2017年08月31日

更新履歴(平成二十九年度)

第一回更新 更新日:平成29131日(火)

 早いもので、このブログも七年目に入りました。今年はちょっとゆっくりさせてもらって、月末に一度の更新とさせていただきます。

 今月は以下の二つを追加しました。

①明治十九年・八頁 大判錦絵三枚続・梅堂国政画「鳴響茶利音曲馬」(出版人福田熊二郎)。

②「資料集成:明治の千日前」(3334頁)に「千日前の草分婆さん」(大阪朝日新聞・大正7610日~616日・6回)。

①は今年になって山田書店から購入したものです。国政が同じ表題で描いた三枚続(出版人林吉蔵)は多くのところで所蔵されていますが、別のバージョンがあるのを今まで知りませんでした。目録を見てびっくりして直ちに注文しました。刷も綺麗で、自分へのいいお年玉になりました。

②は千日前の開拓者初代奥田辨次郎の妻フミさんの談話です。このとき八十一歳。欲をいえば見世物のことをもう少し詳しく書いて置いて欲しかったのですが、それでも婆さんの写真もあり、奥田席があった場所もはっきりわかり、千日前の地価の変遷も具体的で、千日前資料としては一級品に属するでしょう。

第二回更新 更新日:平成29228日(火)

今月は資料紹介:「青木一座・欧州巡業の顛末」を追加しました。

かつて浅草で全盛をきわめた青木娘玉乗り一座も活動写真などにおされ明治四十年代は解散します。その内の何人かが活動の場を海外に求めて渡航します。その顛末が以下の二つの連載記事で報じられました。

①『報知新聞』・「戦乱の巷を逃れて四年の旅 青木とめ女の実話」(大正7321日~329日・8回連載)

②『大阪朝日新聞』・「恋に死んだ『日本娘』 伊太利で拳銃自殺を遂げた女曲芸師青木かめ子の哀話」(大正7717日~722日・6回連載)

かつて阿久根巌氏は『元祖・玉乗曲藝大一座』(ありな書房・平成六年)でこの記事を紹介し、「青木一座・欧州巡業の顛末」(第11章)としてまとめられました。物語的な要素が強く、資料価値という点ではやや希薄ですが、海外渡航した芸人たちの実情を知るひとつの手がかりにはなると思います。なお資料紹介の表題は敬意を表し、阿久根氏のものをお借りしました。

閑話休題。今年はゆっくりさせてもらうつもりでしたが、丸屋竹山人のブログ「上方落語史料集成」のお手伝いをしているうち、焼けぼっくいに何とやらで、すっかりのめり込んでしまいました。すこし黄ばんだノートなどを取り出してきて、まるで昔の恋人に逢ったような懐かしさにホッと吐息をついている始末です。宿題のまま残してあった上方落語の歴史を今度こそきちんと勉強し直そうかと、生駒山に向い、老眼鏡片手にちょっぴり意気込んでいます。

第三回更新 更新日:平成29331日(金)

今月は資料紹介:「西国三十三所 生人形評判」を追加しました。

これは明治十二年二月七日より大阪千日前で始まった松本喜三郎の生人形「西国順礼三十三所霊験記」の興行の時に作られたものです。現在国立国会図書館デジタルコレクションに入っており、自宅で閲覧可能です。だから殊更に紹介するには及ばないのですが、この時小屋の中で売られた絵本番付(久保田桃水筆)を架蔵しており、それを使ってちょっと遊んでみました。

この絵本番付は袋付なのですが、ネットで検索していたら岐阜市歴史博物館に架蔵のものとは違う袋の図がありました。ひょっとして中身も違うのかと思い、問い合わせたところ、当館のは袋だけで中身はないというお答でした。これにはびっくりしました。よく袋だけ保存されたものです。すべてはこうありたいものです。

この絵本番付は国政筆のもの(未見)もあります。奥付はないそうですが、おそらく東京浅草で興行したときに作られたものでしょう。大阪歴史博物館が所有しており、同館作成の図録「生人形と松本喜三郎」(平成16年)に一部がでています。それを見ていて妙なことに気が付きました。委細は本編をご覧ください。

第四回更新 更新日:平成29430日(日)

 年齢的に今から大正時代はとても無理で、ある程度の蓄積がある「落語」以外は手を出さないと自分の中で決めているのですが、絶対にもう買わないと誓いつつ古書店の前でつい足をとめてしまうのと同様に、「上方落語史料集成」のために新聞記事の確認をしていると、あぁこんな人の記事がある、こんな人の記事も出ているなとついつい目をとめて、結局はコピーをして持ち帰るはめになっています。

 今月はその中から松旭斎天勝の記事を紹介します。「松旭斎天勝興行年表(大正時代)」などと偉そうなタイトルを付けましたが、今回は大阪での興行を並べただけです。いっぺんにはとても無理ですので、毎月少しずつ足していくことにします。歯がゆいことですが、どうかご寛容ください。

 天一亡き後、日本の奇術界を背負って立ったのは紛れもなく天勝です。天勝といえば水芸だ、やれサロメだと、画一的にしか喧伝されませんが、それらはほんの一芸であることをお伝えできればと思っています。

 話はかわりますが、先日「山田書店」の目録(117号)が届きました。そこに「周延 上野公園風船之図」(大判錦絵縦三枚続)がありました。

 明治二十三年十一月二十四日にスペンサーが、同年十二月八日にボールドウィン兄弟が上野公園で軽気球のりをしましたが、それを題材に、上にボールドウィン兄弟、下にスペンサーを描くという贅沢な錦絵です。こんなものがあったのかと、見てびっくりです。宣伝の意味もこめて当ブログ「ボールドウィンの軽気球」四頁に掲載させていただきました。また周延はこの構図をそのまま用いて翌年一月の五代目菊五郎が演じた大切浄瑠璃「風船乗評判高閣」の錦絵を描いたのだということもこれを見て初めて知りました。とにかくすごいものです。その分お値段もすごいですが……。


第五回更新 更新日:平成29531日(日)

 明治442月に天一が隠退したあと、天二と天勝はしばらく同座しましたが、両雄並び立たずで、天二は51日より名古屋日出館にて、天勝は浅草帝国館でそれぞれ自分の一座の旗上げ興行を行いました。天勝のその後(明治時代)の動向は「見世物興行年表」にある通りです。今回はそこで切らないで、彼女の大正時代の活躍を書き残そうという試みです。先月は大阪公演だけ「大阪朝日」と「大阪毎日」で作成しましたが、今月はそれに「大阪時事新報」を追加しました。また「京都日出新聞」によって京都公演を作成、追加しました。遅々たる歩みですが、よろしくお付き合いください。


第六回更新 更新日:平成
29630日(金)

 「松旭斎天勝興行年表」に名古屋の興行を追加しました。といっても大正2年~5年だけです。

天右ではありませんが、ここで種明しをしますと、大阪も京都も名古屋も『近代歌舞伎年表』で天勝の公演年月を確かめたうえで、大阪は大阪毎日新聞と大阪朝日新聞と大阪時事新報を、京都は京都日出新聞を、名古屋は名古屋新聞を調査するという、かなり安直な方法でやっています。『近代歌舞伎年表』の名古屋篇はまだ大正5年までしか出ていないので、今回はこれだけというわけです。

 それでも大阪、京都、名古屋は年一回くらいしか来ないのでなんとか格好はつきますが、問題は東京です。公演回数が半端ではありません。『近代歌舞伎年表』もないし、どうしたものかと目下悪戦苦闘中です。さらに地方公演はいまのところほとんど絶望的です。アメリカ公演はもっと絶望的ですが。

 松旭斎天勝は単に奇術師というだけでなく、大正の大衆芸能界のシンボルともいうべき女性です。というか、そんな能書より、とにかく天勝は魅力的です。調べてみたいという誘惑にかられてやっているというのが本音です。


第七回更新 更新日:平成
29731日(月)

「松旭斎天勝興行年表」に大正元年から大正4年までの東京公演を追加しました。

「都新聞」(復刻版・柏書房)を基調に、読売新聞(読ダス)、東京朝日新聞(聞蔵Ⅱ)、東京日日新聞(毎索)を加えるという方法をとりました。広告で同じものが各紙に出た時は、状態の一番いいものを選んでアップしました。

五百円懸賞付きの魔法の樽を看板に各地を廻っていた天勝一座ですが、この樽を巡って胡散臭い出来事が何度か起こり、新聞にも大いに揶揄され、ついには訴訟沙汰にまでなる始末。一座の分裂もあり、人気もやや下降ぎみでした。

このとき起死回生の一打として放ったのが魔術応用の「サロメ」です。大正47月、東京有楽座で初演しました。この天勝の妖艶なサロメは大評判となり、日本中の話題をさらいました。どの新聞記者もこぞってとりあげ、大きな広告が紙面を飾りました。おかげでこの年表も大正4年をふたつに割ることになりましたが、それでもまだ足りないくらいです。

第八回更新 更新日:平成29831日(木)

「松旭斎天勝興行年表」の大正4年の欄に朝鮮物産共進会演芸場で行われた天勝一座の公演を追加しました。

大正4924日付「大阪朝日新聞」に「浪花座 松旭斎天勝は二十四日限り千秋楽。同一座は京都及び神戸の内一箇所にて興行し、直に朝鮮京城の共進会余興に乗り込む由」とあり、朝鮮物産共進会を調べると大正4911日から1031日まで京城で開催されていることが分りました。

この当時朝鮮で「京城日報」が発刊されており、芸能関係も結構あることは、「上方落語史料集成」に該紙の記事を多く掲載されている丸屋竹山人氏より聞いていたので、さっそく東京からマイクロを取り寄せ、国会図書館関西館で調べてきました。見てびっくりです。連日のごとくたくさん且つ大きく取り上げられていました。ノートもコピーもいっぱいで、お蔭で今月はその処理に追いまくられました。作業をしつつ、言い古されてはいますが、この年に出した魔術応用の「サロメ」が彼女を一段上に押し上げたことを改めて実感しました。




misemono at 13:50|PermalinkComments(0)更新履歴(平成29年度) 

2017年07月31日

松旭斎天勝興行年表 大正元年(1912年)

916日~1120日   東京浅草帝国館

1121日~1127日 横須賀歌舞伎座

121日~       横浜喜楽座


◇東京浅草帝国館
916日~1120日)

大正元年913日 都新聞

❍天一の追善興行 北海道巡業の天勝の一行は先頃帰途天一の死去せし福島県飯坂に立寄り、亡師紀念碑建立の為追善興行をなせしに、同地の同情も厚く好成績にて日ならず建碑の都合にて、一行は昨日帰京し、十六日より浅草の帝国館へ出演なすと。

大正元年914日より連日 都新聞

[広告]九月十六日より浅草公園帝国館/世界的大魔術松旭斎天勝一座出演/発見者に一百円懸賞大魔術、スペインの娘其他/余興活動大写真数番

大正元年918日 東京日日新聞

❍帝国館の天勝 浅草公園ルナパーク付属帝国館は西洋奇術天勝一座にて再演する事となり、十六日より開演せるが、余興には活動写真疾走機関車、火夫の冒険、長尺物其他数組あり。本芸奇術は一座車輪にて大入なりと。

大正元年919日 都新聞

❍帝国館の天勝 満韓地方を始め各地を巡業して一年振りで帰つた松旭斎天勝は、十六日から浅草公園の帝国館に出演して相変らず不思議な奇術で好評を博して居る。尚余興の活動写真も西洋物だけに却々(なかなか)面白い。

大正元年101日より連日 都新聞

[広告]十月一日全部取替/世界的大魔術松旭斎天勝嬢一座出演/欧米漫遊大奇術、日本娘其他/可驚探偵奇談・最大長尺前後二編続/ニックワンテー氏の復活、兇漢と探偵前古未曾有の大活劇其他/浅草公園帝国館(電下二〇二二)

大正元年1016日より連日 都新聞

[広告]十月十五日全部取替/世界的大魔術松旭斎天勝嬢一座出演/五百円懸賞魔法の樽、大魔術鳳凰閣其他/余興活動大写真西洋軍事劇、奈翁栄華の夢長続其他数種/浅草公園帝国館(電下二〇二二)

大正元年1028日 東京朝日新聞

❍茶気満の見物 浅草帝国館で天勝の樽抜けの秘術を見つけた者に五百円の懸賞をやると吹聴しているが、二三日前天勝の足を引摑んで、サア五百円くれと金切声を出した客がある。イヤ見つけた許りではいけぬ、此芸の出来るものでなけリア遣らないと混(ごっ)た返したので、到頭幕を引く。

大正元年111日 東京朝日新聞

❍天勝飛び出す 魔法の樽が飛んだ味噌樽に化けて、此頃些(ち)と極りの悪い天勝は、近日桑博まで滞在の覚悟で米国へ渡航するさうだ。

大正元年112日より連日 都新聞

[広告]十一月一日全部取替/世界的大魔術松旭斎天勝嬢一座出演/大魔術五大洲、斬新巧妙大小奇術其他/活動大写真 古今卓絶の名写真 女軍事探偵マチルダ上中下三巻 出場人員数千名砂漠中の一大活劇其他/浅草公園帝国館(電下二〇二二)

大正元年114日 都新聞

❍天勝の再洋行 天一の死後残党を率ひて浅草公園に籠もれる松旭斎天勝は年内二三の地方を巡業せる後、来春再び渡欧の途に就くと云ふ。

大正元年116日より連日 都新聞

[広告]大高評二十日迄日のべ/十五日演芸差替 松旭斎天勝嬢一座/頗る滑稽コミック式大魔術 レーモンド式の向上せる大魔術不思議トランク其他/活動大写真女軍事探偵マチルダ上中下三巻其他/浅草公園帝国館(電下二〇二二)

天勝 008天勝 007天勝 006天勝 005天勝 004













◇横須賀歌舞伎座
1121日~1127日)

大正元年1120日 都新聞

❍松旭斎天勝 二十日限り帝国館を打上げ、二十一日より七日間横須賀歌舞伎座へ乗込む。

◇横浜喜楽座121日~)

大正元年1129日 都新聞

❍横浜の喜楽座 十二月一日より松旭斎天勝一座の欧米漫遊のお名残り興行を開演。


大正元年
1214日 読売新聞

○天勝を訴へる 魔法樽の発見 大魔術法廷の場

 天勝が訴へられるといふ話だ。それも芝区白金猿町九多田弥太郎といふ世間に知られぬ男から広告利用観覧料詐欺として告訴されるので、理由を聞けば、天勝が九月頃浅草公園の帝国館で奇術を開演した時に、見物を呼ぶ方便から天勝の婿探しと自演の魔術「樽抜の術」を発見したものに賞金五百円を与へることを口上云ひに見物の前で披露させて大入り大当りを取つていたが、九月三十日に見物に行つた前記の多田が見事に魔術の種を発見して賞金を請求した處、天勝始め座員一同、同館の弁士、世話人までが兎や斯う云つて賞金を渡さず、有耶無耶に過さう気色で今日が日まで多田は五百円に待ち労(くたび)れ、到頭上田弁護士に依頼するに至つたのだといふ。

偖てもその後さる程に奇術師の天勝、種があつてこそ見物を釣ろや〳〵の釣狐、其漆黒の髪毛も洗ひ落せば白髪の婆、化生のものがなどと張りに行つて素顔を見てから怒るも野暮なら、種の無い手品を見せろといふも無粋、その種をありと知つてゝエヽ器用な奴、あの姿がよく若く見せるねえなど感ずる所が御贔屓の有り難さ、と天勝は田舎巡(まわ)りの折々に、五百円と結婚に釣られた東京の見物の馬鹿さを笑つてもいるさうなが、聞くならく、天勝の手品は旦那だつた天一が残したものを七つとか九つとかより知らず、お目新らしい珍芸は無いが、意見の総仕舞、今更ら法廷の場などいふ新題の大魔術をかねが惜しさに勤めやうとはその身の語り、かねに恨みは数々御座るは手品ぢやありますまいと馬鹿にされた見物は云つています。



misemono at 10:59|PermalinkComments(0)松旭斎天勝興行年表(大正時代) 

松旭斎天勝興行年表 大正2年(1913年)

110日~16日   名古屋末広町末広座   

25日~211日   京都新京極京都座

213日~219日 大阪道頓堀中座

38日~318日   大阪松島八千代座


◇名古屋末広町末広座110日~16日)

大正219日 名古屋新聞

❍末広坐 明十日午後五時より奇術界の花と称せらるゝ松旭斎天勝一行の美人揃ひ大魔術にて開演。奇術種目は何れも斬新なる目新しきものゝみを撰み、殊に天勝の演ずる懸賞魔術の樽、鳳凰閣、スペインの娘、伏魔殿等は実に観客の目を驚かす大魔術にて、其他萩原の自転車曲乗、珍妙なる犬の曲芸、一光の絶妙なる曲芸、其他魔奇術共に東都各座に於て好評を博せしものなりと。因に明初日入場料は各等共に半額の一等二十五銭、二等二十銭、三等十五銭、四等十銭、五等五銭の大勉強なり。

大正2110日 名古屋新聞

❍末広座 愈よ本日午後五時より開場する女奇術師松旭斎天勝一行は、斬新奇抜なる魔奇術のみを撰み、舞台面も全部新調のものを用ひ、花々敷開場する由なれば、定めて好評を得る事なるべく、因に本日は座員華々敷く町廻りをなし、午後五時より開場する由。

大正2112日 名古屋新聞

❍末広座 松旭斎天勝一行の奇術は昨二日目も満場木戸締切の好人気にて、殊に「鳳凰閣」「スペインの娘」「不思議のトランク」「伏魔殿」「魔法の樽」等は演芸中の呼びものにて、其他犬の曲芸、絶妙なる曲芸、萩原の「自転車曲乗」等大喝采なり。因に開場は毎日午後五時なり。

大正2112日 名古屋新聞[広告]

名古屋 001

大正2113日 名古屋新聞

❍末広座 松旭斎天勝一行奇術は連日大入満員続きの大盛況にて、奇術種目は何れも斬新奇抜なるものゝみ撰み、殊に一行久々の御目見得の事とて頗る大喝采を博しつゝあり。因に開場は毎日午後五時。

大正2114日 名古屋新聞

❍末広座 開場以来連日大入大好評を博しつゝある女奇術師松旭斎天勝一行の美形揃ひ大魔術は、其目新しき不思議の妙技は観客をして驚嘆せしめ、萩原の自転車曲乗り、犬の曲芸等の絶妙、其他一光、秀長の滑稽等は呼ものにて大喝采を博しつゝあり。

大正2116日 名古屋新聞

❍末広座 連日大入満員続きの同座松旭斎天勝一行の奇術は、五百円懸賞「魔法の樽」が第一の呼びものにて、其他の奇術「犬の曲芸」「自転車の曲乗」「絶妙なる曲芸」等斬新なるには観客(けんぶつ)を驚嘆せしめつゝあるが、予定の如く本日限りの由。


◇京都新京極京都座25日~211日)

大正224日 京都日出新聞

[広告]当ル二月五日より毎日午後五時開場 世界的大魔術 松旭斎天勝一行

 △五百円懸賞の樽抜け△斬新奇抜なる奇術魔術  京都座 電中二一九一番

大正225日 京都日出新聞

❍京都座天勝の奇術は愈々本日初日を出すが、一等六十銭、二等四十銭、三等二十五銭、四等十銭。

大正226日 京都日出新聞

❍京都座の天勝一行の奇術は昨日初日を出したが、人気者のことゝて頗る上景気。

大正227日 京都日出新聞

○京都座の天勝一行

 松旭斎天勝一行が五日より京都座に懸つて得意の世界的大魔術で客を呼んで居る。今度の呼びものは昨年東京浅草帝国館其他で演じて抜けられる、抜けられぬで問題となつた「懸賞魔法の樽」である。見れば誰でも樽中に入つて五分間以内に外部に出たら即時金五百円を呈すと云ふ懸賞付きだ。初日の夜は最初一光が入つたが病気の故を以つて失敗に了り、次で秀長が入つたが是れは鮮巧なものであつた。モ一つ一百円懸賞の「スペインの娘」は英国奇術士ケラー氏より贈られたものとやらで、五百年前西班牙で用いた死刑箱を模造したもので、二つに割れる人造形の箱には見るも寒い無数の剣が突起してるので、其の中へ花の如き座長天勝が入つて是れもホンの一瞬間、呀(あっ)と云ふ間にモウ外面(そと)へ出てるのには観客一同全く息も吐げぬ早業に、最初はハラ〳〵し、次は旨く誤魔化され乍ら感嘆して居た。

其他天勝の「不思議のトランク」、日本固有の手品「夕涼」「伏魔殿」「米と水の変化」など何れも眼新しく、一光の「絶妙なる曲芸」中でも殊に傘と輪とが目を惹いた。「珍妙なる犬の曲」は三疋の犬が秀長の言葉を聞き分けて客の求めたカードの数を合すのだが、是れも能く教へたもので、尚ほ一光と秀長の鳥の鳴き声があつたが、是れ亦喝采を博した。(らの字)

大正229日 京都日出新聞

❍京都座は却々の好人気であるが、「不思議のトランク」は前回より格段の進歩をみせて、天勝と百合子と入代る間が真に電光石火、従来にない早さである。懸賞の樽抜けは案ずるに不思議のトランクと同型のネタらしく、物数寄の観客は五分間内に出てみやうと入つてはみるが、どうして〳〵迚もの事だが息が詰る方が早い。「羽衣ダンス」は前回には演らなかつたものだが、何時見ても心地のよいものである。欲には電気をも少し工風すれば確に天勝の専売物の値打はあらう。美しい子供が大勢になつている。六人の女の子のダンスも稍本筋のダンスで、遉に天勝の仕込みだけに表情術など従来の新種のものとは大分違つている。

大正2210日 京都日出新聞

❍京都座の天勝一行は美人連だけに人気よく、毎夜大入の好人気であるが、懸賞の魔法の樽では閉場後もネタを知らうと観客が残つて大騒ぎをしている。

大正2211日 京都日出新聞

❍京都座の天勝一行は好評にて日延べ説もあつたが、何分次興行が決定しているので遺憾ながら本日限り千秋楽となる。

 


◇大阪道頓堀中座
213日~219日)

大正2214日 大阪朝日新聞

❍中座は十三日開場。松旭斎天勝が一光、百合子外六名の女奇術一座としての興行。初日に限り二十五銭均一。演芸種目は左の如し。

不思議のトランク、自在の顔、美花の散乱、スペインの娘、卓上少女、日本手品夕涼、糸と水の変化、伏魔殿、卓上コップ、変転の指輪、魔法の樽

大正2214日 大阪朝日新聞

○足を出(だし)た天勝 見付けたら五百円の懸賞といふのを売物にして居た函抜けの天勝、浅草の興行で首尾よく見物に足を押へられ、結局出すの出さぬの訴訟沙汰になる程の御愛嬌やら味噌やらをつけたが、当分息抜きの為台湾落ちをする行きがけの駄賃とあつて、十三日から一週間中座で相変らず五百円の懸賞を振廻す。さあ欲の浅い連中はいつたり〳〵。

大正2215日 大阪時事新報

❍天勝一行 中座で十三日から開場した松旭斎天勝一行の奇術は、初日の均一が利いたか満員の好況であつた。斬新なものは五百円の懸賞とやらで呼声を高めた魔法の樽抜け位で、其他は不思議のトランクや或は色電気応用のダンスなどで、格別目先が異(かわ)らなかつた。萩原秀長の自転車の曲乗や滑稽振は臍の皮を撚せた。百合子以下の可憐の少女が幾度か出場して種々の奇術に興を添へているのは愛らしかつた。

大正2220日 大阪時事新報

❍中座は十九日にて天勝の奇術を閉場し……。

 


◇大阪松島八千代座
38日~318 日)

大正239日 大阪朝日新聞

❍天勝舞もどる 愈(いよいよ)渡台すると云つて大阪を去つた天勝、何所(どこ)をウロついて居たのか、例の樽を引擔いでまた舞戻り、八日から松島八千代座で相変らず「皆さんこの樽抜けの種を御発見のお方には……」

大正2311日 大阪朝日新聞

❍八千代座は松旭斎天勝一座が朝鮮巡業に当分の名残として八日より開場。演芸中の魔法の樽及びスペイン娘は懸賞を付したる特芸にて、初日より大入をあげたり。

大正2313日 大阪時事新報

❍松旭斎天勝の奇術にて開演中の八千代座は魔法の樽抜けの懸賞方法を替へ、看客にして樽の中に入り、五分間以内にして外部へ出でたる者に賞を与ふる事をしたり。有繋(さすが)に場所柄だけに人気を惹きて、毎夜多数の入場者ありと。

大正2315日 大阪朝日新聞

❍八千代座開演中の松旭斎天勝一座は十八日迄日延し、大入祝ひとして特等五十銭より十銭下りに三等迄の切符を売出す。

         ※          ※        ※          ※ 
大正
21126日 都新聞

❍天勝と寺内総督 渡韓した天勝は十七日仁政殿で李王殿下及寺内総督の御覧に供したが、寺内伯は例の魔法樽を取上げ、「己(おれ)も種を見付けて五百円の賞金に預からう」

大正21210日 読売新聞

❍天勝の消息 久しく満鮮地方を巡業せる松旭斎天勝一座は到る處大歓迎を受け、二三日前帰朝し、九日より熊本大和座を開演し、尚年内九州二三ケ所を打(うち)、来春は又台湾に乗込む由。



misemono at 10:57|PermalinkComments(0)松旭斎天勝興行年表(大正時代) 

松旭斎天勝興行年表 大正3年(1914年)

1030日~1111     大阪道頓堀弁天座

1211日~1217     名古屋南桑名町千歳座


大正
3410日 都新聞

❍九州の天勝 台湾より帰京し、鹿児島に開演中の天勝は本月中旬帰京すと。

大正3712日 都新聞

❍魔法樽の天勝は昨今讃岐に流れ廻つて居るが、土地の新聞記者が訪問して、君(あなた)の年収益は五万円といふが本当ですかと聞くと、イエ昨年の上り高は十二万円許りでしたとは嘘をつけ。

大正3818日 都新聞

❍松旭斎天勝 清国上海に興行中。

大正3921日 都新聞

❍天勝の一行 上海を打揚げ、神戸へ引返し、二十日より同地大黒座にて開演。


◇大阪道頓堀弁天座

1030日~1111日)

大正31028日 大阪時事新報

❍弁天座は三十日初日、天勝の一行は二十八日梅田に着し、英米の外国人等と俱に異様の服装にて乗込む由。

大正31029日 大阪朝日新聞

❍弁天座 松旭斎天勝一座の奇術は三十日より開場。

大正31030日 大阪毎日新聞

❍弁天座 奇術天勝一座の演芸種目の主なるは、酒呑の滑稽、曲芸、自転車曲技、トランク、魔法の樽、魔神の函、五大洲、宇宙の少女、不思議の扇、出没自在の室、美人閣、魔神ホーム其他。

大正31031日 大阪時事新報

❍ダンスが呼物 松旭斎天勝の一行に加入して弁天座に出る露国人と印度の黒坊とは、欧州の全体を常に漫遊して居るので、今度の出演には各国のダンスの種類を毎日取替へて見せるといふ。目新しからう。

大正3111日 大阪時事新報

❍天勝等の特芸 弁天座に開演した松旭斎天勝は頗る好人気で、彼が特技とする魔神の函、出没自在の魔法等は入神の妙があると称する者さへあるほどの大喝采である。一行中の秀長以下の自転車曲乗も見物に違ひないが、露国と印度人のダンスは慥に目新しい。一光の曲芸は海老一其処退けの趣味がある。何しろ昨年三月以来海外の巡業に一層技芸を磨いた痕跡が窺はれて面白い。

大正3112日 大阪朝日新聞

○弁天座の天勝
 
舞台装置と使用器具が立派だから見た眼が美しくて宜い気持ちだ。奇術、曲芸、自転車曲乗、ダンス、音楽といろ
〳〵取り混ぜて見物を倦(あ)かせ無いやうに仕組んだのは流石に天勝一座である。演芸中是と言つて飛び離れたものは無いが、相当に皆な面白い。併し箱や樽を応用しての奇術は昔からありふれたもの丈けに、手際が奇麗でも珍らしく無い。舞踏(ダンス)類は総て駄目、小奇術の中にちょい〳〵面白いものがあつた。天勝はいつも若く、いつも美しい。(史)

大正3114日 大阪毎日新聞

❍弁天座 天勝一行の奇術は不思議の扉、自転車曲乗、少女ダンスが呼物となりて客を引き居れり。

大正3116日 大阪時事新報

❍弁天座の松旭斎天勝は連日満員の好況にて、各番組共手際の鮮(あざやか)なるに大喝采を博し居れるが、同奇術も八日限りにて打揚の筈なれば、五日より天勝独特の羽衣ダンス、雲の峰、ダブルボックス、スペイン娘、タンバリン等目新しき技芸を加入すと。

大正3117日 大阪朝日新聞

❍弁天座の松旭斎天勝一座は八日限り閉場する筈なるが、従来の外に羽衣ダンス、雲の峰、ダブルボックス、スペイン娘ダンバリ等を差替へたり。

大正3119日 大阪時事新報

❍弁天座の天勝一座は、青島の陥落を祝するため、座員は勿論お茶子に至るまで旗行列を為し、尚初日以来連夜大入満員続きの盛況に酬いんとて、青島土産大魔術を仕組み、八日より更に三日間日延、来る十一日まで演ずる由。

大正31110日 大阪毎日新聞

❍弁天座 青島陥落と初日以来の大入祝ひをかねて十一日まで日延べ。


◇名古屋南桑名町千歳座1211日~17日)         

大正3129日 名古屋新聞

❍千歳座 天勝一座乗込み 美人連の天勝一行は既報せし如く本日午後花々敷乗込、直ちに当地贔屓先を廻る筈にて、各方面より寄贈品多く前人気湧(わく)が如し。(写真は天勝一行の舞踏)

名古屋 002

大正31210日 名古屋新聞

❍千歳座 明十一日午後五時より開演する千歳座の天勝一行は、欧米漫遊中種々の奇術魔術等を研究し帰朝したる世界的大魔術師にして、曩に東京及び京阪地方に演じて変幻不可思議、未だ日本の舞台にて曾て演じたる事なしとの好評を博せしものなるが、当地にては尚其上に驚天動地の新技芸を見する由にて、定めし中京の人々を驚かす事なるべし。而して同一行は九日当地乗込みたるを以て十日は数十台の腕車を連ね花々しく町廻りを為すよし。因みに演芸種目は酒呑の滑稽、曲芸、上海土産魔神ホーム(一行総出)、小奇術、自転車曲技、天勝独特のトランク、魔神の函、五大州宇宙の少女、不思議の扉、出没自在の宝、美人閣、八面自在噴水、少女のダンス、羽衣ダンス、音楽合奏等なるが、初日は金二十五銭均一のお早い勝ち。

大正31212日 名古屋新聞

❍天勝割引券 千歳座に開演し其巧妙なる大魔術に満都の人気を吸収しつゝある天勝一行は、多年の贔屓に報ゆる為め特に本紙愛読者の為め入場料を大割引する事となり、其割引券は本日の本紙に添付したり。天勝の魔術が如何に斬新奇抜なるか此の割引券を利用して続々千歳座に出掛けらるべし。

大正31212日 名古屋新聞

❍千歳座 昨日開演せし大奇術覇王松旭斎天勝一行は非常なる大好評を博し、午後五時開場なるにも拘らず三時頃より観客犇々と押し掛け、正五時開演と共に忽ち満場木戸〆切の大盛況を呈せり。奇術は総て今日まで当地で演ぜしものと全然面目を更めし斬新奇抜なるもの計りにて、其の巧妙なるには場も破れんばかりの喝采なり。(写真は魔法箱)

名古屋 003

大正31213日 名古屋新聞

❍千歳座 東洋の奇術界に覇王として謳はるゝ天勝は、其の独特の妙技も天稟の愛嬌を提(ひっさ)げ、到る中(ところ)にて大喝采を博し来りたるが、十一日当地千歳座に於て初日を開演したり。何がさて来名前より待ち兼ね居たることゝて忽ち満員となり、定刻六時三十分にはハヤ〆切りの盛況なりし。舞台面の天勝は年こそ喰つたれ益々艷に、動作も頗る軽妙にて、流石に天下一品と感ぜしめたり。開演中は定めて連日の大盛況なるべし。

大正31214日 名古屋新聞

❍千歳座 世界的大魔術松旭斎天勝一行の奇術は素晴らしい人気が空前の大入を占め、開演前六時には入場者既に一千三百名以上にて、七時には木戸締切とは遉は天勝なり。ハイカラ滑稽、奥田と一光の異装せる滑稽の一幕には看客腹を抱いて笑□せり。少女の愛らしい小奇術、自転車の曲技、東洋一と称せらるゝ萩原の芸も一点避難する處なかりし。何れにしても連日大入は目出度し。

大正31217日 名古屋新聞

❍千歳座 開演以来非常なる大好評を博し連日満場木戸締切の大盛況を呈せる松旭斎天勝一行は本日千秋楽、日延なしにて、明十八日相州横須賀に乗込み、例の魔術にて凱旋の将卒を酔しむる由。

 



misemono at 10:55|PermalinkComments(0)松旭斎天勝興行年表(大正時代) 

松旭斎天勝興行年表 大正4年(1915年)1月~6月

114日~124日   京都四条南座

23日~214日   東京有楽町有楽座

216日~      静岡県浜松市歌舞伎座

223日~      静岡県静岡市若竹座

36日~315日   東京木挽町歌舞伎座

41日~411日   東京久松町明治座

415日~425日   東京赤坂溜池演伎座

621日~      東京上野家庭博覧会演芸館


◇京都四条南座
114日~124日)

大正4113日 京都日出新聞

[広告]当一月十四日より(午後五時開演)新帰朝松旭斎天勝一行 

一光の曲芸、萩原、奥田の自転車曲乗、露国人印度人の演芸其他斬新なる世界的大魔術

四条南座 電中六二〇番・二四七四番  

大正4113日 京都日出新聞

❍天勝一行 先発員は既に来京してそれ〴〵準備中なるが、一行には園子、初子、鶴子、君子、百合子、静子等の美人連の外、お馴染の曲芸の一光、自転車では萩原秀長に奥田一夫の夫婦、印度人モルガン、露国人ジヨンの外にも新手がいるさうで、天勝今度のお土産は四大魔術の宇宙の少女、不思議の扉、出没自在、美人閣ださうだ。

大正4114日 京都日出新聞

[写真]天勝の美人団・天勝一座のダンス

天勝 021天勝 21











大正
4117日 京都日出新聞

○久方振の天勝

〼マジツク界の第一人者の称(となえ)ある松旭斎天勝が三年振りで南座に来た。待久(まちひさ)しがられた矢先とて、初日以来真に立錐の余地なき成功は、人気が致すところとはいへ、又以て其間に技術の進歩もあらねばならぬ。さらば技術はどう進歩したか、一般の舞台はどう変化したか!

〼技術より先きに目に入るのは舞台装飾の気の利いていることである。それに御大が美人であるだけに、之れに従ふ美人連も可愛(かわい)のが多く、百合子、静子、時子、花子、君子、園子など美しいのやら可愛いのやらで、この前来た時は六人であつたが今度は舞台の人が十人になつている。又以て一行の発展を示すものであらう。

〼時間の都合で謂ふ所の小ヅマは見落した。而し天勝の得意は小ヅマよりは大物にある。天勝の今日の名を成したのは其容貌風姿と大物の技術とそして一流の外交術に外ならぬ。大物として今度呼物とするのは宇宙の少女、不思議の扉、出没自在、美人閣の四つであるさうな。

〼宇宙の少女は今迄あつたやつだが、それを手際よく改めたものだが、その演技方法に一段の進歩を示している。進歩といへば二重のトランクが頗る進歩したものである。これは一ト頃懸賞で演つたもので、袋の中へ人を入れて、更にトランクへ入れて天勝と入替るのであつたが、今度はトランクが二重になり、その入替る速さは真に電光石火である。不思議[の扉]は西洋風のドアーを立掛て、それに窓掛のやうなものを掩ふて開けると宇宙で打消しになつた少女園子が出るといふ運びだ。

〼出没自在はコミック式で、之れも四五年前天勝の考案になつたものであつたが、其時代には箱の左右を明けなかつたが、今度はそれを明ける。そして以前あつたワンダーキャビネットと折衷して終つたが、出入りが面倒でなくて面白い。が而し之れはもつと運びが改ためられる余地があるやうだから、より以上に工風が欲しく思はれた。

〼美人閣はニッケルの格子の箱の中に更に四本の柱があつて、それに覆(おおい)が降りるやうになつていて、その覆が降りる、直ぐ上る、美人が出る、又降りたかと思ふと直ぐ上る、又一人美人が居るといつた風に君子、花子、時子、百合子、静子などが出るものである。其他お馴染みの一光の曲芸、萩原、奥田等の自転車、印度人、露人などのダンスなど、兎に角日本に在るこの種の一座では整つたものである。

〼三年間見ない内に著しく発達したといふことは総てが垢抜けがして気が利いた舞台の様子であることである。服装などにしても随分変つたもので、殊に美人閣の服装などは随分手際である。それに今度は天一時代に呼物であつた水芸を天勝がやるやうになつているが、之れなどは天一時代には呼物であつたらうが、時代の推移は既に之れを迎へなくなつていやう。苦心に比較してそれだけ舞台効果を齎らすや否やは疑問である。但し外国行きの予習とあらば止むを得なからう。

大正4118日 京都日出新聞

❍南座の天勝は只もうえらい人気で一昨夜も七時に満員の盛況だ。

大正4119日 京都日出新聞

❍南座 天勝一行は引続き好人気、一昨夜の如き開演前既に満員なるが、中にも最終の美人閣が最も手際よく演ぜられる。

大正4120日 京都日出新聞

❍南座の天勝は連夜開場後間もなく満員といふ大成功に一行も景気づき、更に二三新芸を差加へるとやら。

大正4121日 京都日出新聞

❍南座の天勝は滅法な大入りにて昨年来の好景気だ。

大正4122日 京都日出新聞

❍南座の天勝は素晴しい人気なので目下日延べの相談中とやら。

大正4124日 京都日出新聞

❍南座 天勝一行はいよ〳〵本日限り打揚げ。直ちに東京有楽座に乗込む筈。



◇東京有楽町有楽座
23日~214日)
 24「東京日日新聞」        28「都新聞」

天勝 005天勝 003












大正
4124日 都新聞

❍天勝 久々帰京し、二月三日より有楽座に出演。魔術数番と外人のダンス幷に音楽を差加へ、道具衣裳全部新調。

大正4127日 都新聞

❍有楽座の天勝 二月三日初日。海外巡業以来三年目のお目見えにて四大魔術を披露す。

大正4129日 都新聞

❍天勝 三日より有楽座に出演。三十一日上京。一日二日と舞台の準備にかゝり三日初日。

大正421日 東京朝日新聞

❍有楽座 三日より開演の天勝は昨夕東京駅へ着し、有楽座関係者其他の出迎へを受け、浅草の新宅へ引上げたり。

大正422日より連日 都新聞

[広告]当三日より十四日迄毎夕五時半開場/世界的大奇術 天勝一座/海外お土産変幻不可思議の四大魔術、露国印度人の各自国有の特技其他大小奇術、曲芸、ダンス、音楽合奏、喜劇応用魔術、自転車曲乗等/特等一円二十銭、一等一円、二等七十銭、三階三十銭/有楽座

大正424日 都新聞[広告]

天勝 002

大正425日 都新聞[広告]

天勝 001

大正425日 東京日日新聞

❍有楽座の天勝 三日から開演の同一座は久々とて満員の盛況であつた。「まだ日本にて演じたることなき大魔術」と銘を打つた大切の奇術も従来ありふれたもので格別感心するほどのものではない。その他の奇術もすべて平凡だが、一光、一夫の滑稽雲雀の表情や曲芸乃至土井のヴァイオリン、自転車の曲技などの方が却て面白かつた。

天勝 004大正426日 東京朝日新聞

❍有楽座の天勝 久し振りに天勝が掛つた。日本でまだ見せた事のないといふ四大魔術の外、例の水芸、羽衣ダンス、自転車曲乗、露国人印度人の踊り、音楽合奏といろ〳〵に目先を変へていたが、ツマの中にも一夫(ママ)のバイオリンなどはひどく前受けがいゝ。

大正428日 都新聞

❍有楽座天勝 連夜満員、小奇術は毎日差替へ一両日より日本手品夕涼みを加ふ。

大正429日 都新聞[広告]

謹啓 当興行(世界的大魔術松旭斎天勝一座)御蔭様を以て日々開場満員と相成り候為、折角多数の御来観を御断り致し候。止むを得ず次第、悪しからず御諒察願い上げ候。就いては今後は御来観以前に電話又は御使にて場席御約束願いたく候。然る時は御望みの場所相定め申す可く候。何卒宜しく願い上げ候。敬具。

追って当興行は来る十四日迄にこれあり、日延べ仕らず候。電話本局 五二二○ 五二二一 有楽座(読み下し・編者)



◇静岡県浜松市歌舞伎座216日~)

大正4214日 都新聞

❍天勝一座は近く浜松へ乗込むと。

大正4217日 都新聞

❍天勝一座 昨日浜松の歌舞伎座へ乗込めり。静岡若竹興行の後、三月上旬帰京。


◇静岡県静岡市若竹座
223日~)

大正4222日 都新聞

❍天勝一座 二十三日より静岡若竹座を開演。三月六日より歌舞伎座に出演。



◇東京木挽町歌舞伎座
36日~315日)

 36日「東京日日新聞」      35日「都新聞」       35日「都新聞」

天勝 006天勝 007天勝 009 

 










大正
434日 都新聞

❍歌舞伎座天勝 六日夜より松旭斎天勝一座にて開場。

大正435日 都新聞

❍歌舞伎座 天勝は新加入の外国人と夫々下稽古。

大正438日 都新聞

[広告]多大の御好評を賜り初日二日目共未曾有の大満員を告げ難有御礼申上候。毎日午後五時開場。一円、五十銭、二十五銭均一。歌舞伎座出演 天勝拝

大正438日 読売新聞

○歌舞伎座の天勝 六日午後五時から十日間開演する歌舞伎座の天勝は初日満員札止の盛況はよけれど、幾分目先きの変りしのみにて大体有楽座で見せたものと違はぬ如(よ)うだ。が幾度見せられても種明しの出来ない見物には矢張り面白く不思議に看せる天勝の小奇術、却々(なかなか)小さくなく、其の手並益々冴ゆる様だ。一美人をトランクの中に入れ、厳封してカーテンの中へ入れ、気味悪い懸声と共にカーテンを閉した天勝の姿は何時の間にやらトランクの中に、先きにトランクの中に入つた美人が其瞬間に現はれるなど何度見ても狐に欺(だま)された様だ。休み無しの大車輪で息つく暇もなくお客様を瞞(だま)し抜く處に天勝の価値があるのだ。

大正438日 東京日日新聞

○歌舞伎座の天勝 有楽座で味を占めた天勝は此の分ならば客足未だ充分と其處は奇術屋、御贔屓の懐中を読んでか、有楽座とは目と鼻の間の木挽町で六日から蓋を明け、半額券の効(ききめ)ありて初日満員を掲げたり。奇術は三、四種新しきを加へたるが、奇術にてはトランク抜け、美人閣に、滑稽物にては雲雀の表情、黒奴(くろんぼう)のダンスなど相変らず喝采なり。此一座が天一時代と違ひ奇術の外に種々(いろいろ)の芸を演ずるやうになりたるは奮発したるものと云ふべし。

大正439日 都新聞[広告]

天勝 008

大正4313日 都新聞

[広告]天勝大入に付特に十四日昼夜二回興行 昼十二時半 夜五時半開場 歌舞伎座



◇東京久松町明治座
41日~411日)

大正4330日 都新聞[広告]

天勝 015

当る四月一日より十一日迄日延なし。毎夕五時半開場。近々世界漫遊、暫く帝都のお名残興行

世界的斬新大魔術 天勝出演  明治座 電話浪七六番

演技は悉皆取替へ独特斬新四大奇術、新五大魔術は皆様の膽を奪ふ妙技

特一二等八十銭均一、三等四十銭、四等二十五銭均一○初日三十五銭、四等十五銭均一

大正443日 都新聞

❍明治座 天勝は好景気にて故天一の愛弟天右も加はり奇抜な種明しを見せ、又天花、文子、松子も復座し、喜劇魔術「いたづらボーイ」は新しいもの。

大正4410日 都新聞

❍明治座 天勝は十一日千秋楽。



◇東京赤坂溜池演伎座
415日~425日)

大正4415日~ 都新聞[広告]

天勝 014

当四月十五日午後開場 近々世界漫遊、暫くのお名残興行/世界的斬新大魔術 天勝出演/演伎は全部新らしく独特四大奇術、新五大魔術は神から人の術かと思はしむ。

特一等(八十銭均一)、二等(六十銭均一)、三等(四十銭)、四等(二十五銭)/演伎座 電話新六一七

大正4416日 東京朝日新聞[広告]


天勝 010

大正4419日 都新聞

❍演伎座の天勝 各団体付込み盛んなりと。

大正4420日 都新聞

[広告]天勝 大入に付二十五日迄日延 演伎座

大正4421日 都新聞

❍天勝の表情 演伎座のカブリ付で天勝の表情に参つた小田紳が「アノ娘は美しいが物覚えのいゝにも感心した」と。連(つれ)が何故かと聞くと、「先刻僕がアノ剪刃(はさみ)でハンケチを断(き)つて遣つてから此方(こっち)ばかし見て居る」。すると後の角刈哥兄(あにい)は危ねへ〳〵

大正4421日 都新聞[広告]

天勝 013

大正4422日 読売新聞

○本日行幸の伏見宮邸 御前演技者の光栄

天皇陛下には既記の如く今二十二日午後二時御出門、麹町区紀尾井町なる伏見宮邸に行幸あらせらるゝが、当日宮邸にては表御門より御玄関に到る御道筋に黒白段々の幔幕を繞(めぐ)らし、御車寄には紫縮緬の幕を張り、便殿に充てらるべき階上の西洋室には金屏風を引廻し、紅紫燎爛たる花の数々綺羅を尽し、余興場たる舞踏室も亦善美を聚めたる装飾にて御興を添へ、尤も興味ある余興を叡覧に供し奉る筈なるが、其一二を承はるに、高尚斬新なる西洋フイルムの天然色活動写真、続いて松旭斎天勝一座の西洋奇術を御覧に供し、尚陛下には薩摩琵琶に殊の外御趣味を有し給へるより永田錦心及び四元義一両人の薩摩琵琶の御前弾奏を供し奉る由。此等余興の後、陛下には若草萌ゆる御庭に立たせられ宮殿下と共に御調馬の御慰みを遊ばされ、軈て晩餐を召させられて同五時御還幸あらせるゝ御予定と拝承しぬ。

大正4427日 都新聞

❍天勝は仙台へ乗込む。



◇東京上野家庭博覧会演芸館
621日~)

大正4617日 都新聞

❍天勝の帰京 松旭斎天勝の一行は甲府より帰京し、二十一日より上野家庭博演芸館へ出演す。

大正4619日 都新聞[広告]

天勝 012

大正4620日 都新聞

❍天勝の封切大奇術 二十一日より上野家庭博出演の天勝は「壺中の花」「グローウイングドール」等の封切り数番を上演する。

大正4624日 都新聞

[広告]二十一日より昼夜三回 土間無料桟敷二十銭 天勝一座大魔術 上野家庭博演芸場

 




misemono at 10:54|PermalinkComments(0)松旭斎天勝興行年表(大正時代) 

松旭斎天勝興行年表 大正4年(1915年)7月~9月

710日~723日  東京有楽町有楽座

725日~729日  東京両国国技館       

81日~       横浜喜楽座

86日~88日   東京両国国技館

813日~819日  東京神田三崎町東京座

822日~829日  名古屋御園座

918日~924日  大阪道頓堀浪花座

926日~103日  京都四条南座


◇東京有楽町有楽座
710日~723日)

  78日「東京日日新聞」       78日「都新聞」

天勝 020天勝 019













大正
4626日 都新聞

❍天勝女優となる 洋行中絶へず名優の舞台を見学し研究して居た松旭斎天勝は一度は女優として舞台に立ちたい希望を持ち居りしが、いよ〳〵近日有楽座に於て多年の宿望を試みん計画中。

大正478日 都新聞

❍有楽座のサロメ 十日初日の天勝一座の余興演劇サロメは魔術応用で頗る新趣向にて衣裳は悉く新調せしと。

大正4711日 東京朝日新聞[広告]

天勝 016

大正4712日 都新聞

○天勝のサロメ 有楽座の初日

 松旭斎天勝一座が有楽座へ出た。今度は奇術の余興として魔術応用のサロメを出すといふので是が呼物となつて初日から満員大入。要するに奇術師であつて俳優でないからサロメを見るにも余興の二字を頭において掛らねばならぬが、其れにしても本職の奇術の方が何(ど)れだけ面白く手際が好いか分らない。只天勝だけに須磨子張りの表情を以て異彩を発揮している外は到底問題にならぬ。猶太(ユダヤ)王や妃などが何とか云ふと見物がクス〳〵笑ふのも無理はない。

一光の曲芸は頗る鮮(あざや)かで、中にも傘のあしらひは大喝采だつた。同じ芝居らしいものでも鼠取といふ方が面白い。土井も猶太王では吹出させたが、バイオリンの独奏は今一つ〳〵で大受けだつた。天勝は別に目新しい奇術もない。封切魔術と云ふのも在来のやり方と大して変つた處もないが、段々と術の鮮かさが増して息も吐かせぬ處は流石と思はせた。一光は実に旨い。小手先の奇用なことは眼も覚むる許りで、全く手に入つたもの。天右と一光との滑稽奇術は満場大喝采。自転車曲技は少し長過で大分欠伸が漏れたし、廊下へ出て行つた客もあつた。今少し切詰めた方が好いと思ふ。(貧富生)

大正4712日 読売新聞

○天勝のサロメ

十日から有楽座で天勝一座の興行があつた。今回は天勝が女優としての初舞台、魔術応用のサロメに扮し大いに腕を振ふといふ意気込み、観客も重り合ふ程の大入であつた。

野蛮な饗宴の席からのがれ出てほつと吐息をつきながら振り返る處は巧(たくみ)でもあつたし美しくもあつた。美しい夜の空気を喜び、月を讃美するあたりからそろ〳〵熱の足りぬ不満さを感じさせられて来た。殊に王と王妃の問答中のサロメは気の抜けた程ぼんやりしたものである。踊りもまことにまづい。練習の足りぬといふ点もあらうが、それよりも、も少しサロメといふものを研究し、充分の理解と落ちつきを以て演じて欲しかつた。矢張り天勝は魔術で美しく輝いている方が花のやうに思はれた。静子のヘロヂヤス始め兵卒達の貧弱さはお話にならぬ。

天勝魔術のグロイング、ドルは大喝采、天右と一光の雲雀の表情は実に巧妙を極めたものであつた。(和子)

大正4712日 東京日日新聞

○天勝のサロメ 
 
三千円を投じて衣裳を新調し、泰西名優の型を参酌して演ずるといふ能書沢山の天勝サロメを有楽座で見た。大小の奇術魔術を例の如く沢山見せた上に余興としてこのサロメを演ずるのである。扮装した顔の輪郭は須磨子に酷似し、台詞廻しまでが似ているのも不思議である。舞の姿勢はこれまで見たサロメのうちで最も優れていた。けれども台詞はともすれば上辷りがして、力が籠らず、「ございます」といふ詞尻が本職の魔術の説明と同じになるのが難である。併し大体に於て成功に近いものである。土井の猶太王は東儀鉄笛を髣髴させ立派なものだ。佐藤の預言者ヨカナアンは井上や澤田とは又違つているが、これもよくやつている。さうして台詞が一番明瞭である。山本の若きシリア人は本郷座でやつた嘉一君と略同じ程度のものだ。静子のヘロヂアスは秋元千代子と同型で、それよりは劣つている。この芝居に魔術を応用するのは独特かも知れないが、それは小細工で、却つて落付いた場面の感じを打ち壊すやうなものだ。(桃華)

大正4712日 東京朝日新聞

○天勝のサロメ
 
有楽座の初日は定刻前に満員といふ景気には一寸驚かされた。奇術には封切の筒中美人、絹の中の美人で手際を見せ、例の雲雀の表情や土井のヴァイオリンの前受もよく、大切天勝のサロメ、柄は確かに貞奴や須磨子以上で、夫に足の長いのが勝であつたが、奇術は炎の中よりヨカナアンの首を現(あらわ)し、また王の前の机上から酒器と果物を出した位で、何處迄も劇本位としたのが却て物足らぬ心地がした。

大正4713日 都新聞

❍有楽座天勝 十五、六、七の三日間は特に昼夜二回開演。

大正4714日 都新聞

❍有楽座 天勝は十五、六、七の三日間は昼の部を一時より開場。サロメの代りに小波氏考案の奇術応用のお伽芝居を差替ふ。

大正4715日 都新聞

❍有楽座の天勝 今日より十七日まで昼の部は各等入場者にキャラメル一箱宛を出し、尚小波氏考案の魔術お伽芝居は「新浮れ胡弓」四場の大仕掛ものなりと。

大正4715日 都新聞[広告]

天勝 018

大正4718日 都新聞

❍天勝のサロメ 有楽座天勝サロメは益々円熟し来り、打出しも十時四十分となる。

大正4721日 都新聞

❍有楽座 天勝は二十三日まで日延べと成り二十一日夜より従来の演芸の外小波氏考案の魔術お伽劇「新うかれ胡弓」を加ふ。

大正4723日 都新聞

[広告]天勝 今晩限 有楽座



◇東京両国国技館
725日~729日)

大正4724日 都新聞

❍国技館の天勝 二十五日より五日間、両国国技館に於て天勝一座の大魔術及びサロメを上演し、帝都お名残御礼として階上二十五銭、階下五十銭均一にて夕刻六時始め。

大正4727日 都新聞

❍国技館 天勝のサロメ客足よしと。

大正4727日 都新聞[広告]

天勝 021

番組 一、小奇術(初子・絹子) 二、小奇術(天花・百合子) 三、硝子トランク・絶妙なる曲芸(一光) 四、奇術応用喜劇鼠取(天勝・天右・一光・土井) 五、小奇術(園子・文子) 六、ヴァイオリン独奏(土井)・流行ダンス(モルガン) 七、小奇術 鳩とキャラメル・鍋中の花・皇国の誉 封切魔術 筒中の美人・グローイングドール・絹の中の美人(天勝) 八、滑稽奇術種明かし・雲雀の表情(天右・一光) 九、自転車曲技(横井・華子) 十、魔術応用余興「サロメ」一幕

大正4728日 東京朝日新聞[広告]

天勝 022



◇横浜喜楽座
81日~)

大正4727日 都新聞

❍喜楽座の天勝 一日より開場。サロメと新魔術を加へ、昼三時夜七時の二回興行。

大正4730日 都新聞

❍喜楽座の巡業 横浜の同座は一日より天勝奇術開場。



◇東京両国国技館演芸会
86日~88日)

大正486日 読売新聞

❍国技館大演芸会 世界新聞社主催にて六、七、八の三日間、午後四時より両国国技館にて開演さるべき納涼大演芸会は松旭斎天勝の奇術、東家楽燕の浪花節、綾之助一座の総懸合、永田錦心の琵琶、岸沢仲助、佐喜太夫等一派の常磐津、芸術座松井須磨子一座のサロメ劇外に開幕、余興梅坊主の活惚といふ空前の大顔合せにて、入場料は階上階下全部三十五銭均一。当日出札所の混雑を厭ふ者の為に切符は前々より同社受付にても発売するといふ。



◇東京神田三崎町東京座
813日~819日)

大正4810日 都新聞

❍東京座サロメ 十三日より東京座に於て開催の天勝サロメは舞台を油絵風に作り、円熟した處を見せると。

大正4812日 都新聞

❍東京座天勝 明日初日毎夕六時開場七日限にて、天勝は小奇術の外、筒中の美人、グローイングドール、絹の中の美人の封切魔術及例のサロメを演ず。



◇名古屋御園座822日~29
日) 

大正4814日 名古屋新聞

○天勝とサロメ 
 名古屋 004
目下京浜各地に於て人気を沸騰せしめつゝある大魔術松旭斎天勝は、東京座打上げ不日当地に乗込み開演すべく夫々準備中なるが、同人のサロメは他の長所を採り、殊に七ツヴエールの踊などに至りては全く先輩を抜ける優美のものあり。且従来の奇魔術全部を取替、封切りの者のみにて、大魔術グローイングドール、筒中の美人、絹の中の美人などが呼物となつて、其他新しき奇術鳩とキャラメル、鍋中の花、皇国の誉など、人目を驚かすに足ると。
 

大正4818日 名古屋新聞

❍天勝は御園座 松旭斎天勝一行は御園座に於て近日より花々しく開演する事となりたり。久々の乗り込と言ひ今回は天勝が「サロメ」を上場し、魔術奇術応用にて貞奴、須磨子より以上の手腕を揮ふといふ。而してサロメに用ふる衣裳全部、小道具等に至るまで東京にて新調したるものを使用するよし。天勝のサロメは既に定評あれば第一の呼び物となる事勿論なるが、本芸の大魔術は何れも封切の斬新なるものを選択し、重なる種目は「筒中の美人」「グローイングドール」「絹の中の美人」「鳩とキャラメル」「鍋の中の花」「皇国の誉」其他封切小奇術及び滑稽物数種あるといへば定めし好評を博すなるべし。

大正4820日 名古屋新聞

❍御園座 既報の如く来る二十二日午後六時より松旭斎天勝一行の大魔術奇術にて花々しく開演。一行は本日乗込を為し、二十一日花やかなる町廻りを為す筈なるが、久々の乗込と言ひ、既に定評ある問題の「サロメ」一幕を魔術奇術応用にて演じ、又本芸なる大魔術は何れも斬新封切のもの斗りを選みて演ずる由なるが、今回の呼物としては筒中の美人、グローイングドール、絹の中の美人等何れも大仕掛の大魔術にして、其他封切斬新の小奇術としては鳩とキャラメル、鍋の中の花、皇国の誉及び滑稽物沢山ありといへば、前人気頗るよく、開演の上は大入を占むるなるべし。

大正4820日 名古屋新聞[広告]

名古屋 005


大正4821日 名古屋新聞

❍御園座 東都各劇場に於て好評を究めつゝありし大魔術は、十九日東京座打上げ、座員五十余名を引連れ、愈々二十一日当地に乗込み、二十二日より御園座に於て花々敷開演なす由にて、座員数名先着、日夜其準備を為し居れり。呼物のサロメに用ふる背景は、東都にて有名の小山内氏の考案に懸るもの。魔術応用ゆえ一段の見栄あり。天勝のサロメは近代の見物として一般の人気を沸かし居たるもの。因に初日限り二十五銭均一にして外に特別席の設けあり。(写真は天勝の奇術美人ボックス)

名古屋 006


大正4822日 名古屋新聞

❍御園座 大魔術松旭斎天勝一行は昨日乗り込を為し、数十台人力車を連ねて花やかなる町廻りを為したるが、既報の如く愈々本日午後六時より開演。今初日に限り二十五銭均一の早い勝にて、今回は演芸全部を取替へ、何れも封切斬新の大魔術と殊に呼物たる魔術応用の「サロメ」は東都に於て開演し、貞奴、須磨子より以上の定評あるものなれば一層好評を博すなるべく、別に特別席の設備もあり。

大正4823日 名古屋新聞

❍御園座 松旭斎天勝一座の大魔術応用「サロメ」、筒中の美人、絹の中の美人等何れも目新らしきものとて非常の喝采を博したり。今二日目及び三日目の両日はホーカーデーの催しあり。尚入場者へは洩なく天勝の扮装せるサロメの写真はがきを呈するといふ。

大正4824日 名古屋新聞

❍御園座 松旭斎天勝一行の封切斬新大魔術及び余興として上場する魔術応用「サロメ」は何れも好評を以て迎へられ、初日以来未曾有の大入を占め、昨二日目の如きもホーカーデーの為め大入を占めたる盛況なるが、何分久々の乗り込みとて非常の好人気なれば連日の大入を占むるなるべし。

大正4825日 名古屋新聞

○天勝のサロメ 
 御園座の天勝一座は封切り奇術と余興「サロメ」が呼物となり連日大入を続けて居る。天勝のサロメは野蛮な饗宴の席からのがれ出て、ほつと吐息をつきながら振り返る處などは、実に巧みであつた。美しい夜の空気を喜び月を讃美するあたりからそろ〳〵始まつて、曲線美の総てを発揮し天勝独得の魔体を遺憾なく見せた。魔術のグローイングドールや筒中の美人、絹の中の美人などが向ふ受けよく、座員総出の奇劇鼠取りは抱腹満客を笑はせた。

大正4825日 名古屋新聞

○サロメの天勝 
 黒い鳥の羽ばたきと恋に破れて自刃したシシリアの若人の唐紅な流血と、月色星光惨として異様に輝く所、ヘロデヤ王は恐しき暗示に魂を疲らし愛するサロメに舞へと迫る。転(うた)た華麗にして凄惨たる舞台の斯かる時、ヨカナンの恋に昂奮したサロメの豊艶な肉体に涼を送るつもりで、書き割の横の真暗がりから、裸体の男が渋団扇をシワリシワリ。

名古屋 007


大正4826日 名古屋新聞

○天勝のサロメ 
 須磨子、貞奴に依つて中京人士の頭脳(あたま)に刻み込れた「サロメ」を天勝が奇術応用で演ずるといふのが今度の呼び物となつている。舞台の装置は余り凝つてはないが、電光はお手のものとて却々(なかなか)巧みに使はれている。王と王妃が忽然と現はれ、洋杯(コップ)や果物が卓子(テーブル)の上へ飛び出す。偖は突然香炉に火を点ぜられ、ヨカナアンの首が言葉を発するなど上手に奇術を応用されている。天勝始め登場の人々は相応に演じてはいるが、聴衆の頭脳(あたま)には劇よりか奇術に重きを措ている為め、ダレさす嫌がある。今少し端折る方が得策であらうと思ふ。奇術は何時見ても鮮やかな罪がなく面白い。

大正4826日 名古屋新聞

❍御園座 松旭斎天勝一行は連夜大入満員続きの盛況を占め居れるが、余興の魔術応用「サロメ」は観客の好奇心より呼物として迎へられつゝあり。天勝が演ずる斬新の大魔術は勿論、一光の曲芸、ビリケンのピアノ独奏及び雲雀の表情等、何れも喝采を博し居れり。

大正4827日 名古屋新聞

❍御園座 連夜大入続きの大魔術松旭斎天勝一座は、愈々今明両日限りにて岐阜市美殿座へ乗り込む由なるが、本日よりは巌谷小波氏の考案になれるお伽ブラクワー及其他数種の斬新奇術を差加へたる上、猶特等・一等の入場者に対しクラブ化粧品を進呈する由なれば一層人気を加ふる事なるべし。

大正4827日 名古屋新聞

名古屋 008


大正4828日 名古屋新聞

❍御園座 松旭斎天勝一行の大魔術は連日盛況を以て迎へられつゝあるが、昨日よりは巌谷小波氏考案のお伽「新浮れ胡弓」を電気応用大道具大仕掛にて演じ、其他新奇術数番を差加へたれば、舞台面一際の異彩を放ち一層の好況なるが、特等一等の観客に限りクラブ化粧品を呈するといふ。

大正4829日 名古屋新聞

❍御園座 大魔術松旭斎天勝一座は初日開演以来大入の盛況を呈しつゝあり。当地打上げ順次朝鮮を経て支那・満州・露領に巡遊の筈にて、愈御名残り興行連日満員続きの御礼として、「クラブ」お土産付今一日特に日延を為し、一座独得の演芸を演ずと。

 


◇大阪道頓堀浪花座
918日~924日)

大正4916日 大阪朝日新聞

❍浪花座の天勝 松旭斎天勝一座は十六日来阪、十七日舞台調べ、十八日開演。

大正4917日 大阪時事新報[広告]

天勝 時事 001

大正4918日 大阪朝日新聞

❍浪花座の番組 十八日開場の松旭斎天勝一座の重なる演芸は「筒中の美人」「鳩とキャラメル」「皇国の誉れ」「雲雀の表情」。尚余興には電気応用の「サロメ」がある。

大正4918日 大阪毎日新聞

○人を食つた天勝のサロメ 自分で「高等イカ物」と名乗る

❖「私のサロメを高等イカものだなんて随分ぢやありませんか」と天勝奇術女史は例の妖艶な眼に天一伝来の愛嬌を漲らせて、自称高等イカ物サロメ談なるものを捲し立てる。

❖「日本での元祖は須磨子さんで、それから下山京子さん、次が森律子さん、四度目が貞奴さん、続いて私なんですが、私も予て悲劇物を演つて見たいと思つて居りました。尤も私の畑の奇術入でございますよ。

❖と云つて瀧夜叉や女鳴神でもあるまいし、何かハイカラな物をと探している矢先へ須磨子さんのサロメを見たものですから、之ある哉といつた訳で、早速小山内さんにお頼みして天勝向きの所を御相談を願つたのです。

❖本当を白状しますと、表情だのコナシだのはそんなに至難(むずかし)いとは思ひません。眼で見物を殺して了ふのはお俳優(やくしゃ)よりも手品師の方が一枚上手ですもの。ソレに肉の曲線美──自分で美だなんて少々極りが悪いやうですけど──これでも外国の舞台で揉まれて来ていますから日本の先輩の女優さん方より巧いつもりですわ。

天勝 006

❖勿論胴が長くつて足の短い日本の女ですから、ドウ胡麻化したつてヂャッパン式ですけれど、お臀を斯う突出して足で一寸(ちょっと)曲をすると幾分舶来臭くなるのです。私の一番困つたのは台詞の抑揚で、何(ど)う工夫をしても手品師一流のアクセントが出ます。「首が所望でございます」といふのが「種仕掛はございません」と聞えるんださうで、本当に口惜(くや)しいつたらありません。

❖それに眼の使ひ所が、奇術の方ではコヽといふ肝腎の仕草をする場合は屹度見物の方へ眼を放して客の注意を逸(そ)らすのが極意でしやう。其癖が沁み入つていますから、サロメでも急所の台詞を渡す時になると相手の顔を見るのを忘れてツイ見物の方へ眼が行つて了ひます。

❖何しろ奇術入のサロメといふので大イカ物だなんて云はれていますけれで、然しあのサロメといふ劇が何となくマヂック的ぢやありませんか。私の一座には俳優は一人も居りません。サロメに出るにも足芸師、曲芸師、ヴァイオリン弾といつた連中、兵隊には弟子の女の子を使ひます。

❖成だけ曲線美を発揮するつもりで半裸体で現はれる準備をして居りましたが、其筋の注意で腰から下へ羅(うすもの)を纏ふ事になりました。残念乍ら幾分イカ物の特色に靄が掛つた気が致します」と何處迄も人を食つている。

大正4920日 大阪朝日新聞

◇サロメ 天勝のサロメダンスで七色変化のベールを見た松井須磨子、踊るばかりがサロメぢやないわ、お芽出度いのねえと慨嘆する。側から抱月、無論々々も随分お芽出度い。

◇ダース 浪花座のサロメに対抗して芦辺が三人サロメを出すと、神戸の新開地では五人サロメと上を行くと、東京の浅草では十二人でサロメダースはどんなもんだいとは洒落ぢやない。

大正4921日 大阪時事新報

○奇術入のサロメ 

浪花座へ奇術師の天勝が来た。呼物は「サロメ」である。大小の奇術、喜劇、曲芸、ヴァイオリン演奏、雲雀の表情などはこれまで見たのと同じのやら、変つたと云つても大した違ひはない。要するに天勝の魔術応用サロメといふ凄い前触れに客を吸ひ寄せる。成程魔術応用とある丈けに、王が杯を呼び果物を命ずると待者が絹の切れを以て卓を覆へしてパッと取のけると忽然として酒杯や果物が現はれる。又預言者の切首が井戸から突出されるをサロメが取らんとすれば消えて、隔つた大香炉の火中からヌット首が現れて物をいつたりする。天勝のサロメは台詞がスッカリ新派式で、思ひ入れ沢山、七紗の舞の代りに、舞ひながら手を翻へせば□江、水色、萌黄の薄絹が空中から現れて来る處は正に三紗の舞、これでは七紗が三舎を避けるだらうなんて駄洒落をいふ奴は誰だ。土井のヘロド王は東儀張、静子の王妃は稍々月足らずの気味がないでもなく、佐藤のヨカアナンは灰汁が抜けぬが、何れも奇術師にしては器用なり、度胸なり、感心なり。

大正4922日 大阪毎日新聞

○天勝の「サロメ」 
 浪花座の天勝奇術は初日以来大入を打ち居れるが、天花、百合子の小奇術「硝子トランク」、天勝の「大きくなる人形(グロイングドール)」、一光の傘曲芸など何れも鮮かに見られ、天右、一光の「雲雀の表情」、土井のヴァイオリン独奏は滑稽百出にて、観客(けんぶつ)何れも頤の紐を解(ほど)きて興じあへりき。呼び物の天勝の「サロメ」は万(よろず)芸術座擬(もど)きなるが、那(あれ)までに芝居化せずにもつと奇術としての方面を強く出したらば面白かりしなるべし。

大正4922日 大阪朝日新聞

○浪花座の天勝
 大切り開幕前、態々の口上に「俳優ならぬ奇術師のサロメ劇、お目だるきは幾重にも、但し曲線美と奇術応用は天勝の独壇場」といつたやうな御挨拶のあつた天勝のサロメ振り、あの妖艶な姿でその曲線美とかをどれ程までに発揮するのだらうかと、先づ御見物好奇の眼を見張らさせて幕が開く。  

御吹聴の肉体美では天勝案外にも否肉感的で、大きくいへば芸術的だ。比較しては失敬だと故障が出るかも知れんが、この点で須磨子の方が余程其の筋の御心配ものであらう。どちらかといふと天勝のサロメは寧ろ古典的で、何處かに貞奴の夫れと似通つたところがある。が如何にも台詞に根強いところがないので物足らぬのは是非もないが、踊りは美しい。兎も角あれ丈けに遣つて除ける腕だけは見てやる必要があらう。

夫れから最一(もひと)つ、喜劇「鼠取り」の主人公に扮した天勝は可笑味を可成りに成功させていた。お手の物の奇術では特に目新しいものはないにしても、鮮(あざやか)なお手際は舞台一杯を女王のやうに振舞つている。あの浪花座を文字通り連日の満員で埋めているのも成る程と首背(うなず)かせる。

大正4924日 大阪朝日新聞

❍浪花座 松旭斎天勝は二十四日限り千秋楽。同一座は京都及び神戸の内一箇所にて興行し、直に朝鮮京城の共進会余興に乗り込む由。



◇京都四条南座
926日~103日)

大正4924日 京都日出新聞

❍南座 二十六日より松旭斎天勝一座の奇術及例のサロメ。顔触れは初子、絹子、百合子、天花、園子、文子、天右、一光、土井、天勝等。

大正4925日 京都日出新聞

[広告]松旭斎天勝一行 ◎世界的大魔術(封切数番) 余興─魔術応用 サロメ

当九月二十六日より十月三日迄毎日午後六時開場 四条南座 電中六二〇番・二四七四番

大正4925日 京都日出新聞[広告]

天勝 019

天勝 020

大正4926日 京都日出新聞

❍南座 天勝一行は本日午前十一時半、一座四十余名、盛装の上人力車にて町廻をなし、午後六時より開場さる。番組は既報の如くであるが、分て此度の出物サロメは須磨子とは異つて魔術応用の上、天勝一流の美しい處を見せるので、又評判となるであらう。尚ほ特一等入場者に限つてクラブ三品付お土産を呈する筈である。当興業は十月三日までにて、夫からは朝鮮京城の共進会の余興に出演の為め渡鮮する。

サロメの主なる役々はサロメ(天勝)、ヘロド王(土井)、妃ヘロヂアス(静子)、ヨカナアン(佐藤)、ヘロヂアスの雇従(天花)、若きシリア人(田中)、猶太人(小山)、ナザレ人(龝見)、第一の兵卒(森)、第二の兵卒(中西)、カーパトンシャ人(松子)、ヌピア人(百合子)、兵卒(芳子・林)。

[写真]天勝のサロメ

大正4927日 京都日出新聞[広告]

天勝 022

大正4927日 京都日出新聞

❍南座 天勝のサロメは早くも評判の的となつたが、本業の魔術も従来とは目先を変へたもの多く、筒中の美人、絹の中の美人など受けている。

大正4928日 京都日出新聞

❍南座 天勝一座は一昨日より開演、非常の人気にて開幕前已に大入満員の大盛況。愛らしき少女の奇術も見事に、一光の曲芸、土井の音楽、天右の種明かしも夫々評判良く、特に天勝の魔術は今春とは芸風大に異(かわ)り、特に筒中の男女変化は手際よく大喝采。サロメも舞台装飾大道具が松井須磨子とは異(かわ)り、猶太(ユダヤ)王、王妃の出現、酒、果物等を出す奇術からヨカナンの首が火中に現はれるなど、魔術応用も新工夫のものである。

大正4928日 京都日出新聞

○天勝のサロメ

二十六日より四条南座にサロメを売物に開演している。何時までも若かるべき天勝嬢がサロメ、苦心談を聞かうと其旅宿問屋町五条下る晴鴨楼に訪問すると、嬢は只今お目醒めとあつて応接室にと招ぜられた。

室には既に先客があつて、年頃十八九の所謂新時代の印象を与へる女客であつたが、此女は遥々但馬城崎郡豊川より天勝嬢に師事すべく訪れ来れる岸岡弥生子とて、記者に向つて『私はたゞ天勝さんに弟子入したい計りに出て来ましたので、今更怎那(どんな)ことがあつても目的は変へられません』と堅き意思を細き唇に顫はしいたるがいじらしき計りであつた。旋(やが)てサラリと薄羽織を着流した天勝嬢は『どうも失礼しました』と笑(えみ)を湛へて現はれ、暗示的な眼をトランクの一つに注ぐがやう語る。

天勝 001サロメには随分苦心しましたよ。夫に近頃心臓が悪くつて、脚気まで起つてますので苦しくつて堪りません。昨夜なんかも例の踊をやつてるとペタンと坐つてしまうので困りました。どうせ一生人様を瞞(だま)して行く商売ですから碌な死に様はしますまい。

私は何か一幕物を奇術に差入れたいと兼て思つて居りましたが、須磨子さんのサロメを見ると、如何も魔術に仕組むに持つて来いのものなので、科白の六ケ敷しいことも何も知らずに俄にやることにしました。其始に女優になると方々へ通知を出しますと、皆様方から天勝も愈々喰はぐれて女優になつたと笑はれましたが、然し此度の成功も先づ私が女優になると云ふ所に人気が湧いた結果だと思ひます。夫で愈々やることにしますと、アクセントなぞは充分つけられても科白が六ケ敷くつて到底私達のすることぢやないとあきらめて止めやうとしたこともあります。脚本は小山内さんや東儀さんに依頼して、外国語では面白くつても日本語には解らないとこは全部喰つてしまひました。さて肝心の踊ですが、あれは大体タンゴ踊のやうなお腹をさする踊で、須磨子さんのは踊ではありませんでした。私も之には苦心しましたが、洋行帰りの高木徳子さんが夫は夫は甘いのでお願ひしたわけでした。

サロメは須磨子さんが始めで、夫から下山京子さん、次が貞奴さんがやりましたが、京子さんのは全然失敗し、貞奴さんのは日本舞の手が多くつて駄目でした。須磨子さんも裸体踊りでしたが、私も東京では裸体でやりました。大阪では其筋から留められましたが、何と云つても裸になるのが皆さんのお望みですわね。夫に大阪は現代的に甘くやらなければ観客(けんぶつ)が承知しません。

当地を打上後は朝鮮の共進会に行きます。夫にはサロメは出しません。此後は此種の一幕物を必ず出す積りで、東京でも須磨子さんとあゝなつてから坪内先生が非常に私に力を入れて下さつて、之からは一幕物を書卸して下さる筈になつて居ります。何分俳優でないものがやるのですから下手なところは大目に見て貰はねばなりませんと語る。

弥生子さんは伏目勝ちに此話を身にしみて聞ていたらしく沈黙していた。最後に天勝嬢は「私の脚気のことが新聞に出ると大阪西成郡から田螺を送つて呉れたお方がありました。之をつぶして糠と混ぜて足の裏につけると水気をとつて良う御座います。之は誰方(どなた)にもおすゝめします」と妙なことを聞かされた。

大正4929日 京都日出新聞

❍南座 天勝二日目は七時半大入札を掲げ、八時過には廊下まで詰め込んでスバラシイ人気、一時独立の旗を挙た天花も一行に加つて錦上花を添へて居る。

大正4929日 京都日出新聞

○南座のサロメ

 南座に於ける天勝のサロメ劇は、出演の意義が余興であり、魔術応用であつて、演ずべく演じたものでなく、筋の必然的又は効果的に魔術を応用したものでない。故に劇の本質の意味を欠いているから、真向から之を評すべき限りではないが、天勝が如何なる点まで器用にサロメを演じ、魔術の進境を切り開いたかと云ふ点に付て考へてみるならば、先づ充分の効果を挙げ得ないまでも、其苦心の跡をたどつて相当の閃(ひらめき)を表はし得たと云つてよからう。 

舞台装置は芸術座のとは異(かわ)つているが、此場合其の優劣を論ずる程観者のデリカシーに訴へてはならないからよいとして、さてサロメ女王は如何かと云ふに、松井須磨子の豊饒の肉体に対して天勝の夫は幾らか寂味(さびしみ)を加味し、須磨子が遊女的な挙仕(こなし)と彼の科白が割合にワイルドの耽美的傾向とサロメ劇の夢幻的な気分を現はし得たに対し、天勝はモット神秘的であり乍ら寂し味は却て現実的な箇所を現はしていた。然し天勝の須磨子よりはリフアインされて肉体の美と容姿と着付と動きの点に至つて、天勝は須磨子の上である。分て踊の点に至つては細い力が動いて全く自由である處がいゝ。内で預言者ヨカナンの首を得てからの表情に至つて初めて光が加はつた。八釜しい裸体踊も須磨子の時の如くストライキングではない。たゞモツト舞台全体の調子を夢幻的であらしめたい。

一座では土井のヘロド王が出色で、何處か東儀鉄笛の面影がある。静子の王妃もよく付合ひ、ヨカナンも確乎(しっかり)していたが、若きシリア人の田中は此那(こんな)劇にも一種の癖を出すので他と調和していない。大体から云つて舞台の気分が醗酵していないのは物足らぬ。魔術は単に王と妃の出現、果物の配列、ヨカナンの首が火炎中に現はれるに過(すぎ)ない。モ少し舞台を生す方面に応用する處がないものか知らんと思つた。(朱絃)

大正4930日 京都日出新聞

❍南座 天勝一行は連日大入続きにて、サロメは土井の猶太王評判よく、天右のヨカナンも本家芸術座よりは巧いとの評、天勝のサロメも王が出てからがグット上出来だと。奇術は鳩とキャラメル、筒中の美人が手際よく、一光の曲芸は相変らず前受よし。

大正4103日 京都日出新聞

❍南座 初日以来大入続の天勝一行は予定の如く愈々本日限り打揚げ、明四日朝鮮京城へ向け出発する。

大正4109日 東京朝日新聞

[広告]西洋手品 松旭斎天勝嬢関西興行記念として今秋の宴会に忽ち大喝采を博すべき斬新なる奇術集一千部限り本紙愛読者に無代贈呈す。速に往復葉書を以て申込まるべし。東京麻布帝国奇術協会興行部






misemono at 10:52|PermalinkComments(0)松旭斎天勝興行年表(大正時代) 

松旭斎天勝興行年表 大正4年(1915年)10月~12月

【朝鮮興行】

1010日~1019日 京城朝鮮物産共進会演芸場

1022日~1026日 京城本町有楽座

1027日~1030日 京城朝鮮物産共進会演芸場第二回公演

111日~112日  京城龍山町佐久良座

115日~116日  仁川歌舞伎座


◇朝鮮物産共進会演芸場
1010日~1019日) 

大正4911日 京城日報

 朝鮮物産共進会会場平面図

天勝 012

〈編者註〉大正4911日から1031日まで朝鮮物産共進会が開催された。天勝が公演した演芸館は平面図の中央上(○印編者)にある。また下の写真は99日付に掲載された演芸館の外観。

天勝 001

大正4915日 京城日報

❍天勝一行来期 協賛会に於ては兼ねて演芸館に出演せしめるの目的を以て交渉中なりし天勝の一行三十八名との契約成立し、来る十月十日乗込むことに決定したり。

❍天勝は来月十日 既報の如く松旭斎天勝一行は協賛会との契約纏まりたるを以て現興行地の金沢を打揚げ、大阪神戸の二箇所を経て当地に乗込み、十月十日より向ふ十日間演芸館に出演し、内地至る處にて好評を博せしサロメ外数十種の奇術を演ずる筈。

大正4106日 京城日報

❍天勝一行乗込 六日夜盛な行列 天勝一行三十九名は六日夜乗込の筈にて、協賛会は当夜五十数台の腕車を連ね、楽隊を先頭に花々しき行列をなす可く、初日開演は八日頃の予定にて、初日は午後二時より慶会楼にて盛なる歓迎会を催すべしと。

天勝 015

〈編者註〉写真は107日に掲載されたもの。「天勝一行乗込(向つて左天勝)六日午後九時南大門駅にて」のキャプションが付いている。

大正4109日 京城日報

❍天勝一行出演 奇術界の女王天勝嬢は六日夜花々しく京城に乗り込んで山本旅館に投宿している。天勝が協賛会の演芸館でその濃艶な姿と不可思議な魔術を見せるのは何日からであらうと開演の日を待ち切つている人々の為めに一言する。初日は十日で、此日顔つなぎ会があつた後で盛んな町廻りをする。それから共進会に乗り込んで夜の七時半から十時半まで京阪、東京方面で大人気、進(ママ)呼物となつた魔術応用の「サロメ劇」、天勝得意の奇術数番、最後に一座総出の喜劇といふ変化あり、面白味あり、神変不可思議な演物(だしもの)を全部幕無しで御覧に供する仕組。

大正41010日 京城日報

天勝 019天勝 016❍天勝のサロメ 待ちに待たれた天勝一行の大奇術は愈々十日を初日に共進会の演芸館で花々しく開演する事になつた。天勝一行の中には花羞(はず)かしい美人が十幾人も居て、例のギラ〳〵と美しい洋装姿でダンスも演(や)れば、軽妙の小魔術をも観せる。天勝嬢は今や劇界の呼物になつて居るアノ八釜敷しい「サロメ」を演ずる筈。而も魔術応用の上、天勝一流の曲線美を観せるのだから、開演の上は定めて大喝采を博することだらう。

大正41010日 京城日報

❍松旭斎天勝嬢 一行は午前十時南大門に集り、満飾を施した腕車四十台を連ね、旗差物業々(ぎょうぎょう)しく、三十人の旗手、音楽隊に取囲れて南大門通りを本町に出て、黄金町から鐘路を経て十二時半までに共進会場に練り込み、演芸館に乗り込む。それから慶会楼で各新聞記者、通信記者、協賛会各役員、その他関係者との盛んな顔継(つな)ぎ会を開く。夜は午後六時演芸館開場、七時開演、例の京阪、東京等で大人気をとつた魔術入りの「サロメ」からダンス、神変不可思議の大奇術、喜劇等を十時まで幕無しで演ずるといふので、料金は特等一円、一等七十銭、二等五十銭、三等三十銭。

大正41010日 京城日報

○肉の悲劇 共進会に出演す可き天勝のサロメの筋書

 此劇は英国の詩人オスカーワイルド氏の傑作で、材を旧約聖書馬太(マタイ)伝中から採つたものである。兄を殺し、其妃ヘロジアスを己れの妃として自から猶太(ユダヤ)の王位に上つたヘロドは、兄と妃との間に出来た王女サロメの姚婉なる姿に道ならぬ心を寄せて居つた。先王の仇敵(かたき)である今王の不義の褄重ねをして心に疚しいとも思はぬ様な冷酷な母の血を受けたサロメは、燃ゆる様な情天勝 017熱の中にも何處かに残忍な影を宿して居つた。当時此国にヨカナーンといふ預言者が現はれて色々と不吉な予言を言ひふらした。王は非常に之を厭ひ、嘗て先王を十二年間も幽閉して置いたと言ふ城内の古井戸の中に預言者を拘禁した。一夜城中で羅馬皇帝の使節を接待する盛宴が張られた。丁度其夜の出来事である。宴席を遁れて庭に出たサロメは図ずも井中より洩るゝ預言者の透徹したる声に聞き惚れて、急に之が見たくなり、常々自分を恋して居る近衛の士官ナラボスにやさしい言葉をかけて到頭預言者を井中から引き出さしめた。サロメはヨカナーンの豊麗なる肉体を見るに及んで忽ち熱烈なる感覚の擒となり、強て其口に接吻せむことを要求した。預言者は侮蔑の言を以て之を斥け、再び井戸に姿を隠し、ナラボスは責任を怖れ、失恋の結果自殺した。そこへヘロド王は妃のヘロジアスと共に現はれ、酒の機嫌でサロメに舞を所望する。妃は之を制し、サロメも之を拒んだが、王が望みのものを何でもやると誓ふに及んで終に其意に従ひ、素足素肌で舞踏することゝなつた。さて、舞踏が済んでからサロメの要求したものは何であつたか、黄金にあらず、宝玉にあらず、王の尤も怖がつて居る預言者の首であつた。王はそればかりはと手をかへ品をかへてなだめたが、サロメは頑として聞き入れないので、終に預言者の首を斬つてサロメに与へた。サロメは其首を抱いて心ゆくばかり接吻したが、流石に残忍なる王も目の前に此狂態を見て急に怖気を催し、兵士に命じてサロメを殺して終ふと言ふのが大体の筋である。

大正41011日 京城日報

○花々しい天勝の乗込み 慶会楼階下に於ける盛大な顔継(つなぎ)式

 十日からいよ〳〵演芸館に出演する天勝一行三十余名は一同腕車を連ねて楽隊を先頭に南大門停車場前に集合し、南大門通り、本町、大和町、寿町、永楽町、黄金町、鐘路等を経て京城日報に敬意を表し光化門前から協賛会に乗り込み、直ちに慶会楼に赴いて、此處で顔つなぎの式がある。一行中の婦人はいづれも眼の覚める様な洋装で堂々と繰り込んで来たのには、折柄見物中であつた入場者は天勝が天勝が─と寄つてくる。 

天勝 018

乗込式は楼上に行はれる。天勝一行は固より協賛会側から吉原会長、金谷副会長、釘本余興委員長を初め役員は総出で食卓が開かれる。席上吉原会長は天勝嬢一行が遠路の處を協賛会の招聘に応じて来京せるを喜ぶ、此の上は十分その天成に加ふるに且つ熟練なる妙技を振つて大成功を収めん事を望むと挨拶するや、之れに答へて天勝の支配人が、吾々が今度協賛会のお招きにより乗込み来つたのに対し、吾々如きものに対し御当地の御歴々と同席の栄を辱けのうし、且つ紳士の待遇をば与へ下さつた事は吾々の将来の面目上忘れる事の出来ぬところであるといふ意味の挨拶があり、それから何れも砕けて杯を重ね、女王の如き天勝を中央に話がはづむ。天勝嬢とは十数年来舞台と見物席で知合といふもの、一行中の甲乙を捕まへて、眼がいゝ、イヤ口元がと無遠慮な品定めもあれば、天勝君はだん〳〵若くなつてゆくばかりだ、うまく持上げるもあり、終りに記念撮影して一同目出度く演芸館へ乗込んだのであつた。(写真は慶会楼の天勝一行の顔つなぎ式の様子)

大正41011日 京城日報

○驚神駭魄 開場前から締切つた天勝の人気

 共進会の人気、京城の人気を一身に集めた松旭斎天勝は愈々十日から演芸館に蓋を開けた。何がさて呼物の封切大魔術と評判のサロメが観られるといふので、宵の口から続々と詰め寄せる。十日の夜間、開場の人足は天勝のサロメが大部分之れを惹いたといつても大した誤まりはない。その盛んな人気は開場前から階下も特別席もギッシリ詰まつて、三箇所の表木戸は固く閉ぢられ、巡査や係員や守衛が、気狂ひの様になつて吶喊してくる群集を制している。

天勝 020

円子と文子が小奇術の最中、無理に割込ませて貰ふ。次に拍手に迎へられて天勝の封切魔術が始まる。鳩とキャラメルの奇抜なる、皇国誉の艷麗なる、何れも大喝采だつたが、就中筒中の美人は甚(いた)く満場を驚倒させた。朝鮮人の如き、あれは人間ではあるまい、神様だといつて目を丸くするものもある。つゞいて土井ビリケンのヴァヰオリン独奏は追分と博多節をやつて之れも喝采、その他天右、一光、初子、絹子、天花、百合子その他の奇術曲芸、花の如き、蝶の如き少女連のダンスなどもあつたさうだが、時間の都合で是非観たいと思つたサロメと共に観ずに帰つた。

然し此の夏、本郷座に上演した時は奇術応用なのと、初(はじめ)てであつたのとで、諸家の評判はサロメには手馴れた貞奴に比較しその動きの自由な所、表情の巧みな所、型の整つた所など却つて優つているといふに一致した様に記憶している。舞台上で俳優として天勝が貞奴より上だといふ事は出来ぬが、サロメに於いては東京では評判の良かつた事を紹介して置く。その上各地を巡業して一座の者との呼吸も合つて来た事を合せて紹介して置く。(太郎法師)(写真は十日夜の演芸館札止め盛況)

大正41012日 京城日報[広告]

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番組:一、小奇術(初子・絹子)、二、小奇術(天花・百合子)、三、小奇術(鳩とキャラメル・鍋中の花・皇国の誉・封切魔術筒中の美人・グローイングドール=天勝)、四、魔術応用…余興「サロメ」(一幕)/小奇術(園子・文子)/五、絶妙なる曲芸(一光)、六、ヴァイオリン独奏(土井)、流行ダンス(モルガン)、七、滑稽奇術種明かし・雲雀の表情(天右・一光)、八、二重トランプ・不思議の扉・美人閣(天勝)

大正41012日 京城日報

○天勝評して曰く 須磨子さんは動きません 貞奴さんは痩せて居ます

 サロメで返り咲の奇術の天勝、名古屋、福井、金沢、大阪と続け打つて、神戸興行が協賛会と引張凧になり、金銭づくなら神戸ですが、一番此のお目出度い共進会へ出ませうと宣託、そこで十日の初日湧き返る大入、知るも知らぬも世の中の偶像連、サロメ〳〵と囃し立てる、天勝の意気や盛(さかん)なりと謂(いい)つべきだ。その天勝、初日の景気に治まり返つて、山本旅館の一室、巧みな表情に妖麗な眼を瞠はりながら語り出すサロメの話。

 天勝 032平素から何か舞台に登(の)せてみたい〳〵とは思つて文士方にも脚本を書いて戴くように願つて置いたんですけど、怎(ど)うしても二幕三幕になるものから思ふ様にゆきませんし、私の柄で日本物でもあるまいと思ひましてね、愚図ついてるうちに帝劇で須磨子さんのサロメを観に行つて、幕が開くと同時に、あゝ之れなら──と、ふと思つたもんですから、俄に演(や)つて見たくなつて熱心に観たのが私がサロメを演る動機になつたんですの──と美しい眼を輝(かがやか)す──で、早速小山内(薫)さんに相談すると、洋装の型のいゝ君ならよからうつていふお話、それでは須磨子さんの型通りでは変ですから、型を替へてと申しましたところが、イヤ型は替へない方がいゝだらうつてんで、台詞や動作は無名会の東儀(鉄笛)さんに教へて戴き、又洋行中に親しくサロメを御覧になつた小山内さんからいゝ型をつけて戴き、ダンスなどもサロメの本の写真からいゝのを取つてかゝつたんです。台詞などはなるべく省ける丈省いたので極く粗削りなのです。芝居は一体好きで、洋行して居ります時分からよく観ては仕科(しぐさ)の真似などしていましたが、何しろざらの素人なんですから、どうかと思つて心配していました。

ところが、サロメといふ劇は台詞でもなければ動作(こなし)でもなく、半裸体になつた肉の曲線美であつて、余興魔術的に出来て居るので、いろ〳〵の批評もありましたけれど、私の型は持つて生れた体格と、小娘の時分から奇術師として取扱つて来た身体とが手伝つて好評を戴いたんです。須磨子さんはヨカナアンの首を抱えて半紙四枚程なる長台詞を少しも動かずに言つたんですが、私はいろ〳〵身体を動かしながら言つたのです。その時、抱月さんも須磨子さんと揃つて観にいらつしつてましたが、その後拝見すると、須磨子さんも前の型を更(あらた)めて身体を動かしていましたが、私の型を真似たんだなと思つて愉快でした。

貞奴さんは背も私より一寸程低いし、近頃大へん痩せていらつしやるので裸体にはなりませんでしたが、胴が長くつて足が短かい日本の女では、私共はじめどうもうまくゆきませんから困りものです。それから台詞ですが、之れが又難物で、例へば『首が所望で御座います』といふところなどがどうしても平素言ひ馴れた奇術の方、『種仕掛は御座いません』といつた様な上辷べりのしたアクセントが出るので、之れを直すのに随分骨が折れました。又奇術の方では肝腎なことろへ来ると眼が屹度手先を辷べつて見物の方に行つて終ふ癖があるので、折角の仕どころが変になつて了ふんです。恁(こ)んな事も中々癖が取れなくつて困るんです。

奇術は王が銚子を持てといふ時、普通ならば従者が運ぶのですが、此處は奇術応用で銚子が自然に現はれてくるのです。又首を井戸に取りにゆく所も首がひとりでに動いて台詞をいふんです。その外二三箇所奇術が這入つています。初めの考へではもつと奇術を多く使ふ筈でしたが、さて舞台に立つて見ると、持役の方に一生懸命になるもんですから、どうしても奇術の方には思ふ様に心が使はれません。余裕がないんです。私の座には本物の俳優は一人も居らず、皆素人ばかりの所に御同情を戴いたわけなのです。

それから私、実は脚気を患らつてましてね、朝鮮に来てから大変いゝと思つて喜んでますと、俥に乗て町廻りをしたせいか、初日の晩舞台に出ますと麻痺(しびれ)が来て、あゝ困つたと思つてると、遂々(とうとう)サロメのダンスの所で思はず片腕ついて大失策(おおしくじり)を行(や)りましたの。それからハッと思つて立上つたものゝ、足がフラ〳〵したりブル〳〵慄(ふる)へたりして感覚もなにもないんです。実に困りました。天勝のサロメつてあんな恰好なんだらうかと思はれては敵ひませんから其處は宜敷==と膝を擦つたが、『それでも病気は悪くなりますが演れる丈演ります』と眉を動かす。

大正41013日 京城日報

❍「サロメ」は十四日限りで、後は羽衣舞踊(ダンス) 共進会演芸館に出演中の天勝の奇術応用のサロメは頗る好評で、十一日の夜も雨天に拘らず大入満員の盛況であつた。此の大評判のサロメは十四日限りで演了し、十五日から更らに天勝及び一行の最も得意とする種々の光線を利用した羽衣ダンス並びに喜劇を出し、飛切り美しいところを御覧に入れるといふ。天勝のサロメは是非一度観て置くべきものである。

大正41014日 京城日報

[広告]大好評連日満員!! 十九日迄引続き毎夕六時開場 サロメ劇、大魔術、天勝一座サロメ劇は十四日限り 見遁す勿れ 共進会場内京城協賛会演芸館

大正41015日 京城日報

❍天勝一日日延 協賛会演芸場の天勝は十五日より演曲替の所、余興のサロメ劇意外に盛況につき一日日延べし、十六日より羽衣ダンス喜劇を演ずる由。

大正41016日 京城日報

❍天勝へ花環を贈る 京城日報の家庭博より 演芸館出演中の天勝に対し京城日報社は家庭博覧会の名を以て美事なる大花環を寄贈したれば、十五日夜より舞台に飾られ、紅白紫黄電燈と相映じ、絢爛目を奪ふものあらん。

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〈編者註〉写真は翌日の新聞にのった大花環と天勝。

大正41016日 京城日報

❍婦人子供デーと演芸館 十七日の共進会「婦人子供デー」には既報の如く一人残らずお土産品を進呈した上、角力館を御婦人お子供さんの為めに開放、休憩所に当て、場内各興行物は全部大割引、ブランコは無料、写真館まで二割の割引をする上に、演芸館は婦人子供諸君の為めに男子をお断りして午後三時半から五時半まで天勝一行の大小奇術、喜劇、ダンスを御覧に入れる。そのプログラムは一、小奇術、二、曲芸、三、小奇術、四、少女ダンス、五、ヴァイオリン独奏、六、奇術、七、小奇術、八、喜劇いたづらボーイ。

❍天勝は「胡蝶の舞」と喜劇 連日満員札止の盛況を呈せる共進会協賛会場演芸館出演天勝一行のサロメ劇は十五日にて切り上げ、十六日よりは電気応用「胡蝶の舞」の思ひ切り美しい所と喜劇「鼠捕り」を出し、他の大小奇術、少女ダンス等と共に御覧に供する由。

大正41017日 京城日報

[広告]大好評の天勝一座 十六日よりサロメ劇の代りに艶麗花の如き「胡蝶の舞」、抱腹絶倒の喜劇「鼠取り」を差加ふ。十九日迄引続き毎夕六時開演 観覧料特等一円、一等七十銭、二等五十銭、三等三十銭。共進会演芸場



◇京城日報主催家庭博覧会の変装探しに参加(
1021日)

〈編者註〉京城日報(太平通一丁目)は共進会と同時に本社屋で家庭博覧会を開催した。いろいろなイベントが行われたが、十月二十一日の変装探しに天勝一座のものが参加した。

大正41020日 京城日報[広告]

天勝 023

大正41020日 京城日報

○此機会を逸する勿れ あと十二日=二十日の家庭博=景品は積んで山の如し=夜は天勝の変装探し

「天勝の変装探し」と云ふ余興が二十日の夜の家庭博場内で催ふされることになつた。変装に巧みな天勝嬢の外天花、百合子、静子の三美人に一光と天右の二奇術師等は果して什麼(どんな)変装をするだらうか、変装に自信を持て居る天勝を発見する人があるだらうか、兎も角も今晩は変装した天勝、仮面を脱いだ素顔の天勝を見られる訳だ。(後略)

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   〈編者註〉写真は左より静子、百合子、天花、一光、天右。

大正41021日 京城日報

○家庭博の第二回美人探し 天勝の変装探し 雨天に付明二十一日夜に延期す

(前略)天勝及び一行の男女五人の懸賞変装探しがある筈であつたが、朝来の雨天の為め残念ながら二十一日夜間に延期した。(後略)

大正41021日 京城日報

○天勝の変装探は今夜 十円の懸賞は誰の手に=発見された変装者は其姿で奇術を演る=今夜は是非捕へねばならぬ=

変装した天勝は今二十一日の夜七時から家庭博に現はれることになつた。今夜の変装競争に出るのは天勝を筆頭に一座中の花形美人天花、百合子、静子の三美人と天右、一光の二奇術師と都合六名で、各々得意の変装をやつて今夜の七時に家庭博場内に現はれる。六名の変装者の写真は二十日の朝刊に掲載の通りで、変装した天勝を発見して、貴女(あなた)が天勝嬢ですと明確に当て、事務所に同行した人には十円の懸賞、其他の変装者を発見した方には何れも二円宛の懸賞が付せられて居る。天勝以下五名の変装者が残らず発見せらるゝであらうか、如何に神変不思議の魔術があるとも幾千人の人の目を瞞(くらま)すことが出来るであらうか、天勝以下四人の美人は何者に化けるであらうか、二人の男子は何者に扮するであらうか。此変装探し丈でも興味の深い上、発見された変装者は其罰として後庭カチ〳〵山の上の舞台に上つて変装した儘の姿で奇術を演ずることになつて居り、若し又変装が巧みであつて規定の時間内に発見されなかつた場合には変装者は勝利者として大手を振つて帰ることになつて居るから、今夜の入場者は是非共六人の変装者を一人も残らず発見して貰はねばならぬ。万一六人の内一人も発見されない様な事があるなれば懸賞金は皆変装者に持つて帰られ、折角の大奇術も見られないと云ふ訳だから今夜こそは一生懸命に探して貰ひたい。兎に角も今夜の変装競争は普通の変装とは毛色が変つて居るから其光景を見る丈でも面白からう。尚ほ変装の外に家庭博楼上では閨秀画家竹西女史の席上揮毫もあり、福引的大景品は番外の景品が殖えて、今や佳境に入つて居る。家庭博もモー後十一日に迫まつて居るから、今夜の如(よ)うな機会を逸せず観覧せられたいものだ。

大正41022日 京城日報

○化けたりな天勝 
 見窄(みすぼ)らしい下女姿と天右の予備少尉と百合子嬢の朝鮮婦人の三人が発見

 天勝 026満都の人気を集めた天勝一行の変装競争は午後正七時から家庭博覧会で行はれた。度々舞台や写真でお馴染の天勝並びに一行中の花形天右、一光、静子、天花、百合子の事なれば如何に神変不思議の変装を為すとも何程の事やあると、イヤ来たりな来たり、七時半には既に場内は真黒になつて、新聞写真を持つた人達が盛んに凄い目付を光らして、男と言はず女と言はず物色する。

『天勝さんでせう』『一光君でせう』『イエ違ひますよ』『違ふ』なんかと盛んに彼方此方(あちらこちら)で愚問駄答が繰返されて賑かな事だ。中にも猛烈なのはオペラグラスを持つたり、梯子段の入口に腰掛けたりして蟻一匹看逃(みの)がすまいと構え込んでる。さうした嶮はしい関所は場内の殆んど各館にある始末。その中に変装術の自信を貫かうと割り込んで来た天勝一行は宛然(まるで)茨の林へ飛込んだ様だ、針の山に分け入つた様なものだ。

七時二十分頃、陸軍少尉の在郷軍人に化けて纔かに髭を作つた天右が入場してサーベルを光らせながら見物して歩いたが、五号館の手前の家庭博事務所前で仁川病院の高田慎次郎君が発見して忽ち捕虜にしてカチカチ山に曳張てくる。天右は『最(も)う捕まつちまひましたよ、僕は之でも正真正銘の予備陸軍少尉なんですが、聯隊の襟字が無かつたのと髭が拙(ま)づかつたんでせうね。此の髭が─』と短かい髭をいぢりながら『徽章も持つてますよ』と在郷軍人やら勲六やらを見せる。『宿から尾(つ)けられたんぢやないかしらん──』と笑ひながら腕に発見済の札を付けて更に場内廻りと出かける。

此の時は運動場の隅から隅まで全く人を以て埋り、錐も立たぬとはどうしても此場合の形容だと思はせる。その数は懸引なしの正味五千、イヤ最(も)う唯呆れるばかりの景気だ。暫らくするとその群集の一角からウワッと喚声が起る。続いて『百合子が捕まつた〳〵』と囃し立てると、間もなく大きな大きな人波が揺れて、朝鮮婦人に扮した百合子が可愛相に大男四五人に細い腕を握られてやつて来たが、最初の発見者は子供を抱いた京城運泥洞の田村陽三君と定まる。百合子は母に見立てた朝鮮の婆さんと外に二三人の朝鮮婦人と一緒に来たのだが、朝鮮語で話しかけられ返答が出来ないので仮面を剝がれたのだ。同人がカチカチ山に立つと『イヨウ妓生』『太平町の喝甫に似てるぞ』などと見物席が湧き立つ。

その内某氏の夫人に随(つ)いて下女に扮し、顔から手にかけて薄墨を塗り、啣み綿で頬を膨らませ、髪をさんばらにした天勝が子供を抱いて入場したが、下足場の先きで一人の男に『お前さん天勝さんでせう』と例の、でせうの規則外づれの質問を受けたが『知りません』と切り抜け、五六歩進むと五六人から一斉に『天勝です』と摑み掛られ、前後左右から曳張り廻されて人波の中をカチカチ山に連れて来られた。サア愈々本尊の天勝が見付かつたといふと、群集は又してもワアッアと鯨波(とき)の声を揚げて『天勝の顔を見せろ』『ハハアよく出来た、萬年町の叔母さん─』などと怒鳴り立てる。

それから暫らくすると変装中止の振鈴が鳴り、田舎書生に化けた一光が『朝鮮人の子供から咎められたが正式ではないので刎ねつけました』といつて来り、大柄の紫矢絣を着流して令嬢姿に化けた天花が『妾も二度程呼びかけられましたが皆、でせうばかりだもんですから──』と引上げて来、最後に奥様風に装つた静子が『妾とう〳〵一度も呼びかけられませんでしたの』と帰つて来た。之れで一同が変装のまゝ揃つてカチカチ山に登り、天勝の手品の種明し、天右、百合子の小奇術があつて、大喝采裡に閉会したのは十時過ぎだつた。

因みに発見されなかつた一光、静子、天花三名の賞金は本人等の申出によつて全部を慈善事業に寄付する事となつた。又天勝発見者は被発見者の決定で京城青葉町一丁目百十一番地吉川協君と定まり、外の五人に対しては当人から一円宛分与する事となつて目出度く済んだ。

大正41023日 京城日報

天勝 028

[写真]二十一日夜の家庭博変装の天勝一行 向つて右より田舎書生姿の一光、夫人姿の静子、令嬢姿の天花(以上発見せられざりし者)、朝鮮婦人姿の百合子、軍人姿の天右(以上発見)



◇本町有楽座
1022日~1026日)

天勝 027

大正41022日 京城日報

❍有楽座と天勝 共進会演芸館に出演して大喝采を博したる松旭斎天勝一行の大奇術は愈々二十二日より向ふ五日間開演し、封切り奇術、天勝得意の大魔術の外、大評判のサロメを演ずる由なれば、定めて大盛況を見るべし。

〈編者註〉上掲の広告は1022日に載ったもの。

大正41023日 京城日報[広告]

新築落成 本町一・電話二六六 有楽座

当る十月廿二日より同廿六日まで五日間、毎夕正六時開館

◎松旭斎天勝一行の大魔術◎

先般来共進会演芸館に於て空前の大喝采を博し、尚好評と輿望は満都に充溢せる稀代の名人松旭斎天勝一行義、当館で来る廿二日より五日間「サロメ」と大魔術の外、是迄皆々様方に公開せざりし封切りの□□各種を御尊覧に供し候間、何卒賑々敷御来館の栄を賜り度御願申上候。

〇不思議の扉○塔中の美人○滑稽奇術種あかし○音楽合奏○「サロメ」○喜劇鼠取り○其他大小奇術十数番

▲本興行中は従来発行の招待券、入場券御断り申上候。

大正41023日 京城日報[広告]

天勝 029

大正41024日 京城日報[広告]

天勝 030




◇朝鮮物産共進会演芸場第二回公演
1027日~1030日) 

大正41027日 京城日報[広告]

天勝 031

大正41027日 京城日報

○お名残の天勝 演芸館で喜劇

 お手前ものゝ魔術や奇術にお芝居まで加へて大人気を取つて居る松旭斎天勝一行は二十七日から三十日まで再び協賛会の演芸館に出演することゝ為(な)つた。今度の興行は「祝共進会之成功、天勝御名残寄付興行」といふ曰(いわく)付き、天勝が京城市民の大評判の歓迎に聊か御礼心の催し物であるのだ。

其の出し物は少年少女諸君を主として、時間も今までより一時間繰り上げ午後五時開場、六時開演、九時半閉場で、巌谷小波先生考案のお伽喜劇「新うかれ胡弓」を魔術、奇術応用で御覧に入れる。同お伽は三場一幕物で、京阪、東京その他内地で大好評を博したもの。その大道具、電気応用の点も内地で演じたのと些(さ)の変りはない。その役割は魔王(土井)、赤鬼(天右)、青鬼(一光)、朝鮮人(初子)、支那人(芳子)、西洋人(絹子)、台湾土人(園子)、紳士(池見)、夫人(百合子・光花)、孝女ネリー(文子)、ネリーの母(天勝)。

 又音楽隊の合奏にはヴァイオリン、マンドリン、ギター、セロー、ピアノがある。魔術には「宇宙の少女」外数種、奇術は「指環の変転」その他。入場料は大特減で一等六十銭、二等四十銭、三等二十銭。

大正41029日 京城日報

❍天勝の名誉 李王々妃両殿下御台覧の天勝の奇術は既報の如く去る二十四日夜昌徳宮仁政殿に於て催されたるが、両殿下には殊の外なる御満足にて絶えず微笑を含みて御熱心に御覧あり。技神に入る毎に歎賞ありしが、今回両殿下の特旨にて御製御紋入周□壺式花瓶一個、銀製屠蘇瓶一個、銀製酒盆一対、古鏡形仁丹入、始政五年記念簪一対御下賜ありたりと。

大正41030日 京城日報[広告]



◇龍山町佐久良座
111日~112日)

大正41031日 京城日報

❍天勝と龍山 目下共進会演芸館にて興行中の天勝一行は来月一日より二日間龍山佐久良座にて開演し、大小奇術外評判のサロメを出す由。

大正4111日 京城日報

[広告]龍山佐久良座 来る十一月一日初日開演 世界的大魔術松旭斎天勝一行 「サロメ」大奇術 定めし大人気ならん

大正4112日 京城日報

❍天勝の名残 演芸館に再度出演して大人気だつた天勝一行、一日二日の両日は龍山佐久良座に出演、お馴染の封切魔術、大小奇術、並びに例のサロメを上演する。之れが京城に於けるお名残なるべし。



◇仁川歌舞伎座
115日~116日)

大正4113日 京城日報

❍天勝仁川乗込 京城に於て空前の好評を博したる天勝一行は愈々来る四日仁川に乗込み、五日六日の両日、仁川歌舞伎座に於て興行する事に決したり。

大正4116日 京城日報

❍天勝一行乗込 天勝一行は四日仁川着の上、天勝外七名は仁川旅館に、他の三十余名は筑前旅館に宿泊、五日より仁川歌舞伎座に於て出演。

 

 

 

 



misemono at 10:00|PermalinkComments(0)松旭斎天勝興行年表(大正時代) 

2017年06月30日

松旭斎天勝興行年表 大正5年(1916年)

大正5


◇愛知県名古屋市御園座
412日~17日) 

大正547日 名古屋新聞

❍御園座の大演芸会 大演芸会は空前絶後の催しにて当市には最も肩入多く、且つ来名の都度全市の人気を沸騰せしむる者のみを選択し、来る十一、二日頃より開演の由。出演者は浪界の勇将と推さるゝ吉田奈良丸、天下無敵の称ある魔奇術の覇王松旭斎天勝嬢の一行を始め、当市各連妓腕達者芸妓の長唄等にて、其他余興数番を差加ふといへば、是迄に例を見ざる名人会とて定めし大入を占めるならん。

名古屋 009

大正548日 名古屋新聞

❍御園座 演芸大会は十二日より開催の筈にて、浪界の驍将吉田奈良丸、魔術界の女王松旭斎天勝一行と市内各連芸妓の長唄及び踊りを上場すといへば非常の人気なるべく、既に奈良丸、天勝へは贔屓先より夫れ夫れ寄贈品を送り来しと。

大正549日 名古屋新聞

❍御園座 既報の如く来る十二日頃より大演芸会にて開場。今回の催しは頗る目先き変りし顔合せ、即ち浪界の覇王吉田奈良丸の浪花節に奇術界の女王松旭斎天勝一行、名古屋芸妓の粋を集めたる長唄及び舞踊等なれば、前人気素晴らしく、開場の上は大入を占むるなるべし。

大正5410日 名古屋新聞

❍御園座 同座の大演芸会は愈々来る十二日午後四時より花々しく開演。浪界の覇王吉田奈良丸一座、奇術界の女王松旭斎天勝一行が各自独特の妙技を揮ひて観客を酔はしめたる後に、名古屋芸妓の長唄及び舞踊あり。出演者芸妓左の如し(省略)。

大正5411日 名古屋新聞

❍御園座 大演芸会は愈々十二日午後四時より開演。前人気非常によし。出演番組左の如し。

 義烈百傑得意の読物(奈良丸一行)、大奇術大魔術(天勝)、小奇術(天花・百合子)、ヴァイオリン独奏(ビリケン)、滑稽奇術(天右)、曲芸(一光・天龍)、娘子軍のダンス、(芸妓連省略)。

大正5412日 名古屋新聞

❍御園座 大演芸会は吉田奈良丸一行、松旭斎天勝一行に名古屋芸妓の粋を抜き、舞踊「小鍛冶」及び長唄「竹生島」「道成寺」を演ずる事既報の如くなるが、出演種目多数なるを以て、午後四時より開場し、奈良丸の浪花節、各連妓の長唄は六時より七時半まで。入場料は三等金十八銭、二等三十五銭、一等五十銭、特等七十銭にして、明十三日は中券番の総見あり。特に場内の装飾はカブトビール会社より寄贈して、花々しく飾り立て一層花やかになすといふ。

大正5414日 名古屋新聞

❍御園座 大演芸会は非常の好人気を以て迎へられつゝあり。開場は毎日午後五時、午後十時半頃に打出し。呼物なる吉田奈良丸一行の浪花節は、六時頃より七時半までの間にて、本日は「大高源吾笹売」又天勝一行の大奇術及び各連芸妓の長唄、舞踊等何れも花やかなるものにて大々喝采。

大正5415日 名古屋新聞

❍御園座の演芸会 浪花節の吉田奈良丸に奇術界の女王天勝に名古屋美人を配すといふ鳥度珍らしい顔合せ、上戸にも下戸にも子供連にも大歓迎される取合せゆえ、却々の好人気である。天勝一行の奇術・曲芸・喜劇は何時もながら鮮やかな上、天勝の美しいのが見物を魅して了ふ。奈良丸の円転自在の咽喉は浪界党に満足を与へ、中券美人の長唄、廓連美人の舞踊は誰彼の差別なく喝采する。兎も角クル〳〵目先が変りて興味深く、倦く事のないが見物に喜ばれている。春の夜を面白く過すには何よりのもの。(後略)

大正5416日 名古屋新聞

❍御園座 演芸大会は連日好評を博し居れるが、本日は天勝目新しきものを差加へる事となり、芸妓の義太夫等も呼物として迎へられ居りて、連日好人気の為め一日日延。金三十銭均一の早い勝となし、別に特等席の設けもありと。

大正5417日 名古屋新聞

❍御園座 開演以来盛況を呈したる吉田奈良丸、松旭斎天勝一行及び各連芸妓出演の合同興行、愈よ本日限り。金三十銭均一のお早いがち。



misemono at 16:18|PermalinkComments(0)松旭斎天勝興行年表(大正時代) 

松旭斎天勝興行年表(大正6年~10年)

大正6年(1917年)


◇京都四条南座11日~110日)

大正615日 京都日出新聞

[写真]天勝の素顔と舞台

天勝 017

大正617日 京都日出新聞

○初興行 南座の天勝

▼南座は人気者の天勝で開場している。近畿地方では京都、神戸は養由、為朝の弓勢のやうに射落しはない極め札がついた天勝の当り場、宜(むべ)なる哉、初日以来の大入りは蓋を開けて先づお目出度い次第である。打見たところ舞台装飾も道具も美々しい。魔術奇術も新らしいものが多い。天勝の奇術は相変らず舞台を派手に〳〵と、観客の眼を淋しがらぬやうにして行く彼の女の要意が窺はれる。そして何處迄も所謂小づまの人でなく大物の技術で当(あて)る人である。

▼お馴染の一光の曲芸、天虎の針金の上の足芸など水際立つたところを見せる。其他天花、初子、絹子、文子などの美しい連中を始め、露国女優のダンスといふ景物まで、常に舞台を淋しくせぬところに他に比して此一座の特色が見える。

▼曩に「サロメ」で味を占た天勝は、更に「テムペスト」だの「チャレーの伯母さん」だの「愛の力」だのと…尤もマヂカルではあるが、旺(さか)んに劇的に新径路を辿らうとしている。飽かれない方法として、又新しい試みとして固より悪からう筈はない。而し漫然と進むのは頗る危険なことである。

▼「サロメ」の好評を博したのはマヂカルとしてよりもドラマチカルに予想外の好評を得たのは事実であつた。当時ある東京の劇評家などは須磨子、貞奴以上だとまで書いたものであつた。真逆(まさか)油をかけた訳でもあるまいが、奇術の人たる彼女の「サロメ」を劇の人として取扱はしめたのは彼の女の強味である。而し俄に当時の賛辞を以て今後を定める訳にはゆかぬ。其處に研究の必要が伴ふ。

▼彼女はアクターとして可なりの天分を持つている。彼女の肉体、彼女の表情、それらは須磨子、貞奴に比して遜色はない筈である。劇的の才能、それは俄に断定は下せないが、貧弱であるべくも思はれぬ。只彼女一人でない、総合芸術としての劇である以上、登場する程の人は悉く劇的に活(いき)なければならぬ。大掴みにして言ふ舞台構造の研究が必要である。

▼「テムペスト」は見落したから、果してどれ程の程度であるかは判らないが、「愛の力」に依つて見ると、まだ〳〵研究すべき余地は大分ある。私は天勝が此新らしい途(みち)によつて進むで行くのを否まぬと共に、もつと研究し、且つ奇術応用をもつと分量に於てもより多く、そして適切に用ひてもらひたいと思ふ。

大正618日 京都日出新聞

❍南座 天勝一行は初日以来殆ど満員続きで日延の話もあるが、惜いかな次興行の日取りが纏つているので十日限り神戸へ行くそうです。

大正6110日 京都日出新聞

❍南座 天勝はいよ〳〵十日限りで千秋楽となり、一行は打揚げ後奈良を二日間、それから神戸に行つて名古屋へ行く予定だそうです。

 


◇大阪道頓堀弁天座
317日~329日)

大正6311日 大阪毎日新聞

❍天勝来る 弁天座の当興行は十五日千秋楽となるべく、次興行は久々にて松旭斎天勝一行の奇術にて、十七日より昼夜二回開演すべし。

大正6315日 大阪毎日新聞[広告]

天勝 005

大正6315日 大阪毎日新聞

❍天勝の奇術 弁天座の訥子一座は十五日限り打上げ、十七日よりは既報の如く松旭斎天勝一行にて開演すべく、今回の呼物は露国巡業の土産として連れ帰りたる同国女優数名ダンスと沙翁原作の「テムペスト」劇にして、天勝が妖麗なる舞台姿と魔術を応用せる中にミランダ姫と空気の精エリエル、海の女神ジエノーの神を早替りにて見すべし。

大正6317日 大阪毎日新聞

❍弁天座 十七日より開演の天勝一行の奇術番組は左の如くなるが、とりわけ外人ダンスは昼間は露国古代の服装にてコミックダンスを、夜間はお伽ダンスを見する由。

昼の部:(一)小奇術(二)トランクの奇術(三)梯子の曲技(四)喜劇チヤレーの伯母さん(五)音楽合奏(六)金線上の妙技(七)滑稽奇術(八)天勝の魔奇術(九)露国女優ダンス(十)曲芸(十一)テムペスト劇

夜の部:(一)音楽合奏(二)梯子の曲芸(三)小奇術(四)トランクの奇術(五)テムペスト劇(六)金線上の妙技(七)滑稽奇術(八)露国人のダンス(九)天勝の魔奇術(十)曲芸(十一)社会劇愛の力

大正6319日 大阪時事新報

❍露国ダンサー 天勝一座に加つて弁天座出演の露国舞踊家の母娘三人はワルソー出身の波蘭人で、独軍の為め家を失ひ、夫たり父たる人は予備大尉として従軍、負傷して入院中にて、此三人がそれを扶養して居れるなりと。

大正6319日 大阪毎日新聞[広告]

天勝 016

大正6323日 大阪毎日新聞[広告]

天勝 017

大正6326日 大阪時事新報

❍弁天座 二十九日まで日延。二十六日より「テムペスト」の代りに「サロメ」を昼夜上場す。

大正6329日 大阪毎日新聞

❍弁天座 天勝奇術は二十九日打上げ。

 

大正7年(1918年)

 

◇大阪道頓堀弁天座26日~217日)

大正725日 大阪朝日新聞

❍弁天座の天勝 既報の如く六日初日にて久々松旭斎天勝一座で開場。昼夜二回の興行として番組左の如し。

□之大曲技(天虎)、各国流行ダンス(文子・美代子・小天勝)、滑稽奇術種明し(天右)、大小奇術(天勝)、米国新帰朝トーダンス(今村静子)、印度古典サトラ(天勝一座)、奇術応用喜劇平和の女神(天勝一座)

大正725日 大阪時事新報

❍弁天座 六日より昼夜二回、天勝一派の奇術の番組は大小奇術(天勝)、トーダンス(米国新帰朝今村静子)、印度古典悲劇サトラ、奇術応用喜歌劇平和の女神その他。

大正726日 大阪時事新報[広告]

天勝 002

大正729日 大阪時事新報

○弁天座の天勝

 弁天座は六日から十二日間、女奇術師天勝一行で昼夜興行をやつている。今度はかず〳〵の大小奇術もこれまでのより若干目新しいのが加はつている。平板に天勝の手足を金具で数箇所厳重にお客に頼んで押付けて、これを格子の箱へ入れ、上から切れをかけ、二人の覆面の人間がグル〳〵それを廻しているうちに何時か天勝が抜出て、その廻している人間の一人と早替りをしているなどは鮮かだつた。

 天勝 004又天虎といふ若い男、針金上の曲芸で傘を足で自由に行けるのはこれも水際立つた芸当の一つであつた。少女連のダンスもあつたが、これはさしていふべきほどのものとも覚えぬ。

奇術以外に印度悲劇とて「神燈守」といふのが一幕ある。印度王の姫が臣下の勇士と契りしに、波斯(ペルシャ)王から結婚を申込まれしため、姫は他国に逃げ、大神を祀る神燈守に身を窶す。そこへ目蓮尊者が来て、その国の王に姫の素性を語り、姫の父母国家は波斯王の為に危し、それを救ふ為め姫をして波斯王に従はすべく帰国せよと薦める。姫肯き、これも国を遁れ、尊者の侍僧となれる彼の姫の恋人の勇士が遂に一命をすてゝ姫を帰国せしむ。姫涙乍ら恋人の首を抱きつゝ蹌踉と退場すといふ筋。天勝の姫の可憐な姿が目に残るばかり。

もう一つ、大切りに奇術応用喜歌劇平和の女神といふのがあつた。これは子供の喜びさうなもの。各国の軍人に扮せる少女連のダンスは花やかだつた。(K)

(写真は25日付「大阪時事新報」に掲載された天勝の神燈守サトラ)

大正7218日 大阪朝日新聞

❍弁天座次興行 天勝一座は十七日限り。



◇京都四条南座
220日~26日)

大正7219日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝一行五十余名は十九日大阪より京都に乗込み、二十日初日にて、正午より娘子軍を引率して花々しき町廻りをなしたる上、午後六時より開演。今回の奇術魔術は全部米国仕込みの斬新なるものゝみにて、呼物は印度古典悲劇「サトラ」並にコミクオペラ「平和の女神」なりと。入場料は九十銭、六十銭、三十五銭、十五銭。

大正7219日 京都日出新聞[広告]

天勝 015

大正7221日 京都日出新聞

❍南座 奇術天勝一行は二十日花々しき町廻りをなし初日を出したるが、前景気頗る良し。殊に一座の舞台装置は最も斬新なるものにて、トーダンス出演の今村静子嬢は東京音楽学校卒業の上、米国ミュージカル、コモンスクールの舞踊科を優等にて卒業したる人なりと。

大正7222日 京都日出新聞

○南座の天勝

南座は二十日より久方振に松旭斎天勝一行の奇術で開演。奇術と云つても今回は少女達舞踊や「サロメ」劇以来の古典劇が寧ろ主となつている。天勝は相変らず嬌艶な舞台振に見物は魅せられて、何時もながらの大入。

序曲は娘子軍の音楽合奏で頗る華やかに、天虎の梯子の曲芸は見物の膽魂を冷々(ひやひや)させ、少女達の小奇術数種は愛嬌で、新帰朝今村静子のトーダンスは高木徳子までの微妙さは無いにしても軽快な舞踏振にして、天虎の尚一つの曲芸金線上の大曲技は最も好評。其の他雲雀の表情や滑稽種明し等何れも面白く、天勝の大小魔奇術数種は米国最新式のものとあるが、全く在来の奇術とは目新しい種目ばかりで、其の小手先の演技は驚くべき計り敏捷且つ熟達したもので、殊に見物人を目の前に据えて小袋の中から鶏卵を出して見せる芸などは人を馬鹿にした程のものであつた。

呼物の印度古典劇舞踊悲劇「神燈守」は西本朝春氏の作で、材を印度古代史に探つた神秘悲劇である。筋は印度ルデヤナ国の王女サンヒータ姫は其の臣下の勇者カルダーサと恋に陥り、ペルシア帝国の太子ダリアスの恋を斥けたゝめ、王城を遁れネパール国王の元に走り、サトラと偽称して神燈守となり、其の神前にてルデヤナ国の危急の報を齎した恋人カルダーサに逢ひ、相抱擁するや霊火は忽ち消えしため、カルダーサは神の犠牲となり、サトラは其の首級を抱き悲嘆に沈むと云ふので、舞台装置も神秘的に、サトラに扮する天勝は何時までも若い命を添へて見せている。

奇術応用喜歌劇「平和の女神」は打出し物の華やかにして愉快な一幕、総じて面白い寄合せである。

大正7223日 京都日出新聞

○南座(花まつりの唄)

天勝一行の魔奇術は初日以来毎夜大入、中にも天虎の金線上の大曲技は大喝采にて、喜歌劇「平和の女神」は今度の世界戦乱を諷し、キネオラマ応用にて艶麗なる舞台を現出する。尚ほ二十四日は日曜日に付き昼夜二回開演、「平和の女神」にて序幕にトランベットの急奏にて村の乙女が唄ふ歌は左の如し。

花まつりの唄

独唱「今日はうれしい花まつり 村の乙女は可愛い 歩く姿もいそ〳〵と 手に手を取りて花摘みに」

合唱「花のいろ〳〵摘み寄せて 愉快に一日遊びませう 愉快に一日歌ひませう そうして愉快に踊りませう」

独唱「今日はうれしい花まつり 踊る乙女は可愛い 解けつ離れつ蝶の様に 組みつ別れつひら〳〵」

合唱「花のいろ〳〵摘み寄せて 愉快に一日遊びませう 愉快に一日歌ひませう そうして愉快に踊りませう」

大正7224日 京都日出新聞

❍南座 天勝一行の魔奇術は毎夜開幕前満員の盛況にて、呼物の一たるコミックオペラ「平和の女神」は華やかにて、少年少女に大受け。又印度古典舞踊悲劇「神燈守」は西本朝春氏が苦心の作にて、サトラに扮する天勝嬢の艷なる姿と新しき舞台面とはよく調和され、学生連に大受けなり。

大正7226日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝嬢一行の魔奇術は愈々二十六日限りにて千秋楽となり……。

 

大正8年(1919年)

 

◇大阪道頓堀弁天座412日~426日)

大正8412日 大阪毎日新聞

❍天勝一行 弁天座は十二日より松旭斎天勝一行にて昼夜二回開演。重なる番組は歌劇「血の様な椿」、お伽歌劇「羊の天下」、古典悲劇「ロズムンダー」等。右の内「血の様な椿」は坪内博士の「霊験」をオペラに脚色せるものなりと。

大正8412日 大阪朝日新聞[広告]

天勝 011

大正8423日 大阪毎日新聞

❍弁天座 天勝一座は二十六日迄日延。(二十七日より東家楽燕の浪花節)

 

大正9年(1920年)

 

◇京都四条南座325日~44日)

大正9323日 京都日出新聞

❍南座 二十五日より既報の如く愈松旭斎天勝一座にて開演と決定。日曜に限り昼夜二回開演する。

大正9324日 京都日出新聞[広告]

天勝 014

大正9325日 京都日出新聞[広告]

天勝 013

大正9325日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝一行の魔奇術は二十五日初日午後五時開演。「小公子」及「まぼろし」の配役は、

「小公子」

ドリンコート公爵(南部邦彦)、小公子(かめ子)、弁護士ハビシャム(山本仙三郎)、万屋ホップス(三好今太郎)、小作人ヒッキングス(大浜格)、靴磨(島村清三郎)、ミンナ(石神タカ子)、下女メリー(きぬ子)、エロル夫人(天勝)

「まぼろし」

若き漂泊者(南部邦彦)、白鳥の精(石神タカ子)、花の精(絹子、小天勝、みよ子、しげ子、智恵子、かめ子、秀子、たま子、よし子、わか子)

大正9326日 京都日出新聞

❍南座 久し振の松旭斎天勝の魔奇術は二十五日初日を出した。同天勝の所謂大小魔奇術は英雄船アルゴウ、ムニフの旗、不思議の十字架で、総て当地では初演のものだと。

大正9329日 京都日出新聞

❍南座 天勝が当地で初演のムニフの旗で五大強国の娘子軍の出現、英雄船アルゴウから瞬時に三美人が現はれる處は喝采を博している。

大正9330日 京都日出新聞[広告]

天勝 012

大正9330日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝一行は三十日より天勝の大小魔奇術、種明し、喜歌劇おてくさんの外総て芸題を替へる。又来る三日(祭日)、四日(日曜)は昼夜二回開演。因にプログラムは左の通り(省略)。

大正942日 京都日出新聞

❍南座 天勝一行の魔奇術は引続き好評であるが、三四両日は予定の如く昼夜二回興行。

大正944日 京都日出新聞

❍南座 天勝一行は予定の如く四日打揚げる(但し当日は二回興行)



◇大阪道頓堀弁天座
46日~420日)

大正944日 大阪毎日新聞

❍弁天座 新声劇一派は四日限り打上げ。次は六日初日にて久々振の松旭斎天勝一行にて開演する筈。

大正945日 大阪朝日新聞[広告]


天勝 009天勝 010


















大正
9414日 大阪毎日新聞

❍天勝の二の替り 弁天座の天勝一座は十四日芸題替を為し、バアネット夫人原作、巌谷小波氏脚色家庭劇「小公子」三場を出す。重なる役割はドリンコート侯(南部)、小公子(かめ子)、下女メリー(きぬ子)、家従(福島・鎌田)、小作人(大浜)、翁キップス(三好)、弁護士ハビシャム(山本)、エタル夫人(天勝)。

大正9419日 大阪朝日新聞

❍弁天座松旭斎天勝一行は二十日にて閉場。

 


◇大阪道頓堀弁天座
1213日~1226日)

大正91212日 大阪朝日新聞[広告]

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大正
91222日 大阪毎日新聞

❍弁天座 天勝一座は二十一日から「小公子」三幕を差加へる。

大正10年(1921年)


◇京都四条南座
224日~32日)

大正10223日 京都日出新聞[広告]


天勝 008天勝 011





















大正
10224日 京都日出新聞[広告]


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大正
10226日 京都日出新聞

○天勝と其芸

 女魔術師天勝が二十四日から南座へ懸かつた。天勝は古い女だ。然し日本の魔奇術界では男女を問はず天勝程のものが現はれて来ない点で常に新しい女だらう。嘗ては彼女の後継者であり、後には彼女の競争者であつた天華が夭折した今日、日本魔術界は依然天勝の独り天下を以て許さなければならぬ……と言つてもそれは彼女の魔奇術其物が格段進歩した意味では元よりない。魔奇術は寧ろ行詰つておる。是は今に初まつた事でなく、又天勝一人に限つた訳ではなく、本芸以外、歌劇もあれば舞踊もあり、否却て其方が主になりつゝあるのが此天勝一行なり。又斯界一般の傾向である。

 されば今度もお多分に洩れず賑やかな献立で御意を伺つておる。さて天勝の本芸は今更ならぬ鮮かなものである。ネタは従来と一律でも、トランクを使用した所を御所車や動物檻などを持出し、所謂様式を新しくして諸事華やかに演ずる点は流石だ。ナーンダと思ひながらも不思議は矢張り不思議なりだが、夫よりも何よりも天勝の老て益々旺(さかん)な事は奇術以上に驚く。ジョン博士と一座の節覚へ込んだものだらうが、今回は読心術の余興に新しい所を見せたり、又大に若返つて新京人形で日本舞踊にも素養のある器用な所を示すなど、観客(けんぶつ)を感心させたり恐縮させたり、天晴れなものなり。読心術は初日三回の実験を試みたが何れも当つた。新京人形は大分道楽気の交つた演物(だしもの)ながら、さしてエズクルシイ事もなく、引抜きでコサック人形ダンスに早替はる所が奇術応用ともいふ可く、一寸面白い。

 切のお伽歌劇「夢の胡蝶」にも出演し、蝶の女王で一座の少女達を取巻に和洋折衷の舞踊(最後の色電気応用の胡蝶の舞は往年洋行仕込とか触れ込んで得意に演じた洗張〈あらいはり〉物だつたが)で発展し、何處迄も若々しい意気を見せてる所は、アヽ古くて新しい女、汝の名は天勝なりと、とまれ讃へ申さんかな。天勝の外ではしげ子、菊子、千代子、信子等少女連のお師匠張の小奇術は愛嬌、男では天海の小手先の芸と久し振に復帰した天虎の金線渡りも手に入つてる。京人形で甚五郎を勤めた市川茂之助とやらも、役者は棒の字だが踊は案外軽妙だつた。それに波蘭人か和蘭人か忘れたが、パルヂザンなんとか物騒な綽號(ニックネーム)を持つた西洋人が提琴(バイオリン)で春雨やカチューシャを演(や)つたのはお景物としては推賞に價す。喜歌劇「日本主義」は見落したので南部夫婦の活躍は知らないが、総じて華やかな気分の充ちた所に此一座の価値ありと申そう。

大正1031日 京都日出新聞

❍南座 天勝一行の魔奇術の中で娘子連総出の和洋音楽合奏は長唄の囃子とオーケストラを折衷した賑かな所が大向に受けてをる。

大正1033日 京都日出新聞
❍南座 松旭斎天勝一行は予定の如く二日打上げ。




misemono at 16:17|PermalinkComments(0)松旭斎天勝興行年表(大正時代) 

松旭斎天勝興行年表(大正11年~15年)

大正11年(1922年)

 

◇大阪道頓堀弁天座311日~321日)

大正1139日 大阪毎日新聞

[広告]松旭斎天勝嬢の一行が三年ぶりで来阪、十一日より開演致します。益々洗練された奇術や歌劇に興味を唆(そそ)られるのも春らしい気分です。昼夜二回 弁天座

大正11310日 大阪朝日新聞[広告]

天勝 013

大正11311日 大阪朝日新聞[広告]


天勝 012天勝 014


















大正
11318日 大阪毎日新聞

○弁天座の天勝 久々で松旭斎天勝一座が十一日から向ふ十一日間昼夜二回興行で弁天座にかゝつた。奇術一点張では興が薄い故か、天勝を中心に娘子連の歌劇中心の傾向が見えて来た。今度の出し物でも楽劇と銘打つた神話から取材の「鶏の妃」がある。天勝のエソンダ、黒木のラーベエンが中心であつて、□□王宮殿の場で、鶏が瞬時に天勝の鶏の女房に手際よく変るのは愛嬌で、此座独特である。其他和洋音楽合奏、石神の独唱、天勝、しげ子のダンスなどがあつたが、奇術では流石に天勝の魔術が手際好く綺麗で、奇術種明しは天海、天晴で滑稽百出、腹を撚り顎を脱さねばおかぬ。切は天勝の相生獅子で、賑はしく打出した。


◇京都四条南座
323日~30日)

大正11320日 京都日出新聞

❍南座 次興行は一年振りで松旭斎天勝一座が乗込み、二十三日初日を出す。

大正11321日 京都日出新聞[広告]

天勝 007

大正11322日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝一座の初日は二十三日午後五時開演であるが、楽劇神話「鶏の妃」の役割は、廷臣田春慶(稲見)、蕃丁ラペエン後に□□土(黒木)、蕃人娘タマイヤ(かめ子)、無頼漢(早川)、女神(石神)、鶏の女房エソンタ後に卑南王后(天勝)、老廷臣黄元朋(小林)、廷臣湖清蓮(早川)、卑南王鄭三昧(三好)、廷臣呉大凰(天宗)

大正11323日 京都日出新聞[広告]

天勝 006

大正11324日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝は二十三日初日を出した。二日目はホーカーデーの総見があると。楽劇「鶏の妃」は奇術応用が呼物。

大正11324日 京都日出新聞[広告]

天勝 005


大正11325日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝の初演大魔術は従来の行方と趣を変へた新工夫を凝して居る。尚一座の野球軍は連日各方面から試合の申込を受けて居ると。

大正11326日 京都日出新聞

○南座の天勝

松旭斎天勝一座が一年振で南座へ現はれました。魔奇術の女王を以て任ずる天勝も時世には勝てません。それだけでは興が薄いと感ずつたのは今更でもありませんが、愈々歌劇本位の色彩が濃厚になつてきました。今度の演物(だしもの)でも呼物は所謂大魔術よりも楽劇と銘打つた「鶏の妃」や大喜利の舞踊「相生獅子」にあるようです。然し楽劇であらうが舞踊であらうが天勝が中心です。ピカ一です。

「鶏の妃」は天勝が鶏の女房エソンダで活躍します。角書には神話なぞと精々脅かしてある代物ですが、天勝のお芝居はこなれたものです。黒木のリーベエン相手に新しい處を見せます。三好の卑南王の貧弱なのと旧劇調が少からず楽劇気分を裏切りましたが、侍女に扮する娘子連のオリエンタル振は可なり要領を得てます。宮殿の場で輿の中の本物の鶏が忽ち天勝の鶏の女房に変る手際は鮮かで、此一座独特の愛嬌でした。それよりもなによりも天勝が相変らず若い声と若い容姿の持主である事、それが既に大魔術かも知れません。

大正11327日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝一座の大喜利の相生獅子では天勝が若々しい容姿で器用に踊るので大受である。尚同一座野球軍が二十五日午後、岡崎グラウンドでオリエント倶楽部と試合をした。結果は十二対六で天勝軍の勝利であつた。

大正11328日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝一座の魔奇術はかめ子、小天勝等の可愛い所が人気を読んでいる。

大正11330日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝一座の魔奇術は愈三十日で打揚げる。

 

大正12年(1923年)

 

◇大阪道頓堀弁天座31日~314日)

大正1232日 大阪毎日新聞[広告]

天勝 001

〈編者註〉「弁天座 本日初日の松旭斎天勝一行 代魔奇術 久方振りの来阪にて鮮やかな技巧振りを御覧じませ 毎日昼夜二回 椅子席金六十銭」

 なお、このころ朝日、毎日ともに「松竹劇報」という松竹各座の興行案内の小さな広告が隔日ごとくらいに出ており、三月の案内の弁天座の欄を見ると、天勝公演の短い宣伝が文句をかえて添えられている。朝日と毎日でその文句が別々なのもおもしろい。

「美しいもの! それは天勝の指が綴る夢のやうな魔術で厶います。是非お早々と弁天座へ」(32日・毎日)

「夢と幻の交響楽! 一夕の歓を当座のパラダイスへ是非!」(33日・朝日)

「天勝が水芸のあざやかさ! 宛ら夢の世界を現出してゐます」(34日・毎日)

「夢の世界! 幻の世界! 見る目綾な天勝の魔術と奇術を!」(37日・毎日)

「さても巧緻を極めたる天勝の奇術へ!」(310日・朝日)

「天勝の鮮やかな水芸と魔術は連日湧きかへる人気を博申候」(311日・毎日)

「妖しくも美しき魔術の世界よ! ぜひ弁天座へお越し下さい」(313日・朝日)

「白熱的の喝采に終始した天勝一行は愈々今日限り打上」(314日・毎日)

大正1236日 大阪毎日新聞

○弁天座の天勝 道頓堀は久々で松旭斎天勝一座が一日から二回興行で弁天座へ乗込んだ。天勝娘子連の小奇術や天海の鮮やかな「ボール奇術」、天海、天清、三好の滑稽奇術があつたが、矢張人気は天勝が占めている。その天勝の初演奇術、文化奇術などいろ〳〵あるうちでは、廻り屏風のやうな組織の屏風の一間々々へ男を入れて廻はしてると女と変つているのと、時計の奇術などが面白かつた。その他お伽劇として小波氏の「日の出神楽」や歌劇「眠り草」などが無邪気に見物を喜ばせて、大切に日本固有の「水芸」の一曲がある。太刀の先から水を出したり扇や小娘の持つ花から水が出て、天勝以下紫の着付に派手な裃で古風な色取で打出した。

 


◇大阪九条八千代座
88日~)

大正1289日 大阪朝日新聞[広告]

天勝 020


◇大阪天満八千代座
815日~821日)

大正12817日 大阪毎日新聞[広告]

天勝 002

 

◇京都四条南座320日~328日)

大正12319日 京都日出新聞

❍松旭斎天勝一座 二十日より二十六日迄七日間南座に於て開演と決定。毎日午後五時開場で、日曜大祭日に限り昼夜二回開演。

大正12319日 京都日出新聞

[写真]南座の天勝一座(水芸)

天勝 004

大正12319日 京都日出新聞[広告]

天勝 003

大正12320日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝一座の文化的魔奇術及び歌劇の公演は既報の如く二十日から二十六日迄七日間限りと決定。天勝は当興行をお名残りに海外へ巡業し、親しく欧米諸邦の興行界を視察するから当分公演を見る事が出来ないと。因みに既報番組中歌劇出演の女優の配役は、「日の出神楽」─日の神(天勝)、風の神(天清)、鶏の雄(早川)、鶏の雌(タカネ)、子鶏の兄(繁子)、子鶏の弟(亀子)、暗の王(三好)、眷属(天清、天野、天竹、天海)、「眠り草」─眠り神(天清)、たんぽぽ(千代子)、テスの父ロバート(早川)、神の使(亀子)、イソベラ姫(美代子)、菫(小天勝)、従臣(天野)、桜草(繁子)、百姓娘テブ(タカネ)

大正12322日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝一座の文化的魔奇術は久々の出演と海外巡業が喚物(よびもの)となつて素晴らしい人気である。番外として上演して居る「平和音頭」は円山の夜桜を背景とした西川流の舞踊で、娘子連の総出演である。地の長唄は管弦楽と三味線とを用ひた極めて新らしい試みであると。尚二十二日は昼夜二回開演。

大正12323日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝一座の文化的魔奇術は連日好評であるが、お伽劇「日の出神楽」は巌谷小波氏の作で「岩戸神楽」にヒントを得て描いたもので、日の神と暗の神との争ひを主題としたものである。

大正12323日 京都日出新聞

○南座の天勝

◇入場(はい)つた時は一番目の小奇術の終りであつた。二番目は小波山人のお伽劇「日の出神楽」、可成りにやつては居たが、合唱其他の声がなつてないのは聞苦しい。終りの場面で鶏の雛に扮した二人の子役は当夜の圧巻で、可愛いダンスの足どり、無邪気な所作、満場の喝采を受けて居た。子供の為には好い演(だ)しものだ。

◇次の天海の球奇術は例により鮮かな手際を見せた。それから自分の手をハンケチで縛らせ、指先に銀貨を載せ、その載せた銀貨で客の掌に載せた銀貨を打つ「銀貨打ち」は素晴らしい早業で、客が天海の指先にある銀貨を握れば懸賞百円と云ふので、お客が懸命になるなぞ面白い余興であつた。

◇滑稽奇術の「ニハカセキゾウ」はつまらないもの。其後が天勝の文化奇術だ。流石は老巧にやるものゝ、随分古い。但し変つた新しいのもある。

◇メキシカンダンスは奇麗であるが、タンボリンの振り方が出来てない。練習を要する。天勝の「初演奇術」は格別の目新しいものも出して居ないが、其れでも矢つ張り小さな紙張り箱から目覚し時計を二十個以上も取出す手際なぞ御大はおん大だけある。引き続いての水芸は久し振りの事とて見事であつた。だが出来るなら裃で出た以上は頭の髪を何とかして欲しかつた。

◇最後の歌劇「眠草」、あれだけ出来れば十分であらう。全体に亘つて音楽があれだけ使ふに拘らず貧弱に過る。歌劇の時なぞは気の毒な位だ。音楽なぞは付けたりだと云へばそれまでだが──。

◇書き洩らしたが、番外の平和音頭は華やかな美しい所を見せ、幕間の天海のカード投げは上手いもの。一緒に出た子供の投げ損ねは反つて愛嬌。子供は徳なものだ。(ゆき)

大正12325日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝一座の文化的魔奇術は番外の平和音頭や水芸が大受けであり、尚二十五日は日曜につき昼夜二回開演。

大正12326日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝一座の文化的魔奇術及び歌劇は好評につき二十八日迄日延べをする。

大正12328日 京都日出新聞

❍南座 松旭斎天勝一座は二十八日で終演。

大正14年(1925年)


◇大阪道頓堀弁天座
1031日~1115日)

大正141030日 大阪毎日新聞

○天勝来る 道頓堀の弁天座に

 二十年振りにアメリカの土を踏んでこのほど帰朝した奇術の天勝嬢はよい婆さんなんだが、額に小じはも寄せず、矢張りみづ〳〵しさを見せて、三十一日から道頓堀の弁天座に十九日間を打つ。

 二十年振りに行つて勝手の違つたのは、アメリカの人々の以前ほど親しめなかつたことです。見物席に見える日本人の方が黒人や支那人と共同の三階辺りにしか見えぬのも悲しいことでした。アメリカのは飽くまでアメリカ式で、日本ならば何にしても「裏も表も改めて御覧に入れまあアす」と見せなければならぬところを、キラ〳〵した目を驚かせるやうな道具を使へば種や仕掛は問題ではないのですもの。例の環さん(編者註:三浦環)が変な振袖をみせていられたので、妾共は一行中八名の娘達から妾自身も正真正銘の振袖でぶつ通して、街も鈴のついたこつぽりを穿いて練つて歩きました。そのかはりゲイシヤガールにされていまひましたわ。お土産に持つて参りましたのは彼地で流行の刹那的とでも申しますか十分短くて三分位の早幕のスケッチ風の舞踊です。

大正141031日 大阪朝日新聞[広告]

天勝14年 002

大正141031日 大阪毎日新聞[広告]

天勝14年 001

大正14119日 大阪毎日新聞[広告]

天勝14年 003



◇京都四条南座1117日~1122日)

大正141116日 京都日出新聞[広告]

天勝 001

大正141122日 京都日出新聞[広告]

天勝 002


大正15年(1926年)

 

◇大阪道頓堀弁天座930日~)

大正15929日 大阪朝日新聞[広告]

天勝 015

大正15930日 大阪毎日新聞[広告]

天勝 001


大正
15101日 大阪時事新報
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天勝 時事 002








misemono at 16:16|PermalinkComments(0)松旭斎天勝興行年表(大正時代)