2025年1月から、プログラミングなどの扱う情報科目を国語、英語などと並ぶ基礎科目として
採用する方針を安倍首相が表明したという。
  「情報科目」を基礎科目にというタイトルだけ見た時に、てっきり2020年度の制度改革から導入だと思っていたので、キターッと喜んだのだが、まだ6年先だった。現在小学6年生の子が大学受験する時に導入される。
 現在中2である愚息は2023年に大学受験なので、受験することはないようだが、延いては学校で教えてはくれないということであり、残念この上ない。
 高校では22年4月から学習指導要領が実施されるとのことで、愚息はこの時高校3年生だ。
授業をやってくれるのだろうか?高校1年生から授業が開始し、高2、高3の子は授業を受けられないのだろうか?

  2018年5月時点学年と大学受験年
  高校3年⇒2019年1月
  高校2年⇒2020年1月  
  高校1年⇒2021年1月     新大学入試制度導入
  中学3年⇒2022年1月
  中学2年⇒2023年1月  情報科目高校授業開始
  中学1年⇒2024年1月
  小学6年⇒2025年1月  情報科目大学試験導入
  小学5年⇒2026年1月   
  小学4年⇒2027年1月
  小学3年⇒2028年1月
  小学2年⇒2029年1月
  小学1年⇒2030年1月

 「GRIMM(グリム)」というアメリカNBC系列で放送され、日本でもネットTVなどで視聴できるグリム童話から題材を取ったサスペンスファンタジー・刑事ドラマがあるが、そこで登場するITや科学知識やサブカルなど万能なアジア人刑事が登場するが、そのドリュー・ウーというアジア系米国人のバックボーンは、インドでも韓国でも中国でもましてや日本でもなく、フィリピンなのだ。
 数年前にフィリピン大使館に電話をして確認したことだが、フィリピンでは情報処理の授業は必須になっている。
 英語を日常言語にしているのに発展途上であるフィリピンを英語不要論の根拠として挙げる評論家がいるが、そんな寝言を言っている間に理系アジア人のステレオタイプは日本人ではなく、フィリピン、インド、インドネシア、中国、韓国になっているのである。
 
 人間というのは一部の人を除いて怠惰だと思っているので、情報処理を必須科目にすることは必ず日本人の基礎情報能力の底上げになる。受験そのものを毛嫌いし、ゆとりを持ってだなんだと批判するお花畑人間は一定数いるが、音楽家だって、体操選手だって、野球選手だって、卓球選手だって幼年の時から詰め込みまくっている。ある日突然才能が降ってくることなどないのだ。
 
 僕らの子供時代には、88や98というNEC製品が何十万円(100万円近く)で売られていた。ペラペラのフロッピーディスクに今にすればちっぽけな情報を落とすのに、1時間もPCの前に座り、それでもダウンロードミスでやり直し、コツのいる時代だった。
 あの30~40年前に必須科目にすべきで、日本は何周世界から遅れているのだ。
 NECはとっくの昔にハード部門から撤退し、ソフト・通信部門まで大幅なリストラしている最中だ。世界ではこの分野では拡大しているというのに。
 
 小泉元総理は郵政改革などと自画自賛しているが、なぜあの絶対権力の時に教育行政に手をつけなかったのだ。(医療や情報など成長産業の育成が最大の国家ビジョンだろう?)
 
 これから情報分野で早熟の天才たちが続々と生まれることを期待する。

 一方、既存の理系分野である化学、生物、物理などの学術や業界の人間はもっと危機感をもって欲しい。(既得権益を守る側からすれば新規参入の優秀者は排除したいかもしれないが、情報分野に一方的に持って行かれる。)

 世界では科学オリンピックや数学オリンピックの代表の選抜資格に年齢制限などないのに、日本では小学生や中学生は面倒を見切れないからというどうでもいい理由で若くても世界レベルで戦いたいとする学生を排除している。

 教育熱心なアジアでは数十万人の中から選ばれる予選も日本では数千人だ。みんなに参加して欲しいといいながら、テレビやネットでの宣伝も一切せず、決勝進出や優勝しても大して名誉でもなく、オタク扱いではそりゃそうなる。
 もし数万人も受験されれば、会場確保や人員確保などで予算が大幅に超過してしまうから、現状維持ややや上向きぐらいが、都合がいいのだろう。
 安倍総理にはもっと教育行政に手を突っ込んで、現状維持で日本の将来像を描けない役人たちを一掃していただきたい。

 2004年 バングラディッシュに仕事で行った時、コーディネーターに空いてる時間どこ行きたいか聞かれたので、ダッカ大学の授業を見たいと言って連れて行ってもらった。
 情報系の講義だったが、5年型落ちのPCが並べられている一方で、ハードを組み立てる授業が行われていた。一番驚いたのはヒジャブやブルカなどを身に付けた女性の学生の比率が7割と非常に多かったことだ。
 90年代にイスラエルに行った時、ガザ地区の方々と話したことは、彼らは頭の良い子を育て上げるため、これはと見込んだ子に街中の人間が金を出し合って医者や弁護士などにするとのことだった。
 暴力によって世の中は変わらない。そして社会的に虐げられている人々は逆転を狙って猛烈に勉強する。教育の重要性、そんなことはみんな知っていた。