2019年03月

もうすぐ平成が幕を閉じる。
4月1日には新元号が発表される。

元号の歴史は、
645年の大化改新の大化がはじまり。
平成までで、その数は247を数える。

次の元号は何になるんだろう…

元号には、その国の歩む方向、国民への願い等が込められたりする。

世論調査では、「安」という文字が使われるという予想が1位だったみたい。

「安」。
安全、安定、安心、安らぎ。

平成には、津波や地震、それに伴う二次災害等で、
多くの命が失われたし、
そのあたりも含めて、「安」を願う想いが強いのかなって思う。

ただ、世界的にみると、
今の日本って、そういった自然災害を除けば、
ホント、世界中が憧れる「安」な国。

これ以上、「安」を求めるのは、
高望みしすぎなような気がする。

ということで、
MISAKIが次の時代に相応しい一字を
選ぶとすると、「仁」。

過去にも多く使われた字なんだけどね。

「仁」とは、
他人に対する親愛の情。優しさ。
万物一体という解釈もある。
儒教において、惻隠の心=同情心のはじめとも言われてて、人間にとって、最も普遍的で包括的、根源的な愛。

我が国の世相をみると、
身近なところでは、隣国やアジア諸国との軋轢や諸問題を抱えてたり。
また、世界的にみても、
AIや遺伝子組換医療等の躍進が予測される次世代。
地球環境って問題も抱えてる。

ということで、
改めて、人間として、ヒトとしての尊厳の根幹を見直す意味で、人間と自然、地球上の万物一体って意味で、「仁」が使われるかなって思った。

ちなみに、
そんなの関係なしで、MISAKIがつけていいなら、
「淫」!
ウソウソwww
「創」とか、「望」とか、「夢」とか使うだろうけどね〜www

やっぱ、未来創造だよ!

ってことで、
今日は新元号ネタでした〜

じゃあねー(^_−)−☆













イチローが引退した。

MISAKIは野球には特に興味や関心はないんだけど、野球選手イチローには、尊敬の念がやまない。

引退会見に発した言葉。
MISAKIが共感した言葉。

せっかくだから、
書き留めておくことにした。

●自分が夢中になれるもの、熱中できるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げる。
熱中できるものが見つからないと、壁が出てきてしまうと諦めてしまう。
色んなことにトライして、向く向かないでなくて、
自分の好きなものを見つけてほしい。

●一気に高みにいこうとすると、
今の自分の状態とギャップがありすぎて、
それは続けられない。
地道に進むしかない。
ある時は後退だけしかないかもしれないけど、
自分が決めたことを信じてやっていく。
間違ったことを続けてしまうこともあるけど、
そうやって遠回りすることでしか本当の自分には出会えない。

●どの世界でも、新しいことに挑戦するというのは大変な勇気だと思う。
成功すると思うからやってみたい、それができないと思うから行かない。という判断基準では後悔を生むだけ。
やりたいなら、やってみればいい。
できると思うから挑戦するのではなく、
やりたいと思えば挑戦すればいい。
(そうすれば、)
その時、どんな結果がでようとも後悔はない。

●辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことなんだけど、エネルギーのある元気な時に、そのことに立ち向かっていく。
それは人として、すごく重要なことなんではないかと感じています。

うーん!
まさに、全てMISAKIの想いにビンゴだわ!

イチローは野球選手イチローを演じきった。
今日からは、もう鈴木一朗。

MISAKIも引退するまでは、
MISAKIを全うする!

いつも笑顔で明るく元気に。
夢に向かって真っ直ぐに‼️

じゃあねー(^_−)−☆






約束のネバーランドのエマ。
ワンピースのルフィ。
彼らを見てると、
ミスチルのhimawariの歌詞がオーバーラップする。

諦めること。
妥協すること。
誰かにあわせて生きること。
考えてる風でいて
実はそんなに
深く考えてやしないこと。
思いを飲み込む美学と
自分を言いくるめて
実際は面倒くさいことから
逃げるようにして
邪にただ生きている。

透き通るほど真っ直ぐに
明日へ漕ぎ出す君がいる。
眩しくて
綺麗で
苦しくなる。

やっぱ、
MISAKIは、
真っ直ぐに生きよう!って思う!

女装して、
もう一つの自分を手に入れたのに、
それなのに、
邪な生き方はしたくない。

諦めず、
妥協せず、
ただ真っ直ぐに。

じゃあねー(^_−)−☆








グローバル。
英語。
SNS.。
コミュニケーション…

より広くより多く。
それが正解なのだろうか…

いや、正解とは言わずとも、
それがよりよい方向性なのだろうか?

世の中は、
そうかもしれないけど、
MISAKIはそれに疑問を感じる。

たくさんと交じり合うことが
不自然にすら感じる。

集団生活や組織の一部ならまだしも、
個としての時間をそうしたくはない。

少なくとも個としての時間は、
自分がいいと思うものを
いいと言える時間にしたい。

それがたとえ自分以外誰も興味や関心を
示さなくても。

個とはそういうもの。

だからこそ、個が存在してれるんだって思う。

もしも、
一挙手一投足、何にでも歓声が湧いたり、
SNSでおはようの一言に、いいねが何万なんて
ついたら、人間不信に陥っちゃって自殺しちゃうわw

交わることって、流行ごとじゃない限り、
そうそうあることじゃない。

自分自身を流行ごとになんかしたくないし。

たった1人でも交わる人や
たった一つの交わることがあれば、
それがかけがえのない至福の喜び。

それで、いいんじゃない?って思う。

今、この時、
納得できる自分でいることの方が、
MISAKIにとっては大切。

実は、
それが一番難しいことなんだけどねー

まあ、いつか、
そういう自分になれるように、
今年1年も自分自身と闘いまーす!

じゃあねー(^_−)−☆









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