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2016年08月19日

資料集成:明治の千日前(5)  大阪の千日前(二)


(大阪の千日前・続)

 ▲アイスクリーム店

女義太夫席があつてから暫らくの間は興行ものがない。諸種の小店と露店とが連なつて居るのだが、その最も多数なるものをアイスクリーム店とする。是は恰度(ちょうど)時節がらであるからで、冬向になるとそれ〴〵商売変更をするのだが、其夥しい事不思議な位。

先づその店頭には十五六の小僧が、何れも水浅黄の尻切の筒袖に前面鉢巻で、片手には竹で拵へた箆のやうなものを持て、片手には極々小さな洋盃(コップ)を持ち、通行人が立止らうが止るまいが、那麼(そんな)事には一切無頓着で、尻を振て拍子を取て、何故だか余り大きからぬ声で、「エヽ、アイスクリン、上製別製玉子製。舶来上等アイスクリン!」と何處(どこ)の店でも言合(いいあわ)したやうに言て居る。それが皆小僧で、大人は一人も居ない。店の構造は勿論鼻を衝きさうな、迚ても腰を下して徐々(ゆるゆる)と遣ることは出来ない。即ち千日前的である。是が千日前で合計三百軒もある。

茲に一軒の不思議な店がある。それは是等の多くのアイスクリーム屋の中に交つて居る

庖刃屋

であるのだ。元来僕が言ふまでもなく千日前は大阪の遊戯場である以上、その売るところの品は種類の何たるを問(とわ)ず、余り実用向な品のないのは当然の道理で、又実際那麼(そんな)物品を売て居る家は一軒もない。麻裏の草履を売る家が一軒あるが、是とて唯持て帰るに至極お手軽といふところを覗(ねら)つての開店だのに、台所品の中でも事に庖刃(ほうちょう)を売るとは、一体奈何(どう)いふ精神(つもり)であるかと去る人に聞て見て驚いた。最もその売る所の品は独り庖刃のみに限らない。短刀もあれば仕込杖もある。お嗜好(このみ)とあれば随分切味の可(よ)い日本刀もないではないので。その顧客、実に此家が目的とするところの顧客の大半は破落戸(ならずもの)か情死を企てる奴であるといふ事である。何しろ此地は破落戸の巣窟ともいふべき今宮乃至名古町に接近して、加ふるに南地五華街中の最下等遊廓たる難波新地とは目と鼻の地続きである。従て遊び人と掏摸(ちぼ)とが唯一の働き場である。彼等が最も好き働きをした時には短刀か出刃庖刀が付て廻らない時はない。その供給をするのであるさうな。情死に用ゆる兇器と来ては殆ど一手専売だとは唯々驚くより外はない。

奥田社中の西洋運動

この辺から徐々(そろそろ)千日前の千日前たる特質を現はして来る。第一は蕪雑極まる鐘太皷の囃が、左右軒を並べた席亭から烈(はげ)しく耳に響く事で、何となく盛り場へでも出て来たやうな感覚がする。その中でも最も喧ましく、最も繁昌らしいのは奥田社中、米国戻りとかの西洋運動席である。この席は彼の千日前創造の元勲者である奥田辨次郎の所有で、外観も鳥渡立派だ。年中この西洋運動を演じて居るのだが、それで尠(すこ)しも観客が減らないのは不思議である。演劇(しばい)とか俄だとかは面触(かおぶれ)は同様(おなじ)でも一興行毎に芸題を取換るから、同一顧客が日を改めて再三見物するのも不思議はないが、年中同じ技芸を演じて六年も七年も打続けて居るのは恐らく千日前中此席一軒であらう。それで景気付(づい)たといふのでもあるまいが、此席に限つて何日も入口に音楽隊めいた服装をして居る四五人の洋服先生が大太皷やら喇叭やらで、一種の曲譜をドンヂヤン〳〵言はして居る。

この奥田席の西洋運動を東側のはじまりとして、興行物の種類を席順に列記して見ると左の通り。

東側─西洋運動(はじまり、南へ)、田川一座犬演劇、硝子抜チーロー館、宇治の蛍狩、団十郎一座の俄、照葉狂言(二軒つゞき)、ヒヨットコ踊り、大阪水族館、女身振狂言

西側─照葉狂言(南端より北へ)、講釈席、動物園、河内音頭女手踊り、怪談百物語活人形、支那人奇術(六月十五日調査)

雑と這麼(こんな)ものである。この興行席が延町凡そ三町余りの間に散在して居るので。この他は一軒の脱歯屋(はぬきや)と二軒の散髪床と一軒の写真師と交番所を除いて後は皆飲食店である。

一盛一衰

とは可笑しな表題(みだし)だが、是等の興行物には勿論流行る處と流行らぬ處のあるのは言ふまでもなくない事として、大抵永くも三ケ月、短かいのは十五日か一月位で交換する中に、僕が最も気の毒であつたのは改良座に於る鶴家団十郎一座の俄と、及びその向ひ合せの柴田席の宝楽、たにし一座の俄との盛衰である。

是は御存知の通り双方(どっち)も一度は東京へ出かけた連中だからお馴染の諸君も多からう。是が妙にその一方が流行(はやっ)て一方が流行(はや)らぬ。奈何(どう)いふ仔細があるからか知らないが、改良座の団十郎一座は何日でも大入客止の勢(いきおい)とは打て変つて、柴田席の宝楽、たにし一座は孤城落月の姿だ。それが対合(むかいあわ)せと言ふのだから随分気の毒である。凡そ六七年来此有様で遣て居たが、到頭辛抱が仕切なくなつたものと見えて、柴田席は敢なく打死を仕て了(しま)つた。今、河内音頭を興行(やっ)て居るのがそれだが、思つて見ると今昔の感に堪へない。

序に各興行物の評判をして見ると、奥田の西洋運動は座員凡そ十名程で、先づ可成(かなり)の技芸を演ずる。然し西洋運動とは大業(おおげさ)だ。日本古来からある軽業と別に相違はない。客は前にも言た通り相当にある。田川一座の犬芝居、是は中々感心なもので、十四五疋の犬が三人の男女の指揮者の命令に随つて種々の技を遣るのだが、就中忠臣蔵九段目などは甘いものだ。その外に犬の玉乗、輪抜などもある。景気は至極宜(い)い方で、何日でも客止の勢(いきおい)である。硝子抜けチーロー館といふのは在来の藪抜の藪を硝子と姿見鏡とに変更したので、客が東西にうろ〳〵して抜道を需(もと)むるところに可笑味があるのだが、大分以前から遣て居るだけに今では余り這入る客を見受ぬ。早晩又何かと取改るであらう。宇治の蛍狩は言ふ迄もあるまい。槇の植込の間へ蛍を飛ばし、お土産に取てお帰りなさいといふのだ。

次に現はれるのが団十郎の俄である。是は春と秋と冬期間(ふゆのあいだ)は昼夜二回の興行だが、夏は夜だけである。それで毎日毎晩客止だ。木戸銭は最初(はじめ)僅に一銭で、それに下足預り賃が五厘と座蒲団と敷物代が合して一銭、即ち二銭五厘で見物さしたのだが、次第に價を上て来て、今では木戸だけでも五銭から取る。場内も桟敷、割なども区分して、鳥渡普通の演劇同様(しばいなみ)だ。桟敷客の大概は娼婦同伴の若輩(わかもの)で、その他も婦人連が多数を締る。 

照葉狂言は東京の緞帳芝居だ。小屋は何れも新築で中々立派だが、その客種は燐寸場(マチば)の工女を第一とするだけ、何處(どこ)も彼處(かしこ)も不潔で、始めて這入たものは吃驚する。技芸(げい)の善悪(よしあし)などは言ふだけ野暮であるが、然し此俳優が此付近の婦人連に勢力がある事驚くばかりで、それ俳優が通るなどゝ言ふと、細帯がけの山の神から子守兒までが山のやうに群がつて来てワヤ〳〵騒ぐ。千日前の人気は過半是等の俳優が背負て立と言て宜(よろ)しい。

怪談の活人形は百物語とか称へて機械人形である。這麼(こんな)物の客は大概子供だ。支那人奇術は火を喰ふとか言ふのと出刃庖刀投だが、生憎見る暇がなかつたから詳しい事が言へない。

牛肉屋

千日前に牛肉店の多いのは不思議な程である。多いといふよりも寧ろ牛肉店の外には鳥渡上り込で一盃やるやうな家はないと言ても可(よ)い程で、それこそ鼻を衝く程行当り衝突(ばったり)にあるのだ。是は安価といふのが先づ一番の目着所らしい。代価表といふのが何處(どこ)の店にも出してあるが、頗る安価だ。牛肉すき・一人前三銭、同なべ・同五銭、おん酒・一本七銭、めし・一人前四銭、玉葱・同二銭、三つ葉麩・同一銭といふ具合だ。此奴(こいつ)は安い。奇妙に安い。

奈何(どう)だ登楼(あがっ)てはなどと、事情御存知なしの連中等が無闇に飛込とサー大変、看板には別に偽りなしだが、通ひの女が出て来て曰く、「肉は上等の方に致しませうか」。此奴(こいつ)が怖ろしいのだ。浮(うっ)かり「諾(うん)」とでも言た日には手塩皿の姉様程の皿に三切程引張て並べた奴が一人前で実に八銭だ。酒を注文すると言はなくとも夏蜜柑が剥れて、白粉(おしろい)コテ〳〵の姉さんがお酌する。はじめは三十銭ほどの胸算用が何程(いくら)になるが知れたもんぢやない。だから再度(にど)と同じ客は行(いか)ない。何れも通り一度(いっぺん)だ。勿論酌婦張込連は別であるが。

中には表に大きな庵看板を出し、今日より割込とか御飯お添物とか書てある家もあるが、事実は奈何(どう)あらうか。それで此辺第一の観客(おとくい)は遊び人か掏摸(ちぼ)だ。その次が軍人と田舎漢(いなかもの)で、市中で真面目な事をして居る人は決して行ない。先づ浅草に於る銘酒屋と言ふところだ。

矢 場

かゝる土地には不似合な、必ず有るべき筈であつて然もないのは矢場である。千日前に不思議な事があるなら、それこそ矢場のないのが最大不思議であらう。大弓場は僅かに一軒あるが、余り流行(はやっ)ては居らぬ。

横 町

千日前の通りには空地がないといふところから、近来その横町を応用して席を建築(たて)る事が年一年と増て来た。けれど横町だけに席へかゝるものは必ず講釈と新内と貝祭文との三種に限つて居る。

横町で有名なものは榎小路、是は榎神社といふ神祠(おやしろ)が祀つてあるから付た名で、それに溝の側、是は中央に溝があるから恁(こう)呼れる。この以外は名称(なまえ)を知らない。

法善寺

千日前には自安寺、竹林寺、法善寺と三個(みっつ)お寺があるが、一番賑はふのは法善寺である。この寺の北方の裏手に細い抜露路がある。二箇の落語席と小料理屋とが並列して一種の別天地を構成(つくっ)て居る。即ち千日前に於る横町中第一に賑やかに、且比較的に第一に清潔(きれい)な横町としてある。

落語席は東にあるのを金沢、西にあるのを単に西の席と言て居る。是が又妙に一盛一衰を表現(しめ)して居るので、金沢席は大概毎晩客が一杯あるのに、西の席は頗る寥々で、他目(よそめ)にも気の毒な位だ。金沢席の方は桂文枝一座に東京下りとして三遊亭円馬、同遊輔、橘家円三郎の三名が面(かお)を揃へて居る。西の席は是と反対の浪花三友派の一連で、笑福亭福松、曽呂利新左衛門、桂文団治三名の統率の下にあるのだ。是に加味する東京下り連は今昔亭今松、三遊亭三子、ヤッツケ楼双枝、立花家小円喬などである。近来此派の勉強は稍ともすると金沢席の方を圧倒し兼まじき勢(いきおい)を示し出したから、敵も油断ならずと近来新たに英国人何某とか言ふ快楽亭ブラツクめきたる男を引張出して来て、盛に対抗して居るが、果して何方(どちら)に采配が上るだらうか、今暫時(しばらく)は睨み合の姿らしい。

金沢席の西隣に鳥渡有名な汁粉屋がある。南地の夫婦(めおと)善哉といふのが此家(ここ)だ。西と南の二方に入口があつて、這入と床机が三脚ばかり置てある石土間で、畳ならば十畳位敷(しけ)やうかといふ台所、是が客を待つお座敷だから驚くぢやないか。だから五六人も一時に重なり合て這入と直(すぐ)に客止だ。品目(しなもの)は第一夫婦善哉、是は普通の汁粉を一人前に一時に二杯宛(ずつ)持て来るから然(し)か命名(なづけ)たので、それから小倉ぜんざい、是は東京の田舎だ、と金時の三種である。評判も高く風味(あじ)も悪くはないけれど、何分お座敷も何もないものだから、自然客種が落て来て、些(ちっ)と気取た素蕩夫(すどうり)連は足踏もしないで近所の湖月といふ東京風の汁粉屋へ行て了(しま)ふ。為に余り多くの客もない様子だ。一時は別嬪娘が此家(ここ)にあると言て若い衆がワア〳〵言て騒いだが、今は最(も)う何處(どこ)かのお嫁様になつて居るのだらう。

夜と朝

長くなるから此項を以て終結(おわり)とする。

夜は千日前の命である。けれど十二時を過ると了得(さすが)に今迄は頻繁であつた人通行も漸々(ようよう)途絶て来て、各興行席は悉く看板に幕を敷き、露店は店を了(しま)つて帰るから、忽ち闇黒の世界と変る。午前一時二時となると、全く寂寞の死地となつて、火の廻りの撃柝(げきたく)の響のみが幽かに何處(どこ)からとなく聞えるのみである。この闇の中に蠢動(うごめ)く数十の化物は悉皆薄命な醜業婦であつた。朝、八九時頃まではそれこそ無人の境だ。此間に處々に集合して、何かひそ〳〵声で遣て居る無数の少年、是は悉く無宿と乞食坊主で、所謂にぎりとか称へる賭博をして居るのである。

 




misemono at 11:40│Comments(0)TrackBack(0) 資料集成:明治の千日前 

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