仏教的世界観で諸相を観察する

政治経済・教育文化・医療のテーマに分けて観察します。

加計学園の事案での問題点は、首相と近い業者(学校法人)が担当役所の厚遇を得て、権利を手中にしていた、という不当性にある、らしい。

首相官邸が役人の人事権を手に入れてから、役所は官邸の顔色伺いを必要以上にするようになり、官邸に近い業者が優遇される事態を招いている、というのが主なストーリーではあるが、これ、システム的な問題であって、現首相周辺の「悪だくみ」or「私物化」といったものではないんじゃないか、と思うわけです。

システム的な問題は、政策決定が官邸主導か霞が関主導か、という単純な二項対立に見立てることができる。

加計は官邸主導の政策決定の例だが、今年4月に新設された国際医療福祉大学(国福大)医学部の設立は霞が関主導の政策決定の例と言える。

国福大の理事長の高木邦格氏はもともと大学時代から衆議院議員の自見庄三郎氏の秘書をしていたくらいの「政治的人間」だが、95年に栃木県大田原市に国福大を設立してからは当地で絶大な権力を誇った渡辺美智雄氏に近づき、そこから厚生省や文部省に触手を伸ばしていった。

その後の病院買収とグループの膨張は政治力を駆使した森友学園張りの「政治的スキーム」(国立病院を時価の1割で買収する等)がてんこ盛りだが、ここでは割愛する。

簡単に言えば、国福大の初代学長は旧厚生省で公衆衛生局長を務めた大谷藤郎氏、副理事長は元文部省事務次官の宮地貫一氏、二代目学長は厚生省で保健医療局長だった谷修一氏等々、そのほかにもこの学園には大量の天下り役人が生息する。
どころか、マスコミ関係者の天下りにもぬかりはなく、朝日の元論説委員、大熊由紀子氏、日経の元論説委員、渡辺俊介氏、読売の元医療情報部長、丸木一成氏等々、学園の食客は多士済々で、まず官僚とマスコミが組めば「医師不足解消のための新設医学部が必要」などといったキャンペーンを張るのはわけもない。
(以上、国福大関係は「選択」5月号が詳しい。)

今回の加計のケースは、霞が関やマスコミに行きわたっていたパイが首相官邸にとられちゃって、マズいんじゃないの、という浅はかな嫉妬もなくはないのでは、と。

しかしまあ、こういった浅薄な問題点ではなくて、本当に深刻な問題は、官邸主導にしても役所主導にしてもどっちに転んでもうまくいくわけではない、というところで、

官邸主導の難点は、その権力を利用しようとする輩が正規の政策決定ルートを飛び越して「忖度狙い」で官邸に近づく可能性がある、という点で、具体例を挙げると、去年12月に日本医師会の横倉会長が安倍首相と電話会談した、との記者会見はモデルケースとみなせる。
https://medical-tribune.co.jp/news/2016/1229506118/

この記者会見では「診療報酬改定は中医協で議論すべきだ。」と首相に伝えたといっているが、もともと診療報酬改定は中医協で決めるものなので、わざわざこんなことを言うために電話をしたのではないのは明白である。

診療報酬改定がらみの「陳情」であった可能性は高いが、そうではなくても、何の意味もない記者会見をするのは他のプレーヤー(保険者サイド、薬剤師・看護師・歯科医師サイド、患者サイド)や官僚に対する威圧にもなる。

というのは、威圧やプロパガンダは官邸の政治力が強い(ところと昵懇であるとのアピール)という前提で成り立つ政治テクニックだからだ。
(むろん、この記者会見は保険組合や薬剤師会や患者の会の連中は首相に直接アポがとれるような場所にはないことを含意している。)

方や、霞が関の権力構造は首相官邸ほど単純ではないので、役所主導の政策で優位に立つには、「天下りの受け入れ」という古来の慣例に従う方法が最も効率的といえる。

官邸主導、役所主導、どちらの政策決定においてもこういった政治テクニックに長けた業者が絡んでくるので、なかなか一筋縄にはいかないが、透明性の確保はできるだけあったほうが良いだろう。

実地の専門家と政策策定の政治機関は連携しなければ政策の実行は不可能だが、どさくさに紛れて公平性がないがしろにされる事態をさけるためにも、透明性が確保できる補助的なシステムが必要なのではないか、と思う。

トランプ政権下のアメリカが空母の北朝鮮近海への派遣、中国への圧力(=北朝鮮への経済制裁の強化)などを通して、北の核兵器開発放棄を求め強硬手段に訴えているが、結果は見えない。

アメリカの狙いは北の核放棄がほぼ絶対の焦点であり、政治の安定は優先順位が低いとみられる。
一方、中国はむろん北の核放棄は望むところではあるが、優先順位のトップは政治の安定なので、核放棄と政治の安定が両立不可能ならば、とりあえずは政治の安定を支持すると思われる。

少なくとも現状では北朝鮮の金政権は、核開発を放棄するつもりは全くないので、アメリカと中国のゴールは微妙に一致しないまま事態は進行すると見込まれる。

今後の考えられるシナリオは

①アメリカが手を引く。
②北朝鮮が核開発を放棄する。
③中国・アメリカが圧力をかけ続け、北朝鮮を追い詰める。

①と②は可能性が低い。
アメリカが何の理由(おとしまえ)もなく、振り上げたこぶしをおさめることは考えにくいし、過去の言動から見て金政権が核開発を放棄する(と宣言する)可能性はさらに低い。

③の可能性が最も高いが、③の事態がさらに進行した場合、どのような事態に至るのかは皆目見当がつかない。

アメリカがどこまで先読みしているかはわからないが、おそらく何も考えていないだろう。

今月号の「選択」にランド研究所のブルース・ベネットという人がこの問題を語っているが、全くお話にならない。何も考えていないと判断して妥当かと思われる。

北朝鮮の脅威を傍観せず、具体的行動を起こすという(アメリカの)意思は強い。そこには軍事介入も含まれる。
と言いながら、
米国が攻撃すると、北朝鮮は米側の攻撃がこれで終わりか、まだ続くのか判断のしようがない。即座に韓国や日本への全面的報復攻撃に踏み切るだろう。米側の意図がどうであれ、外科手術(空爆)は大規模な戦闘の引き金になる可能性が高い。今はそこまでの準備はない。
と角度の違うことを言う。また、
北朝鮮には資本家、起業家がたくさんいるので、こういった人たちが中国の協力で金政権を打倒できるかもしれない。
と夢物語し、
金政権が倒れれば、日本をモデルにして復興計画を遂行するので、日本経済は恩恵を得る。
などと、愚にもつかないことを言う。

アメリカは朝鮮戦争でもベトナム戦争でもイラク戦争でも、何をやっても戦後処理(統治=おとしまえ)にことごとく失敗する国なので、長期的ビジョンなどあるわけがないと思った方がよい。

もし、北朝鮮への追い込みが厳しくなり、「大規模な戦闘」に至った場合、(ミサイル攻撃もそうだが)最も懸念されるのが難民問題である。

予想もつかない数の難民が周辺にあふれる。
日本も例外ではいられない。

内閣府の事態対処専門委員会が韓半島有事の際の難民受け入れについて2006年にシミュレーションしている。http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=83408

報告によれば、10~15万の難民が避難してくるとされるが、大村の入国管理センターや近隣の公的宿舎を合わせても数万の収容人員しかない。また、福利厚生や就業支援などの具体的政策が策定されているわけではないので、混乱は必至である。

さらに対馬経由で玄界灘を渡って大量の不法避難民が流入する可能性も高い。
やっかいなことに、北朝鮮には20万を超える特殊部隊要員がいるので、戦闘員が難民に化けて侵入する可能性が高いし、おそらく本当の難民と特殊戦闘員を区別することは困難だろう。
特殊戦闘員が国内で何をするかはわからないが、末広亭で落語を聞いて帰るわけはない。

ミサイルは防げても、難民を防ぐのは困難を極める。
ミサイルは技術的な問題だが、難民は人道的・法的(さらに言えばマンパワー的)な問題だからだ。

したがって、今の時点で最も避けるべき方向は「大規模な戦闘」へと至る道であり、そのために日本が積極的な役割を果たす契機は必ずある。(と信じたい。)


蛇足
ランド研究所のベネット氏の発言の意図には、ミサイル防衛システムやイージス艦などを買わせようとするところにあるのかもしれない。このアメリカの強硬策自体、防衛関連の「ビジネス」への誘導だという説は全く荒唐無稽とは言えない。シリアで使ったミサイルの会社がトランプの関係者だったという報道もあったことだし。













森友学園問題が世間を騒がしているが、一般の冴えないオジサンから見れば、何を今さら的な冷めた感慨を抱かざるを得ない。

お客さんともこの件に関する話をすることもあるが、大方はまあこんなものだろうよ的な白眼視が関の山で、特に大騒ぎするようなもんでもあるまい、という雰囲気。

安倍総理や稲田大臣が設立に絡んでいるとか献金があっただとかは、(政治資金規正法に違反していない限り)全く無問題であるし、いくら奇妙奇天烈な教育方針であろうと、私学は個性的な教育を許されているから全体的な教育の多様性が担保されていることを考慮すると、森友学園の教育内容を云々するのは筋違いだろう。

冴えないオジサンから見た問題点は、そういうハッキリ・クッキリした個別の論点ではなくて、権力に近い(あるいは一生懸命近づこうとする)人たちが、税金の分配に関して有利な立場に立てるという一般論であり、一般論であるがゆえに、こんなんどこでもあるだろーが、という白眼視・諦念がやはりぬぐえないところである。

政治家の後援会関係者が高速道路や空港の建設用地・土砂採掘地を裏から買収して利益を得たり(この手の事案は以前このブログで書いたことがあるhttp://blog.livedoor.jp/mita_26/search?q=%E4%BA%8C%E9%9A%8E)、農政局の分配する補助金事業を受注するために局OBの天下りを受け入れたり(これは本日より朝日が特集で報道している)、逆バージョンでは共産党系の議員に頼めば生保が受けやすくなったり(人権ビジネス)、と似たような事例はそこら中に転がってるもので。

まあ、なんですな、政治的権力のサークルに絡んでおけば、何かとお得ですぜゲヘヘといった下種な打算と、とはいえ、俺らにはカンケーないもんな、という白けた軽い絶望感がないまぜになって、森友?、いつものやつ、権力者メンバーシップサークルの話でしょ、で一丁終わりで良しとするしかないのではないか、などと思う。

結局、芸能人のゴシップや天下国家の防衛論を論じて喜んでいる純な庶民は、こういったサークルの外側で微妙に搾取され続ける運命にあるが、かといって面倒くさいのでそういった権力に近づく油っぽい人間関係に絡んでいきたくもないなあ、今さら、というのが本音に近いのではないか。(ワタクシがそうです。)

こういった軽い、無気力な絶望感は庶民感情として昔あらあるもので、今に始まったものでもない、と思われるが、実はこういった「トホホな感じ」は近年割合高まってきているらしい。

統計数理研究所が実施した「日本人の国民性 第13次全国調査」を見ると、「まじめに努力していれば報われるか、報われないか」という質問に対して、「報われない」と思う人の割合が1988年の17%から2013年の26%まで増加している。http://www.ism.ac.jp/editsec/kenripo/pdf/kenripo116.pdf

具体的な性格特性では「礼儀正しさ」が38%(1993年)から57%(2013年)に増加しているのに対し、「公共心」が62%(1993年)から57%(2013年)に減少している。

この調査だけで性格判断をするのは無理があるが(割合キッチリした統計ではある)、一般化していうと、みんな礼儀正しくあろうとしているが、公共の利益に対する感受性は低下し、まじめに努力してもうまくやるヤツには到底かないませんわ、というやや諦めの境地が見て取れる。

庶民に浸透する諦めの気分を加速させるという意味で、今回の森友学園の事案は問題だったといえるかもしれないが、逆に「政官業の癒着を正す」というおそらくは常軌を逸したドン・キホーテ的な理想を召喚できるかもしれないという観点から、公共的には有意義な事案とすることもできなくはないのかもしれない。

(いや、無理ですけどね。)






2/22のNHK「ためしてガッテン」において、熟睡を促す新しい睡眠薬が血糖値を下げる効果がある、との内容の放送があり、医療業界者たちの間で非難の的になっている。


一体、この放送の何がマズかったのか。


①新しい睡眠薬(商品名ベルソムラ)の適応症は不眠症であり。糖尿病は適応外。なので、適応外処方を推奨する番組は問題。

国によって認められている症状以外への適用の推奨はアウトでは。

②睡眠と血糖値について検討した研究はあるにはあるが、糖尿病治療効果を検討したエビデンス・レベルの高い研究はない。

だから、適応外になってんだよね。

③医師が公共放送で薬剤の適応外処方を煽るのは利益相反にあたるのではないか。

製薬メーカーの営業手段は近年様々な規制(内部規制も含む)を受けているのに、こんなところで抜け穴ができれば、営業がバンバンテレビ局に行くんじゃね?

※利益相反=外部との経済的な利益関係等によって、公的研究で必要とされる公正かつ適正な判断が損なわれる、または損なわれるのではないかと第三者から懸念が表明されかねない事態を言う。(厚労省の定義)

④本来睡眠に問題のない患者が血糖値を下げるために、ベルソムラの処方を求めるケースが出る懸念。

いや、だから、血糖コントロールの基本は運動と食事療法、できなければ糖尿病薬でしょ。
睡眠医学に詳しくない内科医が患者の歓心を得るために、安易に処方して逆に(夢遊病などの)NREMパラソムニア等が発生する事態になったら、どうすんの?

④放送中で吹聴された(熟睡時に発生する脳波)デルタパワーの「パワー」が本来の意味とは違った意味で、(ウケ狙いで)つかわれた。

デルタパワーのパワーはハンドパワー(by Mr.マリック)のパワーではない。あえて言えば、脳波の周波数帯域を示すものに過ぎない。

⑤放送中、新しい薬だから副作用が少ないという営業発言があったが、そんなことはない。

市販後の使用数が少ないし、臨床試験の被験者数も少ない(254例)うえ、報告されている副作用の発生率(20%程度)も低くはない。(ちなみにマイスリーは17%、デパスは7%。まあ習慣性は・・・だけど)

以上参考。https://togetter.com/li/1084095

とまあ、問題山積ですが、当の「ためしてガッテン」の関係者もこれはマズいと思ったのか、番組紹介のホームぺージには睡眠薬の件には触れていない。

http://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20170222/index.html

医療業界もこの頃は、患者の要望をできるだけ聞く立場をとるので、場合によっては客観的な費用対効果より患者の要求を優先させることもままある。(営業の意味もないことはない。)

患者の生活・身体環境や服薬状況を勘案しながら、客観的なスタンダードよりも患者の好みをある程度優先するのは、情報と行動パターンが多様化した現代では、妥当なケースもありうるが、ウケ狙いのテレビで仕入れた情報をそのまま持ち込まれては、スタンダード医療と患者個人にあった医療の分別を超えて、治療の質を毀損してしまう恐れがある。

今後、この種の「あまり知られていないが、実はこういった効果があるんです、はーっ!これが隠されていたギャラクシーパワーです」的な番組が増えないことを祈るばかりであります。

蛇足
先週はうちの薬局にも4名ほどデルタパワーの睡眠薬出してもらってきた、という患者が来ていた。
そのうち一人はシータパワーと言っていたが、明らかにハンドパワーのパワーと同じ意味で解釈している。
(しかし、間違えるにしてもなんでαでもβでもなくてシータなんだ。ラピュタかよ。)









文部科学省が14日公表した学習指導要綱の改定案には、小中学校の社会科に竹島、尖閣諸島が「わが国固有の領土」として初めて明記された。・・・中学の地理的分野では既に記載がある北方領土に加え、竹島と尖閣諸島も領土であるとし、尖閣諸島については「領土問題は存在しない」と記した。
(2/14毎日新聞電子版)

言うまでもなく、尖閣諸島をめぐる領土問題は(少なくとも客観的には)存在する。存在しなければ、尖閣諸島問題というキーワードで検索をかけて50万件以上もの記事がヒットするはずがない。

なぜ教科書が嘘を記載するようになってしまったのか、については技術的には政治的駆け引き(官邸ー官僚)の結果だということもできるが、本質的には党派的な利益に資するという側面を指摘せねばならない。
(これは中国共産党、自民党どちらにも言えることである。)

ジョージ・オーウェルの「1984年」の中で出てくる「二重思考」という概念が最も的確に説明している。

二重思考はイングソック(イデオロギーの一種)の核心である。何故なら、党(中国共産党/自民党)の本質的な行動は意識的な欺瞞(領土問題は存在すると自覚しておきながら、しないと強弁する。)手段を用いながら、完全に誠実さ(いわゆる愛国心)に裏打ちされた堅固な目的を保持することだからである。一方で心から(領土問題を)信じていながら、意識的な嘘をつくこと、不都合になった事実はなんでも忘れ去ること、次いで再びそれ(領土問題)が必要となれば、必要な間だけ忘却の彼方から呼び戻すこと、客観的事実の存在を否定すること(教科書への記述)、それでいながら自分の否定した事実を考慮に入れることー以上は全て不可欠な必須事項なのだ。
(「1984年」ジョージ・オーウェル、カッコ内は筆者による)

教科書を読んで、現状で「尖閣諸島をめぐる領土問題は存在しない」という認識を固定させる生徒はほとんどいないと思われるが、この問題は解決してしまっていると結論付ける生徒は少しづつ増えていくかもしれない。
現実は必ずしも客観的で外在的なものだとは限らないからだ。

同じく「1984年」から、主人公(ウィンストン)が洗脳される過程で、

「ウィンストン、訓練された精神の持ち主だけが現実を認識することができるのだよ。君は現実とは客観的なもの、外在的なもの、自律的に存在するものだと信じている。・・・しかしはっきり言っておくが、ウィンストン、現実というものは外在的なものではないのだよ。現実は人間の、頭の中にだけ存在するものであって、それ以外のところでは見つからないのだ。」

ナチスのユダヤ人収容所で辛酸をなめたV.E.フランクルは、人間に残された最後の自由は頭の中であると言ったが、高度管理社会ではそういうわけでもないのかもしれない。
頭の中の自由(記憶)は常に管理されているからだ。
フーコーが面白いことを言っている。

「新たな統治理性は、だから自由を必要としているのであり、新たな統治の技法は自由を消費するのです。自由を消費すること、それはつまり、それを生産しなくてはならないということです。それを生産しなければならないということは、それを組織しなくてはならないということです。だから、新しい統治の技法は、自由の管理経営者として現れるのです。」
(ミシェル・フーコー「生政治の誕生」より)

フーコーはこの自由を効率よく生産するシステムを「セキュリティ・システム」と呼ぶ。セキュリティ、それは「自由の製造費用の計算原理」(フーコーによる)であり、またそのセキュリティは「個人的な利益に対して集団的な利益を保護すること」を目標とする。

統治性のなかに「自由とセキュリティ」をセットにして組み込むことで、統治者は利益を得る。

つまり、問題を外在的・客観的には見えない形に設定する(=個人の頭の中に単なる情報として設定する=真の問題からの自由を生産する)ことで、問題にかかるコストをセキュリティという名のもとに(司法権、立法権を超越し)行政がフリーハンドで決定する権利を得る。

こういった仕組みは日本よりも現今のアメリカで力強く機能する様子を見せている。

中国共産党やロシアプーチン政権やアメリカ共和党が同じような支配形態をとりつつある現状では、自民党が客観的な問題をすり合わせるという調整的機能よりも単純な政治的パワーを示し続けていかなければ伍していけない、と考えるのもわからないではないが。

ともあれ、図書検定を通った教科書が嘘を教えるのはいかんだろう、とは思う。
(検定は客観的事実に沿うべきであって、政権の意向によるべきではない。)

トランプ大統領の登場は、いくつかの点で衝撃的だったが、今後の展開を考えるうえで、その分析は欠かせないだろう。

そういう意味で、識者の見解をまとめた「現代思想1月号」はなかなか読みごたえがあった。

大方の内容をまとめ、今後の展開を占ってみたい。

ほぼすべての論者がトランプをポピュリズムの担い手として前提している。
そのうえで、アメリカに限らず全世界で同種の(左右両方で)ポピュリズムが浸透していると診断する論者が多い。
もっとも、もはやポピュリズムはインフレ状態であり、共通の意味を失っているので語るに値しない、とする論者もいるが。

さて、ではポピュリズムとは何か?という問いに対しては、いくつか焦点の異なる見解が見られる。

1.経済的・社会的不安や沈滞に対する現代的な回答。
2.問題の構造を問う代わりに、目の前に敵を作り、「われわれ」を立ち上げる技法。
3.単なるリビドー(欲動)であって、制度・組織への調整機能をもたないため、その政策は継続的にはできない。

1.はポピュリズムの総論であり、2.は技法、3.はその機能(不全)と分類できる。

差異(男/女、自国民/移民、ヘテロ/ホモセクシュアル、白人/カラード等)を理念(ポリティカル・コレクトネス)で無効化することに対する脅威、恐怖感が「われわれ/彼ら」の分別への欲動を駆り立てた、との分析は、いくつか見られる。

差異を無効化し、二つの対立項は等価である(orあらねばならない)ことを前提に社会制度を再調整することに対する反発は、まああるかなと思う。

これは大げさに言えば、17世紀以降のヨーロッパ的啓蒙主義の限界といえるかもしれない。

妥当かどうかはともかく、ポピュリズムの分析をそれぞれ列挙する。

・サッチャーは労組という「敵」=「かれら」をつくることで、新自由主義的政策を正当化した。(森 政稔)

・空虚な記号(敵)を媒介に不満を持つものを巧みに「等価性の連鎖」によって接合し、「われわれ善良な市民」を構成しながら、多数派を形成した。(土佐 弘之)

・ポピュリズムの核となる主張は、一部の人民でもって全体に代えること、すなわちポピュリストが認めた人民のみが真の人民であるとするレトリックにある。(山本 圭)

・トランプは犯罪の恐怖に対処するための「safety」、安全な空間に囲い込むための「border」といったキーワードを駆使し、手で触れる範囲での応答を受け取れる空間=極小のメンタル・マップを国民に提示した。(下河辺 美知子)

下河辺のいうメンタル・マップとは大きすぎて自らの感覚で把握できない世界をヴァーチャルな「私と世界」の位置関係に書き換えることで、世界への特定の認知枠の組み込み、興味のない社会問題を消去したセカイ系、と言い換えることができる。


②ポピュリズムが導く世界とはどのようなものになるのか?

「確信をもって言えることは、予測不可能だということだ。」(チョムスキー)との見解の通り、ほとんどの論者は基本的には予測不可能だと前置きする。

欲動及び記号(敵)の創出によって当選した大統領に体系的な政策があるわけはないので、既存の構造に飲み込まれると示唆する人もいれば、行政/国会/司法のすべてを共和党が握っているので、場当たり的で前例のない政策が連鎖的に実現するとみる向きもある。

方向性が変わるとみられるのが、ロシア関係、イスラエル政策、地球環境政策などで、それぞれ親ロシア、親イスラエル、温暖化対策の後退、といった方向に向かうとみられる。

面白いのはトランプの親ロシア主義は彼の女性の好みがアーリア人種だから、という指摘で、一見こうしたばかげた理由が案外頑強なイデオロギーになることもありえる。

フランス革命の指導者バルナーブ、ロラン婦人、ロベスピエールらは些細なきっかけ(芝居小屋での座席の間違い、食事の予約違い、担当したクライアントの話)が感情をフックして革命に身を投じ、当代のイデオローグに成り上がった、という話をひくまでもなく・・・

具体的な政策では、副大統領のペンスが筋金入りのシオニストなので、イスラエル寄り(反パレスチナ)に行くことは確実視されている。
逆にイスラム圏との敵対度は高くなる見込みで、イランへの強硬策との絡みもあり、中東問題の不安程度は拡大すると予測される。
(イスラエルの極右を形成している主力がロシア移民である点も見逃せない。)

イスラエルのアメリカ大使館が現状のテル・アビブからエルサレムに移転するかどうかが当面の試金石になるとみられている。(これをやればパレスチナの猛反発を食らうのは必定。)

短期的な政策はともかく、体系的な政策を欠くポピュリスト政権の最大の弱点は、長期的な破たんに対するリスク管理が難しい点だろう。

現状、バブル経済対策、環境問題対策といった長期的課題を無視することが当面の株価上昇を後押ししているが、リスクコントロールをどうするのか、全く無視するのか、それがどのような結末を導くのか、についてアメリカ以外の国が継続的に分析する必要があると考えられる。

核管理問題を含め、国の枠を超えて長期的リスクを評価する機関が最も必要とされている時代だが、COPや国際司法裁判所など国連各機関、国際刑事警察機構など国際機関はどれも力を失い、各国でポピュリスト政治家が躍動する有様は、(少なくとも長期的問題に関しては)お手上げといわざるを得ないのではないか。

経済紙「フォーブス」に「この男がトランプを当選させた」と名指しされた娘婿のジャレド・クシュナーを長時間インタビューしたニューヨーク・マガジンの記者は、クシュナーの印象について「自分が何を知らないのかを、知らないタイプの人間。」と評した(1/8朝日新聞)が、このような性向はポピュリストの強みであると同時に弱みでもある。

暴言であるにせよ断言ができる問題にしかコミットしないという態度は、有権者へのメンタル・マップの提示には有効だが、その外側(長期的問題、国際的構造的問題)への想像力→対応力を著しく損なう。

トランプが失業・低所得問題を単純な輸出入の問題として提示し、構造的な問題としての側面を切り捨ててしまえたのは、このような確信的態度があったからだと推測できるが、だからといってこの問題が彼の提示する枠内で解決できるとは考えられない。

例えば、トランプはメキシコに新工場を建てるトヨタ自動車を批判して「米国に工場を建てるか、国境で高い関税を払え。」と攻撃したが、メキシコでの新工場の稼働が長期的な米国の失業・低所得問題に寄与する可能性を最初から除外し、自分が認識可能な枠組みに問題を押し込む彼のやり口からクシュナー風の「知らないことを知らない。」性向を想像するのはたやすい。

ともあれ、この大統領が今後世界の動向に大きな影響を与えるのは確実であり、既存の国際機関が無能力であることもほぼ確実な今となっては、長期的・構造的問題に対する対応は各種職業団体やNPO活動など会社や個人のつながりに期待するしかないのかもしれない。


福島原発避難民の子供に対するいじめは横浜の事件で明るみに出たが、氷山の一角と思われる。

首都圏の避難者でつくる「避難生活を守る会」に寄せられた「いじめ」の件数は6件だが、ほかの地域の「つなぐ会」や「あゆむ会」にもいじめに関する同様の意見が複数寄せられていること、水面下に埋没している件数を考え合わせれば、相当数あるのではないか。

この事案が通常のいじめと異なるのは、正しい知識が共有されずに、ゆがんだ偏見に満ちた知識が恣意的に(いじめる側の都合の良いように)運用されている点で、こういった問題点は学校側の対応によって対処可能なのではないか、と思われるところである。

例えば、「菌がうつる」「触ると汚くなる」などといった放射能に関する悪口は、今回の原発事故で放射能による避難民への重大な健康被害は報告されていない、放射能による健康被害は感染しない、といった事実と異なる。

例えば、「ただでいいところに住んでいる」「福島のくせに貧乏だな」などといった悪口は、賠償の範囲と額が限定されている、子供が使えるお金とおうちの賠償金は無関係である、といった常識に反する。

こういった「正しい知識」をあえて主張するのは、問題点をあらわにし、調子に乗った=ゆがんだ知識をふりかざす子供たちを増長(逆上)させ、逆に問題を大きくすると考える向きもあるかと思うが、黙ってみているよりは断然いい。

大抵クラスには真面目な子供が何人かはいるはずだから、もしゆがんだ知識を振りかざす子供がいたら、彼らにストッパーの役割を期待することができる。

避難民の子供が担当クラスに入ってきたら、教師としては「問題が起こったら面倒だな」と思うかもしれないが、逆に俺が担任でよかったな、絶対に問題は起こさせないから、と気合を入れて対応してほしい。
また、教師は職員会議で発言し、学校全体で情報と責任を共有することも求められる。

職業プロなら、トラブルが自分の糧(資産)になることは知っているはずだ。
怖気づいてはいけない。

通常のいじめでは原因と線引きがあいまいで対応は困難だが、この事案は原因がはっきりしているので、それに乗っかる(調子に乗る)側の特定は難しくない。
対応は可能だ。

放射能はともかく、賠償金云々の与太話は子供が無意識的に情報を摂取した種類のものではないと思える。
どこかで大人が吹き込んだ、大人の話を聞いたことが情報源になっていると考えられる。

こういった弱者が逆に不当な利得を得ている的な弱者バッシングは、リベラルの退潮とともに世間に流通するようになってきているが、注意が必要だろう。

一般に賠償金や生活保護により不当な利得を得ている人間は何%かはいるだろうが、大多数は目的にかなった恩恵にあずかっている。

それを一緒くたにして非難する大人は、「調子に乗っている」前出の子供と変わらない。

非難するのなら、不当な利得がどのような経路で得られているのか、それを阻止するためにはどうすべきか、といったところまで踏み込まなければならない。

それが面倒なら表面上の余計なことは言わないことだ。


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