに物を言う」のことわざの英語表現はこうらしい。

“The eyes are the windows to the soul.“
目は魂への窓です。

おぉ!この表現のほうが深いし、言い得ているんじゃない?
面白いな。

ということで、顔文字の違いで、日本と欧米の差はないのかもしれない。
まぁ、人種の違いはあれど、同じ人間だものね。

ただ、あえて違いに着目してみると、欧米では夫婦間で「愛している」と言わないと確認し合えなくてダメらしい。日本ではそんなことしょっちゅう言っている夫婦はかなり稀な感じさえする。(^_^!)
欧米では自分の思いをストレートに口に出して言うことが当たり前で、逆にニュアンスや空気を読んで相手の思いを感じ取るのが日本的なのかな。

もしかしたらそんなところが顔文字の表現方法な違いのかなぁ…
とも感じた。

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必要な人

人は、自分が必要とされていないと感じる時はとても辛いですね。

裏を返して言うと、人からの注意が向けられなくなる。
注意というのは存在させるエネルギーなのだ。
良かれ悪しかれ人は他人の注意をもらってこの世界に存在する。
存在感という意味でだが。

そこで人から注意をもらいたいと思う人もいるだろう。
わざとらしく目だって人の注意を得ようとする人もあり。
事件を起こして人の注意を得ようとする人もあり。
私は超能力者だとか、霊能力があるだとか…そういう類の方法もあるだろう。

これらの対処は長続きはしない。

原点に返ろう。

人の役に立とうという意図が、自己存在の意義を高めるのだ。

人は、自分が必要とされていないと感じるならば、意識して人の役に立とうと行動すすればいいのだ。
そうしているうちに「必要な人」となる。

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人として

とあることがあって、ちょっと嫌な気分になっている。

自分のミスで相手に迷惑を掛けてしまったとき、詫びなり、謝罪など、なんらかの行動を取るのが筋だと思うが、どうだろう?
また、そこにはどんな意を込めるかが大事ではないだろうか?

仕事の依頼側と請け側の関係だったとしよう。つまりがカネを支払う側と受けとる側だ。

いろいろ事情は個々で違うだろうが、立場的に優位に立っているからといって、ミスをして迷惑を掛けても、知らん顔しているのはアリなのか?
それは当たり前ではないはずだ。

もうこうなると人間性の問題とか、民度の話になってくる。
民度の低い人間に、モラル、とは言っても通常レベルのモラルなのだけど…、そのレベルすらを求めるのもナンセンスなのかもしれない。
だからそのことについてずっと腹を立てているのはバカくさいというものなのかもしれない。

でも、そこまでオトナの対応が出来ない僕なので、自分の腹をおさめるために、言っておこう。

あなたは、勘違いしていませんか?
発注側の組織に属する従業員なだけであって、あなたはそれ以前に一社会人なのです。また社会人たると同時に一個人、人であるわけです。
別にどんなことをしても許されるエライ人なワケじゃなんですよ…

人って誰もが始めからミスをしようと思ってミスしてはいないだろう。
そこはちゃんと理解している。
だから絶対に許さないなんて言うつもりもない。
こういって憤慨している僕だって自分のミスで迷惑を掛けてしまうことはありうる。


なにを言いたいのかというと、人の心を荒ませるのもおさめるのも意の込め方次第でしょ。

最終的には誠意です。

人として最低限の良心は常に持ちあわせてほしいものだ。


「人の振り見て我が振り直せ」という言葉もある。
自戒を込めて。


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核無き世界?

核無き世界が実現しない理由とは。

さっき聴いていたラジオで、その理由の一因に日本が影響している。と…

一瞬「ん?」と思ったのだけど。

反核団体などは、戦争の悲惨さ、核兵器使用の残忍さを声を大にして訴える。
確かにその声は、核兵器使用による悲惨さを伝え、こんなに怖いものは廃絶せねば、と一定の効果があるのかもしれない。

でも、その一方、どこかの独裁者は、そんなに恐ろしいものなら、自らが核兵器を持てば他国から攻撃される危険を回避できるし、相手との交渉の駆け引きのカードにすることができる。と考えるわけだ。

人類の存亡よりも自分の利益。

理想は性善説に立ちたいが…
性善説にばかり立って考えると、その裏をかく悪いやつに有利な状況をみすみす与えてしまうことにもなってしまいかねない。

この世界から「恐怖」のタネを取り除けば除くほど、その恐怖を利用して他をひれ伏せさせようとする輩もでてくることも一考せねばならない。

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カウントダウン

どんな人であれ死ぬ宿命をもっている。

人は生まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まっているとも言えるわけで、今この瞬間もカウントダウンタイマーは動いているのだ。
タイマーの設定時間は不明。
人により違ってくる。
残された時間はわからない。

この残された時間の中でいかに意義のある人生を送るのか、否か…

そう考えると、いかに「いま」という時が大事なのか。

カウントダウン中だという意識で生きるのと、また今度… まぁ明日でいいか…と、のんべんだらりと生きているのでは自ずと姿勢が変わってくるはずだ。

カウントダウン中だからこそ、日々家族と過ごす瞬間瞬間が実は尊い時間であると思えるわけだし、何か困難にぶち当たっているときでさえ、時間を意識すればこそなおざりにもしていられなくなる。

忙しい生き方をしたらいいというわけではないが、意識することで、今すべきこと、やりたいことに意義深くエネルギーを注ぐことができるのではないかと思うのだ。

人は観点を変えることで、体験する世界も変わってくる。


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セラピストの“ひでぴん”です。

過去世療法や退行催眠、行動習性など、催眠と潜在意識の世界を歩いています。

ほか、ヒーラだったり氣功師だったり…
いろいろやってます。

臼井レイキマスター

カルナレイキマスター

セイキムレイキマスター

全米催眠療法協会認定ヒプノセラピスト

パストライフセラピスト



★☆ご訪問者にひとこと☆★

このブログに訪問していただきありがとうございます。

「袖ふり合うも他生の縁」

この出会いも何かのご縁あってのことでしょう。

初めての方もそうでない方も、今後ともよろしくお願いします。

【ホームページ】

ワンネス・ヒーリング&セラピー研究所



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