スペンサーの軽気球 六スペンサーの軽気球 四

2011年07月08日

スペンサーの軽気球 五

神戸居留地◆(明治23111日)

明治231029 神戸又新日報[広告]

風船 019雲間より飛下す

有名なる倫敦風船乗師パーシバルスペンサー儀、曩に横浜に於て其技を演じ非常の好評を増し、且つ皇帝陛下よりも来月十二日東京宮城に於て天覧に供ふべき旨の御沙汰をも蒙候、然る處同人は此度当地へ罷越し、居留地運動場近傍の空地において右の利益ある面白き技術興行いたし候筈にて、既十八番薬館シーム方より切符売出し候間、御見物お望みの方は速かに同所へ御申越被下度候

スペンサー氏は先づ不思議の風船を以て三千尺以上の空中に飛揚り、夫より風船を離れパラシユイトと称する傘を開き電光の速力を以て安全に見物人の目前へ飛下す

入場料 上等金二円 中等同一円 下等同五十銭 十二才以下半價

切符は居留地十八番薬館シーム氏方にあり

神戸  千八百九十年十月廿九日

明治23112 神戸又新日報

軽気球乗の興行 英国倫敦の有名なる軽気球乗師パーシバル、スペンサー氏は、予期の通り昨日午后居留地瓦斯会社構内において軽気球の妙技を演じたり。先づ予定の時間即ち三時頃より軽気球に瓦斯を満たし置き、氏は海中に落たらんときの用意に胸へキユルクの胸当を巻付け、これらの支度全く整ひしうへ同三十三分、球下に吊したる腰掛けに飛乗り、錘の砂袋(凡そ目方五貫目位づゝの砂を盛りたる袋二十四個を括りつけて錘となしあり)を取除くや否、実に電光の如き速力を以てスラ〳〵と空中に舞昇り、一分許経たらんと思ふころ、氏は忽ち球を離れて用意のパラシユート(傘様のもの)を右手に持ち、以前と同じ速力にて飛下りしが、案のごとく小野浜沖に碇繋する館山艦のこなたなる海中に落ち込みたるを、折ふし居合せたる漁船と同艦の小艇(ボート)とに助けられて上陸し、四十分許経て元の場所に立帰り、卓上に上りて見物人に向ひ一場の演説を試みたり。其の大意は、今日は生憎少し風吹き困却したれども、幸ひに都合よく飛揚し、満足なる結果を得たり。海中へ落ちんとせるとき軍艦に向つて救助を呼び置き、其まゝ落込みたるが、居合せたる漁船が直ちに助け呉れ、やがて軍艦の小艇来りて乗帰り呉れられたり。自分は兼て神戸は盛んなる場所と思ひゐたるが、実際は左ほどにもなく、人口も少なしなどゝイヤミ交りの口上を述べて卓を下りたり。但し右のイヤミは、当日入場者も意外に少く、切符を買て場内に入りたるは僅々二百人位に過ぎざりしよりの不平ならんと思はる。尤も場外ロハの見物人は非常に夥多(おびただ)しく、運動場近傍にも一時は黒山の如く群集しゐたり。

明治23114日 読売新聞

○スペンサー氏遂に海上に落つ 曩に横浜にて興行せし軽気球乗師パーシバル、スペンサー氏は去る二日午后、神戸居留地瓦斯会社構内において軽気球乗の妙技を演じたり。先づ予定の時間即ち三時頃より軽気球に瓦斯を満たし置き、氏は海中に落たらんときの用意に胸へキユルクの胸当を巻付け、これらの支度全く整ひしうへ、同三十三分球下に吊したる腰掛けに飛乗り、錘の砂袋(凡そ目方五貫目位づつの砂を盛りたる袋二十四個を括りつけて錘となしあり)を取除くや否や、電光の如き速力を以てツー〳〵と空中に舞昇り、一分許経たらんと思ふころ、氏は忽ち球を離れて用意のパラシユートを右手に持ちて飛下りしが、案のごとく小野浜沖に碇繋する館山艦のこなたなる海中に落ち込みたるを、折ふし居合せたる漁船と同艦の小艇(ぼうと)とに助けられて上陸し、四十分許り経て元の場所に立帰り、卓上に立ちて見物人に向ひ一場の演説を試みたり。其大意は、今日は生憎少し風吹き困却したれども、幸ひに都合よく飛揚し、満足なる結果を得たり。海中へ落ちんとせるとき、軍艦に向ツて救助を呼び置き、其まま落込みたるが、居合せたる漁船が直ちに助け呉れ、やがて軍艦の小艇来りて乗帰り呉れられたり云々。

明治23116日 大阪朝日新聞

○スペンサーの軽気球乗の芸は、横浜にて演じ、又去る二日は神戸にても演じ、神戸にては海中に墜(お)ちて見物人に手に汗を握らせたるのみならず、肝心の資料(ねた)なる軽気球(代價凡六百弗)さへ何処へか飛び失せて、今は所在(ゆくへ)知れざる由にて、本人は此球の所在を知らせしものには廿五円の賞金を遣ずべしとの広告をなし、神戸ヘラルドは之を気の毒の事なりとて、同居留地外商等に向ひ、応分の金を義捐せん事を其紙上にて慫慂(じゅうゆう)せり。(後略)

明治23119日 大阪朝日新聞

○風船乗手の決心 去頃神戸小野濱に於て放揚せし軽気球を風のために吹散されて海中に落ち漁船と館山艦とに救助されたるスペンサー氏は大に此事を愧ぢ、我れ本国に於て此芸を研究せんためには山に谷に樹の上に浜辺に落ちたること数度なれども、いまだ海中に落ちたる事なし。此度幸に救助されたればこそよけれ、左なくば海の藻屑となるべかりしこと、思へば〳〵口惜しとも恥かしとも云ふ計なし。此儘に如何で国に帰らるべき、一度此恥を雪がばやと、番頭ロッパを伴ふて去る三日神戸を出立して東上せしが、今度は防水布の如き合羽様の物にて軽気球を製し、来る十二日天覧を願ひ奉りて、もし不幸の結果を見ば、捨身か、帰国か、再び人には遇はじ、もし又好結果を得ば、当地千日前の奥田弁次郎と約して廿日頃今宮村眺望閣畔に一興行なし、其より海内を巡游せんと決心なし居るよし、天晴〳〵。


天覧(二重橋外)◆(明治
231112日)

明治231031日 読売新聞

○風船乗の天覧日定る 彼の風船乗英人スペンサー氏の技術を天覧あらせられる由に嘗て紙上に記せしが、愈よ来月十二日頃宮城内に於て天覧あるやに聞き及べり。

明治231112日 大阪朝日新聞

○スペンサー氏が神戸にて軽気球を上たるとき強風の為め気球の紛失したる事は先号の紙上に記載したるが、然るに同氏は今十二日天覧に供する筈なりしかば、急に絹張にて新調し、此の代價五百円程なるが、此新調品にて充分の好結果を得れば、東京の催しを終り次第当地に来る旨スペンサー氏の番頭ロッパ氏より興行物師奥田弁次郎方へ電報ありしを以て奥田方にては眺望閣の東手なる泉岡氏の明地を借り来る二十三日に執行する積りなりと。

明治231112日 読売新聞

○軽気球乗天覧 今十二日午後二時頃より宮城外正門と坂下門との芝原に於て臨御の上スペンサー氏の軽気球を天覧あらせらるる由なり。されば一昨十日より天幕を張りて諸器械を運搬したるを以て皇宮警察署にては同夜より非常を守られしが、昨十一日はスペンサー氏付属の外国人二三名は宮内省工匠課の官吏等と共に同場へ出張して気球の修繕且器械の据付けの準備に着手せしが、同所は非常に広き場所なれど多人数群集雑踏せんも図り難ければ、次第によりては午后よりして桜田、馬場先、和田倉の三門は一時通行を差止むるやに聞きぬ。



misemono at 22:50│Comments(0)TrackBack(0) スペンサーの軽気球 

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
スペンサーの軽気球 六スペンサーの軽気球 四