2019年07月

今、家の電化製品なり、車なりが、壊れた時、
自分で修理できる人って、どれくらいいるんだろう?

おそらく、おもちゃですら、
手に負えないんじゃないかな?って思う。

おもちゃのカバーを開いて現れるのは、
電子基盤と様々なマイクロチップだったり。

複雑すぎて、何が何?ってなっちゃうよね。
どういう仕組みで動いてるのかすらわからない。

つまり、どんどん技術が進歩していくに従い、
その機械を使う人は増え、
使うことが当たり前になっても、
その仕組みを理解しようとする人や、
理解できる人は
どんどん減っていくってこと。

これって、MISAKIはすっごく危険なことだと思う。

もっというと、
人や社会が、仕組みや根源を忘れていくってことだからね。

ヒトが生きるってことも同じ。

我々人間は地球上の最も高等生命体もしれないけど、その生命は、空気を吸い、水を飲み、地球が産む他の生物を食べ、資源やエネルギーを元に営み、存在しているんだよね〜

これが生きるってことの大前提!
つまり、地球上に生かされてる生物だってこと。

間違ってもイエスキリストや猿が大前提じゃないんだよ。

今、電気が止まると全てが止まるっていっても過言じゃない。
IT産業やAIっていったところで、
電気の源である、石炭、石油、天然ガス等の資源が無けりゃ存在しないんだよ。

ちなみに、今の電力の源は、
先に記した3つの資源が大半。
中でも、約4割強は天然ガスなんだよねー

さらに余談だけど、
アメリカはリーマンショック後に、
シェールガス革命と呼ばれる、
シェールガス油田の開発で世界第1の資源大国になったことで、不況から脱し、現在のIT大国になったといっても過言じゃないの。
だから、最近、中東に絡まなくなってるってのが実情。
反対に、日本なんて、エネルギー資源は、輸入に頼るしかないし、どんなに技術が優れようとも、根本的に弱い立場でしかないんだよねー。

って話は置いといて、
今日のMISAKIの結論!

この国への提言!
下らない祝日作るくらいなら、
地球感謝の日とか、資源の日とか、作りなさい‼️

そして、英語教育とか上っ面の教育をする前に、
生命の根源や地球への感謝を
教えなきゃダメだよ。

生きてることのありがたさを知る意味でも、
生きる目的を見出すためにも、
ホント、大切!って
強く思う今日のMISAKIちゃんでしたー(^^)

おーしまい

じゃあねー(^_−)−☆














昨日は、比例区の投票用紙に
山本太郎って書くためだけに10年ぶりに
選挙投票所に足を運んだ。

結果、自身は、2位にダブルスコアとなる、
約100万票という史上最多の得票を得ながら、
落選しちゃったけど、充分すぎる可能性を
感じた。

民意が、固定化した組織票に勝てる!って可能性。
巨大な勢力や権力に対しても、
充分戦えるって可能性を!ね。

そして、それは、
必ず近い将来に訪れるであろう、
反資本主義運動の大きな布石になったと思う。

反資本主義って、
正直、今のこの国ではあり得ない話。
資本主義の批判は、アメリカへの反旗であり、
独立の意を意味する。

この国の人々は、この国が
実質アメリカ合衆国日本州であることを
分かりながらも、それにより
苦労知らずでいれることに甘んじちゃってる。

アメリカは戦後の日本にとっては、
育ての親。

とっても偉大な親であり、
その恩恵は数えきれない程ある。

けど、今、アメリカを見た時、
この親の教えに従い続けていいのか?って
疑問を抱かざるを得ない。

極端な格差社会。
金持ちの代表が
金持ちだけが浮かばれる社会を作る。

それを子は静観し、
安全だからという理由だけで、
親の懐に収まって生涯を送ろうとする。

我が国のトップが、
偉大な政治家の2世や3世ばかりだから、
そうやって生涯を送ることに、
何の抵抗がないのかもしれないけど…

普通、子はある段階になれば、
親元から独立して、
独自の道を歩むものじゃないの?

親が大きすぎて、
独立して、干されるのが怖いから?

それって、まるで今話題の芸能界ネタみたいだよね!

いいじゃん。
干されたら、干されたで。
未来を考えたら、よっぽど、その方がいい。

自身が親になって、子を育てなきゃ、
有望な未来なんて来るわけない!

親はもっと苦労すればいいんだよ。
今は、親のフリしてるだけで、
親の権力ありきで
ぬるま湯に浸かってるおぼっちゃまだからね。

政治も企業も芸能界も、みんなそう!

この世に産まれた瞬間、全てが決まるって
社会に、何のエネルギーも産まれない!

第1政党の党首が、選挙結果のインタビューで
発した言葉。
安定した社会。

その言葉の意味が全てを物語ってるって思うのは、
MISAKIだけなのかなぁ〜

ってことで、
今宵はこのへんで。

じゃあねー(^_−)−☆

MISAKIは、山間部の高速道路をドライブすると、
いつも目にとまるモノがある。

それは山間部に建てられた鉄塔と鉄塔同士をつなぐ電線。

いつも、すごいなぁって思う。

1つの鉄塔の重量は、およそ70トンから90トン。
その資材は、ヘリで運ぶ。
その回数は、多い時には、往復500回に及ぶ。

そうして運ばれた資材を1台のクレーン以外、
全て手作業で組み上げていくんだよねー
地上70メートルとかの高所で、手作業で
ネジ締めとかするんだよ!

もう、これだけでも充分凄いんだけど、
さらに、鉄塔が組み上がった後には、
送電線を張り巡らせる作業がある。

これも、ヘリ以外は全て手作業。

通称ラインマンと呼ばれるプロ達が、
匠の技で、命綱1本で作業を進めていく。

ちなみに、このラインマンってプロは、
全国で、たった4000人ほどしかいないの。

この人達がいなけりゃ、
遠い発電所から、街に電気は運ばれてこない。

ホント、偉大な職業であり、
偉大な人達だって思う。

今、電気が止まると、全てが止まると言っても
過言じゃない。

そのライフラインを支えてる、
ラインマン達はもっともっと社会から
敬われるべき職業だし、
もっともっと高賃金であっていい。

現実は、そうじゃないから、
こんなブログ書いてるんだけど…

一流大学出て、電力会社に就職して、
デスクワークしてる人達は、
お役所業務してるだけで、高賃金。

現場で汗水垂らして働いてる人は、
たとえ代わりがいない技術を要していても
低賃金。

この差って、何なんだろう?

あー、またこんなことばかり、
考えてしまってる‼️
ヤバい!

ってことで、
このまま続けると、
山本太郎みたくなっちゃうので、
今宵はこのへんで^^;

じゃあねー(^_−)−☆










また体罰が、ニュースになってた。

正直、MISAKIにはその良し悪しについて、
何とも言えないんだよねー

っていうのも、育った時代が、
ある意味、体罰ってのは日常、普通にあって然りの
ものだったから。

口で言って分からないなら、
体で理解しなさい!って感じで、
教育の一部と見なされてたような時代。

まあ、スポーツ系の部活に入ると、
練習中は水分補給はご法度っていう、
今では考えられないであろう時代だったからね。

だから、今の人達よりは、体罰を受け入れたり、
受け止めたりしやすい精神になっちゃってるはず。

体罰を受けることが、かなりの精神ダメージを
伴うことはわかる。
だけど、その苦悩がハングリー精神を生んだり、
その後のモチベーションになったこともある。

だから、それが悪いとも言い切れないんだよね〜

ただ一つ、体罰を抜きにしても、
MISAKIにとって、痛い思いの経験は、
間違いなく、その後の人生にプラスになってる。

幼少の頃、夏になると、
カブトムシやクワガタを取りいって、
鉢に刺されたり、川下りをして溺れそうになったり、
焚き火をして火傷したり…

そういった痛い思いをした経験が
危険の度合いであったり、
危険からの防御方法や手段を学ばせてくれた。

いつも生傷が絶えない小学生。

大人になって社会に出てからも同じ。
決して順風満帆な社会人生活じゃない。
ある意味失敗の連続。

だけど、幼少時代の経験のおかげで、
失敗を恐れないし、失敗しても立ち上がる強さがある。だから、今まで常に前向きな自分でやってこられたのかなって思える。

そして、数々の失敗による痛い思いが、
人生を営んでいく上での鋭い嗅覚の育成に
繋がってると思うんだよねー

MISAKIのこの生き方は、
多分、死ぬまで一生変わらないと思う。

周りが何と言おうが、
自分の嗅覚を信じ、前に進む。

周りの心配どおり、
こけることもいっぱいあるだろうけど。

でも、こけても立ち上がれば、
それは失敗じゃないからね。

自分さえ、ゴールにたどり着くことを
諦めさえしなければ、
何度こけても、立ち上がって、
前に歩みさえすれば、
いつかゴールにたどり着くだろうから。

ってことで、
MISAKIはこれからも、
生傷絶えない身体で生きていきまーす(^-^)/

じゃあねー(^_−)−☆












今回250回目となるブログ記事。

何を書こうか迷ったけど、
以前にも書いたことのある、自由について、
視点を変え、改めて書こうと思う。

自由とは何か?

とある経済学者の発した言葉が、MISAKIに響く。
「自由とは、自らのイメージを作り出せる可能性。」

今の資本主義社会は、
人間の自由より、経済成長を優先する。
そして、人は、経済合理性のために自由を捨てる。

本来、自由社会とは、
人々が職業を選べ、自らの才能を活かす場があり、
お互いのことや政治についても自由に意見できる社会でなければならない。

だけど、現実はそうじゃない。
国家が謳う成長戦略に、企業も右にならえ。

そして、個人も、社会の生産性の歯車にならざるを
得ない環境下におかれ、自由を奪われる。

自由を捨てさせてまで、GDPを高めることに何の意味があるのだろう?

合理主義なんて限界がある。

機械だって、お金だって、
全てモノであり、道具にしか過ぎない。

人が介在し、使い手となり、
また、そこに価値を見出さないと機能しない。
それが、道具であり、お金だよ。

機械やお金、合理主義に理性は生まれない。
理性は、人と人との関わり合いの過程から生まれるもの。

しかも、機械に使われ、お金に侵された社会は
実体験のない世界を増殖させていくだけ。

映画を観て感動する。
家族や友人とお酒を呑みながら語らう。

これらの実体験には、
価格をつけることができない。

でも、それらが真の自由を感じる時、
そして、真の幸福を感じる時じゃないのかな?

お金は何のために増やしてるの?
増やしたお金は、社会に還元されてるの?

終わりなきマネーゲーム。
答えのないマネーゲーム。
実体験のないマネーゲーム。

国や企業の考えに、
個人が支配されない自由。

それが、自由のあるべき姿なんじゃないのかなって
思った今日のMISAKIでした〜

じゃあねー(^_−)−☆

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