都市・身体・芸術

ピアニストで都市研究者によるブログです。とにかくピアノが出せる限りの美しい音を追究したいです。ここでは音楽の話や街ネタなどを投稿していきます。時々脱線も。気まぐれなので更新もまちまちになりそうですが。

スーパーインテリジェンスコンサートの趣旨について

本日、7月25日(土)に行われるスーパーインテリジェンスコンサート(以下SIC)も今回で3回目。私なりにこのSICシリーズのコンセプトを若干補足説 明させていただきたいと思います(おそらく相方の豆腐メンタルはまた別のコンセプトを有していると思うので、これはあくまで神社エールとしてのイメージで すが)。

通常、およそ音楽と言えるものを演奏するコンサートと呼ばれる形式の時間は、表現者と聴衆の間になんらかの相互作用を目的としているわけです。しかるに、演奏行為をするものはどうしても聴衆を強く意識せざるを得ない訳です。

しかしながら、音響現象として音楽を考えた場合、何も聴衆とのコミュニケーションを目的にする必要が必ずしもあるのでしょうか?そこに音がある、ただそれ だけで良い場合もあるのではないか、そこから派生する意味作用の解釈を巡ってはむしろ聴衆の方々に勝手にしていただくコンサートがあっても良いのではない か、そんなことを常々思ってまいった訳です。

つまり、草や花、自然の造形美などは別に見るものの目を楽しませることを目的として存在しているわけではありません。しかし、それを目撃した時に我々の心には何らかのインスピレーションが生まれるのは確かな訳です。

そんなことを言いながらもSICの目的とするところは、花のような美しいものでもありません。どちらかといえば、そこの空間において(偶発的ではありませ んが)発生する事件あるいは事故を起こすことと言えるのかもしれません。事件や事故は、別にそれ自身は人を楽しませるために発生したものではありません。 しかし、そのインパクトが大きければ大きいほど、野次馬の皆さん、お茶の間の皆さんにとっては極上のエンターテインメントとなりうる訳です。

SICはそういう意味では「お客さん」なぞ存在していなくても全く問題の発生しないコンサートなのです。まあ、それでも事故や事件には野次馬が付き物です よね(笑)皆さん、ぜひぜひ野次馬根性を発揮して事件現場まで駆けつけてくださいませ。来ないと、「歴史の目撃者」になり損ねますよ!



SIC概要

「帰ってきた恐怖のスーパーインテリジェンス……」
前回のコンサート『インテリジェンスの敗北』(オール・リャードフ・プログラム)から8ヶ月。スーパーインテリジェンスは、ある種のグロテスクな現実性に切り込みます。第1部では「内容」において、第2部では「形式」において。

7月25日(土)19時10分開演(18時50分開場)
スタインウェイ・サロン(シンフォニービル1F 103号室)

東京都 江東区江東区深川2-4-8  シンフォニービル 1F

(門前仲町駅より徒歩3分)


概要:ピアノと物(material)によるコンサート。終演後懇親会あり。
出演:神社エール山田、豆腐メンタル一郎
料金:無料。懇親会参加の場合は2,000円(当日精算
   カンパは一口500円より受付

プログラム(予定):
第Ⅰ部『復習するは我にあり 』
シベリウス/6つのフィンランド民謡 第5曲「兄弟殺し」
スクリャービン/ピアノソナタ第1番 第4楽章
ラフマニノフ/絵画的練習曲Op.39 第7曲
ラ・モンテ・ヤング/ヘンリー・フリントのための20
クルターク/愛、愛、呪われた苦しみ……(断片)
岡崎/魔女のランプ

第Ⅱ部『蘇る勤労』
ラ・モンテ・ヤング/ヘンリー・フリントのための349
ヴォーティエ/謎の食べ物
ボイガー/マラルメのためのモノディズ


https://www.facebook.com/events/664669840333662/

ミスタッチ考

何のためにピアノの練習を日常的に行うか。その目的の一つがミスタッチを減らすことにあるだろう。ピアノ曲のほとんどが、他の楽器と比べて音数が多い。そのためとにかく間違えた場所を押さないよう、ピアノを弾く人間は相当な数の反復練習をする必要がある。

プロのピアニストはミスタッチをしない、と思っている人も多いことだろう。しかし、実際に生で聴けばそんなことはない。プロであっても、人間がやっていることならば、多少のミスタッチはつきものである。そして、そもそもミスタッチとはそれほどに罪深きものだろうか。

私はそうは思わない。ミスタッチの多い音楽よりも、イマジネーションのない音楽の方がよほど聞いていて辛い。無論、イマジネーションもなく、ミスタッチだらけの演奏が一番辛いのだが。

CDの音源は編集を行っているのでミスタッチは存在しない。我々は、この記録媒体としての音楽に慣れすぎてはいないだろうか。生の音楽、そこでの醍醐味はなんといってもその音楽家の創造力を耳にすることができるところにあるのだと私は思っている。CDと同じような演奏を聴かされても決して感動はしないし、日常の反復の延長線上のような音楽を聴かされるのはとてもつまらない。ミスを恐れた音楽はそのようになる危険性を孕んでいる。

ミスを回避しようと思ったらものすごい回数の反復が必要になってくる。だが、反復を繰り返せば繰り返すほど、創造性の泉は枯れていく。また、本番でミスタッチを恐れたら、キワどい演奏ではなく、安全な演奏を心がけるようになるだろう。このような演奏からは心の奥を揺さぶられるような音は出てこない。

しかしながら、確かにミスタッチがとても気になる演奏を耳にする機会は多い。一方で、必ずしも正しい音を弾いていなかったとしても、とても心地よい演奏も存在する。その差はどこにあるのだろうか。

私は、それは次の二つがその差を生み出していると考える。ひとつは、危機察知能力を持ってミスタッチを隠す能力、もう一つがミスタッチをしたとしても音楽を崩さない能力である。

ピアノを弾いていると、ミスタッチをしそうな瞬間はなんとなくわかるものである。上手いピアニストは、そこで巧みにその音をほとんど鳴らさずに弾いている。音を思いっきり外すよりはその方が間違えたとは気づかれにくい。筋肉、身体性に依存した弾き方ではこのような微調整は難しい。楽器からのフィードバックを繊細に感じ取りながら演奏することがこのような能力を身につける一歩なのかもしれない。

また、ひとつのミスタッチをすると、音楽が崩壊してしまう人がいる。これでは聴いている側も辛い。ある程度のミスタッチも織り込んだ上で、音楽の流れを常に頭の中で描きながら演奏をする必要があるのだろう。巨匠クラスの演奏ともなると、ミスタッチすらも音楽的に、魅惑的に聴こえてしまう面もあるので、本当に面白いものだ。

上記の二つの能力以外にも、ミスを恐れる心理、これもバカにはできない。間違えるのではないか、という不安は聴いている側にも伝わる。そして間違えた瞬間、ああ間違えちゃったね、となり音楽は終了する。そもそもミスをするのではないか、と思ってしまうことで予言の自己成就的にミスを誘発してしまう危険性も高い。

ミスタッチは少ないに越したことはない。だが、そればっかりにとらわれていると、大切な部分を見失ってしまう危険性があるし、そもそも弾いてる方も聴いてる方も楽しくない。自分自身も「完璧な」演奏よりも、常に「創造的な」演奏を心がけたいものだ。


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演奏会告知

6月7日(土)15時より、白金台の(株)ピアノプレップさんでデュオコンサートを行います。今回でピアノプレップさんでは3回目になりますが、テーマは「密やかな情熱」。スペインの音楽を中心にお送りします。スペインのピアノ作品は取り上げられる機会も最近は増えてきましたが、それでも依然としてマイナーと言わざるをえません。しかしながら、アルベニス・モンポウなど、唯一無二の天才を生み出した国でもあります。情熱的であったり、内向的であったり、個性豊かな作品の魅力を味わっていただきたいと思います。

ご興味がございましたら、ぜひお越しくださいませ。

6月7日(土) ピアノプレップサロンコンサート


また、同じピアノプレップさんにて、創立1周年を記念してペトロフピアノの母国でもあるチェコをテーマにイベントが開催されます。当日は私もスメタナ・スーク・フィビヒ・マルティヌーなど、チェコの作曲家たちの作品を演奏させていただく予定です。こちらは入場無料のイベントで、かしこまった演奏会ではありませんのでぜひお気楽な気持ちでお越し下さい。10時から夕方まで一緒にボヘミアのムードを楽しみましょう。

5月17日(土)チェコフェスタ
プロフィール

misonikov

きまぐれピアニスト兼都市研究者。話すことは大体ピアノネタか街ネタです。大学院の博士課程まで進んだものの、やっぱり音楽が一番ということでそちらに。魔法の世界に引き込まれたような、究極に美しい音を求めて何処へ行く。

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