七尾市)御祓地域づくり協議会

当協議会は、地域の各種団体と連携を図り福祉ネットワーク及び防災、防犯を推進し、行政との協働のもと地域の様々なニーズや生活課題の解決に向けて行動するとともに、心豊かな住みよい町づくりに寄与することを目的としております。

東本願寺を改革した男・嶺藤亮(1914〜1990)

大正3年9月15日生まれ。法名は慎観。
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 旧制七尾中学(現・七尾高校)を経て、昭和14年大谷大学卒業。
 ちなみに得度したのは中学5年の時という。
 嶺藤氏は、大谷大学に入る前後から、安田理深(真宗大谷派僧侶・仏教哲学者)の講義を聞く機縁があり、曽我量深(仏教思想家・大谷大学学長など務めた)の講座にも連なったりした。その頃は、曽我量深氏や金子大栄先生が、牋朧多缶簑雖瓩砲茲蟒’鋲發ら「宗義に反する」と批判され大谷大学教授を辞めさせられ在野にいた。安田理深、曽我量深のいずれも清沢満之(1863年 – 1903年、明治期に活躍した真宗大谷派の僧侶、哲学者・宗教家)の教学の体系をもっていた。その二人に強い影響を受けたようだ。

 戦時中は浜松、福島などで整備将校として飛行隊に所属した。
 戦後復員すると、七尾教務所にあった大谷学場で、教区における研究集会や講習会の世話役などといった手伝いの仕事をする。
 昭和28年、自坊改観寺の第28代の住職となる。

 昭和33年1月、真宗大谷派能登教務区選出の宗議会議員(任期4年)になる。
 昭和37年から昭和44年にかけ、第1次・第2次訓覇信雄(くるべ・のぶお)、蓑輪英章の各内局の参務を、3期6年近く務めた。

 参務になった昭和37年6月に第70回宗議会で、同朋(どうほう)会運動を発足させる。これは宗門のあるべき姿を確立するため、教学、教化の運動を推進しようというものであった。

  昭和33参務就任以降、宗務会野党直道会(真宗興法議員団の前身)幹事長を経て、昭和44年2月には、宗務総長の指名を受け、同年4月第一次嶺藤内局を発足させた。

 ところで浄土真宗東本願寺派は、末寺1万、門徒数1千万を擁する日本最大級の宗教教団である。 
 昭和53年1月その教団の宗務総長に再任され、昭和56年6月18日、任期半ばで辞任した。

 真宗狢臙派紛争瓩虜任盧て颪併期に渦中にあって、内局、つまり宗門内閣を指揮してきた人物である。

 この間、一連の東本願寺の財産処分をめぐり、大谷光暢法主らを京都地方検察局に告訴するなど、同朋会運動を軸とする宗門改革派の中軸として猖ー臉簑仞瓩鮗蕕蹐Δ箸垢訛臙家・保守派に対し厳しい姿勢で臨んだ。

 「布教は真宗の生命線である」と言い続けた、求道と布教の激しいその一生は、多くの人材を育み、その精神を後世に遺した。
 宗務総長在任の頃、人から狎估甅犂荼猫瓩噺討个譴拭G重仗容値の粘性であの紛争期において6年もの長きにわたり宗務総長を務めた。

 まだ宗門の紛争が続いていた中、自ら辞任を表明し辞めた理由は「人心の一新により解決への展望を開く」であった。

 【参 考】
 『わが炎の信念と行−嶺藤亮 聞きがたり』(北國新聞 昭和55年8月−56年4月)
 『図説 七尾の歴史と文化』(七尾市発行・七尾市市史編纂専門委員会編集・平成11年7月20日発行)

書家&画家&文筆家 横川巴人(よこがわぱじん) (1886〜1969)

 明治19年 1月8日七尾の医家・横川家(一本杉町)で誕生。
 第二次大戦末期帰郷後も、一本杉町に住む。
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 横川家は、七尾の旧家であった。巴人は、寛政年間に漢学塾保合堂を開いた横川長洲より数えて6代目にあたる。少し前書きが長くなるが、横川家の巴人にまでいたる系譜を書く。

 長洲は、壮年京都に出て皆川棋園に経書を学び、小石元俊に蘭法医術を学び、七尾に帰ってきて医家を開き、傍ら郷党の師弟に経学を教えた。その門からは、飯田(珠洲市)の葛原秀藤、七尾の安田竹荘などの逸材が出た。

 長洲の息子、有孚も蘭方を学ぶ傍ら国学に専念し、本居太平の門人・橘尚平らの人々を七尾に招き、古学の講義を聞くなど、七尾における学統を伝えた。

 有孚の子・文蔵は安田元蔵に漢籍を習い、京都の小石塾において小石流の西洋医術を学んだ。俊秀の誉れが高かったが、31歳で夭折した。

 巴人の厳父仲蔵は、文蔵没後横川家に養子として迎えられた。春水の雅号を持ち、浪花大庵六世を許され、明治最後の純漢方医として名高かった。

 無角(謹一郎)は、文蔵の長男として生まれたが、早くより上京し、後に浅草に開業医として知られた。三痴庵、竹庵などの号もあり、名僧山田寒山師と親交が深く、中里介山のあの名著『大菩薩峠』に道庵先生として描かれている。

 なお中里介山の『高野の義人』(明治43年頃)という小説がありますが、主人公は横川左内という義に勇む者で、男の意気を骨子に描いたものです。この主人公のモデルは巴人です。介山とは、一つ違い(介山の方が一つ歳が上)で友人でした。この「高野の義人」は脚本化され、本郷座で上演されて、当時非常に好評を拍したようです。

【横川巴人年譜】

明治38年

石川県立第三中学校(現県立七尾高等学校)三年を終えた巴人は、医学を学ぶために上京、無角のもとに身を寄せ、東京医学専門学校に入学したが、幾ばくもなく学業を放棄。その間に、田岡嶺雲、幸徳秋水、木下尚江らの影響を強く受け、前田黙鳳を知るに及びその門下に入った。

明治42年

前田黙鳳が「健筆会」を組織するに当たって、その幹事に就任。第一回健筆会を上野日本美術協会に開催した。以来10年間、前田黙鳳の後継者として「健筆会」の運営に当たり中村不折、河東碧梧桐などと共に、明治・大正期の六朝風書道の普及に大きな役割を演じた。 上京後も、しばしば七尾に帰り、郷土の知友と図って「日本海新聞」、「エゴ」などの地方文芸文化誌の出版について助言援助するなど戦前の七尾文化層の指導的役割を果たしてきた。

昭和20年6月    

 戦争末期の東京を逃れ、成子夫人と共に帰郷し、自適の生活の中に書画の道に精進し、独自の世界を高めていくと共に、戦後の七尾における文化運動に対して適切な助言指導を寄せていた。

 七尾帰郷後は、一本杉町の現在・松本呉服店駐車場(のと共栄信用金庫のATM出張所の向井側)に住んでいた。

昭和23,4年頃より

「能登教壇」、雑誌「能登往来」などに美術文化評論、随筆などを書き格調高い文章は各界に好評を拍す。

昭和39年

同じ七尾出身の直木賞作家・杉森久英氏は、巴人の気骨ある東洋的文人の風格と人生を描いた「能登の人」を雑誌「大法輪」に1月より5回にわたって連載した。

昭和39年3月      成子夫人歿。

昭和39年11月    七尾市文化賞を受賞。

昭和39年12月    七尾市済美館において「横川巴人個展」を開催。

昭和42年             県教育界の先達、中村禎雄氏(巴人の甥)の次男敬雄氏を養子として迎えた。敬雄氏は北國新聞社論説委員として活躍した。

昭和44年3月25日           急性肝炎のため七尾市能登総合病院に入院。

昭和44年5月11日           午前6時40分、永眠。享年83歳。

※この年譜は、横川巴人著作集「夢」の中の「横川巴人年譜」及び「月刊能登 ’69・8」(横川巴人追悼号)の年譜を、比較し、ほぼ転記させてもらいました。



どちらも参加は無料ですが、資料用意・会場準備などありますので、事前予約が必要です。

第1回 江戸時代編
日 時  8月7日 (土) 10:00〜
場 所  御祓地区コミュニティセンター
講 師  のと里山里海ミュージアム 館長 和田 学 氏
参加費  無料
※事前申し込み必要
申し込み先 御祓地域づくり協議会 電話53-0821

古地図で楽しむまちなか(江戸時代編)-20210807

第2回 明治時代以降編
日 時  8月28日 (土) 10:00〜
場 所  のと里山里海ミュージアム
(会場まで移動できない人は車で送迎します。
同日9時30分までに御祓地区コミュニティセンターまで起こし下さい)
講 師  のと里山里海ミュージアム 館長 和田 学 氏
参加費  無料
※事前申し込み必要
申し込み先 御祓地域づくり協議会 電話53-0821
古地図で楽しむまちなか(明治時代以降編)-20210828



本日 朝8時半より七尾中学校メインアリーナにて
第2回御祓地区運動会が開催されました。
本会場での開催は初めてとなります。

協議の主な結果は次の通りです。
1位 富岡町
2位 松本町
3位 神明町
4位 南藤橋町(4位と同点でジャンケンにて順位決定)
5位 阿良町
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以下、本日の運動会の模様を撮影した写真を添付します。
すべての写真はサムネイルなので写真をクリックすれば拡大してみることができます。

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3月2日な、午前10時から(お昼まで)、御祓地区コミュニティセンター1階大集会室にて、御祓地域づくり協議会「全体会議」を開催しました。
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   今日は(御祓地区地域づくり協議会主催の)第1回目の御祓地区町内対抗ボウリング大会が10時からクアトロブーム鹿島にて行われていました。

   第1回御祓地区町内対抗ボウリングの主な成績は次の通りです。
 ○団体優勝は南藤橋町Aチーム
 ○団体2位は西藤橋町Aチーム
 ○団体3位は馬出町Aチームでした。
 ○個人優勝はモリコシ・ジュンキさん(南藤橋町)
 ○個人2位はフクシマ・サダオさん(阿良町)
 ○個人3位はタキオ・カイセイさん(南藤橋町)でした。

(下の写真は
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