都市・身体・芸術

ピアニストで都市研究者によるブログです。とにかくピアノが出せる限りの美しい音を追究したいです。ここでは音楽の話や街ネタなどを投稿していきます。時々脱線も。気まぐれなので更新もまちまちになりそうですが。

都市

首都圏で一番速い通勤電車は何線?

自分は主に中央線や西武新宿線のユーザーなのだが、特に市街地を縫うように走る西武新宿線に乗っているとその遅さにいらいらさせられることがある。そこで、東京圏で一番速い通勤電車は何線なのだろうかということがふと気になった。ということで早速調べてみた。

ここであげた路線は一応それなりに距離のある路線を選んだ。比較をする区間は大体が山手線の駅から国道16号線が走る付近までということにした。都心からほぼ30km圏内といえる駅である。それぞれの路線の表定速度を見てみた。条件を統一するために、都心方面から平日の12時台に発車する、特別料金のかからない最速の電車を選んで所要時間を調べてみた。

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この中の最速は東海道線で、東京横浜間の評定速度は69.1km/hであった。なんとなく調べる前から本命視していたので、ちょっとつまらない結果に終わってしまった。また、さすがに京急の快特は速い。あと東武伊勢崎線の区間快速もなかなかのものである。区間快速などというと、イメージ的にはたくさん駅に停まりそうなものだが、この電車、浅草・北千住に停車した後は春日部まではノンストップである。恐るべし、区間快速(笑)。西武池袋線の健闘ぶりも光る。

もっとも遅いのは我が愛しの西武新宿線なのではと思っていたが、意外なことに埼京線がランクイン。最強?なだけに速いのかと思えば、遅さの最強をゲットである。京成もスカイライナーはスカイアクセス経由でものすごく速くなったのだが、本線の特急列車はすごく遅い。「特急」を名乗るなよといいたくもなる。

完成しない建築こそ重要

できた当時は斬新でぴかぴかな建築物だったのだろうなという建物を良く見かける。だが、時間を経たそういう建物はなんとなく色あせてしまっていて、一抹の寂しさを感じさせる。建物だけでなく、都市計画も、同様のケースが多く見られ、未来都市に思えた新宿新都心も今はなんとなくバブル期の遺産のような雰囲気がある。お台場も、汐留も、なんとなく賞味期限切れを起こしてきているような気がする。

東京を筆頭に日本では古く色あせてしまったものはすぐに取り壊され、また新たなものがすぐに作られる。もちろん、これは都市が新陳代謝をしている証拠でもあるため、よいことといえる。だが、すでに多くの地域ではその新陳代謝の仕組みがすでに機能しなくなってきているのではないだろうか。地方都市、郊外、そして東京の下町など、スクラップアンドビルドをすることがもはやできなくなりつつある。

常に思うことがある。それは日本の建築・都市計画が、それは新しく完成させる、つまり竣工させるところにゴールがあるのではないかと。一回完成されてしまった建物や空間はそこから劣化をしていくしかない。劣化が進むたびに、全部作り直す。つまり、現在の日本社会において、「老い」や「古い」ことはは禁忌的なものと捉えられている感がある。

だが、本当によいものは古くなれば古くなるほどその輝きを増す。美しく老いることができるのである。どうもこの観念が現在の日本にはなさ過ぎる気がする。人間についても同じことが言える。「ほんもの」の生き方をしてきた人間は美しく老いることができる。年を取れば取るほど、その人の輝く葉増すのだ。

話を都市に戻そう。建物を作るときも、竣工時をピークとしないような建築でなければならない。建物の利用者とともに劣化するのではなく、成長していくことができる建築こそが必要なのではないだろうか。使えば使うほど輝く建築、都市、それが「ほんもの」なのだと思う。風雨にさらされてこそその建物は美しくなる。古い木造建築などは実際そのように見事に年齢を積み重ねている。黒光りする柱や梁のなんと美しいことか。

ガウディのサグラダ・ファミリアはいつまでも未完成の建物として有名だ。だが、実際すべての建築物は人々が利用し続ける限りは未完成であるべきなのだと思う。つまり、完成してしまうということは「死」を迎えるときであって、「生」がある限り完成してしまってはいけないのである。現在の日本のほとんどの建物は人が利用する前に「死」を迎えてしまっていると言っても過言ではない気がする。

自分が言っていることは建築運動としてのメタボリズムを唱えていた人たちに近いような考えとも言えるかもしれないが、そのメタボリズムも何かひとつの時代の終わりを迎えているような気がする。メタボリズムには何が足りなかったのか。自分自身は成長の中に「老い」というものが含まれていない点にあると思う。新陳代謝をし続けて常に若さを保つことが重要なのではなく、美しく成長、成熟し、そして老いること、これこそが肝要であり、「老い」を「成長」から省いてしまってはならないのである。



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インナーシティ問題のこれから

シカゴ学派の都市社会学の最大の関心事は、Zone in Transition(遷移地帯)と呼ばれる都心を取り巻く地域において生まれるインナーシティ問題であった。彼らは遷移地帯のことを都市の中での「もっとも都市らしい場所」であると考え、最も生態学的に人々が生きる場所ととらえていた。

日本に都市社会学が取り入れられた時に大きな問題となったのは、「日本にインナーシティ問題は存在するか」という命題であった。東京などでは、インナーシティ的とも呼べる地域はいわゆる「下町」地域といえるだろう。だが、少なくともこのような場所ではアメリカ大都市でみられるような異質性の衝突はなく、犯罪や社会問題が多く発生したこともない。日本の中でのインナーシティ問題は今までは「存在しなかった」といってもよく、そのためアメリカのモデルを当てはめることにはかなりの無理があった。

現在の東京を見ても、今のところはインナーシティ問題は存在していないようにも思える。だが、日本の地方都市や東京の郊外でむしろインナーシティ問題を真剣に議論しなければならないのではないだろうかと感じている。

この連休だが、法事で両親の実家のある静岡県浜松市に久しぶりに行ってきた。法事の後に食事をしていて、たまたまホームレスの話題が上がった。昔は浜松ぐらいの都市ではほとんど見かけることのなかったホームレスだが、現在では数多くいるとのことであった。また、特に浜松の駅南の商店街のシャッター通り化が著しく、その周辺に多くホームレスの人々が住んでいるとのことであった。

もともと浜松市は一大産業都市なので、平均所得も高く、比較的住んでいる人々も富裕で、税金も潤沢にある都市である。だが、この10年~15年で都市の様相はめまぐるしく変化している都市でもある。

他の地方都市でも同様のことが言えるが、製造業中心の浜松では自動車通勤が多く、買い物等もロードサイドで済まされることが多い。中心部の地盤沈下は20年ほど前から続いているが、市は多額の資金を投入し、中心部の再開発を進めてきた。だが、中心部の衰退は止まらない。そして、5年ほど前から、イオンモールなどの超大型店の郊外進出が相次ぎ、中心部は完全に破壊されたような状態になってしまった。

また、ここ15年ほどでブラジル人の人口が大幅に増えたことは有名な話である。もともと浜松の郊外部で生活をしている感が強かったが、近年では中心部で遊んでいる人々が多い印象を受ける。さらに、近年の製造業不況の影響かホームレス人口の増加である。

このような背景があり、浜松では完全に今までには存在しなかった「インナーシティ問題」が存在するようになってしまったと考えられる。いままでは、ひたすらに「平和」ともいえた地方都市が単純に衰退ということだけでなく、今後はインナーシティ問題を抱えるのではないかと浜松の例を見て確信をした。

おそらく東京でも従来の下町地域よりは今後郊外部で同様の問題が生まれてくると想像される。「シカゴ」の例に学ぶのはこれからなのかもしれない。



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ハブ空港は可能か?

昨日、久しぶりに成田空港に行った。成田スカイアクセスの開業で、ずいぶん近くなったと感じた。今日は常々議論されているハブ空港問題について考えてみたい。

羽田に国際空港の機能も集中させて羽田をハブ空港にすべき、という議論も多く聞かれる。だがそうなると、今までさんざん多額の税金を成田につぎ込んできたのは何だったのかということになる。したがって、成田を捨ててしまうということは現実的には難しいと思われる。この2つの空港をどのように生かしていくかということが現実的な将来像なのであろう。羽田の国際線を強化することで成田の混雑を少し緩和し、その緩和された部分を成田では乗り継ぎ空港としていく、ということをしていく必要があるだろう。そこで、いくつかの案を考えた。

成田空港を滞在型の空間に-「デスティネーション・リゾート成田」を実現する
成田空港の施設は、純粋にあまりにも貧弱すぎる。周囲にも何もない(成田山とかはあるが)。ハブ空港となるためには、乗り換えの時間を楽しくすごせる場所でなければならない。5時間以上の乗り継ぎが当たり前にあるためである。空港内外にカジノや温泉、巨大レストラン街、大型商業施設、映画館、その他リラクゼーション施設などを作るべきであろう。

第1ターミナルと第2ターミナルを地下通路で結ぶ
二つのターミナルがバラバラでバスでしか結ばれていないのも問題である。この2つを地下通路(動く歩道つき)で結ぶべきではないだろうか。直線距離で700mほどあるから、かなり距離はあるが。途中に地下商業施設を設置し、両ターミナル間の移動を飽きさせないものにする。

JR・京成の統一

とにかく電車がわかりづらい。料金体系もばらばら、スカイアクセスができてさらにわかりにくくなった。成田エクスプレスは廃止し、成田空港から東京に向かう特急はスカイアクセス経由に統一する。日暮里に引込み線を作り、直接JRの東京駅に乗り入れできるようにして、42~3分で東京と結べるようにする。そうすれば、新幹線との連絡も非常に便利になる。
料金はJR、京成共通料金とし、空港アクセスは一企業の問題ではなく国策問題なので、値段は税金を投入してでも安くする。高速道路を安くするよりもよっぽど意味があると思われる。


成田~東京~羽田 ノンストップ特急を作る
スカイアクセスを使い日暮里から引込み線でJRを経由して東京駅へ。東京~羽田空港は東海道貨物線を利用して羽田空港へ。このルートでノンストップ特急を作ればかなり時間も短縮できる。成田~羽田間を1時間ほどで結ぶことができれば、乗り換えの問題もかなり解消されるのではないか。

ディズニーリゾート直通電車を作る
成田から比較的近い東京の国際的な観光地といえば、東京ディズニーリゾートである。成田空港からのバスはあるが、鉄道アクセスは悪い。北総線から東松戸駅のところで武蔵野線への引込み線を作り、成田空港~舞浜~東京駅の直通特急を作る。

ざっと思いつくのはこんなところか。「観光立国」を考えるならば、この空港問題を真に利用者目線で解決していく必要があるだろう。

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公共空間をめぐる正義はどこにあるのか?

渋谷の宮下公園での騒動の記事が出ていた。

ナイキ命名権取得の宮下公園 占拠の反対派、締め出しへ 渋谷区、一部閉鎖

「区によると、区は平成21年8月、宮下公園の命名権を年1700万円で譲渡する契約をナイキと結んだ。契約期間は10年間。ナイキは公園を「宮下NIKEパーク」として、スケートボード場やクライミング施設、エレベーターなどを整備する予定だった。」

「公園には、かつて数十人のホームレスが寝泊まりしていたが、“ナイキ公園化”が決まって以降、区が自立支援や就労支援を行い、現在は4人に減っている。」以上、記事より

日本でもこのような問題がついに生じ始めたか、というのが実感だ。これまで、都市研究の分野ではニューヨークのブライアントパークの公園の事例がしばしば取り上げられてきた。ニューヨークのタイムズスクエア近くの公園で、ホームレスが多く住み、麻薬取引も横行していた公園をUrban Land Instituteが中心となって整備し直し、「一般」の人々が楽しめる公園へと改装したのである。アイススケートリンクを中心にレストランなどが整備された。

Bryant Park

都市計画的な視点からはスラム化から街を救った成功事例として、都市社会学的な視点としては空間をプライバタイズし、今まで公園を利用してきた弱者(ホームレスなど)の権利を奪った事例としてブライアント・パークは語られてきた。

公園、つまり「公共空間」は一体誰のために存在し、誰の利用を優先すべきか、という非常に大きな問題に我々は直面している。

宮下公園で起きようとしていること、またブライアントパークで起きたことは、公共空間が「最大多数の最大幸福」のためにあるとするならば、これは正しい選択であったということができるだろう。ホームレスが公園に住むことによって一般の人がその場所を怖い・もしくは汚いと感じ寄りつかなくなっていたものが、改装されることでより多数の人々がアクセシブルになり、幸福を享受できるようになるからだ。

一方、公共空間が弱者や異なるバックグラウンドを持った多様な人々にとって常に開かれた場所でなければならない、という前提があった場合、宮下公園並びにブライアントパークは公共空間としては「あってはならない」ケースであるともいえる。

宮下公園の場合はもうひとつの公共空間としての問題がある。宮下公園ではネーミングライツだけにとどまらず、公園の整備までナイキという一営利企業にやらせるという。公共空間が一企業の宣伝媒体になってしまうことは許されるのだろうか。また、このケースではナイキのイメージ戦略と合わない利用者が排除される恐れもある。

公共空間ゆえに民間企業の自由にならなかったケースもある。それは六本木ヒルズの事例である。日比谷線の駅からエスカレーターを上がると、蜘蛛のオブジェを中心とした大きな広場がある。六本木ヒルズは森ビルという民間企業による開発だが、この広場の下を環状三号線が走っているため、ここはあくまで公共空間であるというのだ。そのため、あの場所には店舗・レストラン等を配置できなかった。また、建物がないため雨に濡れずには森タワーなどにはたどり着けない。しかし、実質六本木ヒルズの中にあり、公共空間とは言い難い場所である。

このように公共空間としての適用を厳密に受ける場所もある一方で、純粋な「公共空間」であるはずの宮下公園では一民間企業が開発を行おうとしている(もちろんさまざまな制限は受けた上での開発であるはずではあるが)。

自分にも公共空間の使用方法でどちらに「正義」があるかを決めることはできない。しかし、もっと決定前に議論がなされるべき問題ではなかっただろうか。

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プロフィール

misonikov

きまぐれピアニスト兼都市研究者。話すことは大体ピアノネタか街ネタです。大学院の博士課程まで進んだものの、やっぱり音楽が一番ということでそちらに。魔法の世界に引き込まれたような、究極に美しい音を求めて何処へ行く。

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