なんでも分かりたいという、
分かるはずだ、分かりたいという欲望ですよね。
NHKの神の数式という番組で、
今は亡き、ノーベル物理学賞の南部陽一郎が、
究極理論を追い求める理由を問われた際に、
口にした言葉。
その次元は、比較にならないけど。
数万分の1くらい、いや、数億分の1かもしれないけど、MISAKIはすっごく共感した。
色んな欲望が薄らいでいく中、
知らない世界をもっと知りたい。分かりたいって欲望だけは一切薄らぐことがない。
MISAKIは、ホント無知の塊。
今までよくこんなにも無知で生きてこれたなぁってくらい、未知の世界だらけ。
小説を読んでても、
いっぱい知らないことが出てきて、
その度に、ネット検索して、調べる。
すると、解説文の中に、
また、分からない言葉が出てくる。
そして、またその言葉を検索して解説文を読む。
その繰り返し。
だから、1冊の小説を読む前と読んだ後では、
見える世界が劇的に広がっていくんだよねー
今日、本屋さんで、
ふと、養老孟司の「遺言」って本を手に取った。
数ページ、ペラペラっとめくってみたんだけど、
視点や着眼点が似てるかもって思って、読みたい衝動に駆られた。
でも、その本は買うのを辞めた。
なぜなら、結論は自分で見つけたいから。
分からないことを分かろうとする。
分かるはずだという欲望をもって、
人生を楽しみたい。
そして、いつか、自分なりの結論。
MISAKI的究極理論に辿りつけたらなぁ〜〜なんてね(o^^o)
まっ、やっぱ馬鹿は死ななきゃ治りませ〜〜んwww
じゃあね〜(^_−)−☆
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