サヨク的旅人日記〜階級的旅人術

―思想と体験を交換し、共有する― 国際支援・教育・ボランティア、そしてアジア・・・・大学講師・NPO主催・ベトナムでの日本語学校の運営・・・・。はからずも忙しく、そして楽しい日々を送る。一緒に国際交流しくてくれるひと募ってます!

2012年03月

たかだか10日あまりの旅でキューバを語るような厚顔さは持ち合わせていないが、10日の滞在だからこそ見えてくるもの、そして感じることもあるのではないか。
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一言でこの国を言い表すとそれば、なんというか、大切な人と一緒に訪れたい国、という感じだろうか。
もちろんいいところばかりではない。食料品を含めて生活用品の供給不足や電力不足は至る所で感じる。インターネットも都市部、それも高級ホテルのビジネスセンター以外では使えない。そもそも携帯電話の普及率も低いのではないだろうか?(そのかわり公衆電話の利用率はものすごく高い。町のあちこちに設置された公衆電話には利用者が列をなしていた)SDIM0375
 効率的で快適な旅行にはキューバにはそぐわない。しかしハバナの街並を歩いてみる、サンタクララやトリニダーの街をぶらぶらしてみる。路線バスに乗ってぶらっと旅に出てみる。。。そうすれはこの国の特殊さ、不思議さがわかるだろう。
それは治安がいいとか、人種差別がないといった月並みな形容だけでは表現しきれない、この国の人達のもつ「誇り」と「安定感」のようなもの、でもそれはけっして経済発展や効率で計れるものではないもの・・・さらにそれは資本主義だとか共産主義だといった社会体制論でも解き明かすことができないこの国の「空気」だといえる。
キューバの国中には革命の英雄ゲバラの肖像が至る所に掲げられている。しかしカストロや現議長のラウルの肖像や写真はいっさいない。聞けばキューバでは生存している人の肖像や写真を掲げることを法律で禁止しているそうだ。まさに唯物的!
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ものやお金はないけれど、みんなで分け合って、みんなで貧しく、そしてみんなで楽しく。みんなじぶんの国、を受け入れて自分の中に「この国」をきちんと位置づけている。でもそれはナショナリズムという卑近な判断を憚れるようなもっとプリミティブなものだといえる。それぞれにとっての「わたしの国」っている感じだろうか。SDIM0388
 国家はいい意味で楽天的でなければならない、というがまさにそれを具現化しているのではないか、ものもお金も贅沢な食べ物もないけど、サルサとラムと葉巻さえあれば、みたいな気楽さ、そして”いま、ここ”をどう過ごすのか、だけを必死に考えている実存な人達の国。それがキューバという国だ。SDIM0372

サンタクララから列車でハバナに戻ろうと思ったが乗り損なって仕方なくリゾート地バラデロに。似合わねー。サンタクララからバラデロはいつものビアスールバス。チケット買うのも慣れたもの。予約なしで簡単に。
サンタクララのバス乗り場のサンドイッチ屋台。異常にんまい。

バラデロは細長い半島の街、その幅数百メートルあまり。これが南側のビーチ。

こっちが北側。この間歩いてほんの数分。

海岸沿いにはオールインクルーシヴのリゾートホテルが立ち並ぶ。というわけで早々に立ち去ることに。カサに一泊して翌朝タクシーでハバナに。所用3時間40ペソ。
再びのハバナでは紹介してもらったカサに。セントロハバナの一角の素敵な部屋だ。窓からの眺めは最高。

ついに念願の電車に乗る事に。キューバ国鉄ハーシー線。始発のカサブランカ駅がまたシブい。終点のマタンサスまで3時間ぐらいらしいけど、取り敢えず中継駅のハーシーまで行く事に。ここはあのハーシーチョコレートの工場があった街だ。見渡す限りのサトウキビ畑が延々と続く。
地元の高校生がカッコいい
さて、そろそろこの旅も終わりが近づいてきた。

ARBAの設立の理念であるエクスポージャーには次のようなポリシーがある。
ただ見るだけでなく状況に接して見極め(Not only look but see)
ただ耳にするだけでなく聞き分け構造を理解し(Not only hear but listen)
知識を得るだけでなく状況を肌で感じ取り行動する(Not only know but feel)

この3つはかつての解放教育、「解放の学力」にも通じる。
さまざまな問題状況にたいして主体的に取り組むことによって芽生える権利意識とそれに伴う現状を自分の手で変えようよする改革意識の醸成こそが解放の学力の主眼であるならば、その最も重要な段階である最初の「気づき」に、写真を利用してみよう、というのがこの実践の狙いであった。
それは本来ならば綴方的な作文や日記などによって達成されるものだが、クメール語の難解さ、文字が思うように書くことのできない幼い子ども達にも簡単に取り組めるようにするにはどうしたら良いのか、がこの実践の発端となっている。

周囲の問題状況を構造的に捉え、さらにそれを土台にした権利主張と行動が到達点ならばその端緒は作文でも、カメラでもいいのではないか、ということだ。
自分を取り巻く日常を見極めるための方策として今回はデジタルカメラを使ったわけだ。

しかしそれは解放教育の重要な側面である「識字教育」とは相反する恐れもあるだろう。
だが、「己を書く」ということはどこまで「書く」というある種の技術的側面に束縛されるものなのだろうか。
フレイレを引くまでもなく、また綴り方における北方教育運動においても識字は重要なキー概念であることはいうまでもない。
解放の初段界が自己表現と伝達であるならば、そこにはさまざまな自己表現と伝達のあり様があって良いのではないか。

自分の撮った写真を手に物語を語りはじめる子ども達の姿からは、そんなあたらしいスタイルの「伝達と対話」を感じさせてくれた気がしている。
いずれにしてもすべてはスタートラインについたばかり、これからにかかっている。

サンタクララ。キューバ中央部の都市だが、言わずとしれた20世紀最強のイメージキャラであるチェ・ゲバラの霊廟のある街だ。チェとボリビアで戦った革命家たちの遺骨が納めてある廟と、博物館がチェの銅像の下にある。
サンタクララはキューバ革命成就のきっかけとなった戦いの場でもあった。
バチスタ軍の進行をチェが阻止したサンタクララ駅。
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街角にはさりげなく7月26日運動とキューバ国旗が。

石畳のつづく街並み。
泊まったカサバルティクルの壁にはこんなプレートがさりげなく。
カサはすこぶる居心地がよい。民泊というと気を使うんじゃないかとおもったけど、今回止まったどのカサでも程よくほっといてくれる。すっかりくつろいでます。明日はバラデロへ。

子ども達に写真を撮ってほしい。
字はかけなくても、作文はかけないけど、自分の気持ちを伝えるのは文字だけじゃないんだ、ということを理解してほしい。
写真を通じて自分を語る楽しさをわかってほしい。
それが今回の遠足の唯一の願いだった。

じゃあその願いは達成できたのだろうか?

今なら胸をはっていうことができる。
今回の遠足は大成功だったと。その理由は色々あるけど、何と言っても企画した私たち日本側と、現地の先生たちとの問題意識の共有ができたことで到達点(教育目標)を措定したスクラムが組めたことだろう。数ヶ月前から現地に滞在して準備に奔走したARBAスタッフには感謝してもし切れない。

今回は自分の身の回りにあるもの、日常的に口にしている「野菜」がどのように流通しているのか、を実際に市場や産地を訪れて調べてみよう、という総合学習的な調べ学習のツールとしてデジカメを子ども達に渡して使ってもらった。


統一のテーマを設けることで、子ども達の撮影行動が制御されてしまうのではないか、という心配もあった。
写真を撮ることで自分自身がこの社会に参加している、この世界を構成している一部分である、という実体感【社会化】を感じることができるか、が今回の遠足の刮目だった。
社会から隔離され、地域的な疎外のなかに置かれているこの子ども達の意識に変化は見られるのだろうか?
今後のこの検証こそが私たちに科せられた最大の使命だといえる。
「撮るということは己を撮ること成り、写真を見て語るということは己を語ること成り。」

キューバへの旅。今回はベトナム(ハノイ)〜中国(広州)〜ロサンゼルス〜メキシコシティー〜ハバナ、というルートを選んだ。これだと航空券代が総額で10万円以内で収まる。ただし総行程30時間近いけど。


キューバに入国してからはハバナ〜トリニダー〜サンタクララ〜バラデロ〜ハバナ、と廻ってきた。すべて長距離バス利用。


この国を旅して感じのは、とにかく旅がしやすい国、ということだ。
インターネットでもキューバ国内の旅行上は驚くほど少なく、また断片的だ。かなりの不安なあったのだが、一歩足を踏み入れるとそんな懸念は吹き飛んでしまった。
確かに案内所はないし案内掲示もすべてスペイン語。でも何とかなっちゃうのがこの国だ。もちろん多少の工夫は必要だけれども、あれやこれや現地で工夫して旅することの楽しみを思い出させてくれる。
もちろん効率はすこぶる悪い。でもここにいるとそもそも「効率」っていったいなに?ってことにも気が付く。
旅の楽しみって効率的じゃないことだったんだよね。
この国の街を歩いていると、"いま、ここ"と一体化している自分を実感できるような不思議な感覚にとらわれる。
いつものようにカメラをぶら下げて歩いているとアジアの街並みで出くわす様なしつこい物売りもバイタクの運ちゃんもいない。でもそれは異邦人であること痛感するのではない。月並みなことばで置き換えれば「同化」。

写真を撮るというある種の高揚感もうせてくる。これは街角スナップシューターにとってはかなり危険なことで、撮影するという行為のプライオリティが下がってしまうことにもなるのだ。
いくつか回った街の中で、写真をもっと撮りたくなったのはどこかというと、それはサンタクララだ。