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社会の授業で大森貝塚を学んだことがある方は多いと思います。新橋(汐留)駅や品川駅、横浜(桜木町)駅に遅れること4年、1876年に客車用としての大森駅が開業し、その翌年にエドワード・モースが大森貝塚を発見しました。

その大森貝塚ですが、あの一帯に貝塚が出たのには幾つか理由があります。海のそばまで武蔵野台地がせせり出していたこと、海が豊富な漁場だったこと、温暖な気候だったこと、そしてそばに小川が流れていたことが挙げられます。

縄文人は取ってきた貝を小川で洗ったり、煮炊きしたりしていました。

ではその小川は何処にあったのでしょうか。

実は大田区と品川区の区界にあったのです。
今では暗渠になってしまっているので気づきづらいのですが、池上通り沿いにあるループ状のオブジェはかつてそこに小川が流れていたことを物語っています。古くからお住いの方は池上通りと交差するところに山王橋があったことをご存知の方もいらっしゃるかと思います。

昨今は異臭問題や害虫問題などで小川やどぶ川のほとんどは暗渠化されてしまいました。ですが、今の私たちのモラルと水質浄化技術があればきれいな小川を再現できるはずです。

水のせせらぎと新緑が区界なんて歴史面のみならず環境面でも素敵なことだと思います。

更には縄文時代の食事体験や土器や土偶、矢じり、釣針、勾玉製作教室、縄文時代ファッションショーなどできる施設があれば、品川区の大森貝塚遺跡庭園および品川歴史館との相乗効果で観光面においても期待できるのではないでしょうか。

私は高校時代の卒業論文で大森貝塚を取り上げていました。そんなことからも大森貝塚をもっと沢山の人に知ってもらいたいし、地域活性化に役立てたいと切に願っています。