2011年07月

2011年07月08日

ボールドウィンの軽気球 一

ボールドウィン(Baldwin)兄弟の軽気球


 明治
2312月 8日  上野公園(第一回目)

       1215日  横浜居留地

       1217日  上野公園(第二回目)


明治
231127日 時事新報

○軽気球乗の妙手再び来る パーシバルスペンサー氏の軽気球乗は、既に度々の興行にて読者の大概承知する所なれども、茲に米国イリノア州クインシーの産にて、ボルドウイン氏兄弟は先頃の郵船にて横浜に来着し、目下同港のクラブホテルに止宿中なるが、右スペンサー氏よりも一層の妙手にて、此までスペンサー氏が演じたる所は、高さは三千尺乃至四千尺、瓦斯を充すにも時間を要する等、尚ほ飽き足らぬ所あるが如く思ふものあれども、ボルドウイン氏の演ずる所は、始め上る時、メートルを携へて一万尺の上に達し、距離に誤りなきや否やは観客の判断に任せ、下るにも余り不都合なる所に落ちず、瓦斯を詰むるには僅かに八分時間を以てし、気球も遥かに大にして、或は兄弟二個の気球に競争の技を演じ、或は地上に綱を結びたるまゝ球のみを上げ置き、其綱を伝ふて球に達する等を始めとして、空中に於て種々の技を演ずる由。左れば此まで米国諸方に於て興行する毎に喝采を博し、得たる勲章も少からず、今度世界一週の目的にて本邦に着したるものなり。遠からぬ内東京に於て興行の後、神戸、大坂等へ出掛る筈にて、目下計画中なりとぞ。

明治231129日 郵便報知新聞

○大へんなる風船軽わざ 

風船より飛下るとき、由りて以て身体を宙に吊る一種の傘パラチユートは、元と此度米国より来航したるボールドヰン兄弟の工夫せるものにして、米国に在ては既に数万のパラチユートを製造販売し、現に先頃喝采を博したるスペンサーのパラチユートも即ち此の兄弟の製造に係るとなり。

此の兄弟は能く大空一万尺約(およ)そ廿三丁の高きに登り、且つ宙に在りて種々の軽わざをなす。

気球 気球は頗る大仕掛にして、之をスペンサーの気球に比すれば、殆んど二倍の大さなり。又気球に瓦斯を入るゝに、スペンサーは殆んど三四時間を費せども、兄弟は僅かに八分間にして能くす。

軽わざ 最初は気球を半天まで昇せおき、下より綱を手繰りてヨジ登り、途中にて種々の軽業を為し、終には気球の周囲を攀ぢ廻り、最後に火を放ち、身は気球を離れて飛び下る抔、神変不思議の奇術を演ず。又た昇るにも綱の輪に腰かけることなどはせず、片手に綱を握りたる儘スラ〳〵と気球に従ひ大空に登る。

兄弟は各国の風船協会より贈られたる最高の勲章数個を携へ、中にも英国皇太子及皇族より賜はりたる金時計、金鎖に勲章を付着せるもの及び英国風船協会の金章は頗る見事なり。兄弟は不日天覧を仰ぎ、東京にて興行を終りたる後、京坂地方に赴く(と大へんに吹聴し来れり)。

明治231129日 読売新聞

○風船乗ボールドウイン氏兄弟の技芸 今回米国より来航したる風船乗りボールドウイン氏兄弟はパラシユートの発明者にして、米国に在ては既に数万のパラシユートを製造販売し、現に先頃喝采を博したるスペンサーのパラシユートも実は同氏の製造に係る。ボ氏の気球はスペンサー氏の気球に比すれば殆んど二倍の大さにて、能く一万尺の高さに達し、気球に瓦斯を入るるにも僅に八分時間なり。加之(しかのみ)ならず、ボ兄弟は気球に競ひ昇りて種々軽業をなす由なるが、最初は気球を半天迄登せ置き、下より綱を手繰りて攀登り、途中にて種々の軽業をなし、終には気球の周りを攀ぢ廻り、最後に火を放ち、身は気球を離れて飛び、或は片手に綱を握りたる儘ブラ〳〵と気球に従ひ大空に登る抔、神変不思議の奇術を演ずるよし。又ボ氏は日々気球の軽業を取り替へるゆゑ、英国などにては三十余日間も引続き観客の足を引きしと云ふ。


上野公園・第一回目◆(明治
23128日)

明治23127日 郵便報知新聞[広告]気球その二 001 (2)

一萬尺軽気球乗

今般全世界ニテ喝采ヲ博シ、各国ヨリ勲章ヲ送ラレタル軽気球乗師米国人博士ボールドウイン氏兄弟ヲ聘シ、来ル八日(月曜日)上野公園博物館前ニ於テ、十数間ノ高塔ノ頂上ヨリ下ナル網中ニ逆降ノ技ヲ演ズ。此技終レバ、五万立方尺ノ巨球ヲ僅八分時間ニテ充実セシメ、一分時間ニ千尺ノ割ニテ空中ニ激騰シ、手ニ持チタル綱ヲ手繰リ、横木ニ上リ、空中ヲ浮動シ、風傘ニテ下降スル途中、奇々妙々ナル体操技を演ズ。殊ニ公衆ニ注意ヲ乞フハ、上騰前、下降ス可キ場所ヲ観客ニ告グ。其場所ハ上騰土地ヨリ五間ヲ出ザルト、身体ヲ少シモ球気亦ハ風傘ニ結束スルナキノ一事ナリ。公衆諸君ヨ、此ノ驚ク可キ技ヲ見ルノ機ヲ失フ勿レ

明治23127日 読売新聞

○又々風船乗 一度スペンサー氏来りて風船乗の奇観を演じ、横浜、神戸、東京全都の人民をして天を仰ぎ、呆然口を開いて其の大胆に驚かしめたり。然るに上には上のあるものにて、今回又もやボールドウインと云ふ兄弟の風船乗来りて、明八日上野公園内に於て風船上騰の興行をなすといふが、前号にも記せし如く、此のボールドウインこそは曩のスペンサー如き者にはあらで、風船乗に於ては世界無比と称ばれ、今世に行はるる風船傘即ちパラシユートの発明者なり。されば世に此の風船上騰を業とする者数多あるが中にも、同氏は此の業には最も熟練にして、且其の用ふる處の気球も僅かに一万立方尺の小球にあらずして五万尺立方の巨球を以てし、亦他の風船乗の如く気球の下に安座せず、気球の地上を離るること八十尺に至りし時始めて引揚らるる由にて、又此の演技の前に当り興行場内に建設したる高塔に登り、観客の目前に於て其の頂より下に張りたる網の中へ逆しまに飛降り、先づ其の技の一班を示せし後、気球を上騰さするなるが、其の上騰の途中にて手に持たる綱を縺(たぐ)りて上なる横木に登り、空中を浮動してパラシユートに於て下降する際種々の愕くべき体操技を演ずるとの事。尤も通常の天気には風船上騰の前其の下降の場所を豫め観客に告げ、其の場所は大体上騰の地より三十尺を出でずといへり。又同氏は上騰飛降は勿論、演技の折も身体毫も気球或はパラシユートに結束する事なきの一事は、殊更に観客の注意して観るべき者なりと。前にスペンサー氏の離れ業に驚きたる三都の人民、今又たボールドウイン氏の之に優れる数等なる演技を見なば、恐らくは一層其の奇観なるに心を奪はれ、魂は風船と共に天上に飛去るならん。




misemono at 23:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ボールドウィンの軽気球 

ボールドウィンの軽気球 二

明治23127日 時事新報

○ボールドウヰン氏の風船乗り 前号の本紙上に其絶技を記載せしことありし有名の軽気球乗り米国人ボールドウヰン氏は、今度我国に渡来し、明八日午後三時、上野公園地内に於て其妙技を演ずる筈なり。ボ氏が初めて英京倫敦府に於て種々の技芸を差替え、昇天の術を興行したりし時抔は、一日の収入金千七百磅(ポンド)即ち我が金貨八千五百円にして、七十日間打通しの大入を来したる由。明日上野公園に於て演ずる新技は、本年九月中初めて亜米利加カロラドー州デンヴァル府に於て大喝采を得たるものにして、最初に演ずる大飛降術は、兼て場内に建設しある一百尺の高き櫓上に梯子を横たへ、この極端より倒(さかさ)まに墜下する危険のものなり。尤も其下には網を張りて体を支へ止めるの設けあり。其熟練を積まざりし内はボ氏兄弟の如き名人さへ足を折り手を傷つけたることありしが、之に屈せず今は通常人が塀の上より飛び下る程の感じもなきに至りしとは大胆の程思ふべし。偖この技を畢れば直ぐに本芸に取掛る都合なり。この程スペンサー氏が乗りたる風船は一万尺立方のものにて、午後二時四十分の上昇に午前より多勢を雇ひて瓦斯を充たしめたれど、今度氏の使用する球は五万尺立方の巨球にして、上昇前僅八分時間に瓦斯を充たしめ、又他の技術者の如く初めより風船の下に安座することなく、気球の地上八十尺を離れる時、傘の下に垂れ居る綱に引揚げられ虚空遥に飛騰するや其綱を手繰り伝ひて傘の下なる横木に至るといふ。又球と傘とは結び目より二箇に別れ、球は瓦斯を充たしめたる下底(そこ)の方却て上に向ひ、空気の作用に依りて烟を噴出し、傘は開きて大地に降り来る、其間氏は横木に両足の甲を掛けて倒(さかさ)まに下る抔種々の体操技を演ずるといへば、先度ス氏の技に競(くら)べて一層の観ものなるべし。当日風雨の変動なく、通常の天気なれば、風船の上騰前、予め其下降する場所を見物人に示すよしにて、其場所は大抵昇騰せし地より三十尺を出ることなしと。入場券は上等席一円、中等席五十銭、下等席二十銭、四等席十銭なり。

明治23128日 時事新報

○如し見落したらば 前号の紙上に記せし如く、米国人ボールドウヰン氏が昇天の妙技は、本日午後三時、上野公園に於て演ずる筈にて、既に昨日は同所博物館の門を入りて正面に百尺高櫓の建設に取掛り居りし。偖ボ氏が使用する巨球は五万立方尺にて、之を前のス氏が使用せしものに比すれば五倍の大さあり。殊に昇騰の極度も一万尺の高所に達し、昇降の際種々の体操技術を演ずるといへば、これ丈けにても前同様の入場券にては頗る廉き上に、百尺櫓の上より飛落の大景物を添へ、最下等券の如きは僅かに十銭銀貨を抛(なげう)ちて入場し得れば、定めて群集雑踏することなるべし。尤も氏は本日の興行を畢れば直に横浜に赴き、来る十三日の土曜日同港に於て一回の技を演じ、夫より大坂に赴き、復(また)出京することなかるべしといへば、東京の士女今日の演技を見落したらんには其再会幾歳の後に在らんか今より期し難かるべしといふ。

明治23129日 読売新聞

○昨日上野に於ける風船乗り 昨日上野公園地内に於て新来の風船乗を興行したり。見物は非常の出にして、公園内は人の山をなしたり。博物館内を以て芸場となし、午後三時頃には貴顕の人々も数多見受けぬ。やがて三時半頃、ボールドウイン氏は桃色の肌着して百尺の高楼に登り、種々なる広告紙を撒き散らし、一声高く叫ぶと共に真逆さまに落ち入り、央(なかば)に至りてクルリト身体を翻へし、網の中に落ち入りたり。それより直ぐに風船乗りに取掛りしが、今回の風船はスペンサー氏が用ひし物より余程大なる方にして、膨脹させ直に大空に上騰し、身は綱にて三間程の下にブラ下り居りしが、空中にてズル〳〵と綱を伝ふて上り、やがて倒様(さかさま)にブラ下り居りしが、二千尺位にして球と傘と別れ、球中よりは黒烟ボク〳〵吹き出し、ボ氏が縋れる傘も球に連れて日暮里辺へ落ちたり。

明治23129日 郵便報知新聞

○軽気球の新芸 スペンサーを凌駕すること数等と号し、世界周遊の序(ついで)、我国に渡航し来りたる風船乗ボールドウヰンは、東京に於ける最初最終の演技を、昨日午后三時より上野公園内なる博物館前の広場に於て興行したり。

博覧会の正門即ち興行場の門を潜るれば、第一に眼睛に映じ来るは、踈き材木を以て組み立てられたる高櫓なり。高さ一百尺、絶頂に帝国々旗と米国々旗を交叉し、櫓下に地を距(へだて)る七八尺、踈網を四柱に支へたるを張り、上に薄く軟かなる蒲団一枚を布(し)けり。是れ大胆なるボールドウヰンが百尺櫓頭より閃落するを受る為なり。

興行場の四面は帽影頭顱を以て塡咽(てんえつ)し、噴水池畔及び池畔の音楽堂を以て上観場となす。紳士淑女又塡咽せり。場の中央には地を穿つこと数尺、空洞横さまに通じて、中に薪材を充てたり。高櫓より正門にかけて斜に線を張り、紅赤白の彩りある大袋を吊し下げたり。冷々然として雲漠を衝くの勇気を抑へつゝ、静かに眠れる軽気球なり。

既して瀏亮(りゅうりょう)たる音楽、場の一隅なる彩幕の中に起れり。万衆耳を欹つ。俄にして拍手喝采の声、潮の如く
  起れり。

只見る、一個の好漢、紅色の肉襦袢を着け、猿猴の如く櫓下より攀じ上れり。是れボールドウヰンなり。其絶頂に登り了るや、肩を聳し、手を拱(きょう)して、万衆を脚下に睥睨しつゝ黙礼せり。彼は何者かを左腕に抱き、右手を揮つて中天に撒ずると見ゆるに、依然高根の花の天風に散る如く飛(とび)紅千片万片場内に飄落せり。万衆首を仰げ、手を揚げて之れを争ふ。把り来り、之れを見れば、是れ郵便報知新聞の広告紙なり。剰るものは風に随て上下し、園中の枯木、常盤木に点綴して、時ならぬ花を添へたるは奇観なりし。

撒じ了るや、彼は絶頂に屹立す。万衆手に汗を握る。櫓下の網畔に在るもの、喝して曰く、好しと。彼れ応呼して、倒まに飛ぶ答声空に在り。彼れ一閃、身を転じ急下、網に触る、鞳然(とうぜん)声あり、体反撥して上るもの数尺、粛然なる場内、喝采割るが如し。

逆降の技演じ了るや、場の中央なる坑内の薪材に石油を濺ぎ、火を点ず。烟、気球の中に入る。人夫数十人、球の周囲に環立し、足を以て球端を踏む、気の漏洩すればなり。球漸くにして肥大、漸くにして膨脹、忽ち団々たる一大球となる。

瀏亮たる音楽は復び起れり、万人息を屏(と)む、只池中噴水の鏘然(しょうぜん)たるを聞くのみ。

喝一番、号銃起る、気球忽ち地を離れて、浮々然、雲を望んで上騰す。気球長尾を曳き、地を距る数十尺、忽ち見る、尾端一人あり、紅色肉襦判を付け、左手縄を握り、右手を伸べ、歓声を発して戦闘す。彼の眉目弁ずべし。万人眸を凝らす。瞬間して眉目潭然、球は掌上の彩球の如し。只見る、尾端の傀儡的物、縄を攀じて倒垂す。此際、球辺雲の如きもの翩々として中霄に飄ること二次、漸くにして雪の如く、漸くにして鷺の如し、是れ本社の広告紙なりき。

気球は今風に乗じて中霄に浮游せり。瞬を転ずるや否や、傀儡的物、悠忽として球を離れて閃下せり。傘パツと開けり。息を屏(とざ)したる万衆は思はず歓呼せり。彼れは風に随つて、飄々然、長林の蔭に入りぬ。中霄に懸れる気球滾転(こんてん)し、吐く烟、揺曳して、球、或は見え、或は見えず。微雲の澹月(たんげつ)を吐呑するの趣あり。喝采湧く。

既にして、大胆なる昇騰者は、車を飛して帰り来り、衆を排して入る。彼の渾身は泥に塗れ、甚だ疲労の色あり。暫くして、彼兄弟は噴水池畔の音楽堂に起ちて、一場の演説をなせり。曰く、世界周遊の途次、この美麗なる日本帝国首府の公園に於て気球乗の技を演じ、諸君の喝采を得たること感謝に堪へず云々と。

気毬上騰すること実に二千五百尺、空中の風力強きが為めに好結果を得ず、彼れは安全に日暮里本村の田に降れりと。彼、身幹短小、顔紅くして髭あり、頸少しく曲れり。是れ曾て、絶高楼より閃下せるの時、網裂けて地に堕ちたるが為なりと。五時を過ぎて技全く了る。万衆帰り去る、堤を決するが如し。



misemono at 23:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ボールドウィンの軽気球 

ボールドウィンの軽気球 三

明治23129日 時事新報

○ボ氏の軽気球乗 兼て各新聞に広告したる如く、スペンサー氏に引続きて、此程渡来したる米国人ボールドウイン氏兄弟の軽気球乗は、愈々昨八日の午後、上野公園博物館前に於て興行したり。当日の天気も朝の程は如何にあるべきかと気遣ひたれど、開場の正午頃には最(い)と穏(おだやか)なる薄曇模様となりて、更に気遣はしき景色の見えざるのみならず、青天井の見物には結句お誂への空合となりたれば、其奇技を一見せんとて見物人は続々と群集し来りたるは、スペンサー氏の時と同様の景況なりしも、前は最初の興行と云ひ、殊に二の酉を当込みたるに反して、ボ氏の興行は二度目の事ゆゑ、場外などは稍や見物人も少なかりし様に見受けぬ。余事は暫く置きて、博物館近くの真正面へは恰も角力の櫓の如き七十五尺の高櫓を設らへ、其頂上には隅々へ日米の両国旗と時事新報の旗二流とを飜し、櫓の中央には時事新報と朱書したる紅白の幕を張り廻(まわ)しありて、其櫓の傍(かたへ)に凡そ一間位の高さに網を打張りたるは、一見して櫓の頂上より飛び下るべき場所なりと知られ、又櫓の左手なる泉水の傍には穴深く掘り下げて、其上に青紅白の気球を凋みたる儘に打覆ひ、傍近くに薪材を積みあるは、問はずして気球昇騰の用意とは知らる。夫より少しく隔りたる一方には、市中音楽隊の時々奏楽して、見物人の耳を慰むるあれば、場内の各所には幾多の憲兵巡査出張して雑踏を制するなど、能く行届き渡れり。場内ズツト見渡したる處にて、観客は無慮一万位もありしなるべく、此日は皇族方は一名も見受けざりしも、華族や勅奏任連はチラホラと見掛けし様なり。殊に、兼て此技を劇場に演ぜんと成せる菊五郎は、栄之助、栄次郎、幸蔵等を引連れて、熱心に見物し居るをも見掛けたり。斯くて予期の三時と為るや、ボ氏の弟は薄桃色の襦袢股引を着して、鬱金の帯を引締めたる軽装にて、場内の拍手喝采と共に櫓の頂上へと登り詰めたり。氏は先づ幾万の片紙を風に任せて四方に撒き散らし、翩々(へんぺん)、秋の木の葉の散る如く落来りたるは、時事新報と報知新聞の広告なりき。間も無くボ氏の兄は下より大音声に Are you ready(用意は善きや)と呼はるや、頂上なる弟は Yes(然り)の一声諸共、両手を拡(ひとげ)たりと見るまに、忽ち真逆(まっさかさま)に落ち来り、最早七八分と覚しき頃、忽ち其体を一転させ、ズドンと網上に落つると、其儘ツト立上りて、更に網より飛び下り、神色自若として一礼したる時は、又も拍手の声鳴りも止まざりき。夫より移りて気球昇騰の用意に取掛り、穴中に於て薪材を焼き始めしが、ス氏の気球には水素瓦斯を用ひたれば、随て之を満たすに余程の時間を要したれど、ボ氏は水素瓦斯を用ひずして、盛んに燃え上る火気を、烟と共に気球に満たしむる事なれば、広告にありし如く八分間とは行かざりしかど、十四分も立ちたりと覚しき頃には、早や五万立方尺の巨球も円く膨れ上りて、恰もニコライ教堂の円棟俄に現出したるが如き趣ありき。斯く次第に膨脹したる気球の一端には、白き切れの縫ひ付けあるはソモ何事なるかと、幾多の見物人キツト見れば、「日本一の新聞、時事新報、Jijishimpo. Best Paper」の和英両文字ありて、是れ亦時事新報の広告と知られたり。軈てボ氏の弟は、又も前の如き扮装(いでたち)にて出で来り、気球に下れる綱の一端を取るよと見るまに、其儘気球は昇り始めぬ。ボ氏の気球はス氏とは少しく其製を異にし、気球の下に凋める風傘あり、更に夫より十数尺の綱を引下(さげ)あるものにて、気球の昇るに従ひ、ボ氏は其一端に両足を置き、右手に綱を攫みて、左手を差延ばしたる儘、忽ちズツト引上げられしが、折しも南風少しく吹き起れる時なりしかば、気球は博物館の屋上を斜めに次第〳〵に北へ進みて昇り行きたり。気球漸く高まりたる頃、ボ氏は綱の一端より猿(ましら)の木伝ふ塩梅にてスル〳〵と綱の中程まで伝はり上るや、忽ち両脚を支へに掛けたりと見るまに、双手を放して真逆に其体を弔(つる)したるは、我国の軽業ならば野田の下り藤の体とでも云ふ所なるべく、此際には実に見物人の心を寒からしめざるはなく、孰れも余りの事にアレヨ〳〵と危(あやぶ)む声のみ多かりき。ボ氏は間も無くツト体を起すと共に其場に腰打掛けたる儘、又も時事新報の広告を撒き乍ら、益々高く昇りて、尚ほ肉眼にても漸く其の人体を見得らるゝ頃、忽ちフツと気球を切り放ちて、凋める風傘諸共落ち来りしが、忽ち風傘広がりて、次第〳〵に落来り、木間(このま)に蔵(かく)れて見えずなりぬ。後にて聞けば、日暮里の田圃に下りたりとの事なり。又切放されたる気球は、忽ち反りて、次第に其口より烟を吹出す様は、恰も画ける宝尽しの玉に似て、亦一の奇観なりしが、是れ亦凋みて翩々(ひらひら)下へと落ち下りぬ。左る程に、凡そ三四分余も経たる頃、ボ氏は帰り来り、暫時休息したる後、着服を改め、兄と共に奏楽堂の中に打並びて一礼し、兄なるボ氏は挨拶の口上を述べしが、其要旨は、観客の斯くまでも来場されたるは感謝に堪へず、我が兄弟は本日技を全ふし、観客諸君の喝采を博したるは欣喜措く能はず、殊に余輩は今日迄世界各国を周遊したる末、最終に貴国へ渡航したる事にて、本日喝采を博したるは最も歓喜する所なり。尚ほ他日期を得て再び此技を奏するあらば、幸に本日の如く来観あらん事を希望す云々との意味にて、ボ氏兄弟は再び一礼し、割るゝ計りの拍手喝采の声と共に終りを告げ、一同退散したるは最早薄暮の頃なりき。尚ほ又ボ氏の話に據れば、当日南風の吹起りし為め、予期の高さに達する能はずして、漸く二千五六十尺に止まりしは遺憾なりき、且つ気球を膨脹せしむるにも、其薪材は我国の品と質を異にせるより、是れ亦イツモより稍や後れたりと語り居たりと云ふ。


  



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ボールドウィンの軽気球 四

◆横浜居留地◆(明治231215日)

明治231212日 郵便報知新聞

○再び軽気球飛下りをなす 過日上野公園に於て第一回の演技をなし、大に喝采を博したる米国軽気球乗りボールドウヰン兄弟は、十三日(土)午後三時より横浜居留地百二十三番地に於て興行し、又た来る十五日(月)には再び上野公園に於て興行すべし。縦覧料は総て先回と同じ。

明治231216日 読売新聞

ボールドウイン氏風船乗りの延期 同氏の風船曲乗りは予記の如く去る十三日午后三時より横浜居留地百二十三番の明地にて興行する筈なりし處、生憎雨天のため延期し、更に一昨十四日例刻より催せしが同日西風非常に強かりしが、予て設けある高塔より逆降の一技を演じ、続て軽気球を膨脹させしも、強風にて二ヶ所の損所を出来しため其まま中止となり、昨十五日例刻より興行せり。

明治231217日 読売新聞

○ボールドウイン氏の風船乗 は予期の如く一昨十五日午後三時より横浜居留地百二十三番の明地に於て興行せり。其模様を聞くに、先づ前芸として例の如く高所より逆降の技を演じ、次に同三十分五万立方尺の軽気球に乗じて壱千五百六十余咫(フイート)の中空に達し、それより次第に下降し、同人は居留地西波止場脇に下り、気球は同波止場より三四十間計なる海中に落入りし由にて、同日は前回の興行と異なり幸に風なく好天気なりしかば、見物人も相応にありしと云ふ。


◆上野公園・第二回目◆ (明治
231217日)

明治231214日 時事新報

○軽気球乗ボールドウイン氏は米国イリノア州クヰンシー府に生れたる人にして、本年三十歳なり。氏は千八百八十七年一月、桑港に於て始めて軽気球乗の技を演じ、一千英尺の高さに上り、同年四七月日(?)即ち米国独立祭の日、クヰンシー府にて四千五百英尺の高さに達し、同十月十一日、同府にて一万英尺に達して大に名声を博し、其他国内の諸都府にても妙技を演じ、一昨年英国に渡航して重立ちたる市府に興行し、遂に同年十月三十日、アレキサンドラ宮に於て皇太子ウエールス親王の面前に得意の技を演じ、夫より英国植民地を巡遊して米国に帰へり、此度日本に来りしとなり。

明治231215日 時事新報

○ボールドウヰン氏の新興行 先日上野に於て興行せし軽気球乗ボールドウヰン氏兄弟は、再び来る十七日、上野博物館前に於て興行することに決し、今度は芸を差替へ目新しく珍らしきものを演ずると云ふ。

明治231216日 郵便報知新聞[広告]気球その二 002

軽気球乗演技廣告

先回ハ切符売渡所少ナキ為メ、混雑ヲ生ジ、御入場セラレザリシ諸君ニ謝シ、来ル十七日水曜日、上野公園博物館前ニ於テ、ボールドウイン兄弟ハ巨大ノ軽気球ニ於テ、驚ク可ク且ツ勇敢ナル昇騰ヲナス。先回ハ諸君ノ大喝采ヲ得シモ、技士ニ在テハ種々ノ道理アリテ満足スル能ハズ、第一軽気球ヲ充実スルニ用ユル材料不充分ニシテ、気球は予期ノ高点ニ達スル能ハズ、故ニ今回ハ是迄日本ニ於テ他人ノ昇ラザル高処ニ騰ランコトヲ期ス。先回ハ千尺ノ高処ニ於テ風力甚ダ強ク、風傘ヲ使用シ得ザル為メ、公園内ニ下降シ能ハザリシモ、天気好良ナレバ公園内ニ必ズ降ル可シ。亦彼大飛降ヲ以テ看客諸君は満足セラレタルモ、今回ハ高塔ヲ猶一層高クシ、該技ヲシテ一層愕クベク且ツ勇敢ナルモノタラシメントス。今回ハ売渡所ヲ増加シ、看客諸君ノ便ヲ計ラントス。開場正午十二時、午后三時ニ於テ大飛降ノ技ヲ演ズ。右終レバ看客ノ目前ニ於テ巨大ノ軽気球ヲ僅ニ八分時ヲ以テ充実昇騰シ、千尺ノ高ニ於テ風傘ノ横木ニ足指ニテ逆ニ掛リ、身体ヲ毫モ結束セザルヲ謹ス

但当日余興トシテ奏楽アリ  入場料 上等壹円 中等五拾銭 並等弐拾銭

明治231218日 郵便報知新聞

○気球天に冲(ひい)る(美観)

昨日は朝より空霽(は)れ、風も静なりければ、風船乗ボールドウヰン第二回の技を観んとて、上野公園に聚まりし人夥しく、午後二時頃には東照宮鳥居前より博物館の門前まで、宛(さな)がら人の垣を築ける如し。其割合に場内の淋しかりしは、外より覗くものゝ多きに由れるか。午後三時、ボールドウヰン(弟)は例の肉襦袢にて、百余尺の高櫓(前回より二十五尺高し)に登り、新に架したる横木に攀ぢて、忽に身を逆まに釣せり。足は上、首は下、アナヤと看客が手に汗を握るまも無く、足横木を離れて真逆倒に張網を望(のぞん)で落ち来り、途中巧みに身を転じて背を網に投ず。ポンと一声、網の弾力にて人は再び跳ね上ること数尺、拍手喝采、鳴りも暫く止まざる間に、技手は再び櫓に登り、横木の下より身を躍らして再び網上に飛び降る。其仕方は前回に同じきも、巧に足を縮めて網上に立ちし手際は、体操術の妙技を顕はせしならん。

飛下の技終て、軽気球に瓦斯を焼き込むこと前回に同じ。合図一声、大球人を釣(つる)して飄颺(ひょうよう)として天に冲(ひい)る。技手は矢張り弟にて、途中攀援倒懸の技、敢て前回に異ならざるも、空澄み風穏かなれば、看客の目には鮮かに見えたり。球の昇ること四千余尺、人の球に懸ること十余分、悠々として徐に根岸の方へ進み行き、白布忽ち閃きて、人は根岸の方に降り、遂に博物の屋後に隠れ去りぬ。

数十分の後、渠は人力車にて帰り来り、公衆に向て謝辞を述べたり。其言に依れば、球は三河島の方に飛び、人は金杉村の畑中に落ちたりと。此の兄弟、数日の後は名古屋に赴て此の技を演ずべし。

明治231219日 時事新報

○再度の軽気球乗 米人ボールドウヰン氏兄弟の軽気球乗り及び高櫓飛下りの奇芸は、去八日、上野公園博物館内の広庭に於て興行せしが、生憎少し風吹き出で、気球も兼て吹聴したる高さに至らざりしかば、残念なりとて、一昨十七日、同所に於て再度の興行に及びたり。当日は朝より空麗かにして、風更になく、誂向きの好天気なりしかば、一二時頃よりは上野を指して詰め懸くる者引きも切らず。去れど既にスペンサー氏の同じ興行二度もあり、ボ氏の演技も一度済みたることなれば、物珍らしさの加減も頗る薄らぎたることゝて、見物人は場の内外とも前より余程少き様なりし。場内の体裁は矢張過日と同じ塩梅なれど、櫓の高さは以前七十五尺なりしに、今度は百尺なれば一際高く、此上より飛落つるものかと思へば、未だ見ぬ先きよりゾットする程なり。東の方の奏楽堂には一群の楽隊扣(ひか)へて折々音楽を奏し居たり。軈て演技の時刻と定めたる午後の三時となりしかば、見物は片唾を呑んで今や遅しと待構へ居り。十五分許を過ぎて後、肉襦袢一重を身に纏ひ、極めて身軽の出で立ちしたる一人の男、横に結ひ並べたる丸太を伝ふて櫓の上へ登り行く。是れぞ即ちボールドウヰン氏の弟なり。其後より一人の水夫、一ツの風呂敷包を背負ふて随ひ上れり。頂上に達してボ氏は其包みを開き、バラ〳〵と擲(な)げ落すは、例の通り広告の引札なり。赤白の紙、翩々として落行くさま、亦一種の見ものなり。之を何やらんと珍らしがりて争ひ拾ふさまも面白し。程なく引札も蒔き終りて、ボ氏は西の方へ突き出でたる所へ渡り行き、横木へ膝を引懸けて、体を垂れ、手を放したり。観客思はず手に汗を握りて見詰むる折、氏は其処に下れる二条の紐を持ちて、足先きのみを横木へ懸け、全く体を真直に垂れて、紐を放したり。ヤンヤと賞嘆の声のうち、足を外づすよと見る間もなく、身体真逆(まっさかさま)に落ち来り、中途に一転して、背を下に張りある網に打付くれば、其弾力に打上げられて、一丈ばかりも高く飛び、又落ちて網の上へ突立ち、直ちに網を下りて、又も櫓を攀ぢ登り、七十尺許の高さより網を目懸けて飛び下りたり。此の後に演じたる方は即ち先日為せし處と同様なり。右の奇芸済むや否や、十分余りにて、例の如く巨球へ火気と烟とを満たし終り、一分千尺の速力にて気球、忽然空中へ激騰したり。ボ氏は数丈の綱の下に体を据え、球に曳かれて飄々然、忽ち天外の人となりたり。綱を手繰りて上なる横木に達し、之に足を懸けて垂下するなど、総て前日と同じ芸事あり。風は微かに南より吹く気味ありしかば、少しく北へ寄りつゝ上騰したるが、至つて穏かなる日和ゆゑ、存分に騰り詰め、身体殆んど肉眼にて認め得ざるまでに至り、俄然、白き風傘に駕して飛下りたり。上昇は三時四十分頃にして、下降は同五十分頃、四時には早や五六人の車夫、氏を曳いて場内へ駈け込みたり。氏は直ちに一段高き所に登りて一礼し、通弁人観客に披露して曰く、今日は極めて結構なる天気なりしかば、確に一万尺程は騰りたりと。是にて一同退散、当日ボ氏の降下したるは吉原近傍の田圃なりしと。

[掲載新聞一覧]

『郵便報知新聞』(復刻版/明治56月~明治2712月)・柏書房・平成1年~。

「読売新聞」(読ダス/明治7112日~)。

『時事新報』(復刻版/明治1531日~明治407月・刊行中)・竜渓書舎・昭和61年~。

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<スペンサーとボールドウィンの軽気球>                          

【絵画資料】

①≪大判錦絵・永島春暁画・長谷川常二郎版≫(「大見世物」95頁)

気球 001

(表題)「上野公園風船之図」。明治廿三年十二月印刷・御届。

十一月二十四日のスペンサー、十二月八日のボールドウィン兄弟の上野公園での軽気球のりを題材とし、二人を同一画面に描いている。画面に記された文字は以下の通り。

「風気球の空気をぬき下す図/空中に於て広告をまく図/かさの下へさかさまに下りて空中より下るていなり/一万尺の空中より風船をはなしておち下る図/風船の紐にとりついて空中はるかにのぼるてい」

「明治廿三年十一月廿四日上野公園地に於て英国人スペンサー氏風船飛び下りの技術を演しけるが空天数十丈の高キに昇る。同十二月八日米国人博士ボールドウィン氏一万尺の空天に昇り奇々妙々の技術を行ふて衆目をおどろかしむ」

〈編者註〉上図の内、赤い服を着てチラシを捲いているのがスペンサー(右手前)で、その他はすべてボールドウィン兄弟と思われる。因みにボールドウィン兄弟とは、兄がトーマス・スコット・ボールドウィン(Thomas Scott Baldwin)、弟がウイリアム。兄のトーマスは後年航空機を設計し、1911年(明治44年)三月に大阪城東練兵場にて航空ショーを演じている。

②≪大判錦絵三枚続・周延画・福田熊次郎版≫(山田書店)

気球 003

(表題)「上野公園風船之図」。明治二十三年□月印刷・御届。

絵画資料①と同じく、十一月二十四日のスペンサー、十二月八日のボールドウィン兄弟の上野公園での軽気球のりを題材とし、二人を三枚続きの上下にわけて描いている。画面に記された文字は以下の通り。

「于時廿三年十一月廿四日、上野公園地に於テ英国人スペンサー氏風船飛び下りの技術を演しけるが、空中に登る事数十丈にして空をも貫くが如し。稍々空中にありしと見へしが、間もなく根岸の辺りへ下りける。実に奇々の妙術なり」

「同十二月八日、米国人博士ボールドウィン氏一万尺空天ニ登ル」

なお、周延はこの構図をそのまま用いて翌年一月八日より二月十日まで東京木挽町歌舞伎座で五代目菊五郎が演じた大切浄瑠璃「風船乗評判高閣」の錦絵を描いている(同ブログ「明治二十四年」の項参照)。





misemono at 23:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ボールドウィンの軽気球 

スペンサーの軽気球 一

         スペンサーPercival Spencerの軽気球

スペンサー



はじめに

一、「見世物興行年表」より「スペンサーの軽気球」に関する記事を、以下の日付順に集成したものである。但し項目は「年表」にそのまま残した。

 明治231012日    横浜公園
               1019日   横浜公園(第二回)

        111日   神戸居留地

        1112日   天覧(二重橋外)

        1124日   上野公園

        1130日   大阪今宮眺望閣東

        1214日   京都御所博物会場前

                    (日時不明)    長崎            

一、スペンサーの軽気球を書いた雑誌記事、随筆、文芸作品等は相当あるが、今回は新聞記事だけに限った。

 一、記事再録にあたり、仮名遣いは旧のままとしたが、漢字は一部常用漢字に改め、句読点は本文・広告とも適宜施した。

一、ホームページ「歴史公文書探求サイト『ぶん蔵』」の「スペンサーがやってきた」に、宮内庁書陵部蔵のスペンサーに関する資料─スペンサーのポスター(上図参照)、スペンサーから外務大臣宛書簡・十月六日(英文・日本語訳)、アチーン戦争から帰還・18908月のシンガポールの新聞、スペンサーから外務省に対しての回答・十月十三日(英文・日本語訳)、海軍省宛鉄粉依頼決済文、打ち上げ当日についての記録、天覧の際の略図など─が公開されている。どれも貴重なものであり、ぜひ一度ご覧になることをお勧めする。


横浜公園(第一回)◆(明治
231012日)

明治23109日 時事新報

○軽気球乗師の渡来 軽気球に乗る事に妙を得たる英国人ペルシバルスペンサー氏は、此程横浜に渡来して、目下グランドホテルに滞留せる由。同氏の家は祖父以来軽気球の製造を業とし、英国にて有名なりと云ふ。同氏は八才の時より軽気球に乗る事に従事し、其後東洋に渡り、シンガポール、バタビヤ、香港等にて乗騰の技を演じ、今回始て横浜に来りしなり。而して同氏が携帯せし軽気球は、直径二十八尺にて、之が飛揚に要する石炭瓦斯又は水素瓦斯は一万二千立方尺にて、上騰する高さは是迄大抵七千五百尺位なりしよし。氏が地上より右の高さに達すれば、忽ち飛下し、地上より百尺の上にて傘を広げ、漸次地に下る。其間軽気球は顛倒して球中の瓦斯は漸次飛散し地上に落ち来ると云ふを、同横浜に於て之を興行するよし。

明治231012日 郵便報知新聞

○軽気球乗りの準備 今日午后横浜の公園にて軽気球乗りをなすといふスペンサー氏は、既に昨日までに相当の囲ひを設け、衆観者の座席を備へ、且つ軽気球に瓦斯を充つる管などを備付けたり。今度の諸準備に要したる費用は六百弗に下らざるべしとなり(横浜の英字新聞)。

明治231012日 読売新聞

○日本未曾有、人を雨降す 今度初めて日本に渡来したる倫敦有名の風船乗りパーシバル、スペンサー氏には、神奈川県知事の許可を得て、本日午後二時より横浜公園に於て風船の曲乗興行を為すと云ふ。其の次第を聞くに、風船の形ちは尋常ならず、極めて異容なる物にして、氏は之れに乗じ、雲際凡そ三千フートの高サに昇り、此處より飛んで地上に降るといふ。其の有様宛がら一の弾丸の電光石火の速力に従へるが如くに、凡そ一百フート許りを降るよと見る間に、彼の節落傘(パラシュート)を颯(さツ)と開いて急に墜落の勢ひを支へ、終に難なく見物の前に降り来るなりと。而して其の興業順序は、先づ二時開場と同時に気球を満張す。二時三十分東京楽隊奏楽。三時種々の怪気球を飛ばす。獅子、虎、象、亀、魚の形ちあり。三時三十分気球使用の説明。四時節落傘の検査。四時三十分スペンサル氏の気球上昇、パラシユートの下降。五時スペンサル氏中空にあツて自身が経歴に関せる演説等なり。入場料は前面座席弐円、上等席壱円、中等五拾銭、小児十二才以下半額なりといふ。

明治231013日 読売新聞

○横浜の風船乗好結果を得たり 昨日午後横浜公園に於て英人スペンサー氏が風船に乗りし実況の要点を記さんに、諸般の準備悉く調ひ、氏の身支度も亦た終り、一大軽気球の地上を離れりしは正さに午後四時半頃にして、恰も好し、天晴れ風静かに、斜陽漸く西山に没せんとするの時にてありき。氏が悠然として一條の腰掛革に身を落付け、凡そ十間ばかりも上昇するや、公園の内外に群集蟻簇せる何万の見物人が一時に大呼拍手して喝采を表する声、恰も千軍万雷の至れるかと疑はるるばかりなり。斯るうちに飄然として上昇しつつあるスペンサー氏は、片手に帽子を脱し、之を打振りて地上の喝采に対(こた)ふる姿、一ミニユート毎に天に冲(ちう)し、見物人は唯だアツケに取られ、眸を凝し、口を開て天の一方を仰観し、愉快と云ふもあれ、快絶と呼ぶもあり、又た或は氏の身に若しや異状の起るべき憂はなきやと危ぶむあり。而して氏は遂に球と共に微かに小さくなり果てて、球は一個の蹴鞠の如く、氏の身は恰も精錡水の瓶を以て喩ふるまでになり、ただ今少し昇らば一朶の白雲に影を隠されんこと必定よと語ふとき、氏は是ぞと決心やしたりけん、断然球を飛のき、節落傘(パラシュート)と共に非常の速力を以て墜下すること数百フイート(地上よりの想像)、一同アツト魂を消す間もあらせず、節落傘は調子よくパツト音して(音は聞えねど聞えたやうに思はれしなり)、更らに氏の身を中空に吊したり。是に於て、見物人は再び大喝采をなして、安心の色見えしかども、始め上昇の時より空中は何程かの風力ありし為め、次第に西方に吹き付られければ、今は氏の身の位置益々変じて、殆んど十五六町も隔りたる市外の頭上にあり。故に、万一落處の悪しからんには如何なる怪我の出来んも知れずと、重ね〳〵の心配、更らに見物人の胸中に湧出でたるは人情の然らしむるところなるも、左りとて固よりせんすべの有るにあらねば、唯風任せに眺め居るうち、遂に其の何れにか落下したるを認めたり。掛りのものは太田村よと見当を付け、直に迎の車を遣りしに、凡そ一時間も経ちしと思ふころ、氏は無事に帰り来り、前刻風船に打乗りし場所の中央なる卓上に飛上り、英語にて其の三千五百フイートの空中より地上を瞰下したる事等に説き及ぼせし演説は明日の紙上に譲る、及び猶氏の事に付聞込みし事も亦た明日。



misemono at 23:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) スペンサーの軽気球 

スペンサーの軽気球 二

明治231013 郵便報知新聞

○日本に始ての奇芸(風船飛下り) 

英国の空中旅行者パーシヴァル、スペンサー氏は昨日予言の如く軽気球乗りを成(なし)遂げり。

場所 横浜公園を広く囲ひ込みて三重に竹の垣を設けたり。蓋し客の種類を分てるなり。中央の埒中に入れば、但だ見る場の中央に一大布球、今方(まさ)に水素瓦斯を管を以て送入し居れり。是れ方に午后一時半頃のことなり。

軽気球 絹を以て作りたると見ゆ。其の直径二間半に余るべし。球の表面は細き紐を以て綱を作り、之を掩へり。此の球を掩ひたる網の目の地に接する處に十余の重錘(おもり)を掛けり。瓦斯、球内に満つるに随て、重錘を漸々下の方の網の目に懸けかゆるなり。是れ球内に瓦斯の入る余裕を与ふるなり。将に四時半ならんとするころに至ては、球既に四分の三以上膨脹し了りたり。

時々 紙にて作りたる小軽気球又は魚、象等の形をなせるものに瓦斯を分入して空中に放てり。其折毎に四辺の喝采高く起れり。知るべし、埒内埒外観者堵(かき)の如きを。

氏の昇騰 せし時刻は実に四時四十五分なりき。此の時軽気球は殆んど全く膨脹して、只だ下方の一部は瓦斯未だ十分に充たず。瓦斯を送るの管と軽気球とを相離てば、球の下部に直径四尺もあるべき一の円き口開けり。決して之れをクヽラざるなり。世人の熟知せるが如く、水素瓦斯は空気より十四倍軽きが故に、縦令下方に口ありとも曾て漏吐する憂はあらざる故なり。此時球の半腹に一の傘を掛けたり。傘即ち所謂パラチユートは、亦た絹にて作れり。之を拡げば四畳敷はあるらんか、畳みたる長さ二間はあり。傘の下端には幾十条の紐を結付けり。紐の長さ亦た二間ほど、幾十条の紐は一の輪(直径二尺程)に集め結付けり。此の輪紐を十字に横たへ結べり。是れ氏が下降する時に把握するものなり。軽気球に掩ひたる網の下端は、亦た一の輪をなせり。氏は此の輪上に腰を懸け、右手に傘の下端なる輪を取れり。氏は一声高く『昇騰(ゲットアップ)』と叫べり。楽隊続て起れり。嶄然として軽気球は地上を離れり。未だ十分に膨脹せずしてありし球は、次第にフクダみて、終に一大真円球をぞ成せり。軽気球乗り者は、屡々手を拡げて下方の喝采に答へり。其の身体は漸くに小くなりて、凡そ地上を一千尺も離れたらんと思ふころは鳶の如く見へり。已にして烏の如く、已にして雀の如く、終に小蝶の如く、最後に空中一点の黒子となれり。此時軽気球を仰ぎ望むに、十五夜の月が三更天に中したる時の大きさとなり、将に雲を摩せんとせり。微(かすか)に夕陽に反照して、球の色稍々黄ばみて見ゆ。真に油絵の月を見る心地せり。蓋し是れ頂点に達する時なり。

乍ち見る 空中一点の黒子的物、急霰の如く球を離れて落ち来れり。須臾にして、人体髣髴として見るべくなりたり。飄々として、風下の方十幾町の彼方に落ちたり。球は亦た飄々として、益々上昇せしが、凡そ氏が地上に降着きたらんより十分時程後れて、海岸の方に萎みて落ちたり。蓋し球の下方の口傾き仰ぎて、瓦斯は已に発散せし故なり。始め氏が地上を離れてより地上に降着したる迄は只だ五分時なりしのみ。氏が漸く地上に下降し来て、遂に市中の樹木家屋に遮ぎられ見へずなりしより只だ十五分時程の後には、已に氏は再び埒内に在て、中央に設けたる机上に立てるを見たり。氏は一場の演説をなして、来覧を謝し、且つ軽気球の事につき説明を施したり。中(う)ち一二の要語を摘出すれば、曰く、高く空中に昇りたる時、俯して地上を下瞰するに、一望蒼々として却て大空の如く見ゆ。曰く、兼て空中に昇騰すること三千尺と広告したれども、実に今日昇騰せしは三千五百尺の上に出でたりと。演説了て乗客散じたり。時に暮色蒼然として来り天漸く低し。

本人の容貌服装 軽気球乗りは黒のセビロを着し、年齢は三十六七、身材余り高からず、容貌稍や日本人に近かし。

明治231014 時事新報

○スペンサー氏空中を旅行す 同氏が横浜公園地に於て一昨十二日午後二時より軽気球に駕し、妙技を演ずる由は曾て本紙に記載せし處なるが、当日は朝来雲行悪しかりしも、午後に至り一天洗ふが如く晴渡り、且つ微風なかりし為め、乗騰には此上なき天気なりしに、搗(かて)て加へて日曜日の事なれば、公園地周囲の見物人は実に夥しく、恰も人にて山を築きし如くなりしが、場内も亦思ひの外の縦覧人にて、当日来賓の重なるものは浅田知事、三橋書記官、高橋警部長を始めとし、二、三外国の領事、貴婦人及び豪商紳士等なりき。且楽隊を聘し、時々奏楽せしめて余興を添へしを以て、場内和気藹々たりし内に、軈て四時四十八分を報ずるや、ス氏は軽装にて麁服を着け気球に駕し、三千五百フイートの高さに達するや、忽ち節落傘(フアフシート)に乗り替へ、漸々地上に下り、遂に太田水道貯水地近傍に安下せり。而して気球は氏が節落傘に移るや忽ち顚覆して、燈台局辺に堕落したり。
ス氏は五時頃同地より帰場の上、演壇に登り、本県知事の許可を得て今回此挙を行ふに至りしは実に意外の満足なり云々、余は日本にては大抵三千尺位ならんと予想せしに、三千五百尺の高点に達するを知らざるに至りしは、真に季候の適当なるが為めなり、又乗騰して下界を看下せば、余が未だ見ざる程風致宜しき国柄にて、斯る山河清秀の地に住む日本人は実に幸福なり云々との演説をなし、拍手喝采の間に五時半頃解散せしが、今氏の容貌及風采を記さんに、氏は本年二十六才にして身幹矮小、漸く五尺有余なるは西洋人中稀に見る處なり。而して両頬及び腮の辺に鬚髯を蓄へ、性質至て洒落活発にして、能く各国歴遊の珍説を問に応じて滔々と述べ去るは、実に愉快の一奇人なるべし。尚聞く處によれば、英国外務大臣は本邦在留の同国公使に向て、主上の天覧に供すべき旨の照会を為せし由なれば、氏が名誉の程も一層高きに至るべし。因に記す、右気球は軽気球用特別製の絹にて、一万二千立方尺の瓦斯を要し、直径二十八英尺なりと。而して右は素人にても、肺部強健にして多血性の人は容易に乗騰し得るも、降下の後瞑眩して両三日間は恰も白痴の如きに至ると云ふ。然るに氏は毫もさる容子の見えずして、いとも快活に一場の演説を為せしは、熟練の功とは云ふものゝ、実に感ずるに余りありと云へり。



misemono at 22:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) スペンサーの軽気球 

スペンサーの軽気球 三

明治231014日 毎日新聞

 ○空中飛行

 一昨十二日午後二時より横浜公園地にて今度渡来のパーシウアルスペンサー氏が軽気球に駕し、三千尺の高さに迄登り、夫より飛び下るとのことなれば、横浜人は勿論、此日東京より態々見物に行きし人其数を知らず。空中飛行は外国にても余り度々ある者にあらざれば、京浜人が群集したるも道理なり。其詳細を記すれば、

 軽気球

 球は直径二十八英尺、中に一万二千立方尺のガスを容れ、形は円頭尖底なり。其色水色、其質は紙よりも薄き獣類の薄膜なれば、一寸見れば円形の漆紙袋の如し。尖底の口は直径二三尺、地上にある間は此所をガス管と結び付け、之れよりガスを注入し、ガスの入るに従ふて球膨脹し、球の外部は無数の小縄にて地上に引寄せ、縄の端に一斗四五升入の袋に砂を盛り、袋の数三四十、之れに依りてガス充満する時、球の空中に飛揚するを防ぐなり。ガス充満する時、球の登昇は二馬力なりと云ふ。何様直径三丈足らずの大球がガスを食むに従ふて腹膨脹し、水色の大蛸の頭の如きは地上に突起する外貌なれば、一寸見た所では天上の月球、日本山水の美に心魂を奪はれ、久米の仙人の覆轍(ふくてつ)を踏み、空中より落ち来り、脚を痛めて地上に踞(うずくま)るかと思はるゝの気色あり。球と球の周囲を取り巻き、球の下迄垂るゝ縄との距離は四五間あり。此縄の端末に一輪の輪あり。此輪に無数の小縄を結び付け、輪の中には縦横に縄を渡し、輪の中心は空中飛行者が腰を掛くるの場所と知るべし。

 飛行者乗用の小半球(一名蝙蝠傘)

 此半球は大なる蝙蝠傘の凡ての骨子(ほね)に小縄を結び付けたる形を為す者なり。球の大サ直径十七英尺、質は日本の絹紬と同質の者なり。球の周囲より下る所の縄は十余条、長サ各々五六間、是れ又縄の端末に小輪あり。輪内の空所は縦横に縄を引き、飛行者が大球より空中に別(わかれ)を告げて下る時、此輪中の縄を握り下る者と知るべし。

 スペンサー氏

 氏は龍動(ロンドン)軽気球製造会社の社員にして、家世々軽気球製造を業となし、家は龍動富人の一人なりと。齢今年二十六。八歳の時始めて気球に乗り、龍動人の膽を寒(ひや)し、一昨日の興行にて五十三回の飛行なりと。丈けは短少、日本人の中形男程なれば、英人にて余程小形の方なり。口の周囲半紅髯を以て充満し、人に接する際愛嬌溢るゝ計りの人なり。(美男と云ふ程にあらざれども)身にジヤツケツトを纏ひ、挙動軽快、自から場内に奔走して万事を指揮し、言語の早口なるは乗球匆忙の際万事を指揮するに由るべし。

 飛行

 此日東京より楽隊を招き、準備の間は丈大の虎形、象形、人形等の球を空中に登し、観者の退屈を防ぎ、三時半頃本球は充分ガスを含み、頻りに飛行を試んとするの状あれば、氏は七八の助手を指揮し、彼の錘にしたる砂の袋を順次に取り外し、四面無数の縄を中央に集め、之を彼の輪に結び付け、仕度調ふ時を見計ひ、ヨシの一声と共に縄を引きタメ、球の登昇を防ぎ止めたる人々、手を離すや否や、球は奔馬の如き勢(いきおい)にて空中指して飛び行けり。此間にスペンサー氏は拍手喝采の声の真中に左手を延し、或は右手を広げ、地上の見物人を喜ばしめ、地上を去ること二三百尺の所迄は空中の芸も地上の人に見分けられたれども、飛行後七八分と覚しき頃、直径二十八英尺の球は左(さ)ながら蜜柑を空中に投じたるが如し。球下に豆大の黒点あるは彼のスペンサー氏なり。見物人は之を見て、氏は空中に埋没し終らざる歟、今一分間を過ぎなば氏の形を失はん、アヽ危(あやうし)と、先きに拍手喝采したる人も今は氏を見失はんと気遣(きづかう)頃、彼の豆大の黒点は球と離別するよと見るや否や、其下ること幾(ほと)んど空中墜石の勢なれば、瞬く間に彼の大の蝙蝠傘、空中に広(ひろが)り、其下に二脚を垂れてブラ下る者はスペンサー氏たるを知る。氏が下る方向の場所には早く人力車を遣はしおり、氏は横浜旧太田の陣屋跡へ落ち、直ちに用意の人力車に乗り、公園地に駆け来り、拍手喝采の真中に、軍人が敵将の首でも取りたる勢にて高きテーブルに飛び乗り、一場の演説を為したり。其演説の趣意は、第一神奈川県知事、書記官其他の紳士が自分を助けて無事に飛行の術を演ぜしめたるを謝し、自分が提へたるバロメートルにて検査したるに三千五百尺迄登りたり。又自分は空中より日本の好景色を見たるを喜び、終りに此小軽気球は学理に照して構成したる者にて、作者は龍動ホルローウエー街の空気球製造者が支給したる者なるを述て演説を終りたり。其演説中最も可笑しき所は、此日の見物人は所謂るロハ見物人多くして割合に切符購入者少数にてありたるが、氏は演説して云ふ『我は今諸君に向ひ、軽気球場囲内切符を買ひ、我を補助せられし御客様方見物人は最初の見込みに越て非常の大入にてありしと申さぬが、併しながら空中数千尺の所より遙かに下界を眺めたるに、柵外ロハにて我の演修を補助せられしゼントルメンの多きを見て大に満足したり』と滑稽交りの説を為したる時、場内ドツト笑ふたり。斯くて午後五時半頃閉場となりたり。又スペンサー氏と空中に一別したる大球は燈台局前沖中に落ち、用意の船は直ちに之を拾ふて持ち来りしと。

明治231014日 読売新聞

○スペンサー氏の演説 氏が一昨日午後横浜公園に於て軽気球に乗り、無事に降り来りたる後ち、一場の演説をなしたる趣は昨日の紙上に記せしが、今其の演説の大意を摘記せんに、曰く、今般拙き技を演ぜんが為め遥々当港に渡来し、先づ此の公園地内拝借の儀を願出たる處、親切なる浅田神奈川県知事は早速願意を聴届けられ、本日此に第一回の技を演ずるに至り、斯く盛んに貴女及び紳士の来観を辱うしたるは予の感謝する所にして、予の栄誉何ものか之に過ぎん。今日は三千フイート上昇すべき旨広告し置きたれども、実際上昇したる後ち気圧計(バロメートル)にて験せしに、方(まさ)に三千五百フイートの高きに達し居たりし。此の高處より眼下を瞰(み)れば、只だに此の近郡近村のみならず、遠近諸国の風景悉く一眸の裡に集り、東京城の如きも亦た微かに認め得たるやに思はれしなり。予が之れまで経歴せし處多しと雖ども、気候温和にして風景の佳絶なること、我英国を除かば世界中恐くは日本国に及ぶものなからん。予は満場の貴女及び紳士が斯る好土に棲息するを賀せずんばあらず。サテ、予は少しも日本の地名を知らざるが故に、只今落下せし場所は何と云ふ處なりしや分らざれども、幸い空地にてありければ何の怪我もなく、最初地上を離れしより一時間経つか経ぬかの間に再び此に帰り来りて満場の貴女及び紳士に見(みま)ゆるを得るは予の最も喜びに堪へざる所なり云々とありしが、氏は元来通常談話のときは声の小(ちいさ)き方なれども、此の演説には熱心に大声を張り、最(い)と壮快の身振りをなして非常に満場の喝采を博したり。此の時一寸愛らしく見えしは、目下英国東洋艦隊の軍艦十余艘同港に碇泊中とて、其の水夫等の来観せしもの尠からず、彼等は固よりスペンサー氏と旧交ありと云ふにもあらざるべけれども、同国人の好みにや、最初より場内にて種々の手伝をなし居たりしが、スペンサー氏が無事に帰り来りたる時は、だらしなく喜び入りて拍手喝采をなし、其の演説中も常に其の無邪気なる顔に笑を帯びて頗る氏を賞賛したる様なりき。

○スペンサー氏の履歴 氏は千八百六十四年、英国倫敦に於て生れ、本年当さに二十六歳の壮年男児なり。氏の父は深く軽気球に乗るを好みて、軽気球に種々の改良工夫を施せしことも少からず。倫敦に有名なる一人にてありしが、氏は、千八百七十一年、わづか八歳の幼齢を以て父と共に軽気球に乗りしことあり。氏は先づ普通教育を卒へたる後、専ら機械学を攻(せ)めて得る處少からず、益々父の子たらんことを期し、志を軽気球の事に傾けたり。千八百八十八年、印度に渡航して孟買(ボンベイ)、カルコツタ等を始め處々にて其技を演じ、六ケ月間滞留の上、一先づ本国に立戻り、本年亦東洋に向ツて郷里を辞し、新嘉坡、バタビヤ、アチイーン等の各地を経て横浜に来りたるものなり。其のアチイーン(和蘭領スモクタ島の一都府)に至りし時の如きは和蘭の陸軍将校仕官等深く其の大胆なる技量に感じ、遂に氏を雇ふて陸軍の実地演習に軽気球を使用し、将校自身も亦た之に乗込みて空中に昇騰し、敵状の観察等を試みしと云ふ。

○横浜の軽気球余報 一昨日の軽気球乗は我国に於て実に空前の絶技なれば、我社は特(こと)に社員を派して実見せしめたり。依て悉く之を一項の記事に集め、之に関する一切の事実及び景況を最(い)と面白く読者に報道せんと期せしも、一昨夕は時刻後て昨日の紙上に間に合はず、左りとて丸で之を記さぬも不本意の次第なればと、取り敢へず其の最も肝要なる部分、即ちスペンサー氏が地上を離れて元の場所に帰り来りたるところまでを昨日の紙上に記したり。是に於て初の考へ通りに一項の記事にまとめんとすれば、昨日の記事と重複するの恐を生ずるに至りたるを以て、止むを得ず昨日の記事を主脳とし、他の記し残せし分は之を余報として下に連記すべし。

  ❍軽気球の大さは周囲八十八尺、直径廿八尺にて、通常水筆の軸位の太さある小綱を以て網の目に頭上より之を掩ひ、網の末分れて二十四條の綱となり、其の長さ四十フイート悉く直径五尺位の環に集め結ばる。乗手の腰掛革は此の環より垂れるなり。又た球の物質は緻密なる絹地にして、之に油護謨(ごむ)を塗り、瓦斯の脱出せざるやう注意至れり。又た降るときに用ふる節落傘は、支那風の絹紬にして、其形は紙製の洋燈の傘と思へば大なる間違ひなし。始め之を展べ、中に一ツの環を立てゝ之をたゝみたる状の如く、口より見れば洞然として穴あるを見る。斯く大事にたゝみ、其の頭を極脆弱なる紐にて球の網の目に結び付け、囲辺(まはり)より垂れたる腰掛革に腰を掛くれば、少し手を伸ばして右手(めて)に環の一片を握り、左手(ゆんで)に傘の紐を握り得るわけなり。然れども左右手其の用を代へ又片手にて之を兼ぬる事も出来得る余裕は十分之れあるに似たり。左なくては中天にバロメートルを験し、或は帽子を被脱し得るの理なし。又た其の球を離れて専ら節落傘に依んとする時は、両手とも其紐に縋り、球の腰掛革より腰を外すなり。此の瞬間こそ数百フイートを直下する時にて、万一節落傘が開かんずば如何にすべきやと気遣ふ人もあれど、前記せる如く、傘の口に一個の環あるため、洞然として穴状をなせるゆゑ、圧力ある空気は忽ち其の穴口より押し入りて、パツと押開く仕掛け中々旨く、地上より無闇に気遣ふこそ却て可笑けれと物知顔に語るも亦た可笑し。

  ❍斯様に大胆なる風船乗りは日本人を驚かすこと申すまでもなきが、段々問合せ見れば、京浜間に居留せる西洋人とても始めて見物せしもの殆んど十中の九分九厘なりと云ふ。左ればにや一昨日の見物人も西洋人沢山なりし。

  ❍スペンサー氏の落下せし場所は太田村と聞きしが、段々調べて見れば同地の假裁判所跡の空地なりし由。又たスペンサー氏が中空にて節落傘に移りし後ち軽気球は如何せしやと云ふに、容易に止るべき様子なきのみか、遂に雲間に分け入りて其の姿見えずなれり。而して凡そ三四十分も過ぎし頃、早や球形を存せず、十分シボミて同港内の海上に落ちたり。是れ始より一個の錘が付しあるゆゑ、瓦斯飛散の上は直に落下するなり。

  ❍当日横浜瓦斯局より鉄管にて通ぜし瓦斯の量は一万二千立方尺にて、其の代価及び工事費とも二百円に及びし由なるが、其の外一切の入費を合算するときは殆んど八百円を要せしと云ふ。尤も一方に千円余の収入ありしと云へば、差引するに強ち儲なきにはあらざるが如し。実際如何にや、試みに入場者の数を左に記さん。上等(弐円)二百五十名内本邦人三四十名、中等(壱円)五百名内本邦人二百五十名、下等(五十銭)五百七十名外国人五十名、総合計千三百二十人となる。

  ❍上記する上中等の二円或は一円は貴いか安いか何は兎もあれ、場内に入ることを得て腰掛ける椅子の用意もあれば先づ結構なれども、何とも割に合はぬやうに思はるゝは下等のお客様是れなり。元来此の場所は二重の竹柵(やらい)を廻はせるものなるが、下等の客は一重より中に入ることを得ず、おまけに外にして腰掛ける椅子なきのみか、三銭か何ほどかお足を出さねば座蒲団を貸さず、又た座蒲団を借りたとて広場の地上に敷て坐するも気の利かぬ話なり。夫れより今少し遠方より一文入らずに見物する方が上策と思ひての事か、遠方の見物人は中々賑ひしやうに見受けたり。



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スペンサーの軽気球 四

横浜公園(第二回)◆(明治231019日)

明治231015 郵便報知新聞

○軽気球飛下りの再演 去る十一日横浜に於て風船飛下りを演じたる軽気球乗りスペンサーは来る十七日を期して再び之を
 横浜に演ず。

明治231015日 読売新聞

○スペンサー氏再び軽気球を演ぜんとす 去る十二日横浜公園内に於て軽気球乗りを為せしスペンサー氏は目下居留地二十番グランドホテルに投宿中なるが、同氏は来る十七日の大祭日を期し再び同技を演ずる由に聞けり。

明治231017 郵便報知新聞

○軽気球飛下りの再演 前日曜日横浜に於て大喝采を博し得たる空中旅行者スペンサーは、来る十九日(第二日曜日)午後二時より再演を試む。入場券は前と同様にて特別二円、上等一円、下等五十銭、当日グランドホテル及び同場入口にて売捌く。

明治231017日 読売新聞

○スペンサー氏再び風船に乗る 同氏は今十七日を以て再び横浜公園内に於て風船乗りを行なふ筈なりしも、都合に依り明後十九日に日延をなし、此度は見料も一体に安くして上中下の別なく入場せしめしうへ、上中の観客丈には椅子を出す由なるが、近日東京上野公園内の博物館前にて執行する由にて既に一昨十五日場所を検分のため上京せしと云ふ。

明治231021日 読売新聞

○スペンサー氏再度の軽気球乗り 去る十一日を以て好結果を得し軽気球乗りスペンサー氏が再び横浜にて催す由は前号に記載せしが、愈よ一昨十九日再び前回の場所なる公園地内に於て執行せり。其の模様は矢張午前九時より気球に瓦斯を入れ始め、二時四十分市中音楽隊の奏楽をなし、三時四十五分を以て案内気球を揚げ、四時四十分気球中の瓦斯満張せしを以てスペンサー氏は軽気球に乗りたるも、仝日は折悪く寒さ強かりしため気球中の瓦斯膨張せず、凡そ一間半も揚りて直に下りたり。依て氏は演壇に登りて其由を告げ、尚再び昇る筈なるも、此の季候にては充分揚るや否や分からざれば、万一仕損ずる時は入場券を払戻し、不日執行して観覧に供する旨を報じ、夫より瓦斯を気球中に増したる上、五時六分を以て再び揚りたるも、気候の悪き為にや、矢張り千フイトより揚り得ずして、同氏は公園内、気球は真砂町一二丁目の間に下り、夫にて全く終り、同日は前回と違ひ観覧人余程少なく、上中下にて漸く八百名程なりしが、場外は相変らず人の山をなしたり。されば公園は西南の口を入口となし、他の口には何れも竹矢来を結ひ、往来を止めしも、其の雑踏大方ならず、中には人民の公園を外人に貸与するのみならず、往来を止め、自由を妨ぐるとは不都合千万なりとて、是非とも園内に入らんと巡査に手向ふ者あれば、小石を投げて人を騒すもあり、一時は非常の勢なりしも、其内多くの巡査が出張して制されしため漸く静まりしと云ふ。其中にて最も気の毒なりしは居留地二番銀行の通弁林信二郎氏にて、余りの騒ぎに傍観も出来難しと巡査と共に制し居る内、百五十余円の金時計を掏り取られしと云ふ。

明治231021 時事新報

風船 010○時事新報雲を凌ぐ 天空飛下の奇芸家スペンサー氏は、一昨十九日、横浜公園に於て再度の軽気球乗りを試みたるが、三時過ぐる頃、頻りに之が準備を為し、人々片唾を呑んで今や遅しと待ち構へ居る折柄、忽然彩色燦爛たる一個の小軽気球、下には赤色の紙に白く筆太に時事新報と記したる牌(ふだ)を付けて舞ひ揚れり。其状此図に示すが如し。珍らしくも美しかりければ、観客賞賛の声暫しは鳴りも止まず。此日風無く空麗かに晴れ渡りしかば、気球は威勢よく西の方へ向けて虚空遥かに上騰し、凡そ十五分が程経て遂に肉眼の認め得ざるまでに至りたり。
後又三十分余を隔てゝ又一の軽気球、時事新報の紙牌を提(ひつさ)げ飛揚せり。紙牌の大さは三尺許にして、地上三丁余りの高さに達する迄は文字明かに読み得られたり。
二球共に青空に隠れたるが、其後定めて何れかの所へか舞ひ下りたることならん。若し之を拾ひ得たる人は証拠を添へて其紙牌を本社へ送り届けなば、本社は其人に時事新報一箇月分を進呈致すべし。

○スペンサー氏第二の乗騰 同氏は予記の如く一昨十九日午後二時より乗騰の用意に着手せしも、同日は朝来冷気にて秋風膚を襲ふばかりなりしかば、瓦斯注入に幾分の障碍を与へ、思ふ程に満脹せざりしも、早や定刻となりしを以て、氏は充分の用意を整へ、球下の框(わく)にヒラリと腰打かけ、飄々空際に翔(あが)るかと思ひきや、瓦斯の漏泄甚しき為め、僅か数百尺にして気球と共に堕落せしかば、氏は此失敗を償はんとて直ちに再騰の用意に着手し、漸く五時半頃上騰せり。此時日已に西山に舂(うすづ)き、雀鳥友を呼んで塒(ねぐら)に帰り、観客倦んで帰意を催す頃なりしかば、流石のス氏も危険を恐れて、僅か一千尺位の高處に達するや、直ちに節落傘に乗り替り、気球は尾上町二丁目辺に落ち、ス氏は公園地近傍に安下せりと云ふ。空気寒冷なるときは瓦斯の注瀉思ふやうに行かずして、排泄甚しく失敗を招く事往々ありと。

○横浜公園地内の騒擾 別項に記する軽気球興行の為め、公園地の道路を遮断したる為め、大に之れを憤る者あり。公園地を外人に貸し与へ、剰へ通行を遮断するは不都合の至りなりとて、周囲の柵を毀損し、多人数一時に闖入する抔、一時は中々の騒ぎなりしと云ふ。

明治231024 時事新報

気球の乗騰条約面を如何せん 山戸玉四郎風船 016

今度渡来のスペンサー氏の気球乗は中々の手際にて、既に横浜に於て両度の興行、引続き東京にも来りて之を試るの企(くわだて)あるよし、或は天覧をも賜はらんなど評判するものさへあり。其は兎も角も、玉四郎に於ては外交国権の目の玉より見て敢て一言の止み難きものあり。抑(そ)も我大日本国に外国人の来りて住居するや、治外法権を主張して我法律に遵(したが)はざる、其代りに此方に於ても其自由に内地に住居往来するを許さず、彼等の自由自在に往来するは居留地外十里を限り、夫れより先きは特別の旅行免状あるに非ざれば禁足の法なり。然るに今度の気球演技者が、瓦斯の袋に引揚げられて飄々三千尺の高きに達するまでは敢へて咎む可きにあらず。条約面にも居留地の周囲十里と記して高さに制限あらざれば、三千尺も三万尺も直立なれば苦しからざれども、若しも其高き空中にて風の吹廻しに従ひ飄々として十里の遊歩規程外に吹飛ばされたるときは如何す可きや、紛れもなき条約面の反則者として処分せざるを得ず。左れば演芸人が乗騰の前には念の為め必ず旅行免状を携帯せしむること相当の手続なれども、此旅行たる、本来当人が病気養生の為めにもあらず、又学術研究の為めにもあらず、唯フラリ〳〵と空中に登りて、フラリ〳〵と規程外に旅行することなれば、尋常一様の免状とは少しく体裁を殊にし、本国姓名年齢云々、此者儀何の為めにもあらず、唯風に任せてフラリ〳〵と帝国の空中を旅行致して、落付く處も定かならず、依て旅行免状如件とでも記す方然る可きか。兎に角に玉四郎は外交に就て硬強主義を執ること御影石の如き精神なれば、免状なしに乗騰は飽くまでも不服を唱る者なり。

明治231029日 読売新聞

○空中旅行者に係る訴訟の裁判 先頃我邦に渡来し、再度まで横浜公園内にて風船乗を興行したるスペンサー氏は、興業の際住吉町四丁目の藤井金次郎と約定し、場内の囲ひ其他人夫使役料を金三十九円三十銭にて受負はせしが、其の后氏は十五円より外払はぬに付き、藤井金五郎より度々催促の末、英国領事に持出し、漸く審問の上、残金を受取りしと云ふ。



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スペンサーの軽気球 五

神戸居留地◆(明治23111日)

明治231029 神戸又新日報[広告]

風船 019雲間より飛下す

有名なる倫敦風船乗師パーシバルスペンサー儀、曩に横浜に於て其技を演じ非常の好評を増し、且つ皇帝陛下よりも来月十二日東京宮城に於て天覧に供ふべき旨の御沙汰をも蒙候、然る處同人は此度当地へ罷越し、居留地運動場近傍の空地において右の利益ある面白き技術興行いたし候筈にて、既十八番薬館シーム方より切符売出し候間、御見物お望みの方は速かに同所へ御申越被下度候

スペンサー氏は先づ不思議の風船を以て三千尺以上の空中に飛揚り、夫より風船を離れパラシユイトと称する傘を開き電光の速力を以て安全に見物人の目前へ飛下す

入場料 上等金二円 中等同一円 下等同五十銭 十二才以下半價

切符は居留地十八番薬館シーム氏方にあり

神戸  千八百九十年十月廿九日

明治23112 神戸又新日報

軽気球乗の興行 英国倫敦の有名なる軽気球乗師パーシバル、スペンサー氏は、予期の通り昨日午后居留地瓦斯会社構内において軽気球の妙技を演じたり。先づ予定の時間即ち三時頃より軽気球に瓦斯を満たし置き、氏は海中に落たらんときの用意に胸へキユルクの胸当を巻付け、これらの支度全く整ひしうへ同三十三分、球下に吊したる腰掛けに飛乗り、錘の砂袋(凡そ目方五貫目位づゝの砂を盛りたる袋二十四個を括りつけて錘となしあり)を取除くや否、実に電光の如き速力を以てスラ〳〵と空中に舞昇り、一分許経たらんと思ふころ、氏は忽ち球を離れて用意のパラシユート(傘様のもの)を右手に持ち、以前と同じ速力にて飛下りしが、案のごとく小野浜沖に碇繋する館山艦のこなたなる海中に落ち込みたるを、折ふし居合せたる漁船と同艦の小艇(ボート)とに助けられて上陸し、四十分許経て元の場所に立帰り、卓上に上りて見物人に向ひ一場の演説を試みたり。其の大意は、今日は生憎少し風吹き困却したれども、幸ひに都合よく飛揚し、満足なる結果を得たり。海中へ落ちんとせるとき軍艦に向つて救助を呼び置き、其まゝ落込みたるが、居合せたる漁船が直ちに助け呉れ、やがて軍艦の小艇来りて乗帰り呉れられたり。自分は兼て神戸は盛んなる場所と思ひゐたるが、実際は左ほどにもなく、人口も少なしなどゝイヤミ交りの口上を述べて卓を下りたり。但し右のイヤミは、当日入場者も意外に少く、切符を買て場内に入りたるは僅々二百人位に過ぎざりしよりの不平ならんと思はる。尤も場外ロハの見物人は非常に夥多(おびただ)しく、運動場近傍にも一時は黒山の如く群集しゐたり。

明治23114日 読売新聞

○スペンサー氏遂に海上に落つ 曩に横浜にて興行せし軽気球乗師パーシバル、スペンサー氏は去る二日午后、神戸居留地瓦斯会社構内において軽気球乗の妙技を演じたり。先づ予定の時間即ち三時頃より軽気球に瓦斯を満たし置き、氏は海中に落たらんときの用意に胸へキユルクの胸当を巻付け、これらの支度全く整ひしうへ、同三十三分球下に吊したる腰掛けに飛乗り、錘の砂袋(凡そ目方五貫目位づつの砂を盛りたる袋二十四個を括りつけて錘となしあり)を取除くや否や、電光の如き速力を以てツー〳〵と空中に舞昇り、一分許経たらんと思ふころ、氏は忽ち球を離れて用意のパラシユートを右手に持ちて飛下りしが、案のごとく小野浜沖に碇繋する館山艦のこなたなる海中に落ち込みたるを、折ふし居合せたる漁船と同艦の小艇(ぼうと)とに助けられて上陸し、四十分許り経て元の場所に立帰り、卓上に立ちて見物人に向ひ一場の演説を試みたり。其大意は、今日は生憎少し風吹き困却したれども、幸ひに都合よく飛揚し、満足なる結果を得たり。海中へ落ちんとせるとき、軍艦に向ツて救助を呼び置き、其まま落込みたるが、居合せたる漁船が直ちに助け呉れ、やがて軍艦の小艇来りて乗帰り呉れられたり云々。

明治23116日 大阪朝日新聞

○スペンサーの軽気球乗の芸は、横浜にて演じ、又去る二日は神戸にても演じ、神戸にては海中に墜(お)ちて見物人に手に汗を握らせたるのみならず、肝心の資料(ねた)なる軽気球(代價凡六百弗)さへ何処へか飛び失せて、今は所在(ゆくへ)知れざる由にて、本人は此球の所在を知らせしものには廿五円の賞金を遣ずべしとの広告をなし、神戸ヘラルドは之を気の毒の事なりとて、同居留地外商等に向ひ、応分の金を義捐せん事を其紙上にて慫慂(じゅうゆう)せり。(後略)

明治23119日 大阪朝日新聞

○風船乗手の決心 去頃神戸小野濱に於て放揚せし軽気球を風のために吹散されて海中に落ち漁船と館山艦とに救助されたるスペンサー氏は大に此事を愧ぢ、我れ本国に於て此芸を研究せんためには山に谷に樹の上に浜辺に落ちたること数度なれども、いまだ海中に落ちたる事なし。此度幸に救助されたればこそよけれ、左なくば海の藻屑となるべかりしこと、思へば〳〵口惜しとも恥かしとも云ふ計なし。此儘に如何で国に帰らるべき、一度此恥を雪がばやと、番頭ロッパを伴ふて去る三日神戸を出立して東上せしが、今度は防水布の如き合羽様の物にて軽気球を製し、来る十二日天覧を願ひ奉りて、もし不幸の結果を見ば、捨身か、帰国か、再び人には遇はじ、もし又好結果を得ば、当地千日前の奥田弁次郎と約して廿日頃今宮村眺望閣畔に一興行なし、其より海内を巡游せんと決心なし居るよし、天晴〳〵。


天覧(二重橋外)◆(明治
231112日)

明治231031日 読売新聞

○風船乗の天覧日定る 彼の風船乗英人スペンサー氏の技術を天覧あらせられる由に嘗て紙上に記せしが、愈よ来月十二日頃宮城内に於て天覧あるやに聞き及べり。

明治231112日 大阪朝日新聞

○スペンサー氏が神戸にて軽気球を上たるとき強風の為め気球の紛失したる事は先号の紙上に記載したるが、然るに同氏は今十二日天覧に供する筈なりしかば、急に絹張にて新調し、此の代價五百円程なるが、此新調品にて充分の好結果を得れば、東京の催しを終り次第当地に来る旨スペンサー氏の番頭ロッパ氏より興行物師奥田弁次郎方へ電報ありしを以て奥田方にては眺望閣の東手なる泉岡氏の明地を借り来る二十三日に執行する積りなりと。

明治231112日 読売新聞

○軽気球乗天覧 今十二日午後二時頃より宮城外正門と坂下門との芝原に於て臨御の上スペンサー氏の軽気球を天覧あらせらるる由なり。されば一昨十日より天幕を張りて諸器械を運搬したるを以て皇宮警察署にては同夜より非常を守られしが、昨十一日はスペンサー氏付属の外国人二三名は宮内省工匠課の官吏等と共に同場へ出張して気球の修繕且器械の据付けの準備に着手せしが、同所は非常に広き場所なれど多人数群集雑踏せんも図り難ければ、次第によりては午后よりして桜田、馬場先、和田倉の三門は一時通行を差止むるやに聞きぬ。



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スペンサーの軽気球 六

明治231113日 郵便報知新聞

○風船乗り天覧の栄を得たり 昨十二日午后二時との期約ならば、午前よりは二重橋内外より坂下門間迄の中央芝生の上に天幕を張り、両陛下の玉座を設け、其傍には親王及び各大臣、親任官、勅任官の陪覧所を設けたり、当日は朝来の微雨にて多分延引にもならんと掛員も打案し居りしが、午后に至るも差たる降雨にあらざれば、天覧あらせ給ふとの御沙汰あり。二時ごろに至り両陛下は陪乗供奉の面々を従へ、粛々として玉座に着かせ給ふ。同三十分ごろに至り演技者スペンサーは身軽なる服を着け、陛下に拝礼し、夙に準備整ひたる軽気球に打乗りたり。此時両陛下は聖意に叶はせ給ひしよしにて龍顔に笑みを含ませ給ひたり。軽気球は地上より凡そ三千尺の空に至りて、スペンサーは例の如く風船を離れ、玉座の後なる濠中に降下せり。此間十分余なり。了て両陛下は御気色麗はしく還御し給ひたり。スペンサー氏は降下せしも、軽気球は空を翻りて、文部省の方に向ひ、神田錦町の空を過ぎ、駿河台近傍に落ちたり。

明治231113 時事新報

○軽気球乗の天覧 英人スペンサー氏の軽気球乗の妙技は畏くも天覧に達し、昨十二日二重橋正門外に於て天覧在せ給ひしが、其模様を略記せば、桜田、馬場先、和田倉の三見付は特に通行を禁じ、親王、大臣、文武親勅奏判任官、学習院、華族女学校両生徒等の陪覧所は同所広場内なる便宜の箇所へ夫々標札を立て之を定め、皇宮警察署にては蒸気ポンプ一台を坂下門外の堀端へ据えて非常を警戒し、又場内要所々々へは警手巡査を配置し、厳重に取締を為し、堀端芝生へは天幕を張りて仮の玉座を設け、右傍らに器械所を設け、火気注意と記したる高札を数箇所に立て参観人に注意を加へたり。扨、乗手は彼の特別絹製の気球へ漸次瓦斯を仕込み、其時間の来るを待ち受けたりしに、生憎朝来の曇天にて、八時頃には一寸日脚を漏らしたるも、暫時にして又々陰雲空を覆ひ、遂に小雨降り来りたれば、折角の上覧も御見合にならんかと思ひしが、固より微雨と云ひ、聊かの風さへなく、乗騰には格別差支なき趣に付、天皇皇后両陛下皇太子殿下には午後二時十分頃、前の便殿へ出御在らせられ、陪覧を仰付られたる諸氏も追々参場して、定めの所へ列したる折柄、二時十分頃、紅白染分幷に茶色なる小さき風船玉二個を放ちたるに、見る間に空中に入りたり。同三十分頃、スペンサー氏はモーニングコートを着し、日章の国旗を交叉したる気球に乗り、次第々々に空中へ昇登したるが、此際は幸ひ雨歇(や)みたるも、陰雲のため二回程其姿は雲隠れとなりて、二千五百フイートの高さに達せしは僅か三分間にして、忽ち例の節落傘に乗替へ、漸々地上へ下り来り、假玉座の真上近きに至りしが、夫より少しく右へ反れ、堀の片中へ落下し、直ちに石垣を登り、宮城内より正門を出で、両陛下の御前真近に来りて敬礼し、空中の模様等を三宮外事課長迄委しく具申し、同課長は一々陛下に上奏したるに、御満足に思召さるゝとの御沙汰を蒙りて御暇を賜はり退場したり。参観の諸氏は同四時前夫々退場あり。又気球は氏が節落傘に移るや忽ち顚覆して、次第〳〵に北へ行き、遂に神田区小川町の牛肉店今用の屋上へ堕落したるを、直に人夫をして持運ばしめしと。右気球に要せし瓦斯は七千立方尺なりしといふ。

明治231113日 毎日新聞

 ○軽気球乗りの天覧 (前略)スペンサー氏は身軽なる服装にて両陛下に拝礼して軽気球中に打乗り、二時二十分に至りて球体を引留めたる無数の大沙袋の錘を順次に取外し、同三十分「外せ」と号令するや否や、気球は飛舞して中空に浮びたりと見るや、両陛下、皇太子殿下を始め奉り、御陪覧の皇族、大臣、顧問官、各勅奏任官、陸海軍将校、学習院生徒、華族女学校生等、孰れも斉しく喝采する中に、スペンサー氏は高く雲間に入れり。間も無く降下し来り、半空より気球を切り放ち、大傘を翳して次第に墜落し来り、玉座間近く落ちんとしたるに、一転して玉座を避けんと、遂に玉座の後なる堀の中に降下し、直に土堤に沿ひて石垣を攀ぢ上り、宮城内に入り、二重橋を経て正門を出で、更に玉座前に来りて拝礼したり。(後略)

 ○軽気球乗天覧濠外の景況 午前九時過ぎより桜田、和田倉、馬場先の三門へは皇宮警察署へ警部二三名宛出張して庶人の通行を禁じ、門扉を閉鎖し、参観の為め宮内省より案内状を受けしものは同處にて下車し入場するもあり。午前十時頃より軽気球乗りを見物せんと朝来の曇天にも拘はらず続々各門へ詰掛けしも、既に三門共閉鎖せしことなれば入場すること能はざるを以て、各々濠外に佇立彷徨して時間の至るを待ちし處、十一時頃より細雨降り出し、陰雲朦朧、容易に晴れざるの模様となりし故、見物人は呟きながら夫々帰宅の途に就き、其内本日の気球乗りは延期せられたりなど噂立ちしを以て、正午十二時過ぎ頃に見物人らしき人々とては唯だ濠外通行の人のみの有様なりしが、午後二時近くなりし頃には濠外處々に三々伍々佇立するものあり。午後二時三十分過ぎ、軽気球の膨脹して地を離れし時と、スペンサー氏が雲を凌ぎて数千呎の空に冲し軽気球と離れし時と、氏が悠然として和田倉門内に落ちし時と、僅かに處々拍手喝采の声を聞くのみなりしと。

明治231113日 読売新聞

○軽気球天覧 乗球の天覧は昨十二日午后二時との期約なれば、午前より二重門外より坂下門迄の中央芝生の上に天幕を張り、両陛下の玉座を設け、其傍には親王及び各大臣、親任官、勅任官の陪覧所を設けたり。当日は朝来の微雨にて、多分御延行にもなるならんと掛員も兎や角打案じ居りしが、午后に至るも差せる降雨にあらざれば、天覧あらせ玉ふとの御沙汰あり。同二時頃に至り、両陛下は御陪乗供奉の面々を従へ玉座に着かせ給ふ。同三十分頃に至り、球師スペンサー氏は身軽なる服を着け、両陛下に拝礼して軽気球に飄然打乗りけるが、此の時両陛下には聖意に叶はせられ、龍顔に笑を含ませ給ひ、御喜悦の御様子に見奉つりぬ。偖軽球は遂に三千尺の空中に揚りし後、スペンサー氏は玉座の後なる堀中に下降し、石垣を攀じ上りて玉座の前に来りて拝礼したり。又軽気球は神田橋外のしやも屋に落ちたり。

明治231114日 郵便報知新聞

○雲に登り水に降る 一昨日天覧ありしスペンサー氏の軽気球乗りは、雨天故御延引仰出さるゝやと心配せしが、二時頃に至り両陛下も出御あらせられ、雨も幸ひ小歇(やみ)となりしを以て、同十分、風力を計る為め、紅白ダンダラ及び茶色の小形球二個を飛揚し、同三十分、敬礼の上高く雲中に乗揚せり。登ること凡そ二千尺、密雲脚下に横(よこた)はりて眼光下界に達せず、降て五百尺の處に至り、地上の光景模糊として烟雨の間に見へたれば、此所に於て気球に離れ、傘に取付きて飄揺地上に降る。風俄に変り、傘宮城の上に落ちんとせし故、急に舵を転じて遂に濠の中に下れり。幸に負傷もなく、石垣へ泳ぎ付き、道を廻りて玉座前に来り、濡衣の儘敬礼を為し、三宮式部次長の通弁にて御下問に奉答せり。此日用ひたる球は先頃横浜にて用ひし者より一廻り小方なり。曾て日本へ来る二ヶ月前、アチームの戦争に用ひたる球にて、瓦斯も其時軍中に用ひし機械にて七千立方尺を容れたり。同氏の実父仏国有名の軽気球乗りにて、先年ホルランドの戦争に同国のため機関車一台及び客車二台(兵士乗組のマヽ)を三個の軽気球にて二十里外へ運びし事ありと云ふ(チト大ゲサ過る話し)。

明治231114日 読売新聞

○スペンサー氏空中にて舵を取る 一昨日天覧ありしスペンサー氏の軽気球乗りの大略は昨日一寸報道せしが、尚同氏の語るを聞くに、当日は朝来の降雨なりしも、幸ひ風吹かざりければ、施行する筈にて、午前九時より予て設けありし軍中使用の瓦斯機械にて瓦斯を球中に容れ、仕度に着手したりしに、一時頃に至りて雨は追々強なりしゆゑ、或は御延引仰出さるるかと心配せしに、程なく再び小雨となり、両陛下出御の時(午後二時)は幸ひに小歇(こやみ)となりしを以て、同十分御慰さみ旁(かたがた)風力を計んと紅白ダンダラ及び茶色の小形気球二個を飛揚し置き、同三十分気を計り、敬礼の上、乗揚りたり。当日は予て余り高く昇らざる様にとの勅命もありければ、地上を離るる五百尺余に至りて遂に気球を離れ、傘(からかさ)に取付きしに、此の時風力は漸次西北に向ひ、西へ寄り行き、宮城御屋根(豊明殿の上と見たり)に下らんとせしより、舵を取り替へ、旧地に下らんと東に向ひしに、またもや御天幕の近くに落んとせり。這(こ)は一大事、万一の不敬ありてはと考へ、舵を再び取直し、漸くにして遂に濠の中に下りたり。然れども幸ひに身に負傷なく、石垣へ泳ぎ付き、道を廻りて玉座前に来り、濡衣の儘敬礼をなし、三宮式部次長の通弁にて御下問に奉答したりと。

○スペンサー氏が用ひし気球 此日スペンサー氏が用ひし気球は、先頃横浜にて用ひし者よりは一廻りも小方にて、曾て日本へ来る二ヶ月前アチームの戦争に用ひたる球なりと。

○上野の於て軽気球乗りを演ぜんとす スペンサー氏は近日上野不忍池辺に於て軽気球を揚げんと既に其筋へ照会したりと
 云ふ。

○軽気球の用 又氏は先年ホルランドの戦争に同国に雇はれ、汽車の通ぜざるため機関車一台及び客車二台(兵士乗組入る)を三個の軽気球にて二十里外へ運びし事ありたりと云ふ。

明治231114日 時事新報

○両公使の御礼参内 本邦駐剳の英米両国公使は一昨十二日、英人スペンサー氏の軽気球乗り天覧の節陪覧仰付られしを以て、昨日午後より右御礼として宮城へ参内したりと。

明治231115日 読売新聞

○軽気球の出願 軽気球乗スペンサー氏は昨日午前東京府庁へ出頭し上野公園地に於て軽気球乗り執行の儀を出願せり。

○下賜金 曩に天覧に供したる軽気球乗スペンサー氏へ宮内省より金千五百円下賜されし由。



misemono at 22:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) スペンサーの軽気球 

スペンサーの軽気球 七

東京上野公園◆(明治231124日)

明治231118日 郵便報知新聞

○上野に於ける風船乗 風船乗りスペンサーは上野公園博物館前噴水池畔の広場を拝借し、風船乗の技を演じたしとて帝国博物館長に出願せしに、同館長は之を認可したり。当日は旧博覧会の諸門を締切り東照宮前なる旧同館入口に於て切符を売渡し入場せしむるとなり。尚今日同氏より当日の取締を警視庁へ出願せり。興行の日は未だ定らず。

明治231118日 毎日新聞[広告・左]

 空中飛降

先頃日本天皇陛下の御前に於て興行せしスペンサー氏は来る二十四日上野公園帝国博物館構内に於て再び空中飛降を催す。

開場は午前十一時にして午後二時三十分にはスペンサー氏風球に乗り昇騰す

楽隊 グロテスクフヒキユアー バイロツトバールン

入場料 上等壹円、中等五十銭、下等二十銭、小供は半値なり

明治231119日 東京朝日新聞[広告・中]

此頃天覧を辱ふしたる軽気球乗スペンサー氏は、来る廿四日(月曜日)、上野公園博物館構内に於て飛降の芸を演じ候。尤も東京に於て此技を演ずるは只此一回のみなれば、賑々敷御来観の程、伏て奉待候。開場は午前十一時、スペンサー氏の風船乗上りは午後二時三十分なり。同日は奏楽の外、異形風船、試験風船の打上げあり。席料は上等一円、中等五十銭、並等二十銭、小供は半價。

明治231119日 時事新報[広告・右]

空中飛下軽気球乗興行日 

先きに天覧を忝ふせし軽気球乗パーシバルスペンサー氏は来る十一月廿四日(月曜日)上野公園博物館前に於て奇々妙々、無類驚くべき得意の技を演じて観客の一覧に供せんとす。東京にては此度限りにて再び興行せざるに付、大方の君子賑々敷御来観あらんことを請ふ。但し當日は余興として奏楽あり、又色々の形を為せる小気球をも数多く上騰せしむべし

興行時間 十一月廿四日午前十一時より開場、午後二時三十分執行 

入場料 上等一円、中等五十銭、下等二十銭、小兒は半額

廿三年十一月 興行人敬白


1 024風船 0011 025















明治
231123日 時事新報

○浅草公園凌雲閣にては、明二十四日上野に於て施行するスペンサー氏の風船乗り一覧の為める者夥多(あまた)なるべければ、其際危険なからしめんとて階段へ綱を張るなどの用意をなし居れり。

明治231124日 国民新聞

国民三 001


 〈編者註〉これは直接的な記事ではなく、この日の一面に上段左、三段目右、五段目左に配されたカットである。それぞれ
  の絵に付けられた短文は以下の通り。

 上段左:騰れ々々翔れ々々、汝より高く飛で、而して藝までして見せる名人が今に又一人来るそうに此頃の「国民」で見た
     よ。

 三段目右:櫻ケ岡待乳山、彼面も此面見渡す限り人斗り。博覧会以来の賑ひだなナ、アヽ下れり〳〵、アヽ危ひ。

 五段目左:其父ありて此子あり。サスガに鉄馬勇卒を気中にブラ下げて囲みを出でた人の子だけ、それ丈け勇壮だ。

明治231125日 郵便報知新聞

○昨日の風船飛下りの技 スペンサーの風船飛下りは、昨日上野公園博物館前の広庭に於て其技を演じたり。午後一時ころより上野をさして出掛けし人夥しく、二時に至りては、東照宮前竹の屋より旧博覧会場内は、一面に塡咽(てんえつ)して一歩を移すこと能はず、人浪を打つばかり。蓋し、近日珍らしき好天気なりしうへ、二の酉に出でしものゝ、こゝに落合ひたるが為めなり。スペンサーの一行は、早朝六時より博物館表門内の広庭に諸器械を据付け、人夫をして水素瓦斯を製造注入せしめ、気球の漸次膨脹するを待てり。又た右手の奏楽堂に於て楽隊絶へず楽を奏し、気球騰昇の前、三四個の異様なる人形を飛揚せしむ。午後三時二分前、気球既に張りきれり。スペンサーは帽子を脱して鳥打頭巾と取換へ、時計其他随身の物品を悉く卸し、徐ろに気球の下に懸れる圏(かこい)に腰かけると見えしが、俄かにグーバイと叫べるまゝ、気球は諄々、焉早くも数百尺の上に在り、長空一碧、鬢髪を揺がすの風だもなければ、気球は殆ど一直線に飛昻して、観客は恰も其足底を仰望せり。既にして気球は小さき手毬の如く、スペンサーは小豆粒に似たり。此とき気球は漸やく根岸の方に靡きゆけり。悠然として人体気球を離る、墜下一転、瞬傘は一杯に開きて、悠然降り来りしが、早や博物館の背に隠れて見へずなれり。待つこと十二三分、氏は傘を車に乗せて現場に帰り来れり。此とき上等観覧所と下等観覧所とを界せる棚の一端、外より群集に推されてメリ〳〵と破ぶるゝと共に、下等観客は袋を泄れる豆の如く、バラ〳〵と上等観覧所に推込みたり。斯くと見るより、コヽもカシコも蹴破り推破りて、看るうちに上等下等打混して一団とはなりたり。

スペンサーは中央の高所に登りて観客に演説すらく、気球の騰昇せること実に四千五百尺(十二町半)、空中に懸りて市内及び郊外山野の景色を俯視するに、其美言ふ可らず。又た降着の所は、上野山内にては茂樹にかゝるの憂あり、鉄道線路に入りては汽車に触るゝの危険あり、故に少しく傘を操つりて斜めに行きたり。降着せるは根岸の一民家(後聞けるに桜井氏とか)の美くしき庭園の中なりき。身体は幸に地におり立ちしも、傘は庭樹の梢にかゝりたりしを、家の人々出で来り、親切に手伝ひ解き取りくれたりと。気球はスペンサーの飛下りし後、水素漸く洩散し、終りには萎みて細長く縄の如くなりしが、浅草田圃に落ちたりしとなり。

明治231125日 読売新聞

○上野公園に於ける昨日の風船 予て評判高かりしスペンサー氏の風船乗は、昨廿四日上野公園博物館内に於て其の技を演じたり。同日は午後一時前後より上野を指して出掛けし人夥しく、二時前後には東照宮前竹の屋より旧博覧会々場内は立錐の地なき程雑踏せり。此は二の酉への人出が此處に落合ひしがためなるべし。当日軽気球乗の一行は午前六時より準備に掛り、博物館表門内同館前の中央広場へ諸器械を据付、人夫をして水素瓦斯を吸入せしめ、漸次軽気球の膨脹を待ち、又向て右手の奏楽室に於ては絶ず奏楽をなせり。気球上昇前には三四個の異様なる人形を飛揚せしめ、かくて午後三時六分前に至りて気球熟せしと見え、スペンサー氏は高帽子を他の軽き帽子と取換へ、身の廻りの時計其他の物品を一行の外国人に預けて静かに気球に乗移れり。此際は観覧人一同拍手喝采す。スペンサー氏は上昇後、数百尺の上に於て広告の紙片を両度に飛散せしが、恰も小鳥の散乱せし如き有様なりき。気球は見る間に数千尺の高きに昇り、其人の影は小豆ほどに見受られしが、風の加減にや気球は漸次根岸の方へ靡きたり。やがて定度の位置に達せしと見え、氏は例の傘を握りて気球を飛び離れ、飄々として落ち来りしが、見る間に博物館の影に隠れぬ。兎やかくする内、三時十六分となり、スペンサー氏は人力車に乗り、右の傘を一輌の車に乗せて現場に帰り来りたり。此の時見物人は之を見んとして予て上等観覧所と下等観覧所との間の境なる丈三尺許の隔を打破りて上等の場所へ乱入し、人波を打て押合ひしが、それより十分間ほどを経てスペンサー氏は高台の上に立ちて一場の演説をしたり。其言によれば、気球の上昇せしは三千五百尺なりと云。併し見物人中ノウ〳〵と呼びし者あり。又掛りの者に聞けば四千五百尺まで達せしとも云へり。又スペンサー氏は根岸の畑中に落ちしゆゑ別段負傷なく甚はだ勢ひよく見えたり。此日博物館の楼上には土方宮内大臣、九鬼、川田の両氏を始め数名椅子を連ね、其他庭園内には美術学校長、教員、貴女紳士等凡そ五六百名来着せりと。



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スペンサーの軽気球 八

明治231125日 時事新報

○軽気球乗、時事新報の広告 嫦娥月に奔り、列子風に御し、黄帝青龍に騎りて天に昇り、東方朔仙宮に入りて桃を偸みしとは、之を支那の荒誕架空なる古書に見る。今や万衆喝采の中に三千八百尺の虚空に昇騰し、悠然気球と別れて墜下し来る、其膽大なりと云ふべく、其術巧なりと称すべし。扨風船乗りの妙技を以て名あるスペンサー氏は、過般我が国へ渡来し、横浜港に於て初度の妙術を見(あら)はし、次に神戸へ赴き、夫より出京して両陛下の天覧を辱なふし、叡感斜めならざりし次第は其節の本紙上に記載したるが、当日は奏技の際、桜田、和田倉、辰ノ口の三門を閉じて衆人の通行を禁ぜしといひ、生憎雨天なりしかば、無論御延期仰出されしことならんと、濠外の広場に集ひたる者も僅少なりしに、昨二十四日、上野公園の博物館構内に於て挙行することを諸新聞に広告し、シカモこの宙乗りが東京にてのお別れと聞ては、何条以て見逃し得べきと待ち構へたる。天気は乗り人に取りての誂らへ日和、小春の空の麗はしく、風だになければ、見物人の方にも最上等の注文天気、午後一時頃より同公園へ向け繰り込む男女は引も切らず、萬世橋以北は車馬の通行自由ならず、同園の入口より博物館の門外まで平一面に押合ふ程の人なりしが、是等の人々は樹林の疎(まばら)なる處に位地を構へ、地上を離れる模様は見ずもがな、三四十尺の高所に昇れば、一円奮発して上等切符を買ひたる客もロハ見の我々も同様なりと、経済主義を取りてか、入場の男女は十中の一にも当らず。されど入場券の売れ高は一万余人の多きに達したるよし。扨午後二時頃、一個の人形に瓦斯を満たしめ、之を放ちたるに、飄然高く騰り、或は反り身となり、或は体を前に傾け、遂に西南の方へ飛び去り、同じく三十分頃、再び一個を放ちしに、静けき風位の定めなきにや、是は東南の方へ向ひて失せたり。斯くて追々時刻は経過し、会衆は待厭(まちわ)びたる折柄、同じ仲間の外国人が何か印刷物を会衆に配布するにぞ、人々是は延引の通知にてもあらんと急ぎ読下せば、風船の画に時事新報と大書したる広告なりしかば、人々孰れも思付に感じ合ひたり。軈て同四十五分頃、用意全く整ひしかば、周囲の重錘(おもし)を放つと共に、ス氏はは一礼し、虚空を指して上り去り、凡そ四五百尺の高きに達したる頃、何かス氏の身辺にて散乱し、恰も無声の烟火空中に爆発したりと云ふ模様なりしが、次第に大地に近づくに随ひ、落葉の空中に飜へるが如く、須臾にして会衆の頭上に紙片の落ち来りたるを観れば、前記の時事新報広告紙にして、人々之を拾ひ取らんとて一寸一場の興を添へたり。兎角する間に、人体は鳶の如く、又雀の如く、終に豆の如く、果ては全く其姿を見認(みと)め得ずして、同氏を吊り居れる風船が玩弄(おもちゃ)の鞠程に小さく為りたり。此時又も新報の広告紙百枚を散ぜしが、風の為め吹飛ばされて会場を離れ、根岸の方角に向て翩々散下したり。暫くして風船より一箇の小物体が別れたり。是なん氏が三千八百尺の高所より傘の台に乗り移りたるものにて、球は最初直上したるも、空中の風位又も其方を転ぜしと見え、遠く昇るに随ひ、次第に北へ向ひ、氏が傘の台へ乗り移ると見る間に傘の開きたるは、真に空際の奇観にして、球は次第に収縮し、傘と其距離追々に隔たり。又氏は頻りに楫(かぢ)を取り居れる様子なりしが、遂に博物館に隠れて見えずなりしは同三時にて、地を離れたる時間より六分位なりし。氏の落着きたる地は根岸に相違なかるべけれど、危険の場所に堕落して怪我はなかりしか抔見物人は口々に言ひ囃せる内、氏は高き台上に顕れ出で、先づ無事に拙技を演じ得て、観衆に満足を与へたりとの趣意より、当日空際の見る所抔を演説し、拍手喝采の中に一礼して身を退きたり。氏の墜下したるは根岸金杉村五十五番地桜井某氏の邸内にして、庭上の樹枝に支へられしも、他の助力を得て少しの怪我さへなく、見物人が掌裏(てのひら)に汗を握りて膽を冷したるにも似ず、神色自若として、音声朗かに演説を為したるは、如何に数十回の熟練を積みたりとはいへ、其大胆を称賛せざるものなかりし。

明治231125日 国民新聞

○上野に於ける空中旅行 風は無し、塵は揚らず、昨日は近頃の好天気なりし。正午頃より市中織るが如きの行人、何れも軽気球見物に趣くかの如く見へたるも無理ならず。広小路、池の端辺より上野山内に掛けての人は、夥多(おびただ)しなんと言ふばかりなく、実(げ)に博覧会以来の賑ひなり。博物館前、思ひ〳〵の所に屯ろして蒼空を仰ぐものは、ワザ〳〵廉からぬ入場料出して見んこと馬鹿〳〵し、広き青天井の旅行はドコでも見へるものをと看破したる連中なるべし。此の看破連中が重なる看客なりしこそ、興行主に取りては気の毒なれ。切符買ふて場内に入りし紳士淑女も亦少なからず、博物館前庭の七分通りは埋まりたるべし。其が中には青木外務大臣夫婦、土方宮内大臣、榎本枢密顧問官、曾我東宮大夫等の貴顕をも見受ぬ。唯国会に縁の有りそうな顔、少しも見ざりしは、議会開会前、サスガに忙(せは)しきものと覚たり。中には『墺太利で一ペンは見たが』抔言ひながら入来る髯公もあれば、『此間宮中天覧の折、陪覧はしたが雨模様で善く見へなんだから最(も)一度…』など語る大宮人もあり。サテ、水素瓦斯の注入やら、節落傘の検査やら、準備の手間取容易ならず、市中音楽隊の奏楽、道化人形の御愛嬌ぐらひにては中々看客の退屈を慰め兼ねてぞ見へける。『アノ布は広東絹紬で、塗りしはワニスぞ』など仔細に説明(社員に)する榎本子、『コーツと、錨綱が三十五本で綱と綱との間が二尺許だから、アノ球の直径は凡そ二十尺だらう』など例の測量算を応用して話す某将校、兎や角割合に退屈せざりし社員は仕合せ物なりし。斯くて三時二十分頃、綱を切放すやいなや、駛空者スペンサー氏は双手を打振り〳〵昇り行けり。初の内は風なきまゝ直立に昇りしが、高くなるに従ひ、稍々北の方位に傾きつゝ、いよ〳〵飛颺し、身幹矮小なるスペンサー氏はいよ〳〵小さく、宛がら花火の傘程に見ゆるや、球は一転して宙宇に残り、人は傘(節落傘)を拡げて降り掛けたり。降る層一層、大の字形のスペンサーは段々に大きくなり、看る〳〵博物館後に姿を隠くしぬ。待つ間程なく、氏は車を駆て帰り来り、一場の演説(英語)を為したり。昇ること四千五百尺と云へるときは、ノー〳〵の声四方に起る。是は尤もなり、マサカ夫れほど高くまで昇りしとは誰しも思はれざれば。又た根岸の或る「ビユーチフル、ガーデン」に落ちたりと云へるとき、『ソレデは大方僕の所の庭だらう』と報知社の思軒氏は語りしが、是は余りアテにはならず。演説了るや、看客は蜘蛛の子を散すが如く己の家路に急ぎけり。唯だ恨むらくは抜売(ぬけがら)の球、安(いづ)くに落付きしかを知らざりし。

明治231129日 読売新聞

○軽気球乗の写真 浅草公園の写真師江崎礼二氏は曩に上野公園に於て催せしスペンサー氏の軽気球乗を例の早取にて撮影し其の一葉を弊社に贈られしが相変らず鮮明にて至極好き手際なり。

明治23122日 都新聞

 ○気球乗の撮影 浅草公園の写真師江崎禮二氏は去る廿四日の上野公園に於て、スペンサー氏気球に乗り、平地より二百五六十尺登りたる處を早取の方法にて撮影したりとて、本社へも其一葉を寄送せられしが、気球の昇騰速力は汽車よりも迅疾なりとのこと。夫れにしては最も美麗の写真なり。

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〈編者註〉第二回目の上野公園の軽気球についてはボールドウィンと一緒に描かれた錦絵が二種類(永島春暁と周延画)存在する。同ブログ「ボールドウィンの軽気球」(四)に掲載しているので参照されたい。

 




misemono at 22:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) スペンサーの軽気球 

スペンサーの軽気球 九

大阪眺望閣東手空地◆(明治231130日)

明治231127 日 大阪朝日新聞風船 009

 ○軽気球乗りの大将スペンサーは昨日当地へ来着せしが、愈々来る三十日、今宮村眺望閣東手泉岳の空地に於て興行する筈
 のよし。

明治231129 日 大阪朝日新聞[広告

天より飛降る 大阪一度限り

天覧を辱くしたる風船飛下りの技 南地眺望閣東手空地に於て 本月三十日(日曜日)午前十一時開場、種々異形の小軽気球を昇し候て、午後二時三十分発揚す

入覧料上等御一人一円、中等仝五十銭、下等仝二十銭、十才未満半額、陸海軍兵士ニ限リ半額 

技師 英国人スペンサー 興行人奥田弁次郎

明治23123日 読売新聞

○大坂に於る軽気球乗り 曩に上野公園の興行に好結果を得て大坂に下りし風船乗スペンサー氏は去月三十日同地今宮眺望閣の傍に於て興行せり。先づ当日正午十二時より紙張の象、西洋人形、鶴亀等を放揚し、ス氏の乗し軽気球は午後三時に放揚して同二十分住吉街道大坂鉄道の傍に無事落下したるよし。


京都御苑博覧会場にて◆(明治
231214日)

明治23123日 大阪朝日新聞

○軽気球乗スペンサー氏 同氏は興行物師奥田弁次郎が付添ひ、昨日西京に赴き、次の日曜日に同地にて一度放揚し、夫(それ)より又大阪に来り、今一度元の場所にて放揚する由。

明治23124日 日出新聞

○軽気球乗の来京 東京、大坂、横浜等、到る處にて高評を博したる彼の軽気球乗英国人スペンサー氏は、一昨日午後来京し、上京河原町二条下常盤に投宿したるが、いよ〳〵来る七日には御苑内測候所前に於て軽気球乗りの演技をなす趣き、昨日興行人奥田徳二郎より主殿寮出張所へ請願し、既でに許可の指令をも得たる由なり。已に天覧まで仰出されたる稀有の技芸なれば、当日は定めて数万の観客を集むることならんといへり。

明治23124日 日出新聞[広告]風船 011

天より飛降る 京都一度限り

天覧を辱くしたる風船飛下りの技 御所博覧会内に於て 本月七日(日曜日)午前十一時開場、種々異形の小軽気球を昇し候て、午後二時三十分発揚す

入場料上等御一人五拾銭、下等二拾銭、十二才未満半額 

技師 英国人スペンサー 興行人奥田徳次郎

明治23129日 時事新報

○風船乗りの興業許可されず 先頃東京にて評判をとりたる英人スペンサーが、今度京都において風船飛降りの興行を為さん為め、日本人某の雇人として京都府庁へ右興行を願出でたる所、同府庁にては同人が内地旅行券を所持せざるのみならず、内国人の雇人として興行する以上は外務省より雇人条約に係る許可を得る筈なるに、其手続も尽さざるより、断然許可せざりしかば、同人は電報を以て外務大臣へ許可の儀を出願したりと云ふ。

明治2312月9日 日出新聞

○スペンサー氏の軽気球 一昨七日は、軽気球乗スペンサー氏が天覧にもなりし程の妙技を、京都博覧会場内に於て演ずるよし、兼々新聞紙に広告もあり、辻々にビラも出し、家ごとにチラシをも蒔たる事なれば、そを一見せんとて、午前十時ごろより市中は固より、近郷近在より出来(いできた)れる見物は、夥だしなんどいふばかりなく、殊に近ごろになき好天気なりしかば、菓子屋、果物、玩弄物(おもちや)屋其の外いろ〳〵の出店も一と儲けせずんばあるべからずと、景気を添へつゝ、今か〳〵と待設けたれども、元来外国人を雇ひ入て興行するには夫々手続きのあることなれば、勝手に開場することは固より成らず。されば、此方の用意は全く調ひ居れど、是の時までも免許の指令下らず、尤も前日、スペンサー氏より電報を以て直接に青木外務大臣へ右免状下付の事を促したれど、同大臣よりは、主任者のあることなれば主任者の権内へ立入て斡旋致す訳にはまゐらざるを以て正当の手続きを踏れたし、との回答ありしがため、大きに失望し、一昨日の如きは尚又幾回となく外務大臣へ対して発電に及びたりしも、日曜日なれば省務を執れざるよしにて、免許の運びに至らず。因て已(やむ)を得ず、会場の門に外務省よりの指令延着に付一日日延する旨の張札を出したれば、群がり集まれる来観人は馬鹿〳〵し、でか〴〵しと小言たら〳〵帰り行きぬ。扨、昨日は是非とも興行せんものと、前日来の準備を継続して、早朝より興行人奥田徳次郎氏は府庁に出頭し、外務省より免状下付ありしや否やの儀を伺ひ出たれども、正午までは何等の沙汰もなかりしゆゑ、掛り員も気の毒に思ひ、其事を尾越書記官に語りて、府庁より外務省へ向け免状下付の件問ひ合せの電報を発したる程なりとぞ。然し昨日は午前より雨の降出でたれば、仮令免状を下付せらるゝとも到底開場する場合には至らざりしなり。因て果して昨日中に免状を下付せられて、本日晴天ならば午後早々技を演ずるなるべしといへり。何分斯く開場の時日の齟齬(くひちがひ)しため、余程の損失をなしたるならんとの事なり。但し仝氏は当地の興行を畢り次第、再び大坂へ立越、彼の地にて一興行する心組なりとか。又仝氏はいよ〳〵免状下付も延引し、思はしく技を演ずること叶はざるときは、已に薬品も買入れ、充分の準備をなしたる事ゆゑ、是れぎり済すも残念されば、無代價にて縦覧せしめんとまで覚悟をなし居るとかや。因にいふ、一昨日は右興行延引のため、ぞろ〳〵出掛し者のうちには、折角こゝまで来たものを此まゝ帰るのもと、終に新京極へ歩を転じたる向(むき)ありしかば、同所にては思ひよらざる儲けをなしたりとかや。西隣の憂へは東家の喜びとなるとは、斯る事にも比へいはんか。



misemono at 22:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) スペンサーの軽気球 

スペンサーの軽気球 十

明治231210日 日出新聞

○スペンサー氏神戸へ帰る 風船乗の興行人が、京都府庁の諭示に従はず、剛情にも願書とすべきを、強て届書として出したることは已に報じたるが、果して成規の手続を履行せざるが為めに、数日を経るも許可なく、演技者スペンサー氏の如きは殊に気を焦ち、予定の興行日即ち去る七日には自ら電報を外務省に発して直接に指令の催促に及びたれど、一向に其効なきのみか、一昨八日に至り、成規通り更に願書に改め出願すべしとの旨を以て府庁の手を経て曩の届書を却下し来りたるにぞ、爰に始めて興行人も傲慢の鼻が折れ、徒に天覧の二字と外国人と云ふ廉を以て押通さんと企てゝ却て失敗に失敗を重ねたるを後悔し、同日更に願書に改めて再び外務省に差出したる由。又演技者スペンサー氏も右の次第なるを以て、一旦神戸に帰りて旅行免状を領事の手に返納し、追て外務省より下付さるゝ免状の到達するを待て再び来京する約束にて、一ト先づ当地を出発したる由なるが、多分再び来京して興行するの日は、来る十四日頃ならんとのことなり。

明治231211日 日出新聞[広告]風船

京都一度限り

天覧を辱ふしたる御評判の風船乗りは外務省の認可を得て、いよ〳〵本月十四日(日曜日)京都御所博覧会内に於て、午前十一時開場、午後二時三十分飛揚致候 上等五拾銭、下等二拾銭、陸海軍兵士及び十二才未満半額、各学校生徒にして特別券持参之方は半額、但特別券御入用の方は本月十三日迄に京都御所博覧会内軽気球事務所迄来臨被下度候 

技師スペンサー 興行人奥田徳次郎

明治231213日 日出新聞

○軽気球の揚がるは愈十四日 評判の軽気球乗りスペンサー氏外一名の私雇外国人各地旅行免状は漸く昨日外務省より府庁に達し、即日本人へ交付されし趣きなれば、今回は予定通り来る十四日に興行するならんと云へり。又スペンサー氏が空中より降り来るを受け留めて人力車に乗せ場内へ駈付けたるものには三十円の賞金を与ふるとの説あるより、車夫等は夫れ〳〵党を結び、組を分けて、今より待構へ居るとのことなり。

明治231214日 日出新聞

○スペンサー氏風船乗 の演技はいよ〳〵本日午前十一時より、予定の場所なる御苑内博覧会場内に於て行ふ都合なるが、過日来第三高等中学、尋常中学を始め大小三十有余の公私立学校より、生徒をして参観せしめたき旨の申込みありて、到底以前計画にては場内狭隘なるべしとの申込にて、更に中央の広場に移して参観者の席を造り、凡そ三万以上の観客を容るゝに足る程の広さに取り広げたりと。而して先づ最初は種々動物の形を模造したる気球数個を上げ、午后三時頃よりスペンサー氏自身気球に打乗りて、例の妙技を演ずる積りの由なるが、同氏の語る處によれば、天気にさへ変りなければ四千尺内外の高度にまでは飛揚するの心算なりと云へり。又前日来の空模様にて降雨の心配もあれど、正午頃に降雨なくば、断然乗船することゝし、若し同時刻に雨降らば翌十五日に延ばす都合なりと聞く。尚ほ演技の模様に就ては実地一見の上詳細に報道する處あるべし。

明治231216日 日出新聞

○一昨日の風船飛揚 前の日曜は風もなく好天気なりにし、スペンサー氏の風船乗は其筋の許可を得ざりしより日延となり、一昨十四日いよ〳〵許可を得て興行することゝなりしが、前日は降雨烈(はげ)しく、是れでは迚も明日の風船乗りはむつかしからんと思ひ居たるに、其朝となりて見れば、意外にも日光耀きて天気なりしかば、午前十一時頃よりボツ〳〵と御苑の博覧会場に赴くものあり。
社員の入場したるは十二時過ぎなりしが、既に場中には数百の看衆ありて、学校の生徒多く、池の辺に巨樽数個を置き、曲管を以て連ねたるは言はずとも其の軽気を製出するの装置たるを知るべし。
喞筒(ポンプ)を以て水を輸(おく)り、壺を傾けて硫酸を注入す。樽中の水、熱して亜鉛泡沫を吐き、沸々相排して出で、軽気は管を伝ふて下より球嚢(たま)の中に入る。球嚢は此時既に三分一迄軽気を満て、球の大さ直径凡そ二丈有余なるべし。色淡黄、護謨(ごむ)を塗りて一種の光沢(つや)あり、網を其の上に被(かうむ)らせ、周囲に十数個の砣子(おもり)を釣(つる)し、球の漂揺浮動を防ぎぬ。
既にして水素漸く球中に充満すれば、一洋人来りて彼の砣子を外し、網の束縛を寛(ゆる)め、球をして一段膨大ならしめ、又た砣子を釣して再び球の緊張するを待つ。幾回か此(かく)の如くして、球は漸く膨大し、初め半輪の月の如きもの、今は望月に似るに至りぬ。
時既に三時に近づき、看衆漸く多く、庭中殆ど立錐の地なく、無慮三四千人と思はれたり。上等の桟敷は会場の南面に接して席を設け、下等は地に席(むしろ)を敷きて客に供せり。火鉢を売り歩くもの、時に或は人の頭に灰雪を降らせ、蜜柑叫び売るもの、屡々客の前に銭雨を溢せり。
場内の雑踏随分甚だしかりしが、寧ろ場内よりも場外に人多く、東西の板塀低きにあらず、席(むしろ)を以て更らに高く目隠しを設け、場外人の攀登り見るを防ぎたれども、此の防禦線さへ一時は危き有様にて、巡査制するも聞かず、終には水を灌ぎて楠公千破城の故智を襲ふに至りぬ。風船の観劇は其の舞台空中に有り、造次(ぞうじ)にも節倹主義を忘れざる京都人のことなれば、いかで二十銭又た五十銭を投じて場中に入るの愚をなすべき。十中七八までは皆な場外に在りて、今か〳〵と空打眺め居たるぞ気楽なる。
風船 014斯くて球は殆ど破裂するまで膨脹しぬ。此の日は西南の風強かりき。此の勢では迚も真直に天に昇ること能はざるべしとは誰も思ひ居たるが、風方の如何を験する為めにや、小球の尺半なるものを飛ばせしこと前後二三回、球は皆な風に架し、斜に東北の天に飛び去りぬ。
スペンサー氏は肉肥え背の高き大男子なり。球嚢既に瓦斯を充満し、絹もて製せる彼の墜傘(かさ)も既に球の側に懸垂し、砣子をも外し来り、今は既に数個の人の索(なわ)を引きて其の飛揚を引き留むるのみ。
スペンサー氏悠然として球の直下に垂れたる球に上り、暫らく風の止むを待ちしが、其間球は風に吹かれて動揺し、梅の樹に触れて枝を折り、松の樹に触れて葉を落すなど、宛がら将に飛び去らんとして羽たゝきする大鵬の如く見えしが、一声高くオヽと響くや、球は飄然として飛び、看る〳〵スペンサー氏は天に昇りぬ。
拍手喝采の声地に湧き、皆な東北の天を仰ぎ、アレ
〳〵と指さすを見るに、早やスペンサー氏は地を距(さ)る数百尺、従容右手(めて)に帽を把(と)り打振て看衆に一礼し、帽を空に投じ、一瞬〳〵飛び去りて、叡山の方に向ひぬ。
既にスペンサー氏の影の猿の如く小さく見ゆるに至りし頃、彼れ球を棄て其身を傘に托すよと見えしが、球は上に飛び、傘は忽ち下に向ひて下りぬ。球も亦た初め飛び去る際に下口を開きたれば、軽気次第に漏洩し、終に飛揚の力を失ひ、ヒラ〳〵と煙火戯(はなび)の降龍(くだりりゅう)の如く、間もなく地上に下りたり。
看衆は彼れ大膽者よ、如何になしたるや、無事に地上に降りしか、アヽ危険なる軽業かな、左れど又た思へば愉快なる男ならずやなど、取り〳〵評し合ひたる中、凡そ二十分も過ぎたらん頃、スペンサー氏は人力車を駆りて帰り来りぬ。
拍手喝采の声に迎へられ、偖て演説したる大意を聞くに、飛揚の時間凡そ七分、風強く、充分の高所まで達し得ざりしが、三千五百尺まで達したりと。果して此の如き高さまで達したるや否やは知らず、されど氏の風船乗は想ひしよりも壮快なり、聞きしよりも巧妙なり。欧米人の大膽なる、今に始めぬことなれども、此の風船乗の如きは実に大膽中の最も大膽なるものと謂はざる可からず。当日の景況此の如し。

明治231217日 日出新聞

○風船余聞 スペンサー氏風船飛揚の事は昨日の雑報に掲げしが、右の記事中スペンサー氏が墜傘(かさ)に身を托して無事に地上に降りたる地名を挙ぐるを忘れたり。即ち氏は第三高等中学の裏手に墜ちたるなり。又た同校の生徒が仝日スペンサー氏の昇りたる高さを測量したるに、千二百尺を得たりと。吾人の目撃したる處にても、スペンサー氏が言ふが如く三千五百尺とはチト掛け直の様に思ひしが、実際は千二百尺位にてありしも、知らず興行物の事なれば、蓋し是れ位の掛け直は高過(たかすぎ)ざるべし、呵々。



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スペンサーの軽気球 十一

長崎にて◆(年月日不明)

明治2422日 読売新聞

○スペンサー氏は無難なり …スペンサー氏は全く負傷せしに非ず、是日仝氏は例の手練を以て空中数千尺の高さに上り、軈て気球を離れて降らんとせいしに、如何しけん、節落傘の開かざるため其の身、矢を射るごとくに落ち来り、今や五体も微塵に砕けんばかりなれば、見るもの色を失ひてありけるに、幸ひ地を離るゝ三十間程の所に至りて傘は忽ち開きしにぞ、仝氏は恙なく地上に下り、直ちに此の危難に付て大に演説したりとぞ。

〈編者註〉関西での興行を終え、インド方面へ向かう途中、長崎で興行をした時のことを伝える記事だが、残念ながら具体的な日時は不明。最後に、「読売新聞」がスペンサーの軽気球の記事に因み、清国上海での軽気球乗りの興行を伝える記事を掲載した。珍しいものなので以下に書き抜いておく。

明治231012日 読売新聞

○清国上海に於る風船乗 本日横浜に於て風船乗の芸ある事は前項に記せし如くなるが、去月廿七日清国上海虹口揚樹浦の大花園に於て、風船乗ヴァンタツセル氏が其技を演ぜし由にて、今其模様を略記せんに、予て広告せる開演の時刻午後五時には観客凡そ千数百名に及び、演技者一場の口上を述べ、軽気を球中に送るに、球漸く膨張して中空に飛揚するに堪ふるに及び、一小女躍て球下に懸る所の圏中に坐し、飄揺として直上し、半空に冲(ひい)り、或は一足を屈め、或は一臀を伸べ、或ひは横臥し、或ひは倒懸し、種々の戯劇を演じ、漸く昇ツて高さ殆んど千七百フートの所に達せし時、小女俄に球を脱し、巨傘を持し、飄々と墜下す。此日東風ありしを以て気球吹かれて西方に流れ、女は放球の地に降ること能はず。遥か隔たりしポイントロードの近傍に墜ち、同所より人力車に駕して原所に帰り来るに、気色平然たりければ、観客之を見て大に喝采す。然るに気球は遥かに飛んで虹口の境界外なる或民家の屋上に墜ち、郷人相集りて之を奪ひ、演技者に渡さずして曰く、我屋瓦風船の為に損傷を被むること斯の如し、之を修補するに費金を要す、若十二弗を払へば異議なしとて、其屋瓦を示すを見るに、成ほど破損せるには相違なきも、其損所に緑苔細生せるを以て考ふれば、当日損傷せるものに非ず、依て段々応接に及びけれど、一向に肯んぜず、気球を収て公館に持去り、何か評議する所あるものの如くなりしかば、演技者は人を遣て談判せしめ、銀六弗を郷人に与へて、去る三十日無事に気球を取戻せしが、損所多くして再び用ふるに堪へざる由。而して当日開演の風船乗は少しく意の如くならざりしを以て、演技者は今度更に竪八十五フート直径七十二フート颺力(やうりょく)二千ポンドの大軽気球を製して、近日再び泥城外静安寺路に於て開演し、充分の手際を示す積にて、其気球十分に膨張する時は十万九千立方フートの瓦斯を包蔵するといふ。


 [掲載新聞一覧]

『郵便報知新聞』(復刻版/明治56月~明治2712月)・柏書房・平成1年~。

「読売新聞」(読ダス/明治7112日~)。

「大阪朝日新聞」(聞蔵Ⅱ/明治12125日~)

『時事新報』(復刻版/明治1531日~明治407月・刊行中)・竜渓書舎・昭和61年~。

「日出新聞」(マイクロフィルム/明治184月~)。

「神戸又新日報」(マイクロフィルム/明治1916日~)。

『毎日新聞』(復刻版/明治1951日~明治39630日)・不二出版・平成5年~。

『東京朝日新聞』(復刻版/明治21710日~)・日本図書センター・平成4年~。

『国民新聞』(復刻版/明治2321日~明治281229日)日本図書センター・昭和61年~。



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