2006年06月22日

キューバでサルサでラッタッタ

ヘミングウェイも好きだった、というモヒート片手に、
私、
腰をくねらし、ステップ踏み踏み、踊りまくって参りました!!
ツーっと汗が頬をつたい、隣にいた友達なんかお手拭でお顔を拭きだし・・・
「あ、あんた、メイクが・・・。」
幾分さっぱりとしたお目目のご登場(−▽ー;
バンドも素晴らしかったのでございます。
本場キューバのボーカルさんが、Sax吹き吹きステップ踏めば、
向こうでは打楽器、だというピアノも弾け、
パーカッションとベースがリズムを刻む。
みんな、自然に身体が五線譜の上を行ったり来たり。
これぞ、音楽の、生きる事の原点!
そんな暑〜い空気をたんまりと、
私、
吸って参りました。
色々難し〜い、お国の歴史、人々の生活背景を言い出したら、それはそれできりがないけど、
そんなロジックではなく、もっと純粋にメンタルな部分で感じたい。
踊りが上手い、上手くない、は関係なく、
自分の血の思うがままに、とにかく楽しんで。
それって、出来そうで、なかなか出来ない事だよね・・・


misakivv at 04:14|PermalinkComments(54)

2006年06月14日

風にも負けず・・・

朝、
ベランダで洗濯物を干していたら、見た事もない様なテントウムシがいた。
茶色い身体には白い六つのてんてんてん・・・
何て言う名前なのか調べ様かと思って、やめた。
調べるというその余りに現実的な行為は、なんだかそのコに似合わない気がして。
垂直にそびえているベランダのポールに、いつまでもいつまでも、そのテントウムシはしっかりしがみついていた。


misakivv at 15:52|PermalinkComments(10)

2006年06月12日

叶わぬライバル達

恋人は、同時に一番の親友なんだと、そう思う。
そう云う訳で、私は、大事な女友達をことごとくその彼達にとられてきた。
まぁ、「とられて」というのは冗談にせよ、私は彼等にはやっぱりカナワナイ、そう思ってしまう。
彼等は、私の知らない、彼女らの色々な面を知っているのだろうし、知ってもなお、それをも踏まえて共に生きているのだから。
彼等に嫉妬、というよりも、その二人の関係性がとても素敵過ぎて私には眩し過ぎる。
沢山の人間と付き合っていくにおいて、人によって、相手に求めるものの役割分担が成されているのかもしれない。自然に。
彼女達のその、どれかの役割を担えているのならいいのだけど・・・
恋愛と友情。
恋人に意識が向いてしまうのは仕方ない事なのかもしれない。恋とは、終わってしまう可能性もあるのだから。恋人を失う=一番の親友をも失う。という事なのだから。必死になって当然だと思う。
恋人の関係は終わっても、親友として、そのまま続けたいとは言っても、それはなかなか難しい。
私はいつでもここにいる。
そして、彼女達が私を必要とした時は飛んでいく。たとえ、何年も連絡を取り合っていなくても。
不思議だけどそう思える、そんな人達に出会えた私はとてもラッキーなんだろうな。
その時がくるまで、私は一人で何をしていよう・・・いつまでもぬいぐるみ相手に話しかけているのもどうかと思う、今日、この頃である。


misakivv at 13:56|PermalinkComments(4)

2006年06月10日

今日の

空が真っ白ですね。
まるで、空一面に雪が積もったみたい・・・
なーんて。
季節外れな事を思ってしまいました・・・


misakivv at 13:47|PermalinkComments(4)

2006年05月31日

ほんわかな・・・

その時のメンタルな状態によって、同じ映画を観ても感じる部分は人それぞれ違うだろう。かくゆう私も、一時大好きで何度も観た、映画を最近改めて観直したら、なんとも以前とは全く関係ない場面で胸をつかまれたりしたものである。
何が言いたかったかというと、だから、私がよかったと思っても必ずしも皆さんがいいと感じるわけではないし、なので、決して押し付けでもなんでもないのだがちょっとだけ、人に言いたい作品に出会ったのでここに記したい。
「戦場のアリア」
というのがそれなのだが、いや、なんとも素敵な作品デシタ。
戦場という究極の状況という前提の元に成り立っている、この、ほんわかした温かさは何だろう。
ここでハラハラドキドキして下さい。
とか、
ここで泣いて下さい。
とか、
観ている側に提示してこないのも又いい。
スクリーンの中、兵士達が笑い合っているのを観て、思わず涙がこぼれる。
人と人との思い合う心。
今、私は「人」に飢えているのだろうか・・・


misakivv at 23:45|PermalinkComments(3)

2006年05月29日

内臓。奴らの悲鳴

肝臓が悪くなると感情の起伏が激しくなるんですって!感情が豊かになるのとはちょっと違くて、様は、怒りと落ち込みのバロメーターが激しく振れる、と、いう事。
単純に体調が悪いからイライラするとか、そう言う事ではなく(まぁ、もちろいその影響もあるでしょうが)、整体的理論からそうらしいです。
先日、整体に行った時の話し。
仰向けになって、整体の先生に右肋骨の下に手をグッ。と差し込まれ直に肝臓をマッサージ。と、自分でも、肝臓が疲れてこっているのが解って(決して自分ではやらないで下さいねっ、汗っ!)。そして今度は、左肋骨の下にグッ。と。
「こっちはメンタルな部分の影響が出る」
そうで、
ストレスなどが溜まると、この部分がこる。のだそう。
そして、肝臓がこるとその影響でこっちのメンタル部分もこって。逆もしかり。
いやぁ、心と身体は繋がっているのだわねぇ。
因みに、
肺が悪くなると気分が落ち込みやすくなるらしい。です。
以上。
右の背中が痛くなったら、肝臓は元気か、自分の内蔵と対話してみて下さい(背中の左側は胃、だそう)。もしかしたら、気付かぬ内にハードワークさせてしまっているかも、、、。
*肝臓が疲れる主な原因
1、過度の飲酒
2、過度の過食
3、電磁波
4、過度のストレス
5、薬(サプリメント)
*対処法
・一日、水をいっぱい飲みながらお風呂に入って汗をかき、飲食を控えめにして内蔵を休ませる



misakivv at 16:17|PermalinkComments(5)

2006年05月28日

五感(触覚)

違う。
と、思う。
抱きしめられたその瞬間、抱きしめ返したその瞬間、そう思う。
私の知ってる身体は、、、
腕を回した時の背中の骨のゴツゴツ感とか、腕を回された時の力加減とか全体の肉の厚み骨格の大きさとか。
違う。私が欲している身体は、、、
心が冷たく、雨に濡れる。



misakivv at 18:33|PermalinkComments(2)

2006年05月27日

潔いシール

潔いシールは見ていてなんとも気持ちがいい。
落としても割れないプラスチックの水色のコップや鍋掴みが必需品のシルバーのミルクパン、「職人さんが一本一本手作業で」の素朴なお箸をつがいにとめているのにもそれは使われていて、家にそれらを買って帰ってきて、洗う前にその、(たいていそれは底や側面に貼られていて)シールを剥がす時、ペリッと跡形も無く、何の根性も無く、剥がれる潔いそれは、私に軽い感動まで与えてくれる。そして、ついては、(少々現実的だが)これらの製品にこの、潔いシールを貼るのだ、と決定した時に行われたであろう会議に出席していたであろう方々にも、「分かってらっしゃる」と、拍手を送りたくなってしまう。
反対に、妙に頑固で意地っ張りなシールもある。
剥がそうとしても途中でベリっと下の糊の付いている部分だけ白く残ってしまい、それを取る為に私は、新品のそれに爪をたてたり、水にふやかし擦ったり、最後には、鳴呼!なんとした事かっ!!ステンレスのタワシまで、その綺麗な汚れの知らない身体にかけなければいけなくなるのだ。
はぁぁぁ・・・と、溜め息をつきながら、タワシに引っ掻かれる新品のボディーの出すキィィィ〜ッ、という悲鳴に喉奥を掻きむしられながら、私は一人、シンクに向かうのだった。


misakivv at 13:04|PermalinkComments(2)

2006年05月25日

台所の重鎮

輪ゴムを一箱使い切った!なんと感動的な事よ!!
何年前からあったのか分からない位当たり前に、その輪ゴムの一箱はいつもそこにあった。キッチンの中では、かなりの古株であろう。
彼はいつもキチンとそこにいたし、私もいつもそこにいる、という安心感をもって、まるでお互いの存在が空気の様な熟年夫婦かの如く、当たり前に接してきた。左端に空いているまぁるい穴に指を入れ、それを取り出す。一本でいいのに、いつもずらずらとその後ろに仲間がたくさんついてくる。「僕らも使って」と言っているのか「僕らの仲間を返せ」と言いたいのか、もしくは何も考えてないのか、私にはとんと検討もつかないが、いつも彼らはついてくるのだった。
だから、徐々にその数が減っているとは全然と言っていい程気付かなかったし、いざ最後になって、干からびた数本がそれでも頑張ってついてくるのを、彼らの一生の刹那を見た気がして、胸をくしゃくしゃに丸められた気分になってしまったのだった。
鬼のとっくりの如く(昔話であった、ついでもついでも中のお酒がなくならない、鬼が御礼にと置いていったとっくり)使っても使ってもなくならないと思っていたのに。
ちょっと寂しい様な、
でもどこかやり切った感が身体を突き抜け、頭から、クールミントの爽やかな風がシュワワワワ、と噴き出した。



misakivv at 12:48|PermalinkComments(1)

2006年05月24日

私が死んだ日

自分が死んでしまう夢を見た。
私は、窓際のベッドに横たわり、、白い壁の病室だった。大部屋だったか、、多分、こじんまりとした個室だったと思う。風に黄色いカーテンが揺れていて、白い陽の光りが窓からベッドに降り注ぎ、「ピーッ」と、心臓停止を知らせる合図が鳴り響く。
私のその夢の世界では、心臓停止をした後も、2〜3時間は元気に何事もないかの様に出歩ける様で。そうして、その後、だんだん眠気に襲われる様に死んでいくらしい、どうやら。以前、誰かのそんな死に様を見た事があるのか、夢の中で私は、死に様に対してそんな認識を持っていた。
会わなければならない人がいる。
誰だったのかは思い出せない。
ただ、何かをその人に伝えたかった。伝えなければ、と、漠然に感じていた。
小学生の時よく遊んだ小川の流れる裏道を、私は歩くとも走るともつかないスピードで足を動かす。
今までの人生で出会った色々な人に会う。何故か、幼少期に関わった人々がほとんどだった。友達やら、担任の先生やら。
みんなに、私はもう心臓が止まっているのだ、という事実を隠さなければ。
と、思う。
皆は何も知らない様で、笑って話しかけてくる。
様々な人々の顔が私をとり囲む。
その顔達がぐるぐる回転し出して、私は目が回ってしまった。
なんだか、意識がぼぉーっとしてきた。
眠い・・・
いつの間にか、私は一人、小道に横になっている。姿勢正しく、仰向けに。
眠い・・・
目を閉じてしまおうか。そうしたら、楽になれる。あぁ、
これが、死かぁ。
ふと、左側に気配を感じる。
あの人だ。
ようやく会えた、ようやく。
何か言わなきゃ、何か。
あれ。何を言いたかったんだっけ?
もうすぐ死ぬ、という事を気付かれない様、私はいつもの様に笑っている。苦しくはない。ただ、少し眠いだけ。
何か、言わなきゃ。何か。
伝えたい事が、
あったのに・・・

目を開けると、白い天井がいつもの通りそこにあった。もったりと身体を起こす。空気の入り込んだ柔らかい髪に顔を縁取られる。
カーテンの向こうに広がる白い光りの世界を焦点の合わないまま、眺める。
何か、、伝えなきゃいけないのに・・・


misakivv at 15:34|PermalinkComments(1)